孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

700年前のコラムニスト

2018年12月30日 | 書籍関連
今から700年ほど前の名コラムニストといえば、知る人ぞ知る吉田兼好で、その作品「徒然草」は、今読んでもまったくそのまま現代にあてはまるから面白い。

こういう名作は、中学の国語の時間にじっくりと学ばせたい古典だと思う。

「古文」は高校で学んだが、最初読み方が分からず、授業で音読を指名されても、イントネーションが出鱈目で、ギクシャクして、その意味などさっぱり理解できなかったもので、なぜこんな昔の文章を勉強しなければならないものかと、恨んだものだった。

しかし、「読書百篇意自ずから通ず」の通り、先生に続いて何度も読むうちに、何となく言っている事が伝わってきて、あれは不思議な現象だった。

徒然草には、特別難しいことが書かれているわけではなく、季節の移り変わりや、普段見聞きしたことを、さらりと文字にした、いわゆる髄質なので、さしずめ現代なら週刊誌のコラムとか、新聞のコラムにピッタリのジャンルに入る。

どれも味わい深く、時にしゃれがきいていてクスッとさせ、世代を問わず楽しめる古典だ。

最近、読み直してクスッとした2編を抜粋して要約してみる。


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・ 11段 「神無月のころ・・・」

10月頃、とある山里に入っていく事があった。苔むす小道進んでいくと、寂しい感じの小さな家があった。

落葉で見えなくなっていたが、水が流れる音だけがして静かな佇まいだが、菊の花や紅葉が辺りに散らばしてあるのは、やはり住んでいる人がいるのだなあと思わせた。

こんな様子でも人は住んでいるのだなあと、向こうを見ると、たくさん実をつけた大きな蜜柑の木があった。そして、その蜜柑の木の周りには、頑丈な柵で囲われていたのだが、あの木は無い方がよかったなあ・・・。
それぞれ不思議がって、「本当に他とは違っているのだなあ。都への土産話として語ろう。」などと言うと、
  なんとまあ、興醒めな・・・


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・ 236段 「丹波に出雲といふ所あり]

京都の亀岡というところに、出雲大社の心霊を移した社殿があるので、知人を誘って参拝に出かけた時のことだった。

社殿のまえにあった狛犬が、互いに背を向けて立っているいるのをを見た知人の一人が、「ああ、すばらしいことだよ。この獅子の立ち方は、たいそうすばらしい。深いわけがあるのだろう。」と涙ぐんで言った。

他の知人も、それぞれ不思議がって、「本当に他とは違っているのだなあ。都への土産話として語ろう。」などと言う。

感動した知人は、いっそうわけを知りたがって、年配で物をよく知っていそうな顔をしている神官を呼んで、「この御社の獅子の立てられ方は、きっといわれのあることでしょう。少しお聞きしたい。」とおっしゃったところ・・

「そのことでございます。いたずらな子供たちがいたしたことで、けしからんことでございます。」と言って、狛犬のそばに寄って、向き合うように据え直して立ち去ったので、知人たちのの感動の涙は無駄になってしまった。

  これが本来の姿で・・

この国の未来を担う若者の必読書2冊

2017年02月12日 | 書籍関連
昨年、18歳になって選挙権が得られるのを前に、あちこちの学校で投票ごっこをする光景が報道されたが、あれは実に嘆かわしい映像であった。

子供の大学受験に、親が仕事を休んで同行するような時代なのだから、当然といえば当然の対応なのかもしれないが、させられる側は何とも思わなかったのだろうかと、私は今でも思い出すと血圧が20くらい上昇する。

卓球の平野美宇選手の母親は彼女が小学3年のときから、自分で何でもできるようにと、自宅のある山梨から練習場のある大阪まで、一人で電車で通わせていたというエピソードを、あの投票ごっこをしていた18歳の高校生たちはどう思うのか、是非聞いてみたいものだ。

高校生たちだけではない。指導する側の教育関係者たちも間抜け揃いである。むしろこちら側の方が罪は重いのかもしれない。

そういう役所や学校などに潜む、ろくでもない中高年たちには多くを期待できない。

それだけに、この国の将来を担う若者たちには、まともな洞察力を身に付けてもらって、日本の舵取りを誤らないようにしていただきたいものだ。

そこで、彼らには学校の歴史の授業では耳にすることもないであろう二つのキーワードをよく知ってほしい。

それは、「WGIP」と「通州事件」である。
(WGIP = War Guilt Information Program の略。GHQ による日本人洗脳計画)


インターネットで検索すれば、何十万件もヒットするので、是非自分で調べて見てくれ。

また、アマゾンで検索しても、その関連本は簡単に見つかる。

私のお勧めは、以下の2冊である。

 若者必読書2冊

『日本人を狂わせた洗脳工作』 関野通夫著  自由社 定価500円
『通州事件 目撃者の証言』 藤岡信勝編著  自由社 定価500円

アマゾンで注文すれば二日もかからず届くはずだ。どちらも100ページ程度の冊子だが、中身は凝縮されていて、その内容には驚かされてしまう。

騙されたつもりで、読んで欲しい2冊だ。


「笑い」をもって、「キレる」を制す

2016年04月17日 | 書籍関連
中高年とは一体何歳のことをいうのでしょうか?

その定義は様々のようですが、お役所が決めている区分は、次の通りだそうです。

幼年期 0~5歳、
少年期 6~14歳、
青年期 15~24歳、
壮年期 25~44歳、
中年期 45~64歳、
前期高年期 65~74歳、
中後期高年期 75歳~

これに従って、人事労務の実務上では、「45歳以上が中高年」とするのが正解のようです。

45歳くらいから、精神的にも肉体的にもそれまでとは変化を起こし始めるようで、私も実際に過労でぶっ倒れて、三途の川の辺まで行ったのはその頃でした。

季節に例えると、夏が終わって赤とんぼが飛び始める頃が中高年の始まりのようだ、と言えると思います。

昨日、買い物に行った帰りに書店に立ち寄ったら、「中高年がキレる理由(ワケ)」というタイトルの新書が積まれていました。少し立ち読みしてみると、これが面白そうで、自分にも思い当たることが一杯書かれていました。



結局、買って帰りましたが、それは何か「キレる」のを抑えるヒントが書かれているのではないかと思ったからでした。

新聞を読んでも、テレビのニュースを見ても、街に出かけても、ムカッとしてキレそうになることが正直言って最近は特に頻繁にあって、実は心配になっていたのです。



以前、ブログにも書きましたが、銀行で預金を解約したとき、窓口の事務員に「何に使うのか?」としつこく聞かれたときなど、あの時の私は明確に「キレ」ていたと思います。そして、本によると世間の中高年も、金融機関の窓口ではキレることがよくあるようです。

他には、鉄道の駅員に食ってかかったり、病院の看護婦を怒鳴ったり、コンビニの店員に嫌味を言ったり、本を読み始めると世の中高年たちは、キレまくっている様子が伝わってくるので、私は内心少し安心しています。

本によると、要因の一つが現代の「感情労働社会」にあるといいます。それは、面と向って顧客相手の業務だけでなく、顧客満足を最優先にした感情のコントロールを要する仕事が増えているため、自分の感情を抑圧しなければならない労働社会となっているという意味です。

また、40代も半ばになると仕事でも、先が見え始め、それまで行け行けドンドンで仕事してきたのとは違って、スピード感がグンと落ちてきて行き詰まり感のある、「上昇停止症候群」とか、「燃え尽き症候群」とか呼ばれる、転換期を迎えることになるようです。

このような転換期を迎えた中高年たちは、「こんなはずじゃなかった」感が強く、ちょっとしたことでも、「キレる」スイッチが入ってしまって、喚き散らしたりしてしまうらしいですね。

まだ本を読み終えていないので、じゃあどうすればいいのかは分からないのですが、キレそうにならないために、何か方策が書かれてはずです。

以前、カミソリのテレビCMで、「切れてなーい!」というのが流行したことがありましたが、キレそうになったらあのCMを思い浮かべるのも一つの手かもしれません。

「笑う」ことを積極的に求めることもいいかもしれません。笑うと血糖値も下がるそうですから、その効果は大きいと思います。



ブログも、今後、もう少し笑いをキーワードにして考えていく必要があるなあ、と痛感する今日この頃です。




質のいい良識を求める人へ

2016年03月25日 | 書籍関連
勤め先に、一目で新入社員と分かる集団がいて、朝のラジオ体操に参加していた。

一日の仕事を終えて、私はいつも一番先に帰宅することにしているのだが、昨日その新入社員たちの一団と帰りがけに出くわし、次から次に大きな声で「お疲れさまです!」という挨拶をされ、まるで尾瀬湿原の木道を散策しているような気分になった。

恐らくまだ配属先も決っておらず、様々な研修をしていることだと思うが、1年もすると新入社員の何割かは辞めていくことになるのだろう。

最早、日本独特の終身雇用と年功序列はズタズタになり、転職は珍しくなくなった。

「転石、苔を生ぜず」A rolling stone gathers no moss. といい、元は西洋の古い諺だったようだが、苔「moss」を、望ましいものか、そうでないものか、どちらに取るかで解釈の仕方が変わってくる。

苔を望ましいものと考えれば、『頻繁に転職や転居をする者は金も溜らないし、何事も成就できない』という教えになるだろうし、苔を望ましくないものと捉えれば、『いつも積極的に行動している者は、沈滞することがなく清新でいられるという解釈になる。

小中高、あるいはその先に進学するたびに知り合う人が増えていき、その後の人生に影響を受けることがあるだろう。就職もその延長にある。

人だけでなく、興味や関心ごとがこういう岐路でいろいろ変化していくのは、自分の過去を振り返ってみてもなかなか楽しいものである。

社会人になりたての方々は、今や日本中の大人たちから期待される存在で、この国の未来を担う大切な宝物だと言える。

それだけに、就職という岐路に立って、良識を備えた大人になるための投資を惜しまないで欲しい。しかも、質のいい良識を求めて欲しいものだ。

残念ながら、テレビを始めとするこの国のマスコミは質が良くない。テレビの黎明期に評論家が、あんなもの見続けると、一億総白痴化すると喝破した通りで、今や白痴化はかなり進展したようだ。

幸い、テレビなどなくても必要な情報を手に入れることにはまったく困らない時代になった。しかし、私は社会人になりたての方々に、読書を勧めたい。

小説や古典を読むのには、少し抵抗があるようなら、コラムがいい。

名コラムニストの文章は、起承転結がはっきりしていて、切れがあって、学校ではなかなか教えない、興味深い知識を植えつけてくれる。

私は三人の名コラムニストをお勧めする。山本夏彦氏、徳岡孝夫氏、そして高山正之氏である。

この方達のコラムは、文庫本や新書でも入手できるので、アマゾンで検索すればよい。

 山本夏彦氏

もう10年以上前に他界されたが、この方のコラムはすばらしい。以前、週刊新潮に「夏彦の写真コラム」というコラムを載せていて、毎週立ち読みするのが楽しみだった。今、このコラムをまとめた文庫本もあるから、時代ごとの世相を振り返るのにもいい参考書になる。

何よりも、この人のコラムはタイトルが見事で、見ただけで言わんとすることがすぐ理解できるから助かる。『何用あって月世界へ』とか、『世はいかさま』、『茶の間の正義』など、トイレの棚に置いて、用を足す間にサラッと読み終えることが出来る程度の長さで、余計な文章を削り取った珠玉のコラム集である。

漢語を多用する方だったので、日本語の勉強にもなる名著揃いだ。

 徳岡孝夫氏

もう廃刊となった月刊誌に『諸君』というオピニオン誌があった。いわゆる保守系の雑誌で、私がフィリピンの田舎街に海外赴任をしていたときに、休暇で一時帰国する同僚にこの雑誌を買ってきてくれるよう頼んだら、「ええっ?諸君?・・・右翼が読む本でしょ?」と言われて驚いたことがあった。

脳味噌が左側に寄った人から見れば、右翼の雑誌に見えるのだろうが、中身はいたって中道だった。この巻頭に「紳士と淑女」というタイトルのコラムが5~6ページあって、作者は不明だったがすこぶる面白いコラムだった。

一度、「紳士と淑女」宛てにメールで「毎月本が店頭に並ぶのが楽しみで、真っ先に読むのが『紳士と淑女』です。・・・」と送ったら、何とお礼のはがきが送られてきたことがあった。しかも、万年筆で書かれた達筆で、コラムの作者からだった。

今でも宝物として本に挟んであるが、それが徳岡孝夫氏であることは少しして分かった。徳岡氏のはがきが挟んである本は、そのコラムをまとめた『完本、紳士と淑女』という本だ。

 高山正之氏

高山氏は元産経新聞の記者で、今は週刊新潮の一番後ろに「変見自在」という名物コラムを載せていて、それを定期的に本にして、もう文庫本になったものも何冊かある。この方のコラムを読むと、眼からウロコが音を立てて落ちることが多い。教科書に書かれていない歴史的な事実や、背景をたくさん紹介してくれるし、偏った歴史観を矯正する教則本として、是非お勧めする。

勝手ながら、私はこのお三方を師匠と仰いでいる。どれも、行間からまともな見識や歴史観が滲んできていて、知らず知らずのうちにマスゴミに捻じ曲げられた感覚を直して、質のいい良識を醸成してくれる。

だまされたと思って読んで欲しい、お三方の本である。

タイトル、一目で分かる良書。

2015年07月24日 | 書籍関連
漫才師が小説を書いて、大変名のある賞を受賞したことに嫉妬して、普段から政府の悪口を言いたい放題に言っては、嫌われ者になっていた司会者が、番組で「漫才師に芥川賞とは、あの賞も格が下がったよね。」とは言わなかったが、まあ凡そこんな憎まれ口を言って、自分の育ちの悪さを暴露してしまったそうだ。

ネットの反応は敏感で、「どうせ、読んでもいないくせに、失礼な!」と非難轟々だったという。まあ、あのテレビ局の、あの番組の、あの司会者なら、、、と私は怒る気にもならなかった。

今や、若者が本を読まなくなってしまって、みんなスマホでゲームとやらに明け暮れている。馬鹿を益々馬鹿にする先端技術など、迷惑この上ない。

今回の受賞で、小説が注目され、若者たちがこれまで以上に本を手にする光景が復活するなら、結構なことではないか。

かく言う私も、○○賞を受賞したからといって、飛びつくことはまずないが、やはり、文豪と呼ばれる作家の小説は、絶対に一読する価値はあると感ずる。特に、芥川には短編小説が多いから、彼の本は手軽に楽しめて、非常に勉強になる。

前記のろくでもない司会者は、買って読みもしないのに、偉そうな批評を言ったので世間の反発を食らったようだが、読まなくてもいい本だと分かるものもある。例えば、この本がそうだ。



最近は、タイトルに凝った新書が次々に発刊されているようだが、この本は買って読むに値する本だ。タイトルを見れば、著者の言わんとすることが、一発で分かる。

すでに、私はブログでも、新聞投稿でも、何度も主張してきたが、それでも機会があればまだ何度でも言う。

英語が読み書き話せれば、便利なことは間違いないが、要は優先順位の問題である。大事な母国語を覚える前に、「ハロー、ハワーユー?」が言えたと喜ぶ馬鹿親たちを量産するほど、国を滅ぼす近道はない。

シンガポールを見ろだの、香港を見てみろだの言われても、私は何もうらやましくもくやしくも感じない。しいて言えば、哀れなものだと思う。

現状はどうなのか知らないが、英語教育にうつつを抜かすくらいなら、古文・漢文を復活させてくれ。まともな日本語を書ける、話せる人間に教育してくれ。

勤め先でも、ため息が出るほど、最近の若者たちの書く文章はお粗末で、話す日本語は支離滅裂で、しかも声が小さくて何を言ってるのか聞き取れない。

まて、それは私の加齢現象で、ただ聞き取れないだけなのだろうか・・・?


逝きし世の面影・・

2015年05月05日 | 書籍関連
私はすぐに手が届くところに置いてある本が何冊かある。もう何度も読んだ本だが、それでも時々目にしたいので、わざと近くに積んである。その中の一冊が、渡辺京二著『逝きし世の面影』だ。幕末から明治にかけて来日した外国人の見聞記をまとめた本で、当時の日本の様子を彼らの目を通して知ることが出来る名著だ。私はこの本を、小学生高学年から中学生たち全員に是非読んで欲しいと思っている。

私はこの本を、小学生高学年から中学生たち全員に是非読んで欲しいと思っている。外交官や旅行家、兵士や通訳など、様々な職業の外国人たちが、日本のあちこちで見聞した事を書き残してあり、彼らの驚きや感動が素直な表現で伝わってくるばかりでなく、当時の地方に住んでいる日本人の生活や暮らしぶりが分かり、大変興味深くて最良の歴史の資料でもある。

ここに紹介されている外国人たちは、日本に着く前に、インドやマラッカや中国、フィリピンなどに立ち寄っていたはずで、その後に見た日本の様子を書き残していることを考えながら読み進めると、行間に漂う彼らの驚きや表現がまた違った味わいを見せてくれる。

当時の欧米の庶民の様子をもっと知り、それと併せて読むと、益々面白い感動を味わえるのではないかと思う。それというのも、あまりにもありきたりの些細な日常や田舎の情景にも、彼らのペンは大袈裟ではないかと思えるほど、細かいタッチでその様子を書き残しているからだ。

「ダーツの旅」という、日本地図に向って投げたダーツの矢が当たった所を訪れ、その町や村の様子をレポートするという、面白い番組がある。東京から車ではるばる来たと知った老人が、スタッフを自分の家に呼び込んでお茶を振舞ったりする、あの番組だ。

幕末の日本にも、同じような場面が出てくるのが面白い。ちょっとした親切に対して謝礼を渡そうとしても、頑なに辞退されて困ってしまう場面など、何の変哲も無いのだが、その場面を書き残すということは、日本以外の彼が訪れたところではそんなことを経験しなかったからであろう。

日ごろ、日本や日本人のことを悪口で罵るだけの、隣国の観光客たちは、実は日本を後にして自国に戻ると、たちまち日本がすばらしい国だったと、その違いを再認識し、日本ファンになってしまうらしい。電車に乗るときに整然と列を作って待つ日本人を見て、その光景を「美しかった」と表現する隣国の観光客が多いそうだ。

以前、テレビで新幹線の車内清掃をする女性たちをレポートしている外国のテレビスタッフたちを伝えていた。確かに整然と、短時間でテキパキと清掃する姿は、我々が見ても驚く光景だが、外国の人の目にはその何十倍もの感動が味わえるのだろう。

朝から、ユネスコの世界遺産の話題で盛り上がっているようだが、ユネスコのお墨付きなど無くても、日本中にネタはいくらでも転がっている。