孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

時々、制御不能になる

2016年02月29日 | 外国ネタ
自分達飢え死にするのを、救ってくれた先住民が言うことを聞かないと知ると皆殺しにする。しかも、彼らの衣食住の源泉であるバイソンを皆殺しにして、糧道を断つという卑劣な方法で。

農場で労働力が欲しいと、遠くアフリカ大陸から載るだけ載せて黒人奴隷を「輸入」する。

酒は良くない。社会悪だ、と憲法を修正してまで『禁酒法』を制定し、1920年から10数年施行され、アルコールの製造、販売、輸送が禁止された。「高貴な実験」とからかわれた法律であった。

皮肉なことに、この法律が施行されてから、酒場の数とアルコール消費量はそれ以前より10パーセント増えたそうだ。

金鉱が見つかったと聞くと、西部に人が大移動した。人手が不足したと支那人を大量に連れてきた。アジアからの移民が増えて、日系移民は白人のやらない仕事を喜んでやると、今度は仕事を奪われた、宗教文化が違う、と疎ましく思い始め、黄色人種排斥運動をする。

財産を没収し、捕まえて強制収容所にぶち込んだ。

最初は、KKKという集団はただの遊び仲間の集団であった。南北戦争時代、その活動は次第に過激になっていき、「反黒人・白人至上主義」の狂信者の集団に組織化されていった。



黒人を捕まえて首にロープをかけ、木の枝に吊るして絞首刑にするという場面は、彼らの薄気味悪い、とんがった白装束とともに、映画にもよく登場している。

政府によって非合法化されたり、キリスト教宗派と一緒になって再興されたり、いろいろ変遷はあったようだが、その思想に同調する一定の支持者は常に存在しているのは間違いないだろう。



私が20代の頃アメリカにいた時、スタジオに暇な主婦を招き入れて番組を進行する、朝のワイドショーに、当時のKKKの最高幹部がゲスト出演していたのを見て、非常に驚いたことを覚えている。

イスラム教徒の自爆テロや移民問題がクローズアップされてくると、KKKは黙っていられないらしい。今でも米国では、反KKK集団とぶつかって争いが耐えないようだ。



自己主張のぶつけ合いが欠かせない移民の国、アメリカ合衆国は有色人種が徐々に増えてきて、それに反比例するように、白人たちはその鬱憤を代弁してくれる人間の登場を待ち望んでいるのかもしれない。

共和党の大統領候補者、TRUMP氏の人気が落ちる気配がない。Trump とは「切り札」「奥の手」という意味がある。果たして、共和党の切り札になるのか、非常に気になるところである。

おりしも、KKKの前リーダー、デイビッド・ドューク氏も「ドナルド・トランプに敵対する投票行為を行うのは、真におまえの受け継いできた遺産に反逆することになる」と述べて、トランプ候補を支持することを公言しているという。



アメリカという国は、時々常識では理解できない制御不能になることがある。若いときは、この国にあこがれた時期もあったが、今は私も少しはまともになったと思う。

SHARPの上り坂時代

2016年02月28日 | 日記
家電メーカー、早川電気はそのヒット商品・「金属製繰出鉛筆(早川式繰出鉛筆)」通称「シャープペンシル」に由来して、後に社名を『シャープ』と変えた。

因みに、シャープペンは英語では、mechanikal pencil と呼ぶ。

電卓が世に出始めた頃は、製品自体も大きく、値段も高く、表示部分に蛍光表示管を使用していたため、消費電力が大きかった。

ライバルメーカー、カシオとの競争は、小型化とコストダウンであった。

この時代の技術者のしのぎを削る戦いの様子を、40分ほどのドキュメンタリーにした番組のDVDが興味を引いたので借りてきてみた。

失敗続きのシャープの技術者が、「液晶」という物質を知り、特性を利用して電卓に利用できるという提案をしてから、プロジェクトチームが組織され、急ピッチで製品化する有様をドラマチックに描いていた。



液体であり、結晶でもある高価な「液晶」を2枚のガラスで挟み込み、電流を流すと色が変わる。電気に反応した分子の配列が変わり、その分子間を通って光が通過したり通過できなかったりと、制御する原理である。

しかし、反応が早く電卓に向いた液晶を探すには、液晶自体の種類がとてつもなく多く、それを組み合わせてデータを収集するだけで、途方もない時間を要する。

おりしも、電卓は世の中に普及し始め、新製品は飛ぶように売れていた。



「答え一発!カシオミニ」のキャッチコピーで売り出されたカシオ社製の新電卓は爆発的に売れた。

また、敗北者となるのかと思われたとき、プロジェクトのスタッフがライバル社の新製品の消費電力を調べて、年間の電池消費コストを割り出した。

液晶が実用化すれば、この点で十分勝負できると分かった。

開発チームは徹夜の連続で、液晶電卓一号機の試作機を完成させた。同時にそれを量産化するための加工機の製造を依頼しに機械メーカーに設計図を持ち込んだ。

とんでもない短納期に尻ごむメーカー側は、検討する時間が惜しい。この場で契約書に署名してくれれば、すぐに取り掛かる、と条件を提示してきた。

総額数千万円となる機械を独断で発注することになる、プロジェクト責任者は悩んだ。

もし、首脳部がその発注を許可しなければ、解雇されて、しかも個人で負債を抱えることになるが、彼は独断で発注書に署名した。

会社に戻ると、すぐさまその経緯を上司の専務に伝えた。『社長には俺が掛け合い、事後承認を得る。』と言ってくれた。かくして、シャープの液晶電卓は世に出たのだった。そして、ライバル社の電卓をしのぎ、業界1位に返り咲いた。



消費電力は、蛍光表示管の100分の1というのが、セールスポイントだった。

以後、この会社は「液晶」の専門メーカーとして業界に君臨し、大型液晶テレビは三重県亀山工場の「亀山モデル」として売れに売れたのだった。

新製品の寿命は長くない。今やそのシャープは経営難に苦しんでいるのは周知の通りだ。しかし、当時の液晶電卓の開発ドキュメンタリーは、なかなかスリリングなものであった。

ただ、心配なのは、あまりにもスリリングでドラマチックなだけに、どこかに事実を捻じ曲げた「ヤラセ」があるのでは、と思ってしまったことだ。

何せ、このテレビ局はそれが大得意で、これまでにも写真や映像を切り貼りしたの偏向報道や、ドキュメンタリーに仕立てた嘘八百のヤラセ報道番組を何食わぬ顔で放映していた過去がある。



劇的なドラマのような事件や出来事は、そうそこいらに転がっているものではないから、観る方は心していなければならない。

感動を求める人は、特に要注意である。

科学は白人だけのものか。

2016年02月27日 | 外国ネタ
ノーベル賞の話の続きである。

日本人はこれまで、物理学賞は9名。化学賞は7名。生理・医学賞は3名が受賞しているそうだ。

しかし、これもジャーナリスト高山正之氏のコラムか何かで読んだのだが、他にもいくつか日本人の功績が白人にうまいこと盗まれて、それがノーベル賞を受賞していたようだ。

明治の科学者、高峰譲吉と聞いてピンと来る方はあまりいないだろうが、デンプンの分解酵素「タカジアスターゼ」と聞けば、「ああ、聞いたことある、ある。」という人は多いのではないか。



あの「タカ」は高峰の「タカ」である。消化を助ける薬として、タカジアスターゼは有名になり、後に三共という製薬会社の社長になった高峰譲吉は、世界で初めてアドレナリンという副腎皮質ホルモンの抽出に成功したことでも有名である。

しかし、米国人のJ・アクセルロッドが、アドレナリンを脳伝達物質として理論付けノーベル賞を取った。呼び名も「エピネフリン」と変えてしまったそうだから、何とも腹黒い。

 

鈴木梅太郎は第一次大戦前、人類を脚気(かっけ)から解放したオリザニンを発見した。しかし、これまた米国人のC・フンクがビタミンと名前を言い換えて発表した。次に業績も「米糠(こめぬか)に脚気の治癒効果がある」と予言したオランダ人のC・エイクマンに横取りされ、彼がノーベル賞を受賞している。



「フェライトの父」と呼ばれる武井武の業績は偉大だった。

「フェライト」は、エレクトロニクスを根底から支える電子材料として、テレビ、ビデオ、ゲーム機、携帯電話を始めとする高速通信機器やハイブリッドカーなど、幅広い分野にわたって利用されている。

この材料を発見し製品化した途端、オランダのフィリップ社がサンプルが欲しいとコンタクトしてきた。フィリップ社は、それを何食わぬ顔で特許出願したのだった。

その後、いつの間にかこの功績はフランスのルイ・ネールのものとなり、彼がノーベル賞を受賞している。

他にも似たようなケースはたくさんあるようだ。

立派そうなノーベル賞といえども、中身は反吐が出そうな話はたくさん転がっているようだ。

ダイナマイトと平和と文学

2016年02月27日 | 外国ネタ
「アカデミー賞を受賞した映画は、いい映画である。」という命題の逆は真であるとは言えない。それは、好みの問題もあるが、選考する側が偏っているからだ、ということは理解できた。

似たような権威として日本人がはしゃぐのに、「ノーベル賞」がある。

物理、化学、医学などはまあいいとして、平和賞とか文学賞は受賞理由がどうも胡散臭い。

文学など、違う言語に翻訳すればオリジナルとはかけ離れたものが出来上がってしまうと思うのだが、そこはどうはんていするのだろうか。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」

川端康成の『雪国』の始まりの文に主語はない。これを翻訳した人は、作品を十分理解して、日本語独特の表現を出来るだけ壊すことなく英語に翻訳した結果、受賞に至ったのだろうが、英語以外の言語ではどうなのか疑問である。

ましてや、北朝鮮を地上の楽園だと褒めちぎっていた方で、今でも口を開けば日本の悪口ばかり言っている方がノーベル文学賞を受賞していたなどとは、驚き以外の何者でもない。



平和賞になると、これも胡散臭さが一杯である。ジャーナリストの高山正之氏のコラムで知ったのだが、インドネシアの東の先っちょに東ティモールという国がある。

長いことポルトガルの植民地であったが、本国で起きた「カーネーション革命」を経て、ポルトガルからインドネシア領になった。インドネシアは、学校を作り、インフラを整備し始めると、石油資源が豊富であることが発覚した。



それに目をつけた旧宗主国ポルトガルは、ポルトガル人の血が半分入ったラモス・ホルタを前面に出して、再びその土地を奪い取る行動にでたのだった。

一役買ったのが、ノーベル賞という裏書だったのだ。



今、似たようなことが以前のビルマ、今はミャンマーと名を変えた国で進行しつつある。

旧宗主国は英国。アウンサン・スーチーは、英国をビルマから追い出したアウンサン将軍の実の娘だ。まだ学生だったスーチーを英国に連れて行き、大学で勉強させ、英国人の男性をあてがい、生まれた子供に英国籍を与え、今や立派な英国の操り人形に育てた。今後の成り行きが気になる。



朝鮮半島で只一人ノーベル賞を受賞した金大中は、北朝鮮の独裁者に会うことに大金を積み、その結果平和賞をもらったようで、お隣の国民は何の誇りにも思っていないようだ。



オバマ大統領に至っては、演説で核を廃絶すると言っただけで、平和賞を受賞した。



いやいや、それはもったいない・・と言って辞退するかと思ったら、シャラっともらっちゃったから驚いた。演説の原稿を書いた人は、さぞかしたくさんの報酬をもらったことだろう。アメリカが核兵器を減らしたというニュースはいまだに聞かないが・・・。



ノーベル賞、科学部門は公明正大かというと、これがまたとんでもないのだが、これはまた別項で。

白い変人たち

2016年02月27日 | 日記
白人というと、肌の色が白いと思うが、私が実際にアメリカに渡ったとき見た多くの「白人達」は、皆そばかすが多いピンク色のような顔をしているという印象だった。

その白人達が映画のお祭り、アカデミー賞を独占していると、有色人種たちが騒いでいるそうだ。去年も今年も、候補者は白人ばかりだ。不公平だ。人種差別だ・・・という主張らしい。



そもそも、この賞の選考に投票する人たちの9割以上が白人で、8割近くが男性だという。それで、有色人種や女性は、差別だ差別だ、是正しろ、と大騒ぎをしている。

オリンピックもそうだが、そもそも始ったときが白人達のお祭りだったわけだから、当然といえば当然だろう。確かにアカデミー賞を受賞した映画には、出来のいい作品は多いが、あれも文学の直木賞とか芥川賞というのと同じ、営業拡販戦略の一部だ。

日本のような大きな市場での関心を高めるために、日本人の作品や日本人俳優が出ている映画を、作為的に候補に入れたりすることは、当然考えているはずだ。

我々はさほど強く意識しないものだが、人口1億2千万人の日本は、市場価値としてはかなり大きいのだ。

肌の色の違いや、性差をことさら大袈裟に取り上げて、何でも平等にしようとしたがる集団には違和感を覚えてしまう。

関東の学校などでは、トイレも男女の区別をしないようにしたとか、異文化共生とかの耳当たりのいい言葉で、外国人たちを集めて料理教室を開いたりするお役所の姿勢には首をかしげたくなる。

歴史を少し遡ると、西欧にいた白人達は西から来る黄色人種は厄介な存在であった。世界地図でもその勢力が如何に大きかったかよく分かったが、騎馬民族「モンゴル帝国」はユーラシア大陸を席巻したのだった。



契丹とかキタイとか、呼ばれるが、この「支那」の旧称は、今でも航空会社の名前で「キャセイ航空」として存在している。 Cathay とはこの英語訳である。

私は、20代のとき東南アジアからの出張帰りにキャセイ航空を一度だけ利用したことがある。確か、台湾からだったと思うが、機内はガラガラに空いていたのに、あてがわれた席は前よりの真ん中辺りで、隣にも乗客が座っていた。



トイレに立った際見ると、後部半分はほとんど空席だった。暫くして水平安定飛行になるとすると、スチュワーデスがやってきて、もしよければ後ろに移ってもいいですよ、と言ってくれた。肘掛を上げて、寝てもいいから、とも。

それなら、早速・・と私は後部の4人掛けの列に移動した。すると、その後もスチュワーデスがかわるがわるやってきて、気分はどうだ?とか、飲み物は要らないか?ワインはどうだ?とか、トランプもあるけど欲しいか?とか、盛んに世話を焼いてくれた。

だから、私はキャセイ航空に対する印象はすこぶるいいのだ。何度も、また利用したいと思っているのだが、アレ以来ご無沙汰である。

西欧は、モンゴル帝国の脅威が起因して、大洋に進出し大航海時代に向っていくことになるのだが、当時から西欧の白人達は、黄色人種を禍をもたらす脅威として迷惑がっていたわけだ。いわゆる「黄禍論」である。

その鬱憤晴らしでもないだろうが、インドから東南アジアまで進出してきた西欧人たちは、植民地にしてアジア人たちを奴隷のようにこき使って搾取の限りを尽くした。

あるいは、アメリカに渡った侵略者は、「北米先住民」が言うことを聞かないと見るや、彼らの命の糧となるバイソンを皆殺しにすることで糧道を断ち、数百万人の先住民をほとんど全滅しさせた。



その代わりに、今度はアフリカ大陸からアフリカ人を拉致してきて奴隷にしたわけだ。その総数は1200万人になるという。

そのうち金鉱が発見されると、支那から大量の安い労働力として支那人がやってくる。自分達の職が奪われるといって、支那人排斥法を作る、今度は日本人移民が増えてきて、まじめにこつこつ働き、我々の職を奪うといって、排日移民法を作って迫害する。

そして、国際連盟で日本が「人種差別撤廃」を訴えると、猛反対したのは白人達ではなかったか。

だから、どうのこうの言うつもりは毛頭ない。

こういう歴史を少し知っておくと、アカデミー賞が滑ったとか、ノーベル賞が転んだとか、はしゃいでいる人たちが滑稽に見えてくるから面白い。

新党名コンテスト

2016年02月27日 | 日記
政権に反対する勢力を一まとめにする目的で、いろいろ思惑の絡んだ動きがあるようですな。テレビに映る顔は、どれも品位とか教養などとは縁のない、魑魅魍魎とはこういうものと教えてくれるようで、胃液が逆流しそうになります。



二大政党が議論を重ねて良案を作り出すという理想は否定しないが、今の状態は比重の軽い麩(ふ)のような歯ごたえのない雑魚(ざこ)が、ガヤガヤ集まっては記念写真を撮っているだけにしか見えません。

報道する側も、何とか期待を持たせるような報道の仕方を工夫しているつもりなのでしょうが、如何せん役者が酷すぎる。



この御仁、優柔不断がネクタイを締めたようなお方で、とても党首の器だとは思えない。それに最近、お顔がどんどん劣化しているようで、そっちの方が気になります。



相談相手のお隣の方も、ちょっと前女性タレントのと浮名を流して一躍有名になった「モナ男さん」。

今の流行(はやり)の言葉で言うと、いまだ「ゲス臭」の消えないお方で、せっかく過去のゲスっぷりは忘れかけていたのに、先日の自民党のイクメン議員のスキャンダルのお陰で、国民の記憶が蘇りました。

国民は7年前の政権交代を忸怩として、そう簡単に同じ轍は踏みません。

あの失われた3年間は、何度も思い返して、教訓とすべきでしょう。



成り立ちからして、酷かった・・・。日本中が、たちの悪いウイルスに感染したようだった。



最も強く私の記憶に残っているのは、2010年9月7日に起きた、中国の不法操業漁船と日本の海上保安庁の巡視船の衝突事故への対応でした。

逮捕した中国人船長(おそらく軍人だった)を、何のためらいもなく、あっさりと釈放してしまいました。

事故を撮影した映像があるにもかかわらず、公開しようとせず一部の国会議員にのみ見せました。そしてそれを見た社民党の党首などは、「衝突というより、コツンと当たったという感じだった。」と感想を述べていましたな。

その後勇気ある海上保安官が映像をYoutube に公開。大袈裟ではなく、民主党政権は本気で日本を破壊する気だと思ったものです。

去年の安保法案のときの国会周辺の馬鹿騒ぎ。芸能人や左翼文化人が調子に乗って囃し立て、マスゴミが若者達が政治に関心を持ち出した、と偏向報道でさらに煽り立てました。



これからは、18歳になれば選挙権が与えられる。高校生もデモに参加せよ、と反日番組では盛んにそそのかしていました。しかし、彼らの行動や心情・思想は、台湾や香港の学生運動と比較するのは失礼なくらい、低劣でしかありませんでした。

とにかく政治は数だ、としか言えない「壊し屋」がまだ生きています。また、いまだにマルクス・レーニン主義を信奉して革命を起こそうと画策している政党が、今の野合に加わろうとしています。

そこで、私は新党名コンテストに遅まきながら参加させていただきます。

党名は、『新党・掃き溜め』


海外、海外ってはしゃいでた「R」だったなあ・・

2016年02月26日 | 日記
ニュースを見て、「口ほどにもない・・・」と感じたのは私だけだろうか。

『楽天は主力のネット通販で東南アジアから撤退するなど海外戦略の見直しに乗り出した。「脱・日本企業」宣言から5年以上たつが、国内依存の収益構造は変わっておらず、自ら海外事業を広げる道筋はまだ描けていない。』

この会社の社長は、社員に英語のテストを受けさせて、英会話学校と契約して、社員に英会話を勉強させて、英語だ英語だと大騒ぎしていた方だった。「英語公用語化」で日本は復活する、と威張っていた。



『楽天は今月末、インドネシアなど3カ国でネット通販の取引を停止し、サイトも近く閉鎖する。タイの通販サイト運営会社も売却する方針で、東南アジアの進出先すべてのネット通販から撤退することになる・・』そうだ。

2010年には三木谷浩史会長兼社長が「日本企業をやめ、世界企業になる」と宣言して、社内の公用語を英語にしたのだった。



この洋品店も、真似して社内の公用語を英語にしたようだが、社員は余計なことに労力を割いて、本当に迷惑だろうと察する。

英語を話せば事業が上手くいくなら、欧米の植民地だったフィリピンとかマレーシアなんかどんどん成長してるはずだろう。フィリピンの公用語は、タガログ語と英語である。

郊外の旧い学校を改造して英会話学校にして、フィリピンは今韓国人たちが目の色を変えてフィリピンに集まっているようだ。韓国人の英語熱は日本の比較ではない。

ただでさえ、舶来志向が異常に強い国民性である。排ガス規制でペテン企業の烙印を押されたフォルクスワーゲンが、韓国では値引き販売されて、「爆売れ」だそうだ。

道徳感や社会正義など糞喰らえとばかり、憧れの外車が安く手に入るなら無理してでも買いたがるのが韓国人らしい。



ワイワイ、ガヤガヤと気さくな雰囲気で打合せをする社風で有名な、このカーメーカーも何を血迷ったか、社長が英語を社内公用語にしたいようだ。

企業が海外に進出することには反対しない。そして、海外に出向する社員は英語くらい話せるべきだという点にも同感である。

また、日本にいて海外と頻繁にやりとりする業務をする社員は、メールを送受信するたびに英語のできる事務員に翻訳させているようでは、ほとんど仕事にならないだろう。

だからといって、社内の公用語を日本語から英語にするとか、英語を使えない役員を首にするなどという思想は、狂っているとしか思えない。



さらに、時の政権に擦り寄って権力者に「英語、英語、グローバル、グローバル」と耳打ちする、となると、この方は日本を間違った方向に舵取りをしようとする大馬鹿者だと言わざるを得ない。

家電メーカーでも流行を気にするところがあるようで、英語を公用語にしようとしたみたいだが、ここはその前に経営自体が危うくなってきたようだ。台湾の企業に面倒を見てもらうことになりそうだが、こういう事態に陥ったことと、英語はまったく関係のないことだ。



大企業の経営者のこういう動きは、巷の英会話学校の経営者達を刺激して、今や子供向けの英語教室は雨後の筍のように、増え続けている。

それは、幼児をもつ親たちに間違った思惑を刷り込み、かくして日本の国力は弱体化していくことになる。

今朝のテレビで、都会から田舎に引っ越してきた若夫婦の様子を扱っていた。子供が小さくて都会では保育園に預けたくても数が足りない。田舎なら、医療費免除とか、保育園の施設が多いとか、色々メリットがあると考え、移住を決断したそうだ。

その若夫婦のことより、私はテレビの取材を受けながら3歳くらいの息子に向って、熱心に英単語を教えている父親の姿が気になった。

「パンプキン、パンプキン。セイ、パンプキン!」と開いた絵本のかぼちゃを指差しながら、何度も何度も子供の耳元で繰り返す。子供がたどたどしく「パンプキン・・」と呟くと、「グーッ!!グーッ!!」と父親は大喜びをするのだった。

こういうバカバカしい情景を日本中に撒き散らすことになった張本人の会社が、海外戦略で躓いているとは・・・

不謹慎だが、私は密かにほくそ笑んでいるのである。


いつもウヤムヤ、この手の事件

2016年02月25日 | 日記
30年以上も、無免許のまま教員であり続け、その間稼いだ給料は1億数千万円。

55歳の公立高校の教員が、教員免許の証を提出せずに、教員になって生徒を教え続けたという、なんともお粗末な事件が発覚した。



産経ニュースは伝える。

『 山形県教育庁によると、女性は大学で必要な単位を取得したが、教員免許状を申請する時期に、体調不良のため手続きをしなかった。その後、教員採用試験を経て、昭和59年4月に教諭として任用された。

 新規採用時に教員免許状の写しを学校に提出することになっていたが、教育庁が調べたところ、女性の免許状の写しは保管されていなかった。 』

まず、これを聞いてすぐに調べなければならないのは、この女性が新規採用されたときの教育長の担当者と責任者の特定である。そんなもの調べれば分かることだ。

なぜこのようなことが起こりえたのか追求して、責任の所在を明確にし、責任者には責任を取らせなければならない。うやむやにすれば、そのうちすぐに似たような事が起きる。

「県は・・」とか「教育長は・・」とか言っているようでは、いけない。組織で動いているのだから、顔と名前のある責任者とか管理者は必ず存在し、そのため管理職はより多くの報酬を得ているはずである。

頭を垂れて謝罪する姿をさらせば、許されるという風潮はいい加減断ち切らなければならない。



見る方も見慣れてしまって、「またかよ・・」「しようがねえなあ・・」という反応をして、それでお終いになっている。

食品偽装があれだけ頻発しても、まだ同じ事を繰り返しているのが、これまでの甘い対応を物語っているではないか。

それにしても、子供を教育する立場の大人がこういう子供じみた詐欺行為をするとは、一体どういうことかと考えてみる。

恐らく、教員採用の際、この女性はいわゆる「コネ採用」だったのではないか。

田舎では特に、農協や役場などは見せ掛けに採用試験を行うが、中身は「コネ」によるものが多いというのが、公然の秘密である。

おそらく、この詐欺事件もだんだん人の記憶から消えていき、来月になればほとんど消え去ってしまうだろう。そして、何年後かに同じようなことがどこかで起きるのだ。

それは、運動選手や芸能人の薬物事件を見ても同じ構図だ。

異常気象、友を引いても、お葬式

2016年02月25日 | 日記
近所の最長老のお婆さんが昨日の早朝に亡くなった。

葬儀屋に任せるにしても、近所のお手伝いはお互い様とはいえ、半ば強制的な社会活動なので、通夜と葬式で約1日半は黒服を着ていなければならない。

長生きなのは知っていたが、99歳だと聞いて驚いた。自分の歳と引き算をすると、私はあと38年生きなければならない。

お手伝いの担当をどうするのか決めるため、一軒で一人が喪主宅に集まって打合せをするしきたりだ。喪主は、葬儀屋と坊主の予定を聞いてから、通夜と火葬場、葬式の段取りを決める。

私は、職場で訃報を知ったので、すぐに暦を確認して、大安や友引が何曜日になるかチェックした。

土曜日が友引なので、多分木曜日に通夜、金曜日が葬式となるのだろうな、と予想して、職場の同僚や上司にそう報告した。

ところが、昨日帰宅して打ち合わせに出た家人に確認すると、土曜日が通夜で日曜日が葬式に決まったという。坊主の日程が詰まっていることと、葬儀屋も予定がぎっしりで
小道具の準備ができないそうだ。



気温が乱高下したために、年寄りの体がその変化について行けず、このところバタバタなくなる老人が続出しているのだそうだ。

以前真冬に親戚の法事に参席した際、菩提寺の坊主が手帳を見ながら、今年の初盆はいつにするか早いトコ決めてもらわないと、希望通りにはいかないかもよ、と施主に詰め寄っていたことがあった。

今頃は、恐らく日本中の坊主の稼ぎ時なのだろう。葬式仏教と呼ばれるように、葬式以外にはあまり我々と付き合いのない職業である。



通夜で家にきても、終わればお茶を飲んでそそくさと帰ってしまう。聞いてためになる話の一つもすればいいのに、あれでは仏教大学の学生でも代役が務まるだろう。

葬儀屋も、揃えた葬式用具の償却が終われば、あとは経費は人件費のみという、ぼろ儲けだと聞いた。テレビでは盛んに簡素な葬式のCMが流れている。恐らく、これも時代の変化なのだろう。

さらに、田舎町にも「セレモニーホール」と呼ばれる葬儀専門会場がいくつかできて、結構利用されているという。

通常、通夜は遺体を自宅に安置して線香を絶やさず一晩過ごすのだそうだが、最近では、通夜も葬儀会場を利用して、その晩は施主たちも自宅に帰ってしまうのだそうだ。遺体はさみしく葬儀会場にほっとかれるのだというから、何という罰当たりか。



出棺では、近い親戚の男衆が霊柩車に運び込む。棺桶を家から出すときは、頭の方から出すものだという地域と、いやいや、足の方から出すものだと言い張る地域があって、ちょっとした口論になったりする。

どこの葬儀でも知ったかぶって、聞きかじりの知識をひけらかす年寄りがいるものだ。



火葬場の1時間は長い。この時間に読みかけの文庫本を読み終えようともって行っても、そういうときに限って変な親戚のオヤジに捕まって、面白くもない話に付き合わなければならなかったりする。

日曜日は、お茶を用意したり、茶菓子や弁当を配ったり、後片付けの掃除をしたりして午前中が終わることになるだろう。

近所には、まだ90歳以上のお年寄りが何人かいる。さらに、80歳代後半の方も何人か控えている。それが一段落すると、ピタッと候補者は減って、数年は葬式などなくなるのではないだろうか。

私が押さない子供の頃は、葬式というと大騒ぎになる一大家族イベントであった。近所のお手伝いも、一軒で2名の方が料理の準備までやってくれたものだった。

世の中、コンビニエントになって結構なことだが、地域社会が壊れてから、もう数十年になるのではないか。

となりのウチの冷蔵庫の中にあるものまで知っている、そんな近所づきあいのあった時代が懐かしいかと言うと、意外と私はそうでもないと思うのだった。

ましてや、異文化共生などは、、、くわばら、くわばら・・・


不倫か浮気か御妾か・・

2016年02月24日 | 日記
今朝のニュース番組の芸能コーナーで、関西の落語家のゴシップ話を報道していた。いつもの通り司会者が、何の話題でも評論する「コメンテーター」に、どう思うかと聞くと、中尾彬がいつもの低い声で「俺とほぼ同じとしだけどねえ・・・。」と言って間をおくと、「・・・元気だネエ。俺はもうダメだけどね。」と、意味深なコメントを吐き出すように言っていた。



私は落語は大好きなのでよく聴くのだが、今の現役の落語家の中には贔屓は一人もいない。しかも、創作落語とか、関西の落語家にはまったく馴染みがない。

ただ、この関西の重鎮は、新婚夫婦をからかう長寿番組の司会者としてよく知っている。中尾彬はもう72~3歳なので、彼らは立派な老人と呼べるのだろうが、自分の娘のような若い女性とお付き合いできるのは、確かに体力が普通以上必要となるだろう。

20年間以上、自分の東京事務所の「東京支社長」として雇っていたということらしいが、本人もそれは形だけであることは否定していないようであった。

落語家だけに、何か気の利いたオチでも言うかと思って観ていたが、世間にばれてしまったことが、ただバツが悪いといった面持ちだった。

 春日八郎「お富さん」

昔なら、「お富さん」の歌詞にあるように、粋な黒い塀越しに、松の木が見える、庭付きの家に住んで、旦那が通って来るのを待つ身だったのだろうが、18歳の頃からそういう生活などは無理だろうから、好き放題遊び呆けて、お小遣いを貰ってお相手をするという「援助交際」という関係だったみたいだ。

 粋な黒塀 見越しの松に・・

弟子もたくさんいて、名前もお笑い芸人のイメージが強い「三枝」から、六代目「文枝」を命名して5年目になろうとしている。

しかも、上方落語協会の会長という要職にある「文枝」は、まだ弟子を取り始めた「三枝」だった頃、弟子にアンパンを買って来いと50円玉を渡して買いに行かせた。弟子が、言われた通りアンパンを買って楽屋に戻ってくると、目の前にスッと三枝の手のひらが現れた。

「おつり。10円おつりがあるやろ。」と三枝がおつりを請求したそうだ。

このエピソードが頭に残っていたので、毎月60万円のお手当てを娘さんに払っていたと聞いた時、私は俄かに信じられなかった。

歌舞伎「お富与三郎」の名場面、「切られ与三」が、とある妾宅に金の取立てに行き、その妾というのが以前一目惚れした「お富」だと気が付いたときの名セリフは、

『御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、 いやさ、お富、久しぶりだなぁ。』

という、有名なものだ。最後の「久しぶりだなぁ・・・。」は、特に痺れる。

お富に首っ丈だった与三郎は、お富を囲っていた親分にバレて、メッタ切りにされることになるのだが、それ以降もお富のことは片時も忘れることはなかった。

  『そういうお前は・・・』

そのお富とこうして再会できたと思ったら、またしてもお富は別の男の妾になっていたのだった。複雑な心境を訥々と語る科白も味があるものだ。

上方落語協会会長の場合は、なぜこんな騒ぎになったのか、どうもその点が腑に落ちない様子で、歌舞伎の与三郎のような立派なセリフではなかった。

本妻が離婚すると言ったら、「しゃあないなあ・・・。」とボソッと言うのが精一杯だったようだ。

観ていた私は、ソファからドタッと床に転げ落ちるところだった。

出かけたくなる、酒場放浪記

2016年02月23日 | テレビ・ラジオ
テレビ番組はどの局も代わり映えのしないものばかりで、つまらなくなっている。

そんな中で、録画してでも観たいと思うのが、「吉田類の酒場放浪記」である。



TBSは嫌いだが、これはBS・TBSの1時間番組で、毎週月曜日の夜9時から始る居酒屋紹介の、いわば「食レポ」番組である。

朝のバラエティー番組やワイドショーのおいしい店紹介のコーナーなど、食べ物を紹介するのが専門のタレントも何人かいるようだ。



毎回只でおいしい食事ができるけど、みるみる太っていき、自分の体と健康を張った職業なんだなあと、同情する。体重も血糖値も、きっと血圧も、そのテンション同様きっと上がりっぱなしだろう。

概して食レポは男性の方が上手だと思うが、どうだろうか。

女性の食レポは、「ウン!」とか、「オイヒー!」とか「これ、ヤバイよ」とか繰り返すだけで、表現力に欠けるような気がする。



毎朝、時計代わりにつけておくニュース報道バラエティー番組にも、テレビ局の女性スタッフの一人が食レポを担当している。初めてこのコーナーが始ったときと比べて、彼女の顔はぐんぐん大きくなっていき、今や孫悟空の猪八戒のようになってきた。

しかも、料理を口にして発する言葉は、「ワー、味が濃厚!」か「外はサクサクで、中はジューシー」などいつもお決まりのようなセリフばかりだ。

そこにいくと、吉田類は顔でおいしさを表現するのが上手だ。猫舌なので、熱い食べ物は、何度もフーフーして口に入れるのだが、味わってから頷くと、条件反射のように。私の口内には唾液が分泌してくる。



いつも居酒屋なので、食事も飲み物も飾るところがないのがいい。チューハイとかホッピーとか、常連客が何を飲んでいるか聞いて、大抵最初はそれと同じものを注文する。

1時間番組は4つに分かれ、約15分ずつ異なる居酒屋を紹介する構成になっている。その居酒屋もたいてい鉄道の駅近くの、いかにも居酒屋、赤ちょうちん、縄のれんといったこじんまりした店ばかりだ。

吉田類は駅から出てきたばかりといったシチュエーションで登場し、簡単なその土地をっ紹介してから、「今日は会津若松に来ています。この辺りも感じのいい店が一杯ありそうなので、じゃ、行ってみます。」などと言って歩き出し、番組は始る。



専門の飄々としたナレーション担当がいて、これがまたタイミングのいい、味があるツッコミをして、スパイスを効かせる。

多分この番組は人気があると見えて、他局でもこれと似たような構成のパクリ番組が出現してきたようだ。しかし、「酒場放浪記」は、やはり吉田類という人間の味で人気を博しているのだろう。

このオヤジさん、私はかなりのインテリと見た。いつも居酒屋紹介の最後に紹介する俳句が見事だからだ。

私は俳句を評論するほどの素養があるわけではないが、吉田類が只者ではないことは十分わかる。

この俳句も、この番組の売りの一つとなっていると思う。



私は生来酒に強い方ではないが、毎週月曜日が楽しみ出仕方ない。

赤っ恥、丸山議員。

2016年02月22日 | 日記
丸山議員といえば、丸山国際法律・特許事務所代表の肩書きを持つ弁護士である。

その言葉を商売道具とする方が、また随分大胆な発言をしたものだなあ、と感心していたら、何のこたァない。反日マスゴミのお得意の「レッテル貼り」「言葉狩り」「反日・反自民プロパガンダ」じゃあありませんか。

テレビはどの局を廻しても、ゲストコメンテーターが「信じられない」「とんでもない人種差別だ」と司会者と一緒になって、鬼の首をもぎ取ったような興奮振りだった。

最初ニュースでこのニュースを見たときは、まったく余計なことを言うもんだな・・・と私もあきれ返ったが、どういう場面で何を言いたかったのか、丸山氏の発言を調べてみると、「例え話」をしようとしたのだが、見っとも無い彼の無知で米国大統領がアフリカから来た奴隷の末裔だと思い込んでいただけだったようで、私はズッコケた。



何が「国際法律事務所代表」だろうか・・。すぐに看板を書き換えた方がいい。

そもそも今に始ったことではないだろうが、国会議員が「週刊誌にこう書いてあるが、事実なんでしょうか?」とかいう質問をして、それにウダウダ言い訳をするなどという低劣で下種っぽい、低レベルの質問を喜んでするような議員は、バッジをはずしてどこかの芸能事務所に雇ってもらった方がいいのではないか。

ゲス議員と呼ばれた宮崎とかいう男には、まったく同情する気にもならず、昔なら武士の情けで「切腹」させてやりたいところだが、今回の丸山氏の発言は、ただの無知をさらけ出した「赤っ恥発言」だったと思う。

一通り、発言に至る内容とその発言を読み返すと、よく分かる。

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丸山氏は、「アメリカの第51番目の州になることについて(日本国)憲法上、問題があるのか、ないのか」とも参考人に尋ねた上で、「(アメリカの州になれば)集団的自衛権、安保条約はまったく問題にならない」などと述べた。

以下、丸山氏の発言より・・・

『憲法上の問題でもありますけれど、ややユートピア的かもわかりませんけれども、例えば、日本がですよ、アメリカの第51番目の州になるということについてですね、例えばですよ、憲法上どのような問題があるのかないのか。

これはですね、例えば日本がなくなることじゃなくて、例えばアメリカの制度によれば、人口比において下院議員の数が決まるんですね。比例して。

それとですね、恐らく日本州というような、最大の下院議員選出州を持つと思うんです、数でね。上院は、州1個で2人。日本をいくつかの州に分けるとすると、十数人の上院議員もできるとなると、これはですね、世界の中の日本というけれども、日本州の出身が、アメリカの大統領になるという可能性が出てくるようになるんですよ。

ということは、世界の中心で行動できる日本という、まあ、その時は日本とは言わないんですけれども、あり得るということなんですね。

バカみたいな話だと思われるかもしれないかもしれませんが、例えば今、アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。はっきり言って。

リンカーンが奴隷解放をやったと。でも、公民権も何もない。マーティン・ルーサー・キング(牧師)が出て、公民権運動の中で公民権が与えられた。

でもですね、まさか、アメリカの建国、当初の時代に、黒人・奴隷がアメリカの大統領になるとは考えもしない。これだけのですね、ダイナミックの変革をしていく国なんです。

そういう観点から、例えば日本がですね、そういうことについて、憲法上の問題があるのかないのか、どういうことかとお聞きしたい。』


もっとも、毎日新聞は、2009年 1月7日の記事で、オバマ大統領の奥さん・ミシェルさんは、奴隷の血を引く黒人だ、と報じている。

  

さらに、今や天下の嘘つき新聞としての地位を確立した朝日新聞とて、2012年8月5日のデジタル版で、『オバマ大統領は、奴隷の血を引いていることが、DNAや古文書調査で判明した』と報じている。






【朝日新聞デジタル 2012年 8月 5日】

「米大統領選」

オバマ大統領の祖先「米国最初の奴隷」 家系図調査

オバマ米大統領は、実は米国で最初の奴隷の血をひいていた――。DNA分析や古文書の調査によって判明したと米家系図調査会社が発表した。白人の母の12世代前の祖先が、米史上最初に終身奴隷となったアフリカ系男性だという。

 家系図調査会社のアンセストリー・ドットコムによると、カンザス州生まれのオバマ氏の白人の母親から12代さかのぼると、ジョン・パンチ氏というアフリカ系男性にいき当たる。米独立前のバージニアで年季契約召使の身分から逃亡しようとして失敗、罰として1640年に終身奴隷とされた男性で、記録に残る最古の例という。パンチ氏は白人女性との間に子がおり、その子孫が「白人地主」として成功した。

 2008年の大統領選では、オバマ氏が「奴隷の子孫ではない」ことで、アフリカ系有権者の間には一時、支持をためらう声も出ていたとされる。

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この現実、毎日のチョビヒゲ爺岸井、朝日のでくの坊!
上手いように解説してくれい!!




高齢者ドライバーから身を守ろう!

2016年02月22日 | 日記
免許の更新のため、写真撮影を終えると、2冊の薄い本を手渡されて隣の小部屋で教育ビデオを30分間観るように言われた、

小部屋にはすでに2名の男女がビデオを観ていた。

私は、もらった本をパラパラと見てみた。ひとつは、120ページくらいの「安全運転を確かなものにするために」というタイトルの本で、「最新の道路交通法」のことや、「夜間事故の防止法」高齢ドライバーや若年ドライバーの事故防止」などが写真をちりばめて書かれているようだった。

もう一冊は、ペラペラの小冊子で、安全運転の手引き、高齢者を守る・・・というタイトルが印刷されていた。



人口比率からみれば当然だろうが、私がいる間に免許更新に訪れる人は高齢者が多い。もちろん私もその内の一人になるが、教育ビデオでも盛んに高齢者を守るには・・と解説していた。

自分はまだこういう人たちの仲間ではない、といくら思っても着実に年齢は増えていくので、逆らいようがない。



ビデオでは、高齢者は視野が狭くなるだの、明るさに鈍感になるだの、反応時間が長くなるだの説明するのだが、それを見ながら、私は先ほど提出年月日のところに自分の生年月日を記入した老人のことを思い出していた。

何度も何度も聞き直していて、明らかに耳が遠いことが分かった。更新のとき、視力や視野の検査はやっているようだが、聴力の検査はしていないようだ。

教育ビデオでも、平成20年から聴力障害の方も運転が可能になったと言っていた。ただし、ワイドミラー又は補助ミラーを付けるという条件があるようだ。


近所のお爺さんは90歳になるはずだが、ほとんど耳が聞えないという。加齢で耳が遠いとのことだが、ビニールハウスで野菜を栽培する農家のため、毎日軽トラックを運転している。近所の村雀たちは、いつか事故を起こすだろうと楽しみにしているようだ。

ついこの間、近くの薬局に自動車が突っ込んで、中にいた薬剤師の女性が死亡した。運転していた高齢者は、「車が止まらなかった。」と言っていたそうだ。

教育ビデオは、「高齢者を守る」ことより、「高齢ドライバーから命を守る」術を教えるべきではないだろうか。



最近は、コンビニで週刊誌を立ち読みするときも、窓の外を気にする様になった。これだけコンビニ突っ込み事故が頻発すると、いつ事故に遭遇するか分かったもんじゃない。



いや、コンビニの中だけではない。街の歩道を歩いていても、アクセルを踏み込んだ自動車が突っ込んできて、ボーリングのように人を撥ねる事故が起きているのだ。

アレも確か、高齢ドライバーだった。



今年辺りから、春の交通安全運動は、「高齢ドライバーから命を守る術」というスローガンで、全国展開をして欲しいと、切に思う。

まず交通安全協会費込みで請求。

2016年02月22日 | 日記
今日は、年に一度の病院での検査があって、休暇を取った。ついでに、運転免許証の更新のはがきが届いていたので、警察署にも行ってきた。

はがきには、所要時間30分とあったが、それは教育ビデオを観る時間で、何やかんやで所要時間は45分以上かかった。

免許更新の場所に着くと、5名ほどの男女が順番を待っていて、更に教育ビデオを観る小部屋を覗くと、3名がテレビ画面を観ていた。

申込書に住所氏名を記入するとき、暗証番号を二つ考えて書けと言う。何のための暗証番号かと尋ねると、「銀行などで本籍を尋ねられたときに、暗証番号で確認できるのだ、と言われた。

「そんなシチュエーションなどありえるのか?」と笑いながら言うと、30代半ばくらいの警官は、「外人などはそういうことがある・・・。」と、ボソッと呟いた。

どうでもいいや、と思ったので、暗証番号を「1234」と「5678」と書いておいた。

呼ばれるまでそこで待て、と言われたので座って辺りを観察して時間をつぶした。

70代くらいの男性が呼ばれて、提出年月日のところが、生年月日を書いたあるので、もう一度新しい紙に書き直してくれ、と中年女性の担当者に言われて、小さくなって恐縮しながら書き直していたのが可笑しかった。

となりでは、別の白髪の老人が視力検査の機械を覗いて、右だの左だのと答えていた。しかし、結果が芳しくなかったのか、担当の女性に、一度外に出て遠くの景色を眺めてからもう一度やりましょう、と言われていた。

私の名前が呼ばれ、視力検査をして待つと、手数料を払う順番が来た。はがきには、3000円で、クレジットカードは受け付けない、と書かれていたので、普段現金を持たない主義の私は、予めATMで3000円だけ引き出しておいた。

担当の女性は、「合計5000円になります。」と言った。



私は、「えっ?!はがきには3000円と書いてありましたよ。」と言うと、女性は、「さっき渡されたパンフレットにも、ここにも書かれているように、年400円の交通安全協会費を協力してもらってます。」と無表情で言うのだった。

「私は3000円しか払いません。」ときっぱり言うと、女性はそれには何も応えなかった。

実は、私はこのことは毎回のことで、今日も最初に貰った交通安全協会のパンフレットなど、もらった直後に小さく丸めてゴミ箱に捨てていた。



もう、20年くらい前のことだったと思うが、それまで私は更新のとき、無垢だったので、言われるがままに手数料と交通安全協会費を払っていた。

しかし、その年だったかその何年か前だったか、県警の不祥事が大きなニュースとして新聞テレビで報道された。空出張や空領収書による県警内のいくつかの部署での、税金泥棒事件である。アレ以来、私は絶対に協会費など払うまいと決めた。



経理だか総務だかの「担当者」がせっせと領収書や出張旅費などの帳票を偽造して、現金を得て、それを部課内の隠し口座に数百万円とプールしていき、宴会や異動時期の歓送迎会の費用や「祝い金」、「慰労金」などに使っていたのだ。

テレビカメラは署内の「担当者」の机を映し、偽造に使う何十本もの三文判のハンコが無造作に丸い缶に入っている映像まで茶の間に流していた。

今はおなじみになった、幹部が勢ぞろいして頭を垂れて謝罪する映像もこの頃は珍しいものであったと記憶する。

しかし、それを知らされた県民は、開いた口が二~三日塞がらなかった。

昔は、交通安全協会費の協力を拒否すると、男性の体格のいい警官が、威圧的に協力を言ってくることがあったが、あの税金泥棒事件以後は、はっきりと協力はしないという意思表示をすると、もうそれ以上は言わなくなったようだ。

私は、現行の更新手数料3000円ですら、高すぎるのではと疑心を感じている。

白衣の天使は統計学者

2016年02月21日 | 外国ネタ
最近の病院では男性の「看護師」もチラホラいて、以前長く「看護婦」と呼ばれていたことからどうも「看護師さん・・」とは呼びにくい私などは、「あのぅ・・・」と言うに留まっている。

そもそも、私は今でもCAとかキャビン・アテンダントとか、乗務員などとは呼んだことはない。いつも、「スチュワーデス」とか男なら「スチュワード」で通している。

昔、アメリカで、議長をチェアマンではなく、チェアパーソンなどと呼び始めたときも、まず「バカバカしい・・・」と感じたものだった。

それはさておき、看護婦の別名とも言える「白衣の天使」と言えば、返ってくる言葉は、「ナイチンゲール」ではないだろうか。

Nightingale といえば、日本名「小夜啼鳥(サヨナキドリ)」とか「夜啼鶯(ヨナキウグイス)」という小鳥の名前だが、イギリス人のフローレンス・ナイチンゲールは、その肩書きは看護婦、看護教育学者、社会企業家、そして統計学者と多岐にわたる才媛である。

両親が2年間という長い新婚旅行中のイタリア・フィレンツェで生まれた彼女は、英語読みのフローレンスという名前をつけられ、その後両親によって一流の英才教育を受けながら成長した。

しかし、本人は当時召使程度の職業と見られていた看護婦という仕事に関心を抱いていたという。母親は賛成ではなかったが、本人の意志は揺るがず信念を押し通し続けた。

時代は、1854年。黒海のクリミアでトルコとロシアの戦争が勃発すると、英仏がトルコ側に加わり、戦火は広がった。前線の負傷兵たちの悲惨な状況が伝わってくると、ナイチンゲールに出番がやってきた。



英国の戦時大臣の依頼に応じたナイチンゲールは、シスター24名と職業看護婦14名の計38名の女性を率いて後方基にある病院に向かったのだった。

現地の状況は想像以上に酷いもので、しかも彼女達は必ずしも歓迎されたわけでもなかった。そこで彼女はその実情を英国の戦時大臣に書状で伝え、それを見た大臣は英国女王に伝えて彼女達の援軍にお墨付きを与えて支援した結果、その状況は改善した。

彼女は看護婦の総責任者として、まずは衛生状態を改善することを提案すべく、負傷兵の死亡原因の実態調査を始めたのである。そのときに、より分かりやすくするためにデータを「見える化」したのが、有名な円グラフ「鶏のとさか」であった。



兵士の死亡数とその死亡原因の推移を月ごとに示すため、円を12(12ヶ月)に等分して、扇形の面積と色でもって一目でその実態がわかるように工夫した円グラフで、その得意な形が鶏のとさかのように見えるところから、そう呼ばれた。

青い部分が兵士が病気で死亡した領域で、中心に近いグレーとピンクの部分が負傷やその他で死亡した領域を表す。数値を面積で表し、視覚的にその差が理解しやすくなっている。

図の右側が、ナイチンゲール派遣前の状況。左側がナイチンゲール派遣後を示している。兵士達の主な死因は、衛生状態の悪さであることを訴えるのに適した円グラフとして、結果的に効果的な資料となった有名な手法である。

多くの兵士達が戦いで負傷して死亡していくというよりも、病院のトイレなどの衛星状況の劣悪さか原因で病気(感染症)によって死亡していくという問題の解決を計るためには、予算や人員など、組織を動かす必要があり、そのための合理的な道具として、彼女の円グラフは有効であった。

この事例は、彼女を統計学者と呼ぶに十分であっただろう。

実際、この手法はどうなっているか。



簡単な例で説明できる。上図の棒グラフを「鶏のとさか」に書き換えてみよう。

A=1、B=3,C=2というデータを扇形の面積で表し、その中心を共通にする。

それぞれの中心角は、360度 ÷ 3 = 120度
次に、A,B,Cをそれぞれ面積1:3:2の中心角120度の扇形にするため、それぞれの半径を求める。

それぞれの半径をra, rb, rc とすると、面積を求める計算式は次のようになる。

πxraxra ÷3=1、  πxrbxrb ÷3=3、  πxrcxrc ÷3=2

それぞれの式からAの半径ra, Bの半径rb, Cの半径rc を求めて図にすればよい。



1856年、クリミア戦争が終わってから彼女は国民的英雄として騒がれることを好まず、目立たないように英国に帰国した。そして、その後も病院の状況を示す統計資料を次々に作成して発表し、硬直した陸軍組織の改革にも大きく貢献することとなった。



後に彼女は英国ばかりではなく、米国の統計学会の名誉メンバーになるなど、看護婦というより統計学者として、その名を残すこととなるのだが、有名人として扱われることを嫌い、墓には名前を彫らずイニシアルだけを残した。

それは、90歳で他界した彼女の遺言であった。