十分間俳句

発見・感動・創造! 子どもたちの感性を培い日本語力を高める十分間俳句

夏休み

2011-08-24 | ジュニア俳句

この夏休み、いろいろな休暇などをかき集めて、10日ほど休んだ。こんに続けて休んだのは、現役時代にはなかったことだ。
本当は、田舎の避暑地に行く予定だったが、懐具合も含めて、それが無理になってしまった。
そこで、毎日近くの避暑地に行くことにした。
本を読んだり、居眠りをしたり、俳句を作ってみたり、一週間、ほとんど誰にも会わずにこんな生活を送ったのは、人生初めてのことかもしれない。

その中で、一番印象が強かったのが、山本健吉の「現代俳句」である。
「定本 現代俳句」角川選書2400円 
まだすべてを読み終えているわけではないが、正岡子規をはじめ五十人の明治以降の俳人を取り上げたこの本は、近代の俳句史を俯瞰する上でも絶好の入門書である。
また、山本健吉の俳句観が具体的な句に即して、余すところなく表されている。

内容についての紹介(自分の覚え書き)は時間があればしたいが、たとえば、俳句の近代化が、季題の発見という形でなされていく。(そのことに山本健吉の意識が注がれている)このことが印象に残った。

179ページ 「流氷」は近代俳句において開拓された季語である。古い歳時記には、「氷流るる」という季の詞が挙げてあるが、これは内地の川や沼などの小さな景観に過ぎない。

287ページ(金尾梅の門)・・・歳時記に記載されていない鳥が、それだけの理由で俳人の注意を惹かないのはずいぶん滑稽な話である。だから私は俳人の自然を愛するとか、季節現象をだいじにするとか、花鳥風月に親しむとかいう言葉を,口先だけだと思うのである。・・・・
私は、これまでの俳人に見落とされていた生物や風土現象を、句にする意欲を大いに尊重する。「季節のひとつも探し出したらんは、後世によき賜」(去来抄)  とは芭蕉の言葉である。

山本健吉を詠むと、俳句というものが、実に柔軟であり、時代と共に発展していくものだということがよくわかる。