孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

韓国戦、上がる血圧、下がる溜飲

2016年01月31日 | 日記
サッカーの技術的なことはよく分からないが、これまで日本チームはゴール前でシュートすればいいのに、わざわざパスして好機を逸することが多かったような気がしていた。見ていてフラストレーションが溜まる試合ばかりだった。

それが、最近の若いチームの勝ち方を見ていると、明らかに変わってきているようだ。チャンスを逃がさず、反射的にシュートして得点している。

幼い時から日本を憎むように教育されて育った南朝鮮の若者は、日本チームと戦う際は感情むき出しでかかってくる。これは、サッカーや野球だけに限らず、すべてのスポーツに通ずることだ。

それは、負けた時の選手へのバッシングがあまりにも強烈であるためのようだ。

youtube で過去の女子バスケットボール、日韓戦を検索して観るがいい。彼らの日本チームに対する異常性は、性別や種目を問わないことがよく理解できる。ボールゲームというより、格闘技のようだ。しかも、反撃してこない相手に暴力を振るう格闘だ。

日本には、「勝負はときの運。」という言葉があるが、あまりに理不尽な戦い方を観ると、こちらの血圧は自ずから上昇する。

それだけに、早朝のU23サッカーの逆転勝利は、気分のいいものだった。



昨夜の日韓戦、私は既視感(デジャブ)を感ずる。

まだ社会人になったばかりの年の秋、私は社命で南朝鮮南部の田舎町にいた。釜山から西に車で1時間ちょっと走ったところにある晋州という街だった。

30年以上前のことで、当時はまだ未舗装道路が多く、自動車がクラクションをパーパー鳴らしながら、砂煙を上げて行き交っていた光景が目に浮かぶ。

そんな街の温泉マークの看板のある安宿の一室に滞在していた私は、輸入する剥き栗の検品のため、小さな工場に張り付いていた。

テレビはまだそれほど普及していないため、街の喫茶店に夜な夜な街の人が集まってきて、甘いコーヒーを飲みながら店内のテレビを観るのが流行っていた。

通訳をしてくれる黄さんというおじさんが、「今夜はテレビでボクシングの試合がありますよ、日本の選手の。」と教えてくれた。

仕事を終えてから、食堂で腹ごしらえした私は、それまで何度か通った喫茶店に入った。店内はいつもと違ってほぼ満席状態で、どうもボクシングの中継を観戦する目的で集まった近所の人たちのようだった。

あちらの喫茶店は、日本のそれと違い、席に着くと小奇麗な服を着たお嬢さんがポットとインスタントコーヒー、砂糖などが載ったお盆をもって横に座り、コーヒーを淹れてくれるという、妙なシステムだった。

私はその店の常連というほどではなかったが、朝鮮語が分からない日本人ということで店員達には知れ渡っていて、カタコトの英語を話すお嬢さんがコーヒーを運んでくれるのだった。

その彼女によると、その晩は「日本人チャンピオンと韓国人ボクサーのタイトル戦が中継される。」という。



それが、当時WBCフライ級チャンピオンだった大熊(おぐま)正二と前チャンピオンの韓国人ボクサーの一戦だった。試合は激しい打ち合いになり、優劣がはっきりしないまま15回を終えた。



店内は私以外全員が当然韓国人ボクサーを応援しているわけで、彼のパンチが大熊にヒットする度、耳をつんざくウォーというものすごい声援が店内に響き渡った。

私は、当然大熊を応援していたが、とても声に出して応援できる雰囲気ではなく、声を殺して観ていた。結果は素人目にはまったく分からなかった。

そして、判定結果が発表となった。

2-1の僅差で大熊の手が上げられた。

私は、思わずウォーと両手をあげて飛び上がるように立ち上がり、拍手をした・・・。いや、拍手をしてしまった。

ほぼ満席で後ろの方には立ち見の客もいた店内の人達の視線が、私に痛みを感じさせるほど突き刺さってきた。大袈裟ではなく、私はそのとき殺気のようなものを感じ取った。

誰かに何か話しかけたかったが、その相手もいず孤立無援だった私は、お勘定を済ませ足早に宿に戻った。途中、何度も後ろを振り返りながら・・・。

翌朝、工場に出向くと、通訳の黄さんが私のところに来て、「夕べのオグマのパンチはみんなオープンブローで、あれはポイントにはなりませんよ。」と言うのだった。

私は、「ああ、そうですか。」と応えるのが精一杯であった。しかし、心中は「大熊よ、よくやった!」という気持ちで充満していたのだった。


似て非なる食文化

2016年01月30日 | グルメ
産経新聞に海外特派員の伝える「外信コラム」があって、いつも楽しみにしている。

南朝鮮の特派員のコラムは、「ソウルからヨボセヨ」というタイトルで、南朝鮮の文化を様々なエピソードを交えて伝えてくれる。彼の国が距離的に近く、見た目も似たような連中なのに、如何に我々とは異なる生き物かが分かって面白い。

今週のそれは、焼き魚の食べ方についてであった。ソウルの名村特派員が同僚となじみの食堂に行き、焼き魚を食べるのを見て、店の主人が「まるで魚の解剖だ。」と言って驚くのだった。



我々日本人は、小さい頃から「残さず全部きれいに食べなさい。」と躾けられるものだ。特に秋刀魚などは頭と骨と尻尾だけを残して、すべて食べつくすのが極普通の食べ方だ。これは、誰に習うわけでもなく、いつの間にか自然に身につく習性だと思う。

しかし、数年前シンガポールに赴任していたとき、私も良く目にしたが、日本人特有の文化のようだ。

シンガポール高島屋の地下にある、日本の水産会社が出している魚料理の食堂で、昼食によく秋刀魚定食を食べたが、地元の客の食べた後は、まるでまだ箸を旨く使いこなせない幼稚園児が食べ散らかしたようで、見るたびに何だか自分が誇らしく感じたものだった。

名村特派員のコラムによると、南朝鮮では、残すことが美徳とされるそうだ。

『きれいに平らげることは「料理が足りない」と受け取られ、むしろ接待してくれた相手には失礼にあたるのだ。骨だけきちんと残して食べて、もてなしてくれた韓国人からけげんな顔をされた日本人の知人もいる。よって、韓国人から食事の接待を受ける場合は、必ず意図的に“品良く残す”ようにしている。』

怖いものしらずだった若いとき、私も数ヶ月間出張で南朝鮮に滞在した事があるが、これは寡聞にして耳にしたことがなかった。

当時、私は朝鮮語など話せずとも、英語を話せれば何とかなるだろうと高をくくっていたところ、滞在した晋州という田舎町では英語などまったく通じなくて、冷や汗をかいたものだった。

昼食など、田舎町の小さな食堂に行くのだが、一人ではまったく注文などできず、他の客の食べている料理を適当に指をさして、「これ下さい。ひとつ。」と人差し指を立てたものだった。

テーブルで待っていると、キムチを盛った小皿がいくつもテーブルに並び始め、「ちょっと待って、これは注文してません!いらない!いりません!」と、慌てて身振り手振りで訴えたのだったが、運んでいるおばさんはニコニコするだけで、見事にテーブル一面に小皿をならべたのだった。



後でしったのだが、小皿のキムチはすべてサービスで、無料だった。最後に汁なし坦々麺のようなウドンのような私が指差しで注文した料理が運ばれてきて安心したのだが、出されたキムチはほとんど手付かずだった。

今思えば、残したのが正解だったのかもしれない。

さて、名村特派員のコラムに戻ろう。

『魚の骨とヒレだけが残った皿を見て、店主は「芸術的だ」とも言った。「食べ物は作った人の血と汗。日本では残してはいけないと親から教育を受けるのです」と説明したら、「残飯も減る。学ぶべきだ」と素直に感心していた。』そうだ。

実際、南朝鮮の残飯の量は非常に多く、社会問題になっているそうだ。

『作る側の店主は「料理した者の血と汗を粗末にしてはいけない」という考え方にも、いたく感動していたようだ。』と、コラムは終わっていた。

ところで、きれいに食べた焼き魚を見て、店主は「芸術的だ。」と言ったそうだが、南朝鮮人たちの美的センスを私は当時からいかがわしく感じていたものだった。

それは、「ビビンバ」という料理をたべたときだった。



現地のスタッフと一緒に入った食堂で、同じものを注文して、出された料理を見たときは、正直に「うまそうだ!」と思ったものだった。しかし、一緒に行った彼は、朝鮮独特の食器であるステンレスの柄の長いスプーンを持って、きれいに並べられた具材をグチャグチャに混ぜ始めたのだった。



そして、私にも同じようにやれと目で指図した。卵の黄身をスプーンで潰して他の具材やその下のご飯と混ぜる。それも、とことん混ぜるのだ。

もう十分混ぜたからこの辺でいいだろと思い、手を止めると、彼はまだダメだ、もっと混ぜるのだと目で合図する。

なんでも、『ビビンバ』とは「混ぜるご飯」という意味なのだそうだ。セメントを練る如く、もう嫌になるほど混ぜた。



元のきれいでおいしそうだった料理が悲惨な残飯のような、まるで家畜の餌のような体裁に様変わりし、食欲も少し失せたのだった。

日本の料理屋で、もしチラシ寿司をこんな風にぐちゃぐちゃに混ぜたとしたら、周りの客はきっと私を精神病でも患っているものと勘違いするに決っている。

似たように見えても、南朝鮮の食文化は、我々のそれとは異なるものだと痛感させられた。


気になる元小結

2016年01月30日 | 日記
英語名、Dancing Ocean と聞いてすぐ分かる方は相当な相撲通だろう。

ダンスィング・オーシャン、踊る海・・・。 そう、元小結・舞の海秀平のことである。

お笑い番組で、「ぶらり、途中下車の旅」のレポーターをする舞の海のモノマネを得意とするお笑いタレントを見て、実際に本物はどうなのかと、土曜日の「ぶらり・・」を見てみると、モノマネ通りだったので、ひとりでバカ受けした事があった。



それ以来、私の中では、舞の海はちょっと気になる「タレント」程度であったが、先日大相撲初場所を見ていたとき、解説者でゲスト出演していたので、そのまま注意して見ていた。

千秋楽、白鵬が日馬富士に立ち合い変化からの上手投げであっさりと敗れたとき、実況アナウンサーが、初場所の横綱白鵬の終盤の取り組みに関して、向正面解説の舞の海にコメントを促した。



すると、彼はズバリとこう解説したのだった。

『ケガとかそういうことではなく、気力が少し衰えているのかなと、モチベーション下がっているのかなと。もしかすると、この白鵬の目標というのは優勝とは違ったところに向かっているのかもしれないですね。』

アナウンサーが、「どういうことか?」と聞くと・・・

『引退後のことですよね。そういうことも少しチラついてきているのかなと思ったりもしますよね……。』

正面解説者の北の海が、舞の海の発言を軽く咎めたのだが、確かに終盤の数日の横綱白鵬の相撲は、まったく迫力がなくて興ざめするものだったので、私は舞の海に同感であった。

舞の海 秀平、本名・長尾秀平は青森県出身の出羽海部屋所属の元小結で、初土俵は1990年。約9年間、小兵力士の代表格としてファンを魅了して引退し、現在はCMやレポーターなどをするタレント業を生業としているようだ。

初場所が終わった次の日の産経新聞朝刊に『舞の海の、相撲俵論』というタイトルのコラムが出ていたので、興味深く読んだ。

原稿用紙4枚程度のコラムだったが、なかなか文才があるようで、リズム感のある鋭い切り口を感じさせる文章だった。

その内容は、大関稀勢の里のふがいなさを咎めて、彼の弱点を開設し、更なる奮起を促すものだった。

『初場所千秋楽。琴奨菊が初優勝を決め、客席で両親が涙を流しながら手をふるわせている姿を見たか。そして、ふるさと柳川の歓喜する様子を。・・』

『・・稀勢の里の地元・茨城からやってきたオレンジのはっぴ姿の応援団を見ると、いつも胸が詰まる。あの人たちは稀勢の里の初優勝を信じて一心に応援を続けている。そこに何を感じ、どう取り組まなければならないのか。』

『残された時間は多くはないが、今からでも遅くない。』

表現は辛辣だが、それだけに舞の海の稀勢の里に対する真剣な想いが、行間から伝わってくるコラムだった。もしかすると、それは稀勢の里を代表とする日本人力士全員に対する舞の海のエールだったのかもしれない。



現役時代の舞の海は、「平成の牛若丸」、「技のデパート」の異名で親しまれた力士だった。得意技は、内無双、切り返しなどで、当時小錦や曙、武蔵丸といった超大型力士の多かった中で、異色だがキラリと光る小兵力士だった。



中でも強烈に印象に残る相撲は、1991年11月場所の「牛若丸と弁慶」の戦いと呼ばれる曙との一番だった。

舞の海は、何とかして曙を負かそうと、数ヶ月前から綿密に作戦を練っていたという。それまでの舞の海は、正攻法に立ち会っては、曙の巨体に跳ね返され、歯が立たなかった。まともに戦っては到底勝てる相手ではない。

出羽海部屋の同僚力士達の助言や協力を得て作戦を練り直し、稽古場の片隅にあぐらをかいて、しきりに首をひねっている舞の海の姿があったという。

場所前の曙との稽古のときは、いつもまともに正面からぶつかっていき、わざと跳ね返されてはボロ負けしていたそうだ。何番も何番も胸を出して立ち会って、曙のもろ手突きに吹っ飛ばされ、まるで相手にならない印象を植え付けようと努めたのだった。

そして、ついに来た本場所の一番。舞の海は稽古のときと同じように胸を出して立ち会った・・・と見せかけた。



胸を出して立ち会ったその瞬間だった。予想通り曙が突き出してきたもろ手の下をくぐって、舞の海は曙の腰に喰らいついた。





舞の海は左下手を差すと左足を曙の右足に絡め、右手で曙の左ももを抱えた。さらに頭で曙の胸を押す「三所攻め(ミドコロ攻め)」でバランスを崩し最後は内掛けで倒した。



部屋の親方は普通、立会いは頭で当たって、前に出ろと指導するものだが、出羽海部屋の師匠、元横綱佐田の山は違った。

舞の海にだけは「技は何をしても良い。好きなようにやれ」と異例の許しを出し、立合いのぶつかりも強要しなかったという。

この出羽海親方は相撲協会理事長に就任し、フランスのシラク大統領との約束を果たすために大相撲パリ公演を断行した。1995年秋のことだった。

時あたかも同年9月に南太平洋ムルロア環礁で地下核実験をやってのけ、フランスは世界の非難を浴びつつあった。大相撲のパリ公演を中止せよ、という平和団体らの強い抗議を押し切ってパリ公演を実行した出羽海理事長のことを、当時現役力士として同行した舞の海が語っている。

『晩餐会の席上、大統領シラクさんに面と向かってこう挨拶したんです。“世界で唯一の被爆国民である日本人の一人として、核実験はまことに遺憾なことと思います。中止されることを心からお願いします”と。』

『師匠は、晩餐会の挨拶を徹夜で考え、この挨拶の所為で外交問題にでもなったら、理事長を辞任する覚悟だった、と言っていた。』そうで、舞の海はこれを知って思わず唸ったそうだ。

『当のシラク大統領は、何も答えなかったが、何度も何度もうなずいていましたよ。でも、これがいうべきことはいう友好の外交じゃないですかね。』

「私はね、友達が嫌がることはしないんです。」と言った能無し首相が日本にはかつていたが、舞の海にはああいう首相は我慢できなかったであろう。

連合艦隊指令長官、山本五十六の語録に、「やってみせ、云って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という名言がある。

これに、「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」、そして、「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」と名言はつづく。

今日の舞の海は、山本五十六の言葉を実践したような元横綱佐田の山の出羽海親方の指導の賜物のような気がする。

バッグを肩に掛け、途中下車の旅をする今の舞の海は、身長169cm、体重85kgだそうだ。新弟子検査の当時の規定173cmをクリアするため、頭皮の下に袋を埋め込み、シリコンを注入して検査をパスしたそうだ。

身長も体重も、舞の海とほぼ同じでおまけに血液型まで同じ所為か、私は舞の海のファンになったようだ。

今朝、早速アマゾンで彼の著書を1冊注文した。



傀儡の外無大臣

2016年01月24日 | 日記
昨年7月の長崎軍艦島世界遺産登録のとき、南朝鮮にまんまとしてやられたような感じで、強制労働を認めさせられた日本の外務省の失態はまだ記憶にある。

「強制的に働かされた」という意味の、be forced to work と「強制労働」の英語、forced labor は違う、と外務大臣が威張ってみたところで、両者が同じ意味であることは高校生でも分かることだ。

このことは、7月7日のこのブログ『たかりの種』でも話題にしたが、あの表現を岸田外務大臣が自ら、確認して検討して了承したわけではあるまい。

彼は取り巻きの朝鮮べったりの外務官僚か朝鮮に通ずる首相官邸内にいる「側近」が、南朝鮮側と調整した上で耳打ちしたことを、言われた通りに演じたに過ぎない。



年末の悪夢のような、いわゆる慰安婦問題に関する「日韓合意」のときも、岸田の行動は軍艦島の時とまったく同じだったと想像できる。

その要旨はこうだった。

慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。

日本政府の予算により、全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には、韓国政府が、元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し、日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。

今回の発表により、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。



当時の日本軍が、20万人もの朝鮮人女性をかき集めて性奴隷として虐げた、などというデタラメを認めて謝罪し、10億円という慰謝料を日本人の税金から払う、という内容の記事は、世界中に流された。

当時米国でこのニュースを見た評論家の青山繁晴氏によると、日本のニュースなどメッタに流さない米国のテレビ三大ネットワークは、すべてでこのニュースを報道し、『日本軍は当時20万人のコリアンガールをセックススレーブ(性奴隷)として、酷使したことに対し、賠償金としてワン・ビリオン(10億)を支払うと発表した。』と報道していたという。

空港にあるテレビでこのニュースを見ている外国人を観察していると、みんな呆れ返った表情で口を開け、ワン・ビリオン・・・と呟いていたそうだ。青山氏は、多分One-
billion dollars (10億ドル=1000億円)と勘違いしていただろう、と言っていたが、それよりも Sex slaves (性奴隷)の表現は刺激的過ぎる。

海外に在住の日本人や日系人は、どんな思いでこのニュースを聞いただろうか。彼らの心中を察すると、心が痛む。

今回、台湾に旅行したときも、私は台湾の人もそういう目で日本人観光客を見ているのではないだろうかと、少し気になった。

事実なら、諦めもつくが、軍艦島にしてもとてつもない高額の給料がしっかりと支払われていたし、慰安婦などはプロの女衒が集めた売春婦にすぎず、商売のため軍隊にくっついていただけで、軍隊は性病予防などの健康管理などで関与があっただけだった。

軍隊自ら慰安婦を集めたなどというのは、吉田清治という大嘘つきとそれを利用した朝日新聞の意識的大誤報であったことは、朝日新聞自ら認めたではないか。

年末の日韓合意は、安倍総理が国際金融資本家たちの圧力に屈した結果だと考えたいが、真相は分からない。

つまり、南朝鮮の経済は、1997年の通貨危機のとき以来、国際金融資本家の手中にあるわけで、彼らにしてみれば南朝鮮の面倒を日本にさせようという魂胆なのである。

糸をたどればそこに行き着くのかもしれないが、総理の側近にはそういう輩が他にもいるようで、外務大臣などを操るのはたやすいのだろう。

   何と大手人材派遣会社の会長様

それにしても、あの外務大臣が安倍総理に続く次期総理候補だとは、何とも嘆かわしい限りではないか。私にはただの役立たずにしか見えない。


支那におもねる事大主義

2016年01月24日 | 日記
台湾の総統選挙結果を見て先週17日夜に無事帰国したが、現地では知り得なかった選挙にまつわる興味深いエピソードを知った。

そこで、持ち帰った16、17日付の台湾英字新聞を再読してみると、そのことに関する記事がしっかり載っていて、詳細が理解できた。

TAIPEI TIMES の記事は見出しをこう付けて報じていた。

【 Singer's "forcede apology" angers nation 】
(歌手の「強制させられた謝罪」が国民を怒らせる)

歌手とは、Chou Tzu-yu という16歳の少女のことだ。彼女は韓国のいわゆるK-POPのグループ、「TWICE」の9人のメンバーの一人で、台湾出身のなんともかわいらしい少女だった。



他のメンバーは南朝鮮国の少女が5名、日本人が2名、日系アメリカ人が1名。平均年齢18歳のこの手のK-POP少女グループは、他にもウジャウジャいて、私は誰がどこの誰なのかまったく分からないが、彼女 Tzu-yu が所属するプロダクションは聞いた事がある。

それは、JYPエンターテイメントといい、Park Jin Young というブサイクな顔の社長が率いるプロダクションである。



なぜ、知っているかというと、数年前仕事でフィリピンにいた時、レストランやカラオケで嫌と言うほど耳にした NOBODY というK-POPの歌を歌っていた、ワンダーガールズの所属グループだったからだ。一緒に仕事をしていた南朝鮮人が聞きもしないのに教えてくれたのだった。

Park は苗字で、Jin Young が名前だが、名刺には Jin Young, Park というように、名前・苗字の順に表記する。その頭文字を並べて JYPという社名にしたようだ。

少女に枕営業をさせたとかいう噂のあるプロダクションで、別名「韓国の小室哲哉」と呼ばれているなどとウィキペディアに出ていた。

台湾の総統選挙投票日の直前に何が起きたのか。

その顛末は、韓国のバラエティー番組 "My Little Television" で昨年の7月に活動を開始したばかりのTWICEが出たことから始った。

その番組の中で、台湾出身の“周子瑜(チョウ・ツウィ)”は、他のメンバーがしたように南朝鮮の旗と、自分の出身地を示す“中華民国”の国旗である“青天白日満地紅旗”を手にしていた。



ここでもう一人の台湾出身の男性歌手が登場する。

その彼は、台湾出身でありながら、売れなくなった所為か、支那大陸に渡り、向こうで芸能活動している、黄安( Huang An, ファン・アン) という男だった。

  台湾出身の売国奴・黄安

彼は、生きてゆくためか、支那人の喜ぶような台湾の悪口を告げ口することで、すでに台湾では悪名高い売国奴のような認識の存在であったようだが、ツウィの出ていた番組の事を、「ツウィは台湾独立主張してるぞ。ほら、台湾の国旗番組で振ってた。しかも自分が台湾人だと強調してる。周子瑜は台湾独立支持者だ。」とネットの掲示板に書き込んだのだった。

  私は台湾独立に反対です。

ファン・アンの思惑通り、掲示板は炎上して、「TWICEの活動をボイコットせよ!台湾独立主義者はけしからん!」などという騒ぎに発展した。

これを知ったJYPの社長はどう対処したか。

投票日の直前、周子瑜(チョウ・ツウィ)の謝罪動画が youtube にアップされたのだった。


「わたしは韓国での芸能活動をした際、中国人として過ちを犯しました。」


「中国は一つだけです。台湾と中国は一体です。」


「最後にもう一度皆さんに謝罪します。どうも申し訳ありませんでした。」

この動画がアップされるや、今度は台湾のネットは炎上した。(Tzu-yu JYP で検索すれば youtube の動画が観れます。)

「JYPエンターテイメントは、支那におもねて少女に謝罪を強要した!」「黄安という男は病気だ。しかし、JYPがあいつの思惑通り踊らされることはないだろ。」「ツウィは利用されただけだ。我々は台湾人であることに誇りを持っている。中国人だと言わされるなんて。我々は中国人ではない。」などなど・・。

中国べったりの現総統・馬英九までもが、「彼女は謝罪する必要はない。我々は彼女を支持する。」とコメントした。

民進党の総統候補・蔡英文氏は、「台湾人の心を深く傷つけた。」と言って国民に団結を呼びかけた。

国民党の総統候補・朱立倫氏は、「我々の心は少女を支持することで団結している。」とコメントした。

台湾政府も、「台湾人が自国を愛することを表わすために国旗を持つことは、まったく公正で正当化されるべきことである。」と公式に表明した。

そして、学業のため地方から都市部に出てきている若者達は、投票するために次々と地元に戻り、中には急遽留学先の日本から投票しに台湾に帰国した留学生もいたという。

TAIPEI TIMES はJYPエンターテイメントのコメントを取るため電話取材を試みたが、回答はなかったそうだ。

台湾のファッション誌「JUSKY」は、1億台湾ドル(約4億円)でツウィのマネージメント権を買って彼女を台湾に戻したいとJYP側にオファーした。

商売のためとはいいながら、力の強い者にへつらうという、南朝鮮「事大主義」の本領発揮を垣間見た気がする。

台湾、加油!!


今回も満喫しました、タイペイアイで京劇

2016年01月24日 | 旅行
去年の五月、そして九月も、台北アイで京劇鑑賞を楽しみに台北入りしたのでした。五月の初めての台北旅行の目的はふたつ。故宮博物院で、象牙の透かし彫りの玉を観る事と、京劇を鑑賞することでした。

五月に初めて訪れた時の演目は、白蛇伝から「金山寺」。初めて観る京劇だったので、ワクを胸々させながら観たのでした。そして、想像した通りの出来栄えで、十分満足しました。

  白蛇役と青蛇役の女優さんたち

シンプルな舞台装飾、独特の音楽、歌、セリフ、所作、アクロバティックな舞い、ミエを切ったときの決り方。どれをとってもすばらしい、異国情緒満点の芸術でした。

九月は、「八仙過海」という演目で、日本でいえば七福神のような仙人たちが海を渡るときに大暴れをするという話で、クライマックスの槍の戦いはすごい迫力で、金魚の役の女性の演者が、次々に飛んでくる槍を蹴り返す技が見事でした。



この演者は、五月のときの青蛇を演じた女性だったと思いますが、クライマックスの槍の戦いの終りの方で、槍を蹴返すところでミスをしてしまいました。

そのまま、劇は終了して、全員揃ってのカーテンコールの後、すぐにエレベーターまでの通路に役者達は並んで、帰る観客にお別れと感謝を表すのですが、主演の彼女は槍のミスの所為か、泣き出しそうな顔をしていたのが印象的でした。

そして今回の演目は、有名な西遊記から、「無底洞」という話。女の鼠の妖怪に捕まってしまった三蔵法師を救い出そうとする孫悟空たちとの話で、これもクライマックスに槍の戦いがありました。



多分、鼠の妖怪役は5月の時の青蛇役だった女優さんだと思いますが、今回の槍の戦いはほぼ完璧な出来栄えで、すごい迫力でした。客席のあちこちから、「ワァー!」とか「すごーい!」とかいう歓声が聞えていました。



いつもの通り、劇が終了すると演者が全員揃ってカーテンコール。そして役者達は大急ぎでエレベーターまでの通路の両サイドに勢ぞろいして、帰る観客に挨拶をする。

中には、観客と並んで気さくに記念撮影に応じる役者がいるのも、台北アイならではのサービスでしょう。

そして、今夜見事に槍の戦いを演じた女優さんは、自信に満ちた表情でお客さんとの記念撮影に応じていました。



私も心から彼女に拍手をして、会場を後にしました。



※ 「無底洞」の槍の戦いの一場面を動画でご覧になりたい方は、youtube ので「西遊記 無底洞」と入力して検索すれば、槍の戦いのクライマックスや三蔵法師一行の様子を観ることができますので、是非お試し下さい。




実は、懸念されたテロ(台湾総統選挙)

2016年01月23日 | 日記
先週の台北旅行に出かける際、私は念のため予定通り帰国できない場合は、勤め先の誰々に事情を連絡して欲しい旨を家族に伝えて、連絡先と名前を書き残しておいた。

つまり、総統選挙の事前の世論調査の結果は、投票日が近づいても蔡氏ダントツの状況はまったく揺るがないため、民進党への政権交代を許せない国民党と支那共産党が、選挙そのものを妨害するため、テロや暗殺を画策するという懸念があったからである。



民進党の蔡英文候補陣営は、これを十分認識しており、選挙カーのお立ち台はは防弾ガラスで囲って用心した。



さらに、蔡氏は防弾ベストを常に着用していたはずである。どの写真も着膨れした感じの蔡氏で、コートの下の防弾チョッキは、彼女には必須アイテムだった。



16日の TAIPEI TIMES (台北タイムズ)朝刊一面に、国民党の朱立倫候補が支持者達に対して、「私の為でもない、国民党の為でもない、台湾のために、中華民国の次世代の為に、明日は是非とも投票所に出向いて投票して下さい。」と訴えていたという記事が出ていた。

朱候補らしい、どこかで聞いたような臭いセリフだが、記事はそのときにある記者が朱候補に質問したことを伝えていた。

「朱候補も、他の候補者が国家安全局の勧めるように、防弾ベストを着用しているのでしょうか?」と訊いたのに対して、朱氏は、「私は台湾の公安を信頼しています。従って防弾ベストのようなものは着る気はありません。」と答えたそうだ。

しかし、国家安全局ならぬとも、懸念されたのは、立法委員の民進党候補や、蔡英文候補に対するテロや攻撃ではなかっただろうか。



私は、支那共産党ならそういう選挙妨害など容易にやりかねないと思っていた。従って駅などの公共の場や立会演説の人だかりには、細心の注意をもって行動していたつもりだった。

16日の台北タイムズの3面には蔡氏の選挙キャンペーン中の公安の警備の杜撰さを指摘する記者の特記レポートが載っていた。

見出しは、「Tsai's campaign reveals lapses in security」(蔡氏の選挙運動が暴く警備の杜撰さ)という記事だった。

11日の月曜日のことだった。蔡氏たちが、嘉義県の新港奉天宮での式典を終えて出てきた時のことだった。

防弾ガラスで囲まれたお立ち台のある選挙カーに戻ろうと歩いている正にそのとき、その選挙カーのお立ち台に上がっている赤いジャケットを着てカメラを肩にかけた男がいたのを、蔡氏一行が戻るのを待っていた記者たちが見つけた。

「あいつ、何をしてるんだ?」「誰なんだアレは・・・?」「警備員たちは何してるんだ?」ジャーナリストたちは途端に色めき立った。

その男はやがて気付いた警官や国家安全局の職員たちによって選挙カーから引きずり下ろされた。しかし、彼は何の尋問を受けるわけでもなく、解放されどこかに消えて行ったのだった。

やがて、到着した蔡氏一行は、警備員達にエスコートされて何事もなかったかのように選挙カーに乗り込んだ。

お立ち台の安全確認は何もされぬまま、蔡氏たちは乗り込んだのだが、あの赤いジャケットの男が何か危険な爆発物でも置いていったとしたら、大変なことになっていたはずだが、幸い何も起こらなかった。

さらに、蔡氏が記者達の質問に答えた後で、沿道の支持者達の声援に応えるという順序でいたところ、蔡氏が記者の質問を待たずに支持者達の方に歩み始めたときであった。

何と記者の一人が、蔡氏の腕をつかんで引き止め、質問をしようとしたのだった。

他にも似たような杜撰な警備の実例を挙げたレポートであったが、事件に至らなくて本当によかった。

今後もこういう危険は蔡氏周辺に常に付きまとい、大事件に繋がる可能性は消えたわけではない。支那共産党は目的を達成するためなら何をしでかすか分からない極悪集団である。

蔡氏はこれから台湾国内だけでなく、海外にも出かける機会は多くなるだろう。台湾国民は十分この点を留意して、民進党政権を後押ししていって戴きたい。そして、台湾を最良の友であると考える日本人は、今後も引き続き「加油・台湾!」を叫び続けていって欲しい。




今年の初詣は龍山寺。

2016年01月23日 | 旅行
先週の土曜日は台北にいた。

行く前に、ネットで天気予報を調べて、着る物を用意したのだが、これが意外と悩んだのだった。

以前、フィリピンに赴任していた時のことを思い浮かべたのだが、現地の人は寒い寒いと震えていた1月頃、私たち日本人は皆半袖のポロシャツ1枚で十分であった。

台北観光の動画を youtube でいろいろ観てみると、通りを行き交う人達はみんな厚手のコートやダウンジャケットを着ている。1月の気温は12~13℃で、日本の10月くらいの感覚だと思うが、あの服装を見ると朝晩は寒いのだろうか?と思った。

一応、小さくたためるダウンベストとウィンドブレーカー、厚手のネルのシャツとフリースのジャケットを持っていったが、これらは一度も着ることはなかった。

私には、暑くはないが寒くもない、Tシャツ1枚でも何とかなったと思う。

ただ、天気は毎日雲が垂れ込める曇天が続き、17日の最終日はかなりまとまった雨が降った。

帰りの飛行機は15時発なので、いつも余裕を持って11時半頃台北発のバスに乗ることにしている。そして、最後の朝はいつも龍山寺を参拝して両手を合わせるのだった。



台北駅から地下鉄で二つ目の「龍山寺」駅から歩いて2分。早朝はまだ霧のようで、まだ傘をさす必要はなかった。そして、総統選挙の翌日である所為か、参拝者もこれまでで一番少なかったように思う。



私にとっては龍山寺参拝は今年の初詣だった。家族の健康祈願を思って両手を併せ、頭を垂れた。



シンガポールにいた時も、私は宗教を問わず寺院には何度も訪れたものだった。それは何かを祈願するのではなく、そこに参拝する人たちが真摯に手を併せて祈る姿を見るのが好きだったからだった。



ヒンドゥー教寺院やイスラム教モスク、道教のお寺など、どこを訪れても参拝者はみな神妙な表情で祈っている。それを見ると、私の汚れた心も洗われる気分がするのだった。

力士と日本人らしさ

2016年01月23日 | 日記
ロレックスといえば、有名な高給時計だが、マニラの繁華街を歩いていれば、日本円で4000円も出せば買うことができる。

ひと月もすれば動かなくなるが、3000円でちょっとした金持ち気分になれるし、知り合いに見せびらかしたりして話の種にはなるので、悪友へのバラマキ土産にもいいかもしれない。

台湾からの帰りには、チェックインする前にいつも飛行場内のフードコートで腹ごしらえをする。そこへ行く途中の天井に「ROLEX」の広告があって、その漢字表記が面白いので、今回は立ち止まって写真を撮った。

周りの人がそんな私を見て、「あいつは何を撮ってるんだ?」という顔をして天井を見上げていたのが可笑しかった。



「労力士」と書いて、発音は「ロレックス」と聞える発音になるのだろう。

「労」という漢字は、「いたわる」と読み、【弱い立場にある人などに同情の気持ちをもって親切に接する。】という意味。

高給時計ブランドに「心優しい相撲取り」という意味を表す漢字をあてるなんて、心憎いではないか。

実際のロレックスは、1905年、創業者ハンス・ウィルスドルフがロンドンに設立した「ウィルスドルフ&デイビス社」が始まりだそうだ。

「回転」という意味の「roll」と、「卓越している」という意味の「excel」からきたexを組み合わせ、その文字を時計の文字盤におさまめるために、「rol+ex」の5文字を抜き出し、ROLEXに決めたという。

ロレックスのマーク・王冠には、「王者」でありたいという願望と、時計技術者の5本の指の象徴だという思いがこめられているそうで、当然だろうが相撲取りとはまったく関係がない。

相撲といえば、ここ数日帰宅してすぐテレビを付けて観ている。もちろん今一番の旬の「琴奨菊」の一番を観る事にある。

別にモンゴル出身の力士が憎いわけではないが、日本人力士の活躍があまり観られなくなった大相撲で、にわかに日本人力士、優勝の期待を背負った力士が登場したから、応援の力も一段と高まる。



「琴バウアー」と呼ばれる彼のルーティン動作も、五郎丸のへっぴり腰動作に負けず劣らず、今日本中の注目を浴びている動作だろう。五郎丸の真似はしないが、「琴バウアー」は私も何度かやってみた。

今日の一番は、惜しくも負けで、全勝が途切れてしまったが、まだ優勝の可能性は十分ある。

猫だまし横綱の白鵬は、琴奨菊が負けた瞬間、心の中で「ガッツポーズ」でもしただろうが、勝利の女神はどちらに微笑むのだろうか。



力士の出身国籍は抜きにして、猫だましを何度もする横綱にはどうも首をかしげたくなるのが日本人の心情ではないだろうか。

「決り手」にあるのだから問題ないとか、だったら横綱はその技を使わないというルールにすればよい、などという尤もらしい声もあるようだが、それは違うと思う。

日本人は、相撲を単に勝ち負けを競うスポーツだとは見ていないからだ。

亡くなった北の湖理事長が、「前代未聞。考えられない。」と白鵬の猫だましを痛烈に批判していたが、私は文句なく同感であった。

何十回優勝しようが、「横綱の品格」を伴わなければ、心から賞賛する気分になれないのである。

いずれにしろ、琴奨菊関には期待する。

たとえ優勝できなくとも、「労」り(いたわり)の心を備えた「力士」、ロレックス(労力士)の時計のような重厚さのある品格を追求して欲しいものだ。


まともなら、収賄だと思うが・・・

2016年01月22日 | 日記
夕方のテレビのニュースを見ていて、その報道の姿勢にどうも釈然としなかった。

 「小中学校の教科書会社が検定中の教科書を教員らに閲覧させていた問題で、教科書会社22社のうち12社がこうした行為をしていたことが文部科学省の調査で分かった。」とニュースは伝える。

のべ5000以上の教員が検定中の教科書を閲覧していたという。



5000人の教員のうち、約4000人は現金や図書カードなどの謝礼を教科書会社から受け取っていたそうだ。

しかし、報道する側は、『検定中の教科書を外部に見せることは文科省の規則で禁止されている。採択関係者に金品を渡す行為は業界の自主ルールで禁じられているが、違反が横行していた。』と、教科書会社の不正を言うばかりであった、という印象だった。



謝礼は最高で現金5万円であったり、3000円の図書カードであったり。帰る際には、2000円相当のお土産まで持たせるという、「接待」そのものであった。昼を挟めば、当然昼食もご馳走になるだろうし、帰りのタクシー券くらいは貰っただろうと想像できる。



教科書会社の幹部が頭を垂れて謝罪するという、お決まりの映像が流れていた。

教科書会社は、教員のみならず、教科書の採択権限を持つ教育委員会の教育長や教育委員も当然接待していた。そういう権限を持つ連中には、謝礼のみならず、盆暮れの付け届けをしていたというから、教科書会社の下心はミエミエではないか。

まず教育者達がこのレベルであることを、報道する側はキッチリ批判・追及すべきであろう。

それどころか、不正の実態を証言したいという、過去に閲覧に招かれたという教員がウダウダ喋る映像を顔を映さず流していたが、もしかしてアレは、あのテレビ局お得意の「やらせ」映像ではなかったか?

私は、正義漢ぶって教科書会社の「接待ぶり」をベラベラ話す男性教員の映像を見ていて、吐き気をおぼえた。

教員や教育委員会とは、かくも常識をわきまえない人間の集まりなのか。

子供を託す大人たちは、もう少しそちらの方に厳しい目を向けるべきだ。

さらに、ピントがズレ気味の報道には何らかの方法で、苦言を表明しなければ、いつまでたっても「マスごみ」としか呼ばれない存在は変わらないだろう。

祝!!新総統誕生!

2016年01月20日 | 日記
昨年暮れ、ある評論家が、「1月中旬の台湾総統選挙のため、中国当局は選挙前1ヶ月は台湾への渡航を制限するようです。

これは民主的な選挙を見させないためで、一時的に台北市内からは中国人観光客がいなくなりそうです。ホテルもディスカウントするでしょうから、みなさん、台湾旅行のチャンスですよ。」

こう言っていたのをそのまま真に受けて、飛行機とホテルを予約したのだった。昨年5月に、楽しみだった故宮博物院での宝物鑑賞を、カラスの群れのような支那人観光客で台無しにされた私は、支那人のいない台北・・・と聞かされただけで、舞い上がってしまった。

15日の朝8時半、開場とほぼ同時に故宮博物院に入ったときは、確かにガラガラであったがすぐにどのフロアも観光客で埋まってきた。そして、その風貌と喧しさから、彼らのほとんどが支那人観光客であることは容易に分かった。

中国当局は完全に渡航禁止にしたわけではなかったようであった。

それはさて置き、私は故宮博物院を出た後、投票日前日の台北市内を見ようと、台北駅に戻った。



総統候補者は地方遊説中のためか、市内は予想外に静かなもので、少し拍子抜けしたが、以前学生達が占拠した立法院付近に行けばまた違った状況かもしれないと思い、再び地下鉄に乗って立法院近くの駅で降りた。小雨が降り湿度の高い午後だった。

駅を出て少し歩くと、明らかに立会演説をしている声が聞えてきた。総統選挙と同時に行われている立法委員(国会議員)の候補者の演説だった。



幟をみると、自由台湾党という野党政党の候補者のようだ。すぐ近くにはこの政党の詰め所のようなテントがある。



詰め所に近づいてテーブルに並んでいるパンフレットなどを眺めていると、中にいた関係者らしき若者が話しかけてきた。「すみません。私は日本人で、台湾語は分かりません・・・。」と英語で言うと、エッ?!と驚いたと思ったら、奥の方に行って一人の高齢の男性を連れてきた。

「日本から来たんですか?」流暢な日本語で話してきたので、「はい、台湾が好きで今回で3回目になります。明日の総統選挙に興味があって昨日着いたんです。」と言うと、「私も先週東京から来たんですよ。」東京で何か仕事をやっているようだった。

自由台湾党は台湾の独立建国を党是とする昨年立党したばかりのミニ政党のようだ。今回の立法委員選挙には6人が立候補しているという。

テーブルに並べられたステッカーや鉢巻をみると、反国民党・台湾民族独立・住民自決建国などという言葉が並んでいるので、その政策は容易に理解できた。

党のシンボルマークが印刷されたクリアファイルに、党のステッカーや候補者のパンフレットなどをポンポン入れて、どうぞ持って行ってください、と渡された。

元々、私は、「Taiwan is NOT chinese Taipei!」とか、「Taiwan is Taiwan 」というようなことが書かれたステッカーとかT-シャツはありませんか?と話しかけたので、それと似たようなものをくれたのだと思う。

お礼を言ってテントを立ち去ると、若者が追いかけてきて、「これもあげるよ。」と小さな旗を手渡してくれた。それは緑色の台湾島を中央に印刷した、中華民国ではない「台湾」の国旗であった。まさに、欲しかった国旗だったので、これは嬉しかった。

「台湾、加油(ジャーュ)!!」と若者に言うと、若者はニコニコして手を振っていた。

地下鉄に向って歩いていると、その自由台湾党らしき選挙カーの一群が通りかかったので、カメラで撮ってみた。Youtube にアップロードしたので、よかったらご覧あれ。
URL はこちら↓

https://www.youtube.com/watch?v=3icjVJjx7oA

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16日は投票日だった。そしてその夜の9時頃には結果が出ていた。

私は最終日の17日の朝、早起きしてコンビニに行き新聞を何紙か買った。それを抱えて近くのマクドナルドに入り、選挙結果を確認した。



地元紙を2紙、英字新聞を2紙買ったが、もちろん中国語は理解できない。出来ないが、漢字を眺めれば何となく意味は分かるものだ。

結果は、民進党の蔡英文氏の圧勝だった。得票数は689万票。与党国民党の朱立倫氏の得票数は381万票。台湾で最初の Madam President の誕生だった。

最も関心のあった立法委員の結果は、民進党68議席、国民党35議席。何と民進党が過半数(56%)の議席を確保した。



Taipei Times の記事が面白かった。曰く、、、。

開票結果を見て、国民党主席でもある朱立倫氏は、支援者を前に「申し訳ない。」と謝罪した。続いて、「国民党主席、総統候補者として責任を痛感しているし、私は皆さんの期待を裏切ってしまいました。私は直ちに国民党主席を辞任いたします。私は選挙結果に敬意を表し、蔡新総統と民進党には今後ここの民衆をより幸福に、明るい未来に導いてくれることを期待するものです。云々・・・」

その都度、支持者からは「辞めないで」などと涙声が叫ばれたそうだ。記事は続けて、
『しかし、中にはこんなことを呟く高齢の支持者もいた・・。』 とあった。そのs高齢の支持者曰く・・・。

「いい加減、喋るのを止めないか。負けたくせに、よくもあれだけベラベラ喋れるものだ・・・。」

早い!旨い!炒飯!

2016年01月20日 | グルメ
台湾旅行の楽しみのひとつに、「食べ物」があることには異論はない。

私は、あの「B級グルメ」という言葉はあまり好きではないので使いたくないが、東南アジア各国でお馴染みの、屋台の食べ物は値段が手頃で、サッとできておいしい屋台の食べ物は、大して空腹でもないのについ注文してしまう。



そして、台湾ではあちこちにある「夜市」の屋台ごとに、その味を競っているようで、同じように見える食べ物でも、実はその味は屋台ごとに違う。



人気の食べ物を提供する屋台には、地元の人を含めて客が群がっている。

書店に行けば、カラフルな台湾の観光ガイドの雑誌が置いてあり、大抵内容は果物や甘い食べ物・飲み物、肉シュウマイみたいな「小龍包」の名店などが紹介してあり、私も台北ではそういう雑誌を持った若い日本人女性たちが行列を作っているのを何度かみたことがある。

Youtube で検索すると、そういう食べ物屋を紹介する動画はいくつもあり、若いお嬢さんが「う~ん、おいひぃ~!」などと、無邪気にはしゃいでいる。

今回の台北旅行では、そのターゲットの一つに私は「炒飯」を据えていた。

屋台に限らず、場末の小さな食堂でもいいから、「炒飯」の文字を見かけたら入ろうと決めていた。

食堂での注文は、言葉ではなかなか難しい。しかし、売る側もそれは心得ていて便利な注文票を用意してくれてあるから助かる。



漢字なら何となく料理のイメージが湧くので台湾と日本は同じ文化圏だと感ずるのだ。あのおぞましいハングル文字ではこうはいかない。しかも、今の南朝鮮はすでに漢字を捨ててしまったようだから、私が若い時仕事でいた頃より事態はもっと悲惨だろう。

「涼麺」とか「鶏肉飯」「炒麺」などはすぐ分かるし、「臭豆腐」という名物は見て驚くが、その名前ほど臭いとは思わなかった。

さて、「炒飯」だが、この漢字2文字だけの料理名はほとんどなく、ほとんどその前に何か別の漢字がくっついている。それは多分エビや牛肉など、中身の具の名前であったり、○○風といった地域の名前だったりするのだろうと勝手に想像して、後は「エイ、ヤッ!!」と注文すればいい。



夜市の屋台では、目の前の鉄板であっという間に作ってしまうから、見ているだけで楽しい。「炒飯」など1分もかからない。出来上がった「炒飯」は熱々で、ハフハフ言ういながら食べなければならないから、あの鉄板の温度は数百度あるのではなかろうかと思ってしまう。



野菜も注文した。もう20秒くらいで炒めてしまうが、ニンニクが効いた味わい深い出来栄えだった。



すぐ出来て、絶妙な味付けは、もう病みつきになり、昼も夜も「炒飯」でも飽きなかった。

   完食!!

夜市をブラブラ歩いていると、串焼きの屋台が多いのに気がつく。あれは、好きな具材を小さなバケツに放り込んで渡せば、焼いてくれるわけだ。少し時間がかかるが、焼き立てをムシャムシャ食べながら夜市を見物したり、晩御飯のおかずに地元の方が買い求めたりしている。



屋台の中には、郷愁を誘うタイ焼きみたいなお菓子を焼いているものもあって、子供たちが群がっていた。しかし、その形は「鯛」ではなく、「オートバイ」や「拳銃」で中身には餡やクリームが入っているわけでもなく、きっと味もシンプルなものだろう。



人気は抜群で、焼き上がりを待つ客が屋台の周りを囲み、正に飛ぶように売れていた。
単価は安いが数で勝負するという意気込みの若者二人が、額に汗を滲ませて働く姿もなかなか見ごたえがあった。


台北101、法輪功、そして支那人観光客・・・

2016年01月19日 | 旅行
今回、急遽台北旅行を決断したのは、Youtube でどこかの評論家が、台湾の総統選挙前の一ヶ月は、支那人観光客が来なくなるので、台湾旅行はチャンスですよ・・と言ったのを真に受けたからであった。

5月、9月の台北旅行では、イナゴの大群のような支那人観光客にウンザリさせられたので、ここはチャンス!とばかり、行ったのだった。

故宮博物院で、象牙の透かし彫りの玉を観たくて、早朝8:30に博物院正門に着くように宿を出た。お陰で、お目当ての宝物はゆっくり、静かに、思う存分鑑賞できたのだったが、それも9時半位までだった。

ジワジワとひと目で支那人の団体客と分かる連中が増えてきた。そこかしこの展示品の前で、支那人たちを集めて解説しているガイドが出現しだし、ロビーでは支那人たちが話すカラスの鳴き声のような大声が響いていた。

その都度、係りのお嬢さんが、小さな団扇のような看板を大声で話す支那人に向ってかざすと、大声はピタッと収まる。

何が書かれているのだろうと、見せてもらうと、支那語と英語で、「声を抑えて話してください」と書かれていた。私はそれを持っていたお嬢さんにニコッと笑って、親指を立てて見せた。彼女は、それを見てニコニコしていた。

本当はもう少しゆっくり鑑賞したかったが、何だか支那人たちに遠慮しながら観るのも嫌だったので、10時頃そこを出て、台北市内に戻ることにした。

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私は、自他共に認める「つむじ曲がり」なので、一般の観光客が行くようなところにはあまり興味が湧かない。中正祈念堂で、おそらくアメリカ・ワシントンDCのリンカーンの像を真似たであろう蒋介石の像を見たり、ロボットのような動きをする衛兵の交代シーンを見たりすることには、まったく興味がない。

第一、支那共産党に負けてすごすごと台湾に逃げてきてそこを乗っ取った蒋介石の像など、誰が見たいと思うものか。

あるいは、ちょっと前まで世界一の高さを誇った台北101という建物も、観光客が必ずといって訪れるところのようだが、私は高いところは好きではない。

しかし、その日は時間に余裕があった。

地下鉄の路線図を眺めていると、台北101という駅があって、台北101に駅が隣接しているようだったので、下から見るだけでも、話の種に行ってみる気になった。



駅の改札口を出て少し歩き、階段を登りきると、台北101のふもとに出る。目の前には、これまた日本人観光客が目の色を変えて行列をつくる、「小籠包」の名を知らしめた有名店「鼎泰豊」が出現した。



私はさほど食通ではないし、以前ブログでも書いたが、ミシュラン推薦の店などまったく関心がないし、どちらかと言うと、それを自慢げに掲げる店ならば入る気が失せるのだ。

従って、「鼎泰豊」などまったく興味なく、写真を撮っただけでスルーしたのだった。ガラス張りの中をのぞくと、白服を着た青年達がせっせとシュウマイのような「小籠包」を製造中だったが、あれは厨房というより工場と言った方がいい、と思った。

広場に出て、ビルの頂上に目をやった。さすがに高い建物だったが、やっぱり中には入る気がしなかった。



広場には、たて看板を並べてその前でビラを配ったり、観光客に説明したりしている人たちがいた。どういう人達なのか興味があったので、看板を見に近づいた。



目を背けたくなるような拷問の写真とか、「共産党」とかの漢字が並んでいた。漢字の羅列は何となく意味が分かるが、一体何を主張したいのか知りたかったので、ビラをくれた女性に、英語で「共産主義を批判しているのですか?」と聞いてみた。

すると、その女性はちょっと待って、という仕草をしてどこかへ走っていき別の女性を連れてきた。どうもその女性は英語を話す人のようだった。

「看板を見ても、内容があまり理解できないんですが、あなた達は何を訴えようとしているんですか?」と単刀直入に聞いてみた。

すると、立て看板の内容と同じようなパンフレットや英語で書かれたビラなど、ありったけの資料を手渡してくれた。「向こうに英語で書かれた看板もあるから見たいか?」と、少し離れた処に立てかけてあった看板まで引っ張って連れて行かれた。

貰った資料や看板に書かれている内容を斜め読みしてみると、彼らは「法輪功」という気功の愛好家達で、今現在も支那共産党がむごい方法で彼らの仲間たちを虐殺したり、弾圧したりしている実態を支那から台湾を訪れる観光客達に知らしめようとしているとのことだった。

「ここでやっていることは、東京でも行われています。」と言っていたので、ネットで調べてみたら、どうも嘘ではないようだった。



臓器売買が横行する支那では、より新鮮な臓器を求めて法輪功の愛好家たちを捕まえて、生きたまま臓器を取ることまでしているそうだ。



台北101の玄関前には、ひっきりなしに大型観光バスが止まり、大量の観光客を吐き出している。その間隔は、5分と間を置かない。

何人かは同じ黄色のベストを着て、台北101前の広場で座禅を組んでいた。



法輪大法、英語で Falun Dafa と呼ぶようだ。



観光バスから降りてくる支那人観光客達の様子を観察すると、みんな一瞬看板に目をやるがほとんどがすぐに感づいて、見てみぬフリをして通り過ぎて行った。



そんな時、真車の左右にに支那とソ連の真っ赤な国旗を立てた赤い車が観光バスの去った後に滑り込んできて止まった。助手席の窓が開くと、中の男は何か大声で叫んで、台北101に入ろうとしている支那人観光客にアピールした。

すると、その声に気付いた支那人たちが、一斉に振り向いて、カメラを取り出しその赤い車の写真を撮り始めた。中には何か大声で歓声を上げている支那人もいた。

赤いソ連の旗を立てているのはどういう意味なのか?ソ連は崩壊して、共産主義が見事に否定された事実を、まさか支那人たちが知らないはずがなかろう。

広場でそんな光景を傍観していたら、いつの間にか日は沈み辺りは薄暗くなっていた。

ここまで来て超高層ビルに上がらずに帰る観光客は、きっと私くらいのものだろうと自嘲気味に薄笑いを浮かべて、私は近くの夜市へ向ったのだった。





「台北之家」でカフェ・ラテと名画を

2016年01月18日 | 旅行
先週14日。午後から半休を戴き、帰宅して旅支度をしてから飛行場に向かい、昨年の5月9月に続く3度目の台北一人旅に出かけた。

家で支度をしているとき、テレビでは盛んにアイドルグループが解散するかもしれないというニュースを報道していた。

台湾の総統選挙が気になる私としては、アイドルグループの命運などどうでもいいことで、「まったく、おめでたい国だよ、日本は・・・」などとぼやきながら着替えを旅行用バッグに詰めていた。

14日の深夜に宿にチェックインしたので、活動は15、16日の正味2日間となる。

そして、昨夜17日の夜、小雨が降る中無事に帰宅したのだった。


台湾の総統選挙は下馬評通りに蔡英文氏が大勝し、安心した。さらに立法院の議員達も民進党が過半数を超えたのは快挙だった。

これらの話は追々ブログに書こうと思う。まずは、今回最もいい時間が過ごせた「台北の家」でのことを書こう。

「台北之家」Taipei Film House は、恐らく日本の観光客はほとんど訪れないのではなかろうか。



日本の観光客誰もがこぞって訪れる「キューフン」は、かの反日左翼漫画家・宮崎駿の「千と千尋のナンタラ・カンタラ」というマンガ映画のモチーフになった場所という触れ込みである。

 九 イ分

しかし、「キューフン」という場所は、実は台湾の人たちがたくさん訪れる場所でもある。

その理由はマンガ映画の所為ではなく、台湾の映画「非情城市」の舞台であったからだ。その映画のロケ地でもある。

1979年までアメリカ大使館として使われていた建物を改修して、カフェやバーにし、隣はミニシアターにして、年中他ではなかなか観られないレアな名画を観る事ができるようにした。





事前に私はネットやメールで上映中の映画と上映時間を確認しておいたので、お目当ての映画の始る1時間前に「台北の家」に着いて、そこのオープンカフェでカフェ・ラテを飲んでのんびりした。





お目当ての映画とは、2014年製作の日本未公開映画『Kumiko, the treasure hunter』台湾タイトル(久美子的奇異旅程)だった。 原題を強いて日本語に訳せば、「久美子、財宝探検家」とでもなろうか・・・。





主演は菊池凛子で、日本と米国で撮影された David Zellner 監督作品である。菊池凛子といえば、個性的な演技派俳優であることは知っていたが、この映画は正に彼女にピッタリの映画と言って良く、恐らく今後彼女の代表作品として名を残すことになると思う。105分間があっという間に過ぎてしまうよく出来た作品だった。



途中から登場して同情のあまり久美子を助けようとする警察官役の名演技はすばらしかった。

映画の中身の情報は一切調べずに見たのだが、話が進むにつれて、いろいろと昔を思い出させてくれる話や映像が出てきて、実に郷愁を誘う映画でもあった。



話の土台は『Fargo (ファーゴ)』という実在の映画だ。これは、映画通なら誰でも知っているコーエン兄弟が手掛けた映画で、私も数回レンタルDVDでこれを観たことがあるなかなかの秀作だ。

この映画の中で、犯人が雪原に大金の入ったかばんを埋めて目印を立てるシーンがあったが、久美子はヒョンなことから、この大金を探しに北米のノースダコタ州・ファーゴに出かけるという話である。

実際にこういう女性がいて、凍死したという都市伝説がアメリカにはあって、それがこの映画の題材になっているそうである。

映画は、菊池凛子の素っ頓狂な名演技で、話がどういう風に展開していくのかハラハラしながら進んでいく。

ノースダコタに着いた久美子は、ファーゴの中にも出ていた、アメリカの伝説上の巨人、ポールバニアンの像の前に立つ。



ポールバニアンという巨人伝説については、私は22歳のとき渡米するに際して、何冊かアメリカ関連の本を読んだが、そのどれかに書いてあったので知識はあった。

途方もない巨人で、一人でミシシッピー川を掘ったとか、ロッキー山脈やグランドキャニオンも彼が造ったと伝えられ、いつも斧を持ち、傍らにベイブという名の青い牛を連れているのだった。



丁度日本の中部地方に伝わる「だいだらぼっち」のような巨人伝説だろう。「だいだらぼっち」は土を集めて積んでいき、それが富士山を造ったという。掘った跡は琵琶湖になって、バランスを崩して片手をついた跡が、現在の浜名湖だそうだ。



また、映画の中で雪降るフリーウェイを歩く久美子を車に乗せて自宅まで連れて帰り泊めさせようとする老女が、久美子が日本人だと知って、「私は日本に関する本を読んだことがあるわ・・・」と言って久美子に見せたペーパーバックの本がジェームズ・クラベル著の『将軍』であった。



この本は、私が滞米中に話題になった本で、当時そこかしこでこの本を読んだというアメリカ人に出くわしたものだった。

そんなにいい本なら・・と私もドラッグストアで見つけた『将軍』を購入して、辞書を片手に必死で読み始めたが、ジェームズ・クラベルの描く日本文化や日本語は間違いだらけであるのがわかり、途中でバカバカしくて読むのを止めた本であった。

映画は、きれいな映像でクライマックスをむかえ、意外な結末となるのだが、ここではこれ以上は書かないことにしよう。

色々な賞を獲得した映画だそうなので、いずれレンタルショップの棚に並ぶかもしれない。そのときは是非もう一度観たい映画だ。

映画が好きな方は、是非「台北の家」がおすすめスポットである。