私が大学に入学した頃だったと思う。地元が産んだ本田宗一郎が相棒の副社長藤沢武夫と共に社長の座を退き共に経営から身を引いたのだった。
それは、突然のことで、今でも語り継がれる、見事な引き際だった。本田に関しては、様々なエピソードがあるが、私はこの引き際の良さはいつまでも語り継がれるべきだと思う、一番好きなエピソードである。
それから、10年以上経って他界するのだが、「自動車会社の創業者の葬式で渋滞を起こすようなことがあってはならない」と、社葬を行わないことを遺言に残し84歳で他界した。
また、三重県の鈴鹿市に進出した際に、鈴鹿市側から、市の名前を本田市に変えようかという提案があった際、本田は「個人名を伝統ある市の名前に変えるなんてとんでもない」と提案を断ったというが、ライバルのトヨタが愛知県の挙母(ころも)市に工場を建てた際、豊田市と市名を変更したのとは対照的な本田らしいエピソードだ。
以前、私が自動車部品メーカーに勤務していたとき、聞いた話で、ますます本田宗一郎が好きになったエピソードに、「作業着のポケット」がある。本田の工員の作業着は白いつなぎで、その日本田はそのつなぎを着て工場を歩いていると、作業中の若い工員が「おい、おっさん!ポケットに手を突っ込んでおるいてんじゃねえ。転んだら危ねーだろ!」と怒鳴られたそうだ。
以来、本田の指示で従業員たちの作業着のポケットは使えないように縫い付けられ、その内ポケット自体白いつなぎから無くなったそうである。
話は飛ぶようだが、昨今のスポーツ界を見ていて、よく本田宗一郎を思い出すのは、特に野球選手だった方が引退してからも解説者だ、評論家だ、名誉ナントカだと言っては業界に顔を利かせている現状である。
あるいは、すでにピークは過ぎているんじゃないかと思うのだが、いつまでも現役にこだわる選手が多いような気がして、しかもそれをチヤホヤ褒めちぎるようなスポーツマスコミが、どうも見ていてうんざりするのだ。
現役の間、我々とは比較にならないほどの報酬を得ていたはずなのに、まさか収入の問題ではなかろう。色々問題を抱えたかつての名選手もいるようだが、子供達に夢を与えたいのなら、世間を唸らせるような第二の人生を送って欲しいものだ。
それは、突然のことで、今でも語り継がれる、見事な引き際だった。本田に関しては、様々なエピソードがあるが、私はこの引き際の良さはいつまでも語り継がれるべきだと思う、一番好きなエピソードである。
それから、10年以上経って他界するのだが、「自動車会社の創業者の葬式で渋滞を起こすようなことがあってはならない」と、社葬を行わないことを遺言に残し84歳で他界した。
また、三重県の鈴鹿市に進出した際に、鈴鹿市側から、市の名前を本田市に変えようかという提案があった際、本田は「個人名を伝統ある市の名前に変えるなんてとんでもない」と提案を断ったというが、ライバルのトヨタが愛知県の挙母(ころも)市に工場を建てた際、豊田市と市名を変更したのとは対照的な本田らしいエピソードだ。
以前、私が自動車部品メーカーに勤務していたとき、聞いた話で、ますます本田宗一郎が好きになったエピソードに、「作業着のポケット」がある。本田の工員の作業着は白いつなぎで、その日本田はそのつなぎを着て工場を歩いていると、作業中の若い工員が「おい、おっさん!ポケットに手を突っ込んでおるいてんじゃねえ。転んだら危ねーだろ!」と怒鳴られたそうだ。
以来、本田の指示で従業員たちの作業着のポケットは使えないように縫い付けられ、その内ポケット自体白いつなぎから無くなったそうである。
話は飛ぶようだが、昨今のスポーツ界を見ていて、よく本田宗一郎を思い出すのは、特に野球選手だった方が引退してからも解説者だ、評論家だ、名誉ナントカだと言っては業界に顔を利かせている現状である。
あるいは、すでにピークは過ぎているんじゃないかと思うのだが、いつまでも現役にこだわる選手が多いような気がして、しかもそれをチヤホヤ褒めちぎるようなスポーツマスコミが、どうも見ていてうんざりするのだ。
現役の間、我々とは比較にならないほどの報酬を得ていたはずなのに、まさか収入の問題ではなかろう。色々問題を抱えたかつての名選手もいるようだが、子供達に夢を与えたいのなら、世間を唸らせるような第二の人生を送って欲しいものだ。