孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

冬空に富士の姿

2016年12月17日 | 日記
天気がいいので近くの大井川の土手沿いを散歩してきた。東の空は最近白い雲が厚く漂っていて、見えるはずの位置に富士山はまったく見えずにいたのだ。

しかし、今朝は上空の強風が、その雲をきれいに吹き飛ばしてくれたお陰で、大井川越しに東の方向に、雪化粧をした富士山がくっきりと見えた。

  手前は大井川

大井川の河川敷に作られたグラウンド・ゴルフ場では、元気な高齢者たち3~40人が、10人ずつくらいの組に分かれて、ゴルフに興じていた。

彼らを見るたびに私は、ある高齢者の男性のことを思い出す。

その男性は、電気関係の技術者だったようで、若いときはその大半を海外の工事現場で過ごしたと語っていた。

私が市の主催するカルチャースクールみたいなところで、「名画に学ぶ英会話」という講座を持っていたとき、知り合った方で、英語に対するアレルギーはまったく無いようで、そればかりかご自宅ではどうも近所の子供たちに英語を教えていらっしゃったようだった。

世間話をしていた時、彼は仕事をリタイアしてからのことを思い出話に聞かせてくれたことがあった。

 川の向こうは島田市街


リタイアしたら、すぐに近所の高齢者達からグラウンド・ゴルフのメンバーになるようにお誘いがあり、あまり気が進まなかったが、道具をそろえて参加することにしたそうだ。

週に何度か、午前10時半くらいから大井川の河川敷にある運動場に集合して練習が始る。

昼食の休憩は家に帰って1時間。午後1時から再開して、2時半頃まで運動してから、男性達は行きつけの酒屋兼居酒屋のような店に移動して、酒をチビチビやりながらおしゃべりを楽しむ・・というパターンだったそうだ。

一月くらいそんなことに付き合ったのだが、彼はグラウンド・ゴルフを止める事にしたのだそうだ。

理由は、ゴルフそのものにあまり関心が無かったことと、運動を終えておしゃべりに興ずる時、その話題がたいてい人の悪口か、根も葉もない噂話の類で、それに付き合うのが苦痛になったからだそうだ。

「もう、他人の悪口で盛り上がるんだよネェ・・・」と笑いながら話していた。

今から6~7年前のことだったろうか、彼は今どうやって老後をすごしているのだろう。

富士山とグラウンド・ゴルフを見ながら、暫し思い出に耽った。


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北斎が眺めた富士山

2016年05月21日 | 日記
初孫なっちゃんが産まれたときだったからもう6年前になるわけだ。

当時私は富士山の五合目で、外国人登山客を相手に登山指導するというアルバイトをやっていた。山開きが7月だったので閉山の8月末までの2ヶ月間を、五合目の登山口で過ごした。下界は真夏日が続いても、五合目は長袖を着ないと寒いくらいで快適だった。

外国人登山客といっても様々で、南米や北欧、東南アジアからと人数は大したことは無かったが、世界中から集まってきて、当時私はあわててスペイン語、ドイツ語、フランス語などで簡単な挨拶の仕方を丸暗記したものだった。

ドイツ語は、大学の第二外国語で履修していたので、ローレライなどのドイツ語の歌を数曲歌うことができて、スイスやドイツからの登山客に披露して愛嬌を振りまいた。意外と一度覚えた言葉は忘れないものであるとわかった。

そのとき、県庁の職員が下山者に粗品のボールペンと一緒に何かを配っているのがきになった。「何をしているのか」と聞くと、「富士山に関する随筆のような作品を募集して、本を刊行する計画があるので、その募集だ」という返事だった。

実は私は粗品のボールペンが欲しかったので、「私にもその応募用紙をください」と言ってもらったのだった。

業務を終えてから、時間をもてあますことがあったので、原稿用紙に向って一気に書き上げ投稿したのが次の文で、なんと採用されて他の投稿作品と共に製本される運びのなったのだった。それは、富士山の業務を終えてひと月以上経った10月の頃だったと思う。

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『 北斎の冨嶽一景 』

これまで私にとって富士は、遥か遠くから眺める山であったのだが、今夏は標高二四〇〇メートルの五合目で毎日のように富士山を足元に感じ、登山客の安全指導をするという、なかなか得がたい経験をさせて頂いた。

 東海道金谷ノ不二

富士山と聞いて、私がまず思い浮かべるのは、浮世絵の風景画である。中でも意表を突く構図で、見る者を魅了する冨嶽三十六景は、私の中で富士を表現した芸術品の代表作であっただけに、その富士山に自分が関わっていると思うと、身震いするほど感慨深かった。

 尾州不二見原

葛飾北斎の冨嶽三十六景は、その爆発的な売行きのため、後に十景が追加出版されて合計四十六枚のシリーズとなった。そこに描かれている霊峰富士は、観光地の土産物店で見かける絵葉書の富士や、著名な写真家の写真集にある富士とは随分と趣が異なる。

それは、作りかけの丸い桶の向こうから垣間見る富士であったり、太鼓橋の橋げたの間からのぞく富士であったりする。どれも主体は富士ではなく、家業に精を出す庶民や旅人たちが前面に描かれている。中には、初秋の朝日に赤く染まる富士に大漁の吉兆である鰯雲を添えた作品もあるが、ほとんどは、遠景に小さな富士が左右にエレガントな稜線を広げてこぢんまりと存在しているだけである。

 諸人登山

しかし、四十六景の中で、一枚だけは富士山独特の稜線が描かれていないことは、意外と知られていないのではないか。それは、追加された十景の中の「諸人登山」という作品で、恐らく当時の江戸で隆盛を極めた信仰集団である富士講の一行が、富士登山をする様子を描いたものであろう。

へばって腰を落として休む者や、金剛杖を支えにうなだれる者など当時の過酷な富士登山を如実に描いている。なだらかな稜線こそないが、行者達が踏みしめている足元は富士山そのものなのである。

遠方から眺めるだけでなく、登山者の様子を間近で見ることで富士を描くとは。北斎の奇抜な発想に改めて驚かされるのである。

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がんばれ!民進党!

2016年03月14日 | 日記
台湾ファンなら誰でも知っていると思うが、Youtube で見ることができる「台湾チャンネル」は、新鮮な台湾情報を提供してくれることで、人気がある。



キャスターの、永山英樹氏と謝恵芝さんは名コンビ。台湾語でも通訳しているので、多分在日台湾人のみならず、台湾でもこの番組を観ている方は多いと思う。

謝恵芝さんは、れっきとした台湾人で、自分の意見をはっきりと言う、多分「竹を割ったような」女性ではないかと勝手に思って、ファンになった。



永山英樹さんは、一見強面だが話しに説得力があり、時々みせる愛嬌のある笑顔からは、この人の誠実さが垣間見える感じがする。

この日の話題は、先日あった野球の「侍ジャパン強化試合」のことだった。



日本野球協会は、台湾側に事前に、「日本対チャイニーズタイペイ」と呼ぶことにするので了解して欲しいと連絡してあったそうだ。

そもそも、チャイニーズタイペイとは、「中国の台北」という意味で、これは支那共産党が勝手に名付けた呼び方なのだ。しかし、IOCでは支那に遠慮して、この呼称を正式に受理していて、オリンピックの正式呼称になっているそうだ。

日本野球協会は、野球がオリンピック種目になればいいと思っているので、IOCのご意向に沿うようにしたかったわけだ。

そこでこの強化試合の看板にも、小さいが「日本対チャイニーズタイペイ」と印刷されていたようだった。

しかし、新聞の見出しでは「侍 台湾に完勝」とあるように、台湾チームで載っていた。



新聞だけではない、と永山氏は話してくれた。

何と、あの反日左翼の偏向番組「サンデーモーニング」でも、チャイニーズタイペイなどとは呼ばず、台湾と呼んでいたそうだ。あの支那べったりの、TBSの番組ですら。

永山氏は、これは「いいことだ。」と静かな口調で、素直に評価していた。

そして、謝恵芝さんとお二人で、台湾の安全保障は、すなわち日本の安全保障に直結することだから、そこを見誤ってはいけない、と警鐘をならすのだった。



支那は虎視眈々と台湾征服を目論んでいる。米国は大統領選挙で大騒ぎ。EUや中東は移民難民でゴタゴタしている。

冗談抜きで、今年の初夏あたりに何か支那がらみの不穏な動きがあるかもしれないのだ。

1月の総統選挙で、台湾の人たちは真っ当な選択をして見せた。



台湾の若者達は、うっかりすると支那に呑み込まれてしまう自分達の状況を良く心得ているようだ。

台湾チャンネルでも、民進党の進撃を応援してきたので、謝さんも最近元気一杯だ。

民進党、がんばれ!と、私も「台湾チャンネル」を観て陰ながら応援したい。



ところで、日本の野党もなんでも名前を「民進党」に決めたとか?「民維新党」の間違いではないのか?

いずれにせよ、名前などいい加減なものだ。名は体を表さない。

北朝鮮を見よ!あの国の名前は、何だ?

朝鮮民主主義人民共和国、だと・・・。

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ベトナム人留学生、ロン君のこと。

2016年03月12日 | 日記
先日ネットニュースで、ベトナムが日本語を英語と並ぶ第一外国語として必修科目に決めて、今年の9月から試験的に3つの小学校で開始するそうである。

しかも、小学校3年生以上が対象だそうで、こうなると日本語教師をどう確保するかが課題となってくるわけだ。

英語教育の若年化を推し進めようとするお役人達は、このニュースを歓迎するだろうが、何も日本人がベトナムのマネをする必要はない。問題意識の持ち方、外国語に対する考え方が違うベトナムのマネは禁物であろう。

ベトナムは、一度訪れたいところだ。実際、日本語のニュースを見たとき、私は遠い昔の学生時代のクラスメートだったベトナム人のことを懐かしく思い出した。

グエン・カン・ロン君という名前の彼は、父親が母国の高級官僚だったこともあって、いつもブレザーとスラックスを着こなしていて、我々のように汚いジーパンに下駄という格好と比べると、まるでロン君は貴族のようだった。

しかも昼の学生食堂では、我々はいつも100円のラーメンとか120円のC定食なんかをいつも食べていたのだが、ロン君は一番高いA定食ともう一皿おかずをつけているのが、私たちに身分の違いを痛感させたのだった。

英語の授業のときは、ロン君は流暢な英語を披露してくれた。しかし、読んだ英文を和訳するときは四苦八苦していて、我々は同情したものだった。

「ロン君は頭の中で英語をベトナム語に訳してから、それを日本語に訳すんだろうか?それとも、英語を直接日本語に訳すんだろうか?」などと心配した。

そのロン君も、当時真っ只中だったベトナム戦争の影響で、3年になると暮らしが一変し始めた。南ベトナムからは、次々と母国を捨てて逃げ出すベトナム人がニュースになっていた。彼の家族もアメリカに渡って、それ以来ロン君への仕送りもストップしたのだった。



その頃になると、講義で一緒になることもなくなってきて、4年になってからはロン君のこともあまり気にならなくなってきた。

いつも、ニコニコして愛嬌がある好青年だったのだが、ベトナム戦争の被害者であったことには間違いなかった。
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同郷人の心意気、正義感

2016年03月09日 | 日記
もう20年も前になるが、マニラに赴任していた時住居だったコンドミニアムにあったテレビは、ケーブルTVであった。

チャンネル数がやたら多くて、カラオケを一日中流しているチャンネルや、科学専門チャンネル、映画専門、ニュース専門などなど、数え切れないくらいあった。その中にスポーツ専門のチャンネルがあって、クリケットとか水球とか、普段なかなか観る事ができないスポーツ中継を観れて、面白かった。

そんな時、偶然見たスポーツが卓球だった。男子の卓球で、あの時の衝撃は相当強く、選手の名前を今でも覚えている。確か、スウェーデンの選手で、「ワルドナー」という選手だった。



卓球というと、狭いテーブルで、チマチマやるスポーツかと思っていたら、これがとんでもなく運動量の多い、迫力に富んだスポーツで、テーブル近くでラリーを続けたかと思うと、バシっとスマッシュする。

それで決ったかと思うと、これがとんでもない。少し下がって、スマッシュされた玉をスマッシュし返すのだった。しかも、そのスマッシュの応酬が3度、4度と続くのである。

私はあの時以来、卓球というスポーツの虜になったようだ。

そして、この度の世界卓球、日本チーム男女の快挙である。これにはテレビの前で拍手した。特に、男子チームのキャプテン水谷隼(じゅん)選手は、ワルドナーを髣髴とさせ、以前から注目していただけに、ひときわ大きな拍手をした。



水谷選手は、Jリーグサッカーチームの本拠地でもある、遠州磐田市の出身である。お父さんの始めた卓球少年団に5歳のときから加わって、腕を磨いてきたそうだ。

何より私が、この選手に惚れ込んだのは、もう数年前になることだが、彼は卓球のラケットに不正薬剤が世界的に使用されていることを、自らのホームページで告発したのであった。

この「補助剤」をラケットのラバーの裏側に注入すると、その反発力が増して、打ち返される球の回転とスピードが著しく増すことになるだけでなく、表面も柔らかくなり、ボールコントロールが楽になるのだそうだ。

日本選手はこの不正行為はやっていないが、不正ラバーを使用する海外の選手は増え続けているという。

そもそも、卓球選手は当初ラバーの接着に有機溶剤の接着剤をたっぷり塗っていたそうである。すると、ゴムの分子と溶剤の分子が結合して膨張し、スピンがかけ易くなったり、反発力も大きくなったりしたそうだ。

ところが、有機溶剤は吸い込むと有害で、実際それで倒れた選手が出たようだった。そこですぐにルール改正が行われて、ラケットの「後加工」の禁止が決ったのだったが、やがて、これまでの有機溶剤とは異なる「補助剤」が登場して、海外の選手たちにジワジワ広まっていった、ということだった。



ラケットの「後加工」の検査は厳しくなったようだが、検査機器にも問題があり、いまだにイタチごっこのままだというが、水谷選手は、卓球界の将来を想うといてもたってもいれず、公に告発する決心をしたそうだ。

私はこの青年の卓球の技量だけでなく、その正義感に一発で惚れ込んでしまったのだった。彼の告発と共に、卓球界からは目が離せない。

そうさせるもう一人の選手が同じ磐田市からせ界に羽ばたいた。

伊藤美誠(みま)選手である。



ドイツ・オープン、ダブルスで優勝したときの賞金5,000ドルを知って驚く伊藤美誠・平野美宇、両選手は、どちらも当時はまだ中学生だった。因みに平野選手は、沼津市生まれだそうだ。

さて、でこっぱちの伊藤選手は、水谷選手のお父さんの始めた卓球少年団に所属していたそうで、二人は出身母体が同じである。



「サーッ!」の愛ちゃんこと、福原選手がすごいと思ってたら、石川佳純選手が出現し、いつの間にか伊藤・平野と有望な選手が続出する。今や、日本の卓球選手は世界から一目おかれる存在になった。

郷土出身といえば、昨日のブログでも触れたが、東京都知事選挙に立候補した、タモ何とかという方の選挙対策本部長とかいう責任者だったのが、水島総(さとる)氏である。



この方、元テレビのプロデューサーだったそうで、知る人ぞ知る「フィリピーナを愛した男たち」の脚本・監督だった方である。静岡県掛川市出身で、今は㈱日本文化チャンネル桜の社長として、インターネットTVでご活躍である。



水島氏の後ろに見える、「草莽崛起(そうもうくっき)」とは、あの吉田松陰の残した名言で、『全国の志を抱く在野の大衆よ、立ち上がれ』といった意味の言葉である。

私は、この方のチャンネル桜を、Youtube でよく拝見するが、なぜかというとそれは毎日登場する各界の名士が粒揃いだからである。

東京都知事選の後、タモ何とかの選挙事務所の会計責任者が、応援のお礼にと400万円持って、水島氏を訪ねてきたそうだ。このことは、ご自分の番組でも当時話していたが、その会計責任者も何と馬鹿なことをしたものか。

水島氏がそんな金を受け取るわけがなかった。今の騒ぎは、このとき怒った水島氏のタモ何とか告発に端を発しているわけだ。

当該の会計責任者とは、そのタモ何とかの知人のようだが、400万円も渡しておけば何も喋らず黙っているだろう、と高を括ったつもりであったろうが、火に油を注いだ恰好になった。

そして、ああだ、こうだと弁解に明け暮れるタモ何とかという老人の本性も見事に暴かれてしまったようだ。

金が絡むと、人間は非常に弱くなるものだ。

またもや、球界のジェントルマンだかサムライだか知らないが、栄光の職業野球選手の一人が野球賭博をやっていたと、ニュースが伝えていた。



すでに三人の同僚が捕まって、ドキドキしながら過ごしていたが、「奥さんと両親に相談したら」謝罪した方が良いと言われて、謝罪することになったと泣きべそかきながら言ってたけど、このサムライ、お歳はいくつ? 私の幼稚園に通う孫くらいかな?

さあ、こうなったら栄光の巨人軍、終身名誉監督の出番でしょう。法律よりも絶対に効果がある! 

これで益々ビクビクしている選手もいるでしょうから、選手たちの前で、一喝して、責任の取り方を教えてやってくださいな。

「勝つ!」じゃあなくて、「喝!」とでも叫んでね・・。

このままでは、プロ野球選手なら何やっても許される風潮が固まってしまいそうで・・。

職業運動選手が先頭に立って、日本人に夢を与えるどころか、日本人の倫理観を劣化させる立役者になっているのが現状でしょう。
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大人の倫理感

2016年03月08日 | 日記
私は何社か転職した経験があるが、その中の一つで嫌な経験をしたことがあった。

当時の私の業務は、大手向けのコピー機用部品の組み立てに使う、部品を下請けに発注して、簡単な仮組み立てをしてもらう、その部品手配や納期管理、さらには原価管理などを担当していた。

事務所内の先輩社員たちが、やってきたことを引き継いだ業務で、先輩達からは「あそこの社長は曲者だから、気をつけろよ。」と言われていた。その時はどういう意味なのかよく理解できなかったが、何ヶ月か経つと、「よく言い訳をする、どこかずる賢い感じの年配者」という印象が定着してきた。

「何でもやるから、何か仕事を分けて下さいね。」会うたびにこう言われて、1年も経った頃、その社長から電話があって、仕事が終わってから、工場に立ち寄ってくれないか、と言われた。

何か困ったことでも発生したのかと、帰宅途中にあるその小さな下請けの工場に行くと、社長が工場に隣接した自宅の方から出てきた。

用件を聞くと、何か組立て仕事はないか、といつもの調子で聞いてきたのだった。「今はないが、何か頼むことができたらすぐにご相談させていただきます。」

そう言うと、社長は「ウナギは好きですか?」と唐突に聞いてきたのだった。同時に何かの包みを目の前にし出してきた。

「何ですか、これ?」と確認すると、「大した鰻じゃないけど、良かったら食べてください。」と私に持たせようとした。



「どういう意味なのか分からないが、こういうものは受け取れません」と伝えて私はその場を離れ、帰宅した。

翌日、このことを先輩社員達に話すと、「おお、あの社長はみんなに鰻の蒲焼を配るながお決まりなんだよ。」と言ってニコニコしているのだった。私は、「あんなもの受け取れないから、返して帰りましたよ。」と言うと、先輩達は何も言わず驚いた顔をした。

別の会社にお世話になったとき、会社に納品に来た下請け業者が、同僚の担当者にお米のような袋を付け届けしている光景を目の当たりにした。事務所内には、事務員や社員が何人も仕事をしている中で、「いつもお世話になっています。」と言って、お歳暮だったかお中元だったか忘れたが、手渡しているのである。



それを受け取った社員はどうするのかと見守っていると、自分の机の下に置いておき、帰りに家に持ち帰った。

奇遇なことに、その後この下請け業者の担当となった私は、棚卸か何かでその工場に出かけたとき、「私の出身の新潟のお米ですけど、良かったら食べてください。」と女社長から、コシヒカリと印刷された袋に入ったお米を渡された。

どうも断れないムードだったので、丁重にお礼を言ってもらったが、事務所に戻ってから、総務に渡した。多分、それは年末の社員によるくじ引きの景品になったと思う。

お歳暮とかお中元などは、日頃の感謝を伝える文化なのだろうが、渡す方はそれだけではなく、何か見返りを期待するケースはよくあることだろう。そして、貰った方も何かお返しを・・と考えがちになるのも事実だ。

こういうのも、日本文化の一旦なのだろうが、企業の汚職やスキャンダルは後を絶たない。鯖缶詰にサンマを混ぜて使っていたなどと先日も報道されていたし、集めた選挙資金1億3000万円の一部で豪遊していたなどと、先の東京都知事選候補者のことを夕方のニュースで見た。



コンプライアンスが滑った、コーポレイト・ガバナンスが転んだ、CSRの取組みがどうだ、こうだ等と偉そうな事をまくし立てたがる会社ほど、こういう横文字の意味などまったく理解が浅く、流行に載って騒いでいるだけの感じがする。

横文字など使わなくとも、経営者たるもの軸がブレていなければ、社員はまともになっていくはずである。



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SHARPの上り坂時代

2016年02月28日 | 日記
家電メーカー、早川電気はそのヒット商品・「金属製繰出鉛筆(早川式繰出鉛筆)」通称「シャープペンシル」に由来して、後に社名を『シャープ』と変えた。

因みに、シャープペンは英語では、mechanikal pencil と呼ぶ。

電卓が世に出始めた頃は、製品自体も大きく、値段も高く、表示部分に蛍光表示管を使用していたため、消費電力が大きかった。

ライバルメーカー、カシオとの競争は、小型化とコストダウンであった。

この時代の技術者のしのぎを削る戦いの様子を、40分ほどのドキュメンタリーにした番組のDVDが興味を引いたので借りてきてみた。

失敗続きのシャープの技術者が、「液晶」という物質を知り、特性を利用して電卓に利用できるという提案をしてから、プロジェクトチームが組織され、急ピッチで製品化する有様をドラマチックに描いていた。



液体であり、結晶でもある高価な「液晶」を2枚のガラスで挟み込み、電流を流すと色が変わる。電気に反応した分子の配列が変わり、その分子間を通って光が通過したり通過できなかったりと、制御する原理である。

しかし、反応が早く電卓に向いた液晶を探すには、液晶自体の種類がとてつもなく多く、それを組み合わせてデータを収集するだけで、途方もない時間を要する。

おりしも、電卓は世の中に普及し始め、新製品は飛ぶように売れていた。



「答え一発!カシオミニ」のキャッチコピーで売り出されたカシオ社製の新電卓は爆発的に売れた。

また、敗北者となるのかと思われたとき、プロジェクトのスタッフがライバル社の新製品の消費電力を調べて、年間の電池消費コストを割り出した。

液晶が実用化すれば、この点で十分勝負できると分かった。

開発チームは徹夜の連続で、液晶電卓一号機の試作機を完成させた。同時にそれを量産化するための加工機の製造を依頼しに機械メーカーに設計図を持ち込んだ。

とんでもない短納期に尻ごむメーカー側は、検討する時間が惜しい。この場で契約書に署名してくれれば、すぐに取り掛かる、と条件を提示してきた。

総額数千万円となる機械を独断で発注することになる、プロジェクト責任者は悩んだ。

もし、首脳部がその発注を許可しなければ、解雇されて、しかも個人で負債を抱えることになるが、彼は独断で発注書に署名した。

会社に戻ると、すぐさまその経緯を上司の専務に伝えた。『社長には俺が掛け合い、事後承認を得る。』と言ってくれた。かくして、シャープの液晶電卓は世に出たのだった。そして、ライバル社の電卓をしのぎ、業界1位に返り咲いた。



消費電力は、蛍光表示管の100分の1というのが、セールスポイントだった。

以後、この会社は「液晶」の専門メーカーとして業界に君臨し、大型液晶テレビは三重県亀山工場の「亀山モデル」として売れに売れたのだった。

新製品の寿命は長くない。今やそのシャープは経営難に苦しんでいるのは周知の通りだ。しかし、当時の液晶電卓の開発ドキュメンタリーは、なかなかスリリングなものであった。

ただ、心配なのは、あまりにもスリリングでドラマチックなだけに、どこかに事実を捻じ曲げた「ヤラセ」があるのでは、と思ってしまったことだ。

何せ、このテレビ局はそれが大得意で、これまでにも写真や映像を切り貼りしたの偏向報道や、ドキュメンタリーに仕立てた嘘八百のヤラセ報道番組を何食わぬ顔で放映していた過去がある。



劇的なドラマのような事件や出来事は、そうそこいらに転がっているものではないから、観る方は心していなければならない。

感動を求める人は、特に要注意である。
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白い変人たち

2016年02月27日 | 日記
白人というと、肌の色が白いと思うが、私が実際にアメリカに渡ったとき見た多くの「白人達」は、皆そばかすが多いピンク色のような顔をしているという印象だった。

その白人達が映画のお祭り、アカデミー賞を独占していると、有色人種たちが騒いでいるそうだ。去年も今年も、候補者は白人ばかりだ。不公平だ。人種差別だ・・・という主張らしい。



そもそも、この賞の選考に投票する人たちの9割以上が白人で、8割近くが男性だという。それで、有色人種や女性は、差別だ差別だ、是正しろ、と大騒ぎをしている。

オリンピックもそうだが、そもそも始ったときが白人達のお祭りだったわけだから、当然といえば当然だろう。確かにアカデミー賞を受賞した映画には、出来のいい作品は多いが、あれも文学の直木賞とか芥川賞というのと同じ、営業拡販戦略の一部だ。

日本のような大きな市場での関心を高めるために、日本人の作品や日本人俳優が出ている映画を、作為的に候補に入れたりすることは、当然考えているはずだ。

我々はさほど強く意識しないものだが、人口1億2千万人の日本は、市場価値としてはかなり大きいのだ。

肌の色の違いや、性差をことさら大袈裟に取り上げて、何でも平等にしようとしたがる集団には違和感を覚えてしまう。

関東の学校などでは、トイレも男女の区別をしないようにしたとか、異文化共生とかの耳当たりのいい言葉で、外国人たちを集めて料理教室を開いたりするお役所の姿勢には首をかしげたくなる。

歴史を少し遡ると、西欧にいた白人達は西から来る黄色人種は厄介な存在であった。世界地図でもその勢力が如何に大きかったかよく分かったが、騎馬民族「モンゴル帝国」はユーラシア大陸を席巻したのだった。



契丹とかキタイとか、呼ばれるが、この「支那」の旧称は、今でも航空会社の名前で「キャセイ航空」として存在している。 Cathay とはこの英語訳である。

私は、20代のとき東南アジアからの出張帰りにキャセイ航空を一度だけ利用したことがある。確か、台湾からだったと思うが、機内はガラガラに空いていたのに、あてがわれた席は前よりの真ん中辺りで、隣にも乗客が座っていた。



トイレに立った際見ると、後部半分はほとんど空席だった。暫くして水平安定飛行になるとすると、スチュワーデスがやってきて、もしよければ後ろに移ってもいいですよ、と言ってくれた。肘掛を上げて、寝てもいいから、とも。

それなら、早速・・と私は後部の4人掛けの列に移動した。すると、その後もスチュワーデスがかわるがわるやってきて、気分はどうだ?とか、飲み物は要らないか?ワインはどうだ?とか、トランプもあるけど欲しいか?とか、盛んに世話を焼いてくれた。

だから、私はキャセイ航空に対する印象はすこぶるいいのだ。何度も、また利用したいと思っているのだが、アレ以来ご無沙汰である。

西欧は、モンゴル帝国の脅威が起因して、大洋に進出し大航海時代に向っていくことになるのだが、当時から西欧の白人達は、黄色人種を禍をもたらす脅威として迷惑がっていたわけだ。いわゆる「黄禍論」である。

その鬱憤晴らしでもないだろうが、インドから東南アジアまで進出してきた西欧人たちは、植民地にしてアジア人たちを奴隷のようにこき使って搾取の限りを尽くした。

あるいは、アメリカに渡った侵略者は、「北米先住民」が言うことを聞かないと見るや、彼らの命の糧となるバイソンを皆殺しにすることで糧道を断ち、数百万人の先住民をほとんど全滅しさせた。



その代わりに、今度はアフリカ大陸からアフリカ人を拉致してきて奴隷にしたわけだ。その総数は1200万人になるという。

そのうち金鉱が発見されると、支那から大量の安い労働力として支那人がやってくる。自分達の職が奪われるといって、支那人排斥法を作る、今度は日本人移民が増えてきて、まじめにこつこつ働き、我々の職を奪うといって、排日移民法を作って迫害する。

そして、国際連盟で日本が「人種差別撤廃」を訴えると、猛反対したのは白人達ではなかったか。

だから、どうのこうの言うつもりは毛頭ない。

こういう歴史を少し知っておくと、アカデミー賞が滑ったとか、ノーベル賞が転んだとか、はしゃいでいる人たちが滑稽に見えてくるから面白い。
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新党名コンテスト

2016年02月27日 | 日記
政権に反対する勢力を一まとめにする目的で、いろいろ思惑の絡んだ動きがあるようですな。テレビに映る顔は、どれも品位とか教養などとは縁のない、魑魅魍魎とはこういうものと教えてくれるようで、胃液が逆流しそうになります。



二大政党が議論を重ねて良案を作り出すという理想は否定しないが、今の状態は比重の軽い麩(ふ)のような歯ごたえのない雑魚(ざこ)が、ガヤガヤ集まっては記念写真を撮っているだけにしか見えません。

報道する側も、何とか期待を持たせるような報道の仕方を工夫しているつもりなのでしょうが、如何せん役者が酷すぎる。



この御仁、優柔不断がネクタイを締めたようなお方で、とても党首の器だとは思えない。それに最近、お顔がどんどん劣化しているようで、そっちの方が気になります。



相談相手のお隣の方も、ちょっと前女性タレントのと浮名を流して一躍有名になった「モナ男さん」。

今の流行(はやり)の言葉で言うと、いまだ「ゲス臭」の消えないお方で、せっかく過去のゲスっぷりは忘れかけていたのに、先日の自民党のイクメン議員のスキャンダルのお陰で、国民の記憶が蘇りました。

国民は7年前の政権交代を忸怩として、そう簡単に同じ轍は踏みません。

あの失われた3年間は、何度も思い返して、教訓とすべきでしょう。



成り立ちからして、酷かった・・・。日本中が、たちの悪いウイルスに感染したようだった。



最も強く私の記憶に残っているのは、2010年9月7日に起きた、中国の不法操業漁船と日本の海上保安庁の巡視船の衝突事故への対応でした。

逮捕した中国人船長(おそらく軍人だった)を、何のためらいもなく、あっさりと釈放してしまいました。

事故を撮影した映像があるにもかかわらず、公開しようとせず一部の国会議員にのみ見せました。そしてそれを見た社民党の党首などは、「衝突というより、コツンと当たったという感じだった。」と感想を述べていましたな。

その後勇気ある海上保安官が映像をYoutube に公開。大袈裟ではなく、民主党政権は本気で日本を破壊する気だと思ったものです。

去年の安保法案のときの国会周辺の馬鹿騒ぎ。芸能人や左翼文化人が調子に乗って囃し立て、マスゴミが若者達が政治に関心を持ち出した、と偏向報道でさらに煽り立てました。



これからは、18歳になれば選挙権が与えられる。高校生もデモに参加せよ、と反日番組では盛んにそそのかしていました。しかし、彼らの行動や心情・思想は、台湾や香港の学生運動と比較するのは失礼なくらい、低劣でしかありませんでした。

とにかく政治は数だ、としか言えない「壊し屋」がまだ生きています。また、いまだにマルクス・レーニン主義を信奉して革命を起こそうと画策している政党が、今の野合に加わろうとしています。

そこで、私は新党名コンテストに遅まきながら参加させていただきます。

党名は、『新党・掃き溜め』

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海外、海外ってはしゃいでた「R」だったなあ・・

2016年02月26日 | 日記
ニュースを見て、「口ほどにもない・・・」と感じたのは私だけだろうか。

『楽天は主力のネット通販で東南アジアから撤退するなど海外戦略の見直しに乗り出した。「脱・日本企業」宣言から5年以上たつが、国内依存の収益構造は変わっておらず、自ら海外事業を広げる道筋はまだ描けていない。』

この会社の社長は、社員に英語のテストを受けさせて、英会話学校と契約して、社員に英会話を勉強させて、英語だ英語だと大騒ぎしていた方だった。「英語公用語化」で日本は復活する、と威張っていた。



『楽天は今月末、インドネシアなど3カ国でネット通販の取引を停止し、サイトも近く閉鎖する。タイの通販サイト運営会社も売却する方針で、東南アジアの進出先すべてのネット通販から撤退することになる・・』そうだ。

2010年には三木谷浩史会長兼社長が「日本企業をやめ、世界企業になる」と宣言して、社内の公用語を英語にしたのだった。



この洋品店も、真似して社内の公用語を英語にしたようだが、社員は余計なことに労力を割いて、本当に迷惑だろうと察する。

英語を話せば事業が上手くいくなら、欧米の植民地だったフィリピンとかマレーシアなんかどんどん成長してるはずだろう。フィリピンの公用語は、タガログ語と英語である。

郊外の旧い学校を改造して英会話学校にして、フィリピンは今韓国人たちが目の色を変えてフィリピンに集まっているようだ。韓国人の英語熱は日本の比較ではない。

ただでさえ、舶来志向が異常に強い国民性である。排ガス規制でペテン企業の烙印を押されたフォルクスワーゲンが、韓国では値引き販売されて、「爆売れ」だそうだ。

道徳感や社会正義など糞喰らえとばかり、憧れの外車が安く手に入るなら無理してでも買いたがるのが韓国人らしい。



ワイワイ、ガヤガヤと気さくな雰囲気で打合せをする社風で有名な、このカーメーカーも何を血迷ったか、社長が英語を社内公用語にしたいようだ。

企業が海外に進出することには反対しない。そして、海外に出向する社員は英語くらい話せるべきだという点にも同感である。

また、日本にいて海外と頻繁にやりとりする業務をする社員は、メールを送受信するたびに英語のできる事務員に翻訳させているようでは、ほとんど仕事にならないだろう。

だからといって、社内の公用語を日本語から英語にするとか、英語を使えない役員を首にするなどという思想は、狂っているとしか思えない。



さらに、時の政権に擦り寄って権力者に「英語、英語、グローバル、グローバル」と耳打ちする、となると、この方は日本を間違った方向に舵取りをしようとする大馬鹿者だと言わざるを得ない。

家電メーカーでも流行を気にするところがあるようで、英語を公用語にしようとしたみたいだが、ここはその前に経営自体が危うくなってきたようだ。台湾の企業に面倒を見てもらうことになりそうだが、こういう事態に陥ったことと、英語はまったく関係のないことだ。



大企業の経営者のこういう動きは、巷の英会話学校の経営者達を刺激して、今や子供向けの英語教室は雨後の筍のように、増え続けている。

それは、幼児をもつ親たちに間違った思惑を刷り込み、かくして日本の国力は弱体化していくことになる。

今朝のテレビで、都会から田舎に引っ越してきた若夫婦の様子を扱っていた。子供が小さくて都会では保育園に預けたくても数が足りない。田舎なら、医療費免除とか、保育園の施設が多いとか、色々メリットがあると考え、移住を決断したそうだ。

その若夫婦のことより、私はテレビの取材を受けながら3歳くらいの息子に向って、熱心に英単語を教えている父親の姿が気になった。

「パンプキン、パンプキン。セイ、パンプキン!」と開いた絵本のかぼちゃを指差しながら、何度も何度も子供の耳元で繰り返す。子供がたどたどしく「パンプキン・・」と呟くと、「グーッ!!グーッ!!」と父親は大喜びをするのだった。

こういうバカバカしい情景を日本中に撒き散らすことになった張本人の会社が、海外戦略で躓いているとは・・・

不謹慎だが、私は密かにほくそ笑んでいるのである。

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いつもウヤムヤ、この手の事件

2016年02月25日 | 日記
30年以上も、無免許のまま教員であり続け、その間稼いだ給料は1億数千万円。

55歳の公立高校の教員が、教員免許の証を提出せずに、教員になって生徒を教え続けたという、なんともお粗末な事件が発覚した。



産経ニュースは伝える。

『 山形県教育庁によると、女性は大学で必要な単位を取得したが、教員免許状を申請する時期に、体調不良のため手続きをしなかった。その後、教員採用試験を経て、昭和59年4月に教諭として任用された。

 新規採用時に教員免許状の写しを学校に提出することになっていたが、教育庁が調べたところ、女性の免許状の写しは保管されていなかった。 』

まず、これを聞いてすぐに調べなければならないのは、この女性が新規採用されたときの教育長の担当者と責任者の特定である。そんなもの調べれば分かることだ。

なぜこのようなことが起こりえたのか追求して、責任の所在を明確にし、責任者には責任を取らせなければならない。うやむやにすれば、そのうちすぐに似たような事が起きる。

「県は・・」とか「教育長は・・」とか言っているようでは、いけない。組織で動いているのだから、顔と名前のある責任者とか管理者は必ず存在し、そのため管理職はより多くの報酬を得ているはずである。

頭を垂れて謝罪する姿をさらせば、許されるという風潮はいい加減断ち切らなければならない。



見る方も見慣れてしまって、「またかよ・・」「しようがねえなあ・・」という反応をして、それでお終いになっている。

食品偽装があれだけ頻発しても、まだ同じ事を繰り返しているのが、これまでの甘い対応を物語っているではないか。

それにしても、子供を教育する立場の大人がこういう子供じみた詐欺行為をするとは、一体どういうことかと考えてみる。

恐らく、教員採用の際、この女性はいわゆる「コネ採用」だったのではないか。

田舎では特に、農協や役場などは見せ掛けに採用試験を行うが、中身は「コネ」によるものが多いというのが、公然の秘密である。

おそらく、この詐欺事件もだんだん人の記憶から消えていき、来月になればほとんど消え去ってしまうだろう。そして、何年後かに同じようなことがどこかで起きるのだ。

それは、運動選手や芸能人の薬物事件を見ても同じ構図だ。
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異常気象、友を引いても、お葬式

2016年02月25日 | 日記
近所の最長老のお婆さんが昨日の早朝に亡くなった。

葬儀屋に任せるにしても、近所のお手伝いはお互い様とはいえ、半ば強制的な社会活動なので、通夜と葬式で約1日半は黒服を着ていなければならない。

長生きなのは知っていたが、99歳だと聞いて驚いた。自分の歳と引き算をすると、私はあと38年生きなければならない。

お手伝いの担当をどうするのか決めるため、一軒で一人が喪主宅に集まって打合せをするしきたりだ。喪主は、葬儀屋と坊主の予定を聞いてから、通夜と火葬場、葬式の段取りを決める。

私は、職場で訃報を知ったので、すぐに暦を確認して、大安や友引が何曜日になるかチェックした。

土曜日が友引なので、多分木曜日に通夜、金曜日が葬式となるのだろうな、と予想して、職場の同僚や上司にそう報告した。

ところが、昨日帰宅して打ち合わせに出た家人に確認すると、土曜日が通夜で日曜日が葬式に決まったという。坊主の日程が詰まっていることと、葬儀屋も予定がぎっしりで
小道具の準備ができないそうだ。



気温が乱高下したために、年寄りの体がその変化について行けず、このところバタバタなくなる老人が続出しているのだそうだ。

以前真冬に親戚の法事に参席した際、菩提寺の坊主が手帳を見ながら、今年の初盆はいつにするか早いトコ決めてもらわないと、希望通りにはいかないかもよ、と施主に詰め寄っていたことがあった。

今頃は、恐らく日本中の坊主の稼ぎ時なのだろう。葬式仏教と呼ばれるように、葬式以外にはあまり我々と付き合いのない職業である。



通夜で家にきても、終わればお茶を飲んでそそくさと帰ってしまう。聞いてためになる話の一つもすればいいのに、あれでは仏教大学の学生でも代役が務まるだろう。

葬儀屋も、揃えた葬式用具の償却が終われば、あとは経費は人件費のみという、ぼろ儲けだと聞いた。テレビでは盛んに簡素な葬式のCMが流れている。恐らく、これも時代の変化なのだろう。

さらに、田舎町にも「セレモニーホール」と呼ばれる葬儀専門会場がいくつかできて、結構利用されているという。

通常、通夜は遺体を自宅に安置して線香を絶やさず一晩過ごすのだそうだが、最近では、通夜も葬儀会場を利用して、その晩は施主たちも自宅に帰ってしまうのだそうだ。遺体はさみしく葬儀会場にほっとかれるのだというから、何という罰当たりか。



出棺では、近い親戚の男衆が霊柩車に運び込む。棺桶を家から出すときは、頭の方から出すものだという地域と、いやいや、足の方から出すものだと言い張る地域があって、ちょっとした口論になったりする。

どこの葬儀でも知ったかぶって、聞きかじりの知識をひけらかす年寄りがいるものだ。



火葬場の1時間は長い。この時間に読みかけの文庫本を読み終えようともって行っても、そういうときに限って変な親戚のオヤジに捕まって、面白くもない話に付き合わなければならなかったりする。

日曜日は、お茶を用意したり、茶菓子や弁当を配ったり、後片付けの掃除をしたりして午前中が終わることになるだろう。

近所には、まだ90歳以上のお年寄りが何人かいる。さらに、80歳代後半の方も何人か控えている。それが一段落すると、ピタッと候補者は減って、数年は葬式などなくなるのではないだろうか。

私が押さない子供の頃は、葬式というと大騒ぎになる一大家族イベントであった。近所のお手伝いも、一軒で2名の方が料理の準備までやってくれたものだった。

世の中、コンビニエントになって結構なことだが、地域社会が壊れてから、もう数十年になるのではないか。

となりのウチの冷蔵庫の中にあるものまで知っている、そんな近所づきあいのあった時代が懐かしいかと言うと、意外と私はそうでもないと思うのだった。

ましてや、異文化共生などは、、、くわばら、くわばら・・・

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不倫か浮気か御妾か・・

2016年02月24日 | 日記
今朝のニュース番組の芸能コーナーで、関西の落語家のゴシップ話を報道していた。いつもの通り司会者が、何の話題でも評論する「コメンテーター」に、どう思うかと聞くと、中尾彬がいつもの低い声で「俺とほぼ同じとしだけどねえ・・・。」と言って間をおくと、「・・・元気だネエ。俺はもうダメだけどね。」と、意味深なコメントを吐き出すように言っていた。



私は落語は大好きなのでよく聴くのだが、今の現役の落語家の中には贔屓は一人もいない。しかも、創作落語とか、関西の落語家にはまったく馴染みがない。

ただ、この関西の重鎮は、新婚夫婦をからかう長寿番組の司会者としてよく知っている。中尾彬はもう72~3歳なので、彼らは立派な老人と呼べるのだろうが、自分の娘のような若い女性とお付き合いできるのは、確かに体力が普通以上必要となるだろう。

20年間以上、自分の東京事務所の「東京支社長」として雇っていたということらしいが、本人もそれは形だけであることは否定していないようであった。

落語家だけに、何か気の利いたオチでも言うかと思って観ていたが、世間にばれてしまったことが、ただバツが悪いといった面持ちだった。

 春日八郎「お富さん」

昔なら、「お富さん」の歌詞にあるように、粋な黒い塀越しに、松の木が見える、庭付きの家に住んで、旦那が通って来るのを待つ身だったのだろうが、18歳の頃からそういう生活などは無理だろうから、好き放題遊び呆けて、お小遣いを貰ってお相手をするという「援助交際」という関係だったみたいだ。

 粋な黒塀 見越しの松に・・

弟子もたくさんいて、名前もお笑い芸人のイメージが強い「三枝」から、六代目「文枝」を命名して5年目になろうとしている。

しかも、上方落語協会の会長という要職にある「文枝」は、まだ弟子を取り始めた「三枝」だった頃、弟子にアンパンを買って来いと50円玉を渡して買いに行かせた。弟子が、言われた通りアンパンを買って楽屋に戻ってくると、目の前にスッと三枝の手のひらが現れた。

「おつり。10円おつりがあるやろ。」と三枝がおつりを請求したそうだ。

このエピソードが頭に残っていたので、毎月60万円のお手当てを娘さんに払っていたと聞いた時、私は俄かに信じられなかった。

歌舞伎「お富与三郎」の名場面、「切られ与三」が、とある妾宅に金の取立てに行き、その妾というのが以前一目惚れした「お富」だと気が付いたときの名セリフは、

『御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、 いやさ、お富、久しぶりだなぁ。』

という、有名なものだ。最後の「久しぶりだなぁ・・・。」は、特に痺れる。

お富に首っ丈だった与三郎は、お富を囲っていた親分にバレて、メッタ切りにされることになるのだが、それ以降もお富のことは片時も忘れることはなかった。

  『そういうお前は・・・』

そのお富とこうして再会できたと思ったら、またしてもお富は別の男の妾になっていたのだった。複雑な心境を訥々と語る科白も味があるものだ。

上方落語協会会長の場合は、なぜこんな騒ぎになったのか、どうもその点が腑に落ちない様子で、歌舞伎の与三郎のような立派なセリフではなかった。

本妻が離婚すると言ったら、「しゃあないなあ・・・。」とボソッと言うのが精一杯だったようだ。

観ていた私は、ソファからドタッと床に転げ落ちるところだった。
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赤っ恥、丸山議員。

2016年02月22日 | 日記
丸山議員といえば、丸山国際法律・特許事務所代表の肩書きを持つ弁護士である。

その言葉を商売道具とする方が、また随分大胆な発言をしたものだなあ、と感心していたら、何のこたァない。反日マスゴミのお得意の「レッテル貼り」「言葉狩り」「反日・反自民プロパガンダ」じゃあありませんか。

テレビはどの局を廻しても、ゲストコメンテーターが「信じられない」「とんでもない人種差別だ」と司会者と一緒になって、鬼の首をもぎ取ったような興奮振りだった。

最初ニュースでこのニュースを見たときは、まったく余計なことを言うもんだな・・・と私もあきれ返ったが、どういう場面で何を言いたかったのか、丸山氏の発言を調べてみると、「例え話」をしようとしたのだが、見っとも無い彼の無知で米国大統領がアフリカから来た奴隷の末裔だと思い込んでいただけだったようで、私はズッコケた。



何が「国際法律事務所代表」だろうか・・。すぐに看板を書き換えた方がいい。

そもそも今に始ったことではないだろうが、国会議員が「週刊誌にこう書いてあるが、事実なんでしょうか?」とかいう質問をして、それにウダウダ言い訳をするなどという低劣で下種っぽい、低レベルの質問を喜んでするような議員は、バッジをはずしてどこかの芸能事務所に雇ってもらった方がいいのではないか。

ゲス議員と呼ばれた宮崎とかいう男には、まったく同情する気にもならず、昔なら武士の情けで「切腹」させてやりたいところだが、今回の丸山氏の発言は、ただの無知をさらけ出した「赤っ恥発言」だったと思う。

一通り、発言に至る内容とその発言を読み返すと、よく分かる。

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丸山氏は、「アメリカの第51番目の州になることについて(日本国)憲法上、問題があるのか、ないのか」とも参考人に尋ねた上で、「(アメリカの州になれば)集団的自衛権、安保条約はまったく問題にならない」などと述べた。

以下、丸山氏の発言より・・・

『憲法上の問題でもありますけれど、ややユートピア的かもわかりませんけれども、例えば、日本がですよ、アメリカの第51番目の州になるということについてですね、例えばですよ、憲法上どのような問題があるのかないのか。

これはですね、例えば日本がなくなることじゃなくて、例えばアメリカの制度によれば、人口比において下院議員の数が決まるんですね。比例して。

それとですね、恐らく日本州というような、最大の下院議員選出州を持つと思うんです、数でね。上院は、州1個で2人。日本をいくつかの州に分けるとすると、十数人の上院議員もできるとなると、これはですね、世界の中の日本というけれども、日本州の出身が、アメリカの大統領になるという可能性が出てくるようになるんですよ。

ということは、世界の中心で行動できる日本という、まあ、その時は日本とは言わないんですけれども、あり得るということなんですね。

バカみたいな話だと思われるかもしれないかもしれませんが、例えば今、アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。はっきり言って。

リンカーンが奴隷解放をやったと。でも、公民権も何もない。マーティン・ルーサー・キング(牧師)が出て、公民権運動の中で公民権が与えられた。

でもですね、まさか、アメリカの建国、当初の時代に、黒人・奴隷がアメリカの大統領になるとは考えもしない。これだけのですね、ダイナミックの変革をしていく国なんです。

そういう観点から、例えば日本がですね、そういうことについて、憲法上の問題があるのかないのか、どういうことかとお聞きしたい。』


もっとも、毎日新聞は、2009年 1月7日の記事で、オバマ大統領の奥さん・ミシェルさんは、奴隷の血を引く黒人だ、と報じている。

  

さらに、今や天下の嘘つき新聞としての地位を確立した朝日新聞とて、2012年8月5日のデジタル版で、『オバマ大統領は、奴隷の血を引いていることが、DNAや古文書調査で判明した』と報じている。






【朝日新聞デジタル 2012年 8月 5日】

「米大統領選」

オバマ大統領の祖先「米国最初の奴隷」 家系図調査

オバマ米大統領は、実は米国で最初の奴隷の血をひいていた――。DNA分析や古文書の調査によって判明したと米家系図調査会社が発表した。白人の母の12世代前の祖先が、米史上最初に終身奴隷となったアフリカ系男性だという。

 家系図調査会社のアンセストリー・ドットコムによると、カンザス州生まれのオバマ氏の白人の母親から12代さかのぼると、ジョン・パンチ氏というアフリカ系男性にいき当たる。米独立前のバージニアで年季契約召使の身分から逃亡しようとして失敗、罰として1640年に終身奴隷とされた男性で、記録に残る最古の例という。パンチ氏は白人女性との間に子がおり、その子孫が「白人地主」として成功した。

 2008年の大統領選では、オバマ氏が「奴隷の子孫ではない」ことで、アフリカ系有権者の間には一時、支持をためらう声も出ていたとされる。

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この現実、毎日のチョビヒゲ爺岸井、朝日のでくの坊!
上手いように解説してくれい!!



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高齢者ドライバーから身を守ろう!

2016年02月22日 | 日記
免許の更新のため、写真撮影を終えると、2冊の薄い本を手渡されて隣の小部屋で教育ビデオを30分間観るように言われた、

小部屋にはすでに2名の男女がビデオを観ていた。

私は、もらった本をパラパラと見てみた。ひとつは、120ページくらいの「安全運転を確かなものにするために」というタイトルの本で、「最新の道路交通法」のことや、「夜間事故の防止法」高齢ドライバーや若年ドライバーの事故防止」などが写真をちりばめて書かれているようだった。

もう一冊は、ペラペラの小冊子で、安全運転の手引き、高齢者を守る・・・というタイトルが印刷されていた。



人口比率からみれば当然だろうが、私がいる間に免許更新に訪れる人は高齢者が多い。もちろん私もその内の一人になるが、教育ビデオでも盛んに高齢者を守るには・・と解説していた。

自分はまだこういう人たちの仲間ではない、といくら思っても着実に年齢は増えていくので、逆らいようがない。



ビデオでは、高齢者は視野が狭くなるだの、明るさに鈍感になるだの、反応時間が長くなるだの説明するのだが、それを見ながら、私は先ほど提出年月日のところに自分の生年月日を記入した老人のことを思い出していた。

何度も何度も聞き直していて、明らかに耳が遠いことが分かった。更新のとき、視力や視野の検査はやっているようだが、聴力の検査はしていないようだ。

教育ビデオでも、平成20年から聴力障害の方も運転が可能になったと言っていた。ただし、ワイドミラー又は補助ミラーを付けるという条件があるようだ。


近所のお爺さんは90歳になるはずだが、ほとんど耳が聞えないという。加齢で耳が遠いとのことだが、ビニールハウスで野菜を栽培する農家のため、毎日軽トラックを運転している。近所の村雀たちは、いつか事故を起こすだろうと楽しみにしているようだ。

ついこの間、近くの薬局に自動車が突っ込んで、中にいた薬剤師の女性が死亡した。運転していた高齢者は、「車が止まらなかった。」と言っていたそうだ。

教育ビデオは、「高齢者を守る」ことより、「高齢ドライバーから命を守る」術を教えるべきではないだろうか。



最近は、コンビニで週刊誌を立ち読みするときも、窓の外を気にする様になった。これだけコンビニ突っ込み事故が頻発すると、いつ事故に遭遇するか分かったもんじゃない。



いや、コンビニの中だけではない。街の歩道を歩いていても、アクセルを踏み込んだ自動車が突っ込んできて、ボーリングのように人を撥ねる事故が起きているのだ。

アレも確か、高齢ドライバーだった。



今年辺りから、春の交通安全運動は、「高齢ドライバーから命を守る術」というスローガンで、全国展開をして欲しいと、切に思う。
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