孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

初孫なっちゃん、X'mas ブーツで大笑い

2016年12月21日 | 孫ネタ
私はキリスト教徒でもない日本人が、クリスマスだといってワァーワァーはしゃぐのを見るのはあまり好きではないが、だからといって一方的に非難するほどのことでもないと思っている。「困ったもんだ・・・」と感ずるレベルである。

今年は週末三連休となり、俄かクリスチャンが大はしゃぎできる様子だ。

我家にも初孫なっちゃん一家が、自製のケーキ持参で土曜日に来ることになっているようだ。血糖値が気になるので、正直言ってありがた迷惑なのだが、かといって無下に断ることもできないので、そこがつらい。

去年の今頃もなっちゃんたちが来て、その時撮った動画が面白くて、時々観ては一人で大笑いしている。

カミさんが買っておいた、紙製のブーツにお菓子が詰まったクリスマス用の詰め合わせ菓子をあけた時の動画だ。

 中身を出して

いろいろな種類のお菓子が、中に一杯詰まっているので、なっちゃんはすべて炬燵の上に出してみるのだった。


 はいてみようっと、

空っぽになったことを確認したなっちゃんがとった行動は、そのブーツを履いてみることだった。

 歩けない・・

つま先の部分まで足が入らないので、変な格好になります。それでも、歩こうとして結局ドスンと尻餅をついてしまうなっちゃん。

それを観ていた私たちは、みんなで大笑いをしたのでした。

その時、言ったママの一言・・・

「やっぱり、やるよネェ・・みんな(笑)」


私の場合も、確かに母が買ってくれたのですが、大きさはもっと小さかったと思います。足を入れることは無理だったので、空にしてから右手を突っ込んでみたのを覚えています。

幼稚園から英語って・・・

2016年07月10日 | 孫ネタ
久しぶりに初孫なっちゃんがやってきた。

相変わらずオモチャが詰まったバッグを背負ってやってきたが、その中身はいろんなゲームと共に、間違い探しの本や、カタカナの練習長などバッグはかなり膨らんでいた。

今日はガソリンを満タンにしてから、喫茶店に行って読書でもするつもりだったが、早朝にカミさんが、一言「今日なっちゃんとカナちゃんを見てて欲しいと電話があった。8時半に連れて来るって・・。」と言ってきた。

短い一言であったが、これは後に、「・・・だから、家にいて一緒に孫の面倒を見てくれよ。どこにも出掛けないでくれよ。」という主旨が省略されているのだった。

久しぶりのなっちゃんは、何だか照れくさそうに入ってきて、挨拶もそこそこにまちがい探しの本を取り出して、「おばあちゃん、これやろう。」と誘ってまちがいを探し始めた。

私は、朝刊を取ってそっと部屋に戻り、新聞に目を通すことにした。

暫くして、階下から「おじいちゃん!オセロしよう!!」と声がした。これは、カミさんに『おじいちゃんを呼べ』とそそのかされたに決っている。

私は、返事をして階下に下り、なっちゃんとオセロをした。私の大勝に不満げななっちゃんは、「今度は折り紙にする?」と言って、バッグから折り紙入りのケースを取り出してきた。新作折り紙の教則本も入っていて、私は初めて目にする作品の折り方が色々載っていた。



「かえる」とか、「人の顔」とかいくつかを一緒に折ってから、今度は折り紙の裏側にひらがなの練習をするといって、『あいうえお・・』と書き始めた。

去年だったか、5歳になったから何か習い事でもと言って、幼稚園の帰りに「公文の教室」のお試し教室に行ったそうだ。

試しにひらがなのプリントを渡されて、間違えたところを赤鉛筆で添削するという流れを説明しようとした教室の担当者が、教室に入ってから出るまでの20分くらいの間、のべつまくなし喋り続けるなっちゃんと、ひらがなをすべて自分で書いて見せた出来栄えをみて、「なっちゃんには教えることがないわネエ。」と笑いながら呟いた、とお母さんが教えてくれた。



午後になってかなり暑くなってきたので、私はなっちゃんを連れて近くのスーパーマーケットまでアイスを買いに出かけた。

なっちゃんは、私の車がマニュアルシフトなのに興味があって、シフトレバーを指差し「この「R」は何?」と聞いてきた。

「ほう、R(アール)が読めるのか・・・。」と感心しながら、「それはバックするときそこにレバーをセットするんだよ。だからバックのことだよ。」と教えた。

すると、なっちゃんは、「バックじゃないよ、バァーックだよ。」と言うではないか。
なっちゃんのその言い方に私は驚いて、どこでそれを習ったのか、誰が教えてくれたのかすかさず聞いてみた。
バァーック
「ケビンさんだよ。みんなでダンスしながら、バァーック、バァーックって言ってた。」どうも、幼稚園に時々やってきて英語を教えているケビンという名の外国人がいるようだ。

世間は幼児英語教育が益々過熱気味で、店先に置かれた就活のフリーペーパーをパラパラめくると、子供向け英語教室の管理担当者の募集がいくつも出ている。条件の欄に、「英語の知識や資格は問いません」などと書かれている。

英語教育の低年齢化は文部科学省の犯した世紀の愚策であると思う。

子を持つ親は、幼稚園から帰ってきた我が子が、「バァーック!」などと言えば、「おう!外人みたいだ!」と言って感動するのかもしれない。英語にコンプレックスの強い親ほどその傾向がある。

しかし、子供のときに力を注ぐべきはまず、母国語である。英訳にしろ和訳にしろやってみればよく分かるが、その訳文の良し悪しは、日本語の感性に係ってくるのである。

なっちゃんは、今のところ英語教室などには通っていないようだが、この先は親私大だと思う。孫の教育に口を挟むつもりは毛頭ないが、これは孫だけでなく国柄に関わる大切な問題であると私は危惧している。

なっちゃんたちは、おばあちゃんが用意した、スイカだとか野菜などいろいろなお土産を車に積んで、元気に「またねぇ~、バイバイと帰っていった。

いつものように、私とカミさんは「ふぅ~~っ」とため息をつくのであった。

ああっ!おじいちゃん!くつ!!(怒)

2016年05月26日 | 孫ネタ
さほど混みあっていなければ、孫のなっちゃんの大好きな「こども館」へ行くのは悪くはないものだ。

そこで、今月の連休の時、晴天でみんな家族でどこかへドライブに行くだろうから、きっと「こども館」はガラガラだろうなあ、と思ってなっちゃんと出かけた。ところが、中はすごい混み具合で、入場制限がかけられていて、何と1時間待ちだと係りのオバサンが済まなそうに教えてくれた。

近くの公園に行くとミニチュア電車が走っているよ、と勧めてくれたのでそちらに行って時間を潰したのだが、なっちゃんは電車よりブランコに夢中だった。

 エアートランポリン

再び「こども館」に戻ったが、相変わらず混み合っていて、中には市外からはるばるやってきた親子もたくさんいたほどだった。

トランポリンやボルダリングで、2時間たっぷり遊んでから、手を洗って、自販機でジュースを買って家路に着いた。

 ボルダリングはいい運動になる


家に着くと、私は喉がカラカラだったので、急いで家の中に飛び込んだ。すると後から来たなっちゃんが、「ああっ!!おじいちゃんっ!!靴っ!!!」と、私の脱いだ靴を見て怒ったように叫んだ。確かに、私の脱いだ靴は右と左が離れ離れに転がっていて、孫の手前これはまずかった。

「ごめん、ごめん」と言って、靴を拾い、かかとを上り框の方に揃えて置いた。

こういうところは、幼稚園で徹底的に教えられているようで、5歳の孫に育ちの悪さを指摘されて、私は忸怩たる思いで居間に入ったのだった。

そういえば、なっちゃんの靴はいつもきれいに揃って脱いであったが、あれは後でうちのカミさんが揃えたんじゃなくて、なっちゃんが自分で脱いだんだと、あらためて孫の行儀のよさに感心させられた。

欧米では玄関で靴を脱ぐ習慣がないので、こういう日本人らしい行儀よさ、日本的な所作は、是非大人になっても忘れないでいて欲しいものだと、切に願うのであった。


なっちゃんと子供館へ

2016年05月23日 | 孫ネタ
なっちゃんが週末に遊びに来た。

今、なっちゃんが凝っているのは「まちがい探し」で、同じように書かれた絵が左右、あるいは上下にふたつあるのだが、よく見ると5つとか7つくらい違っている部分があるのだ。

かなり集中して見比べないと、攻略できない。

なっちゃんが「まちがい探し」に熱中している間に、私は家庭菜園の玉ねぎをすべて収穫しておいた。

およそ50個くらいの玉ねぎを収穫し終えて家に入ろうとしたら、なっちゃんが出てきて鉢合わせた。

「おじいちゃん、子供館に連れてって。」となっちゃんが言う。

明らかに、カミさんにそう言えば、きっと連れてってくれるよ、とけしかけられたのだろうと直感したが、カミさんは妹のカナちゃんの子守をしなければならないので、私は一休みしたかったのだが、水分補給だけ済ませて、なっちゃんと子供館に向った。

クルマで20分も走れば着く所に市立図書館のはいったビルがあり、子供館は図書館のうえにある、200坪ほどの広さの子供専用の室内遊び場である。

市民なら、大人は100円で2時間遊ぶことができる。子供は無料である。



空気を使ったトランポリンや、磁石のついた釣竿で魚釣りをするところ、四角や丸のソファを組み合わせて積み木遊びのような遊びをするところ、壁に作った子供用ボルダリング、レゴのような様々な形のピースを組み合わせて、サッカーボールや宇宙船などを見本の写真を参考にしながらつくる知的玩具をするところ、砂場、などなど・・・。

4~10歳くらいの子供たちが跳ね回って遊べる施設で、フロアは段差が無く、床も柔らか素材を使ってあるので比較的安全な遊び場となっている。

何よりも、要所要所に女性の監視員が目を光らせていて、危険な行為をしそうな子供には、すかさず手をかしたり、声掛けして注意しているので、恐らく事故らしい事故はこれまで起きていないのではないかと思った。

2時間たっぷり遊んでから、名残惜しそうになっちゃんは帰り支度をした。靴を履いたら、「おじいちゃん、のどか湧いたからジュース買っていい?」ときた。

何度も来ている様で、好きなジュースがあるようだった。

それは、イチゴミルクで、自販機で買ってもなっちゃんは口にしない。どうしたの?と聞くと、車に乗ってから飲む、という。これもいつものルーティンらしい。

私は、エアー・トランポリンで撥ねた疲れが出てきて、なんだか腰とふくらはぎが重い感じがしていた。

孫の相手は、それなりに体力が必要で、まあ2時間が限度なのかもしれない。

ジュースを飲み終えたら、なっちゃんは、「おじいちゃん、途中でコンビニに寄ってこれを捨ててきて。」と空のアルミ缶を手渡してきた。

妹ができてから、なっちゃんはこういう世話を焼くような言動が多くなってきたのが、なんとも微笑ましい。

「初孫なっちゃん」のなぜなぜ

2016年04月16日 | 孫ネタ
久しぶりに初孫なっちゃんが一人でお泊りセットのバッグを背負ってやってきた。

今年から、幼稚園年長になったなっちゃんは、言葉が出るのが遅かった不安など嘘だったように、着くなりもう喋りっぱなしで、テンションが高かった。

どうやら、今、なっちゃんの「マイ・ブーム」は、「間違い探し」のようで、左右に書かれた絵の中で間違いを探し当てる小冊子を何冊か持ってきた。

 四葉のクローバ探し?

朝から一日中なっちゃんの相手をさせられては、体力が持たないと思い、私は散歩に行くと中座したが、どうもなっちゃんはおばあちゃんと公園に行くことを企んでいるようだった。

5歳の子供の発想は、時として大人を唸らせることがある。また、疑問を感じたらすぐに言葉に出して聞いてくるし、その質問への答えに大人が窮してしまうことは珍しくない。

カミさんは、なっちゃんのマシンガンのような質問にタジタジになることが多く、それは傍で見ていて結構楽しいものである。



「パパとママは明日何時頃お迎えに来てくれるかなあ・・。」と独り言を言った途端、なっちゃんが疑問を投げかけてきた。

「どうして、ママはおばあちゃんを『おかあさん』って呼ぶの?」

次男の嫁だから、お母さんって呼ぶんだよ、と答えてもなっちゃんは納得するわけがない。なっちゃんから見れば、カミさんは『おばあちゃん』であるが、なっちゃんのママから見れば、カミさんは『お母さん』であることだけなのに、5歳の子供を納得させる説明は、なかなか難しいものである。

カミさんの説明に予想通り納得行かない顔のなっちゃんだった。



鶴を折ることを覚えたなっちゃんは、折り紙で折鶴を作り、見せてくれた。折り紙という日本の遊びは、海外でも人気があり、正方形の紙が切ったり貼ったりすることなく、鶴になったり、風船になったりするのは、初めて見る人にとっては神業のような芸術に見えるものらしい。

私も滞米中ホームステイしたとき、いくつか折り紙を披露したところ、子供たちより親たちが異常な興味を示し、解体して構造を熱心に確認してから、「まるでマジックだな」と呟いたのを覚えている。



「おばあちゃん・・・」なっちゃんが台所で食器を洗うカミさんに話しかけてきた。

「昨日、わたしお風呂で197まで数えることが出来たよ。」と言ったなっちゃんに、カミさんは、「ふ~ん、すごいねえ!」とお愛想程度の受け答えをした途端、なっちゃんは、日頃感じていたのか鋭い質問を続けた。

「197の次はいくつまで続くの??おわりはいくつ?」

このスケールの大きい質問に、パッと答える大人はそういないだろう。

「無限大だよ、むげんだい。」とカミさんはぶっきら棒に答えていたが、なっちゃんの頭上には疑問符が無数に浮かんでいるように見えた。

「198、199、200、201、202・・・って数えるのを止めるまで、いつまでも続くんだよ。」と私が説明したところで、なっちゃんは「ふ~ん・・・そうなんだ・・・。」と今ひとつ納得がいかない様子だった。

この歳の子供たちは、屈託なく疑問をそのまま口にするので、見ていて面白い。大人になると、疑問に感じても相手のことを気遣ったり、羞恥心が邪魔したりして素直に聞けないことが多々ある。

酷いのは、知りもしないのに知ったかぶりをすることすらある。

聞くは一時の恥じ、聞かぬは末代の恥じ、という諺があるが、外国語の習得にもこの「分からないことは聞く」という姿勢が非常に大切である。

英語学習をする人が血眼になって点数を稼ごうとするテスト、TOEIC は制限時間内に多くの問題を解かなければならないので、「うん?」と思っても聞きなおすことなど出来ない。

しかし、実際話し相手が電話口にいたり、目の前にいれば、理解するまで聞き返して確認することができる。この点だけでも、私はTOEIC ごときに「コミュニケーション能力」を評価することなど無理がありすぎると思っている。

実際、私が英語を本格的に独学し始めたときは、まず相手の言ったことが理解できなかったときの、尋ね方を英語でどう言うのか暗記したものだった。

「今あなたが言ったことが、良く理解できなかったのですが、もう一度ゆっくり説明してくれませんか?」とか、「つまり、あなたが言うのは~~~ということですか?私は正しく理解できていますか?」「あなたは、私の言いたいことが理解できましたか?」

こういう表現をすらすら言えるように練習しておくと、会話がぷっつり途切れる事もなく、話が展開していくものである。

なっちゃんも成長するにつれて、今のように疑問を素直に言葉にすることはなくなっていくことだろうが、なっちゃんの抱く疑問を聞いているとこの先が楽しみになってくるものだ。



なっちゃんが完成!ルービック・キューブ

2016年04月02日 | 孫ネタ
1月の台湾旅行で、初孫なっちゃんに買ってきたお土産に、夜市で見つけたルービック・キューブがあった。



私が社会人になった頃、日本中が夢中になった知的玩具で、私も当時すぐに買ってみたのだが、一度も完成することはなくどこかになくなってしまっていた。

台北の夜市で見つけたときは、懐かしさで顔がほころんでしまったが、もう一度買って挑戦する気力は、すでに私にはなかった。

一緒に2X2のビギナー向けのルービック・キューブがあったので、これならなっちゃんのお土産にいいかもしれないと思って買ったのだった。



店番の女性にこれを下さいと言うと、彼女はビニールの袋に入っていたキューブを袋を無造作に破って取り出して私に差し出し、問題なく動くかやって見ろと言った・・・と思う。

多分、そういうことだと思い、私はその場でカチャカチャやってみた。少し動きが固かったが、特に問題というほどでもなかったので、OK!と言って代金を払った。

旅行から帰ってきた次の週に、マーブルチョコレートなどのお土産と一緒に、なっちゃんに渡したときは少しやっただけで、ほとんど興味をしめさなかったので、まだちょっと難しすぎたかな、と後悔したものだった。

私は、お手本を見せてやろうと思ってやってみたが、5分やっても10分やっても完成できなくて、以外に難しいものだと改めて痛感した。

今日、なっちゃんが妹のカナちゃんとお母さんで家に来た。なっちゃんの手には、ルービックキューブが握られていた。

「出来たかい?」と聞くと、1面はすぐに完成できるようになったがそれ以上はまだですね、とお母さんが答えてくれた。

「2x2なら簡単かと思ったけど、結構手強いんだね。」と私。

なっちゃんたちが別のおもちゃを出して、妹のカナちゃんと遊び始めたので、私は部屋に戻って、読みかけの本を読んでいた。

小一時間すると、階下から「できたァー!」という声が響いてきた。何だろうと思っていると、「おじいちゃーん!!」となっちゃんが呼ぶ声がした。

なんだい?と答えると、「ちょっと来てぇ」と言う。

階下に下りていくと、なっちゃんの小さな手には完成したルービックキューブが握られていたのだった。「できたの?」と言うと、「うん。カチャカチャやってたらできちゃった。」と得意げだった。

よし、私ももう一度チャレンジしようかと言い出すと、なっちゃんはパパに見せるからこのままにしておく、と言う。

こんなことなら、もう一個自分用に買ってくればよかったと少し後悔したのだった。

なっちゃん、英語に興味?

2015年12月28日 | 孫ネタ
神社の掃除と新年を迎える準備に出かけて帰ってくると、玄関にかわいいスニーカーがそろえてあったので、初孫なっちゃんたちが来ているのがわかった。

なんでもケーキを家で作ってきたので、みんなで食べるのだそうだ。



先日、体験学習でひらがな学習の塾に行ってきたら、ほとんどひらがなは読み書きできるので、先生が「これじゃ教えることがないわ・・」とこぼしていたと、お母さんが笑いながら話してくれた。

同年代の子は、せいぜい自分の名前を書けるくらいなのだそうだが、なっちゃんはひらがなはほぼマスターして、今はカタカナに興味が移り、電卓を叩きながら数字を読むのを楽しんでいる。

まだ10の位と1の位の意味が分からず、14を41を混同している様子だ。

居間にある小さな本棚に並んでいる本にも興味があるようで、国語辞典や英和辞典を暇つぶしにパラパラ見ていることがある。

妹のカナちゃんは、ポケット時刻表がお気に入りで、ページをめくっては列車の時刻を調べ、まるで旅行の計画を練っているようで、おばあちゃんはよく「カナちゃん、こんどはどこに旅行に行くの?」とからかわれているのが面白い。

その本棚の端っこに、なぜか英語の絵本が並んでいるのをなっちゃんが見つけた。



『Slanguage』というタイトルのページ数わずか90ページ足らずの絵本だ。
文字通り、Slang と language をくっつけた造語で、面白い慣用句をかわいい絵と短い文でで解説している。

表紙の絵は、「Cart before the horse 」という慣用句で、「馬の前の荷車」、つまり「本末転倒」「前後あべこべ」という意味を表す言い方を絵で説明している。

他にも犬や猫が天からたくさん降っている絵があって、それは「rain cats and dogs」つまり、「ドシャ降りの雨」という意味の慣用句を表している。

表紙の裏側に、「Something to "tickle your funnybone", Always Kathy Tracy」
Merry Christmas 1979 と手書きされている。

Kathy Tracy 先生は、私が滞米中に受けた英語クラスの先生で、メモの意味は「これはあなたの笑いのツボをコチョッとくすぐる本です。」といった意味で、1979年のクリスマスプレゼントに先生から戴いたものだった。

当時は英語クラスといってもあまりにも内容が基礎的で、私は退屈で仕方なかったので、米国のテレビのCMを真似したりして授業の邪魔をしたものだった。

たまにその絵本を手にすると、たちまち35年前にタイムスリップできる。

なっちゃんは、絵本の絵がかわいいので気に入ったらしく、本を持ってきては「おじいちゃん、ここになんて書いてある?」と聞いてくる。



猫が内ポケットに挟んだ舌を見せて、にっと笑った絵が気に入ったらしい。

Cat got your tongue ? という表現は、寡黙な人に対して「どうしたの?猫に舌を取られたの?」と言ってからかう時の常套句である。

なっちゃんにこれを説明するのは難しいので、そこは適当に誤魔化すのだが、なっちゃんは納得するまで次々に質問してきて私を困らせる。

好奇心旺盛な5歳のなっちゃんである。

玉ねぎ定植、なっちゃんお泊り

2015年11月08日 | 孫ネタ
日曜日から雨の天気だという予報だったので、昨日、あわてて玉ねぎを定植した。

早生の苗を50本、赤い玉ねぎを50本、中晩生種を50本植えたので、来年5月から6月にかけての収穫になる。



特に5月の「新玉ねぎ」は楽しみで、半分に切ってレンジでチンするだけで、それは美味しくもう毎食食べても飽きない味である。

ちょっと前に植えた、キャベツやブロッコリ、カリフラワーなども順調に育っていてこちらも年内の収穫が楽しみである。



午前中に玉ねぎを植え終わってから、運動不足解消の散歩に出掛け少し汗をかいてから家に戻ると、玄関にかわいい靴が揃えてあるのが見えた。

なっちゃんのお気に入りのスニーカーだった。



おばあちゃんの実家のある町の秋祭りに行ってきた帰りだそうで、お泊りセットの入ったデイパックも居間の片隅に置かれていた。

なっちゃんは、テーブルでおじちゃんのトランプ手品を真剣に見入っているところだった。シャッフルしたトランプを無造作に四つの山に分けて、一番上のカードをめくると、全部同じ数字のカードが出るという手品だが、何度やっても見破れないようで、首を捻っていた。

カミさんは夕食の支度をしながら、家に来る途中の車の中の出来事を笑いながら話してくれた。

カミさんの車の助手席に座ったなっちゃんは、運転席の様子をキョロキョロ見ると、「おばあちゃん、ガソリンが少ないから入れた方がいいよ。」と世話を焼いたそうである。見ると、確かに残りが二つ目盛だったそうだが、その目ざとさにカミさんは声を出して笑ってしまったそうだ。

私達は女の子を育てた経験がないので、5歳の女の子で、特に妹が出来てからのなっちゃんの世話好きには、非常に新鮮な印象を抱くのである。私の愚息達はまったくこういう世話を焼くようなことはなかったように記憶する。

小さくても母性が芽生えているのだろうかと思う。

先日も外食したとき、デザートのアイスクリームを食べるなっちゃんの動画を撮っていると、すかさず、「おじいちゃんのアイスクリーム、溶けちゃうよ。」と世話を焼かれ、私は「ハイ、ハイ・・」とデジカメを置いて、食べ始めるのであった。

20年ぶりのボウリング。

2015年10月10日 | 孫ネタ
今日は以前から初孫なっちゃんに誘われていたボウリングに行ってきた。

オリンピックの種目選考からは外れたが、私が高校生の頃などは、私の住む人口2万足らずの田舎町にもボウリング場ができて、週末などは待ち時間1時間などということは、珍しくなく大変なブームであった。

多分私が最後にボウリングをしたのは、愚息たちが小学生だったから、20年ほど前になると思う。大学生の頃はブームがすっかり下火になって、1ゲーム50円くらいにダンピングされたボウリング場で、1日10ゲームも投げた事もあった。

テレビのスポットCMなどでボウリングの宣伝をやっているのを見たりして、何となくブームの再来を感じてはいたが、なっちゃんに誘われなければ、行く気にはならなかったと思う。

午前10時前に、なっちゃん一家はやってきた。なっちゃんは、この前の台湾旅行のお土産で私が買ってきた「キティちゃんデイパック」に、着替えやUNOなどのおもちゃを詰めた「お泊りセット」を背負っていた。



着くなり、なっちゃんは、「おじいちゃん、キティちゃんのリュック、ありがとう」とお母さんに教えられた通りのセリフをゆっくりと言ってくれた。

何となく、なっちゃんには子供用のリュックをお土産に買おうと考えていたが、この『ハローキティ』というキャラクターは、台湾で絶大な人気があるようで、夜市のバッグ専門店や台北市内の雑貨店には、キティちゃんグッズしか並んでいなかった状況だった。



そういえば、台湾のエバー航空といえば、キティちゃん一色で有名だ。機内はキティちゃんファンにはたまらない、トイレットペーパーから紙コップまでキティちゃんだらけだそうだ。

なっちゃんが、アンパンマンや機関車トーマスがお気に入りな事は知っていたが、果たしてキティちゃんを気に入ってくれるか心配だったが、まずはそこそこ気に入っているようで安心した。

そういえば、どこの店でも、私が子供用のバッグの並んだ棚の前で商品を手にしたりして見始めると、店員のお嬢さんが駆け寄ってきて、何か台湾語で熱心に話しかけてきたものだった。

私は、英語で「申し訳ない。私は中国語を話さないので、あなたの仰っていることが分かりません。」と言うと、店員は必ず照れ笑いをしながら、「あら、すみません。ここの棚は子供用ですよ、と言いたかったんですよ。」と言うのだった。

「実は孫娘へのお土産を探しているんです。」と言うと、「お孫さんは何歳ですか?」とか、「これは人気No1ですよ。」とか親切に対応してくれた。


五歳の女の子にボールが投げられるのだろうか少し疑問だったが、始るとすぐにその仕掛けが分かった。

通常、レーンの両側にある、英語で言う 「gutter (ガター)」という「溝」の端から、高さ30cmほどの落下防止の柵が出ている。そして、「ボール・スライダー」という名の滑り台のような補助具からボールを滑らせてピンを倒すのである。



なっちゃんは、すでに何度も経験済みのようで、自分でボール・スライダーを運んでいき、位置を決めて「エイッ!」とボールを転がり落とすのだった。



まだるっこしいほどゆっくりと、ボールはゴロゴロと転がっていきピンをスローモーションのように倒したり倒さなかったり・・・



なっちゃんが投げるたびに一喜一憂するのを見て、私とカミさんは、始めてみる光景に腹を抱えて笑ったものである。

二投目のスペアを狙うために、ボール・スライダーの位置を真剣な表情で微妙に変えるしぐさが、可愛らしくて何度見ても飽きなかった。

昔は、スコアを各自が鉛筆で記録したものだったが、今ではその「手間」は解消されてすべて自動的にスクリーンに表示される。

スコアは散々だった。転倒して醜態をさらすまいと、それだけに集中してスコアどころではなく、かろうじてなっちゃんのスコアより少し良かった程度だった。



土曜日の昼近くで場内には数人の客しか見えなかったので、これではとても「ブーム再来」とは言えないね、と帰りの車内で笑った。

「お昼はどこかで食べていこうか。」という事になり、途中の回転寿司店に寄った。昼時とあって、店内は混みあい、待ち時間が20分だった。



回転寿司も久しぶりで、形式が随分洗練され、便利になり、食べ終えた皿を積み上げるスタイルから、備え付けの皿投入口に放り込んでいくスタイルになっていた。自動的に皿の数がカウントされ、備え付けの液晶画面に表示される。

しかも、投入数が5枚ごとに、あたりはずれの出るくじの動画が始り、当たるとプラスチックのボール状の入れ物に入ったおもちゃが出てくる仕掛けだ。

なっちゃんは、そのくじが楽しみでジッと画面を見ていると、何度目かに当たって、賞品のおもちゃが出てきた。

賞品のおもちゃは、なんと小さなキティちゃんのアクセサリーだった。その回転寿司のオリジナル賞品だそうで、「じゃあ、なっちゃん、レア物でよかったじゃない。」とカミさんが言うと、「レアモノって何?」とすぐに聞き返すなっちゃんだった。




なっちゃん、絵日記。

2015年08月30日 | 孫ネタ
初孫なっちゃんがやってきた。10日ほどお母さんの実家に行って来たので、お土産を持ってきてくれた。

例によって、着くなり「おじいちゃん、何して遊ぶ?」と背中のバッグを下ろすと、お母さんが、「なっちゃん、絵日記を先に書くんでしょ?」と、催促しました。

「あっ、そうか・・・」と言って、色鉛筆と絵日記を出して、お母さんの実家で花火をやって遊んだ絵を描き始めました。



幼稚園の絵日記には、お天気シールやお勉強シールなど色々な小さいシールが付いていて、それを貼るのも楽しみなのだそうです。

「ウンチシール」というのもあって、ウンチをした日にはそのシールを貼るんだそうです。大体二日おきに貼ってあったので、「なっちゃん、ウンチは毎日出ないの?」と聞くと、「ううん、毎日出るけど貼るのを忘れちゃったんだよ。」ということでした。

絵日記が終わってから、いつものようにUNOというゲームをやり、いつものようになっちゃんの一人勝ちで終わり、トランプで神経衰弱をやり、折り紙で風船を作り、その後みんなでお昼を食べにお出かけしました。

明日は幼稚園で、来月の運動会の踊りの練習をするのだそうです。

あいにく、その日はおじいちゃんは台湾旅行に出かけてしまうので、練習で覚えているところだけ少し踊って見せてくれました。

後から運動会の動画を見るのが楽しみです。

なっちゃんとヴォーボワール

2015年06月27日 | 孫ネタ
初孫なっちゃんが、妹のかなちゃんと一緒に遊びにやって来た。いつものように、小さなナップサックにお気に入りのおもちゃをいっぱい詰めてきて、着くなり大きな声で、「おじいちゃん、何して遊びたいぃ??」と聞いてきた。

特に、楽しみにしていたわけでもなかったので、答えあぐねていたら、「トランプやりたい??」と聞いてきた。なっちゃんは、きっとトランプをやりたいんだろうなあと思って、「いいよ、トランプしようか。」と言うと、「やっぱり、UNOにする?」と気が変わってUNOをすることになった。



結果を記録しているわけではないが、恐らくこれまでの対戦成績は、30戦3勝17敗くらいで、私が負け越していると思う。最初の頃はルールがよく分からなくて、困ったが、最近はその言い訳はまったく通用しないくらい、まるで歯が立たない。

結局、今日も6回くらいやって、勝ったのは1度だけだった。最近は、勝負がついてから、私の戦い方を見ていたなっちゃんが、ここはこうすべきだった、これを先に出せばよかったのに、、、と解説してくれるようになり、反省すると同時に勉強にもなり、大変ありがたい。



カードゲームに飽きたらしく、「今度は折り紙しよう。」と折り紙をだして、家で作った作品をバッグから出して見せてくれた。この折り方を教えてくれると言うのだった。何かと聞いたら、ショートケーキだと言う。折り方は至極簡単で、完成してから鉛筆で好きなデコレーションを描くのがこの作品の味噌のようだった。

なっちゃんは、ハートのマークをいっぱい描いて見せてくれたが、気がついてみると、まだ4歳なのにすでに好きな色とか、模様が女の子っぽいのは、やはり周りの接し方がそうさせるのか、と思った。

フランスのヴォーボワールがその著書「第二の性」の中で、『人は女に生まれるのではなく、女になるのだ。』と主張したのは、有名だ。確か私もこの本を学生時代に読んだ記憶はあるが、当時からそして今でも、どうもフェミニズムというのには、同調できないでいる。

神奈川県のどこかの学校では、トイレも男女の区別はない、とか、小学校で人形を使って男女の体の違いを「勉強する」時間があるといったり、実物の避妊具を用いて「性の勉強」をする時間をもうけたり、という話を聞くたびに、私にはそうすることでこの社会が、今よりもっといい物になるのだろうかと首をひねる。

確か、中学生の頃だったと思うが、米国ではウーマン・リブ(Women's Liberation) という女性解放運動が始り、やがてそれは、日本にも流行りだした。その頃何かで読んだコラムの一節に米国社会の背景を紹介するものがあって、妙に納得したことがあった。

それは、例えば米国の女性は大きな家に住んで、広くてきれいな台所で、好きな料理をするという、テレビドラマなどでよく目にするイメージがあるが、実は、壁紙の貼り替えとか外壁のペンキ塗りなどは、一般的に米国家庭では女性の仕事であり、また、生活費も必要最小限しか亭主から受け取らず、主婦はその範囲内でやりくりをしなければならない、という話だった。

米国の男性は、レディーファーストだとか言って、女性にやさしいなどと日本の女性は褒めちぎるが、そのコラムの著者は、「あれは金がかからない、タダだからだ・・・。」と一刀両断に切り捨てていたのが、小気味良かった。

そういった虐げられた社会に不満をくすぶらせていた女性たちが、自分で自由に使える金を求めて職を求めたり、男女同権を声高に主張し始めたのが、あの運動の発端だったようだ。

ところが、当時の我が家では、オヤジが給料袋をまるごと母に手渡していたし、今の私も銀行カードは私が持っているが、通帳と印鑑はカミさんが保持していて、定期的に使い方をチェックされ、「最近、金遣いが荒いんじゃない?」などと唐突に聞こえるように独り言を言ったりして、牽制してくるので、心が痛むときがある。

テレビなどで、喚き散らすフェミニスト評論家や政治家が、あまりにも品がないためか、あるいは話すことが支離滅裂な所為か、日本では今ひとつ賛同者が増えていないと見るが、どうなんだろう。

個人的には、スカート姿の女子高生が自転車で通学途中、交差点で信号待ちをするときに、自転車に乗ったまま片足を縁石に載せていたり、向かい風でスカートがまくれ揚がるのも気にせず、「大サービスだ」と言わんばかりに自転車のペダルを踏み続けるのを見るたび、これは西洋の悪い影響の一つだ、と思いたくなる。

なっちゃんが、ピンクの服を着て、髪をリボンで結んでいたりするのを見るたびに、私は何だか安心するのである。

なっちゃんと昼食。

2015年06月14日 | 孫ネタ
次男一家が食事に誘ってくれたので昼食をイタリアン・レストランで一緒に食べた。イタリアンレストランと言っても、ピザやパスタ中心のファミレスのような感じで、看板は焼きたてパンとサラダバーなのだが、最近は客足が徐々に減ってきて、焼きたてパンの種類が激減したという情報を、カミさんから知らされた。

なっちゃんは、10時半頃家に来るなり、「おじいちゃん、何してあそぶ?ウノやりたい?」と畳み掛けてきた。みんな朝食がまだだということなので、すぐに隣町のレストランに向うことにしたが、なっちゃんは少しご機嫌斜めのようだった。

教会風の結婚式場が併設されていて、玄関では新郎新婦を囲んで、多くの来賓たちが手に手に紅白のハート型の風船を持ち、一斉に空に放つところだった。司会の女性の声で、「皆さんで、おめでとうと言ってから、風船を放してください。まず、私がおめでとうございます、と言いますので、皆様も後に続いてください。」という、案内が聞こえてきた。

風船を見ようよ、とみんなで結婚式場の玄関の方を見ていると、また女性の声で、「それでは、皆様、おめでとうございますに続けて、おめでとうと言ってから、風船を放してください。」

そそっかしい、人が数人風船を放してしまったので、ふわふわと紅白のハート型の風船が宙に舞い上がっていった。女性が、「それでは皆様、用意はよろしいでしょうか?私がおめでとうございます!・・・といいますので、後に続けてください!」

そういうと同時に、また数人の人が風船を放してしまった。我々も少しイライラしてきたが、女性がようやく本番を告げて、無事大量の風船が一斉に空に放たれた。なっちゃんは、それを見て大喜びだったが、何だかコントを見せられたようだった。

次男の嫁曰く、「紅白の風船も散り散りに大空に飛んでいって、揚がるとこまで揚がったら、パンッと割れちゃって地上に落ちるんだよね・・・(笑)。」



最近太り気味なので、今月から炭水化物を抑えるダイエットをしているので、私はパスタもピザも控えて、ハンバーグを注文した。サラダバーは、種類も豊富だったので、お替りをして、十分野菜補給をした。

看板の焼きたてパンは、確かに種類が減っていたが、その代わり小さなピザがサービスで頼めるそうだった。なっちゃんはカルボナーラやマルゲリータをたらふく食べたようだった。

ドリンクバー、サラダバー、焼きたてパンに焼き立てピザ・・・という芽ユーは、女性(特に中年以降の)に人気があるようで、客の9割は女性だった。

周りのテーブルを眺めると、みなさん食欲旺盛の様子で、それにしてもよくまあ、炭水化物をたくさん摂るものだ、と感心した。

なっちゃんが来たぁ・・

2015年05月31日 | 孫ネタ
初孫なっちゃんが、お泊りセットの詰まったかわいいリュックを背負ってやって来た。着くなり、「おじいちゃん、何して遊びたい?」と聞かれて、苦笑いせずにはいられなかった。

と言うのも、金曜日の夜は恒例となった飲み会出の二日酔いと、その後のカラオケで喉がガラガラ状態だったため、今ディ9ションは最悪だったからだ。

なっちゃんは、そんなことはお構い無しで、早速バッグの中から「UNO}というトランプのようなカードを取り出して持ってきた。

「おじいちゃん、UNO(うの)やろうよ」と言われても何のことか分からないので、ルールを教えてもらいながら始めた。一見単純なルールで、出されたカードの色か数字が一致したカードを手持ちのカードから出していき、手持ちのカードが早くなくなった方が勝ちとなる。

手持ちが1枚となったとき、「うの」と宣言することから「UNO」というゲーム名になったようで、スペイン語でUNOは数字の1という意味である。

中には「+2」と書かれたカードもあったりして、それを出されたら、山から2枚のカードを取らなくてはならないので、手持ちのカードが増えたり減ったりする。

なっちゃんは、家で相当鍛えられているようで、合計5かいほどやって、一度も勝てなかった。あまりにも勝ちすぎるので逆に面白くなかったのか、「今度は折り紙しよう」と言って、今度は折り紙教室になった。

「奴さん」の折り方を覚えたようで、その折り方を教授してもらった。その後も、トランプ、ブロック遊び、再びUNO,・・と、夕食をはさんで9時まで続いた。

今朝、なっちゃんは朝5時に目が覚めたそうで、私が起きたときは、もう元気一杯で、何の番組なのか、テレビに合わせて踊っているところだった。

今日も、一通りUNOとトランプを何度かやって、先ほど家に帰ったところだ。歳の所為か、土曜の酒が抜けきらないのか、けだるさが残った日曜の午後である。

お泊り、なっちゃん・・

2015年05月03日 | 孫ネタ
初孫なっちゃんが、一人でお泊りした。遊び盛りで、見るもの聞くもの何でも知りたがり、正に「歩く好奇心」だ。

昨日はなっちゃんだけお泊りするといって、お気に入りのおもちゃをバッグ一杯持ってやってきた。「じーじ」と呼ばれているときは、正直言って返事をするのも嫌だったが、幼稚園年中組になってから、なぜか呼び方が「おじいちゃん」に変わった。この響きはさほど悪い気はしないものだ。

着くや否や、なっちゃんは「おじいちゃん、何して遊びたい?」と言いながら、バッグから取り出したのが、初めて見るカルタだった。早速テーブルに陣取ったなっちゃんは、箱からカルタを取り出し満遍なく広げるように指図するのだった。

二度読み上げ係をやってから、「今度は何して遊ぶ?」といいながら折り紙を取り出した。飛行機と財布の作り方をなっちゃんから習って、私からは風車の造り方を伝授した。なっちゃんは、朝ごはんを抜いてきたらしく、テーブルにあったおせんべいの袋が気になって仕方がない。

「おじいちゃん、おせんべい食べたい?」  こういうNOとは言わせないようなレトリックは一体どこで覚えたのかと思いながら、なっちゃんの成長に目を細める私だった。

積み木遊びで時間を潰した後、図書館に本を返却に行くのに、なっちゃんを誘ってみた。図書館にはまだ馴染みがないらしく、本の返却と言っても理解しないようだったが、一緒に行くことは拒まなかった。車の中で図書館のことを話していても、なっちゃんは「信号が赤だ、あっ青になった」「前の車が動き出した」と、運転する私を信用できないのか、盛んに世話を焼いてくれた。

子供が自分から本に手を伸ばすようになったら、もう心配することはない。そうするには、ただ本を押し付けてもダメで、この辺りが難しいところだ。しかし、小学校では、少し強制気味になってもいいから読書する習慣を身につけさせることは、その後の学業にとっても、大切なことではなかろうかと思う。

図書館で本を返却し、なっちゃんと手をつないで館内をぐるっと一周した。なっちゃんは、あまり関心があるようには見えなかったが、おじいちゃんは、今日の経験がどこかに思い出となって残ることを期待したのだった。

帰宅すると、おばあちゃんが夕飯のカレーライスを作っていた。私が愛犬と夕方の散歩に行くというと、なっちゃんも行くという。いつもは車で近くの河川敷公園まで行くのだが、昨日は近所をぐるっと廻ることにした。元気に先頭を行くなっちゃんは、すれ違う近所のおばさんたちに、元気に「こんにちわ」と愛想を振りまく。

家に戻ると、カレーライスのいい香りが部屋に充満していた。ジャガイモが丸ごと煮込まれたカレーライスは久々で、腹いっぱいになった。食事中も、やれ、レタスを食べなさい、なぜカレーライスをまぜまぜしないの、とおしゃべりは止まらない。

食後にトランプの相手をしたのだが、晩酌に飲んだチューハイの所為か、睡魔に襲われ早々にベッドに倒れこんで熟睡してしまった。今朝遅く目が覚めると、なっちゃんのパパがお迎えに来ていた。「また来るねぇ。バイバイ」と元気一杯のなっちゃんは、帰っていった。




なっちゃんが来たぁぁ・・・

2015年04月26日 | 孫ネタ
すがすがしい晴天の朝、さて今日は部屋の石油ストーブを掃除してから、納屋にしまって替わりに扇風機を出すことにしようか、などと考えながら朝食を終えようとすると、カミさんが急に思い出したように、「今日午後から、なっちゃん達が来るって・・。」と言った。

それしか言わなかったが、これには下の句があって、「だから、午後はどこにも出かけず、なっちゃんの遊び相手になってよ」という意味だと、勘のいい私はすぐに察した。遊び相手になるのはいいが、最近のなっちゃんは成長著しく、遊びのバリエーションが増えて、トランプのゲームなどは、勝負にこだわるようになってきたので、こちらの精神的な疲労度も馬鹿にならなくなってきた。

午前中のうちに、石油ストーブの中の残った灯油タンクを空にして、ついでにその灯油を小さな霧吹きに入れて、家の周りに生え出した雑草にかけてやった。初めての試みだったが、灯油を除草剤代わりに使うのは、アメリカでホームステイした時、家の親父さんがやっているのを見て、いつかやってみようと思っていたことだった。

それが終わると、2週間前に借りた本を返しに、図書館へ行き、替わりに台湾関連の本を3冊借りてきた。故宮博物館の宝物の写真集は、買えば高価なものなので図書館で借りるに限る。それと、台湾の前総統、李登輝さんの「アジアの知略」という本は、少し立ち読みして面白そうだったので、連休中に読もうと、借りてきた。

カミさんの焼いてくれた鯖をおかずに、軽い昼食を終えると、次男の嫁からカミさんの携帯に「今からお伺いします」というメールが届いた。それから20分ほどして、駐車場に車が止まる音して、ひときわ甲高いなっちゃんの声が聞こえてきた。なっちゃんは、今日も元気だった。

居間に入ってくるや、「おじいちゃん、折り紙する?」ときた。そういうや否や、我が家にに置きっぱなしのなっちゃん専用のおもちゃ入れから、折り紙と小さな鋏を持ってきた。なっちゃんの手ほどきで、チューリップや家、船や飛行機などを折ってから、「おじいちゃん、トランプやりたい?」ときた。

「もう、トランプは疲れるからあまりやりたくはないよ。」などと正直に答えて、反応を見たかったが、それは少し大人気ないと思い、「そうだね、トランプしようか!」と返事をすると、なっちゃんはニコッと笑ってから、「じゃあ、ちょっと待ってて。トランプ持ってくるから・・。」と言ってスキップを踏んでおもちゃ入れに向った。

かわいい手には、まだ少し大きすぎるトランプを華麗にシャッフルするのは、まだちょっと無理だ。トランプを横に置いて、「まぜまぜ・・」と言いながら、ぎこちなくシャッフルしてから、「じゃあ、分けるからね・・」と交互に配り始めた。

配り終えたなっちゃんは、「何するの?」と聞くと、「えぇとねえ・・ババ抜きかぁ・・ジジ抜きかあ・・ジャンケン・・・。じぁあ、ジャンケンにする?」と、結局「ジャンケン」に決って、ジャンケンポンで1枚ずつ出しては数の大きい方が相手のカードを取り合う、私の子供の頃、「戦争」と呼んだゲームをした。それが終わって、「ババ抜き」、「ジジ抜き」をやって、トランプは終わった。

「ジジ抜き」と言われたとき、私はまた条件反射のように体がビクッと反応した。まだトラウマが癒えていなかった。パパの発案で外でフリスビーを投げ合って30分ほど遊んだ後、また居間に戻って、今度は積み木遊びに付き合った。妹のカナちゃんが作った積み木をゴジラのように次々と破壊するので、別の部屋に移って、オセロゲームをしようと誘われた。

白のなっちゃんは、中盤を過ぎた頃、敗色濃厚になると「やっぱり黒にしたい・・・」と、ダダをこね出した。後半は少し手加減をしてやって、ご機嫌を取り戻し、僅差でなっちゃんの勝ちになるように持っていった。お陰で、ご機嫌にオセロを終えたのだったが、「もう一回やるぅ?」ときたから、「しまった!」と思って後悔したところへ、「ちょっと早いけど晩御飯にするよ。」と、カミさんから助け舟が入った。

お刺身と筍の混ぜご飯を腹いっぱい食べて、後ろ髪を惹かれるような表情で帰ったなっちゃんたちは、また次の週末に来るようだ。なっちゃんが成長するごとに、こちらは衰えていくようで、厳しい現実を感ずる今日この頃だが、これは自然の摂理だから仕方ない。お陰で夜の寝つきはすこぶる良くなった気がする。孫のお陰であると思う。