孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

変だ、と思うか思わないか・・。

2015年08月17日 | 日記
「永遠のゼロ」の作家、百田尚樹氏は、何かとその単刀直入な言動で世間を騒がすことがあるが、私は彼につよい共感を覚える。

その彼が、終戦の日の対談番組で、広島平和祈念公園の石碑に刻まれた言葉について、私が以前から感じていたことと同じ事を語っていた。



要するに、主語が曖昧でおかしな文だ、ということだった。続けて百田氏は、「あの石碑の文は、リトマス試験紙だ。」と言っていた。



つまり、戦後の自虐教育に洗脳されてしまうと、あの石碑の文を読んでも、特に矛盾は感じなくて、あれを読んで妙な文章だと感ずるようなら、自虐史観、「東京裁判史観」に洗脳はされていないだろう、という意味である。

毎年、毎年同じような「平和宣言」を広島と長崎から読み上げて、平和を祈る人達は快感に浸るわけだが、それをほくそ笑んで眺めている野心国家が近くに存在することを忘れてはならない。

それより何より、「・・・だから、憎め」ということではなく、落とさなくてもいい異なる二種類の原爆を、威力を確認し誇示する目的で、非戦闘員に向けて落とし、数十万人を一瞬にして虐殺したのは、どこの誰だと明確に知っておくことは大切なことだ。

そこから出発して、何故こんなことになったのか遡りながら、歴史を勉強し直し、せめて江戸時代末期までは流れを押さえておきたいものだ。

ただ、戦争は悲惨だ、殺し合いはよくない、戦争にいい戦争も悪い戦争も無い、平和が一番だ、などなど、型通りの平和教育をするよりも、事実に基き歴史を見て、自分の脳味噌で考えながら歴史を学ぶことの方が有意義であることは間違いない。

以前世紀が新しくなるとき、アメリカのジャーナリストに「20世紀で一番印象ふかかった出来事は何か」というアンケートをとったことがあった。一意は、アポロの月着陸を抑えて、「広島・長崎の原爆投下」であった。その心は、「過ちを繰り返しませぬから・・・」などという「お花畑風」な意味ではないだろう。



広島に落とした原子爆弾は「リトルボーイ」と呼ばれ、それを投下した爆撃機は「エノラゲイ」といい、作戦終了後大切に油紙に包んで「保存」された。そして、戦後すぐに
スミソニアン博物館の所有となった。



当初歴史的な背景や、原爆の被害状況なども合わせてエノラゲイを展示しようとしたのだが、アメリカの退役軍人団体から猛烈な反対があり、大騒ぎとなった。艦長は、何とその責任を取って辞任する羽目になった。

今では、スミソニアン博物館の別館に爆撃機のみ、厳重な監視の下展示されているという。

私は、だからアメリカを恨め、憎めなどと言うつもりは毛頭ない。それではどこかの国の女酋長と変わりがない。

例えば、日本はハワイの真珠湾を不意打ちしたと言われているが、実はルーズベルト大統領は日本が奇襲攻撃してくることを知っていた。それどころか、そうなるように仕向けて、それを待っていたとしたら、どうだろう。

例えば、アメリカのルーズベルト大統領の周りにはソ連共産党のスパイがたくさん重要なポストで仕事をしていたとしたら、どうだろう。

アメリカは期限が着たら極秘文書でも公開される。インターネットでそういう文書が確認でき、新事実が明るみになる。歴史を教える側は、かなり勉強していかないととても追いついていけないのである。

戦争体験者に経験を語らせ、それを生徒に聞かせるのもいいが、それでは現代の情報戦は戦えない。捏造を暴き、事実を積み重ねながら反論していく知的作業は根気が要る。幸い、今の時代は学校の社会科の先生や教科書だけが情報の拠り所ではない。

真実を探求しようとする気力さえあればいいことだ。