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ぽかぽか春庭bbsコピー>ゴッホによせて

2012-03-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/03/20
ぽかぽか春庭カフェらパンセソバージュ>bbsコピー(7)ゴッホによせて

ゴッホによせて
haruniwa
  印象派、そしてセザンヌやゴッホ、ゴーギャンなどポストインプレッショニストは、日本で格別に人気が高いですね。
 私が電車賃を払える地域は千葉市さいたま市横浜市までで、鎌倉となるとちと時間と電車賃を考えてしまうのですが、この地域でまとまったゴッホ展やセザンヌ展があったときは、欠かさず見に行っていました。

 私は、母がゴッホファンで、自宅の壁に「花咲く桃の木」のポスターを貼っていたりしたので、「絵を見る」ということをはじめたのが、ゴッホからでした。この『花咲く桃の木』は、1958年「フィンセント・ファン・ゴッホ展」が東京国立博物館で開催されたときに後援をした新聞社(読売)から新聞定期購読者に配布されたもので、母は長いあいだこの図版を大切に飾っていました。当時はファーストネーム、ヴィンセントではなく、フィンセントだったのね。

 母がゴッホの絵を好きだったのは、美術的にというより、三好十郎の「炎の人 ヴァン・ゴッホ小伝」や、読売が大々的に特集した記事などから彼の人物像が好きになってから絵を見るようになったのだろうと思います。
 私が子供のころ、母には画集を買うような余裕もなく、銀行のカレンダーにひまわりの絵があると、年がかわっても、絵だけは切り抜いてとっておくような、ささやかな絵の楽しみ方でした。

 私が最初にゴッホ展を見たのは、1976年の 「オランダ国立ヴァン・ゴッホ美術館所蔵ヴァン・ゴッホ展」国立西洋美術館
だったと思います。

 まとまった展覧会があるたびに何度も行ったゴッホ展ですが、カタログは高いので買えないことが多かった。それでもとぼしいお金をやりくりして集めてきた美術展カタログが、今年2月に起きた水害(上階からの水漏れ事故)で、本や畳が水浸しになったとき、美術展カタログも水に濡れてしまいました。
大半のカタログは、水でよれよれになり、惜しいと思いながらも捨ててしまいました。

 画集が出版されているようなメジャーな画家のカタログなら、画集を買えばよいと思いますが、画集が手に入れにくいマイナーな画家のカタログは、水でページがくっついてしまったような状態であっても、とっておくべきだったと後悔しています。

 しかし、洪水のあと、なんとか部屋を片付けなければと必死で、思考力などなく、とにかく濡れたものを捨てたのです。(春庭2010年3月の日記参照してください)
 しかし、2005年に竹橋の近代美術館で開催されたゴッホ展のカタログは、別の場所においてあったので、水にぬれませんでした。

 国立新美術館で開催される次回のゴッホ展と同じくファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館からのコレクションです。
 私が初めて見た1976年のゴッホ展には、46万人もの人が絵を見に押しかけたのだそうです。

 絵をみるというより、話題の見世物を見る、流行に乗り遅れてなるものか、という日本人の物見高さの結果の46万人であり、絵画鑑賞が趣味という人がそれほど増えているわけではないみたい。

 その証拠に私がときどき足を運ぶ近代美術館や西洋美術館の常設展示はいつでも人もまばらな状態でゆったりと見ることができ、ゴッホの数点の絵も、独占状態で鑑賞できます。
2010-08-23 11:18:58 ページのトップへ


教師の仕事
haruniwa
 私が絵画鑑賞を趣味とするようになったのは、中学3年生のときの美術科教諭松岡先生に絵を見る楽しみを教わったからです。
 松岡先生は定年退職後、奥さんと美術研究所を設立して後進の指導にあたっておられましたが、私は松岡先生にお礼状の一枚年賀状一枚だしたことはありませんでした。

 そして、教師の仕事というのは、そういうものだと思い知りました。
 「先生のおかげです」なんて、直接に言ってくる生徒はほんのひとにぎり。
 でも、教えたことは必ず生徒の心に残り、心の糧になっている。

 トリトンさんが美術や演劇を教えた生徒さん、何十年後かに「ああ、私が演劇好きなのは、あのときあの先生が演劇の話をしていたからだなあ」と思い当たる人がいるだろうと思います。
 それで十分ですよね。
2010-08-23 11:19:37 ページのトップへ


教師の仕事つづき
haruniwa
 なぜ、「教師の仕事」について書いたか。
 トリトンさんの文に種田陽平について書いてあったからです。
 「同じムサビで同じ時代に学んだことに誇りを感じる」と書かれている一方で「彼はこうして活躍してきたのに、自分はこの年月何をしてきたのか」とも書いている記述が気になったのです。

 私は自分のことを常に「ねたみひがみやっかみ」人間と公言しているのですが、私の妬みやっかみが最大になるのは、中学校と高校で3年間同じクラスだったレイコさんのこと。
 レイコさんは美人で頭がよく、お金持ちのお嬢さん。ハンサムなご主人と大学在学中に学生結婚し、子育て中も実家の支援を受けながら大学院を修了し、明治女性文学、一葉研究などの第一人者として活躍している。
 大学教授としても母親としても、立派な仕事を成し遂げています。

 同じ高校で机を並べていたはずの人がはるか遠くにいるようで、何の業績もない私としては、常に「同じように一生懸命生きてきたのに、どうして私はこんなさえない人生のままなのか」と、思うことが多いのです。
 
 私は私で十分おもしろい人生をあゆんできたからいいじゃないか、と思う。ても、「ヒトは人、私は私」、なんてことは聞き飽きた。私に日が差すことがあってもよかったんじゃないか、とも思います。
 トリトンさんが「種田陽平に比べて私は」と思うのと同じではないかもしれませんが、私にも人と比べてしまう点があることは共通しています。

 しかしながら、私は、私のヒガミは私のエネルギーと思うことにしています。
 トリトンさんも種田さんとは違うトリトンさんの世界を築いてください。私もあと50年くらいかけて私の世界を築いていくつもり。

 あと50年くらいすると「またしても行方不明老人、110歳女性」なんてニュースになるだろうと思うのですが、そのころトリトンさんが100歳になっていたら、「ああ、あの行方不明の人、私知ってるわ」と周囲の人に話して下さい。
 そのとき何人か「ああ、うちの親は、そんな名前の人に日本語学を教わったと言っていた」という人がいるかもしれない。
2010-08-23 11:38:09 ページのトップへ


星月夜の閃輝暗点 
haruniwa
 書いたままUPするので、誤変換いろいろあります。明示→明治とか。適当に直しながらよんで下さい。
 さて、ゴッホの「星月夜」が、ゴッホの病状のひとつである閃輝暗点から生まれたものである、ということを申し述べたいと思います。

 草間弥生の統合失調による幻視の絵画化、ゴッホの閃輝暗点(暗い中の光っているものの光が倍増して大きく見える)が生んだ「星月夜」

 星があれほど大きく輝いて見えるのは、服用している精神薬の副作用によって閃輝暗点が起きているからだ、という解説を聞いたときには、「そうか、ゴッホは自分の目に見えている星をそのままに描いていたのだ」と、妙に納得しました。
 ゴッホは薬の副作用によって見える彼の星の見え方をキャンバスに描いた。

 私たちは、星がこのように見える画家の天才を知り、やはり天才というのは尋常の人の見方とは異なるものが見えるのだ、と思って「星月夜」などを見てきたのですが、通常の目で見る画家の絵にも成し遂げえず、ゴッホと同じ副作用を持つ薬を飲んでいた画家ならぬ人には描きえない世界が、ここに奇跡的に美しい星月夜の絵を完成させた、この奇蹟は人類に与えられた神の御技と思います。
2010-08-23 12:08:30 ページのトップへ



天才
haruniwa
 トリトンさん、美術教員研修、お疲れ様です。がんばってね。

 長々と書いてきたのは、高校野球も終わって、大会後の野球少年たちの人生を考えていたから。
 全国に中学校が1万校あります。たいていの学校に何はなくても野球部はあるから、最低10人は野球部員がいて、全国では10万人の野球少年がいるだろう。その10万人の野球少年は高校へ行って甲子園を目指します。一夏に10万人以上の野球少年が甲子園を目指す。
そのうち甲子園に出場できるのは、概算800人です。
 800人は、選ばれたエリートです。その800人のうち、プロ野球にスカウトやテスト生で入るのは毎年一球団で10人前後。(ドラフトによる新人入団は10人まで)
残りの数百人は、甲子園に出たことを最高の栄誉としてアマチュア選手として野球を楽しむことになる。
 むろん、甲子園へ行けなかった10万人も同じ。

 プロとなるのは10万人のうちの120人。
 一人のイチローの後ろに、100万人の天才ではなかった野球少年がいる。
 種田陽平も天才です。野球も美術も同じ。ひとりの種田陽平のうしろには、何人の芸術少女、美術少年がいたのか。

 言語学日本語学の世界にも、三上章とか奥田靖雄とか、天才的な人が何十年に一度は出現します。

それらの天才にくらべれば、春庭の凡才ぶりは、草野球でライトの9番もだしてもらえないような、草野球ベンチ組みたいなものです。

それでも、くさらずに、日夜日本語について考えています。
「ヘタの考え休むに似たり」と、父に揶揄されていた子供時代とちがって、今は私が考える時間を持つことを冷やかす人もいないので、考えていたのですが、ほんとうに「ヘタの考え休むに似たり」だったので、がっくり来ています。

8月中取り組んできた「受け身文、動作主体のマーカーについて。ニ格とニヨッテの使い分け」というのをようようまとめて、これまで出された先行研究よりちょっとは先に進んだかと思ったら、私の先行論文チェック不足で、私の下手な考えよりよほど精緻な先行研究が出ていたことに今頃気づきました。

徒労!のひとこと。

数学のフィーズル賞などでは、同じ証明に取り組んでいる研究者がゴマンといて、一分でも早く出版公表した人が栄誉を受けるのだそうです。同じ結論にたどり着いたとしても、結果発表が一日おくれたらダメ。

日本語学研究者としては私はほんとドジでのろまな亀、カタツムリの歩みです。
結局のところ、日本文学研究も日本語学研究もどちらでも何もできない凡人の生きる道は何なのか、、、

ああ、暑い。
長々書いてきて、ただの愚痴です。すまぬ。

2010-08-23 12:31:48 ページのトップへ


ゴッホ
toliton717
haruniwaさんへ

興味深いコメントをありがとうございました。
>ゴッホの閃輝暗点(暗い中の光っているものの光が倍増して大きく見える)が生んだ「星月夜」
とは、初めて知りました。

薬の作用で、実際より大きく光ってゴッホの目には映っていたのですね…。

薬の副作用かどうかは分らないけれど、オーヴェール時代のゆがんだ教会や、うねるようにそびえる糸杉とかも、そんなふうに見えていたのかなあ…。
ゴッホの目に見えたままに…。

『炎の画家ゴッホ』の由来はあのうねるような厚塗りの筆致だけでなく、彼の生涯、生き様が炎そのものだったのでしょう。
あまりに純粋で、不器用なゴッホ。
日本に憧れ、浮世絵師たちの様な芸術家のユートピアを目指していたゴッホ。
実際に家族や友人に彼の様な人がいたら、みな大変だろうと思うけど、生涯を通して兄を支え続けた弟テオは素晴らしい人だと思います。
彼なくしてはゴッホの芸術も生まれず、アルルの生活も成り立たなかったことでしょう。
15本のひまわりの絵はテオがメンバーに入っている絵なのだそうです。
二人の兄弟愛は永遠に語り継がれていくことでしょう。

息子さんの勾玉作り、お疲れ様でした。
私も千葉県立美術館のワークショップで勾玉作りを手伝ったことがあります。石って磨くと本当に光るんだ~と当時小学校2年生の娘が感心していました。  

2010-08-23 18:17:21 ページのトップへ

☆    ☆    ☆    ☆    ☆

2012/03/20
 18日日曜日、近代美術館常設展を見ました。1月に見たときからかなり展示替えになっていて、春らしい桜の絵も多く展示されていました。
 夭折の天才も、長命の大家も、絵からも彫刻からも、作品を完成させるという情熱の光輝が放たれており、作品の間を歩くだけで、光に満ちた「天才浴」を感じました。森林浴もいいけれど、季節に一回は美術館での天才浴もいいですね。

 小林古径の桜の屏風絵は撮影禁止マークがありましたが、その他の絵、撮影許可のワッペンをもらったので、好きな絵をバチバチとデジカメにおさめてきました。

 人に文句付けるのが生き甲斐という風貌の「ご年配の紳士」が「キンシだよ」「キンシだよ」と私がシャッターおすたびに言う。
 私は撮影許可のワッペンつけているので、私に言っているのだとは思わずに無視していたのですが、何度目かの「キンシだよ」で、私に向かって言っているのだとわかりました。

 そこで「撮影禁止マークがついている絵はダメですが、それ以外の絵は、撮影許可をもらい、フラッシュをたかなければ、撮影していいんですよ、ここは」と、ジーサンの「キンシだよ」説教を封じました。
 ジーサンは、近代美術館は撮影許可が出るのだと言うことを知らずに「キンシだよ」を言っていたようで、私の説明に「え?そう?」とつぶやいただけでした。
 小言大好き高齢者に告ぐ。自分の思い込みで人に説教したがるのはやめんしゃい。説教大好き癖キンシだよ。

 近代美術館が好きなのは、写真撮影許可がでるところ。写真をパソコンに取り込んでおくと、私のパソコン、時計表示の下に自分の写真アルバムが表示され、15秒に一度いろんな写真が出るので、美術館で撮影した絵も楽しめます。
コメント (6)
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