孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

同窓生に物故者が・・・

2017年02月26日 | 社会観察
昨夜、学生時代の同級生Tから電話があった。

東京の高校で教鞭をとっているそうで、60過ぎても教壇に立っているそうだ。数年前から年賀状が来なくなったと、嫌味を言われたが、確かその頃は私の父が他界して、葬儀の打ち合わせを終えたその翌日私が肋膜炎で緊急入院することになり、結局葬儀には出ずじまい。

数週間後に、今度はくも膜下出血で早朝緊急入院、即手術ということになり、私にとってはとんでもない時期であった。日頃の親不孝の祟りだろうと、周りからは存分に嫌味を言われたものだが、お陰で後遺症もなく社会復帰することができた。

同級生は、4月にクラス会をやるという手紙が届いたが、「お前の住所と連絡先欄が空白になっている」ので、連絡してみた。「まだ、生きてるようだな・・・」と呟くのだった。

相変わらず、口が悪いな、と思いながらも、「もう体中、悪い所だらけで先は長くないだろうがな・・」と言うと、実は「俺も先月心臓の手術をしたばかりだよ」と返してきた。

不整脈の持病があったらしい。学生時代から、私と違ってバスケットボールで鍛えた体も歳の所為でガタがきているそうだ。

「そういえば、名簿を見ると二人物故者があるぞ。」というので、名前を聞くと両人ともよく知っている奴で、一人は同郷、一人は同じサークルの男だった。

  気温が下がり、近所でも葬式が多くなった

同郷のT君は、ある時街の書店で偶然出くわし、懐かしさのあまり居酒屋に行って、それでも話足らず、彼の自宅まで誘われて行き夜中まで語り明かして、翌日お母さんの作ってくれた朝食をご馳走になって帰宅した事があった。

同じサークルだったI君は、学生寮に住んでいた。私も4年生の後半は学生寮に移ったので、よくおしゃべりしたり、試験前になると講義のノートを借りたりしたものだった。確かゼネコン大手に就職したはずだった。

亡くなった理由は定かではなかったが、一クラス40人しかいない同窓生のうち、すでに2名が他界していたという事実を知ると、ちょっとショックだった。

点滴のチューブを手に刺したオヤジの最期を見届けた頃は、長生きするということにあまり執着がなかったが、今世界が大きく変わろうとしてきたのを見ると、あと10年くらいは元気でいたいという気に変わってきた。

初孫なっちゃんの成長も楽しみだ。

確か娘さんが二人いたTに、「お前は孫がいるか?」と聞くと、「もう両方30過ぎたのにまだ独身で、同居してるよ。」とぼやいた。

東京のまだ大根畑が広がるような田舎街に住むTが、「東京五輪のときは、こっちに出て来ないか?」と誘ってくれた。

競技観戦ではなく、Tとの再開を楽しみに、その時を待ちたい。

母国語破壊者にすぎないんじゃ?

2017年02月25日 | 政治ネタ
言葉にはローマ字のような表音文字と、漢字のように一つ一つの字が意味を表す表意文字がある。

例えば、朝鮮文字などはローマ字と同じ表音文字で、母音と子音の組合せで成り立っている。ローマ字が「K」と「a」で「Ka」と書いて「か」と読むように、文字そのものは意味を持たない。

昔はこれに漢字を使用していたが、1970年頃から漢字を廃止するようになっていき、今ではほとんど使用されていないようだ。日本の新聞がすべてローマ字で書かれていたらどうなるか想像してみるといい。

「しんだいしゃたのむぞ」が「寝台車たのむぞ」なのか「死んだ医者たのむぞ」なのか訳がわからないことになるではないか。

それに比べて、日本語は漢字とそれから派生したひらがな、カタカナを使い分ける。縦にも横にも書けて、特に外来語はカタカナ表記にすることで、見てすぐ分かるので助かる。

何より漢字は表意文字なので、初めて見る言葉でも見た瞬間意味が予想できるので便利だ。「シンギュラリティー」という言葉を耳にしてもチンプンカンプンだが、「技術的特異点」という漢字を見れば完全ではないが意味は理解できる。

その誇るべき日本語をぶち壊そうという勢いなのが、東京都知事である。

   この人、日本人?

クール・ビズに始り、都民ファーストだのワイズ・スペンディング、ダイバーシティ、フィンテック、レガシー、サステイナブル、などなど次から次にカタカナ言葉が発せられる。

東京都民の4人に1人は65歳以上の高齢者である。彼らが理解できると踏んでこういうカタカナ言葉を連発しているのであろうか?

言葉は文化の礎である。母国語を大切にしない国に未来はない。

誇るべき母国語を敢えて使わないようにしようとしているなら、彼女は日本文化の破壊者である。無理をしてでも日本語で語りかける心がけが必要ではなかろうか?

 英語が御堪能なのは分かりました


都知事の言動には少し食傷気味になってきたようです。そろそろ空気を読むべき頃合いではないでしょうか??

「 IT時代 」を享受しています。

2017年02月25日 | 英語関連
初孫なっちゃんが、幼稚園の音楽発表会のDVDを持ってきてみんなで鑑賞した。

歌に楽器演奏に連日練習した甲斐があって、元気いっぱいのパフォーマンスを披露していた。

少子化は確実に進行しているそうで、このまま進むと日本はやがて就労人口が減少していって、先進国のトップを歩んでいる今の地位を保てなくなる、と予想する学者がいるそうだ。

それも心配だが、私はなっちゃんが今年小学生になるということは、2020年に三年生になり、その年から小学三年生が学校で「英語活動」スタート、五年生からは成績の対象となる英語が教科に加わるという、「英語化」政策が始まるという事の方が気がかりである。

カタカナをやたらと連発して、日本文化の根本である母国語をおろそかにする都知事と相まって、この国は明らかにおかしな方向に進んでいると思う。

しかし、私は孫の教育に口を挟むつもりも無いので、ただただ見守っていくだけである。なっちゃんのランドセルはもうずっと前に予約済みだったということなので、私は個人的になっちゃんへの入学祝に「地球儀」を贈ることにした。

   これぞグローバルだ!

近くのおもちゃ屋やショッピングモールに行っても地球儀は置いてなかったので、アマゾンで検索してみた。すると、予想通り様々な地球儀があって、どれにすればいいか迷うほどだった。

国旗の印刷されたものや大きさなど色々ありすぎて迷ったが、カスタマーレビューもしっかりとチェックした結果、直径30cmの大きさの国旗つきのものに決めた。

一応、メーカーのホームページにアクセスして、「台湾」の表記に関してメールで問い合わせした。

もし、チャイニーズ台北とか中華民国などと表記されていたら注文をやめようと考えていたが、返信されたメールには、「外務省の情報に基いており、台湾と表記し、国旗は印刷していません。」とあったので、納得して注文した。

支払いはクレジットカード、送り先は次男の住所に変更してクリックすれば注文確定となる。するとメールで注文確定の連絡が入り、配達はいついつになると通知されてきた。

その翌々日には、本日発送したというメールが入り、配達は何日になると通知が来る。

今日あたりに配達されるなと思っていたら、案の定、次男から地球儀が届いたというメールが私のガラケーに送信されてきた。

さらに、カミさんのスマホには、『LINE』とやらで、荷物が着いたときの動画が送られてきていた。

  AtoZのアマゾンのロゴ

その動画を見せてもらうと、なっちゃんが届いたばかりのアマゾンのダンボール箱を居間まで引きずってきて、開封して中から地球儀を「よっこらしょ」と取り出す。

不思議そうに地球儀を眺めるなっちゃんに、「なっちゃんはどこにいる?」と言う声がした。なっちゃんは、何の意味か分からないようだったが、大人の指が日本を指して、「ここだよ」と教えていた。

なっちゃんの顔が特大アップになって、「おじいちゃん、ありがとう!」と、ちょっと『言わされ感』があったが、作り笑いで話しかけてくれた動画だった。

まだ、日本地図も世界地図も馴染みがないだろうから、いきなり地球儀では飛躍しすぎだったかもしれないが、そのうち分かってくるだろう。

実は余談だが、私は小学生の5年生の頃、こういう地球儀が欲しくて欲しくてたまらなかった。近くの遊び友達の家に遊びにいったとき、彼の家は町医者をやっている家庭だったが、彼の個室の勉強机に地球儀があったのを見て、死ぬほど羨ましかったものだ。

正直を言うと、私は今でも地球儀が欲しいのだが、カミさんの小言が聞こえてきそうなので、買うのは止めておいた。

ネットで地球儀を検索してから、なんと一週間もしないで以上の様な流れが、滞りなく済んでしまう日本はなんて便利で住みよい国なんだろうか。時代は便利になったものだとしみじみ感じてしまったのだった。


もうすぐ、『しんぎゅらりてぃ』 が??

2017年02月25日 | 社会観察
思えば私が大学に入学した頃は、まだこの世にスマホやパソコンなど無かった。私が入学したのは、いわゆる理系学科であったので複雑な構造計算などは、当時関数電卓を使って計算していた。

しかし、私は貧乏学生だったので自分専用の関数電卓は買えなくて、とうとう卒業まで関数電卓なしで通したのだった。今思い出しても、よくそれで単位が取れたものだと不思議でならない。

社会に出て暫くすると当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったソニーが、手のひらサイズのウォークマンをこの世に出して、それまで馬鹿でかいラジカセを肩に載せて、大音量で街を歩くのが『ナウい』時代であったのを、一変させたのだった。

録音は出来なくても、音質のいい録音再生ツールで、しかもジョギングしながら音楽が聴けるということで、瞬く間に世界に広まった。

その後の。アップルのi-Phone にまったく負けず劣らず、正真正銘のイノベーションであった。

SONY らしい商品

ソニーはその後もビデオテープやCD,AIBO なる犬ロボットなどを発売したりして、その独自性を発揮して見せたのだが、経営者が変わって外国人が経営陣に加わった頃から、どうも風向きが変わったようで、いつの間にかAIBO なども開発打ち切りになっていたらしい。

AIBO がソニー社内で開発打ち切りになったのかどうか、詳しいことはよく分からないが、当時ズブの素人の私でも、ソニーがゲーム機? ソニーが保険??と、何か様子が変わっていくので、心配になったものだった。

原発にしろ、自動運転自動車にしろ、科学技術の進歩を邪魔して遅らせようとしたりすることは、私は不可能で意味の無いことだと思う。

いずれ、自動車は運転手など必要とせず、トラックドライバーやタクシー運転手などはいなくなるだろう、などとは俄かに信じがたいことだ。

しかし私が学生の頃、「やがて、手のひらに載る様な機器で、世界中の人と話をしたり、写真や動画を見せ合ったりする時代が来る。」と言われたら、「そんな、馬鹿な・・・」と信ずることは出来なかったに違いない。

このままコンピュータが進歩し続けると、あと二十数年で、コンピュータの性能は指数関数的に向上し、「人間の脳の機能をスキャンできる」ほどに発達するそうだ。

つまり、個人の脳みそが持つ知識や記憶をデジタル化して保存したり、コピーしたり、別のロボットなんかにアップロードできるようになるらしい。

そうなると、当然一人だけでなく、複数人の知識や情報も可能になるはずで、やがて今の全人類73億人分の一括保存も出来うる時代が到来するだろう。

そういう途方も無い大変化のことを、Singularity (シンギュラリティー)「技術的特異点」と呼ぶそうで、この単語は気象学では「特異日」のことを意味する。

先の東京五輪の開会式が行われた10月10日は快晴の特異日であり、実際に当日は確か日本晴れだった。

鉄腕アトムやサイボーグ009に始まり、最近では「ターミネーター」や「ロボコップ」などに描かれた時代がもうすぐ現実となるようだが、私は多分その頃はこの世にいないだろう・・。残念ながらと言うべきか、お陰様でと言うべきか・・・。

もうすぐ、『しんぎゅらりてぃ』 が??

2017年02月25日 | 社会観察
思えば私が大学に入学した頃は、まだこの世にスマホやパソコンなど無かった。私が入学したのは、いわゆる理系学科であったので複雑な構造計算などは、当時関数電卓を使って計算していた。

しかし、私は貧乏学生だったので自分専用の関数電卓は買えなくて、とうとう卒業まで関数電卓なしで通したのだった。今思い出しても、よくそれで単位が取れたものだと不思議でならない。

社会に出て暫くすると当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったソニーが、手のひらサイズのウォークマンをこの世に出して、それまで馬鹿でかいラジカセを肩に載せて、大音量で街を歩くのが『ナウい』時代であったのを、一変させたのだった。

録音は出来なくても、音質のいい録音再生ツールで、しかもジョギングしながら音楽が聴けるということで、瞬く間に世界に広まった。

その後の。アップルのi-Phone にまったく負けず劣らず、正真正銘のイノベーションであった。

SONY らしい商品

ソニーはその後もビデオテープやCD,AIBO なる犬ロボットなどを発売したりして、その独自性を発揮して見せたのだが、経営者が変わって外国人が経営陣に加わった頃から、どうも風向きが変わったようで、いつの間にかAIBO なども開発打ち切りになっていたらしい。

AIBO がソニー社内で開発打ち切りになったのかどうか、詳しいことはよく分からないが、当時ズブの素人の私でも、ソニーがゲーム機? ソニーが保険??と、何か様子が変わっていくので、心配になったものだった。

原発にしろ、自動運転自動車にしろ、科学技術の進歩を邪魔して遅らせようとしたりすることは、私は不可能で意味の無いことだと思う。

いずれ、自動車は運転手など必要とせず、トラックドライバーやタクシー運転手などはいなくなるだろう、などとは俄かに信じがたいことだ。

しかし私が学生の頃、「やがて、手のひらに載る様な機器で、世界中の人と話をしたり、写真や動画を見せ合ったりする時代が来る。」と言われたら、「そんな、馬鹿な・・・」と信ずることは出来なかったに違いない。

このままコンピュータが進歩し続けると、あと二十数年で、コンピュータの性能は指数関数的に向上し、「人間の脳の機能をスキャンできる」ほどに発達するそうだ。

つまり、個人の脳みそが持つ知識や記憶をデジタル化して保存したり、コピーしたり、別のロボットなんかにアップロードできるようになるらしい。

そうなると、当然一人だけでなく、複数人の知識や情報も可能になるはずで、やがて今の全人類73億人分の一括保存も出来うる時代が到来するだろう。

そういう途方も無い大変化のことを、Singularity (シンギュラリティー)「技術的特異点」と呼ぶそうで、この単語は気象学では「特異日」のことを意味する。

先の東京五輪の開会式が行われた10月10日は快晴の特異日であり、実際に当日は確か日本晴れだった。

鉄腕アトムやサイボーグ009に始まり、最近では「ターミネーター」や「ロボコップ」などに描かれた時代がもうすぐ現実となるようだが、私は多分その頃はこの世にいないだろう・・。残念ながらと言うべきか、お陰様でと言うべきか・・・。

「日本死ね!」がよく言うわ

2017年02月19日 | 社会観察
もう84歳となった私の母は、私がまだ小学生だった頃、自分が尋常小学校に通っていた時のことをよく語って聞かせてくれたものだった。

細かな内容は記憶に無いが、なぜか母が神武天皇から歴代天皇の名前をスラスラと呪文のように諳んじてみせてくれたり、「チン、オモウニ、ワガコウソコウソウ・・・」と念仏のような意味不明の長い文章を空で唱えて聞かせてくれたりした。

当時の私はそんなことは学校で習わなかったので、意味はまったく理解できていなかったが、なんだか損した様な気分を感じた記憶がある。

あれから数十年経って、あのとき母が唱えた長い文章は、「教育勅語」であったと分かった。そして、敗戦後に占領軍GHQがそれを禁止して、二度と学校では扱わないように命令したくせに、自分たちはそれを母国に持ち帰って英訳して広めようとしたことを知った。

  教育勅語の原文

今の日本人は当時書かれた日本語を読むことが出来なくなっている。現代語に翻訳したものは、ネットで簡単に見ることができるので内容を見ると、アメリカさんはなぜ敗戦後の日本人からこれを奪ってしまったのかよく分からない。

  教育勅語の現代語訳

親孝行しなさい、兄弟仲良くしなさい、夫婦は仲むつまじく・・と、キリシタンの聖書にも書かれているような内容ではないか。

聖書にある神の言葉ではなく、天皇の言葉であったから、という理由ならいっそのこと占領軍の強権で天皇制を廃止させればできないことも無かったのだろうが、なぜかそれはしなかった。

それにしても、書かれた内容は、アメリカさんも感銘を受けたようだから、素直にそう言えばかわいいものを、こっそり持ち帰って英訳するなど、彼らの腹黒さが垣間見られて気分が悪くなる。

連日、予算委員会で狂ったスピッツのようにキャンキャン発狂している野党の議員が先週金曜日に、厚生労働省の「保育所保育指針」改定案にイチャモンをつけていたらしい。

   この方、更年期○○??

それには、「幼児が国旗や国歌に親しむことが明記されている」から良くないと言いたかったようだ。保育所を求めるお母さんの味方を自負する女性議員を演じたいのだろうが、子供たちが国旗や国歌を好きになってもらっては困るようだ。

「子供たちが社会に愛されて社会に育まれていく。そういう環境を作ることで、子供たちの心に押し付けではない自然に社会を愛する、自分の生まれ育った国を愛する意識が芽生えていく。これが順番だと思う」と述べたそうだが、よくまあこういう奇麗事が言えるものだ。

   日本死ね!が座右の銘?

アメリカさんも感心した「教育勅語」を復活させようなどと聞けば、このご婦人はきっと口から泡を吹いて卒倒してしまうに違いない。

野党にはこの手の議員がまだまだ他にもウヨウヨいるから困ったものだ。

オリンピックで日の丸を持って大喜びする「アスリートたち」に、「余計なことをするな!!」「NHKはそういう映像を写すな!!」国会で本音を披露すれば、少しはヒステリーも落ち着くのでは、と老婆心ながら思ってしまう。

観たいようで観たくもない最新映画

2017年02月18日 | 趣味の世界
学校で受けた教育だけでは、自国のことはほんの数パーセントしか理解でいないでいて、まったく自国の印象など味気ないもので終わっていたかもしれない。その意味では、学校の社会科の先生たちは、実に罪深い人たちだったと思わざるを得ない。

子供の頃本当は欲しかったけど、間違いなくウチには高価すぎる買い物だと思って、両親にはいい出せなかった百科辞典だったが、それ以上の便利さがITのお陰で享受出来るから、いい時代に生まれたと、私は誰にか分からないが、感謝する。

最も最近映画館で観た映画は「海賊と呼ばれた男」で、なかなか良く出来た映画だった。前作に続いて、山崎貴と岡田准一のタッグが奏功していたと思う。

その時映画館で観たポスターが遠藤周作の作品の映画化である「沈黙・サイレンス」で、関心があったが、どうも映画館まで足を運ぶ気になれないでいる。

  観たいようで観たくもない・・・

なぜだろう、とよく考えるとどうも理由が二つある。

一つは、その作品の上映時間の長さである。180分というから3時間で、これは黒澤の「七人の侍」とほぼ同じである。同じ時代劇なのだが、片や活劇。片や宗教物で私にはあまり好印象を感じさせないキリシタン物を、長時間果たして我慢できるかが、不安であった。

過去にも、私は観始めて、「だめだこりゃ・・」と感じた映画は、すぐに退場してしまうことが何度もあった。もしや、この映画もその類なのではと躊躇したのだ。

監督がマーティン・スコセッシというイタリア系アメリカ人の監督で、映画監督になっていなかったらカトリックの司祭を目指していたと言っているくらいだから、敬虔な信者なのだろう。

そういうのが、キリシタン追放にまつわる映画を作るのだから、きっとキリシタン信仰を美化したものに作るに決っていると思ったのが、観ないでいる二つ目の理由だった。

折りしも昨年秋以来、私の関心は16世紀に種子島に伝来した火縄銃に端を発した、当時の歴史であった。

偶然種子島に漂着した船の乗組員が火縄銃二丁を当時の種子島の島主に披露して、それを現在の貨幣に換算すると1億円にもなろうという金額で購入したという話なのだが、実はどうも彼らは最初から銃を売りつけようという魂胆があったらしい。

「これは儲かるぞ!」と慌てて銃の調達に帰った彼らが次にやってきたときは、すでにその模造品は数十丁作られていて、その後もねずみ算式に日本中に伝わっていったのだった。商売にならないと落胆するまでもなく、火薬を商売のネタにしたのだった。

火縄銃は火薬がないと役に立たない。その火薬製造には硝石が不可欠で、日本では硝石が採れないのだった。

意外と知られていない事実に、火薬一樽と日本人女性50人を交換して、彼らは奴隷船で国外に連れ去っていたというおぞましい歴史がある。火薬一樽とは多分一人で運べる重さとして30kg程度だったろう。

何百樽という火薬が取引されたであろうから、当時の日本からは数千人のうら若き女性たちが、アフリカの黒人奴隷と同様に、真っ裸にさせられて、ヨーロッパや南米に密輸出されていたのだった。

  遣欧少年使節の四名

恐らく、それにはいわゆるキリシタン大名と呼ばれる大名たちも関わっていたはずだ。

日本人奴隷の話は、紛れも無い事実で、これは社会科の授業ではっきりと教えるべきであろう。

1582年、イエズス会の司祭の発案でキリシタン大名・大友宗麟の代理としてローマに派遣された、いわゆる遣欧使節の当時13歳程度の少年たちは、旅先のあちこちで奴隷として売買されている日本人たちを目にしていたのだった。

『こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。』

『あれほど多数の同胞男女やら同胞童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか』などと憤慨していた。

しかし、それを実行していたのは当時日本に浸透していたキリシタンたちとそれに協力した同胞一派なのである。アフリカの黒人奴隷を調達して輸出していたのは同じ黒人であったが、まったく同じことが16世紀の日本でも行われていたのだった。

イエズス会の役割が植民地候補地の先兵であることや、奴隷輸出の実態やキリシタンの仏教徒などに対する態度などを知れば、秀吉ならずとも、バテレン追放令を発したくなるであろう。

口では愛がすべったの転んだのと甘ったるいことを唱えながら、その本性は侵略者の先兵であったカソリック司祭たちは、秀吉のキリシタン禁止令の後、26名の日本人信者が捕らえられた時、彼らをなるべく悲惨な方法で処罰するよう申し入れている。

  日本二十六聖人の磔の絵

彼らを殉教者として布教のツールとすること、さらに秀吉の残忍さのアピール用として利用することと考えた当時のカソリックの司祭たちの腹黒さは、我々日本人には今も昔も真似できない。

こういう歴史を学べば、いくら映画としては良い出来の作品でも、私は観る気にはならない。

幸い日本にはまともな感覚の持ち主がまだまだ主流を占めているようなので、キリシタンの割合は人口の1%前後をキープしているようだ。

日本人の宗教観のアンケートを取ると、信仰する宗教があると回答する人はせいぜい3割程度であるそうだ。しかし、あれほど多くの国民が正月三が日には神社仏閣詣でをする。

山にも風にも火にも神が宿ると考え、ひいては針供養などと使用済みの裁縫の針までに手を併せる日本人の心には、所詮キリシタンの教えは響かないのかもしれない。

プチ整形顔に引いちゃいました・・・

2017年02月16日 | 社会観察
南朝鮮のミスコンテストを見ると、同じような顔の女性が見事に勢ぞろいすることで、いつも話題になる。

確かに、ネットで検索して画像を見ると、よくもまあここまで似た顔が集まるものだと、ある意味感心してしまうのだった。

あの国の女性は何の躊躇もせずに、顔にメスを当てるようだが、みんな元の顔が大体どういう感じかを知っているので、軽蔑こそすれ賞賛することはないと思う。

しかし、女性は男と違って、変わった方を感想の対象とするようで、ウチのカミさんbなども何だかうらやましそうな目で整形後の顔を見ている。

いつも思うのだが、そういう女性が結婚して妊娠して出産した時、赤ちゃんが成長するに従って、母親の顔とはかけ離れた顔が出来上がっていくわけだから、母親としてどういう気分なのだろうかと、私は不思議である。

今日のニュースで、スキーのジャンプの選手の快挙を報じていたが、彼女は明らかに顔が変わってしまった。化粧ではなく、目の大きさと顔の輪郭も変わったように見える。

  引いちゃいました、私は


ネットでは、昔からその素朴な顔に人気があったと記憶している。『イモト顔』だとかからかわれても、チャラチャラしたところがなくて、インタビューの受答えもベラベラと余計なことは話さず誠実で、それだけに好印象で、応援したくなる選手であった。

しかし、近頃はカメラを向けられると、「肖像権」がどうのこうのと言って撮影を嫌がるそうだ。なんだか遠い存在になっていくようで、寂しいものだと思っていた矢先にこの顔だ。

正直言って、私は最初この変化を見た時に、一旦血流が止まって、スーッと引いてしまった。年頃の女の子だからこのくらいは今では普通の感覚なのだろうが、彼女の魅力は半減こそすれ、増すことはありえないと思った。


懐かしい!ラジオ英語会話が!!

2017年02月15日 | 英語関連
Youtube という動画サイトを観ていると、時間があっという間に過ぎていく。しかも、どういう仕組みなのか知らないが、過去に観た動画を参考にしてのことだろう、右端に「あなたへのおすすめ」という動画がずらーっと出てくるのだ。

このサービスは実に心憎いもので、なんで好みや関心事が分かってしまうんだろうと首をかしげてしまう。

夕べも Youtube である動画を観ていると、右端の「あなたへのおすすめ」の中に、涙があふれ出るほど懐かしい動画を見つけたのだった。

それは、私が大学の2年の時だったと思うが、1年間毎日欠かさず聴いたNHKラジオの英語会話だった。

 NHK英語会話

リンク↓を貼っておきましたので、一度聴いてみてください。

NHKラジオ英語会話 (東後勝明先生)

ラジオ番組なので当然映像はない。音声だけなのだが、番組の始まりでかかる音楽や、講師の東後勝明先生の話声、セリフが実に懐かしくて、アップされていた7回分をすべて聴き、同時にMP3に変換して、i-Pod の iTunes に保存した。

高校の時は、英語は特に好きではなかったが、私の点取り科目で、いつもテストでは偏差値が60前後だった記憶がある。

その私が大学生になって初めて行ったパプア・ニューギニアへの探検旅行で、当時国連の委託で現地を統治していたオーストラリア人の英語がさっぱり聴き取れず、自信をまったく無くして帰国したのだった。

すぐさま、私は使える英語の再勉強を決意したのだったが、何せ今から40年も前のことである。CDもなければVHSもパソコンも当時はなかった。

おまけに貧乏学生の私はテレビもなくて、4畳半のアパートには炬燵と本棚と当時流行っていたファンシーケースしかなくて、唯一自慢できる家電製品は、小さなラジカセ1台だけだった。

いろいろ試行錯誤した結果、私が決めた教材は、NHK第2放送の『英語会話』というラジオ番組であった。1回がたった15分の番組だが、朝昼午後、夕方、夜と同じ内容の番組を1日に4回も放送していた。

1日4回放送されれば、よほどのことがない限り聞き逃すことはない。しかもテキストは薄くてどこの書店でも手に入り、只みたいに安かった。

 東後勝明先生

しかし、最もこの番組に惹かれたのは、講師の東後勝明先生のつやのある声と、日本人離れしたきれいな英語の発音であった。最初のうちはこの講師はアメリカ人であると思っていたくらいだった。

確か当時は早稲田大学の先生をしていたように記憶している。途中からは、番組をラジカセに録音して、繰り返し繰り返し何度も聴くようにして、先生独特の言い回しを真似るようにした。

すると、いつの頃からか、自分の口から聴こえる自分の声が、まるで東後勝明先生とそっくりになってきたような気になったものだった。半年も過ぎると、次第に自信がついてきて、街へ出てモルモン教の宣教師を見つけて積極的に話しかけたりしたものだ。

当時の私は、それを武者修行と位置づけていて、さながら自分を修行中の宮本武蔵のように考えていたふしがある。

テレビなどで、よく留学経験のある方などが、英語は長い間使っていないと忘れてしまう、などと言っているのを聞くが、あれは嘘である。

私は、途中10年以上まったく英語など使わなかったことが何度もあるが、意外にもそう簡単に忘れるものではない。ちょっと耳を慣らせばすぐに蘇るものだ。

英語に限らず、ニューギニアで覚えた原住民の話すピジン英語の歌や、いくつかのフレーズなどは今でもはっきり覚えている。40年前の経験はそれほど強烈だったのだろうか。

毎日ラジオの英語会話を聴いていたあの1年間は、お陰で本分の大学の勉学が犠牲になったものだった。そのツケは、後になって払わされることになるとは、当時は考えもしなかったことだった。




バンクーバーの同胞殺人事件の経過如何?

2017年02月12日 | 英語関連
留学生、古川さんの遺体が見つかったのは、昨年の9月というから、もう一般の日本人は事件のことなど忘却のかなたであろう。

  行方不明は、昨年9月8日の事だった

穿った見方をすれば、こういう情報の出し方はカナダ政府の巧妙な策略によるものなのかもしれない。何せ、日本人の語学留学希望者にとっては、バンクーバーといえば治安がいい街ということで定評があったらしいからだ。

むやみに事件報道をセンセーショナルにして、街の評判を下げるより、小出しにして事件を小さく扱う方が得策だと考えても不思議ではない。アジアの小娘一人が殺されたくらいで評判を下げるようなことを避けたい、と考えるのは白人ならごく普通の思考だろう。

  容疑者:ウィリアム・シュナイダー



共同通信が小さな扱いで報じていた。以下、抜粋:


 『カナダ西部バンクーバーに留学中だった古川夏好(こがわ・なつみ)さん=当時(30)、青森県出身=が昨年9月、遺体で見つかった事件で、地元警察は10日、遺体を適切に扱わなかった疑いで逮捕、訴追していたウィリアム・シュナイダー容疑者を殺人容疑でも訴追したと明らかにした。

 古川さんは昨年9月8日、容疑者とバンクーバー市内の監視カメラで撮影された後に行方が分からなくなり、同28日に同市内の空き家で、遺体で発見された。(共同)』

といっても、事件は解決したわけでもない。今月10日に地元警察が容疑者を殺人容疑で訴追しただけだった。

日本人女性が殺されたというのに、こんな事でいいのだろうか?

外務省はどういう考えなのだろう。

役立たずの地元警察を調べる担当者はいないのだろうか?

やはり、トップが岸田ではこんなものなのか?

先生、英語化政策対応、大丈夫ですか?

2017年02月12日 | 英語関連
シンガポールやマレーシア、フィリピンなどでタクシーを利用すると、運転手はほぼ100%英語が通じるので便利な感じがする。

日本のタクシー運転手も英語を話すようになれば、英語圏からの観光客へのおもてなし度は随分アップして、評判が良くなるだろう、観光客も増えるだろう、だから英語化推進を、と考えがちだが、それはちょっと違うんじゃないか。

たまには、ぼったくりもあります・・

シンガポールやマレーシアは長いこと英国の植民地であったし、フィリピンはアメリカの植民地であった歴史がある。彼らと日本人を同列に考えてはいけない。

それに、日本人観光客のために東南アジアのタクシー運転手がみんな日本語を話すようになったとして、観光客であるあなたはうれしいですか?ありがたいですか?異国情緒を味わいたいという海外旅行の要素を損なうことにならないですか?

それに、観光客誘致のためとか、押し寄せる外国人観光客に対応するため英語くらい話せるように・・・という理由なら、北京語を覚えるべきじゃないでしょうかねえ?

2020年は東京五輪の年ですが、この年から小学校の5,6年生は正式な教科として英語を習うことになるそうです。テストをして成績がつく事になり、その年には小学校3年生も「英語活動」が始まり、お遊びで英語に慣れるのが目的のようです。

やがて英語は、私立中学の受験科目に加わり、市井の英語教室は小さな子供たちで賑わうことになることは目に見えています。

  中学の英語の先生。大変でしょうな。

そういう政策に伴って教える側も尻を叩かれているようですが、現状は対応できているんでしょうか?



以下、京都新聞より抜粋:


 『京都府教育委員会は9日、京都市を除く中学校の英語科教員で、本年度に英語能力試験TOEICを受験した74人のうち、府教委が目標として課した英検準1級に相当する730点以上を獲得したのは16人で、約2割にとどまることを明らかにした。

最低点は280点で、500点未満も14人いたという。府教委は「英語科教員の資質が問われかねない厳しい状況だ」としている。』

これを知ったちょっと英語に関心のある父兄は、多分大きな失望感を覚えて、こりゃ学校に期待はできないわ・・・と感ずることだろう。

そして、それは子供たちに伝播して、英語教師を見下すことになり、それを敏感に察知するる英語教師たちは恐らくやる気を出すより、やる気をなくしてしまうのではないか。

 『国は、次期学習指導要領で、中学校の英語科の授業は基本的に英語で行うことを盛り込む方向で、2017年度内に中学校教員で英検準1級以上50%という目標を掲げている。

 そのため府教委は、本年度から英検準1級以上を取得していない英語科教員に、英語のコミュニケーション能力を測るTOEICの受験を促し、受験料を負担する事業を約750万円かけて始めた。』

文科省のお役人が、鉛筆舐め舐め目標を設定するのは、いとも簡単なことであるでしょう。しかし、英語教員の力量は昨日今日急に下がったわけではないことは明白です。ゆとり教育で大きな失敗を経験したにもかかわらず、お役人は学習していません。


 『対象となる50歳未満の教員は約150人で、本年度は74人が受験した。まず昨年6月に試験実施したところ、4人しか達成できなかった。』

残念ながら、京都の英語の先生は、「英語を教える力量はない」ということです。

 『その後、8月と10月に集中セミナーを3日間実施。その後1月までに追加で8人が合格した。ただ受験者の平均点は、1回目が578点、2回目が588点で、セミナーや自習を経ても10点しか上がっていない。』(京都新聞  2017年02月10日)

TOEICはかなりこまめに受験者のデータを収集してきていて、その統計よるとこれまでの英語教員の平均スコアは、中学教師が560、高校教師が620という結果でした。

これはいずれも文科省の目標730に達していないばかりか、この程度のスコアでは英語を教えるレベルではない、と公表しています。

この英語化政策の愚策ぶりは、『英語化は愚民化』(施 光恒著 集英社新書)に詳しいので、是非ご一読を!

すでに一部の有名大学では、授業がすべて英語で行われていて、これはどんどん広がることになるそうです。バカバカしいことに、日本の大学で日本の学生たちが日本人の先生に英語で「日本文学」の講義を受けるという光景が生じるようです。

政府のこういう動きを察知して、人材派遣の大手などは、近場の英語圏のアジアの国に、日本人のための英会話学校をつくり、短期・長期英語留学を受け入れて儲けようと企んでいるようです。

  Pの派遣企業

ほくそえんでいる利権屋は、郵政民営化のときの例のあの方、今や派遣会社の会長さんです。

この国の未来を担う若者の必読書2冊

2017年02月12日 | 書籍関連
昨年、18歳になって選挙権が得られるのを前に、あちこちの学校で投票ごっこをする光景が報道されたが、あれは実に嘆かわしい映像であった。

子供の大学受験に、親が仕事を休んで同行するような時代なのだから、当然といえば当然の対応なのかもしれないが、させられる側は何とも思わなかったのだろうかと、私は今でも思い出すと血圧が20くらい上昇する。

卓球の平野美宇選手の母親は彼女が小学3年のときから、自分で何でもできるようにと、自宅のある山梨から練習場のある大阪まで、一人で電車で通わせていたというエピソードを、あの投票ごっこをしていた18歳の高校生たちはどう思うのか、是非聞いてみたいものだ。

高校生たちだけではない。指導する側の教育関係者たちも間抜け揃いである。むしろこちら側の方が罪は重いのかもしれない。

そういう役所や学校などに潜む、ろくでもない中高年たちには多くを期待できない。

それだけに、この国の将来を担う若者たちには、まともな洞察力を身に付けてもらって、日本の舵取りを誤らないようにしていただきたいものだ。

そこで、彼らには学校の歴史の授業では耳にすることもないであろう二つのキーワードをよく知ってほしい。

それは、「WGIP」と「通州事件」である。
(WGIP = War Guilt Information Program の略。GHQ による日本人洗脳計画)


インターネットで検索すれば、何十万件もヒットするので、是非自分で調べて見てくれ。

また、アマゾンで検索しても、その関連本は簡単に見つかる。

私のお勧めは、以下の2冊である。

 若者必読書2冊

『日本人を狂わせた洗脳工作』 関野通夫著  自由社 定価500円
『通州事件 目撃者の証言』 藤岡信勝編著  自由社 定価500円

アマゾンで注文すれば二日もかからず届くはずだ。どちらも100ページ程度の冊子だが、中身は凝縮されていて、その内容には驚かされてしまう。

騙されたつもりで、読んで欲しい2冊だ。


静岡だけじゃなかった、アホ知事

2017年02月11日 | 政治ネタ
アパホテルが客室に置いた書籍に、支那がイチャモンをつけて政治問題化しようとしたのは、実に馬鹿げていて日本側がオロオロすることではないとまともな神経の持ち主なら思うことだろうが、そうではないのがいるから支那の思惑通りになるのだ。

  女の浅はかさか・・・

冬季アジア大会が開かれる北海道の知事が、オロオロしてとうとうアパホテルに圧力を掛けたようだ。 以下時事通信記事より・・・。


 『高橋はるみ北海道知事は20日の定例記者会見で、アパホテルが客室に南京事件を否定する内容の書籍を置いているとして中国で反発が強まっていることに関して「いろいろな議論があることについて、相手国の方々に不快な思いを持たれるのはどうなのかなと率直に思う」と、ホテルの対応に疑問を呈した。

 一方で高橋知事は「(行政としてホテル側への)強制手段はないので、今後の対応を見守りたい」と述べた。(2017/01/20-16:49)』

以前、福田とかいう、「相手が嫌がることはしない方がいいんじゃないか。」と言って、支那の言い成りになった間抜けな男の総理大臣もいたが、北海道の知事も背骨のないフニャフニャな女知事であることを暴露してしまった。

北海道の山林が支那人に買い漁られていることなど、意に介さない御仁なのだろう。

馬鹿知事は、わが郷土の川猾平太・静岡県知事だけかと思ったら、北の大地の知事も同類であった。

そういえば、世界的な恥さらしのポッポ鳩山の選挙区も確か北海道だったな・・・

行け行け南朝鮮!!

2017年02月11日 | 外国ネタ
ブラジルのオリンピックは随分盛り上がったが、もう来年は冬のオリンピックが開催されるという。場所は、近くて遠い半島だそうだが、いったい工事は順調に進んでいてまともに開催されるのかさっぱり情報がなくて分からない。

個人的にはどうでもいいが、ウチのカミさんに言わせると、男子フィギュアスケートの羽生の追っかけをやってる有閑主婦たちがてぐすね引いて待ってるそうで、多分大量の日本人中年主婦たちが押しかけることになりそうだ。

それにしても、半島部族の女酋長はその存在が消えかかっているようだし、日本大使館前の売春婦像の撤去はありえそうもないし、従って一時帰国した大使や総領事はいまだに正月休みが続いているようだ。

  売春婦像が拝まれる存在になっている

先日、一時帰国している森本康敬釜山総領事が、友人との会食の席で、安倍総理ら首相官邸の対応を批判したというニュースが流れた。本人は、「覚えていない。」とシラをきっているそうだが、事実だとすれば更迭されてしかるべきであろう。

  外交官失格!そんなに釜山が好きか?



また、自民党の中にも『早く戻した方がいい』と記者会見で言い出したトンデモ幹事長がいるようだ。ソウル支局長が拘束されたときも、産経新聞社長に「謝罪した方がいい」と脅した国会議員の中に、確実にコイツは含まれているはずだ。

  親支那派の二階幹事長


一方、あちら側では、北の息がかかっている野党の国会議員が、「一定の期限までに日本大使が復帰しなければ、われわれの大使も召還しよう」と述べたそうで、これは我々にとって実に歓迎すべき発言ではないか!

売春婦像が撤去されるまで、安倍は長嶺大使を帰任させる意向がないと主張。「安倍の非外交的かつ反韓的な態度を見ながら我慢しているのは、ウリナラの自尊心にかかわる問題ニダ!」と述べ、一時帰国の長期化を批判したというから、実に威勢がいい。

南朝鮮の外務大臣に検討を依頼したようだが、あの上等なカツラを頭に載せた外務大臣は、早急に駐日大使召還を決めて欲しいものだ。がんばれ、大臣!

いまや、おぞましい売春婦像は半島だけではなく、カナダやアメリカにも設置されているし、他の国々でも設置を企んでいることは間違いない。片棒を担いだ朝日新聞の責任は計り知れないものがある。

従軍慰安婦は、女衒が取り仕切っていた兵士相手の職業売春婦であっただけのことなのに、あたかも日本軍が関与していたかのような作り話で洗脳されている南朝鮮人たちを説得する手立ては最早ないだろう。

彼らにとっては、歴史はファンタジーなのである、とよく言われる。ファンタジー(fantasy) とは、「幻想、白日夢」のことで、中年の主婦が大好きな韓流時代劇などで見られるきらびやかな衣装などは、まったく嘘八百のファンタジーである。

事実は、李氏朝鮮時代には、半島に染色技術がなく、チマチョゴリはみな白一色であったという。貴族の衣装はかろうじて支那からの輸入物を利用したそうだが、ほとんどが原色のみだったそうだ。

当時の部族たちがどういう着物でどんな様子であったかは、ネットで検索すれば画像としていくらでも見る事ができる。

半島の反日ぶりは、売春婦像だけに留まらない。

100万歩譲って、もし強制的に奴隷のように扱われた慰安婦がいたとしても、それを大声で喚き散らして、謝罪せよ、賠償せよなどと主張すること自体が、恥ずかしくて我々日本人には決して出来ないことなのに、彼らは次なる手段を画策していた。

それが、「軍艦島」こと、長崎の沖合いにある端島(はしま)を扱った歴史捏造映画であった。

   世界文化遺産として登録された


「1945年、日帝占領期、われわれはそこを地獄島と呼んだ。」というコピーが印刷されたポスターが先月公開されたそうだ。今夏公開予定のその映画のタイトルは、そのものズバリ、『軍艦島』で、その内容は強制徴用された朝鮮人たちが命を賭してそこから脱出を試みる、というものだそうだ。

  映画は格好の洗脳媒体である

映画の予告編では、海底炭鉱でガス爆発の恐怖に怯えながら作業をする朝鮮人少年たちのバックに、「ここの出来事を記憶する朝鮮人たちは、一人たりとも残してはいけない」という日本語のせりふが流れるという。

こういう反日映画は国策として製作されているようで、その反日ぶりは、映画だけに留まらず、子供向け絵本にまで及んでいるそうだ。

絵本のタイトルも、『軍艦島-その恥ずかしい世界文化遺産』というもので、日本が朝鮮半島から強制的に少年たちを連行して、軍艦島の檻に閉じ込めて石炭を掘らせたという、真っ赤な嘘を並べた内容となっている。

ここまで来ると、どんなに鈍感な人でも、(ああ、少女像の次は、少年像だな・・・)と予想できるだろう。こりゃ、楽しみだ!どんな少年像が出来上がるのか・・。

仮に日本人が、「そりゃ嘘だ、強制的になんてありえない!」とでも反論すれば、彼らは待ってましたとばかり、「ユネスコの世界遺産委員会で、forced to work (強制された)って言ってたでしょ?」と言い返すことになるわけだ。

岸田外務大臣がいくら forced labor (強制労働)とは異なりますと言ったところで、(be) forced to work と forced labor は同じ意味だというのは中学生で習うレベルの英語ではないか。

  これで外務大臣??マジで??

南朝鮮の策略に引っ掛かったとすれば、外務省のアホぶりが証明された。丸くおさめようとしたなら、後先考えない無責任さを露呈したことになる。

  握手してる場合かよ!

単なる英文の解釈どころの問題ではない。外務省といえば、語学の達人たちがワンサカいる部署のはずである。しかも当事者の佐藤(くに)というユネスコ大使は、東大を卒業しただけでなく、米国の名門コロンビア大学の大学院を修了している才媛であった。

 東大卒、コロンビア大大学院修了


外交官ならずとも、南朝鮮の歴史を少しでも遡れば彼らの出方など容易に読めると思うのだが、日本の外務省は誰かが言ったように、伏魔殿なのかもしれない。

それはさておき、南朝鮮は実におもしろい。

色々チョッカイを出してくるのでまったく話題には事欠かない。

あんな国と国交断絶になったところで、日本が困ることはあるだろうか?もっともっと反日運動を激しくして、サッサと駐日大使を召還してくれないか。

がんばれ南朝鮮!!

馬場辰猪の優れた先見性

2017年02月05日 | 英語関連
トランプが米国大統領になって、これまでほぼ思い通りに人・物・金の往来を自由にしようと世界をコントロールしてきた、いわゆるグローバリスト達は、今躍起になってトランプ攻撃を続けている。

それに操られているのか、自由意志なのか、日本のマスゴミも薄気味悪いほど連日連夜のアンチ・トランプ報道に徹しているのが、どこか狂っているように見える。

ひところ国際化、国際化と煽られていたのが、いつの間にか言葉が変わってグローバル化と叫ばれるようになった。

国を隔てる国境なんていらない、邪魔である、とするグローバル企業は、日本での障害となる言語教育にも口を挟み、それに呼応するようにいくつかの企業は、英語を社内公用語にすると宣言したのは周知の通りである。

そして、それらの企業の経営者の中からも安倍政権の英語化政策に影響を与える者が出て、この国の英語教育は大きく変わろうとしているのが現状である。

  社員のTOEICスコアが自慢

これに異を唱えた一人が九州大学準教授の施 光恒(せ てるひさ)氏で、『英語化は愚民化』という著書で、安倍政権の英語化政策を痛烈に、真剣に、論理的に批判して警鐘を鳴らしたのだった。

集英社新書から発行されてすぐに私も入手して読んだのだが、今春から初孫なっちゃんが小学校に入学すると知ったのをきっかけに、もう一度読み直してみた。

印象深い部分は、明治初期に「日本語廃止・英語公用語化論」を唱えた森有礼(ありもり)と、その反対の論陣を張った馬場辰猪の主張であった。

薩摩藩士であった森は、幕末、18歳のとき薩摩藩第一次英国留学生として英国に密航・留学している。明治維新後帰国した後、38歳で初代文部大臣に就任しているが、それ以前に彼は、『英語公用語化論』を主張している。

  薩摩出身・森有礼(ありのり)

彼の主張は、「日本の近代化は、日本語では難しい。英語で国づくりを進めていくべきだ。」というものだった。日本語は廃止して、万事英語での政務を行うべし、という相当極端な主張を繰り広げている。

この主張は一見過激すぎるように聞こえるが、鎖国が続いた日本から英国に留学して、当時の最先端技術を目の当たりにして知識を深めていくと、当然日本語の語彙には存在しない物や概念が頻出してくるので、極めて自然な主張であったと言えるだろう。

しかも、欧米列強の国力に早急に追いつこうとすれば、言葉が近代化に対する障害になるであろうという森の懸念と焦りは、現代の我々には理解しがたいものがあったに違いない。

森は当時、自分の主張を欧米の識者達にも披露して、意見を聞いている。いわく、、


日本語は文法も未熟で語彙も少なく、知的な概念などは漢語に頼らないと議論すらできない、近代化には向かない言語である。

近代国家を建設するためにはふさわしくないので、英語の不規則動詞などを簡略化したり、つづりと発音を一致させた「簡易版」の英語に改良して欲しい。その上で英語を公用語として学校教育を英語化した上で、日本の近代化を図って行きたい。

こんな主張を、手紙で受け取ったエール大学のウィリアム・ホイットニー(アメリカ言語学会初代会長)は、以下のように返答している。

「母国語を捨て、外国語で近代化を図った国で成功したものなど、ほとんどない。しかも、簡略化された英語を用いるというのでは、英語国の文明の成果を獲得する手段としておぼつかない。」そして、

「英語学習の時間を充分取れる一部の特権階級と、一般大衆との間に大きな格差と断絶が生じてしまうだろう。」

さらに、ホイットニーは、次のように助言していた。

「日本文化の『進歩』の中には、『母国語を豊かにする』ことが含まれなければならない。豊かな国語こそ、日本の文化を増進する手段であり、一般大衆を文化的に高めることにつながる。」

他のお雇い外国人たちも、森の「英語公用語化論」には否定的な見解を述べていた。
「教育政策を考える上で、変えても良いものと変えてはならないものがあるが、教育で用いる言語は最も変えてはならないものである。」と断言した外人識者もいたという。

福沢諭吉の慶応義塾で学んだ土佐出身の自由民権運動家・馬場辰猪(ばば たつい)は、建設的な方法で森有礼の『英語公用語化論』を批判した。

  馬場辰猪、長崎、英国で英語を学ぶ

長崎でオランダ人宣教師に英語を学んだあと、英国に留学した馬場は、ロンドンで森有礼に反対を表明した。その方法は、ユニークなもので、何と馬場は英語で日本語の文法書をあらわし、イギリスの出版社から本を出版したのだった。

その理由は、森有礼がことあるごとにいう、「日本語にはまともな文法がない」という主張に対するものであった。自ら英語で日本語の文法書を出版することで、日本語にもきちんとした文法があると主張したのである。

その本は、『日本語文典』(An Elementary Grammar of the Japanese Language With Easy Progressive Exercises) の中の序文で、馬場は出版の意図と共に、森有礼の『英語公用語化』に対する批判を展開していた。

馬場の主張は、要約すると以下の4点であった。

1. 英語学習には大変な時間を要するため、若者の時間を浪費させることになる。
2. 英語公用語化で、国の問題を論じるのが、一握りの特権階級だけに限られる。
3. 英語を公用語にすると、社会は分断して格差が固定化する。
4.  英語公用語化は、国民の一体感を失わせることになる。

馬場は、インドを見てその実態を示してもいた。

すなわち、インドでは、英語を話さない人達は、英語を話す人達をインド人とは見なさず、英語を話す人達は話さない人達を小馬鹿にして、両者の間には共通の思想も感情も存在しない、と言っている。

馬場は、自ら日本語には明確な文法があることを、日本語文法書を英語で出版することで主張し、さらにそれではどうすればよいか、一体何が足らないのかを最期に伝えている。
「すでに我々の掌中にあり、我々すべてが知っているものを豊かで完全なものにすべく努めるほうが、それを捨て去り見知らぬものを採用するよりも望ましい、とかんがえるものであります。」

すなわち、足らないものは「語彙」であると言っているのである。

結果的に、森の『英語公用語化論』は採られず、明治の識者達は次々に日本に入ってきた新しい技術や概念を翻訳していったのだった。


遺伝、引力、温度、階級、機械、義務、権威、酸素、水素、炭素、窒素、現実、 権利、
講義、光合成、細胞、赤外線。紫外線、市民、重力、統計、判決、病院、文明、 法律、
郵便、理想、倫理、労働、惑星、保険、物質、動物、哲学、電気、電流、電圧、 政府、
経済、健康、看護婦、万年筆、解析、爆弾、分解、弁護士、前置詞、封建、民主主義、
個人、社会、恋愛、自然、権利、存在、近代、美、自由、・・・・・などなど。


それまで見たことも聴いたこともない概念を、つぎつぎと母国語に翻訳してきた明治の知識人たちの努力を想うと、その偉業に感服する他ないが、お陰でその後の多くの日本人は、わざわざ金と時間を費やして海外に出なくとも、日本国内で研究に勤しむことが可能になり、日本の近代化に大きく貢献することになったのである。

こういう馬場辰猪のような明治の人たちの先見性を踏みにじるような、今の英語化政策は、どういう結果をもたらすか。すでに結果が見えているようで、いまさら議論すべくも無いように思う。

文部省は、前に「ゆとり教育」で大変な失態を演じている。この影響はいま社会の最前線で活躍する若者たちに出ているようだ。

教育政策は、後戻りできないもので、それだけに十分な議論を尽くすべきであるはずなのに、一部の利権屋や外国かぶれの若手経営者、あるいはグローバリズムの潮流に押し流されように進行している現状は、この国の将来にとって重大な問題であるはずだ。