サッカーの技術的なことはよく分からないが、これまで日本チームはゴール前でシュートすればいいのに、わざわざパスして好機を逸することが多かったような気がしていた。見ていてフラストレーションが溜まる試合ばかりだった。
それが、最近の若いチームの勝ち方を見ていると、明らかに変わってきているようだ。チャンスを逃がさず、反射的にシュートして得点している。
幼い時から日本を憎むように教育されて育った南朝鮮の若者は、日本チームと戦う際は感情むき出しでかかってくる。これは、サッカーや野球だけに限らず、すべてのスポーツに通ずることだ。
それは、負けた時の選手へのバッシングがあまりにも強烈であるためのようだ。
youtube で過去の女子バスケットボール、日韓戦を検索して観るがいい。彼らの日本チームに対する異常性は、性別や種目を問わないことがよく理解できる。ボールゲームというより、格闘技のようだ。しかも、反撃してこない相手に暴力を振るう格闘だ。
日本には、「勝負はときの運。」という言葉があるが、あまりに理不尽な戦い方を観ると、こちらの血圧は自ずから上昇する。
それだけに、早朝のU23サッカーの逆転勝利は、気分のいいものだった。
昨夜の日韓戦、私は既視感(デジャブ)を感ずる。
まだ社会人になったばかりの年の秋、私は社命で南朝鮮南部の田舎町にいた。釜山から西に車で1時間ちょっと走ったところにある晋州という街だった。
30年以上前のことで、当時はまだ未舗装道路が多く、自動車がクラクションをパーパー鳴らしながら、砂煙を上げて行き交っていた光景が目に浮かぶ。
そんな街の温泉マークの看板のある安宿の一室に滞在していた私は、輸入する剥き栗の検品のため、小さな工場に張り付いていた。
テレビはまだそれほど普及していないため、街の喫茶店に夜な夜な街の人が集まってきて、甘いコーヒーを飲みながら店内のテレビを観るのが流行っていた。
通訳をしてくれる黄さんというおじさんが、「今夜はテレビでボクシングの試合がありますよ、日本の選手の。」と教えてくれた。
仕事を終えてから、食堂で腹ごしらえした私は、それまで何度か通った喫茶店に入った。店内はいつもと違ってほぼ満席状態で、どうもボクシングの中継を観戦する目的で集まった近所の人たちのようだった。
あちらの喫茶店は、日本のそれと違い、席に着くと小奇麗な服を着たお嬢さんがポットとインスタントコーヒー、砂糖などが載ったお盆をもって横に座り、コーヒーを淹れてくれるという、妙なシステムだった。
私はその店の常連というほどではなかったが、朝鮮語が分からない日本人ということで店員達には知れ渡っていて、カタコトの英語を話すお嬢さんがコーヒーを運んでくれるのだった。
その彼女によると、その晩は「日本人チャンピオンと韓国人ボクサーのタイトル戦が中継される。」という。
それが、当時WBCフライ級チャンピオンだった大熊(おぐま)正二と前チャンピオンの韓国人ボクサーの一戦だった。試合は激しい打ち合いになり、優劣がはっきりしないまま15回を終えた。
店内は私以外全員が当然韓国人ボクサーを応援しているわけで、彼のパンチが大熊にヒットする度、耳をつんざくウォーというものすごい声援が店内に響き渡った。
私は、当然大熊を応援していたが、とても声に出して応援できる雰囲気ではなく、声を殺して観ていた。結果は素人目にはまったく分からなかった。
そして、判定結果が発表となった。
2-1の僅差で大熊の手が上げられた。
私は、思わずウォーと両手をあげて飛び上がるように立ち上がり、拍手をした・・・。いや、拍手をしてしまった。
ほぼ満席で後ろの方には立ち見の客もいた店内の人達の視線が、私に痛みを感じさせるほど突き刺さってきた。大袈裟ではなく、私はそのとき殺気のようなものを感じ取った。
誰かに何か話しかけたかったが、その相手もいず孤立無援だった私は、お勘定を済ませ足早に宿に戻った。途中、何度も後ろを振り返りながら・・・。
翌朝、工場に出向くと、通訳の黄さんが私のところに来て、「夕べのオグマのパンチはみんなオープンブローで、あれはポイントにはなりませんよ。」と言うのだった。
私は、「ああ、そうですか。」と応えるのが精一杯であった。しかし、心中は「大熊よ、よくやった!」という気持ちで充満していたのだった。
それが、最近の若いチームの勝ち方を見ていると、明らかに変わってきているようだ。チャンスを逃がさず、反射的にシュートして得点している。
幼い時から日本を憎むように教育されて育った南朝鮮の若者は、日本チームと戦う際は感情むき出しでかかってくる。これは、サッカーや野球だけに限らず、すべてのスポーツに通ずることだ。
それは、負けた時の選手へのバッシングがあまりにも強烈であるためのようだ。
youtube で過去の女子バスケットボール、日韓戦を検索して観るがいい。彼らの日本チームに対する異常性は、性別や種目を問わないことがよく理解できる。ボールゲームというより、格闘技のようだ。しかも、反撃してこない相手に暴力を振るう格闘だ。
日本には、「勝負はときの運。」という言葉があるが、あまりに理不尽な戦い方を観ると、こちらの血圧は自ずから上昇する。
それだけに、早朝のU23サッカーの逆転勝利は、気分のいいものだった。
昨夜の日韓戦、私は既視感(デジャブ)を感ずる。
まだ社会人になったばかりの年の秋、私は社命で南朝鮮南部の田舎町にいた。釜山から西に車で1時間ちょっと走ったところにある晋州という街だった。
30年以上前のことで、当時はまだ未舗装道路が多く、自動車がクラクションをパーパー鳴らしながら、砂煙を上げて行き交っていた光景が目に浮かぶ。
そんな街の温泉マークの看板のある安宿の一室に滞在していた私は、輸入する剥き栗の検品のため、小さな工場に張り付いていた。
テレビはまだそれほど普及していないため、街の喫茶店に夜な夜な街の人が集まってきて、甘いコーヒーを飲みながら店内のテレビを観るのが流行っていた。
通訳をしてくれる黄さんというおじさんが、「今夜はテレビでボクシングの試合がありますよ、日本の選手の。」と教えてくれた。
仕事を終えてから、食堂で腹ごしらえした私は、それまで何度か通った喫茶店に入った。店内はいつもと違ってほぼ満席状態で、どうもボクシングの中継を観戦する目的で集まった近所の人たちのようだった。
あちらの喫茶店は、日本のそれと違い、席に着くと小奇麗な服を着たお嬢さんがポットとインスタントコーヒー、砂糖などが載ったお盆をもって横に座り、コーヒーを淹れてくれるという、妙なシステムだった。
私はその店の常連というほどではなかったが、朝鮮語が分からない日本人ということで店員達には知れ渡っていて、カタコトの英語を話すお嬢さんがコーヒーを運んでくれるのだった。
その彼女によると、その晩は「日本人チャンピオンと韓国人ボクサーのタイトル戦が中継される。」という。
それが、当時WBCフライ級チャンピオンだった大熊(おぐま)正二と前チャンピオンの韓国人ボクサーの一戦だった。試合は激しい打ち合いになり、優劣がはっきりしないまま15回を終えた。
店内は私以外全員が当然韓国人ボクサーを応援しているわけで、彼のパンチが大熊にヒットする度、耳をつんざくウォーというものすごい声援が店内に響き渡った。
私は、当然大熊を応援していたが、とても声に出して応援できる雰囲気ではなく、声を殺して観ていた。結果は素人目にはまったく分からなかった。
そして、判定結果が発表となった。
2-1の僅差で大熊の手が上げられた。
私は、思わずウォーと両手をあげて飛び上がるように立ち上がり、拍手をした・・・。いや、拍手をしてしまった。
ほぼ満席で後ろの方には立ち見の客もいた店内の人達の視線が、私に痛みを感じさせるほど突き刺さってきた。大袈裟ではなく、私はそのとき殺気のようなものを感じ取った。
誰かに何か話しかけたかったが、その相手もいず孤立無援だった私は、お勘定を済ませ足早に宿に戻った。途中、何度も後ろを振り返りながら・・・。
翌朝、工場に出向くと、通訳の黄さんが私のところに来て、「夕べのオグマのパンチはみんなオープンブローで、あれはポイントにはなりませんよ。」と言うのだった。
私は、「ああ、そうですか。」と応えるのが精一杯であった。しかし、心中は「大熊よ、よくやった!」という気持ちで充満していたのだった。