孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

「台湾チーム」として迎えよう!

2016年09月30日 | 社会観察
例の東京五輪のエンブレムのゴタゴタの頃、私はああいうのをトップに据えたんじゃ、組織としてはうまくいくわけが無い、と感じた。案の定、その通りになって当時の体たらくは思い出すのも嫌になる。

「ああいうの」というのは、あの「ゴリラの体」の方である。

『蚤の心臓  サメの脳  ゴリラの体  森キロウ』のアレである。

扇の要がああいうのでは、2020東京五輪などまったくどうでもいいイベントでしかなかった。しかし、ブラジル五輪の日本勢の活躍を見た後では、4年後の期待はいやが上にも膨らんでくる。

都知事が変わって、都議会自民党議連との確執が浮き彫りになり、同時に暴力団の組長のような「ドン」の影が、五輪に絡んだ公共工事の関連会社にちらつき始めると、腐った組織ほど厄介なものはないと痛感させられる。

その延長線上に、「ああいうの」がウロウロすると、もう初めからこうなるべくしてなったと思わずにはいられない。やはり、責任を取るべきときにウヤムヤにしておくと、組織は腐るのであろう。

  森・武藤のMMコンビ

エンブレムのゴタゴタで白紙撤回になったとき、組織委員会は国民栄誉賞第一号の、王貞治氏を新エンブレム選考委員会に招いた。恐らく、王貞治氏は、あまり気が進まなかっただろうが、新エンブレム選考に参加したのだった。

   新エンブレム発表

野球が東京五輪の競技に加わったこともあり、あの「サメの脳」はまたしても王貞治氏を東京五輪組織委員会の新しい理事として選んだのだった。今週になって、王貞治氏は、東京大会で復活する野球・ソフトボール界を代表する立場として組織委員会の理事就任を承諾した。

   新理事就任・王貞治氏

王貞治氏の気持ちを忖度すると、今回もあまり気乗りはしなかったのではないか。何となく、東京五輪組織委員会に自分がうまいこと利用されているようで、いくら今も野球界にいる身でも、「よしっ!やろう!」と気合が入るほどではなかったと思う。

どうせなら、王さん。理事を引き受ける条件として、2020東京五輪では、自分の母国・台湾を「チャイニーズ・タイペイ」(支那の台北)などという呼称ではなく、『台湾』という呼称で迎えるようIOCに要望して欲しい、と言って欲しかった。

 台湾は支那の台北ではない

日本生まれの王貞治氏は、れっきとした中華民国国籍を所有する台湾人である。娘の理恵さんも中華民国国籍の台湾人のままだという。

  台湾は台湾です!

王家の祖籍は中華人民共和国実効支配下の浙江省であるそうだが、王貞治氏は台湾への観光客誘致の動画などで、盛んに台湾をいいところだ、いいところだと売り込んでいるではないか。

  いい加減なチーム名ではなく、台湾チームで!

微妙な立場にある王貞治氏であることは理解できるが、王さんのさりげない一言が日本国民を動かし、IOCにも影響を与えることは間違いないと思う。

台湾の人たちも、王さんの一言で元気付けられる。

モナ男、支離滅裂・・・ww

2016年09月30日 | 政治ネタ
昼休みに見たYahoo ニュースに、「首相、拍手の問題化理解できぬ」というタイトルが目に入った。ははぁ~ん、昨日の国会での所信表明演説での自民党議員たちの立っての大喝采について、さっそく誰かがイチャモンをつけたのだな、と理解できた。

私はアレを見て、拍手するのはいいが、アメリカ人の真似をするようなら、いかにも幼稚な振る舞いだと思ったが、わざわざ予算委員会の場で苦言を呈するほどのことではないと思った程度だった。

Yahoo ニュースの産経ニュースの記事を読んで、噴出しそうになった。こんな記事だった。



 『衆院予算委員会で30日、安倍晋三首相が民進党の細野豪志代表代行に、26日の所信表明演説の際に多くの自民党議員がスタンディングオベーション(立ち上がり拍手)をして演説が中断されたことを批判され、「どうしてこれが問題になるのか理解できない」などとブチ切れた。

   代表代行だと・・・

 細野氏は冒頭、「民進党は批判をしているだけにとどまっていると国民にみられている側面がある。われわれは変わらなければならない」と述べ、蓮舫代表が掲げる提案路線への転換を宣言した。

 しかし、次に口から出たのは、所信表明演説の際に、首相が議員らに自衛隊などへの敬意を表すよう促した際に、自民党議員が行ったスタンディングオベーションへの批判だった。細野氏は「首相に促されてスタンディングオベーションをするというのはどうなのか」と述べた。』(産経新聞)

   伝統のブーメラン炸裂

ミンス代表、ポッポ鳩山の所信表明演説のとき立ち上がって大喝采したのは、どこのどいつだったか、もう忘れている見事なバカっぷりでした。

確かにそんなことがありましたなあ。国をほとんど滅茶苦茶にした後、鳩は更なる売国奴ぶりを発揮していました。そして、彼のDNAはかつての同志たちに受け次がれたわけです。

   言われるがままに土下座・・・


細野代表代行は、当初代表選に出るのではと言われたが、結局二重国籍の嘘つき支那女を推す側に廻ったようだった。この男我が郷土の東部地方で人気があるようだが、所詮今流行りの「ゲス男」に他ならない。

 

いつまでたっても「モナ男」とか「モナ王」とか呼ばれる、骨の無い、口先だけの軽いゲス男でしかない。今日の予算委員会がそれを見事に裏付けていたではないか。

パクリは恥でないアル。

2016年09月29日 | 外国ネタ
ちょっと前、テレビでは、支那の遊園地に出没するぬいぐるみのことを盛んに報道しては、笑いの種としていたことがあった。

それは、どこからどう見てもディズニーランドのミッキーマウスのようなのだが、真似たにしてもお粗末過ぎて、オリジナルとはかけ離れていた。

「これはミッキーマウスのつもりなんですか?」と遊園地関係者に尋ねると、「いや、当遊園地のオリジナルキャラクターだ。」と顔色を変えず答えた。「第一、これはネズミではない。耳の非常に大きな猫なんだ。」

   耳の大きな猫らしい

もっと前には、支那で本田技研のオートバイのコピー製品が出回っていたことがあた。HONDAというブランド名ではなく、HONGDAというブランドであった。どちらも支那語では同じ発音になる。

  ホンダと読むそうだ

「ホンダの真似だ」と言うと、「我々のオリジナルだ。」と言い張っていた。本田技研はこういう会社を、意匠権侵害で訴えて、勝訴したのだった。

私がフィリピンに赴任していたとき、電化製品を扱っている小規模電器店の集まるショッピングモールをぶらつくと、こういう類のまがい物がたくさん展示されていて、それを見て廻るだけでも楽しい時間つぶしになったものだ。

  うっかりすると見間違える

そういえば、今日昼休みに見たYahoo ニュースで、『三洋ブランドのテレビがインドで復活した』というタイトルが目に止まった。朝日新聞デジタル、曰く・・・

『パナソニックが今夏、三洋ブランドのテレビ販売を、インドで約8年ぶりに復活させていたことがわかった。

同社は2009年の三洋電機の買収後、国内外でパナソニックへのブランドの統一を進めており、消費者向け製品での「SANYO」の復活は初めて。インドのテレビ販売でパナソニックは苦戦し、認知度が高い三洋ブランドの助けを借りることにした。』

  SANYOテレビ

電化製品のブランドといえば、なんといっても「SONY」の知名度が一番で、そのシンプルな響きと、ほとんどの国で「ソニー」と読まれる共通性が、愛されるブランドの秘密だそうだ。当然、品質の裏づけがあってのことだが。

  SONYは愛されるブランド

しかし、私がフィリピンのある電気店で見たラジカセには、SONYOというブランド名が印刷されていた。これを見たとき、私は「う~~ん」と唸ってしまった。

天下のSONYの末尾に「O」を付けただけで、何とSONYとSANYOを融合させてしまっているのだ。

 ソニヨーと読むのだろうか


そそっかしい顧客はそのブランドを見ただけで商品を購入してしまうだろう。

「見事なパクリ方ですねえ」と言えば、おそらく「パクリではない!失礼な。これは我々のオリジナルブランドです!」と何食わぬ顔をして反論するはずだ。





何という自虐史観!

2016年09月29日 | 社会観察
夕方のローカル放送のニュースを見ていたら、伊豆の下田市の市長が吐いた言葉を聞いて、思わずひっくり蹴りそうになった。

  下田市長、福井氏

福井氏は、「外国の方には敬意を払わないと・・」とか何とか言っていたが、その外国の方というのは、「黒船」のペリーのことだった。なぜ、ペリーに敬意を払わなければならないのか、一体何の話なのか、とよくニュースを聞くと、下田市のゆるキャラ「ぺるりん」のことを言ってたのだった。

  ゆるキャラ「ぺるりん」

下田商工会議所青年部が市の補助金も活用して制作した「ぺるりん」をめぐって論争が起きていたのだそうだ。きっかけは6月の選挙で初当選した福井祐輔下田市長が「外国の偉人をゆるキャラにしてちゃかすのはどうか」と発言し、「下田市の公式行事、私の出席する行事にはには出ないで欲しい。」と強烈な苦言を呈したそうだ。

  偉人?ペリー

ペリーは日本を未開の国と見下し、戦争も辞さずと、圧倒的軍事力を背景に恫喝と挑発を交えながら江戸幕府に開国を迫ったたアメリカの軍人だった。そういう人物に対して「外国の人に対して失礼だ」とは、いくら福井氏自身が元軍人だからといっても、ピントがはずれているのではなかろうか。それに、ペリーが「アメリカの偉人」だとは初耳だ。

偉人どころか、ほとんど侵略者あるいは強盗と言ってもいいくらいだ。何が失礼なものか。
外交儀礼がすべった転んだと言うのは、感覚がイカれているとしか思えない。外国人コンプレックスもここまで酷いと病的である。

何でもかんでも日本が悪い、日本人はかつて悪いことをした、と教え込まれてきた日本人に染み付いた「自虐史観」が防衛大学校出の元軍人にも根付いているのかと、あきれてしまった。こういう新市長を選んだ下田市民は後悔すべきである。


日本語の魔力

2016年09月27日 | 英語関連
19世紀の中ごろ、フランスを中心とした欧州全体で流行した「日本風の趣味」はジャポニズムと呼ばれて、画家や作家達に大きな影響を与えたそうだ。

万国博覧会に出展される日本の美術品や工芸品は、特に彼らの関心を引き、北斎や歌麿の浮世絵は、ゴッホなどの画家達に絶大な評価を受けていたらしい。

   クロード・モネ作品


日本から送られた陶器の包み紙に使われていた古い浮世絵が、彼らの目に留まり、陶器よりも浮世絵が欲しくて大金を投ずる芸術家が現れた、というのはよく聞いた話だ。

イタリアやフランスの写実的な絵画は確かにすばらしいが、広重や北斎の浮世絵に見られる大胆で奇抜な構図は、おそらく当時の欧州の芸術家たちの度肝を抜いたであろう事は、容易に想像できる。

  北斎・ 甲州石班澤

日本人の美的センスに「粋(いき)」と呼ぶ独特な感覚があって、その反対の「野暮」と並んで、古典落語や時代劇などでも耳にする。

先日、BSの「吉田類の酒場放浪記」を観ていたら、東京の湯島だったか、「小倉アイス」発祥のお店「みつばち」に、吉田類が立ち寄って、その元祖小倉アイスを食べていた。

最中を注文して、上下の皮に挟まった小倉アイスを手に取った吉田類が、「これ、どうやって食べるんですかね?」と尋ねると、目のクリっとした店員さんが、「手で持って、がぶっといくのが粋なんです。」とこたえていた。

「おっ、この店員さん、江戸っ子だなあ」と、私はなんだか嬉しくなった。

吉田類が居酒屋に入って、カウンター越しに居酒屋の主人と掛け合うところが好きだが、その時の主人はかつてフランス料理のシェフだったそうで、一流ホテルで腕を振るっていたという。

そこで、吉田類が、「どこのホテルのシェフだったんですか?」と聞くと、いくつか名前を挙げたが、「いろいろなところで仕事したから・・・」と多くを語らなかった。

その居酒屋で暫く飲み食いしてから、いつもの通り吉田類が居酒屋を出て一言感想を言うのだが、「・・ご主人はフランス料理のシェフだったそうでねぇ・・でも、あんまり聞くのはね・・」と言ったが、私はこの言葉に続けて彼は、「・・・野暮だから。」と言いたかったのだろうと思った。

こういうところは、実に日本風で、以前私はこういう思ったことを口に出さない日本人が嫌だったが、最近は逆に何でもズケズケ知りたがり、思ったことをすぐ口に出す「日本人離れ」した態度が嫌になってきた。

[ tatamiser ] という言葉があって、読み方は「タタミゼ」というフランス語である。タタミというのは、「畳」のことでフランスの造語だが、当初使われ始めた頃は日本風の室内様式を取り入れる、という意味であったそうだ。

   典型的な日本間

それが、次第に広い意味で使われるようになってきて、今では「日本風の」とか、「日本びいき」、「日本人みたい」という意味で使われているらしい。

最近立て続けに英語教育の若年化に懸念する知識人たち、(ほとんどが、英語の専門家達)の著作を読んだのだが、その中のどれかにこんなことが書かれていた。

それは、日本に長いこと住んでいる欧米人が久々に生まれ故郷に帰ると、決って「あなた随分変わったね。何となく丸くなっておとなしくなって、まるで日本人みたい。」と言われるそうだ。

恐らくこれは、日本語を覚えて、上達した日本語で会話をしていた結果生じた現象ではないか、と推測できるのだが、確かに Yes/No を明確にしなかったり、主語を省いたりする日本語の特性が大きく影響しているからだろう。

これを逆に見ると、英語という言語が上達していくと、次第に思考や対人姿勢なども欧米人のようになってきて、英語などに毒されていない日本人たちとは付き合いがギクシャクしてくることになりそうだ。

言葉は文化そのもので、その言葉、母国語をないがしろにすると、その文化は確実に滅びていくのは、東南アジアのかつて植民地だった国々を見ればよくわかる。

今、日本はそれに向かって舵を切っているわけだ。


日本語にない概念

2016年09月26日 | 趣味の世界
今日、廻ってきた調査報告書を読んでいると、「サージ電圧」という言葉があった。

電気関連の基礎知識はほとんど無い私でも、インターネットという文明の利器があるので、こういうときは慌てずにチャチャッと検索すれば、その意味は分かるし、英語でどういうかも簡単に調べられる。

[ surge ] という言葉は、辞書で調べると次のような解説がある。

【自動】
波となって打ち寄せる、波打つ、沸き上がる、揺らぐ
急上昇する、急騰する、急増する、急伸する、大きく勢力を伸ばす◆【類】swell ; grow rapidly、殺到する文例文例
【他動】
~を波立たせる
【名】
急に高まること、急上昇、急増、急騰文例
電圧変化、電圧の急激な変化、サージ電圧、サージ電流文例
躍進、活性化
沸騰、殺到
感情の高まり、動揺、怒とう
大波、うねり、高潮、波動
〔兵力の〕増派

つまり、「サージ電圧」とは、急に高電圧がかかることで、分かりやすい例が雷である。

「雷サージ」という言葉も定着しているようで、そのための安全器具もあるようだ。

  雷サージプロテクター

電気に限らず、想定外の大きな何かがワッと襲ってくる、という概念が「サージ」であって、インフルエンザとか伝染病とかで、突然大量の患者が病院に押し寄せてくることを、「医療サージ」などと呼ぶそうだ。

この概念を一言で表す日本語は見当たらない。翻訳語も無いので、「サージ」とカタカナのまま、サージ電流、サージ電圧、雷サージなどと言い表しているわけだ。

明治初期にはこういうそれまで日本にはなかった概念が西欧からワンサカ押し寄せてきた。それこそ外来語サージということが出来るほどだった。

当時の学者や知識人たちは、次から次へと翻訳していった。いわゆる、和製漢語という言葉だ。

もう、例を挙げればきりが無い。

運動 人民 社会 物質 文明 質量 計画 哲学 銀行 主観 客観 危機 化学
元素 分子 共和国 理論 前提 環境 進歩 鉛筆 印象 侵略 引力 信用 など

無数にある。

日本にいけば最先端の技術や知識が得られるといって、アジアの国々から留学生がやってきて、こういう言葉を持ち帰ったそうで、よく言われるのが「中華人民共和国」のなかで、支那オリジナルの言葉は、「中華」だけだというお笑いネタだ。

最近は、こういう翻訳語が追いつかないのか、横着になったのか、外来語をそのままカタカナで表すことが定着してしまった感があり残念だ。

サージという言葉もそうだが、IT関連ではほとんどがカタカナのまま垂れ流されてきたようだ。

「アプリ」などという言葉は、小学生でも使う言葉だが、その意味は?と聞かれると説明に窮するだろう。application アプリケーションのことなのだが、意味は?

明治の頃の翻訳家が今の状況を見たら、嘆かわしく思うのだろうが、今の日本人には当時の知識人たちの気概や誇りは無いのかもしれない。



若者よ、英語など恐れるな。

2016年09月25日 | 社会観察
今朝のテレビ番組の宣伝新聞広告だったか、最近の新入社員の意識調査の結果を見ると、確か6割以上が、「海外で働きたいとは思わない」と答えているそうだ。

産業能率大学で行った調査結果だったので、あらためてネットで検索してみたら、その調査結果の詳細をみる事ができた。18歳~26歳の若者にインターネットを通じて調査した結果で、有効回答数は831人(男女4:6)だったそうだ。

    63.7% 過去最高

「新入社員のグローバル意識調査」というもので、すでに6回目になる調査だそうで、リーマンショック以降の若者達の意識の変化が読み取れて、興味深い。

赴任先によっては、海外でもいい、という意識も少しあるようだが、約64%の若者が海外では働きたくはないという意識を持ち、この傾向は上がり続けていることが分かる。

    明確な上昇傾向




他の設問から分かることは、まだ他にもあり、以下の分析結果が併記されていた。

『海外で働きたいとは思わない層が増加している一方で、新入社員の73.4%が「日本企業はグローバル化を推進すべきだ」と考えており、71.6%が「すでに語学を学んでいる(これから学びたい)」と回答している・・・

・・・語学に対する不安が海外赴任に積極的になれない一つの大きな要因となっているが、日本企業のグローバル化の必要性を認識し、語学への不安を払拭したいとする意向も今回の調査で見えてきた』ようだ。

新聞記事には、『力づくでも海外を体験させて、「苦手意識」を追放させようという企業の姿勢がこれまでにはなく高まっている。』と結んでいたが、その「苦手意識」がすべて英語という言葉からくるものなのかは、大きな疑問を感じた。

どうも今の世の中、
・グローバル・グローバルだから英語は絶対必要だ。
・英語教育がなってないから、話せない。もっと会話中心の教育に変えるべきだ。
・しかも、もっと早いうちから英語学習を始めなければ効果は無い。

このような、極めてありきたりのステレオタイプな論理が大手を振ってまかり通っているようで、それに伴って舵をきったこの国は、絶対に間違った判断をしていると思わざるを得ない。

昨今の野党代表の二重国籍疑惑については、多くのマスコミや評論家達が「日本人であることがそれほど重要なのか・・?」などという論陣を張って、火消しに必死のようだが、こういう連中は何か別の下心があって世論操作をしているのだろう。

狭い井戸に住み続けていると、国家感というものは無関心になる。一度日本を離れて見るべきだ。出来れば人格が形成されはじめる十代後半から三十代前半がいい時期だ。



観光ツアーで行くもいいが、是非一人旅をお勧めする。日本の赤い表紙のパスポートのありがたみを実感して欲しい。この地球上にはれっきとした国家が存在していることを肌で感じて欲しい。

自分が生まれた国のことについて無知でありすぎることを身を持って実感してみるべきだ。また、自分が生まれ育った国は、まんざら悪い国ではなさそうだぞ、と悟って、さらに勉強して、咀嚼して、実感して欲しい。

私は言語学者ではないが、英語など下等言語だと思っている。自分の母国語と比較すると、もう足元にも及ばないいい加減な言語だと思っている。自分の脳味噌を駆け巡る母国語にはとても敵わぬ言葉に四苦八苦して泣き言など言わないで欲しいのだ。

正直、怖いです。自動運転車。

2016年09月24日 | 社会観察
今朝の新聞に、自動運転タクシーの社会実験をシンガポールで実施する、という小さな記事が出ていた。

アメリカのベンチャー企業のヌートミー社が、2ヶ月間シンガポールの一画で行う実験で、不測の事態に備えて、ヌートミー社の技術者が同情するのだそうだ。タクシーといっても、実験なので無料で、利用者はスマホで配車するのだそうだ。

  ヌートミー社の車

シンガポールのタクシーには、実に嫌な思い出があるので、この新聞記事を読んだとき、シンガポールなら導入の価値はあるだろうなあ、と思った。

というのは、あそこのタクシーは午後のある時間帯になると、平気で乗車拒否をすることで悪名高いからだ。

私も何度か酷い目に遭った。オフィスのあったビルは、片側2車線の広い通りで交通量は多いほうだった。そしてタクシーの往来も多い方、で通常タクシー乗降エリアで待っていれば簡単にタクシーは拾えた。

しかし、午後の早い時間帯だったと思うが、タクシー運転手たちのシフトの切り替わる時間帯になると、俄然乗車拒否するタクシーが多くなる。スーッとタクシーが近づいてきて、窓を開け、客の行先を聞く。

どこどこまで、と言ってそこが運転手の自宅の方角ならOKとなるが、そうでないと首を横に振って乗車拒否をするのだ。私はこの悪習慣のために、カミさんがシンガポールにやって来たとき、飛行場に迎えに行くのにタクシーがなかなか拾えず、空港に遅刻してしまったことがあった。あの時は確か5~6台に乗車拒否をされたと思う。

この悪習慣はシンガポールに駐在する外国人達には有名であった。ある時、夕方のテレビの番組で、シンガポールに赴任したばかりの白人ビジネスマンが、カンカンになって不満を言っているのを見たことがあった。

この自動運転実験が成功して、あの街で次々にこのタクシーが普及していけば、タクシードライバーたちは失業するだろうから、いい気味だと思うのは、決して私だけではないだろうと思う。

ただ、この自動運転車の普及はシンガポールだけに留めて欲しい。私は自動運転の意義がいまだによく理解できないし、なぜそんなに開発を急ぐのか全く分からない。

仕事上、最先端の技術の集中した自動車でも次々に故障が起きていることを毎日目の当たりにしている。もちろんすべてが事故につながる故障ではないが、電子部品の不具合に起因する故障は決して少なくない。

自動車メーカーは部品メーカーに不良品ゼロを要求しているそうで、半導体メーカーなどは、生産ラインにはなるべく人の手をかけないように、改善に改善を重ねている。

電子顕微鏡でしかその実態が分からないような、目に見えないホコリが原因で突然不具合が発生することは数百万個に1個の割合でも起こりうるのである。

今や、自動車は世界で年間9000万台以上が生産されている。

運転手が足と手と頭を使って運転していても死亡事故は防げないことは、誰も否定することはできないだろう。人工知能などというが、私はそんなものは信頼する気になれない。

かと言って、原発反対などと喚く連中のように、単に危険だから止めろなどと主張するつもりはまったくない。科学技術というものは、止めようとしても止まるものではないと思っている。

私は、ただそんなに急ぐ必要性が、一体どこにあるのだろうかと疑問に感ずるだけである。

日本の自動車メーカーのテレビCMでも、ロック歌手がハンドルから両手を離して、「やっちゃえ!」などと言ってるが、私には彼の表情はかなり恐怖でビビッて射るようにしか見えないのである。

  結構ビビるぜ・・


平気で嘘をつく女

2016年09月24日 | 政治ネタ
歯をむき出してつくり笑いをしてみても、多くの国民は「この嘘つき女が!」と思ってみているのではないだろうか。



昨日、9月23日に台湾当局から台湾籍の離脱手続きが9月13日付で完了したとの書面が届いたと、あらためて報告させていただく・・・と表明したそうだ。「どうだ、これで文句はなかろう。」と言わんばかりだ。

台湾のパスポートは、9月6日に除籍の申請をする際に台湾当局に提出したのだそうだ。

ということは、それまで台湾のパスポートは手元にあったわけだ。

初めから台湾のパスポートを所持していながら、「台湾籍は抜いた。二重国籍ではない。」と嘘をつきまくっていたことがはっきりした。

今は変わったかもしれないが、パスポートを更新したり、新規に取得したりするときは、古いパスポートには確か小さな穴でVOIDという字の形が明けられる。VOIDとは「無効」という意味だ。私も何冊かそういう無効になったパスポートがあり、どこかの引き出しに入っているはずだ。

平気で嘘をつく代表、それに最高顧問にあの「スッカラ菅」を選ぶような政党は、恐らくこの先半年持てばいいほうだと思うが、それにしてもこういう女を選ぼうとする党員・サポーター・地方議員が多いというのは、私にはまったく理解できないのである。

  まだ、いたのか・・

嘉義神社跡 と 「射日塔」

2016年09月23日 | 旅行
日本統治時代に嘉義市内にあった「嘉義神社」は、今「嘉義公園」になっている。

日本の敗戦と同時に、蒋介石の中国国民党が大陸から台湾に逃げてきて以降、彼らは日本の統治の痕跡をことごとく無くそうとした。

神社本殿は無くなり、鳥居は何やら支那式の門に立て替えられているが、石段や灯篭、狛犬、手水舎などは残っていて、当時の面影を感じさせてくれた。

  参道には石灯籠が


  手水舎は残されていた

台湾では野球のことを棒球という。

そして、嘉義市立棒球場のすぐ横に嘉義公園がある。公園内に高くそびえ立つ円筒の建物は、「射日塔」と呼ばれる嘉義市のランドマークである。

  射日塔は高さ62m

射日塔とは、台湾原住民のタイヤル族に伝わる伝説が由来となっているそうだ。文字通り、お日様を弓矢で射るというお話からきている。

昔々、太陽が何日も何日も出ていると暑くて暑くて、農作物は枯れて死ん出しまうほどだった。人々は暑さを大変不便に感じていた。

  原住民・タイヤル族

やがて、太陽が山に沈むと、今度は真っ暗な夜が延々と続き、何も見えなくなる。人々は何かいい方法は無いだろうかと思案した。

みんなでうまい解決方法はないものかと話し合った結果、太陽が出たときに半分に分けたらどうだろうかという結論に至ったのだった。

岩の陰から弓を引き、太陽を射ると、それ以後は昼と夜に分かれて、みんなは楽に暮らしていけるようになったそうだ。

この話を基にしたオブジェが射日塔に飾られていた。

  太陽を射るオブジェ

入場料50元を払って、エレベーターで10階まで上がると、そこはギャラリーになっていたが、階段を上がるとカフェがあり、ぐるりと嘉義市内を展望できる。

さらに屋上まで上がると、花壇があって地元のデートスポットになっているようだった。

すぐ隣の嘉義市営球場もよく見えた。

  嘉義市立棒球場

帰りに、野球場入り口付近を散歩したら、やっぱり、嘉義農林学校の活躍のことが書かれたモニュメントがあった。KANOの活躍で、嘉義市は一躍台湾のみならず、日本の注目を浴びることになった・・というようなことが書かれていた。


実は実話の嘉義農林

2016年09月22日 | 旅行
今回も台北駅から長距離バスで嘉義市に向かった。ノンストップで約3時間かかる。

新幹線を利用すれば1時間ちょっとで着くのだが、前回帰りに利用したので、もう十分だった。日本の新幹線と何ら変わりはない。旅行気分を全く味わえなくて、少しがっかりしたからだった。

二度目の嘉義市訪問の目的は、何といっても映画「KANO」の地元を体感したかったからだ。

いわゆる「スポーツ根性もの」は、あまり興味がなかったのだが、この映画は80年以上前に実際にあった話を題材にしているため、荒唐無稽さがまったくない。

 当時の選手たち

当時の嘉義農林学校は、現在嘉義大学になって今でもちゃんと存在している。校舎も何箇所かにあるようだが、今回そこへは行く時間はなかった。

台北に帰るのもバスを利用する計画だったので、午後4時頃にはバスに乗りたかったからだ。しかし、ひのきビレッジのKANO故事館や、市内の噴水公園で十分KANOを味わってきた。

  
映画の中で、近藤監督が自宅の書斎で、毛筆で「甲子園」と書くシーン


そして、ひのきビレッジのKANO故事館の和室に飾られた「甲子園」の書


映画の冒頭、近藤兵太郎が風呂桶を持って登場し、嘉農の野球部選手と対面するシーン。このときの風呂桶が、KANO故事館の玄関にさりげなく置かれていたのが印象的で、心憎い演出だった。(同じ風呂桶かどうかは知らないが・・)

 
嘉農のエースで四番、チームの主将だった「怪腕」呉明捷投手

呉投手の銅像が、嘉義市内の噴水ロータリー中央にある。このロータリーは映画の中では建設中で、そのシーンが何度か登場する。




「甲子園!甲子園!」という掛け声で市内をランニングする野球部員


台湾の地区大会で優勝して甲子園行きが決った!


そして、この噴水ロータリーは現在こうなった。

 呉明捷投手の銅像

ロータリーの近くには若者対象のショップや食べ物やが多い。



嘉義公園から嘉義駅に向かう道路の途中にあるロータリーなので、迷うことはないのだが、今回は嘉義公園の前でタクシーを拾って、「噴水公園」と書いた紙を運転手に見せたら、一発で分かってくれた。

高齢の運転手さんは、右手でカメラを持つ格好をして、「写真を撮るのか?」と言っていた、、ようだった。私は、「そうです。」と返事をした。

そして、5分ほど走ってロータリーに着いた。降り際に運転手さんは、「ニホンジン?」と聞いてきた。「そうです。」と返事をすると、運転手さんは嬉しそうにニコニコして盛んに頷いていた。

広大な嘉南平野を穀倉地帯に変えた、八田與一という台湾の教科書にも載っている偉大な日本人土木技術者のおかげで、日本人の印象は嘉義ではとてもいいようだ。

天下の嘉農(KANO)

2016年09月21日 | 旅行


KANOとは嘉義農林野球部のユニフォームに描かれた校名「嘉農」のロゴである。去年の5月に台湾旅行をした際に、DVDショップに立ち寄って、何となく手に取り買ってきた映画DVDだった。3時間近い大作だったが、飽きさせることなく最後までワクワクしながら観終えた。

監督の近藤兵太郎を演じた、永瀬正敏の渋い演技がいい味を出している。

 

高校野球は、正直言ってあまり好きではなかったが、この話が単なる作り話ではなく、実際に85年前に起きた実話だと知って、関心が倍増した。

それまで公式戦では勝ったことがなかった嘉義農林学校野球部に近藤監督がやってきたところから話は始まる。そのスパルタ式指導で選手たちには、甲子園への夢が次第に芽生えていき、見事台湾代表となるのだった。

そして、甲子園でも予想に反して勝ち進み、見事準優勝することになったのだった。

映画には、台湾人に最も有名な日本人「八田與一」も登場する。彼が完成させた烏山頭(うさんとう)ダムへは6月に行き、八田與一の墓参りも済ませてきたばかりだった。

今回の旅行の目的の一つは、KANO故事館を訪れることだった。嘉義市内にできた「ひのきビレッジ」の一角に映画に登場する近藤監督の自宅を再現した「KANO故事館」があるとネットで下調べしておいた。

  
檜意森活村 Hinoki Village (ひのきビレッジ)

昔は材木の集積場として有名だった地域にできた、テーマパークで、様々な催しで賑わっていた。その中の一角に「KANO故事館」らしき家があった。

 派手な看板はない

玄関に何か書かれていたが、よく意味が分からなかったので、とりあえず中に入ってみた。玄関に脱いであった靴の数から見ると、ざっと20人ほどが中にいるようだった。

  玄関に置かれた風呂桶

玄関の壁際に置かれた古びたタンスの上に、無造作に風呂桶が置かれていた。

映画を観た人ならすぐに気付くだろう。冒頭、近藤監督が登場する場面で、人とぶつかった近藤監督が持っていた風呂桶を地面に落とし、桶が壊れてしまうシーンがあった。その場面を髣髴とさせる風呂桶である。

 
居間にはちゃぶ台があり、壁には昭和天皇皇后のご真影が飾られていた。居間の写真を撮っていたら、若くて背の高い女性が近づいてきて、「あのう、ここはレストランです。」と、たどたどしい日本語で話しかけてきた。

「ええっ?そうなんですか?!」と驚く私に、メニューを差し出して、「このラーメンがオイシイです。」と勧めるのだった。丁度昼時だったし、なかなかきれいなお嬢さんだったので、「じゃあ、それを一つお願いします。あのちゃぶ台で食べるんですね?」と私。

居間にいた人たちは、よく見ると食事を終えた人たちだった。奥の部屋にも食事中の家族連れが何組かいた。

 豚骨ラーメン


やがて日式ラーメンが運ばれてきた。冷たいウーロン茶とチーズケーキが添えられていた。大きなオクラが一本丸ごと入っている豚骨ラーメンはなかなかおいしかった。

それよりも増しておいしかったのは、デザートのチーズケーキであった。このチーズケーキは本格派で、これまで食べたチーズケーキの中で最もおいしいものであったと思う。

食後、許可を得て奥の部屋を見て廻った。そこには映画の中でもあった、近藤監督が正座して筆でしたためた書がいくつか飾られていた。

 一球入魂


  甲子園


同じようにラーメンをすすっていたお客さんたちも、みんなKANOのファンらしく、私が次々にシャッターを切るのをニコニコしながら見ていた。

 KANOのユニフォーム

映画のラストシーンは秀逸であった。

甲子園では優勝を逃した野球部員たちが台湾に帰る船上にいた。そこで、選手の声が、「帰ったら大勢で出迎えてくれっるのか・・・、がっかりした人たちを見るのか、どっちでしょうね?」と問いかける。

すると、近藤監督の声がこう答えるのだった。

「きっと、見渡す限り風邪にたなびく黄金の稲穂が迎えてくれるさ。」

ラストシーンの一言にも、八田與一の水利事業の栄光を掛けていたのが印象に残った。














今回も京劇「白蛇伝」鑑賞

2016年09月21日 | 旅行
京劇を初めて観たのは昨年の5月だった。

その時の演目も確か、白蛇伝「金山寺」だったと記憶する。今回も同じ「白蛇伝」だったが場面が少し違っていて、また役者も前とは違っていたので、飽きることはなかった。

観客も昨年より多くて、席は8割ほどが埋まっていた。そのうちの3割くらいは南朝鮮からの観光客のようで、台湾への支那人観光客が激減した分、日本人観光客と南朝鮮からの旅行客が増えた、という噂は本当なのかもしれない。




年に3度も京劇を観ると、演技を見る目も次第に肥えてきて、京劇特有の見えを切るときのタイミングやその目つきなどの上手い・下手が分かってきたような気がする。

今回、白蛇と青蛇を演じた女優二人は、殺陣は上手だったが、随所に見せる見えを切る仕草は、何か物足らなくて残念であった。



その点、男優は激しい殺陣といい、見えの切り方といい抜群の出来だったと思う。槍や旗を振り回す殺陣は、他の演者との絡みが難しそうだが、今回も迫力満点であった。



フィナーレはいつも全員勢ぞろいで挨拶をする。約1時間の京劇は、日本円で約1,700円。

日本の歌舞伎もこのくらいで観ることができればと思うが、もう我々には手の届かない、庶民の娯楽とはとても呼べない芸術になってしまったようだ。

非常に残念である。

グローバル感覚を味わう

2016年09月20日 | 旅行
最近は下火になってきたようだが、ひところの「国際的」「インターナショナル」という言葉に取って代わって、「グローバル」という言葉が大流行だった。

会社の説明や部署名に「グローバル」と付ければ、何となく世界中で手広く商売をしているような錯覚を与える効果があると思うのか、「グローバル戦略」とか、「グローバル展開」とか、よくもまあ恥ずかしげもなく口にするものだと思っていた。

そういう人に限って、global ってそもそもどういう意味なんですか?と聞くと、「さあ・・・」とか言うに決っている。

globe とはそもそも「球体」という意味で、地球を意味する単語だ。その形容詞が、global で、[「球状の」とか「地球規模の」といった意味になるわけだ。

グローバリズムといえば、国境や人種などわずらわしくて、「人・物・金・情報」を自由にやり取りして金儲けを企む主義のことを言う様で、国や民族の伝統文化や独自性などどうでもいいと考え、金儲けにとって邪魔だと考える連中を、グローバリストなどと呼ぶそうだ。


今回の私の台湾旅行は、意識が少しグローバル(地球的)だったと思う。これまでになく、丸い地球を意識する旅だった。なぜなら、嘉義市の郊外を通る北回帰線まで南下したからだった。

 嘉義市郊外を横切る

回帰線と聞くと、分かっているようで実はうまく説明できない人が多いのではないだろうか。世界地図や地球儀を見ると、赤道を挟んで南北に北回帰線と南回帰線が描かれている。

「回帰線」は英語で、tropic という。語源はギリシャ語で「帰る」という意味の、【tropos】という言葉からきているという。北回帰線から南に降りていくと赤道があり、さらに南下すると南回帰線がある。この間、赤道を挟んで南北にそれぞれ大体23度27分の間を熱帯(トロピカル)と呼ぶわけだ。

  北回帰線標塔、北緯は?

地球の軸は23度ほど傾いている。傾いたまま太陽の周りを公転すると、夏至、秋分の日、冬至、春分の日で太陽が真上から照らす位置が変わってくる。

北回帰線上で夏至の日(6月21日ころ)のお昼に外に出て自分の影を見ると、太陽が頭の真上から照らすため、足元に小さく影が見えるだけだそうだ。

冬至の日に南回帰線上では同じことになる。そして、春分の日、秋分の日は赤道上で同じ現象を見ることができるわけだ。

  
中学校で習ったような気もするが・・、夏至の日には頭の真上に太陽が。


嘉義市からはバスで10分ほどで北回帰線・太陽館まで行けるようだが、バスの本数はそう多くないようだったので、私はタクシーを利用した。日本円で470円ほどだった。

 初代から第5代標塔

第6代標塔は、「太陽館」という大きな建物になり、中には太陽に関する展示が様々あって、子供連れの家族で賑わっていた。



そして、ここを訪れる観光客はほとんどみんな、温帯と熱帯にまたがって記念写真を撮っていた。国境や県境などでも観光客はよくまたがって写真におさまりたがるものだ。



私は、20歳のときパプア・ニューギニアに行ったことがあるので、赤道を船が通過する時間を当てるトトカルチョを船長主催でやったのを記憶している。したがって、熱帯だからといって特別興奮することはなかったが、夏至の日の昼に自分の影がなくなるというのは、一度見てみたいものだと思った。

地軸が傾き、太陽の周りを公転しているイメージ。なんともグローバルではないか。

もしかしたら、来年の6月21日ころ、再訪するかも・・・。





ぶらり淡水河畔

2016年09月20日 | 旅行
台北駅で若者二人の親切な道案内を受け、もう初日から台湾の好感度はMAX状態だった。

台風の影響で天気は悪いだろうと予想していたのだが、何と9/16 金曜日の台北は晴天だった。淡水はもう何度も訪れているが、まだ対岸の八里(バーリ)には渡ったことがなかったので、今回は渡し舟でいってみる事にした。

 10分ほどで八里に着く

乗客の大半は、台湾の方だったが、支那人のようにギャアギャア騒がないので、嫌な思いをせずに済む。対岸に着くと観光客の多さに圧倒された。

 いろんな出店が連なる

淡水は、夕陽がきれいな場所として有名で、夕暮れ時になるとあちこちで若いカップル達がデートを楽しむ光景が見られるデートスポットである。

この日は気温が30度近くあったろう。それでも肩を寄せ合っていちゃいちゃ歩くアベックがいて、見ているだけで汗が噴出すほどだった。

  木陰には人だかり


せっかくだから、名物のソフトクリームを買ってみた。高さは25cm位あるだろう。

 味はさておき・・・

台湾は漢字の国なので、よく見れば何となく意味が理解できるのがありがたい。看板を見て、一体何の意味なのか考えるのも一興である。


 蚵仔煎=カキ入りオムレツ 


淡水の名物といえば、『鐵蛋』がある。鉄たまごという意味で、色は真っ黒だが、これがなかなかおいしくて後を引く。煮たまごを干して作るのだそうだが、値段も手頃でビールのつまみにも最適なお土産になる。

 ぺロッと食べちゃう鉄蛋

ひっきりなしに水分補給をしないと、簡単に熱中症にかかってしまいそうな日だった。淡水はやはり、夕暮れ時がいいかもしれない。

晴天の淡水は中高年にはすこしきつかった。