孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

慎みたい自虐思考。

2015年05月31日 | 日記
和歌山県太地調町のイルカの追い込み漁や捕鯨が動物愛護団体と称するテロ集団のターゲットになっている問題は、日本のマスコミにも大きな責任があると私は見ている。

構造は、南京大虐殺とか従軍慰安婦などとおなじようなもので、真っ向から反論するなんて大人気ないなどといった中途半端な対応でいるうちに、ジリ貧になっていき、そのうち取り返しがつかなくなっていくのである。

この世には、日本を何とかして貶めたいと考える輩がいて、そういう連中はあの手この手で相手を追い詰めていく。こういうやり方は、アングロサクソンの得意中の得意で、日本人のように反論下手な民族は、まんまと術中に嵌ってしまう。

悲しいかな、日本のマスメディアはそういう勢力に一面牛耳られているようなところがあり、この国が悪いと言うことなら喜んで報道するが、そうでないことは報道を控えさせられるのか、どうも遠慮がちになるようだ。

一言でいうと、自分のことを悪く思うこと、悪く言うことを良しとする、「自虐的」な性格の人間が標準的になってしまったようだ。

太地町のイルカ漁を扱った映画が、ドキュメンタリー映画としてアカデミー賞を受賞すれば、それが一つの権威になり、日本人はまったく反論が出来なくなってしまうことを承知で、最初からそういうシナリオに基いているというと、信じられないだろうが、事実である。

アカデミー賞とか、ノーベル賞などは所詮そういうものだと思っていい。日本のアニメが候補になったとかいって大喜びする国民には、アカデミー賞など格好の小道具になると考えるのが、彼らの思考である。

悲しいかな、嘘も百回言えば、真実になってしまうというのが、洋の東西を問わない現実なのである。



アメリカ大陸にいたアメリカバイソン。16世紀には6000万頭が生息していたそうだが、白人が殺しに殺しまくって、ほとんど絶滅させたこと。





カナダでは今でもアザラシの赤ちゃんを毛皮を取るために殺しまくって、血だらけの赤ちゃんを生きたまま毛皮を剥いでいること。



オーストラリアでは、カンガルー狩りが今でも娯楽として行われて、レストランではカンガルーの肉料理が食べられていること。



どうだろう、池上彰あたりに分かりやすく解説してもらう番組を作って、広く日本人に知ってもらうというのは。

なっちゃんが来たぁ・・

2015年05月31日 | 孫ネタ
初孫なっちゃんが、お泊りセットの詰まったかわいいリュックを背負ってやって来た。着くなり、「おじいちゃん、何して遊びたい?」と聞かれて、苦笑いせずにはいられなかった。

と言うのも、金曜日の夜は恒例となった飲み会出の二日酔いと、その後のカラオケで喉がガラガラ状態だったため、今ディ9ションは最悪だったからだ。

なっちゃんは、そんなことはお構い無しで、早速バッグの中から「UNO}というトランプのようなカードを取り出して持ってきた。

「おじいちゃん、UNO(うの)やろうよ」と言われても何のことか分からないので、ルールを教えてもらいながら始めた。一見単純なルールで、出されたカードの色か数字が一致したカードを手持ちのカードから出していき、手持ちのカードが早くなくなった方が勝ちとなる。

手持ちが1枚となったとき、「うの」と宣言することから「UNO」というゲーム名になったようで、スペイン語でUNOは数字の1という意味である。

中には「+2」と書かれたカードもあったりして、それを出されたら、山から2枚のカードを取らなくてはならないので、手持ちのカードが増えたり減ったりする。

なっちゃんは、家で相当鍛えられているようで、合計5かいほどやって、一度も勝てなかった。あまりにも勝ちすぎるので逆に面白くなかったのか、「今度は折り紙しよう」と言って、今度は折り紙教室になった。

「奴さん」の折り方を覚えたようで、その折り方を教授してもらった。その後も、トランプ、ブロック遊び、再びUNO,・・と、夕食をはさんで9時まで続いた。

今朝、なっちゃんは朝5時に目が覚めたそうで、私が起きたときは、もう元気一杯で、何の番組なのか、テレビに合わせて踊っているところだった。

今日も、一通りUNOとトランプを何度かやって、先ほど家に帰ったところだ。歳の所為か、土曜の酒が抜けきらないのか、けだるさが残った日曜の午後である。

原住民博物館も一見の価値あり。

2015年05月28日 | 日記
故宮博物院の展示物が紛失しないことが、中国人観光客の大きな疑問だと何かで読んだ。

台湾に移って60年以上、紛失したものは文書1ページと塩の包み1個らしい。文書1ページは、外部に持ち出された際になくなっていて、塩の方は長い年月に揮発してしまったそうだ。

中国に残したままだったら、今頃はどうなっていたか想像すると面白い。多分無くならずとも、偽物だらけになることは間違いないだろう。

今回の台湾旅行で、一番の心残りになったのが、この故宮博物院だった。混んでいるとは予想したが、あんなにウジが湧いたように中国人団体客が溢れかえっているとは思いもよらなかった。




この次に行けたとしたら、朝一番で入場しようと思う。我慢して列に並んで、順番を待って美術品を見ることはできたのだが、気が付くと自分は美術品を見に来ているのか、マナーの悪い、カラスの群れのような中国人団体客を見に来たのか分からなくなってきた。失意の中、私は外に出て、すぐ近くにあるはずの、台湾原住民博物館へ向った。




故宮博物院を出て左に向って少し歩くと、公園があり台湾に昔から住んでいる原住民諸族のレリーフが立っていた。この公園の真向かいが原住民博物館である。

なかなか見ごたえのある博物館であった。映画「KANO」の中でも、近藤監督が「日本人は守備が上手い。漢人は打力がある。蕃人は足が速く、肩が強い」と言うシーンがあった。まとめて高砂族と呼んだ時期があったようだが、展示を見た印象では、どの部族も勇壮な感じがして、当時の日本の軍国主義に、上手く適合して、そういうことも日本びいきになる土台になったのかもしれない。

このあたり、朝鮮半島に住む人達との大きな相違点ではないだろうか。

和平公園の太極拳演舞

2015年05月27日 | 日記
台湾に行ったら、早朝の公園に散歩に行って、市民が太極拳を踊ってるところをのんびり眺めようか、と漠然と考えていた。泊まった宿が台北駅のすぐ近くで、そこから歩いて5分くらいの距離に、台北でよく知られた、「二二八和平公園」があるのは、下調べで分かっていた。

それに、宿に着いて、荷物を置いてからすぐにその和平公園内にある「国立台湾博物館」に出向いたので、帰りに公園の様子は眺めておいた。

二日目は、予定が詰まっていたので、朝6時に目が覚めた。急いで歯を磨いて顔を洗ってから、公園に出向いた。早朝の通りは昨夜の喧騒が嘘のようにひっそりとして、台北の日曜日の朝はこんなに静かなのかと驚いたくらいだった。


公園に着くと、散歩している人が何人かいたが、体操をしている市民などどこにもいなかった。そんなはずはないと、公園内を散歩がてら歩いていると、チラホラ好き勝手なダンスのような体操をする婦人たちや、空手の型をする老人たちなどが、そこかしこで見受けられるようになってきた。どうやら、私は早く来すぎたらしかった。





そんな中、これぞ太極拳という優雅な動きをしている三人組を見つけた。誰が掃除するのか知らないが、きれいに落ち葉を掃いて、石庭の砂利のような模様が見える木立の中で、静かに流れる音楽にあわせて、太極拳の動きをする三人を見ていると、時間を忘れてしまうようだった。

中国大陸では、公園で集団ダンスをする主婦たちが1億人もいるそうで、当局は謀反を恐れて規制に乗り出したそうな・・・。

台北の和平公園の朝は、そんなピリピリした雰囲気など微塵も感じらない、何とものんびりした空気が漂っていた。

決まり文句に要注意!

2015年05月27日 | 日記
今日の朝刊の曽野綾子さんのコラムが秀逸だった。「戦前と似てきた」論の奇妙、と言うタイトルで、72歳の読者のどこかの新聞の投稿記事をばっさり切って捨てた。

安倍政権批判の常套句に、「戦前の日本と似た空気を感じる」と言う表現があるが、たかが73歳ごときが、知ったようなことを言うものだ、と83歳の曽野女史はたしなめてから、流行りの表現でものを言うのは、恐ろしいことだと閉めた。

確かに、終戦時満2歳の幼児が何を偉そうに、と思う。戦前の体験などないではないか。朝日新聞の記者は、お得意だろうが、ちょっと耳にしただけで立派な記事に仕立てて、「いい加減なことを書くな」と非難されれば、あの人が言ったことを書いたまでだ、と居直るのが大新聞の記者らしい。

「南京虐殺」もその類で、記事にした記者は、世間的にはその社のスター記者になった。「従軍慰安婦」についてもまったく構造は同じで、その会社の伝統のようだ。デタラメを書いた記者は、今や被害者ヅラで威張っているようで、哀れなものだ。

曽野女史のコラムにあるように、中国の文化大革命のときは、猫も杓子も中国を絶賛していた。ハエもい無ければ、犯罪すらないと。その中のある女性政治家がc当時中国に視察旅行に行って、ある田舎町でトイレにいこうとした。

案内されたトイレに入っていったと思ったら、Uターンして出てきたので、何かあったのかと聞くと、「私、あそこでは用をたせませんわ。」と泣きべそをかいたそうだ。

そのトイレは、当時中国ではどこにもあった、個室タイプではない、地面にいくつかの穴が並んでいるだけの便所だったそうだ。

私は、例の「語り部」という老人の自慢話も聞く気にはなれない。あの類の話は、餅を焼くように、熱くなってくると膨らむものだ。確かめたら、平気な顔で、戦時中は乳飲み子だったなどというかもしれない。

参拝者で賑わう龍山寺。。

2015年05月27日 | 日記

台北駅からそう遠くないところにある龍山寺は、パワースポットだという事で、多くの観光客が訪れるお寺です。

特に信仰心が厚くないですが、宗教を問わずこういう場所に行くのは嫌いではありません。つまり、宗教は違えど、祈る姿に変わりが無く、それは誰に頼まれたわけでもなく自発的で真摯な行動だから、見ていて感ずるものがあるのだと思います。

この日は、月曜日の朝でしたが、大変な数の参拝者で賑わっていました。入ってすぐのところで、ろうそく3本と長い線香を5~6本買うのですが、予想以上に混んでいたので今回は諦めました。

お寺の周りもいろいろ面白そうな街並みが続いていて、少し散歩してみたかったのですが、右足にマメを作ってしまったので、こちらも諦めました。



タピオカの歯ごたえがいい・・

2015年05月27日 | 日記
台湾の街を歩いていると、よく飲みを売る小さな店を見かけます。新鮮な果物ジュースを扱う店や、お馴染みのタピオカミルクティーなどです。

このカエルの卵みたいな黒いツブツブの沈んだ飲み物を初めて見たのは、マレーシアででした。確か、3年ちょっと前になりましょうか、シンガポールに赴任していた時、隣国のマレーシアのマラッカまでバス旅行しました。

歩きつかれて、ショッピングモールで一休みしていると、随分繁盛している飲み物スタンドがありました。みんな手に手に妙な飲み物をして、太いストローでおいしそうに飲んでいます。

興味が湧いたので、一つ買ってみたところ、これが甘くて結構いける飲み物で、しかも黒いツブツブがシコシコ歯ごたえがあっておいしいんです。タピオカでできているそうです。

台湾の空港にあるフードコートに行った時、買ってみました。



砂糖控えめ、氷少し、Lサイズは結構飲みごたえがありました。日本でも流行りそうなのですがね・・・。

もう一度観たい、京劇!

2015年05月26日 | 日記
京劇が終わってカーテンコールの後、俳優たちは走ってエレベーター乗り場に続く通路に移動して、観客たちに最後の挨拶をしてくれました。

白い方が、演目の「白蛇伝・金山寺」に出た白蛇の精、白娘子(はくじょうし)。
青い方が、青蛇の精、小青(しょぷせい)です。

二人とも茶目っ気もあって、愉快なギャルという感じの娘さんでした。






youtube に本場中国の京劇の動画がアップされていました。さすがに本場は違います。

よかったら、戦いのシーンだけでも観てください。



https://www.youtube.com/watch?v=bJpDQmPZOjw&index=81&list=WL



台湾、最後の食事・・

2015年05月26日 | 日記
台湾最後の食事が、ルーローファンという、肉そぼろがかかった丼ものと、煮玉子、それに臭い豆腐という、臭豆腐でした。ちょっとニンニクが利いてたけど、決して腐ったような悪臭などしませんでしたね。これで、110元、約440円でした。
食堂のおばさんは、盛んに麺類を勧めてくれましたが、ご飯が食べたかったので、頑固に断りました。



台湾の大衆食堂は、飾らなくていいですね。ホント、気軽に入れます。しかも、待ち時間が短い!!

5分と待ちませんでした。

スナック「藤」の看板(台北)

2015年05月26日 | 日記
京劇の開場まで時間があったので、近所を散歩中見つけました。

ちょっと、間抜けな日本語の看板でした。 残念!!






上下がくっついた字は「カ」と読み、拉は「ラ」ですから、OKをつけて、「カラオケ」と読めるようです。

ただ、スナックではなく、「ッ」が小さな「シ」になってる!!(笑)

東南アジアでは、この手の間違いを良く見かけて笑います。
以前、どこかの空港では、「お帰りなさい」と言う看板が通路にあってんですが、
「お」と言う字が、反時計回りにくるっとまわってて・・・ありゃ、可笑しかった!

大判焼きと聴診器

2015年05月26日 | 日記
私はどちらかと言えば、辛いものが好きだが、甘いお菓子にも目がない。特に、ドラ焼きなどの和菓子は大好きで、つい食べ過ぎてしまう。

近くのスーパーマーケットの近くで、焼き鳥を売るオヤジさんがいる。軽自動車を焼き鳥が焼けるように改造して、焼き鳥だけでなく、大判焼きも焼いて売っている。

以前は、スーパーの駐車場に止めて営業をしていたのだが、そのスーパーが身売りして、岐阜から進出してきた中堅のスーパーに経営が変わってからだったか、追い出されたのだろう、隣の酒屋お駐車スペースの端っこに、その改造軽自動車を止めて、営業を再開した。

買い物に行ったときは、帰りがけにいつもそこで好物の大判焼きを3個買ってくる。甘さがしつこくなく、焼きたてはなかなかおいしいので、いつも、3つは食べすぎかなあ、と思いながら3つ買ってしまう。

特別繁盛している用でもないので、オヤジさんは狭い車の中で椅子に腰掛けて、ポータブルラジオを聴いているようだが、どうだろう、歳は70前後だと見た。

先日も、本屋に行ったついでに、オヤジさんの軽自動車がいつもの場所にあったので、大判焼きを買いに立ち寄った。すると、オヤジさんがそれまで話しかけてきた事などなかったのに、私に話してきた。

「耳のイヤホンは聴診器?」と言った。そのとき、私はi-pod で音楽を聴いていたので、左の耳にだけイヤホンを差し込んでいたのだった。「いや、音楽を聴いてるんです。」と言うと、照れ笑いしながらオヤジさんは、「ああ、そうですか。もしかして聴診器かなって思ったものだからね。」と、言う。

小型の聴診器をいくつか試したのだが、どうも具合が悪いこと。電源をポケットに入れて、イヤホンで聞くタイプの新型が出ていると聞いて試してみようかと考えているが、通販のみで扱っているそうで、試すことはできそうもないこと、などをゆっくりとした調子で話してくれた。

少し話せば、人柄というものは分かるもので、このオヤジさんは悪い人じゃないな、と私は好印象を持った。ただ、私は聴診器を使う年恰好に見られたのかと、正直あまり嬉しい気分ではなかったのだが・・・。

最近は眼鏡屋で聴診器も扱っているようで、オヤジさんはそこで購入していくつか持っているそうだ。聞くと、値段も結構張るようで、ピンからキリまであると教えてくれた。

以前から、気になっていたので、「オヤジさん、ここにいないときは、別の場所で営業してるんですか?」と、聞いてみた。私の記憶では、毎日その場所にはいないはずだったからだ。

オヤジさんはニタッとして、「水曜、木曜は、別のスーパーの駐車場でね。土日はここで・・。後は休み。週4日だけ仕事してんの。」そう言ってから、自嘲気味に笑っていた。私は、「そうですか。それは、いいですね。」と、訳のわからない応答をしてしまって、しまったと思いながら、大判焼き3個を受け取って、自分の車に戻った。

オヤジさんは耳が遠くなっていく不自由はありながらも、何となくギスギスしたところも、アクセクしたところも無い様で、焼き鳥や大判焼きを焼きながら、余生を楽しんでいる風で、その生き方に少し共感できるところがあった。

見た目も大事・・

2015年05月25日 | 日記
実は、先週台湾に行ったときも、地下鉄で立ってつり革にぶら下がっていたところ、駅に着いて降りようとするお婆さんに、袖を引っ張られて席を勧められたことがあった。

そのお婆さんは恐らく70歳位だったと思うが、一体私のことをいくつくらいに見ていたのだろうか。因みに、その時の私の格好は、丈が向こう脛までしかない薄でのニッカボッカを履いて、足はトレッキングシューズ、T-シャツに釣り人が着ているような、ポケットがたくさん付いたベストを着て、頭にPOLOのロゴが縫い付けてある野球帽をかぶっていました。

電車が混んでいれば、座る気にもなったかもしれないが、空席もチラホラあって、乗車率は40%くらいだったでしょうか。袖を引っ張られたので、そのまま勧められた席に座りましたが、年寄りに年寄り扱いされた気分は少し憂鬱でした。

「そんなこと言っても、もう還暦を迎えたんでしょ?」って言われそうですが、同い年の男性を見ても、客観的に絶対自分の方が若く見えると思うんです。(これは、私の主観なんですが・・・。)

そう言えば、職場で、「土曜日の朝3時半に家を出て、夕べ(月曜日)の午前1時半に家に着きましたよ。」と言ったら、誰かが、「若いっすねぇ・・・」と言ってたっけ。あれ、どういう意味だったのだろうか?

「KANO」から学ぶこと。

2015年05月24日 | 外国ネタ
多くの台湾の観客が涙して観た「KANO」は、大阪のアジアン映画祭でオープニングを飾った。そして、エンディングでは台湾と同じように感動した観客がスタンディングオベーションを送った。

その年、台湾の映画際で、「KANO」は観客賞を受賞した。エースの呉投手を演じた曹佑寧さんが助演男優賞を獲得した。そして、台湾のアカデミー賞といわれる「金馬奨」で「KANO」は作品賞にノミネートされたばかりか、永瀬正敏は主演男優賞、馬監督は新人監督賞など、合計6部門にノミネートされ、いくつ受賞するか注目されたのだった。

しかし、結果はひとつも受賞できなかった。観客の投票では1位になって観客賞に輝いたばかりでなく、国際映画批評家連盟賞も受賞したので、無冠という結果はまったく意外であった。

「金馬奨」の審査委員会は、台湾映画の衰退に伴って、次第に中国人が増えてきていていた。中国にしてみれば、この映画は内容が中国人にはあまりにも面白くない展開だ。台湾の現政権も中国寄りで、同じ感覚を抱いていた。内容があまりにも中国には都合が悪すぎる。

そこで、事前情報がまったく関係者には伝えられず、情報が遮断されていた結果、自ずから受賞圏外だった、という裏話があった。戦後、台湾にから日本人が去って、代わりに中国人が流れ込んできたとき、台湾の人は「犬が去ったと思ったら、豚がやって来た。」と揶揄したそうだ。吼えてうるさいが役に立つ犬に代わって、ただ食い散らかすだけの豚がやって来た、と言う意味だった。

日本人が台湾に残したもの。それは、勇気、誠実、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、遵法、清潔という、中国人にはまったく見られない「日本精神(リップンチェンシン)」であった。言い換えれば、「武士道精神」というものだった。今、多くの日本人が忘れかけているものである。


一見の価値あり、台湾映画「KANO」

2015年05月24日 | 外国ネタ
永瀬正敏さんは、時代劇の「隠し剣・鬼の爪」で、渋い侍役を演じていたので注目していた俳優でした。レンタルや図書館から借りたりして、これまで数回観ましたが、正直言って、共演の松たか子の方を観たかったので時々借りてました。しかし、夕べ今回の台湾旅行でお土産に買ってきた、「KANO」を観て、当時より彼に対する評価が一気に倍増しました。

台湾で評判がよかった映画だと何かで見たので、ダメもとでかったDVDでしたが、いやいやなかなかいい映画でしたよ。184分という長編映画が、中間の休憩もなしでもその長さを感じさせないストーリー展開と編集でした。しかも、ほとんど前編が日本語で、中国語の字幕が付くという、面白い台湾映画でした。

最初、それを聞いたとき、なぜ台湾映画なのにセリフのほとんどが日本語なのかと思いましたが、台湾が日本統治時代の話で、当時は韓国でもパラオでも同じだったように、日本語教育が徹底していたためで、何も日本上映を念頭にセリフを日本語に設定したわけではなかったのです。

日本統治時代とは、1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの50年間で、映画はその間の1931年(昭和6年)の出来事を扱ったものです。KANOとは嘉義農林学校、略して「嘉農」をアルファベット書きしたもので、野球のユニフォームにKANOと縫い付けてあります。嘉義とは、台湾の南西(地図の左下の方)に存在する町の名前で、肥沃な平野部に今でも存在します。

去年、台湾でこの映画が公開されたときは、映画館に行列ができ、満員で入場できない映画館もあったほど、熱狂的な人気を博し、3時間を越す長編にもかかわらず、エンディングテーマが出ても観客からの拍手は止まず、総立ちとなってスタンディングオベーションを送ったそうです。

一体何が受けたのか。日本統治時代に育った年配者に受けたのか。ところが観客の多くは若者で、涙をすすりながら観るカップルがたくさん見られたようです。当時の嘉義農林学校は、日本人が20%、台湾人が75%、アミ族など原住民が5%という構成で、当時の満州、朝鮮と同じように同化主義に基いた教育が行われていました。

しかし、野球の実力では台湾北部にある日本人中心の学校には歯が立たず、実力の差は歴然としていたようです。そんな時嘉義に赴任してきたのが永瀬正敏演ずる近藤兵太郎でした。近藤は四国・愛媛の名門、松山商業出身で簿記の教師として家族と共に台湾に渡ってきたのです。

彼の経歴に注目した嘉義農林野球部は、野球部を彼に託し、それに答えて嘉義農林は台湾大会で優勝し、本土の甲子園大会に台湾代表として出場したのです。ここまででも十分盛り上がりましたが、映画はここからが面白いところです。途中、台湾人なら誰でも知っている、八田與一も登場しています。

八田與一の名前を知らない日本人はたくさんいるでしょうが、彼の名前を知らない台湾人は恐らくいないというくらい、台湾では有名な日本人です。1910年に東大の工学部土木科を卒業して、台湾に渡ってから水利事業で実績を上げ、当時旱魃に悩まされていた嘉義のある嘉南平野に、当時東南アジア最大の烏山頭ダムを始めとする「嘉南大圳(しゅう)」と呼ばれる大灌漑水路を張り巡らせ、畑を水田に換えて農業生産を飛躍的に増大させる大貢献を果たしました。

昭和6年、第17回全国中学校優勝野球大会に出場した嘉義農林は、予想を覆して強豪校を次々に倒し、何と決勝まで進出してしまいます。それまで無名だった嘉農は日本人の多くに感銘を与え、甲子園は観客で溢れかえります。

決勝ではそれまでの連投が影響して、エース呉投手の右手人差し指の爪が割れて出血し、愛知・中京商業に完封負けをして、台湾に優勝旗を持ち帰ることは出来ませんでした。

台湾に帰る船上で、野球に興じるところ、呉投手が近藤監督に話かけます。「監督、帰ったら大勢で出迎えてくれるのか、がっかりした人達を見るのか、どちらでしょうね。」 すると、近藤監督は応えます。「きっと、見渡す限り、風にたなびく黄金の稲穂が迎えてくれるさ。」

一瞬、放心状態になりそうなくらい、すばらしいラストでした。

旧約聖書のバットマン・・

2015年05月23日 | 日記
海外旅行の楽しみの一つに、機内食と機内で観ることが出来る最新作の映画があります。今回の台湾旅行では、機内食に広島風お好み焼きでしょうか、焼きそばがたっぷりのお好み焼きが出ましたが、これがおいしかった!台湾ビールのおつまみにもなって、出来ればもう一人前追加したいくらいでした。

映画の方は、最近は洋画も邦画も充実していて、新旧のラインナップを見ているだけで、選択に迷ってしまうほどです。3年前にシンガポールに行く飛行機の中では、「Always 三丁目の夕日」を観ました。

クライマックスの居酒屋で、「指輪は・・・今度原稿料が入ったら買うから・・・」と、箱だけを小雪に渡すと、小雪はさっと左手を差し出して、「指輪はめてよ。」と言います。吉岡は、見えない指輪を小雪の薬指にはめるしぐさをすると、小雪はその指を裸電球にかざして、「きれい・・・」と一言いいます。

実はこの映画は、DVDで2度ほど観た事があったのですが、このシーンをまた観たくて、シンガポール航空の機内でも観ちゃいました。そして、一人で声を押し殺して、オイオイ泣いちゃいました。

さて、今回の台北行きの機内では、大好きなクリント・イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」を観たかったのですが、旧約聖書の出エジプトを映画化した、「エクソダス:神と王」も観たかったので、少し迷ってしまいました。

中学生のときだったか、学校の講堂で観た、「モーゼの十戒」の紅海が左右に割れてヘブライ人たちが歩いて渡るシーンと、チャールトン・ヘストンのモーゼが強烈に記憶に残っていたので、「エクソダス」ではどういう描き方をしているか、興味がありました。

迷った挙句、「エクソダス」を選びましたが、これが大失敗でした。何と、モーゼ役はバットマンだったのです。クリスチャン・ベールという英国の俳優ですが、「バットマン・ビギンズ」から確か三作、ブルース・ウェイン(バットマン)役で出てましたよ。彼のお陰で、バットマンが暗い感じになっちゃったという不評もありましたが、イメージは定着してました。

「エクソダス」が始ってすぐに、私は、「あれ?バットマン。エジプトで何やってるの?」といった妙な気分にさせられ、その後もまったく映画に集中できなくて、そのうち睡魔に襲われ、「もうすぐ着陸態勢に入ります・・・」という機内放送で目が覚めました。

人気シリーズの主役を取るのもいいでしょうが、イメージが固定化されるのも、困ったものでしょう。もしかして、それを払拭するのも俳優の実力のうちなんでしょうか。やっぱり、「アメリカン・スナイパー」を観とけばよかったと、少し後悔しています。