孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

おめでとう、「明るい北朝鮮」。

2015年08月09日 | 日記
今日はシンガポールがマレーシアから分離独立し、建国してから50周年の記念日だそうで、現地は祝賀ムードで賑わっているそうだ。



式典のリハーサルも前日に盛大に行われたと、朝刊が伝えていた。しかし、記事にも掲載されていた式典開場の巨大スクリーンに建国の父「リー・クワン・ユー初代首相」の写真が映し出されているのには、何だか違和感を覚える。

途中、ゴー・チョクトン氏が首相を引き受けているが、その後はお決まりのリー初代首相の長男、リー・シェンロン氏が首相になって現在に至る。



「明るい北朝鮮」と呼ばれるシンガポールには、実質的には報道や集会の自由はない。
親子で世襲する独裁国家といえば、思い浮かべる画像はこれだ。



本家は、すでに三台に渡って権力を世襲しているので、まだ足元にも及ばないが、シンガポールもいずれは同じような道を歩むのだろうか。



9日当日は、お父さんの肉声の独立宣言をテレビやラジオで流すそうだが、何だかオヤジの威光をかざす様で、眉をひそめたくなる知らせだ。

国民一人当たりのGDPはすでに日本・米国を追い抜いて、「アジアで最も豊かな国」となっているのだが、私が1年弱だが住んだ経験からは、便利で治安がいいというだけで、実に窮屈で住みにくい印象を抱き、住めといわれても住みたいとは思わない国の一つとなった次第である。

米国の調査会社が2012年に調査したところでは、日常生活の「幸福度」は、調査した148カ国中で、最下位だったという。

教育熱心というより、異常だとも思える競争社会や政治的な締め付けが窮屈なところがその原因ではないかと指摘されているそうだ。経験者として、私はこの点、大きくうなづくのである。

それに、街中に存在する観光スポットも人工的過ぎて味も素っ気もなかった。



お父さんも天国に旅立ってしまって、残った息子は前途多難であろう。お父さんが築き上げた「能力至上主義」を基本としたビジネスモデルは、日本の参考にはならないと私は感ずるのだが、如何なものか。この国の今後10年が楽しみである。


ダイインという茶番・・

2015年08月09日 | 日記
もう30年以上も前のこと、私が滞米中に起きたショッキングな出来事にエルビス・プレスリーの死と、もう一つ、ピープルズ・テンプル(人民寺院)の集団自殺があった。

プレスリーはそれほど馴染みがなく、それほどショッキングだったとは言えないが、新聞・テレビ・ラジオでは大騒ぎしていた記憶がある。

ピープルズ・テンプルの信者集団自殺事件は、普段読みもしない新聞を買い求めて辞書を片手に記事を読んだ記憶がある。

1978年11月のことだった。南米のガイアナという国に集団移住したキリスト教系の新興宗教・カルト集団の信者たちが、粉ジュースに青酸カリを混ぜて飲み、「革命的」な集団自殺を遂げ、教祖も自殺したというおぞましい事件だった。それまで、「カルト」という言葉にも馴染みがなかったが、この事件で二度と忘れることのない英単語になった。



テレビでも繰り返し報道され、原色の甘いジュースを次々に紙コップで飲み干し、幼い子供には親が少しずつ飲ませて、合計900人以上(内子供が303人)文字通り、バタバタと倒れて死んでいったようだった。



恐らく日本ならあの状況をそのまま報道することはなかったと思うが、映像で転がっている死体の映像を見せ付けられ、ドキッとっさせられた記憶がある。



教祖のジム・ジョーンズは、南米のガイアナという小国にジャングルを入手して、ジョーンズタウンという町を作り、共産主義の到来を唱えていたそうだが、やっていることは支離滅裂で精神的に狂っていたようだった。

いくら信仰心に飢えていたとしても、人間がこうも教祖の言い成りになるものなのか不思議だったが、その後日本でもオウム真理教の似たような事件が起きてみると、人間とはかくも脆いものかと思わざるを得ない。似たようなカルトが、まだまだこの世には存在していることに、我々は注目すべきだと思う。

何故こんなことを思い出したかというと、広島の被爆式典の際だったか、平和愛好家の集団が「ダイイン」をやっていたという新聞記事が目に入ったからだった。「その中には、横になって携帯電話をいじっている若者もいた・・」と記事は締めくくっていて、時代を反映しているなあと、笑ってしまった。

『ダイイン』とは、昔平和愛好家たちが、何かあるとよく手をつないで地面に横になり、死んだフリをするパフォーマンスで、真意はよくわからないが、多分死の恐怖を訴えるという意味の行為なのだろう。

    

「ダイイン」をする現場に立ち会った経験がないので分からないが、きっとリーダーの掛け声で一斉に地面に寝転がり、数分間ジッとしていて、聴衆に「どうだ?死とはどんなに恐ろしいものか分かったか!」と無言のアピールして、解散となるのだと思う。

画像でみると、人民寺院の集団自殺と大差ないようだが、片方は紛れもない死体が転がる風景であるだけに、平和愛好家たちの「ダイイン」パフォーマンスが笑えるほど茶番に見えてしまうのだった。

    

それにしても、こういう行動を共にする平和愛好家集団は、一種のカルト集団という範疇に入れてもいいのではないかと思ってしまう。そうではないか、情緒を煽られて催眠状態にさせられて、非常識な言動を繰り返すという集団心理・・・。とても理性で制御できる集団だとは、私は思えないのだ。




大人は理性で行動すべき。

2015年08月09日 | 日記
今朝も、暑さで目が覚めて、テレビのスイッチを入れたら、丁度例の反日報道番組がはじまったところで、役者崩れの司会者が、いつもの通り自信なさ気に、ボソボソとした声で、反日お抱えコメンテーターにご意見を喋らせていました。

そうかと思うと、アシスタントの若いお嬢さんが、鼻にかかった甘ったるい声で、間抜けな視聴者のために、分かりやすく砕いた解説をしてくれていて、まあ、相変わらずの放送法第四条など無視した番組構成でしたな・・。

特に、お嬢様アシスタントが、国会前のデモについて、「今や高校生もデモに参加するという高まりを見せている、若者たちの抗議行動・・・」と来たときには、笑っちゃいました。これは反日マスコミ用語で、『高校生たちよ! もっと抗議行動に参加よ!』という煽りのメッセージにほかなりません。

  
実際に見たわけではないですが、ニュース報道でちょっと目にしたり、ネットの画像を見たりすると、彼らが手にしているプラカードは英語表記がやたら多くて、これは昨今の文部科学省の英語による愚民化政策にまんまと載せられていると言えるんじゃないでしょうかね?それとも、一種の「照れ隠し」の現象なのでしょうか?

  
ネット掲示板などでは、こういうデモに参加するかなりの学生さんたちが、「デモ参加が将来の就職活動に影響するか・・」という不安を抱きながら声を張り上げている、という実態が垣間見えて、私が学生だった頃を思い出しました。

最初大学に入学した当時は、正門でビラ配りをするヘルメット姿の過激派学生たちが、なぜタオルで顔をかくして目だけ出しているのか分かりませんでしたが、その後先輩たちに聞いたところ、学内にもしょっちゅう公安の私服刑事がたむろしていて、ほとんどの過激は学生の顔写真を撮っている・・という事らしいのです。

実際、私の先輩が地元の市役所の採用試験を受けたとき、面接で「君は民青に一時期入っていたようだが・・」と言われて、まったく見に覚えがないので考えた末、同じ下宿の同期の住人のことを思い出し、彼が民青の幹部で同郷だったのでよく勧誘されたが、入会したことは決してなく、断り続けた、と答えたそうです。

それが原因かどうかは不明ですが、結果は不採用でした。しょぼくれていた彼を、「お前なんでそんなに公務員になりたがるんだ?」と言って慰めましたが、彼はその同期の住人を相当恨んでいるようでした。


この女子学生さんたちのようなデモ参加者は、戦争を回避するために具体的にどうすればいいとお考えなのでしょうか?これまで戦争がなかったのは、日本国憲法九条が日本を守ってくれたからで、今後も今のまま未来永劫あの条項が国土・国民を守り続けていくと、本気でそう考えているのでしょうか?

  
若者たちがデモで使用する自動車が、この政党が所有するワゴン車のものであるという事実が、ナンバープレートを撮影して立証した動画が youtube にアップされていました。どうも彼らが「民主青年同盟(民青)」が名前を洋風に変えたものだということが本当のようです。
                              

いくら行列に並ぶのが流行りだからといっても、何の行列なのか分からずに、とりあえず並んでみる、という軽率な行動は、分別ある大人のとる行動とは言えません。

もうちょっと理性で物事を考える習慣を身につけた方がいいのでは、アドバイスしたくなります。