孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

ウザさ満開!増田明美のマラソン解説。

2018年01月28日 | テレビ・ラジオ
過去のブログ(2016年8月)へのアクセスが異常に増えるのは、女子駅伝や女子マラソンの中継がある時だ。(決って、増田明美が解説のときww)

今日もその所為で、午後からやたらとアクセスが増えている・・・




増田明美のマラソン解説は、おそらく観る人によって好き嫌いがかなりはっきり分かれるのではないだろうか?

   お節介なオバサンの顔

私は、国内でのマラソン中継でも、彼女が解説のときはほとんど観続ける根気がない。今夜はオリンピックの中継が彼女だと分かったが、必死で堪えて見ている。

なぜ彼女の解説が好きになれないかというと、やはり彼女が現役のときに大した実績を上げていないくせに、ベラベラ偉そうな解説をすることと、その解説がさほど的を射たものではなく、実績の伴わない出任せ感が漂うこと。

さらに、そのいい加減さを隠すためか、出場選手の趣味だの好みの食べ物だの、最近凝っている事だの、およそどうでもいいことをぺチャクチャと得意がって喋り続けるのが、ウザくてウザくて耐えられないのだ。

現役の頃は、大きな大会ではいつも期待はずれの結果だったという記憶しかない。確か、ロスアンゼルス五輪のときは、途中であきらめて走るのを止めてしまったんじゃなかったか。

出場選手の細かい私生活を伝えることが、マラソン解説者の仕事だと勘違いしている感があるのは、テレビ局の側で一言忠告すべきではないかと感ずる。

  噂好きのオバサンの顔

最近は、購読している産経新聞にもたまにスポーツ関連のエッセイを載せているようだが、彼女の文才は小学生並みで、私はその駄文を最後まであきらめずに読んだためしがない。

  ウザさ満開!!

フジテレビの鈍いところは、解説者をたくさん揃えれば、視聴率が得られると考えているところだ。

こんなところにも、経営も危うくなる要因があるんじゃないか?


所変われば、食べ方変る(その二)

2018年01月26日 | 外国ネタ
海外で、しかも外国の田舎に長いこと暮らすと、日本食が恋しくて、恋しくて、特にジャポニカ米のモチッとした食感や、醤油の味に飢えてしまう事があった。

しかし、食文化が似通っている南朝鮮では、そんなことはないだろうと考えて行ったところ、私が当時検品に出向いた町は、釜山から車で3時間ほど西にいったところにある、晋州という小都市で、日本食などはまったく食べられることが出来なかった。

9月に到着して、小さな宿屋に投宿。素泊まりだったので、朝食はいつも近くの駄菓子屋でジュースと菓子パンで済ませ、昼食は仕事場近くの食堂に行き、名前は覚えていないが、つゆのないうどんのようなものを、毎日食べていた気がする。

メニューを見ても読めなかったので、他の客が食べているものを指差し、「アレと同じもの」などと日本語で言うと、なんとか分ってもらえたのだった。

九州に出荷するコンテナトラックの助手席に載って、釜山港まで出かけたときは、迷わず「日式食堂」に立ち寄った。「日式」とは日本式という意味であることは教えられていたので、看板を見ればすぐ解かった。

メニューはハングルと共にカタカナで書かれていた。その時は「トンカツテイショク」を注文した。大きな皿にトンカツがどーんと載っているだけで、ナイフとフォークが添えられて出されてきた。いつものステンレスの平べったいお箸ではなかった。

 韓式トンカツ定食

トンカツを洋食のようにナイフとフォークでチマチマ食べるのは、なんとも奇妙だったし、その場所が「日本料理」専門の食堂だったから余計可笑しかった。

さらに嫌だったのは、店の従業員たちが私の後ろから、私の食べっぷりをじーっと観察しているのがわ分ったときだった。自分たちの料理を、本物の日本人が食べている、という状況はきっと珍しかったのだろう。

お陰で、私は料理を味わう余裕などなく、そそくさと食べ終えて店を出たのだった。

いつもは、ステンレスの平べったい箸と、柄が長いステンレスのスプーンで食事する習慣があるのに、「日本食」にナイフとフォークを添えるというのは、もしかしたら彼らにとっては、トンカツがハイカラな食べ物であるというイメージがあったからか。

そんなことを、後になって考えた者だった。

所変われば、食べ方変る (その一)

2018年01月26日 | 外国ネタ
何でもかんでも私たちが起源だ、と言い張るのが好きな人たちがいて、その言動に呆れる事がある。

以前。シンガポールで食に関する博覧会を見に行った時、太巻きの実演をしているブースがあって、行列が出来ていたのに遭遇した事があった。直径が10cmくらいの太巻きを作ってから、厚さ3cmくらいに切って、並んだ人たちに試食させていた。

私も並ぼうかと思ったが、ブースに貼ってあったポスターがハングル文字だったので、やめておいた。よく見ると、そのブースはいわゆる「韓国海苔」の宣伝ブースだった。

実演者の話を聞いていると、彼女は確かに「これは、我が国オリジナルのxxxxで・・・」という言い方をしていて(英語で)、私は「嘘をつけ!」と心の中で叫んだのだった。

しかし、あそこに集まったシンガポール人たちは、皆その女性の言うことを鵜呑みに下であろうと思うと、私はその時少し憤りをおぼえた。

日本人が考え付いて世界に広まっているものには、「カラオケ」があり、今ではどの国の繁華街にも「KARAOKE」の看板が見られるようになった。

日本食の中でも、「ラーメン」は最初は「支那そば」といったくらいであるから、支那から伝わってきたのだろうが、日本独自で進化発展していき、今では本場のそれとはまったく違った独自性のある食べ物として、世界中に膾炙している。

さらにその亜流として、「インスタントラーメン」、「カップラーメン」も、瞬く間に世界中に広まっていき、味付けはタイ風とか朝鮮風とか、日本では見られない、実に様々な種類がスーパーマーケットの売り場の棚を埋めている。


嫌な思い出ばかりが残るフィリピンでの2ヶ月間であったが、その理由は南朝鮮人の経営する向上で、あちらの人たちと一緒に仕事をしなければならなかったからだった。

工場内にも食堂はあったが、南朝鮮人たち幹部社員は、朝食と昼食を専用の小さな食堂で取ることにしていた。私も誘われて、フィリピン人のおばさんが作る、目玉焼きや味噌汁(もどき)と、テーブルに数種類並んだキムチと共に、食べたのだった。

初めこそ、珍しさもあってそこでの食事もまんざらではなかったが、さすがに毎日ほとんど変り映えがないとなると、一月ほどで飽きてしまった。

フィリピン人の賄いおばさんは、土曜日が休みのため、南朝鮮人たちは土曜日に出勤する時は、各自が持ち込んだ物を食べていたようだ。私はそれを知らなかったので、土曜日にも拘らず、食堂に入っていった。

すると、誰もいなかったが、一人台所の床の隅のほうで、こちらに背を向けて、ウンコ座りの格好で猫背を小刻みに動かしながら、何かをしている南朝鮮人が目に入った。

一体、何をしているんだろうかと見ていると、彼はゆっくり私の方へ振り向いた。左手には鍋が、右手にはステンレスの平べったい箸が、そして彼の口からは、麺が4~5本ぶら下がっていた。私は危うく「ヒーッ!」と声を出すところだった。

これまでに見たことも無い状況での、思いもしなかった様相の顔を見て、一体彼がそこで何をしていたか、私にはまったく想像できなかったからだった。

彼は自分で作ったインスタントラーメンを丼には移さず、鍋ごと抱えて食べていたのだった。

それにしても、台所に面した食堂にはテーブルもあるのに、なぜ台所の床にしゃがんで食べていたのだろうか?この話を別の日本人に話すと、彼は素っ気無く「彼らの食べ方なんですよ」と教えてくれた。

 一般的な食べ方らしい

帰国してから、ネットで検索してみると、確かに南朝鮮ではインスタントラーメンはそうやって食べるのが標準のようだった。

テレビCMなどでも、女優がそうやって食べるシーンが放映されているという。

 鍋のふたを受け皿に。

まさか、その食べ方をもって、「我々は、この食べ方を数百年前からずっと続けている」などと主張して、「ゆえにこの食べ物は我が国オリジナルのものだ。」と言い出すのではないか。

しかし、もし家族みんながインスタントラーメンを食べたいときは、彼らはどうするのだろうか? 

中止すべき、安倍訪韓

2018年01月25日 | 政治ネタ
安倍総理が自ら南朝鮮に出向くようだ。

どう考えても、クビを120度くらいひねってみても、まともな判断だとは思えない。

同じ与党内でも賛否両論だそうだが、賛成する者は朝鮮人に負い目のある方か、カルト集団創価学会の手下どもだろう。

まともな党員は、信じられないといった感じのようだ。

例えば、我が地元の頼れる議員は・・・


 【城内実衆院議員】

 「日韓合意が不履行のこんな状態の中、訪韓すればそれを認めることになる。文在寅大統領の対北融和政策を安倍首相が支持するのか。すべきでない。こんなことやるんだったら支持率がぐんと下がり、誤ったメッセージを国際社会に送ることになる」

あるいは、汗かき働く国会議員は・・・

 【青山繁晴参院議員】

 「産経新聞の単独インタビューで訪韓があたかも決定事項のように報じられるのは異常だ。インタビュー記事は『事情が許せば開会式に出席する』という表現だった。『決定した』との表現ではなかった。あきらめてはいけない。強く反対する」

 安倍さん、ちゃんと手を洗ってネ


私は、参加選手には申し訳ないが、あんなもん参加しなければいいと思っている。

我が国の領土を侵略して、実効支配している敵国の言い成りになるようで、この状況は少し屈辱的だ。

まあ、少し冷静になって、ヒラマサ冬季五輪を開催するなら、それもいいが、一体アイツらがどんな恥を世界に晒すのか、それを楽しみに経過を眺めることにするか・・・。

ネットで見た選手用の朝食サンプルがこれだ。

これが彼らのもてなし方なのか、と少し愕然とした。まさか犬肉じゃないだろうな。

 まあ、おいしそうだこと!

保守論客逝く。

2018年01月25日 | 社会観察
21日(日)早朝、評論家の西部邁さんが他界した。多摩川に飛び込む自裁死であったという。

一報を知った時、私は反射的に、心から『惜しい人を失ったなあ』と思った。お悔やみの言葉の定番で、言うのではなく、本当に心からそう思ったのだった。

これとほぼ同じ感情が湧いたのは、コラムニストの山本夏彦さんが他界したときであった。

私のような浅学非才は、死んでも何も残らないが、上記のお二人の場合は、書物や文献でこれから何十年も残って、その主張や考え方が後世に伝わる。西部さんの場合は、動画としてもたくさん残されていて、その飄々とした語り口がいつでも観られるのはうれしい。

お二人は、それぞれ評論家とかコラムニストという肩書きが付くが、お二人とも社会批評家、文明批評家と呼んだ方がふさわしく、おそらく性格なのだろうが、その批評を上手に、極めて皮肉っぽいオブラートに包んで語ってくれるので、たちまち虜になるのである。

西部さんがテレビに出るようになって、その巧みな評論と共にお顔が世間に広まったのは、テレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」という月末金曜日の深夜に始る討論番組が切っ掛けではなかったろうか。多分20年ほど前のことだったと思う。

 西部邁さん

それ以前も私はその番組を観ていたが、西部さんの御意見や解説には、いつも私が感じているのだが上手く言葉に表せないことを、代わりに上手に解かりやすく言ってくれたので、最初の段階ですぐにファンになっってしまった記憶がある。

いつからか「朝まで・・・」は観なくなったので、西部さんがいつも出演していたかどうかは分らない。しかし、その番組に出なくとも、youtube などで検索すれば、「西部邁ゼミナール」という言論ネット番組を持っていたので、よく拝見していた。

  晩年の西部さん

西部さんが多摩川に身を投げてから、様々な方が話していたが、彼はもう昨年の秋頃から事あるごとに、『病院では死なない。』

『生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない』とし「自裁死」を選択する可能性を周囲に示唆していたそうだ。


その死生観は実は私も強く共感するもので、私の場合、父の晩年、特に入退院を繰り返しながらやせ衰えていく父を眺めながら、感じたのであった。

ただ、強いて言えば、西部さんのように「自裁死」を著書に書いたり、知人友人に言いふらしたりすることは、私にはとても出来ないことだし、絶対にそうはしたくないことであると思った。

多分、西部さんはそうすることで、信念を曲げないように保っていたのであろうし、もしかしたら、自らが怖気づくことを予防するためであったのかもしれない。

『朝まで・・・』の番組は、意見の対立する論客たちを対峙させて座らせる演出をしていたが、番組を見ていて、私はいつも西部さんに対峙する側の人は、みな発育不良の幼児病に患っているのではないかと思いながら見ていた記憶がある。

そして、当時から異常な進行をしていた司会者が、近年ますます売国度を増してきて、もしかしたら脳味噌が痴呆症に冒され始めているのではないかと思いたくなるほどだ。

ああいうのこそ、とっとと川に身を投げてくれればと思ってしまうのだが、それはちと言い過ぎか・・・。

大相撲観客もビラかい・・・

2018年01月23日 | 社会観察
国会周辺の反日左翼のデモなどで、よく反日左翼の高齢者たちが印刷したビラをみんなで掲げている場面がマスコミによって映し出されていたのを覚えていますか

「アベ政治許さない」などと印刷されたビラなどは、いまだに記憶にあります。

元祖は共産党のみなさん?


『自民党感じ悪いよね』とか、『強行採決反対』などというのもあった。

  テレビカメラに向けて


  カメラに映ればいい

今場所から大相撲の観客席でやたらと目立つのが、これと同じアピールで、応援する力士の名前が印刷されたタオルや紙を胸の前にかざす人がやたらと多いのだ。

 大相撲でも以前からあった?

NHKの指図ではないのだろうが、テレビカメラもよくこういうのが映るショットを多用しているような気がするが・・・。

もしや、こういう人たちの中には、団塊の世代でデモ好きな反日左翼人がいるのではなかろうか、と勘ぐりたくなってしまうのだ。

あんなもの止めたらどうだ!!

TOEIC, TOEIC と騒ぎすぎじゃない?

2018年01月23日 | 英語関連
CMのマネをすると、

『時間があるからDVDで名画を観ようかと思って、レンタルショップに行こうかと思ったけど、古い名画なら安く買えそうだし、注文しても返却の手間もないし、通販型もいいかなって・・・』

 ご安心下さい。あっと言う間に届けます。

ってな調子で、「早すぎる」アマゾンで、何枚か中古DVDを注文しました。

届いたのは、『マイレージ、マイライフ』と『グラン・トリノ』と『ミシシッピー・バーニング』の三枚。全部で650円ほど(送料別)だから、やっぱりCMみたいに、『通販もいいかなって・・・』思っちゃうんだな。

実はこれらは、私の英語学習の小道具で、このところ翻訳に集中してきたため、私の英語耳がすこし退化したような気分になっていたのです。多分、気のせいなんですが、ここらで英語の音を集中して聴いておきたいと考えたからです。

気に入った映画の中の、特に気に入ったシーンの会話は、その部分ごと覚えてしまうくらい何度も繰り返し聴くと勉強になります。この学習方法は、お勧めです。

それには、リピート機能の付いたDVDプレーヤーが不可欠です。

 ABリピート機能は優れもの!

繰り返し観たい場面の始まり(A)と終わり(B)を押すことで、その間を何度でも繰り返します。聴き取り難いセリフだとか、メモして覚えたい表現、独特なイントネーションなどをモノにしたい時など、この機能はとても便利です。

更に、私のお勧めは、サブタイトル・・・つまり字幕を思い切って英語に設定して観ることです。耳でセリフを聴きながら、同時に字幕の英文を追っていくんです。

これは『速読』の訓練としては、おそらくベストでしょう。

この訓練は、実は今大学生や社会人が狂ったように受験しているTOEIC(トーイック)に大変有効だと思います。

5年ほど前でしたか、楽天のミキタニとかいう創業者が、英語を社内公用語にする、とか宣言し、TOEICでスコアが800取れない重役はクビだと言ってました。

そして、ついに5年経って、社員の平均スコアが800になったと、確か去年でしたか、彼は手放しではしゃいでましたね。

彼の所為ばかりではないでしょうが、今では従業員を採用する側も、される側も、ナントカの一つ覚えのように、トーイック、トーイックと夢中になっているようです。

しかし、私の経験では、英語と一口に言っても、インド人の英語、シンガポール人の英語、エジプト人の英語、フィリピン人の英語などなど、お国柄によってまったく別の言語のように聴こえる場合が珍しくありません。

しかも、実際に仕事などで英語を話す場合は、解からない場合に聞き返すことが出来ます。理解できるまで、何度も聞き返すことが可能です。

TOEICの試験中はそれは出来ません。考える時間すらないほど、どんどん進んでいきます。

したがって、要点を聞き逃さないように集中し、文章はサッと流し見て要点を掴むという速読能力が不可欠なんです。

こういう点に集中して学習すれば、最初500点程度だった人でも、1年も経てば800点は取れるようになるはずです。5年も掛かるなどとは到底考えられません。

英語は確かに読み書き話せれば便利ですが、それがすべてではありません。ましてやその能力の判断をTOEICのテスト結果に委ねるなどとは、愚の骨頂でしょう。

あんなもの、多面体の一つの面でしかありません。

 面の大きさも様々

道順を英語で案内できたらなあ・・・

せめて自己紹介が英語で出来たらいいのに・・・

まあ、それもいいでしょうが、あなた。外国人にこう聞かれたら、英語で答えられますか? 英語はダメだけれど、日本語なら答えられますか?

『エドジダイ カラ メイジジダイニカワッテ ナンネンタチマスカ?』

『イマノ テンノウヘイカハ ナンダイメニ ナリマスカ?』

家事のし過ぎは、国を滅ぼすか?

2018年01月20日 | 外国ネタ
「諸外国と比べ、日本の女性は家事をしすぎです。このままでは、国が滅ぶといっても過言ではありません」
 
そう警鐘を鳴らすのは、翻訳家として海外事情に精通している佐光紀子さん。昨年11月に『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』を出版し、話題を集めているそうだ。


日本の場合は、夫が家事をしたがらないのと、妻の家事に対する意識が高すぎて手間をかけすぎるのが問題なのだそうだ。
 
社会が女性に期待するのは、育児と家事であり、その精神的負担が少子化の要因になっているとも主張しているようだ。
 
食事後の皿洗いについては、毎食後に食器を洗う人はアメリカでは8.3%、スウェーデンでは7.7%。それに対し、日本では55.5%(P&G調査)という驚きのデータもあるという。

 皿洗いは男の仕事?

とにかく、日本の女性はもっと家事をいい加減に済ませたらどうだ、と仰りたいらしい。欧米の女性を見習えと・・。

この記事が載っているのは、『女性自身』という週刊誌のようなので、これを読んだそそっかしい女性たちは、「あら、そうだったの。じゃあ、私も欧米風にしようかなあ。」と、早速実践することが予想される。

二十代の頃、私はアメリカの中産階級の一般家庭に3ヶ月ほどホームステイした経験があるが、その家の台所は当時の我家の台所の二倍くらいの広さで、まさにアメリカのテレビドラマで見た通りの、きれいな台所だった。

その時すぐにその理由が解かったのだが、料理といっても至極単純なもので、オーブンやレンジを使うレシピが多く、台所自体はそれほど汚れたりしないのだ。付け合せの野菜などは、電気缶切器で缶詰を開けて、ボウルや皿にに盛るだけ。

日本料理のように、煮る、焼く、蒸す、和える、揚げる、といったバラエティに富んだ工程はないのだ。

また、大きな自動皿洗い機があって、食後はその中に皿を並べるだけで、あとは機械まかせだった。

 皿洗いに抵抗は無いのだが

そもそも、毎食後に皿洗いするかしないかは、性別の問題でも機械化率の問題でもなく、きれい好き、清潔感の感度という感覚的なものなのではなかろうか。

私は、学生時代から社会人になって今日まで、自炊をして自分の食べるものは基本的に自分で料理した経験が、10年以上はある。従って、料理をすることも後片付けをすることもまったく苦にならない。むしろ好きな方だ。

それは、子供の頃から自分の母がやってきたことを見ていた所為かもしれない。

しかし、家事が女性の社会進出の妨げになったり、家事のやりすぎが日本を滅ぼすことになると言うのは、俄かに相槌をうつ気にはなれない。

負担を軽減する目的で、外国人家政婦に頼んだり、ベビーシッターに子育てを任せたりする方が余程この国をダメにするであろうと考える方が、私には自然であるがどうだろうか。





多すぎるコンビニ、早すぎるアマゾンpart 2

2018年01月19日 | 社会観察
私の住んでいる田舎街にもコンビニが現れて、早14~15年になるだろうか。

その当時は、自宅から車で10分ほどの圏内に確か2件ほどしかなかったと記憶する。なぜ当時を思い出せるかと言うと、愚息たちが高校生の頃コンビニであるバイトをしていたからである。

当時は、よく賞味期限切れのお弁当や、おむすびを家に持ち帰ってきたものだった。今では禁止されているようだが、当時はその辺りは店のオーナーの判断でそれが可能だった。

コンビニは確かに便利で、私も週に3~4回は立ち寄ってしまう。必ず買い物をするわけではなく、自家用車内でたまったゴミを捨てたり、週刊誌の気になる記事を立ち読みしたりすることが多い。

「家庭のゴミは持ち込むな」という表示がされている場合があったり、最近のコンビにではそれをやりにくくするために、わざと店内にゴミ箱を置く店舗設計にしているようだ。

週刊誌の立ち読みも、コンビニが全国に広まり始めた頃は、禁止するどころか、むしろそれを奨励していたと記憶する。それは、あえて立ち読み客を呼び込んで、店外から見て、客がたくさん入っている様子をアピールするためであったそうだ。

コンビニの新店舗はあっと言う間に完成する。いつも通っていた道に、忽然と新しいコンビニが現れて、驚く事がある。

  コンビニ、オープン間近の気配

実は、今日もそれを体験したのだった。

恐らくあと2~3日で開店するであろうコンビニ店内に荷物が運び込まれているところだった。「ハテ、以前ここには何があったんだっけ?」と思い出そうとしても、なかなか思い出せなかった。

その場所の数百メートル手前にも、そこから数百メートル先にも、コンビニがすでにあるのに、また新規コンビニを始めようとするなんて・・・。

コンビニとは、それほど儲かるモノなのだろうか?

私の愚息たちがあるバイトをしていた頃のコンビニと、現在のコンビニでは、その業務内容も客層も大幅に変化している。レジの周りには様々な商品が陳列され、狭い商品棚に並べられる多種多様な商品は、めまぐるしく新陳代謝を繰り返しているようだ。

  今日もどこかで新規オープン

公共料金の払い込みやら、通販の受け渡しやら、本部は何でもかんでも業務を増やしていくようだ。

台湾に旅行すると、台北市内のコンビニの多さにまず驚かされる。道を隔ててコンビニが向かい合って存在していることなど珍しくない。台北駅近くの予備校通りなどでは、店内でコンビニ弁当をがっつく若者が、どの店にもたくさんいる。

台湾のコンビニの商品と日本のそれとはほとんど差が無いどころか、むしろ台湾らしさを見つける方が難しいほどである。強いてあげれば、台湾では袋は有料で、『袋が欲しい』と言わない限り、店員はレジを売って金額を受け取るだけとなる。

従って、私は台湾旅行の際は、日本から使用済みコンビニ袋をいくつもバッグに小さくたたんで入れておくことにしている。

台湾スタイルを日本のコンビニも取り入れるべきだ。何でもかんでも袋に入れたがり、頼んでもいないのに、割り箸やお手拭きを入れたりする。しかも商品の温度によって袋を別にするようにしどうされているらしく、過剰包装もいい加減にして欲しいものだ。

アルバイトのなり手がなくて、都会ではアジア人の偽留学生を手当してしのいでいると聞く。いったい、そうまでしてコンビニを維持し続ける必要はあるのだろうか?

我々は、もう少し不便を経験した方がいいのではないだろうか?

おもてなしとお節介は、似て非なるものだと心得るべきであろう。

『 人が犬を噛めばニュースになる 』

2018年01月19日 | 社会観察
英国の[新聞王」と呼ばれた、アルフレッド・ハームズワース(Alfred・Harmsworth)の言葉を思い浮かべてしまった。


“When a dog bites a man, that is not news because it happens so often.
But if a man bites a dog, that is news.”


(犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになる)

誰もがどこかで聞いた言葉だろう。まさか!と驚く事件や事故は、報道価値が高くなるということなのだろうが、実際には、小説でも表せない様な出来事は世界のどこかで、よく発生しているものだ。

Yahoo ニュースを見ていても、この種のニュースに遭遇することは結構ある。

日本の長野県で起きた出来事もそうだった。


jiji.com のニュースから抜粋・・・。

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【北京時事】長野県の志賀高原を訪れスキーを楽しんでいた中国人男性が、滑落した日本人女性を救助した。

 男性はその結果、遭難して一晩雪山で過ごし、駆け付けた救援隊に助けられた。中国メディアは18日、両国友好を印象づける逸話として詳しく報じた。

 18日付の北京青年報によると、13日午後、志賀高原の横手山(2307メートル)でスキーをしていた李中大さん(64)=中国黒竜江省大慶市=が、コース脇の斜面下で助けを呼ぶ高齢の女性を救助。散乱したスキー板や眼鏡などを拾って渡した後、女性を別の日本人に引き渡した。ただ、李さん自身は自力でコースに戻ろうとしたが迷い、携帯電話の電波も届かなくなり遭難した。

 李さんは大木の空洞で一晩眠らず過ごし、保温のため2時間ごとに体を動かしたという。14日昼に助け出された際、軽い凍傷を負っていた。

 帰国した李さんは新華社通信に「日本の積極的な救援に感謝する」とコメント。在日本中国大使館は「勇敢な行動は称賛に値するが、旅行者は自身の安全にも注意して」と呼び掛けている。 

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 仲間の支那人は動画も撮っていた・・

64歳の李さんは一人でスキーをしていたのだろうか?

救助された高齢の日本人女性は、一人で下山したのだろうか?

時事通信の記事だけでは、不可解な点があったので、さらにこの事故に関する情報を検索してみた。



支那のネット情報サイトのレコードチャイナの記事を見ると、このニュースを更に詳しく伝えていた。そこで感じた疑問に関する要点を抜粋してみた。


●女性を発見した日本人スキーヤーたちは自力救助が難しいとみて、救助要請を出したうえでその場を立ち去った。その後、救助隊がやって来て女性を救助するのを見届け、李さんは現場を離れた。


●李さんは先に行った仲間を追い掛ける途中の分岐点で別の道を行ってしまう。どんどん谷底の林に進み、ついには携帯電話の信号も切れた。女性を救助した後に自身が遭難してしまったのだ。

●13日午後3時半ごろ、李さんと連絡が取れなくなった仲間が救助を要請。救助隊は夜まで捜索を行ったが李さんを見つけられず、翌日に持ち越しに。李さんは極寒のなかで一夜を過ごすことになったものの、遭難から21時間後の14日昼ごろにヘリコプターで無事救助された。

●スキー歴25年という李さんは「女性を助けに行ったのは本能だと思う。あんなに高齢の女性が倒れて動けないのを見て、多くを考えずに助けに向かった」「まさか(自分が)こんなに危険な目に遭うとは思わなかった」などと語っている。


時事通信の記事にある、『日中友好を印象付ける逸話・・・』というはしゃぎぶりは、はたして妥当なんだろうか?

スキーヤーが崖から落ちて救助を求めていたのを、通りかかった別のスキーヤーが身を挺して助け出した・・・。この程度なら、「犬が人間を噛んだ」レベルか。

ポイントは、日本人女性を救った「別のスキーヤー」が、実は支那人であった・・・ということか。

支那人観光客は、世界中でそのマナーの悪さで迷惑を振り撒いているのは、すでに何年も前から起きていることで、今や報道価値など皆無だろう。

それどころか、日本の正月の風物詩となった『福袋』商戦に、今年から支那人たちの大量買占めという新手の非常識行動が今年は報道されていた。

 福袋買占め#1

 福袋買占め#2

ちょっと前には、支那人技能実習生が広島県の仕事先の日本人9人を殺傷した悲惨な事件があった。(3名死亡、6名重症)

去年だったか、北海道の新千歳空港で支那人乗客たちが暴動をおこした。

  支那人の粗暴性!

こんな交通事故は、日本人ではまず起きないだろう。

  異様な粗暴性が分る

こんなことを調べていけば、枚挙に暇がない。

多くの日本人には、こういった支那人の凶悪さ、残酷さが刷り込まれているので、スキー場で支那人観光客が日本人スキーヤーを救助した・・などと知れば、『人が犬を噛みついた』クラスのニュース性を感ずることになるわけだ。

それにしても、64歳の李さんは、実に支那人らしくない。李さんを残してその場を立ち去った仲間の支那人たちこそ、実に支那人そのものだと、再認識させてくれたできごとだった。

李さんは「支那人の代表」たり得ませんから・・・。念のため

終わらない朝日虚偽報道の余波

2018年01月18日 | 政治ネタ
産経新聞は、フィリピンの首都マニラの名所に、日本軍占領下の慰安婦を象徴するフィリピン人女性像が設置された、と報じた。以下、記事より抜粋。

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日本軍占領下(1942~45年)の慰安婦を象徴するフィリピン人女性の像が、首都マニラに設置されたことが11日までに分かった。政府機関「フィリピン国家歴史委員会」が、現地の民間団体などの支援を得て建てたという。

フィリピン国内に慰安婦像が建てられたのは初めてとみられる。在フィリピン日本大使館はフィリピン政府へ抗議した。

像が設置されたのは、マニラ市のマニラ湾に面したロハス通り沿いのベイウォークと呼ばれる遊歩道上。夕日を眺める名所として観光客も多く、周辺にはフィリピン政府庁舎や、日本を含めた各国大使館がある。

政府機関「フィリピン国家歴史委員会」は学者らで構成され、歴史的建造物への碑文設置などを行う。ホームページに今月6日、慰安婦像の除幕式を8日に実施し、碑をマニラ市のエストラーダ市長(元大統領)に引き渡すと発表していた。

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マニラ湾近くの広場



ネットの産経ニュースは、この件で17日に続報を流している。以下抜粋。

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フィリピンを訪問した自民党の河井克行総裁外交特別補佐は17日夜、首都マニラでドゥテルテ大統領と会談し、昨年12月、マニラに日本軍占領下の慰安婦を象徴するフィリピン人女性像が設置されたことについて懸念を伝えた。

これに対しドゥテルテ氏は「しっかりとした措置をとる」との考えを表明した。

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目下、朝鮮半島はヒラマサ五輪の南北会談で連日ニュース番組トップに報道されるほどだが、正直言って、冬季オリンピックなどどうでもいいや、と言いたくなるほど南朝鮮の無法者ぶりには辟易させられる。

せめてもの救い、というか溜飲を下げてくれるのは、河野外務大臣の毅然とした南朝鮮の非常識に対する応接が、極めてまともでわかり易い事だ。

  がんばれ!河野

報道でも、【16日、カナダのバンクーバーで、河野大臣は、今月に韓国が新たに示した慰安婦問題に関する日韓合意の方針について、韓国側から説明を受けた。

河野大臣からは「韓国側が日本にさらなる措置を求めるのは全く受け入れられない」と再協議には応じない姿勢を示した。】とあり、南朝鮮の山姥(やまんば)のイチャモンを一蹴していた。

非常識極まりない彼らのゴネには、一々応対しない方がいいのだ。【誠意ある」応対をすると、前任者の岸田がしでかしたように、彼らのペースに巻き込まれて、後から取り返しのつかないことになってしまうのである。

 訳の分からん像であるが・・

さて、マニラの慰安婦像であるが、私は像そのものにも増して、碑文の内容に関心があった。それを読んだ人は、多くがその内容を何の疑念も持たず、信じ込んでしまうからだ。

そこで、碑文の画像から、その内容をGoogle 翻訳に訳してもらった。

 碑文はタガログ語

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Memorare

Ang bantayog na ito ay alaala sa mga pilipinang naging biktima ng pang-aabuso sa pilipinas noong panahon ng pananakop ng hapon(1942-1945).

Mahobang panahon ang lumipas bago sila tumestigo at nagbigay pahayag hinggil sa kanilang naranasan.



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[和訳]

メモリアル

この記念碑は、日本の占領(1942-1945)の間に虐待の犠牲者であったフィリピンの巡礼者の記念碑です。

彼女らが経験したことを証言するまでには長い時間が経過しました。

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「性奴隷」とか「従軍慰安婦」などというストレートな表現は見当たらないまでも、フィリピン女性が戦争中、日本軍に虐待されたという、像の趣旨は読めば解かる。

それもこれも、その発端は日本の全国紙の一つ、「朝日新聞」の意図的な虚偽報道であったことを考えると、そのしでかした事の重大さが改めて理解できる。

今や、この類の像は、南朝鮮の日本大使館前から始って、米国、豪州、カナダ、ドイツ そして、新たにフィリピンが加わったわけだ。

アメリカ在住の日本人、日系人たちは、これらの像とその碑文の内容のお陰で、子供は学校で苛められ、大人たちは小さくなって生活せざるを得なくなっているそうだ。その苦しみは、我々はほとんど知ることも無く、想像すらできない。

それもこれも、みな三十年以上前の朝日新聞の虚偽報道が発端であった。

2014年8月。ようやく朝日新聞は虚偽報道であったことを認め、記事を撤回したのだが、時すでに遅く、今も南朝鮮や支那勢力は、あの手この手で世界中にこういう像を建立し続けている。

恐らく、(朝日新聞にしてみれば喜ばしいのだろうが)ここまで深刻な事態に発展するとは、予想していなかったであろう。そして、初めのころから、明確な対応を講じてこなかった日本政府、外務省は、大きな責任を負うべきである。

火薬のにおいはしない。銃声も聞こえない。しかし、支那・朝鮮から仕掛けられている[歴史戦」は、ボディーブローのように日本のスタミナを奪っていくのである。
 

被害者より加害者。老人の交通事故

2018年01月17日 | 社会観察
老人の交通事故という場合、ちょっと前までは横断歩道での事故や、歩道で自転車との衝突などを連想したものだが、今では老人が加害者となるケースの方が多いのではないかと思いたくなるほど、老人の運転する自動車が起こした事故の発生が急増しているようだ。

 登校中の小学生の列に・・

私は自分の父親の運転する車の助手席に乗った時に、その異様さにハッとして以来、機会あるごとに新聞の読者欄への投稿や、ブログでその怖さを訴えてきたつもりだ。そして今日本のあちこちで、心配した通りの事故が発生している。先週も発生した。

以下、産経WESTの記事から・・・

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大阪府藤井寺市の路上で11日午後、女児(1)が乗用車にはねられて重傷を負った事故で、大阪府警羽曳野署は12日、自動車運転処罰法違反(無免許過失傷害)容疑で、同市藤ケ丘の無職の男(91)を逮捕した。「この時間に通ったことは間違いないが、人をひいた覚えはない」と供述している。

 逮捕容疑は11日午後、同市内を無免許で乗用車を運転し、女児をはねて頭の骨を折るなどの重傷を負わせたとしている。

 同署によると、黒岡容疑者は平成24年4月に免許を失効したが、その後も無免許で運転を続けていた。事故後、目撃者の証言などから現場近くの駐車場で乗用車を発見。車体に接触痕があったという。

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私の父親の場合も、免許証返納に関しては、かなり頑固に拒否して困らせた。仕方なくいつも足代わりに乗っていた軽トラックの鍵を隠して使えなくした。

その頃は、かなり体力も落ちていて、ボケてはいなかったが、時々奇妙な行動を起こして、家族を心配させることがあった。

例えば、車の鍵を捜し始めて、通常あるはずもない物置の道具箱の中や、下駄箱の隅々。トイレの中から、ひどい時には近所に聞きに行ったりしていた様だった。

やがて、内臓や肺の疾患が酷くなって入院、退院を繰り返して、挙句の果ては養護施設にお世話になることになっていくのだが、あの時もしそのまま見過ごして運転をしたい様にさせていたらどんな事故を起こしていたかを考えるだに、背筋が寒くなる。

車が無いと、病院にいけない、買い物に行けない、床屋に行けない、などという言い訳を素直に聞いていると、老人が加害者となる事故は急増し続けることは火を見るよりも明らかであろう。


八方塞がりの年だそうで・・・

2018年01月14日 | 趣味の世界
昨年末義母が他界したので、初詣は控えるべきなのかどうか考えたが、元来それほど信仰心は強い方ではなく、死んだらスイッチが切れてお終い。天国だの極楽だの黄泉の国だの、想像することすら出来ずにここまで生きてきたので、あと少しこの調子でいくつもりだ。

従って、先週の日曜日の早朝に、私は台北の龍山寺に参拝して、大日如来のお守りを買って帰ってきた。あれが戌年の初詣となったわけだ。

  パワースポット・台湾、龍山寺

雨がシトシト降っていたが、相変わらず早朝から地元の台北市民だけでなく、南朝鮮の観光客やら、日本の小ツアーの観光客で賑わっていた。

そして、一週間後の今日、今度は車で40分ほどのところにある神社に参拝してきた。正月も二週間経てば、初詣の人などいないだろうと思っていったのだが、とんでもない誤算だった。無料の駐車場は行列が出来ていて、10分ほど待たされた。

しかも、沿道には食べ物屋の出店が並んでいて、こういう雰囲気の沿道を歩くのは随分久しぶりのことだった。

  出店が並ぶ神社沿道

ひいたおみくじは中吉であったが、気になったのは、「今年の八方塞がりのひと」と大きく書かれた看板が鳥居の近くに立ててあって、その中に私も入っていたのを発見してしまったことだった。

こういうのは、知らないで過ごしてしまえばそれに越したことは無いのだが、知ってしまうと妙に気になるもの。帰りに少し大きめの厄払いのお守りでも買おうか、という気になる。

しかし、そうすると、まんまと神社側の「霊感商法」にまんまと乗せられたみたいなので、そこはサラッと無視して帰宅した。

神社では二礼、二拍手、一礼と参拝せよ、と表示がある。今日も見たのだが、よく二拍手の後、長いこと何かを祈っている方がいる。多分、願い事を延々と祈願しているのだろうが、私はいつもそれはしないことにしている。

これは単に私流のケジメに過ぎないのだが、お寺や墓前では両手を合わせて、心の中でいろいろと話しかける。自分の先祖たちに話しかけるのだ。

しかし、神社に参拝する時は、私は二拍手して、「来ましたよ!」と心の中で一言だけ言うに留めることにしている。いつもそれだけのことだ。

  厳粛な雰囲気がいい

高嶋易断を立ち読みしても、私の本年はあまり良い事が書かれていなかった。それはそれで、厳粛に受け止めて、一年を過ごそうと思うのだが、大抵三月頃になるとそんなことも忘れてしまって、春が過ぎ夏が来て、秋の気配を感ずる頃、残る暦はわずかになるものなのだ。

期待が大きいと、失望も大きくなる。

欲をかかずに、でしゃばらずに、腹を立てずにのんびりと一年を送る、というのが本年の私の計である。

白髪のバサバサ髪、ありゃファッションかい?

2018年01月10日 | 英語関連
いわゆる安保法案で世間が騒いでたとき、反日左翼の文化人として、マイクを握って街頭演説していたのを見たときは、「へぇーっ!あの落合恵子がねえ・・・」と本当に驚いたものだった。

落合恵子といえば、私が高校生で受験勉強にのめりこんでいた頃、確か文化放送の「セイ・ヤング」という深夜番組のパーソナリティーとして、人気を博していた美人アナウンサーだったからだ。

愛称は、「レモンちゃん」で、同じ番組にはみのもんたが、曜日は違ったが、パーソナリティーを担当していて、こちらも人気があった。

  文化放送のアイドル的DJだった

私は、いつもニッポン放送の「オールナイトニッポン」を贔屓にしていたので、「セイ・ヤング」はほとんど聴かなかったが、その後落合恵子は作家活動でも名前を売り出してきたのが記憶に残っている。

四十数年前は、受験生のアイドルだった落合恵子が、国会周辺の反政府デモや左翼の集会で髪を振り乱して政権批判をしていたのにも驚いたが、彼女の容姿を見たときは、最初は彼女だと判別できなかった。まるで、山姥(やまんば)だったからだ。

 山姥(やまんば)ヘアー

彼女は、私も以前住んでいた、今は餃子の街として有名になった北関東(南東北ではない!)の小都市で、自民党の政治家を父として、その妾の子として生まれたそうだ。

なぜ落合恵子を話題にするかと言うと、昨夜の南朝鮮の新外相が、例の日韓合意の件でイチャモンをつけている映像をニュースで見たからだった。

反射的にその映像から、落合恵子の山姥ヘアーを連想したのだった。

  新外相も山姥ヘアー

日韓合意に対する南朝鮮のイチャモンなど論評する気にもならないので、どうでも良かったが、新外相のヘアースタイルは、ちょっとおぞましいものだった。孫娘が見たら、きっとその晩、夢に出てきて夜泣きするだろう。

敢えて白髪をそめようとはせず、意図的に放っておき、バサバサの状態にしているのは今の流行なのだろうか?

私には、どう見ても水木しげるの描く妖怪のようにしか写らないのだが・・・。

この御仁、確かちょっと前にも何用だったか知らないが、来日して我らが河野太郎・新外相と話をして帰ったようだ。

あちらの老婆の評価などどうでもいいが、河野新外相は期待できそうだ。

いや、前任者の岸田がまるっきり役立たずであったので、そのお陰で南朝鮮や支那からは足元を見られて、いいように言いくるめられてきたが、河野太郎はどうも一味違うようだ。自分の親父が、とんでもない売国奴なので、その汚名を挽回するつもりなのか。

  妖怪と握手する河野太郎

おぞましい髪型にひるむことなく、毅然とした態度で、外交に取り組んで欲しい。

それにしても、あの山姥ヘアーがこれ以上流行しないことを、私は切に、切に願う!

カヌー、薬物混入。増田明美の場合。

2018年01月10日 | 社会観察
昨日の夕方、台北の旅で撮った写真の整理をしていた時、背中から聞こえてきたテレビのニュースの声に、引っ掛かった。

その声は、元マラソン選手の増田明美の声で、何かについての解説をしていたようだった。手を止めて、背中の方から聞こえてくる声に集中すると、「・・・だから、今の選手たちは自分たちの飲み物の管理には相当神経を使ってるようですよ・・・」

  増田明美さん

何のことなのかはその時は理解できなかったが、その後の夜のニュースで盛んに報道されていた、カヌー選手の犯した同僚選手への悪質な妨害行為を知った。

そして、夕方聞こえた増田明美のコメントは、この事件に対するコメントを求められたのに対して応えたものであったと理解した。

カヌー・スプリント選手、鈴木康大がライバルの小松正冶の飲み物に、ドーピングに引っ掛かる禁止薬物を混入させたり、競技用の道具を細工したり、盗んだりする極めて悪質な妨害行為は、聞くだに胃液が逆流しそうになる事件である。

  鈴木康大選手

この選手の飲み物に薬物を混入する、という点で、陸上競技の場合はどうなのか?とテレビ番組で、マラソン解説者の増田明美に聞いたのだろう。

それで、多分彼女は、陸上の場合でもドーピング検査は厳しくなっているので、選手それぞれが神経を使って自分の飲み物を管理しているようだ、と応えていたのだと私は察した。

同時に、「うん??待てよ・・」と私は首をかしげた。

というのは、増田明美が選手時代に、ライバルの同僚選手を陥れるため、こんなことをしたんだと、何かで打ち明けていたのを読んだ記憶があったからだ。

私は、早速インターネットでこれを検索してみた。そして、難なくその根拠となる記事を発見する事ができた。

それは、作家・林真理子氏と増田明美との対談の記事だった。(2017, 5.30 週刊朝日記事より)

以下、抜粋する・・・。

* * *

林:増田さんは、千葉の成田高校陸上部のとき、監督の自宅に下宿していたんですよね。同い年のライバルの子との同居生活が、すごくつらかったとか。

増田:ライバルがふすま一枚隔てて隣にいるんですからね。住み始めるまで知らなかった。同じ屋根の下に、同じ種目の、しかも力が同じぐらいのライバルと同居するなんて。

林:そうなんですか。

増田:同居していたのは樋口葉子さんという選手ですが、私はすごく負けず嫌いだったので、葉子に負けたくないといつも思っていて。

1週間後に試合というときに、彼女の練習タイムのほうがよかったりすると、この1週間で葉子を太らせようと思って、彼女のごはん茶碗にギュウギュウ詰め込んだり、朝練習に遅刻させようと思って時計を遅らせたり。

林:まあ! それって少女漫画みたいじゃないですか(笑)。

* * *
(下線は、孫ふたり)

ケラケラ可笑しそうに話していたようだが、この腹黒さは読んだとき反吐が出そうだった。どうも、私はこれがきっかけで彼女が嫌いになったのかもしれない・・・。

 負けず嫌いですから・・

あれだけ、コンプライアンス、コンプライアンスと馬鹿の一つ覚えのように連呼していた、日本の製造業での信じがたい品質管理や不正行為が発覚し、一体何が起きているのかと思っていたら、今度はフェアプレーが信条のアマチュアスポーツ界での事件だ。

大袈裟かもしれないが、確固たる日本の信用度が急降下しているようだ。

もしそうだとしたら、急降下を止めるには、思い切った頑丈な防護壁でそれを防ぐ必要があるのではないか。

カヌー選手の件も、自首したから情状酌量を、などと言ってる場合ではない。ましてや、スポーツ解説者が自分の過去をオチャラケで披露している場合ではない。