孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

なっちゃん、絵日記。

2015年08月30日 | 孫ネタ
初孫なっちゃんがやってきた。10日ほどお母さんの実家に行って来たので、お土産を持ってきてくれた。

例によって、着くなり「おじいちゃん、何して遊ぶ?」と背中のバッグを下ろすと、お母さんが、「なっちゃん、絵日記を先に書くんでしょ?」と、催促しました。

「あっ、そうか・・・」と言って、色鉛筆と絵日記を出して、お母さんの実家で花火をやって遊んだ絵を描き始めました。



幼稚園の絵日記には、お天気シールやお勉強シールなど色々な小さいシールが付いていて、それを貼るのも楽しみなのだそうです。

「ウンチシール」というのもあって、ウンチをした日にはそのシールを貼るんだそうです。大体二日おきに貼ってあったので、「なっちゃん、ウンチは毎日出ないの?」と聞くと、「ううん、毎日出るけど貼るのを忘れちゃったんだよ。」ということでした。

絵日記が終わってから、いつものようにUNOというゲームをやり、いつものようになっちゃんの一人勝ちで終わり、トランプで神経衰弱をやり、折り紙で風船を作り、その後みんなでお昼を食べにお出かけしました。

明日は幼稚園で、来月の運動会の踊りの練習をするのだそうです。

あいにく、その日はおじいちゃんは台湾旅行に出かけてしまうので、練習で覚えているところだけ少し踊って見せてくれました。

後から運動会の動画を見るのが楽しみです。

魑魅魍魎たち。

2015年08月30日 | 日記
フォントと呼ばれる書体デザインというと、明朝体とかゴシックとかが一般的だが、私は英文の報告書などでは、Georgia というフォントを好んで使用する。特に数字が古風で、書体にもドコと無く品があって読みやすい感じがすると思う。

他にもマイクロソフト社がコンピュータ用に開発した、Verdana というフォントも読みやすくて好きだ。

コンピュータの発明される前から、活字書体はいくつかあって、その歴史はドイツ人のヨハネス・グーテンベルクが15世紀に活版印刷を発明した頃に遡る。火薬・羅針盤と並ぶ活版印刷の発明は、当時教会に一冊しか存在しなかった聖書の大量印刷を可能にし、聖書は個人所有が可能になり、それがやがてルターの宗教改革へと繋がっていくわけだ。

ルターの主張を押しつぶそうとすると、彼は自説をパンフレットに印刷して配り、支持者を獲得することができた。

活版印刷の普及に伴い、活字を組み、印刷から製本までを統括する職人が必要となり、彼らはタイポグラファー(typographer) と呼ばれた。

活字の書体デザインも手掛け、タイポグラフィックデザイナーとも呼ばれることがある。

ヤン・チヒョルト氏(Jan Tshichold) もタイポグラファーの一人で、1902年に看板屋の長男としてドイツのライプツィヒに生まれた彼は、その後ナチスの弾圧を避けてスイスに委譲している。

 

いくつかのフォントのデザインを手掛けているが、1966年に作成したサボン(Saban) というフォントは一般化した。



活字を組んだときの間隔やバランスを考えながら、文字のデザインを形作る作業はセンスと根気のいる作業である。

彼の作ったフォントに Waddem Choo という書体があって、この中のTのデザインがどこかで見たようなデザインだと気がつく。



二年前に東京のギャラリーで開かれた「ヤン・チヒョルト展」で掲げられた幟やポスターにもWaddem Choo フォントが使用されていた。(赤い矢印に注目)



先週、28日に東京五輪組織委員会は五輪ロゴの件で記者会見を開いた。例のパクリスト佐野研二郎氏のデザインについての会見だった。デザイン選考会の選考過程を説明したかったようだ。

審査委員8名は全部で104点の作品から二日間かけて、4点にまで絞っていったそうである。その4点について、審査委員が議論した結果、パクリスト佐野氏の作品に決定した。

ただし、その時選んだパクリスト佐野氏の作品というのはこちらだった。 ↓

 

『T』の右側下に赤丸というデザインで、ベルギーの劇場のロゴとは似ても似つかないものだったという。



権威のある審査委員たちが二日間かけて議論した結果決定した、パクリスト佐野氏の作品を商標登録しようとして調べたら、他に似たようなデザインがあるとわかったようだ。

そこで、パクリスト佐野氏に伝えたのか、あるいは審査委員がやったのかわからないが、権威ある審査委員たち8名が二日間かけて決定したパクリスト佐野氏の作品を、「修正」したそうである。しかも一度の「修正」では何かまずかったようで、二度に渡って「修正したそうだ。



審査委員代表を務めた日本グラフィックデザイナー協会特別顧問の永井一正氏は
「リエージュ劇場のものとは発想、思想、造形すべてが違う」と、説明し、『・・だから、ワシらが決めたことをこれ以上つべこべ言わないで欲しい・・』とでも言いたげだった。



この御方、現在日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会理事、日本デザインコミッティ理事長という偉い御方で、御長男は博報堂デザインという会社の社長さんだそうです。

なんと、博報堂デザインという会社は、独立する前にパクリスト佐野氏が勤めていた会社で、佐野氏の奥さんも博報堂時代の同僚。さらに、2020年東京オリンピックエンブレムのデザイン選考の審査員のひとり、長嶋りかこというデザイナーは、博報堂デザイン時代のパクリスト佐野氏の部下であったそうだ。

最近テレビCMなどで、東京五輪のロゴを出すスポンサーがあるが、見てこんなに不愉快になるロゴマークは私の経験ではこれまでに一度しかなかった。

例の日の丸を切り貼りしたようなあの屈辱的な政党ロゴマークである。

支那路線急増中。

2015年08月29日 | 日記
静岡空港の支那路線が異常な勢いで増え続け、今や11路線が開設されている。税金を垂れ流してきた赤字空港なので、利用客が増えるのは良いことだと、どうも手放しで喜べないのは、それが支那・中国だからだ。

爆買いツアーだ、経済効果だ、と無防備に有頂天になるのは慎みたい。物事にはすべて裏と表がある。良くない事にどう対応するか、しっかりと手を打っておかないと、何事も相手のペースで事が進んでいってしまい、後で取り返しのつかない結果になり、慌てることになりかねない。

県政のトップが、支那路線が急増したことを、「ビッグサプライズだ」と無邪気に喜んでいるのを見ると、益々不安になってくる。

何といっても、あちらはまともな国ではないことが問題である。核弾頭を搭載したミサイルがこちらに照準を向けて威嚇しながら、日本の安全保障を脅かしている世界一の反日の独裁軍事大国なのである。

その上、連日のように報道される支那発の事件事故は、信じられないほど異常なものばかりである。鉄道が脱線したと思ったら、車両を切り刻んで現場に埋めてしまおうとしたり、川に豚の死骸が何百頭も流されたり、、、NHKのニュース司会者ならずとも、その途方無さに噴出してしまうことがある。



先ほどはテレビで、支那の何の変哲も無い歩道が、突然ドカンと陥没して、そこに立っていた人達を一瞬にして飲み込んでしまった事故を、路上の監視カメラが記録していた、と報道していた。

   

同じようなことは、支那の属国、かの女酋長の国でも起きている。橋が崩落したり、新築のビルの床にひびが走ったり、フェリーが沈没したり、、とんでもない事故には枚挙にいとまが無いが、普通に歩いている歩道や道路が突然陥没してしまうのだ。

 

エスカレーター事故といっても、エスカレーターに乗る直前の床が抜けて、人を飲み込んでしまい死亡事故になる。



ついこの間まで、染料が無いので真っ白なチマチョゴリや、緑の人民服を着て、自転車に乗っていた連中である。科学技術や物づくりの歴史がほとんど無く、安全保守管理のセンスなど皆無であろう。

路線が増設されて、暇をもてあました日本人の退職者達が観光業者の考えた暇つぶし商品の団体旅行で、支那を訪れるのは自由だが、こういった現実は隠すことなく事前に報道しておいた方が良い。

その内犠牲者が続出することになりそうな気がしたならない。

六ちゃん、お幸せに!

2015年08月29日 | 日記
堀北真希という女優が電撃結婚するという芸能ニュースを見て、「なんだ、あの六ちゃんじゃないか・・」と思ってしまった。映画・三丁目の夕日で、鈴木オートに青森から集団就職で上京した娘「六子」を好演していた女優なのでよく覚えている。

 

この映画は、邦画の中では相当好きな部類に入る映画で、昭和30年~40年の当時を実に見事に再現している。主人公・芥川龍之介ならぬ茶川竜之介を演ずる吉岡秀隆は好きな俳優の一人で、私はかなり期待している。

駄菓子屋の店番をしながら小説を書いているのだが、子供たちと彼の掛け合いがまた面白い。当然私は子供たちに心情が移って見ているのだが、駄菓子屋の吊るしくじを引く場面などは、懐かしさで気持ちが当時にワープしてしまう。



「スカ」と書かれたくじは、「はずれ」の意味で、語源は「肩透かし」のスカだそうだ。景品は風船だったり、おもちゃだったりするのだが、5円か10円であんなにワクワクさせてくれるものは、当時他にはなかった。

子供たちが、はずればっかりじゃないか・・と、「スカばっか、スカばっか・・」と生やしたてるところが面白い。

もともとこの映画をDVDを借りてまで観ることになったのは、テレビの「細かすぎて伝わらない」シリーズの人気モノマネコーナーで観た、この映画の一場面をマネた二人を観た事だった。

マリア・イーちゃんという女性が茶川をまねる男性と掛け合いで、小雪のモノマネをしていた。婚約指輪を渡すのだが、中身は空っぽ。それを知っていて、指にはめてというイーちゃん。電球に薬指をかざして、「きれい・・」と呟く。と同時に床が開いて下に落ちるというモノマネコントだった。

 

吉岡秀隆役の男性も熱演して、なかなかよく似ている感じがして、私は無性にオリジナル映画でこの場面を観たくなって、すぐ借りて観たのだった。



オリジナルは面白いというよりも、感動させるクライマックスの場面で、グッと胸に込み上げるものがあった。それだけに余計にモノマネコントは秀逸だったと言える。

それからしばらくして、私は仕事でシンガポールに赴任することになったのだが、なんとシンガポールに向う機内の映画にその映画があった。迷わず私はそれを選択して観たのだが、何度も観たはずなのにあの場面では、込み上げるものがあって、不覚にも涙が出てきてしまうのだった。

映画は何本か続編が作られ、六ちゃんも映画の中で結婚することになるのだった。



芸能人は結婚すると騒がれ、離婚すると、芸能レポーターと称される街灯に群がる蛾のような連中はもっと大喜びで報道するものだ。

セーラー服を着ていた六ちゃんは、六ちゃんのままで映画に残る。

六ちゃん、芸能レポーターどもを喜ばすことの無いよう、どうか末永くお幸せに!

独創とは・・

2015年08月28日 | 日記
世界陸上が真っ盛りで、連日テレビでも放映されていて、織田裕二も徐々に声が裏返り始めてきたようだ。

走り高跳びを中継していたが、アレを見ると自分が中学生だったとき味わったショックを思い出す。

1968年の夏、メキシコシティーで開催されたオリンピックだった。

朝、登校すると同級生たちが走り高跳びの話題で持ちきりだった。私は当時も今も水泳は得意だったが、陸上競技はまったくダメで、鈍足に生まれたことで両親を恨んだりもしたほどだった。

「見たか?背面跳び。」と誰かが言ったのが聞えた。「何?背面跳びって・・」誰かが聞いていた。テレビの衛星中継を見た一人が、跳び方を興奮気味に解説していたが、まったくイメージできなくて、何をそんなに興奮しているのか理解できなかった。



「背中から跳ぶんだよ。」などと言われても後ろ向きでどうやって踏み切るのか。高く飛べるわけがないだろうと思うのが普通だった。「理論上は、だれでも自分の身長と同じ高さが跳べるんだって。」恐らくテレビの解説で言ってたのだろう。講釈を披露していた。

その後、私もテレビで映像を見て、信じられないくらいのショックを受けたものだった。一度見ただけでは、よく理解できなかったがアメリカのフォズベリーは五輪記録の2m24cmを跳んで金メダルを獲得したのだった。



オレゴン州ポートランド生まれのディック・フォズベリーは、高校生のとき走り高跳びを始めたが、当時の正面跳びでは上手く跳べず、当時の標準記録1.5mもクリアできずに行き詰っていた。空中で体をひねったりして色々な跳び方を試しているうちに、何となく会得していき、あの跳び方に集約されていったという。

記録も達成したのだが、当時の高跳び関係者の支持は得られず、奇妙な跳び方をする選手がいる・・程度の話題にしかならなかった。

背中からドスンと着地するのも危なかった事もあったようだ。しかし、当時の着地側には砂とか木片とかだったのが、ゴムやスポンジが登場し始めたこともあり、徐々に彼の跳び方は認知されていった。

メキシコ五輪では決勝に3人が2.2mを跳んで残った。二人は当時主流のベリーロールという跳び方だった。同僚のエド・カルサーとフォスベリーの2名が2.22mを跳び決戦となった。

当時の五輪記録となる2.24mにバーは上げられた。エドは3度とも失敗。フォスベリーは最初こそ失敗したが、2度目で成功して優勝した。バーを一気に当時の世界記録2.28mを越える2.29mに上げてトライしたが、3度とも失敗した。

確か、当時はその斬新な跳び方を「背面跳び」とか「フォズベリー・ジャンプ」と呼んでいたと思うが、本場アメリカでは、「フォズベリー・フロップ (Fosbury Flop) ]
と呼んでいたようだ。 Flop とは、「ドスンと落ちる」といった意味で、背中から着地する感じが表現されている。同時にFlop には「大転換」という米語独特の意味も有する。

彼自身が当時語っているように、彼の予想を超えて瞬く間にフォズベリー・フロップは世界中に広まった。その要因は記録の向上もあるが、当時の衛星中継が大きく貢献していた。



それはそうだろう。彼の跳躍の映像を一目見れば、かなりのショックを受けるはずだ。4年後のミュンヘン五輪では、高跳び選手のうち40名がフォズベリー・フロップで跳んだ。金メダルを取った選手こそ正面跳びだったが、その普及のスピードは凄まじいものがあった。

そして、今やどうだろう。ベリー・ロールや正面跳びなどと言っても今の選手は理解できないだろう。

ちょっと前、イノベーションという言葉を企業経営者たちは呪文のように繰り返していた。そして昨今は五輪のロゴのパクリや論文のコピペなどが話題となった。

アメリカの、フォズベリーに見るような、進取の精神、独創性を重んじる風土、そのチャレンジ魂。これには尊敬の念を禁じえない。

こういう精神性は、朴李(パクリ)がお得意の隣国に住む人達のそれとは、対極にあると思う。

私は、元来昔から日本にもあるその精神性、猿真似を恥とするその精神性が、近頃何となく薄れ始めていると何度も言っているのだが、そうは思わないか?

イモトに続け!

2015年08月28日 | 日記
番組のタイトルは定かではないが、ついつい彼女が出ていると見入ってしまう。いつも桁外れな行動力で地球を駆け回っているイメージが定着してしまった感じがする。しかも、「無理してるなあ・・」といった風ではない、「自分でも十分楽しんでる」感を醸し出しているところがいい。



世界中を飛び回って、文字通り体当たりの体験を茶の間に提供してくれるのだが、私が彼女に非常に好感を抱くのは、言葉などそっちのけで、自分をさらけ出して海外の人達に接し、何よりその態度に臆したところがまったく見られない。



『よく食べる』とか、『体型が太っている』とか、『英語を巧みに使いこなす』といった特技がまったく無い極普通の、どこにでもいそうなお嬢さんなのが、一層親近感を抱かせる。

   

最初テレビで彼女を見たときは、何も芸が無いからあんな風に眉毛を太く描いて、受けを狙ってるんだろうな、と少しバカにしていたが、彼女の桁外れの体力と行動力はあの太い眉毛以上に強烈なインパクトがある。



本格的な登山をこなし、普通の女の子なら黄色い悲鳴を上げて逃げ回るであろう珍獣たちにも、勇敢に立ち向かう姿が面白い。



時には全速力で逃げ回るときもあるが、それはそれで必死さに躍動感がみなぎって、笑いながらも眼が離せない。



世界の各地を毎週紹介してくれた「兼高かおる」さんのような上品さは微塵も感じさせないが、土にまみれた掘り立てのサツマイモのような素朴さと庶民性が茶の間に受けるのかもしれない。うん??受けているのは私だけか?



日本人の若者でも、外国人、特に欧米人と接するとなぜか態度が卑屈になってしまって、どこか媚びるような表情になってしまうのを見ることがあるが、イモトにはそれがまったく無い。それどころか、白人だろうが黒人だろうが、インディオだろうが、いつも相手を食ってしまう感じだ。

最近の若者は昔と比べて、海外に出たがらなくなってきているという。内に閉じこもってデモに参加したりするより、しばらく国を離れることで、視点を何百キロメートルも高いところに置き換えて、世間を鳥瞰で見ることができるようになると思う。

若者よ、地球は広いぞ!!


村山爺、桧舞台が待っている・・

2015年08月27日 | 日記
日本政府は25日、北京で9月3日に行われる「抗日戦争勝利70年記念式典」に政府代表を派遣しないことを決めた。

当然、安倍総理も訪中を取りやめとなった。



そもそも、共産党独裁国家・中華人民共和国が成立したのは、1949年のことで、日本は中華人民共和国とは戦争などしていない。共産党独裁者・習キンピラは、南朝鮮の女酋長同様、嘘を100回、1000回と言い続けることで、そのうち「真実」になると考えている生き物である。

日頃、偉そうにテレビで解説する学者や評論家は、このところを間抜けな視聴者に説明するべきだ。一言で中国というと勘違いしやすい。中国大陸で戦火を交えたのは、今の台湾、蒋介石率いる中華民国で、後ろで日本と中華民国が戦っているのを見ていて、共倒れを期待していたのが八路軍などの共産ゲリラだった。

敵同士を戦わせて戦力を弱め、漁夫の利を得るというのは、共産党のお家芸である。大東亜戦争末期のソ連を見れば分かる。日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦してきたのは、1945年8月9日のことだった。そして、60万人の日本軍将兵たちをシベリアに強制連行して、強制労働を課したのだった。

ソ連のしでかした強制連行とはどういうことか、日本人は教えられていない。

ろくに戦いらしい戦いをしたわけでもないのに、「抗日戦争勝利」とは笑止である。南朝鮮の女酋長も似たようなことを言うが、何としても「戦勝国」の仲間入りをしたいという魂胆が見え見えだから滑稽だ。

こういう式典に安倍首相を招こうという神経がいかにも支那人らしいが、その招きに応じてノコノコ出かけるバカがいるからまた笑い物になる。



いっそのこと、お友達の「紅の傭兵」こと「こうのようへい」も連れて行けばよい。



さらに、自称「人民解放軍の野戦隊長」の汚澤某も連れて行ってやれば良いではないか。



野戦隊長も最近元気がなくなってきているようなら、応援団で民主党の中国大好き訪中団も同行させたらいい。



絶好の桧舞台で、国会周辺のデモのときみたいに声を振り絞って、こぶしを振り上げて、「戦争はよくない! 侵略は止めろ!! 軍隊はいらない!! 平和憲法を守れ!!」と自論をアピールしてきて欲しい。(脳卒中に注意して!)

民主党の訪中議員団は、笛や太鼓でバックアップすればいい。

ただ、式典に参列して自慢の兵器や兵隊の行進を見物して、フカヒレスープと北京ダックを食べてくるだけなら、それは敵の策略にまんまと嵌っているだけということだ。

それとも何か? あの害鳥・鳩が南朝鮮で見せた、土下座コントでも真似するおつもりですか?

家事は自分でこなすもの。

2015年08月27日 | 日記
シンガポールは、治安もよく、近代的で便利な観光立国で、女性も活発に社会進出していて収入も多く、日本が理想とする国である・・という見方がどうも日本の行政関係者の考えの底辺にあるような気がする。

私は自分の1年弱という短い経験だったが自分があの国に住んだ経験から、この見方を非常に危なっかしく感じている。

まず、シンガポールに住み始めて日本とは決定的に違うと感ずるのは、そこに生きる人種・民族の多さで、支那系、マレー系、インド系、欧米系と実に多彩で、シンガポールは正に多民族・移民国家だと実感する。



繁華街のオーチャード通りにある、「ラッキープラザ」という商業ビルに行くと、そこはマニラかと勘違いするほど、フィリピン人たちで溢れている。

特に日曜日などは通路で座り込んでおしゃべりに興じるフィリピン人女性たちがあちこちに見られ、タガログ語が飛び交っている。

彼女たちは全員、家政婦として出稼ぎに来ている「外国人労働者」たちである。仕事が休みとなる日曜日になると、公園や大通りに集合して、「ピクニック」をして終日過ごすわけだ。

フィリピン人以外にも、あそこに行けばインド人たちが、ここに行けば、バングラデシュ人たちが・・・と、民族別に集まる場所があるようだった。

シンガポールでは約3割が外国人労働者が占めるそうで、その業種や就労内容ごとに細かい棲み分けが出来上がっている。もはや、地元のシンガポール人たちが建設労働や家事労働に就くようなことは二度とありえないようになっている。

台湾や香港でも似たような状況ではないだろうか。

しかし、どの国でも問題が起きていることは変わりが無い。一旦始めてしまうと、取り返しがつかない大きな問題を抱えているのが、外国人労働者の導入であり、それは移民政策にも当然繋がる。

しかし、我々がいう外国人とは、その大半が支那人・朝鮮半島人であり、外国人を国別に定義することはなかろう。

民主党は、外国人に参政権を与えようと画策している政党である。一度外国人に門戸を少しでも開放すると、絶対に歯止めが利かなくなり、取り返しのつかない結果となることは、火を見るより明らかである。

シンガポールの外国人メイドたちがいかに法律でがんじがらめにされているかは、少し調べれば分かることだ。マスコミはそれをする義務があると思うが、どうも民主党の進めることに不利となるようなことはしたがらないようだ。

推進派が言うように、家事が大変で仕事に出られない女性が数百万人いて、この人達を助ける「家事代行サービス」は、女性たちの救世主になる、とは到底考えられない。この制度は、日本の国柄を根底から崩す制度だといえる。日本社会にはなじまない、問題山積の制度だと思う。

先頭に立って旗を振っているのが、郵政民営化で小泉首相と一緒にアメリカの手先になっていたのがこの御方である。



しかしこのひと、ああらららら・・・いつの間にやら人材派遣会社の大手企業の会長に納まっていたそうで、今度は、外国人メイドだ、外国人労働者だと煽りまくって、再度金儲けを企んでいるようです。

しかし、一人の欲望を満たすことで、日本の国柄を壊されたとあっては溜まったものではありません。ここは、腰を据えて、他国の実情を精査すべきです。特に女性は見栄を張って、家事を他人に任せるようなことは控えて欲しいものです。

慰安婦像が民度の証左。

2015年08月25日 | 日記
自ら慰安婦狩りをしたという世紀の大嘘を書いたのが吉田清二という嘘つき男だった。このことだけでなく、言うことほとんどが口から出任せで、病的な嘘つき男であったようだ。



そしてこの男の出任せの話をこれ幸いだと、取り上げて、裏づけ取材なども一切せずむしろ大切に囲ってきたのが、天下の捏造新聞「朝日新聞」だった。



日本でいう芸妓を慰安婦に仕立て上げて、何と演技指導までしてNHKの慰安婦の番組に登場させようとしたのが、当時は弁護士をしていた福島瑞穂だった。さらに、補償費を掠め取ろうとして慰安婦訴訟をおこしていた朝鮮人女性の肩を持つ記事をでっちあげた元朝日新聞記者が、今や被害者面をしてベラベラ喋るようになった植村隆である。彼は慰安婦訴訟の原告女性の娘を妻としている。



こういう連中の嘘の積み重ねで、いまや何の罪も無い米国在住の日系人や日本人の人達が大変な被害をこうむっている。嘘を塗り固めて日本人を悪く言い、立場を悪くして補償金を騙し取ろうと企む連中を「売国奴たち」と呼ばずして、何が売国奴だろうか。

そんなことをアメリカ人が信じるものか、と最初高をくくっていたが、住民の中に韓国人が多い街では、市会議員たちは票欲しさに彼らの言い成りになるようだ。信じられないが、あの見るからにおぞましい慰安婦像が市民の集まる公園に建てられているのだ。



何も知らないアメリカの子供たちはその碑に書かれた文を信じて、日本人の子供たちをいじめの対象にするそうだ。その子供の両親たちも、実際後ろめたいことなど何も無いのに、肩身の狭い思いをさせられているのが現実なのだ。

今や、こういった一連の動きは中国の後押しがあるようだ。つまり、中韓合同でありもしないことをでっち上げて、日本人を貶めようと躍起になっている。

嘘も100回、1000回と言い続ければ真実になるものでもないが、人間はいつの間にか脳味噌に刷り込まれてしまうものなのらしい。

しかし、「なでしこアクション」のような民間団体が地道に慰安婦反対運動を続けていて、その成果も徐々にではあるが見え出してきたようだ。私もできることがあれば、なんでも応援しようと、彼女たちの活動には注目している。

ここにきて、韓国国内でも慰安婦像の設置に反対する街が現れたそうで、韓国マスコミを賑わしているそうだ。

  

慰安婦像の設置に反対しているのは、地元商店街の店主などで、どうもその理由は、慰安婦が捏造されたとかいうことではなく、その町が歓楽街で潤う街のため、そういう色っぽい街には「慰安婦像」はどちらかと言えば、ありがたくない像に感ずるらしい。商売上迷惑だ、と言いたいらしい。




実際は、多くの人が日本の文化に興味があって仕方ないのはわかっているが、それでも反日のポーズをとり続けなければならないとは、哀れな国だと思うが、それも知ったことではない。お好きなようにやればいい。



創業者は泣いているだろう。

2015年08月24日 | 日記
ソニーがドローンを使ったビジネスを立ち上げるために、新会社を設立したというニュースを聞いて、なぜか深いため息が出てしまった。

何とまあ、新鮮味の無い新ビジネスだろうか。まったくソニーらしくない、ソニーファンを深く失望の底に突き落とすような、発想ではないか。

ソニーといえば、次々と今までに無い物をこの世に提供してくれる、ワクワクさせてくれる会社だった。いったいどんな会社なのかと思って調べると、行き当たったのはソニーの前身となる「東京通信工業株式会社」の設立趣意書の中の、設立の目的だった。

『真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設』

初めてこれを目にしたときは、ああ自分がもう少し優秀なら、この会社に身をささげたいものだ、とまじめに考えたほどだった。「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」などという名文句を言える経営者が今この国にいるだろうか。



何から何までユニークな会社だった。今のように人材斡旋会社など無かった時代に、ソニーは、人材募集の新聞広告をだして、広く募集した。そのキャッチコピーがまたユニークだった。「出るクイを求む!」



さらに、盛田昭夫がトランジスタラジオを引っさげて海外に進出する際には、こんな求人広告を出したのだった。「英語でタンカのきれる日本人を求む」



何とパンチの効いたコピーだろうか。しかも「日本人」を強調しているところが憎い。社員のTOEICの平均点が滑った、転んだと喚いているどこかの経営者はこれをどう思うだろうか。

当の盛田ですら、当時は英語など一言も話せなかったそうだ。それが、本場アメリカで陣頭指揮をとっていくうちに自然と覚えていき、通訳無しで記者会見をするほどになっていた。



指揮官みずからがそうなると、部下たちはおちおちしていられなかったろう。アメリカの当時の営業拠点の事務所は、意気揚々として活気に満ちていた様子が想像できる。

その後、外国人経営者を参入させたりした頃だった、どうもおかしくなって来たなあと、素人なりに心配になってきた。

そして、私なりに「こりゃ、この会社は変な方向に向っているのでは、、」と強く感じ始めたのは、ソニーがテレビゲームにのめり込んだときだった。任天堂とゲーム機でしのぎを削っていたようだが、明らかにソニーらしくなかったと思う。

あんな子供の麻薬のようなもので金儲けをする会社ではなかったはずだ。

そして、今度はドローンときた。

貧すれば鈍する、という言葉があるが、創業者はあの世で、きっと臍(ほぞ)を噛んでいるのではないだろうか。

ある時、進む方向をほんの零点何度か間違っただけでも、数十年後にはとんでもない方向へと進路を誤って行き、取り返しがつかなくなる。

それでも私は、理想工場の復活を期待したい。

韓国疲れ、反日疲れ。

2015年08月23日 | 日記
朝鮮半島では、すわ、戦争か?と一瞬緊張したが、ふたを開ければ、何事も起きずに今も延々と話し合いが続いているそうである。

片やバカ息子の独裁国家、片や女酋長のタカリ部族集団だから、それぞれの国民の手前強がって見せなければ、自分の身が危なくなるのだろう。心から、あんな国に生まれなくて良かったと思う。

海外では懲りもせずに慰安婦の像を設置させようと、いたるところで在外韓国・支那人たちが結託して、地元の議員たちを抱きこみ、日本を貶める活動を活発化させている。



しかし、米国でもさすがにそのゴリ押しとしつこさに嫌気がさして来たのか、「韓国疲れ(Korea Fatigue)」という言葉が出始めているようだ。へたに同調すれば、やがて自分の身にもブーメランのように帰ってくるようなことになりかねないと気付き始めたのかもしれない。



しかし、南朝鮮の女酋長は、いくら自分の父親が親日派だったといっても、振り上げた「反日」の旗を降ろすわけにはいかない。それは、同時に政治生命の終わりを意味するからだろう。

日本に住む在日韓国人の女性が里帰りしたところ、あちらでは一日中日本の悪口ばかり話題にしていて、とことん疲れてしまった、という感想を漏らしたと何かに書いてあった。

終戦の日にも靖国神社境内に、スポーツ自転車で乗りつけた韓国人の男が韓国の国旗「大極旗」を広げようとして、近くの参拝者たちに囲まれ、警察官が出動して取り押さえたという小事件があった。



しかし、反日教育の激しさに反比例するように、自国の経済は悪化の一方であるせいか、ここにきて反日の激しさも鈍化の傾向が見えてきているそうだ。

「韓国疲れ」に対して、「反日疲れ」と呼ぶそうである。



動画サイトなどでも、日本にきた留学生が、来日前に抱いていた印象と実際に日本で体験した後の印象が違いすぎて困惑する様子とか、米国に留学した韓国人が、自分よりも日本人留学生がチヤホヤされることが納得いかないと憤慨する様子を伝える動画を見ることができる。



親日的な言動をすれば、社会から徹底的にいじめられ、抹殺されるということは、言論の自由が無いわけだから、住みにくいに違いない。

移住を望む人が異常に多いというのもうなづける。だからといって、日本に来られるのは真っ平ごめん被る。くわばら、くわばら・・・。


キターーーッ!の人!

2015年08月22日 | 日記
TBSの世界陸上といえば、織田裕二というくらい定番の司会者になったが、私は正直言って陸上競技にはまったく興味も関心も無い。

無いがしかし、この番組を見たくなるのは、織田裕二が司会をするからである。



しかし、織田裕二本人にもまったく興味がない。無いどころか、彼は黒澤明の椿三十郎を演じて、そのひどい演技で実力の無さをさらけ出した、大根役者だと思っているくらいだ。

なぜ、この世界陸上を見たくなるかといえば、それは山本高広が面白いからだ。



もう大分前だったが、夜遅くテレビを付けたら世界陸上をやっていて、司会者がやたらと声を裏返して興奮して、選手の名前を連呼しているところだった。外国人選手の名前が次々と出てきて、相当な陸上オタクだとわかった。

それが、織田裕二で、それまでどちらかと言えば陰気なムードの陸上競技の印象を明るいものに変えてしまった方だと思う。

それを後押ししたのが、モノマネ芸人の山本高広だった。



織田裕二の目薬のCMを真似したりするのだが、何といっても世界陸上の司会をする織田裕二を真似るのが、最高に面白く、これはその場面を実際に見ていなくても、「いかにも織田裕二・・」といったモノマネが受けるのではないだろうか。

日本選手の為末 大が期待はずれに終わったとき、興奮気味に応援していた織田裕二はその結果に大きく落胆して、「あぁぁ、何やってんだよ、、タメッ・・・・」と言う。

為末選手と親しいから、『タメ』と呼んじゃったのだろうけど、山本はそこを切り取ってネタにしてバカ受けしたのだった。これが好きだった。

それ以来、私もそういう眼でこの世界陸上の司会を見るようになって、益々楽しくなったものだが、なんでも織田本人はモノマネされるのが気に入らないらしい。



子供たちに、「あっ、キターッの人だ!」といわれたのが、俳優のプライドを傷つけたそうで、せめて芸名を言って欲しかったみたいだった。

しかし、モノマネされることは名誉なことだと考えるべきだと思う。何しろ黙っていても、自分のことを宣伝してくれるわけだから、そこは変なプライドは捨てた方がいい。

もっと、もっと興奮した実況をお願いしたい。そして、山本高広氏には思う存分織田裕二のモノマネで日本中を笑わせて欲しいものだ。

私は今でも、目薬売り場に行くとまず思い浮かべるのが、あの「キターーッ」の目薬CMなのだから。


変化する米国の若者たちの原爆感。

2015年08月22日 | 日記
イギリスのYouGov という調査会社が、最近のアメリカ人の原爆に対する見方について、興味深い調査結果を公表している。YouGov で検索すれば、その記事を見ることができる。



まず、原子爆弾の発明をあなたは良いことだったと思いますか?それとも悪いことだったと思いますか?と聞いた。結果は、62%が悪いことだった。良いことだった、の回答は20%。19%が「わからない」というものだった。

記事は、以前の調査では半数近くが原爆の発明は、戦争の終結を早めたこともあり、良いことだったという回答結果であったといっている。

続けて、広島・長崎に投下した原爆について、聞いている。



質問は、「あなたは、アメリカが日本に2発の原爆を落としたことは、正しい決定だったと思いますか?それとも間違った決定だったと思いますか?」というもので、原文は、「Do you think the United States made the right decision or the wrong decision to drop two nuclear weapons on Japan? 」

結果は、46%が正しい決定だった、そして29%が間違った決定だった、というものだった。

ところが、この回答は年代別の結果を集計しているので、一概にアメリカ人の半数近くが原爆投下を正しいことだと考えているとも言えないようだ。



65歳以上になると、何と65%が正しい決定だったと答え、45~64歳のグループでも55%が正しい決定だったと考えているようだ。

それよりも若い、30~44歳のグループになると、正しい:33%、間違い:36%とついに答えが逆転する。そして、その下の18~29歳のぐるーぷになると、31%/45%と、その差が更に拡大して、日本への原爆投下は間違いだと考える若者たちの割合が14ポイントも大きくなる。

テレビに出るアメリカ人たちは決って、あの原爆のために、日米共に戦争の犠牲者を減らし、終結を早めることに貢献した、とせつめいしたものだが、それはあの国でそういう教育が徹底的に為されてきたためである。

そういう答えを口にしないと、アメリカ人というアイデンティティーが保てないからであった。

しかし、この調子でいくと、18歳未満の若者達はこれ以上に原爆投下を否定するように育っていくことになりそうだ。

これもやはり、憲法九条のお陰なのでしょうか? 日本の平和憲法の為せる業なのでしょうか?


池上先生、朝鮮戦争を教えてください。

2015年08月22日 | 日記
朝鮮半島で戦争が再開されそうな気配である。「準戦時体制」を宣告しそうで、タイムリミットは今日の夕刻だというから、反日で明け暮れていたような韓国マスコミも、それど頃ではなくなったようだ。

今朝のニュースでも、テープレコーダーのように「歴史を直視せよ」「誠意ある行動で示せ」と日本に向ってギャアギャア言ってればよかった女酋長も、軍服を着て見るからに勇ましそうだった。

平和だとか安全保障について考える上で、こんな生々しい例がすぐ近くにあったとは。ここは、ニュース解説においてはこの方を置いて他にはいない、元NHKこどもニュースでおなじみだった『池上 彰』先生に、朝鮮半島情勢の解説を、是非とも大々的にしてほしいものだ。



国会周辺では連日のように、平和をこよなく愛する平和団体や学生さんや若いママたちが「戦争止めろ」「誰も殺させない」「九条守れ」と狂ったように騒いでいた。そして、今月は終戦の日があり、安倍談話も発表された。

沖縄では、県知事が米軍の海兵隊など抑止力などにはならないと言い張ったばかりである。こういうときに改めて、朝鮮半島の緊張状態を教材にして、歴史に弱い我々庶民に是非「そうだったのか・・」と思わせる分かりやすい講義をお願いしたい。

そもそも今の戦後生まれの若者は、日本がかつてロシアやアメリカと戦争したことすら知らない割合が多いそうだ。ましてや、眼と鼻の先にある朝鮮半島で60年ほど前に朝鮮戦争が起きていて、現在はそれが休戦状態にあるだけで、戦争は終わっていないのである。



池上先生、いったい朝鮮戦争ってどことどこが戦っているんですか?

  

なぜ戦争なんて始めたんですか? 平和憲法は無かったんですか? 朝鮮半島はなぜ北と南に分かれているんですか? 

  

「中国と北朝鮮軍」対「国連軍」の戦争だったって言っても、今南朝鮮の女性大統領は、中国の国家主席と大の仲良しじゃないですか。



中国4000年の歴史って習ったんですが、今の中国が建国されたのは1949年なんですか? 先の大戦が終わったのは1945年でしょ? じゃあ、日本は中国大陸のどこの国と戦争したんですか? 日中戦争って言葉があるじゃないですか・・・。

よく南朝鮮の女酋長が慰安婦、慰安婦ってしつこく日本に文句を言ってくるけど、歴史を直視すると、朝鮮戦争の時だって米軍相手をする朝鮮人慰安婦はいたみたいですね?

  

最近のことだから、写真なんかもたくさん残っていて、分かりやすいですね。こういう資料を見せられて講義してもらうとすぐに理解できそうですね。

私たちの大切な平和憲法では、軍備は持たないって書いてあるのに、自衛隊には戦車や戦闘機があるのは、変だなあって思ってましたが、この朝鮮戦争がその矛盾のきっかけになったって本当なんですか?

朝鮮戦争では中国・北朝鮮軍と国連軍が戦ったって聞きましたけど、国連の加盟国だったソビエトも一緒に戦ったんですか?



そもそも、中国だっていま国連の加盟国じゃないですか? えっ?当時は国連に入っていなかったんですか? ところで、上のヒゲを生やした人は誰ですか? 朝鮮戦争に何か関係がある人ですか?

朝鮮半島でまた戦争が始まったら、中国とアメリカが戦うことになるんですか? そのとき、日本の若者も「人殺し」をすることになるんですか?

池上先生! 教えてください!


昔からあった「トレース」・・

2015年08月21日 | 日記
東京五輪のロゴのパクリ疑惑は、その後も彼の過去の作品にまで疑惑の目が向けられ、ついにデザイナー側が社員が他人の作品を「トレース」していた事を認めるに至ったようだ。


それにしても、盗用とかパクリではなく、「トレースした」とは、何ともオシャレな言い訳の仕方ではないか。

最近では、デザイン事務所が手がけた作品だけでは物足りないのか、ネットの世界ではデザイナーの容姿まで、お笑い芸人をパクッているのではないかと、「ネタ」にされているから面白い。



人の噂も七十五日、というからそのうち忘れられて、「そんなこともあったね・・」と言うようになるのがオチだろうが、朴李(パクリ)本家の中韓二国と同レベルなんだ、という印象を欧米に植え付けたとすれば、それは恥と考えるべきだと思う。



私が米国から帰国したのはもう30数年前のことになるが、東京に着いたとき街のアチコチから、ピコ・ピコという電子音が聞えてきたのを不思議に思った記憶がある。

何だと思って、一緒にいた友人と音のする喫茶店に入ってみると、サラリーマンたちがテーブルに100円コインを高く積み上げて、ゲームに集中している光景が眼に飛び込んできた。

噂には聞いていた「インベーダーゲーム」というもので、私はゲームそのものには何も関心がなかったが、「こんなものに夢中になる大人たち」には非常に興味が湧いたものだった。

その後も数ヶ月、我々の仲間内で言うところの「米国ボケ」が酷くて、何でもかんでもアメリカではこうだ、日本は遅れている・・と考えがちだった。

今思い出すと苦笑いしてしまうが、家の周りを散歩したときなど、水田の稲の苗が数十センチに伸びていたが、なぜこんなに間隔で植えるのだろう、もっと密植すればいいものを・・だから日本はダメだ・・とか真剣に思ったこともあった。

「ボケ状態」が治らず、何も手に付かずにいた時、テレビを見たら、その頃始まったばかりの「クイズ100人に聞きました」というクイズ番組が人気を博していた。


5人ずつ2組の参加者たちがクイズに答えて、賞品を争うクイズ番組で、例えば「都内の大学に通う学生100人に聞きました。答えは7つ。今やってみたいアルバイトと言えば何?」などという、実際に調査したかも定かでないが、大体こんな形式の問題をだされて、回答者は「家庭教師!」などと答えると、スタジオにいる観客たちが、「ある!ある!ある!・・」と大声で声援するのだ。



100人に中のその回答をした人数が得点になって、合計点で2組が競うゲームだった。それまでと画期的に違う番組だと思わせたのは、一つには「司会者の態度」が要因として考えられた。

親の七光りで俳優の道に進んだ関口某は役者の才能はまったく開花しなかったが、この番組の司会者に抜擢され、そのざっくばらんな態度が番組の売り物になり、一躍茶の間の人気者になったようだった。

実際、このクイズ番組以降、彼は役者の仕事などしなくなったようだが、そんなことより、私はこの番組を始めてみたときは大変驚いた。

なぜなら、それはそのままそっくり、当時私が滞米中に見たアメリカのクイズ番組の「パクリ」だったからだ。それは、「Family Feud」(ファミリー・フュード」と言うタイトルのクイズ番組で、Feud とは、feudalism (フューダリズム)つまり、封建主義から派生した言葉で、「不和」とか「抗争」といった意味である。

言い換えれば、「家族争い」というクイズ番組になろうか。私がこの番組を滞米中に見たときの印象は、やはりざっくばらんな司会者の態度と進行の仕方であった。テーブルの片手をついて、気さくに解答者たちに話しかけジョークを飛ばす雰囲気は、実にアメリカっぽくて、好きだった。



関口某という司会者も、このままのカタチを真似して、テーブルに肘をついて、腰に片手を載せて偉そうに話して、オリジナルを「トレース」していた。

この番組を見たとき、「何だ、こりゃ・・・」と吐き気を催すような嫌悪感と共に、強い失望感を感じた記憶が鮮明に私の脳裏に焼きついている。

どうも、このことが原体験となって、私はそれから以後、ずっとこの俳優崩れの男が嫌いであり続けているようだ。

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