孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

もって、1年だね。

2016年05月31日 | 芸能関連
『覚せい剤取締法違反罪に問われた元プロ野球選手でタレントの清原和博被告(48)の判決が31日、東京地裁であり、吉戒純一裁判官は懲役2年6月、執行猶予4年(求刑懲役2年6月)を言い渡した。』(時事通信社)

野蛮人じゃない、、野球人です。

この極道みたいな元野球選手が、まともな社会人になれる可能性は、甘くみても30%程度だと思う。

如何なる理由があろうとも、一度覚せい剤に溺れ、その怖さと非社会性を理解し、本当に
反省したのなら、この世から覚せい剤を一掃すべきと考えを新たにして、知っている情報をすべて当局に嘘偽りなく話し、捜査に全面的に協力しようとするべきである。

ところが、彼は野球選手の時には「覚せい剤はやってない。」と証言していた。

一方、元巨人軍の選手が、テレビカメラの前で、彼が現役選手のときに覚せい剤を譲っていたと話している。この男性は、清原氏に恨みがあるとは思えず、ありもしないことを話したとは到底見えなかった。

つまり、どちらかが嘘をついているわけで、私は清原は真実を語っていないと見る。

  元巨人、野村氏

最後に裁判官が「担当した裁判官として一言」と説諭。清原被告の今後について「公私両面で厳しい現実がある。覚醒剤をやめることは容易ではない」と指摘したそうだ。

その上で「お父さんや親戚、法廷で証言してくれた佐々木(主浩)さん、(嘆願署名してくれた)地元の方々、全国のファンが更生を望んでいることを忘れてはいけない」と述べたそうだ。

まるで、お涙頂戴の浪花節を聴いているようで、欠伸が出てきそうになった。

私は、18歳のときから、あるいはそれ以前から、時間をかけて回りの人間達が、この男に対して接してきたその接し方が間違っていたために、48歳の今こういう人間が出来上がったのだと考えている。

友人だからといって、「助けてやって欲しい」とか、「彼を信じている」、「彼の心の支えになる」というのは、自分にとっては心地いいセリフだろうが、本人は更なる甘えの対象として考えるだけであろう。出身地の住民たちとて同じことが言える。



覚せい剤の入手ルートを解明する手がかりとなる情報を胸に秘めた状態では、更生などできるわけがない。

みんなでチヤホヤ育てた結果、ろくでもない人間が出来上がるという典型的な見本だと思わざるを得ない。

がんばれ!民進党!!

2016年05月31日 | 外国ネタ
5月20日に台湾では民進党の蔡英文総統の就任式が行われ、国民党の馬政権から民進党政権へ交代しての船出となった。

この台北市内の総統府前で行われた就任式にyoutube 台湾チャンネルのキャスター、永山英樹氏と謝恵芝さんたちも招待されたそうで、番組ではその時の模様を観ることができる。



喜びを抑えた感じの永山氏が着ているTシャツには、「自己国家自己救」という文字が見える。これは、台湾の若者達の心意気を文字に表したものだそうで、憲法守れ!と太鼓を叩いて群れるだけの、共産党の手先の学生さん達とは、いかにも気迫が違う。



謝恵芝さんは、いつもニコニコしているが、民主パワーで見事な政権交代を成し遂げた蔡英文新総統の就任式に出席できて、本当に嬉しそうだった。時には、観ているこちら側も、胸にグッと来るものがあったほどだ。



就任式は、最初国民党の前総統、馬英九氏が蔡英文新総統と登場していた。最後まで、支那の方ばかり見ていた総統であった。



ブログの始めに、youtube台湾チャンネルのURLにリンクを貼っておいたので、是非見て欲しい。蔡英文新総統の就任演説は、実に一見の価値がある。その内容もさることながら、原稿を見るわけでもなく、自らの考えを自分の口で国民に切々と訴えかける姿は、正に圧巻だ。



どこぞの大統領のように、才能のあるスピーチライターの書いた原稿を見ながら、腹話術の人形のように、右や左に首を振って朗読する演説とは、ちょっと格が違う感じがした。



『私達は、民主を守り、自由を守り、この国家を守る台湾人であらねばなりません。』という言葉ほど、台湾のことを想う民衆を奮い立たせる言葉はないだろう。

そして、特に私が蔡英文総統に期待したいことは、事実に基いた台湾の歴史の洗い出しである。本土から国民党が逃げ込んで来てから、台湾はいったいどのような歴史を歩んできたのか。あるいは、それ以前はどうであったか・・・。

前回、私は弾む心で「国立歴史博物館」を訪れたのだが、そこには台湾の歴史が分かる展示など一つもなかった。恐らく、それは国民党政権であるがゆえに、展示したがらない、公にはしにくい胸のうちがあったのだと推察した。

掘り起こせば、歴史を示す貴重な資料があるはずだ。台湾人のみならず、私のような外国の観光客にも親しみやすい「歴史博物館」に作り変えて欲しい。

期待してます、蔡総統!  加油、台湾!  加油、民進党!!

犬の糞など見たくない

2016年05月30日 | 政治ネタ
アメリカのニュースと言えば、大統領選でまだやっている最中だ。

候補者がまともなら見る気もするのだが、まるで馬鹿丸出しのバカボンのパパみたいな候補者が有力だ、というからやはり当初私が予想した通り、パックス・アメリカーナ終わりの始まりの様相を呈している。

見たくもないのに、金髪の薄毛の老人が喚いている映像は、今や見るだけで不快感を覚えてしまい、即チャンネルを変えてしまいたくなる。



 なんだこの髪型は・・・?

汚物のようなこの顔が、まだ暫くテレビに登場すると思うと、いささかウンザリする。

しかし、この老人に勝るとも劣らない、腐った汚物の悪臭が漂ってきそうな顔が最近テレビによく登場するようになって、実に迷惑している。



 今や人間としての評価が最低となった

これだけ日米の汚物みたいな男たちを見せられると、気分はまるで犬の糞だらけの歩道を歩かされる気分になる。避けようとしても、間違って踏んでしまい、飛び上がって悲鳴を上げたくなる。









こいつらを魑魅魍魎と呼んだら、本物の化け物たちに申し訳ない。

 







夢に出てきそうだから、このくらいにしておこう・・・。

洋画タイトルの妙

2016年05月30日 | 趣味の世界
私が一念発起して、英会話の独学を思い立ったのは、20歳のときであった。

以前にもブログに書いたような気がするが、学生のとき仲間数人とパプア・ニューギニアに旅をした際に、少々自信があったにもかかわらず、自分の英語は使い物にならないと分かって、悔しい思いをしたからであった。

しかし、当時は今と比べると、DVDがあるわけでもなく、CDがあるわけでもなく、パソコンなど世の中に存在していなかった。

今は、書店に行けばCDが付録に付いた参考書などもあり、何も大金を払って英会話教材を買わなくても、実に様々な英語教材が溢れている。

私が、「これは、いい!」と感動したのは、映画のDVDのサブタイトル(字幕)を英語や日本語で選択できる点、それに始めと終わりを選択して、好きな場面を何度でもくり返し観れる設定が出来る点だ。

映画が嫌いな人は大したことではないだろうが、映画好きでしかも英語を習いたいという人には、これほどすばらしい教材はないと思う。

好きな映画、しかも役者の話す英語が聞き取りやすい映画を選んで、セリフを覚えてしまうのである。好きなシーンの会話を丸ごと覚えると、これは似たような場面に遭遇したとき、実に役に立つのだ。

英語を使わなくなって久しいとき、私は昔の感覚を呼び戻すため何度も何度も繰り返し観た映画がある。

それが、「Up in the air」だった。邦題は、「マイレージ、マイライフ」。

 大人の色気が・・・

ジョージ・クルーニー主演の、ちょっと色っぽくて、コミカルで、そしてほろ苦い大人の恋の映画だ。

邦題は、飛行機のマイレージを増やすのが何より趣味のビジネスマンに掛けて、「マイレージ・マイライフ」としたのだろうが、これは英語のセンスが全くない人がつけた邦題だとすぐ分かった。

  

原題は、飛行機で全米を飛び回る、仕事一途だが、優柔不断なところがあっていまだに独身の中年男性を、「Up in the air」、つまり「空高く」という意味と、「宙ぶらりんの未決状態」という意味のある英語の慣用句で表して映画のタイトルにしている。



昔の洋画のタイトルは、練ったものが多かった。「雨に濡れても」の挿入歌がヒットした、「明日に向って撃て!」という映画の原題は、「Butch Cassidy and the Sundance Kid 」という無法者二人の名前を並べただけのものだった。






似たようなもので、「俺たちに明日はない」という名画の原題も、「Bonnie & Clyde 」という、無法者二人の名前だけだった。


 

最近、洋画はヒット作があまりないようだが、これは映画にするような脚本が不作なためではないか。

名作が目白押しだった頃は、邦題を付ける方も中身に負けないように、知恵を絞ったに違いない。

手っ取り早く、原題を読み通りにカタカナにしただけでは、観たいという気分にはならないのだ。「レヴェナント」がいいと言われても、何の関心も掻き立てられないのである。

感情労働の重圧・・

2016年05月29日 | 社会観察
職場のベテラン女子社員が、今月の連休明けからずっと休み続けている。

様々なデータ入力から、資料作成など事務系の業務なら大抵の業務をこなす50代のベテラン社員である。

休み始めた頃は、風邪らしいと聞いていたが、さすがに3週間も休みが続いていると、気になるので再度彼女と同じグループの事務員に、それとなく聞いてみた。

すると、彼女は、「どうもここらしいよ・・・。」と言いながら、右手で自分の胸をトントンと叩いた。

「肺炎?」と私が聞くと、ううんと頭を振って、「心みたい・・・」と言うのであった。

詳しく聞くと、どうも精神的に少し参ってしまって、出社できない状態に陥っているそうだ。それは、今年の2月頃から始った職場の業務再編成が影響していた。

定年でベテランの社員がグループから去り、補充がないまま残った人員で業務を割り振ったまでは良かったが、すぐその後に、人事部からの通達で、派遣社員の女性を一人別の関連会社に移すことに決ったのだった。

その結果、これまで定年間際のベテラン男性が担当してきた、客先からの部品補給の要求への対応や、客先からの問い合わせを一手に受け付ける担当になったのだった。それには、ある程度の専門知識が要求されるのと、顧客のわがままな要求を要領よくかわす会話テクニックが必要な業務であったという。

ところが、彼女の性格は几帳面で、曖昧な言い方を得意としない方であったそうだ。また、彼女のグループでは4月頃から、深刻な市場クレームの問題が発生していて、男性社員たちは、毎晩遅くまで残業していて、技術的な助言を頼むような状況ではなかった。

 頭脳労働から感情労働へ

そうこうしている内に、彼女の精神状態は次第に落ち込んでいき、連休前のある日、具合が悪いと言って昼過ぎから医務室で休んでいた事があったそうだ。

それまでの彼女の業務は、対外的に顧客との接触は皆無で、今回が初めての体験であった上に、上司からは顧客にはいい加減な回答は決してしないように、と強く釘を刺されていたそうだ。



頭脳労働に長いこと従事してきたベテラン社員が、ある日を境に自分の感情を押さえ込む必要のある感情労働に転向させられた結果の、実に不幸な出来事である。

職場のセクハラ、パワハラと同様、目に見えない職場の病理は今日本中に広がっているそうだ。

比較的私と近い世代であった所為か、気軽に話しかけてくれた彼女には、私もいろいろ分からないことを教えてもらった。燃え尽きることなく、明日から元気に出社してくれることを祈るばかりである。



東京も焼け野原にしたよな?

2016年05月29日 | 政治ネタ
ドイツに落としてやろうと開発したのだが、すでにドイツは降参していた。

瀕死の日本も降参しそうだから、その前に新型爆弾を完成させてソ連に見せ付けたかった米国は、1945年7月に完成したばかりの三発の一つをニューメキシコ州の砂漠で試した。

実験成功の報告を受けたトルーマン大統領は、7月24日に新型爆弾開発成功、日本に落とすとソ連のスターリンに伝えた。

8月5日にフィリピン東のサイパン島近くにあるテニアン島の基地において、B29爆撃機「エノラゲイ」にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」を積み込んだ。そして、翌日8月6日にエノラゲイはテニアン基地を飛び立ち、日本時間の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分に広島市に投下し数万人の命を一瞬に奪い、市内を焼け野原にしたのだった。

しかし、この5ヶ月前には、つまり原子爆弾がまだ完成していなかった1945年3月9日深夜から10日にかけて、米軍は首都の東京を奇襲して、2時間のうちに10万人の非戦闘員の命を奪い、被害者総数は100万人、女・子供・老人の住む東京の街を焼け野原にしたのだった。

 東京大空襲の成果


この東京の空襲にむけて、米国は事前にどうすれば東京を壊滅させることができるか、しかも最小の犠牲で・・・、と熱心に研究していたのだった。

ハワイから日系人を本土に呼び寄せ、日本家屋を造って中には障子やふすまを貼り、タンスや日本人が使う家具を揃えた「街」を完成させた。

 2時間の空襲の成果

関東大震災の被害状況なども参考にして、最も効率の良い東京撃滅方法を研究した結果、爆発力に頼らず、火災を起こして焼き尽くすのが効果的という結論に達し、「M69焼夷弾」を開発した。焼夷弾(しょういだん)とは、発火性の薬剤を詰めた爆弾である。

ナフサという石油精製物質に、ネバネバする、アブラ椰子から取ったパーム油を混ぜて主原料としているため、衣服や木材などに付くとその粘着性の為に取り難いという特徴があり、燃えると非常に高温で酸素を大量に消費するため、周囲を酸欠状態にしてしまうという効力もある。

ナフサとパーム油が原料なので、ナパーム弾と呼ばれているようだ。余談だが、ベトナム戦争を描いたコッポラ監督の「地獄の黙示録」という映画の中で、米軍がジャングルをナパーム弾で爆撃したとき、近くにいた米軍士官がその香りに恍惚となる、といったセリフを吐くシーンがあったのを記憶している。

この焼夷弾は、投下時には各容器が一つの束にまとめられており、投下後に空中で散弾のように各容器が分散するようにされていたため、「束ねる」という意味を込めて「クラスター焼夷弾」と呼ばれた。クラスター(cluster)とは、(ブドウの)房、集団、塊という意味の単語である。

8月になると毎年広島・長崎の原爆投下のことが話題になるが、その5ヶ月前の3月10日に起きた東京大空襲(ほとんど虐殺というものだったと思うのだが)については、まるで忘れられたようで私は不満である。

知れば知るほど、その悲惨さ、冷血さ、残酷さについては、原爆に勝るとも劣らないと思うのだ。










オバマのレガシー(業績)とは?

2016年05月29日 | テレビ・ラジオ
広島に出向いて平和記念公園で、キョロキョロ、パクパクの朗読をしたアメリカのオバマ大統領のことを、日曜日の朝の報道番組の出演者達は、感動した、中身が格調高かったなどなど絶賛していたのは、予想通りだった。まったくお目出度い国民である。

フジテレビの番組にゲスト出演していた民維新党の前原誠司氏まで、オバマ大統領の演説に「感動した!」と言っていたのには、噴出してしまった。

口先だけと揶揄される日本の政治家が、演説のみで大統領になり、演説でノーベル平和賞を受賞した、何の実績もない口先だけの大統領の朗読に「感動した」そうだ。



TBSの日曜朝の偏向番組でも、法政大学の学長という着物を着たオバ様が、「非常に格調の高いスピーチだった。」と英文原稿を引用して絶賛していたのには、少々意外だった。

それにしても、17分の朗読は長すぎなかったか?



一言、「安らかに眠ってください。私たちは過ちをくり返しませんから。」と言うだけで十分ではなかったか?

これは、謝罪ではない。あったことをありのままに言うだけである。これだけで十分オバマ大統領のレガシーとして、後世に語り継がれることになったのではないか。

安倍さん、碑文の解説をしたのか?

2016年05月28日 | 英語関連


オバマ大統領が広島で演説を朗読したという報道で、ついに聞くことが出来なかったことがある。それは、平和記念公園にある碑文についてである。

『安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから』

この主語のない、意味不明の文句を読むべき人が、千載一遇のチャンスで訪れたわけなのに、なぜ我が国の国民はこれについて黙して語らないのか。




被爆者で長寿者の老人など、「あの事件は既に歴史の一コマであり不幸な一コマであった。アメリカではなく、人類の過ちであった。未来に向かって頑張りましょう・・・

・・・プラハ演説(2009年)でノーベル平和賞を取ったのだから、遊んどったらダメですよ。未来志向で、駆け引きのない世界を作り上げましょう」と語りかけたらしい。

もう一人の被爆者とオバマが抱き合ったときは、「感動した」とテレビのキャスターは語っていた。



広島市の松井一実市長のコメントは、「現職のアメリカ大統領が被爆地を訪れるという歴史的な日を迎えることができ感慨深く、とてもうれしい。

被爆者の方とのやり取りでは、オバマ大統領が耳を傾け、心と心のやり取りがあったように見えた。平和を願う気持ちに触れ、核兵器のない世界に向けた決意を一層強固にしてもらえたのではないか」



一方、長崎市の田上富久市長のコメントは、「オバマ大統領のスピーチは戦争や核兵器に対する自分の考えをじっくりと練ったもので、核兵器のない世界への思いが変わっていないことを強く示していて心が動かされた。

長崎にも訪問してほしいという気持ちもあったが、広島への訪問の実現は広島と長崎の思いが形になったものだと思う。各国のリーダーにも広島や長崎を訪れてもらうことで、世界の人たちが被爆地を訪れる流れが作られることを期待する」というものであった。

まったくどいつもコイツも脳内お花畑の、おめでたい人ばかりだと、私はつくづく思うばかりである。

南朝鮮人たちの口癖みたいに、謝罪せよ、賠償せよとは言うまい。

ただ、せっかく当事者が来てくれたのだから、しっかりと主語のある文章で、記念碑に書かれている文をお得意の演説に引用してもらいたかったものだ。こういう英文で。

Please sleep peacefully, we will never repeat mistake.



『リオ五輪辞退』、 まともで正常な反応じゃない?

2016年05月28日 | 外国ネタ
ジカ熱やデング熱、治安の悪さ、政情不安・・・などなど。

外国では、ろくな情報が流れてこない夏のリオ五輪出場を辞退する意向を表明する選手が続出しているそうだ。

例えば、アメリカの女子サッカーチームのゴールを守るホープ・ソロ選手。婚約した彼女は、ジカ熱が心配なようで、「健康な子どもを産みたい。」とマスコミに語っている。



NBAバスケットボールのクリス・ポール選手も体を休めたいという理由で、出場をじたいしそうだという。



さらに、外を歩き回るスポーツであるゴルフでは、かなりの有力選手が出場辞退する模様だ。オーストラリアのアダム・スコット選手を筆頭に、フィジーのビジェイ・シンや南アのルイ・ウーストハイゼン選手など。



他にも、サッカーのチーム・ユベントスに所属するアルゼンチンのパウロ・ディバラ選手も出場はしないようだ。


柔道の試合でブラジルに行って来たばかりの女子選手が、帰国後のインタビューで、「私も向こうで蚊に刺されました。」と語っていたのを観たが、なんと無防備で無知な選手なのかと、私は怒りすら覚えたほどだった。

そういえば、シンガポールではボウフラの湧くような水溜りを放っておくと(古タイヤの放置など)、罰金を取られると聞いた。もう、シンガポールは国を挙げて蚊の発生源には神経を尖らせているのだ。


ジカ熱のみならず、政情不安で、治安が悪いとくれば、「リスク」が大きいと思い出場を思い留まろうとするのは、極めてまともな判断だと思うが、どうだろう?

「安全は 危険予知と 回避から」


この老人は日本人の代表じゃありませんから・・

2016年05月28日 | 社会観察
米国のノーベル平和賞受賞者のオバマ大統領が、恐らくそのきっかけになった演説の原稿を手掛けたスピーチライターによる演説を、広島の平和記念公園で長々と朗読した後、安倍首相と歩み寄ったのは、71年前の被爆者の代表の『日本原水爆被害者団体協議会・代表委員』 坪井直さんのところだった。

二人の会話は、マイクがなかったためか聞えなかったが、翌日の報道で次第に話した内容が分かってきた。

坪井さんはオバマ氏と握手を交わしながら、「人類の幸せを掴むためにいろいろなことを語ってくれて、私は胸がワクワクしました。91歳ですけどまだ生きますよ」と話しかけたという。



「我々は恨みや何かは関係ありません。だから、私たちはオバマさんが来られたことは大歓迎します、感謝しております。それで終わりじゃないんですよ。」と言ったと報道した新聞社もあった。

さらに別の新聞社のサイトでは、「私はアメリカを恨んではいない。核兵器は人類が造った不幸だからだ、と言ったら強く手を握ってくれた」と説明。「また何度も広島や長崎を訪れて、たくさんの被爆者と対話してほしい」とも依頼した、と伝えていた。

あるいは、また別の報道機関のサイトをみると、こんな記事だった。

日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の坪井直さん(91)は27日、オバマ米大統領との対面後に広島市内で記者会見し、広島への原爆投下について、オバマ氏に「米国を責めていないし、憎んでもいないと伝えた」と明らかにした。オバマ氏は、坪井さんの手を握りしめたという。

オバマ氏の広島訪問は「(核廃絶への)一歩として評価したい」と強調。「これからが大事だ。『時々広島に来て』と言ったら、(オバマ氏の)握手が強くなった」と語った・・・そうだ。

被爆者の生き残りだから、日本人の代表と言うわけでもないだろうが、このお爺さんの言うことに、承服しかねる日本人は、私を含めてかなりいるのではないかと思う。

私は、どこかの部族たちのように、オバマに対して「謝罪せよ、賠償せよ。」などとは
全く言うつもりはないが、かといって『核兵器は人類が造った不幸だから、アメリカを恨んではいない。』と言うことには違和感を感じてしまう。

ましてや、『米国を責めていないし、憎んでもいない。』と言い切る自信はない。

なぜなら、あれはどんな言い訳をしても、明らかに卑劣で卑怯な『戦争犯罪』だったからだ。

それだけに、「自分が被爆者の生き残りだから、日本人の代表者だ」然としたようなこのお年寄りの態度言動には違和感を覚える。

「核兵器が廃絶にむけて、未来志向で、駆け引きのない世界を作り上げましょう」などと、いかにもお花畑の住人が喜びそうなセリフを言っても、この世はビートルズの歌のようにはいかないのである。


20歳で被爆?今91歳??

2016年05月27日 | 社会観察
被爆者代表のお爺さんが、オバマ大統領と立ち話をしている映像が長いこと流れていた。

このお爺さんは、20歳のとき広島市内で被爆して、今91歳だそうである。

カミさんと一緒にこのシーンを観ていたら、カミ曰く、「被爆した割には随分長生きねえ・・。」



「放射能が体にいいってことかもな。」と私。

「私もそう思った。」とカミさん。



私は、へそ曲がりなので、辛い出来事を「大変だった。悲惨だった。」と尾ひれをつけて他人に披露する人たちの話を聞く気がしない。

その点、私の祖父の戦争当時の話は面白かった。

野良仕事をしていたら、アメリカ軍の戦闘機が急降下してきて、バババババ-ッと機関銃を売ってきやがってなあ・・・。米兵の顔がはっきり見えたっけなあ。

鍬を放り投げて、田んぼを逃げ回ったお爺ちゃんの話を聞くのが、小学生の私には楽しみの一つだった。

銃規制も出来ないくせに・・・

2016年05月27日 | 社会観察
帰宅してテレビをつけたら、オバマが演説をしている最中だった。どんなことを話しているのかと聞き始めたけど、2分で飽きた。

こういうのを冗長と言うのだろうが、2分間聞いても、心に残るフレーズはほとんどなかった。

強いてあげれば、お得意の「核兵器のない世界を追い求めなければならない。」という主張なのだろうが、自分の国であれだけ悲惨な殺人事件が頻発しているのに、銃規制すら出来ないではないか。



刀狩りもできないくせに、核兵器のない世界を追い求める???




一生、追い求めていろや!

BLTはサンドイッチ、LGBTは?

2016年05月26日 | 外国ネタ
フィリピンの田舎に赴任していたとき、私は床屋には一度も行かなかった。休暇で帰国したときに、出発前日に行きつけの床屋で短めに散髪してから、髪が伸びてきたら自分でスキバサミを用いてカットしていたのだ。

どんな田舎でも床屋は何軒かあるが、フィリピンの場合ほとんどの床屋は「オカマ」である。現地語のタガログ語では、それをバクラ(Bakla) という。女はババエ(Babae) で、男はララキ(Lalaki) というが、それを合成して出来た言葉が「バクラ」である。

赤い口紅などを差して、派手な衣装を着て、フニャフニャした所作でシナを作り、いつもニタニタしているので、一目見ればすぐ判別できる。

私の同僚などは、全く気にしないようで、むしろ面白がって平気で床屋に行っていたが、私は薄気味悪くて耐えられなかった。

上司などは、マニラに商用で出かけたときに必ず日本人専用の床屋に行っていた様だが、そういう床屋はわざわざ日本から日本人の床屋さんを連れてきて営業しているようで、その分料金は日本と変わらなかったようだ。

フィリピンの田舎の床屋なら、カットだけで当時100円程度だったと思う。

自分は女だと思っている男は、バクラというが、自分は男だと思っている女も結構存在していた。そちらは「トンボイ」と呼ばれていたようだ。

赴任していた工場には、従業員の中にどちらも存在していて、目を引いたのはトンボに口説かれて同棲している女性従業員がいて、みな美人であったことだ。

そういう人たちはどこにもいるもので、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)と呼ばれるそうだ。

レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシャル(Bisexual)、それにトランスジェンダー(Transgender)。この頭文字を並べるとLGBT(エル・ジー・ビー・ティー)となり、最近はこの言葉も市民権を得てきたような気がする。

ベーコン、レタス、トマトのサンドイッチをBLTサンドイッチと言うそうだが、似て非なるもの、とは言うまでもないか。

アメリカでは、昔からこういう分野で自由を、自由をと叫ぶ人たちが多いようで、トイレも性別で分けたりしないそうだ。自分は男の格好をしているが、「心は女よ」と主張すれば、誰も咎めたり出来ない社会になりつつあるようだ。



今や、トイレで男性・女性を分けるなんて時代遅れで、先進的ではないらしい。トイレの標識も様々である。




高速道路のサービスエリアなどでトイレ休憩に立ち寄ると、中年のオバサンたちがゾロゾロと無遠慮に男子トイレに割り込んでくることに遭遇したことが何度かあるが、恥じらいを失った女性の成れの果てだと、ため息が出た。

この分野の先進国、アメリカでは今「トイレ法」(Bathroom Bill) という言葉が非常に注目されている。

南部ノースカロライナ州の州法で、LGBTに出生時の性別と同じトイレを使うよう定めた法律だそうだ。つまり、今いくら「自分は女よ」と言い張っても、オギャアと生まれた時点での性別が男なら、トイレは男用を使え、という州法である。

さらに、面白いというか馬鹿馬鹿しいというか、これに対してオバマ大統領が、心と身体の性が一致しないトランスジェンダーの子供に配慮し、本人が望む性別のトイレを使うことを認めるよう全国の公立学校区に通達を出した、という。

さすが、この分野での先進国だとうらやんで真似したがる人も我が国にはいるはずである。差別するつもりは毛頭ないが、こういう動きが先鋭化してくると、伝統文化など崩壊し始めることは火を見るより明らかである。

実際に、先の政権交代時の「失われた3年間」のとき、とんでもない方向に動きかけたことがあったではないか。

ジェンダーフリーとかいう言葉のもと、小学校では人形を使って性行為とはこうやるものです・・などと真顔で教えていたところもあったそうだ。

 この方は熱心でしたな・・

桃太郎で、おじいさんは山へ芝刈りに(仕事)、おばあさんは川へ洗濯に(家事)という部分が性差別にあたると、子供たちに読ませるべきでない本に指定されたこともあったそうだ。

初孫なっちゃんの通う幼稚園では、男の子も女の子も。○○さんと呼んでいるが、男は「くん」で女は「さん」や「ちゃん」ではなぜいけないんだろうかと、私は思ってしまう。

男らしさ、女らしさを否定する必要性がどうも私には理解できない。

テレビを観ても、最近はやたらと男なのか女なのかよく分からないタレントが頻出しているような気がする。この国はなにか妙な方向に向いつつあるようで、一抹の不安を感じてしまうのよ・・・。 アレ??




ああっ!おじいちゃん!くつ!!(怒)

2016年05月26日 | 孫ネタ
さほど混みあっていなければ、孫のなっちゃんの大好きな「こども館」へ行くのは悪くはないものだ。

そこで、今月の連休の時、晴天でみんな家族でどこかへドライブに行くだろうから、きっと「こども館」はガラガラだろうなあ、と思ってなっちゃんと出かけた。ところが、中はすごい混み具合で、入場制限がかけられていて、何と1時間待ちだと係りのオバサンが済まなそうに教えてくれた。

近くの公園に行くとミニチュア電車が走っているよ、と勧めてくれたのでそちらに行って時間を潰したのだが、なっちゃんは電車よりブランコに夢中だった。

 エアートランポリン

再び「こども館」に戻ったが、相変わらず混み合っていて、中には市外からはるばるやってきた親子もたくさんいたほどだった。

トランポリンやボルダリングで、2時間たっぷり遊んでから、手を洗って、自販機でジュースを買って家路に着いた。

 ボルダリングはいい運動になる


家に着くと、私は喉がカラカラだったので、急いで家の中に飛び込んだ。すると後から来たなっちゃんが、「ああっ!!おじいちゃんっ!!靴っ!!!」と、私の脱いだ靴を見て怒ったように叫んだ。確かに、私の脱いだ靴は右と左が離れ離れに転がっていて、孫の手前これはまずかった。

「ごめん、ごめん」と言って、靴を拾い、かかとを上り框の方に揃えて置いた。

こういうところは、幼稚園で徹底的に教えられているようで、5歳の孫に育ちの悪さを指摘されて、私は忸怩たる思いで居間に入ったのだった。

そういえば、なっちゃんの靴はいつもきれいに揃って脱いであったが、あれは後でうちのカミさんが揃えたんじゃなくて、なっちゃんが自分で脱いだんだと、あらためて孫の行儀のよさに感心させられた。

欧米では玄関で靴を脱ぐ習慣がないので、こういう日本人らしい行儀よさ、日本的な所作は、是非大人になっても忘れないでいて欲しいものだと、切に願うのであった。


そう言や、こいつも元検事・・

2016年05月26日 | 政治ネタ
どういう背景があるのか詳しい事情はわからないが、悪がはびこる社会には生きたくないものだとつくづく感ずる。

見え透いた嘘や弁解を聞くのも、精神衛生上実によくないと痛感する今日この頃だ。

第三者の精査に委ねる、などと都合のいいことを言っていたが、元検事は神様なのか?

 元検事です。

元検事に支払う報酬も税金から調達するのか?

 東大卒です。

二人の元検事と雁首そろえて話し合うんだろうな。

 秘書が怪しい・・

そういや、こいつも元検事・・・

 私のスタッフが・・

「日本、死ね!」は、ウケました。

  ガソリン代はカードで・・

今では、党の顔なんです。

 すべて、他人事のように説明。

元検事の精査したことなら、馬鹿な都民や国民は納得するはずなんでしょうな・・・。

これを、茶番と呼ばずに何と呼ぶ??