孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

長老がそう言うから・・。

2018年12月31日 | 社会観察
親類との付き合いを父から引き継いだのは、多分20年ほど前だったと思うが、何せ私の父は10人兄弟の9番目だったため、私の従兄弟は50人近かったようだ。(正直言って、今でも全員の名前と顔は一致しない)

従って、私が親戚づきあいを父から引き継いだ当初は、法事などに参列しても誰がどこのどういう関係の方なのか、さっぱり分からず困ったものだった。

突然、後ろから肩を小突かれて、「よう!久しぶりだな。今何やってんだ?」と話しかけられても、その方が誰なのかまったく記憶に無く、「はあ・・まあ相変わらずですよ・・。」などと、曖昧な返事をしてその場をしのぐのが精一杯だった。


多いときには、葬式や法事が立て続けにあって、あちこちの市町に散らばっている親戚の家にたどり着くのさえ、非常に苦労したものだった。

そんな時興味深かったことの一つに、その地区ごとの風習やしきたりがこうまで異なるものなのか、そして、葬儀のような親類縁者の集まる場では、いわゆる「長老」挌の人に、しきたりを確認しながら事を進めるものなのだ、ということだった。

当事者が、やり方が分からずオロオロしていると、大抵長老がお出ましになって、「それはああだ、これはこうだ」と指図していた。特にその指図に異論を挟む人も出ずに、その長老もまんざらではないという表情でその場を仕切っていた。



しかし、一度葬儀で自宅から出棺のため、そのお宅へ朝早く出向いたときのことだった。

 田舎は自宅での通夜が多い

葬儀社の方の指示に従って、鼻を棺桶に順番に入れていき、蓋をして釘を打ち、親類の男手8人ほどで棺桶を持ち上げ、出棺となったときのことだった。

その場にいた親類の長老挌の方が、「出す時は足の方からじゃなくて頭からだぞ。」と、念を押した。私は、「へぇー、そういうしきたりなのか。」と思った。

しかし、外に運び出されて霊柩車に載せられるときは、葬儀社の方が、「すみませんが、足の方から載せてください」と小声で指図していたのが気になった。

間もなくして、別の町の親戚の葬儀出棺に立ち会った時は、出棺も霊柩車へも足の方からだったので、あの時の長老の指図はなんだったんだ?と疑問に感jた。



また、勤め先の同僚の祖父が他界した際に、通夜に焼香に行った時のこと。

ご遺体が寝かされている和室に案内され、その様子を観たとき、私は「なにこれ?」と思わずにはいられなかった。その布団の位置は、部屋の畳や壁に平行ではなく、奇妙に斜めの位置であったのだ。

そう感じたのは、私だけでなく、一緒に通夜に出向いた同僚たちも、帰路口々に不思議がっていたが、恐らく「北枕」を意識してのことだろう、という結論に達した。

「北枕」。つまり、死者は、頭を北の方角に向けるものなのだそうだ。

 真北でなくてもいいんじゃない?

これも、多分親戚の長老が、口を挟んだ結果だったのかもしれない。

一般的に「地区の長老」は、経験も知識も豊富なので、若輩者や余所から来た人は、とりあえず長老の言うことに従わざるを得ないもののようである。

私は、疑問を抱くとすぐにでもそれを解消したくなる性分なので、遠慮せずにそういう場合は、歳を重ねた長老に聞くことにしている。

例えば、数年前に秋祭の当番になった際も、しめ縄に挟む和紙はなんと呼ぶのか?とか、そもそもしめ縄とは何でこういうデザインなのか?とか聞いてみたが、「さあ?知らんなあ」とか、「そんなの考えたことも無いなあ」と返事は素っ気無かった。


私は、地区や親類の長老を責めるつもりなど毛頭ないが、意外と長老の経験や知識には普遍性や一貫性が伴わないことがある。

それは、日本の文化や風習を調べていても感ずることで、よく目にするのは、「これにはいくつか説があって・・・」とか、「地方によっても解釈は違うが・・・」という前置きである。

マア、それは当然のことだとしても、何でも感でも言われたままに長老の言うことを何の疑問も挟まず盲信してしまう姿勢は、果たして如何なものかと私は感じてしまうのである。


外国語表記は英語のみでよい。

2018年12月22日 | 社会観察
以前、富士山の山開きに合わせて、外国人登山客の登山指導のアルバイトをやったことを、このブログでも取り上げたが、その際、五合目に掲げられた登山客向けの様々な掲示板に、強い違和感を持ち、役人のやることはどうもピントがずれてると感じたものだった。

掲示板には、駐車場に関する注意事項とか、環境保護に関することとか、もちろん登山道の案内などもあったが、感じた違和感とはその内容ではなく、外国語での表記であった。

 外国語は英語だけでいい

日本語は当然、その下には英語、支那語(繁体字、簡体字)朝鮮語で書かれていて、自ずから看板の大きさは非常に大きなものになっていた。

一口に「外国人」と言っても、6~7割は支那・朝鮮人であるから、表示が必要だろうと考えたが、明らかに異様な看板に写った。

 ここまで必要ですか?

それぞれの言語で書かれた小冊子が、案内所に無料で置かれていたので、それ一冊を読めば情報は充分伝わるはずであった。確か、小冊子にはポルトガル語版もあった。

役人に限らず、我々日本人は、外国人には滅法弱い。特に英語を話す西洋人には、多くの日本人が、気後れしたようになって、萎縮し、及び腰になるように見えるが、それはさて置き、外国人なら何でもウェルカムというところがないだろうか。

以前、確か宮城県のどこかだったと記憶しているが、その町全体で災害時の避難訓練をした時のニュース報道で耳にしたことに、少し驚いた事があった。

それは、避難訓練の陣頭指揮を執った方のインタビューでの話だった。

彼は、炊き出しをやって見て気がついたが、この地区にもイスラム教徒の方が何人か居住しているが、貯蔵している非常食には、そういう方用の非常食が無かったので、揃えておいた方がいいのかな、と思った、そうだ。

何とナイーブな方たちなんだろう、とその純粋無垢さに半分呆れた。


掲示板だけではないが、英語以外の外国語表記に対する不満を抱く方は以外に多いようだ。

 この動き、賛成!


政府は、慌てて安い外国人労働者を大量に日本に入れようとしているが、目先だけを見据えた応急処置過ぎて、この影響は五年十年先にジワジワ目に付き始め、やがて深刻な社会問題になるのは、間違いないであろう。

野党は、一見反対しているように見えるが、本心は外国人にはドンドン来て欲しい。しかも彼らには日本人と同じように、差別・区別なく扱って、気分よくお仕事をして頂いて欲しいというところだろう。

反日野党の魂胆は、地方に外国人が根付いて、やがて参政権も与えて、野党を支持する有権者に育てることで共通している。


遠慮せずに日本に来てください。私たちは心からオモテナシします。合掌。

そもそも、アレは日本的じゃなかった。あんなのは、嘘っぱちだったじゃないか。私たち、日本文化にはあんな所作はありません。

  そもそもこれが変だった。こんなの日本人の所作じゃない。






柚子はゆずでも「ゆずれない」

2018年12月16日 | 社会観察
下の画像。

羽生選手と並んでる女性は、私の好きな秋田犬「マサル」のご主人、ザギトワに似てるけど本人ですか? よく似てるけど・・・

  ザギトワみたいだけど・・



・・と、ちょっとボケてみました。

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実は右側は、ものまねタレントの羽生ゆずれないさん(23)なんですが、最近週刊誌ネタに関わったとかで、本物の羽生結弦選手の熱狂的ファンから、ゆづ様のイメージダウンになるから、とツイッターなどで怒りの集中砲火を浴びて炎上状態となっているそうだ。


「大変失礼ですが芸名変えて頂けませんか?」

「風評被害を受けるであろう羽生さんへの謝罪はないのですね、こちらが一番残念です」

「私達の大切な選手の名前を使うのはやめて下さい 不愉快です」

「その芸名を即刻変えてください!」

実情は、どうも言いがかりで、本人は事実無根だと弁解しているようですが、狂信的なオバサンファンは、きっと気が狂わんばかりに怒っているのでしょう。

 ゆずるなよ!

あまり、こういうマニアックなファンたちの言いがかりには素直に対応せず、本当に無実なら、さらりと聞き流していればいいんじゃないでしょうか?

例えば、ツイッターで、こう呟けば?


「えっ? 芸名を変えろですって? 勘弁してください。それだけは、絶対に『ゆずれません』」


警察官に品格を期待するな。

2018年12月15日 | 社会観察
もう7年ほど前になるだろうか、私はその夏の2ヶ月を富士山五合目で過ごした事がある。


富士山には登山ルートが、全部で以下の4つある。

吉田ルート :富士スバルライン五合目(山梨)
須走ルート :須走口五合目(静岡)
御殿場ルート:御殿場口新五合目(静岡)
富士宮ルート:富士宮口五合目(静岡)

この中の富士宮口五合目にて、私は外国からくる登山客たちに登山指導と観光案内をするアルバイトをしたのだった。その時の雇用主は、富士宮市観光協会であったが、予算は静岡県が負担していたようだった。

日当が3万円という破格の求人だったので、私は電話で業務はいわゆる山岳ガイドなのかを確認したほどだったが、返事はそうではなく、主として装備や服装、日程の確認と指導ということで、登山ガイドではなかった。

日本人担当が6名ほど、外国人担当が4名くらいだった。

山開きから夏山シーズンの約2ヶ月間、毎日登山客が押しかけるわけではなく、主に週末と盆休みに集中するので、普段は退屈で死にそうなくらいの時が多かった。

当時は五合目まで自家用車で乗入れる事が出来たので、特に盆休みの週末などは、駐車スペースが足りなくて、それに絡む様々なトラブルが連発して大変であった。

そのために、富士宮警察署は五合目に臨時派出所を設置して、登山シーズンの日中は常時2名の警官を配置していた。

 矢印は山岳救助隊員

我々の勤務時間は8時~17時だったが、臨時派出所勤務のおまわりさんたち2名は、いつもパトカーで9時頃来て16時には山を降りていった。

富士宮市内の交番勤務のおまわりさんが、毎日日替わり交替でやって来ていた。

みなさん30歳前後のまだ初々しさの残る若者たちであった。登山客が多い日は、落し物を届けてくる人や、逆に落し物をしてしまった人が詰め所に駆け込んできて、その対応で急がしそうであったが、普段は我々と同じ手持ち無沙汰で退屈そうにしていた。

 交番勤務の警官

盆休みが始って登山客が増え始めた頃だった。

詰め所に到着したおまわりさん二人は、奥の六畳間の部屋に入って障子を閉め、小声で何か世間話でもしているようだった。詰め所前を通って登山口の石段にむかう人が徐々に増え始めてきた。

40分経っても、50分経っても二人のおまわりさんは奥の和室から出てくる気配がなかった。我々の仲間たちからは「あの二人、一体何しに来てるんだ?」と二人の警官に対して疑問の声が出始めた。

私は我慢できずに障子を開けて、「すみません、あなた方は一体ここに篭って何してらっしゃるんですか?登山客もかなり増えてきてますので、表に出て巡回していただけませんか?その警官の制服がいろいろ抑止効果を発揮すると思いますよ。」と言った。

二人は、私の言葉にムッとした顔をして、「巡回は10時と14時の二度することになってるんだよ。」うるさいなあ・・と言わんばかりであった。

平気でたばこの吸殻やゴミを陰に捨てていく登山者や、中には置き引き被害にあった登山客もいて、夏山に集う人は皆言い人ばかりではない。

制服制帽をまとった警察官が巡回しているだけでも、そういう軽犯罪の抑止効果はかなりあるはずだった。

奥の二人は10時少し過ぎた頃出てきて、土産物屋の方へ巡回を始めた。

相談に来る登山客の応接などを詰め所内で順調にこなしていたようなおまわりさんたちであったが、我々が目をむく様な信じられない光景を見たのは、お昼時のことだった。

登山者の往来もひと段落した頃、詰め所入口にある机に向かって何かを記録していたおまわりさんの一人が、昼食用のコンビニ弁当を食べ始めた時だった。

彼は、コンビニで買ってきたであろう週刊誌を取り出して、それを眺めながら食事していた。問題は彼が弁当を食べながら横目で見ていた週刊誌であるが、毎週、暴力団の特集が売り物の週刊誌で、何か彼の年代には不釣合いだった。

職業柄そういう情報を仕入れるためにその手の週刊誌を読みたがるのかどうかは分からなかったが、彼は特に周りを憚ることなく、グラビアの女性の裸の写真を食い入るように見ていたのだった。

詰め所入口の机でそれをやっていたので、女性登山客が天気予報の確認に出入りすることも多く、我々は彼の神経を疑った。同僚のおまわりさんはそれを見てみない素振りで無関心を装っていた。


こういう経験をしていた私は、先日のニュース。

8月の大坂冨田林署で弁護士と接見後、留置場を逃亡して世間を騒がせた事件の際、その時の巡査部長が私物のスマホでアダルト動画を鑑賞していた事が判明した、と聞かされても、「ああ、あり得るだろうな・・・」と、私は大して驚かなかった。

その巡査部長は40分もの間、アダルト動画を楽しんでいたことで減給の懲戒処分を受けたそうだが、きっと普段からやってたことで、反省するのも束の間のことだろう。

私は、偉ぶってこういう警察官たちを非難するつもりは毛頭ない。

ただ言いたいのは、『警察官に品格を求めてはいけないですよ。』

この一言です。

「開発速度」と「問題意識の持ち方」雑感

2018年12月15日 | 社会観察
職場では、日本経済新聞が読めるので、毎日昼休みに目を通すのが楽しみだ。

最近の若者は、ほとんど新聞など読まないようで、職場でも新聞を読む者など私を含めてほんの数人のようだ。

いささか旧聞に属するかもしれないが、12月5日の日経新聞に出ていた記事には呆れてしまった。電子版で検索したら、見つかったので改めて読み直してみた。

以下、『』内は日本経済新聞電子版(2018/12/5 13:30)より抜粋。

・・・・・・・・・・・

『トヨタ自動車とダイハツ工業は5日、アクセルとブレーキの踏み間違いなどによる事故を防ぐ後付けの安全装置を発売した。75歳以上の運転免許保有者は国内で500万人を超え、高齢ドライバーへの対応が重要性を増している。』


『トヨタグループのアイシン精機が高齢者向けライドシェア(相乗り)サービスの実証実験に乗り出すなど車関連各社はシニア層のニーズを取り込もうとしている。』

なんとも世界のトヨタは、さすがにご対応の速いことで、と嫌味の一つも呟きたくなる記事だった。

不肖私が、このブログで老人ドライバーがいかに危険かを取り上げたのは、確か3年前のことだったと思う。それも、一度や二度ではない。Yahoo で【孫ふたり 老人ドライバー】で検索すれば、ブログに簡単にヒットするはずだ。





減少しているとはいえ、今でも年間数千人の人が交通事故で死んでいる。ちょっと前までは、年間1万人以上であったから、2年間で私の住む町の住民が一人残らず死んでいたことになる状況だった。



『交通事故総合分析センターの統計によると、ブレーキとアクセルの踏み間違いによる事故は減少傾向にある。それでも17年には4722件の事故が発生した。ペダルの踏み間違いによる事故は75歳以上のドライバーが起こしやすいという。』



コンビニなどは、自ら店の前面に頑丈な鉄製の車止めを設置しているほどで、状況は大して変っていないとみるべきだろう。

自動ブレーキが普及しているようでも、高齢者の運転する自動車がみなその安全装置を備えているわけではないし、その自動ブレーキ自体の性能にも、各社ばらつきがあるそうだ。

何よりも、老人ドライバー自身の心身は、健康そうに見えても、日に日に劣化しているのは間違いないことを忘れてはならない。



このたび、「満を持して」トヨタ(ダイハツもトヨタの子会社)が売り出した安全装置とは、いったいどんな装置なのだろうか?記事は紹介していた。


『トヨタが売り出した安全装置は障害物が近くにある状態で強くアクセルを踏むとブザーが鳴り、急発進を防ぐ。』

『車の前後に超音波センサーを2個ずつ設置。近くに障害物があるときにアクセルを踏み込むと、車内に設置した表示機が警告を表示し、ブザーが鳴る。さらに強く踏むと加速を抑える。』

一体、効果が期待できるのか出来ないのか、正直よく理解できないのだが、自動ブレーキが出始めの頃、よくテレビCMではその効果を映像でアピールしていた。今回の安全装置の効果を紹介するテレビCMは合っただろうか?

新車の多くには自動ブレーキが搭載されているこのご時世に、「踏み間違い防止の安全装置」を今頃売り出すトヨタの「問題意識」は、どうも理解し難いのである。

しかも、新車に標準装備する予定などなさそうで、あくまでも「後付け」。取り付け工賃込みで、価格は6万円前後するそうだ。(取り付け時間は約3時間)

トヨタを始めとする自動車メーカー各社は、自動運転、カーシェアリング、電気自動車など、めまぐるしい開発競争の真っ只中にあることは理解できる。

しかも、自動車産業は日本の基幹産業であることも充分理解できる。しかし・・

根本的に自分たちが人の命を奪う、非常に危険な乗り物を作っているということを忘れてはいませんか? 事故は運転者が引き起こすものだと考えていませんか?

やがて人工知能が制御する自動運転になれば、この世から交通事故などなくなると、本気で思ってるんでしょうか?


「踏み間違い防止の安全装置」など、問題を直視して早急に取り組めば、もっともっと早い段階で『改善』が可能だったんじゃないでしょうか。


高齢化社会先進国のトップメーカーとしての問題意識の持ち方には、疑問を感じざるを得ません。必死の取り組みの結果、この時期の発表となったとすれば、その開発スピードと技術力に別の疑問を感じてしまいます。

そこまで媚びるか?モスレム用男女礼拝室

2018年12月08日 | 社会観察
近くの、富士山静岡空港のターミナルビルが改修工事を終了したと聞いて、ちょっと覗いてきた。

来年の4月から、空港事業をすべて民間に任せるようになるそうで、これまで県民の税金で補填してきた毎年数億円の赤字を、ゼロにするように大きな期待がかけられている。

 リニューアル完了?

こじゃれたフードコートなるものが2階にできて、蕎麦、ラーメン、餃子などがオープンしていた。少し遅れて、パスタの店も加わるのだそうだ。

1階の端にはコンビニ(セブン・イレブン)も営業開始していたが、こちらは営業時間が、6:40 ~ 22:00 だそうだ。ドラッグストアのマツモトキヨシも近々オープンするそうなので、しばらくは空港近隣の田舎者たちの人気スポットになることだろう。

ただ、そうなると予想されるのが大駐車場の有料化である。もはや、そうなることは必至で、いつからそうなるかが関心の的になる。

今日私がのこのこ出かけていったのは、今度新しくできた、イスラム教徒向けの男女礼拝室を見るためであった。もうかなり前から、県知事がしょっちゅう口にしていたことで、礼拝室だけでなく、いずれイスラム教徒用のレストランも併設するようである。

1階の案内所で、その礼拝室の場所を尋ねると、見た目は日本人のようだが、奇妙なアクセントの日本語を話す、多分支那人の婦人が、2階に上がれば案内板があります、と教えてくれた。

  4畳程の小部屋

土産物屋の反対側の奥に、男女別の小部屋が二つあった。ドアを開けると右側に、犬が散歩から帰ってきて足を洗うような感じで、水道と椅子が備えられていたが、あとは何も無いただの小部屋であった。

床には、メッカの方角を示すマークらしきものが縫い付けられていた。

  メッカはこちら


現在、この空港からイスラム教徒がたくさんいる国への定期便などは無い。ただインドネシアなどから来静するイスラム教徒は増えていると、県知事は以前言っていた。

あるいは、民間に経営母体が移ってから積極的に営業活動をしやすくする、という思惑があるのかもしれない。いずれにしろ、イスラム教徒向けの、専用食を提供するレストランを併設するというのだから、単なる思い付きではなかろう。

確か、ハラールと呼ばれるイスラム教で定めた通りの食材で料理したものを提供するレストランを考えているようだ。

良く知られているのは、イスラム教徒は豚肉を食べない。牛肉や鶏肉にしても、その頃仕方も、メッカの方を向いて「アッラーは偉大なり」と言ってから首を切って血を抜く、などしち面倒くさい決まりがあるようだ。

さらに、その後も肉の輸送や保管にも細かな決まりがあるようで、すべての管理された食材には特定のロゴマークがついているようだ。

以前、何かの番組で、ラーメン関連のお笑いネタを披露していたタレントがいた。

彼曰く、、、

池袋だったか、やたらと外人が集まるラーメン屋があって、聞いてみるとみんな中近東からきている人たちだった。だけど、そのラーメン店は、九州ラーメン専門で、つまり【とんこつラーメン】なんですよ。(笑)

それを聞いてみると、彼らは、「ダイジョーブ。神さまミテナイ。ココ、ジャパンでしょ?」だとさ。(笑)

牛や鶏にしても、解体の仕方だけでなく、そういう家畜の餌までがハラールであるか問われるというから、もう面倒臭くて聞くだけで嫌になってしまうほどだ。

『媚びる』とは、(相手にへつらって、こちらに気を向かせて取り入ること)、と辞書には出ていた。

そこまで媚びてまで、イスラム教徒たちに旅行に来て欲しいなどとは、考えたくも無いのだが、現県知事のような、いわゆる反日リベラルの脳味噌は、ちょっと普通とは違うのかもれない。

「ハラキリ」 と 「ギロチン」

2018年12月02日 | 社会観察
Mr.ビーンも目を向いて驚いた日産Mr.ゴーンの逮捕で、焦りにあせっているのが、おフランス大統領のMr.マクロンのようだ。

この方の名前は、エマヌエルというそうだが、この名前は綴りがちょっと違うだけの男女共通の名前のようである。日本にも、「飛鳥(あすか)」とか「忍(しのぶ)」とか、男女共通の名前がたくさんあって、時々紛らわしい事がある。

エマヌエル・マクロンという名前を最初聞いたときの私の脳味噌は、瞬間的に大きな背もたれの籐の椅子に座った妖艶な「エマヌエル夫人」の姿を連想してしまった。

 どっちもエマヌエル

同時に、あれは多感な学生時代だったが、シルビア・クリステル主演の「エマヌエル夫人」が封切られた映画館に、長蛇の列が出来ているのを見て、しかもその大半が若い女性だったので、一体どんな映画なのかと不思議に思った記憶が蘇った。


さて、エマヌエル・マクロン大統領。

折よく、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催されたG20サミットで、安倍首相と会うチャンスを捉えて、会談の要請をしたようだ。話題はもちろん、ゴーン氏逮捕に関連した、日産・三菱・ルノーの今後のことだった。

ルノーはちょっと前まで、おフランスの国営企業で、今でも15%の株式を保有する筆頭株主なのである。当然、エマヌエル大統領は焦っていただろう。

報道によると、両首脳は15分間会談したそうだ。挨拶や通訳の時間を含んだ15分というのは、「ほんの立ち話」レベルでしかないということが理解できる。

安倍首相は、『3社連合を「日仏産業協力の象徴」と評価しつつ、「今後のアライアンス(提携)のあり方は政府がコミット(関与)するものではない。当事者の納得いく形で議論が建設的に進むことを期待する」と述べた』だけだったそうだ。


日本人は、外国人、特に白人にはコンプレックスがあるのか、どうも自分たちよりも優秀で、見習うべき存在であると考えているのではないか、と思いたくなる時がよくある。

何かと言うと、すぐマスゴミは外国の反応を報道したがるし、特にユネスコがどうしたこうしたというと、何の疑念も抱かず盲信してひれ伏してしまう。

それに、いくら楽しけりゃいいじゃん、と言われようが、地球の裏側の古代ケルト人のお祭りを真似して、馬鹿騒ぎしたがるのか、まったく私には理解できない。

中でも、おフランスというと日本人は、センスといい文化といい、自分達よりは優れた人種だと勘違いして、しきりに真似したがる傾向があるようだ。

最近はそれほど大袈裟に伝えられなくなったが、おフランスの赤ワインの新酒の馬鹿騒ぎ。ハッピー・ボジョレー?あれなに? 

 皆さん、垢抜けてます!


欧米列強国が、先を競って植民地獲得に精を出していた日本の幕末時代に、おフランスも彼らにとってまったく未知の国・日本にやってきた。当時の欧米には、オランダ経由の情報で、日本文化のことは新聞・雑誌にて比較的知れ渡っていたようだ。

中でも、欧米にはなかった「切腹」は、特別に彼らの目を引いたそうだ。当時の『ジャーナリズム向け、簡単うんちく辞典』の中の「日本人」の項目には、「日本人とは、最も些細な口実で、自分の腹部を切り開く人間」と記述されていた。

日本の元号が、「明治」に変わった頃、おフランスの週刊挿絵新聞「イリュストラシオン」に【パリの日本人】という題で、切腹に関するコラムが掲載されていた。

そ之内容を要約すると・・・。

「日本に行った外国人たちが、農民らに、自分の腹を切り開いて見せてくれるように頼んだら、自分たちはそのような高貴な身分ではないので、できないと悲しげに言われた」、というものだったそうだ。

その後も、おフランス最古の新聞「ル・フィガロ」なども、折に触れ切腹に関連した記事を掲載するが、その社会的・文化的背景は理解されず、単に物珍しさからの記事に留まっていた。

しかし、同じ頃多発した開国に反対する尊皇攘夷運動下の外国人襲撃事件は、彼らにとって衝撃的で、この辺りから、「切腹」に代わって「ハラキリ」という表現が始ったらしい。

例えば、おフランス人水兵11人が殺害された堺事件の結末で、それに関わった者たちが次々と切腹していく場面に立ち会ったおフランス軍艦長は、殺害されたおフランス人水兵と同じ数に達したところで、堪らずに制止したという。

おフランスは、同じ頃、万国博覧会などで目にする、日本の文化・美術・工芸品に強い好意を示しつつも、「忠臣蔵」での「ハラキリ」に関する出版物もいろいろあったようで、やはり異質な文化としての関心は持ち続けていた。

異質といえば、視点を我々の側にあちらを見れば、明治維新の80年も前に起きたご自慢のフランス革命において、受刑者の苦痛を和らげる人道目的で採用された、「ギロチン」があるではないか。

 苦痛を和らげる?

  コンコルド広場


  断頭台へ・・

ルイ16世と共にマリー・アントワネットも、コンコルド広場でギロチンによって処刑された。集まった民衆は、子供も大人もみな狂喜したそうだ。

マリー・アントワネットと言えば、フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と発言したという逸話が有名だが、私はこの話を耳にするたびに、「仁徳天皇の民のかまど」の話を思い出す。


さて、エマヌエル・マクロン大統領はご自身の支持率も芳しくないようだが、それ以上に思惑が外れて、自国の利益が損なわれそうな危機感で、外聞など気にせずに動いているようだ。

おフランスという国は、フランス革命以降、アフリカ・アジアに植民地を築いて、やりたい放題の非道をし尽くしてきた歴史があり、そうはさせじと闘いを挑んだ日本には、今でも心の底には怨念を抱いているはずだ。

そういう歴史的な事実を念頭に置いて、外交を考えるかどうかで、対応は大きく変わってくるはずだ。異文化コミュニケーションとは、常にこの姿勢が必要ではないか。

西洋人と見れば、反射的に寝転がって無抵抗に腹を見せる、子犬のような対応は、絶対にとってはならない。

おフランスの反日ぶりの一端は、次回のブログで取り上げたいと思います。


それでは、遅ればせながら、お上品なおフランス風に、 ハッピー ボジョレー!!




経団連がこの国の将来を考えていると思う?

2018年12月01日 | 社会観察
大金持ちの日産元会長、カルロス・ゴーン氏が逮捕されて、しかも10日まで拘留延長が決まったとあって、「ふん、いい気味だ。」と溜飲を下げた方もさぞかし多いことだろう。

海外からは日本の司法制度に対する批判が殺到しているようで、すでに国内の報道各社も伝えているように、ゴーン氏が日本で置かれている状況を、仏有力紙「フィガロ」「ル・モンド」などが一斉に批判したのだ。

考えてみれば、ゴーン氏は日本の企業の会長だったのだから、日本の制度に則って取調べを受けていることに、とやかく言う方がおかしい。それを、うろたえて報道する日本のマスゴミの方が、どうかしているとしか言えないだろう。

以前、シンガポールで、十代の少年が車にペンキで落書きをした時は、シンガポールの法律に従って、2ヶ月の禁固刑と2回の鞭打ち刑が科された。アメリカだけでなく世界中から、野蛮ではないかと非難されたが、執行されたのは有名な話だ。

 ビーンもびっくりゴーンが逮捕


どうせ今頃、おフランス国内では、日本人はやっぱり異常な人種だ、野蛮だ、人でなしだ、などなど、官民挙げて反日ムードを煽っているのだろう。

ゴーン氏が悪いのか悪くないのか、まだ分からないが、少なくとも日本の検察は、日本のマスゴミを含めた、外野の雑音に耳を傾けることは、しないで欲しいものだ。

それよりも、恐らく世界一お人よしの日本人は、かつてゴーン氏が日産に乗り込んで、工場を閉鎖し、従業員を解雇し、徹底的にコストカットしたことを思い出したついでに、安倍政権が、経団連の思惑に沿うように、やろうとしている事を考えたらどうだ。

低賃金外国人労働者を大量に受け入れないと、日本は大変なことになる、と経団連の言いなりになって、欧米の失敗には目をむけようともせず、この国の将来が今以上によくなるわけが無いと知りつつ、今以上の移民大国にしようとしているではないか。

コンビニの店員の成り手がいないのなら、出店を諦めたらどうだ? 消費者もその程度耐えられるだろう。

私の愚息たちは、彼らが高校生のときコンビニでのバイトを自ら決めて嬉々としてやっていたものだ。いくら少子化だといっても、そう急にバイトの成り手がなくなるということは信じられないのである。

しかも、毎日24時間、365日店を開ける必要が本当にあるのかも疑問だ。

便利さをトコトン追求することで、この国の良さを少しずつ犠牲にするのならば、私は、喜んで【不便さ】を我慢する方を選びたいのである。


高齢者、「5S教」盲信者

2018年11月25日 | 社会観察
工場の生産現場を見れば、大抵その会社の品質管理レベルが想像できるものだ。

要る物と要らない物を区別して、取り出しやすいように整頓してあるか。床や機械がよく掃除されてきれいに保たれているか。整理・整頓・清掃の、いわゆる3Sが維持されているかどうかが観察ポイントとなる。

この3Sに、清潔・躾(しつけ)が加われば、五つのSで始る単語の語呂合わせで「5S」となる。今や、整理整頓する事が、5Sの代名詞のようになっていたりして、あまり散らかしていると、「オイ、5Sを徹底しろ!」な~んて言われたりする。

今から40~50年前に日本中の工場で流行った、QCサークルという職場の小集団活動がある。自分たちの職場の問題点、改善点を炙り出して、話し合い様々な手法で問題解決を図る、という日本独特の社員の自主的な活動である。

その頃は、盛んに5S、5Sと叫ばれたものであった。

何をどこに置くか、置き場所を決めて、必要な時はすぐに取り出し易いようにしよう、という趣旨で床や棚にはテープやペンキで線が引かれ、見て分かるように名前が明示された。

もしもその区画から外れた置き方がしてあると、「オイ、5Sを徹底しろ!」などと注意されるのだった。

私は、製造業を何度か転職しているので、各社似たような取り組みをしているのを見てきたが、その取組み方の程度には、各社微妙な違いがあったように思う。特に記憶に残っているのは、大手自動車メーカーの下請けのY社である。

毎月一回、5S点検という日があって、恐らく一度リタイヤして再雇用の上、顧問になっているベテランの高齢者の方が、担当の部下を引き連れて、私の所属していた部屋にやってきた。

オフィス全体を隅ずみまで目を凝らしてチェックし、気のついたところは、連れの部下に写真を撮るよう指示し、後からメールで一覧表に添付して、改善点と改善予定日などを記入して返送するのである。

しかし、「そこまでやるか?」と私が疑問に思ったのは、生産現場に行く際は必ず着帽する帽子を、机の上に置いてあったとき、写真を撮られて、「机は帽子を置くところで亜はありません。すぐ改善して下さい。」と指摘された時だった。

普段は、引き出しに入れておくのだが、たまたまその日は現場から戻ってきて、机に置いてあったのだが、そんなことも推察できず、わざわざ証拠写真を撮って指摘するのは、どう考えても馬鹿げている。

また、こんなケースがその会社では、常識としてまかり通っていた。

それは、事務机の右上の引き出しの使い方に関してであった。

私の場合は、ざっと下の写真のような使い方だった。

 主に文房具類


しかし、他のほとんどの人は、薄めの発泡スチロールの板を引き出しの大きさに切り、文具が収まるようにくり抜き、置き場所を決めてしまうのである。

 見た目はきれいだが

誰もその馬鹿馬鹿しさが分かっていたので、新参者の私がそれをやらなかったのを知っていて、それを咎めようとはしなかったのではないかと、今でも思っている。

その勤め先の社風は、少し的外れなところがあって、事務方も作業現場も使っていたカッターナイフは、突然使用禁止となったようだった。切れ味が悪くなると2cmほどペキッと折る事ができるタイプのナイフである。

 便利なカッターナイフ

 使い方別に種類も多い


紙を切るだけでなく、ダンボール用カッターとか布用など、用途別に何種類もあって、安価ながらも実用的なナイフであるが、一度現場の作業者が使っている時、刃先が折れて、目に突き刺さり、失明した事故があったそうだ。

その事故をきっかけにして、工場長は刃先を折るタイプのカッターナイフを使用禁止としたそうだ。社内にあるカッターナイフをすべて処分し、代わりに購入したのは「デザインナイフ」と呼ばれるカッターであった。

  切れ味抜群

刃を折っていくタイプではないが、先端は薄く尖っていて、その切れ味は恐ろしいほどいい。ちょっと間違えば、指先をスパッと切ってしまいそうである。

カッターナイフの刃先が折れて失明した事故は、一体カッターナイフそのものが原因だったのだろうか。

仮に、工場敷地内で社用車運転中に追突事故か衝突事故があって、従業員が一命を落とすような事があったら、工場内での自動車の使用を禁止するのだろうか。

不具合が起きた場合には、是正措置と予防措置を講ずる上で、最も大切なのは原因の特定なのであるが、もしそれが「カッターナイフ」にあったのなら、今でも文房具店で販売されているわけが無いだろう。

トップの下す判断は、常にただしいものとは限らない。

ビーンもびっくり、ゴーンが逮捕

2018年11月23日 | 社会観察
ビビアン・リーとクラーク・ゲーブル主演の大作映画、『風と共に去りぬ』というタイトルは、『Gone With the Wind』という、マーガレット・ミッチェルの長編時代小説を英訳したものだ。

南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」事を意味するのだそうだ。

実は、映画好きを自負する私は、このあまりにも有名な映画をまだ観ていない。観る機会はいくらでもあったのだが、観る気にはなれないのである。

その理由は、3時間42分という長い上映時間にある。

前から私は、映画は娯楽として、基本的に1時間半前後が適当な上映時間であると思っている。例外はあるが、長ければいい作品というわけではない。しかし、『風と共に去りぬ』は、DVDをアマゾンで購入済みなのでそのうち観る予定でいる。


さて、連想ゲームではないが、『Gone With the Wind』と聞いて、今連想するのは、日産の会長逮捕、である。Mr. Cost Cutter こと、Carlos Ghosn (カルロス・ゴーン)氏は、両親がレバノン人だそうで、Ghosn と書いて「ゴーン」と発音するそうだ。

 レバノン人の顔?

眉毛が濃くて、一度見たら強烈に印象に残る面相で、いきさつはともかく、彼が日産のトップに着いたときの日本語での長時間のプレゼンは、当時非常に興味深く、好感を持って見た記憶がある。

今回の逮捕劇には、フランス政府が絡んだ複雑な思惑が背景にあるようで、どういう展開になっていくのか興味深い。単純に、「金と名誉と共に去りぬ」ということにはならないような気がする。

今年も、残すところ一月ちょっとという時期に飛び込んだビッグニュースに、同じく眉毛の濃い英国のコメディアン、Mr.ビーン(ローワン・アトキンソン)もさぞかしびっくりしたことだろう。

  目をむくMr.ビーン







言葉は文化の礎。

2018年11月16日 | 社会観察
職場の同じグループに一人の女子事務員がいて、彼女がリーダーとなって月に2度、英語の勉強会が企画される。勉強会といっても、英英辞典から、適当に単語を選んで、そこに書かれている意味を読み上げる。

それを聞いて、その単語が何か当てるゲームである。例えば、「構造を表す言葉で、この構造は蜂が作る、六角形をしたもの。」答えは、ハニカム(Honeycomb)。こんな具合である。

初めて私が参加した時、その彼女の英語の発音を聞いて、私はすぐに彼女は帰国子女じゃないか、と直感した。

かなり後になって、知ったのだが、やはり彼女は父親の仕事の関係で、米国で生まれ育ったのだが、中高生時代は日本で過ごし、大学は再び米国に渡って、短大を卒業したそうだ。

彼女曰く、母親が、ずっと米国で暮らすと、日本人らしさが無くなると考え、敢えて帰国させたという。

それは私もまったく同感で、私が滞米中に知り合った日系人は、1,2世くらいまでは日本語を話すが、3世以降になると、家庭の教育方針にもよるが、大半が日本語がカタコトになり、見た目は日本人でも、所作や考え方はまるでアメリカ人である人が多かったようだ。

両親が純粋な日本人でも、暮らしが外国で、家を離れれば回りは外国人だらけ、という環境で育てば、否が応でも徐々に日本人らしさは薄まっていくものなのだろう。そして、その大きな要因となるのが、「言葉」であると思うのだ。

母親が日本人のプロテニス選手が、「日本人初のグランドスラム・シングルス優勝者」になったと、マスコミは手放しで伝えていたが、ろくに日本語を話せない彼女を、「日本人」、「日本人」と大喜びしていたのに、どうも違和感を覚えたのは私だけか。

  国籍は日本でしょう

じゃあ、流暢に日本語を話せば、その人はそれだけで日本人らしい人間性を身に付ける事が出来るのか、と言われれば、きっとそうでもないのだろうが、そのあたりを考え始めると何がなんだか分からなくなってしまう。

2020年から、いよいよ小学校で英語が成績のつく「科目になる。その子供たちは一体どのような日本人に育っていくのだろうか。

大変興味深い実験である。

近頃の土人衆ファッション

2018年11月10日 | 社会観察
一昨日は、近所の老婆が他界して、その葬儀手伝いのために、一日勤め先を休んだ。

その前日夕は、通夜のため、近所は(いわゆる土人衆)同じように、お手伝いに借り出される風習がある。しかし、通夜の方はカミさんに頼んで、カミさんはそのため勤め先を早退したのだった。

享年97歳という老婆の所為か、弔問客は親族と孫の勤め先から、パラパラとあって、総勢おそらく数十名、プラス隣近所の十数名だったようで、カミさんもその少なさに拍子抜けしたと笑っていた。

 通夜の夜の玄関

私は子供心に覚えているが、私の祖父が他界した時の通夜は近所の人たちが、深夜まで語り明かしていて、確かみんな帰宅した時は日付が変わっていた。

もちろん、タダ酒を楽しんでいたからで、呑ん兵衛にとっては、こういう時ほど嬉しいことは他に無いそうだ。

ちょっと前までは、同じ組の14軒はほとんど全部が農業に従事していた田舎であったが、今では専業農家は無くなってしまった。時代は変わって、地方の田舎は、ほとんどコミュニティの絆は崩壊していると言ってもよいだろう。

私の家など、私が高校生の頃までは、夜以外に、家の玄関に鍵を掛けるなどということはなかった。

その頃は、葬式の際は、近所のお手伝いである、土人衆は一家で二人出て、通夜・葬式をてつだったものだ。次第に、農協や冠婚葬祭の互助会なる民間業者が葬式を仕切るようになり、今では自宅で葬式を執り行うことなど、まず見かけなくなった。


今回も、同様に民間の葬儀社に依頼したためか、土人衆のやることは、通夜訪問客の香典を預かり、金額に応じた香典返しを渡す、帳場担当が3~4名。残りの十数名は弔問客を臨時駐車場まで誘導することだったそうだ。

ただ、その数たるや、ほんの数台だったというから、ピカピカ光る懐中電灯を持って道路に突っ立っていただけだったようだ。しかも、4~5mおきに立っていたようだ。

さらに、可笑しい事に、いつの間にか私の班では、いわゆる長老の一言で、土人衆は全員正式な喪服を着てくることと決まったそうで、男女とも立派な喪服に身を包んだ土人衆が喪主の家に参集する。「今、どこも土人衆は喪服だ。」と長老は強調したそうだ。

葬儀の日の日程は、出棺午前9時半、葬儀午後1時開始だとカミさんが教えてくれた。土人衆の半分は、火葬場に出向き、火葬中の遺族・親族にお茶や飲み物を取り持つことを担当する。

私も、以前数回その担当を仰せ付かった事があったが、ほとんどが葬儀社から派遣された2名の女性が段取りをしてくれたので、特にすることといったら、すべて終わった時のテーブル・座布団の後片付けくらいだった。

 弔問客の駐車場が問題


出棺は午前9時半なのだが、土人衆は朝8時集合だといわれて、私は1時間半何をして過ごすのだろうと疑問に感じたが、8時5分前くらいに喪主の家の庭に出向いた。

土人衆の皆さんは、全員正式な喪服を着ていたので、黒いポロシャツに黒いブルゾンを着て出向いた私を見て、みなさん少々驚いた様子であった。

土人衆とは、お手伝いをする近所の人たちの別称である。お手伝いをするのなら、それなりに適した格好があると思うし、正式な喪服がそれに当たるとは私は思わない。

これが私の自論で、特に通夜に出向く際に、近所が喪服でゾロゾロというのは、死ぬのを待っていたようで、見ていて妙な光景だ。『驚いて、馳せ参じました』という意味で、地味ならば、普段着で充分ではないか。

その朝も、葬儀社の方が、庭先で立ち話していた土人衆を、親族か弔問客と勘違いして声をかけていた。「そら、見ろ」と私は笑を噛み殺した。

葬儀社の方が、見るに見かねて、「ご近所のお手伝いの皆さん、立っていてお疲れでしょうから、こちらのパイプ椅子に腰掛けてください。」と椅子を何台か組み立ててくれた。しかし、それに座ったのは、私だけだった。

9時半丁度に、親族に運ばれて棺桶が庭に運ばれてきた。悲しい音色のクラクションがなったと同時に霊柩車は静かにタイヤを転がして道路に出て、火葬場に向かった。

さて、残された土人衆は、告別式の行われる近くのホールで帳場に立たなければならない。葬式は午後1時からなので、多分1時間前にホールに出向けばいいだろうと思い、私は、それまで家に戻って勤め先の宿題をしようと家に向かった。

すると、同じ土人衆の若手のひとりが、「あのー、他の人たちはもうホールに向かうというので、僕が車を用意したのですが、一緒にどうですか?」と、声をかけてきた。

私は、そんなに早くホールに行って、何かすることはあるのかい?」と聞いた。
彼は、「火葬場から親族が戻ってくるのは多分11時半頃でしょうから、それまではないですよ。でも長老が言うもんだからねえ・・・」と言う。

私は、「自分は、自家用車で12時までに行くから、先に行っててください。」と言って家に向かった。

葬式が定刻に始ると、「列席者があまりにも少ないから、ご近所の皆様もどうか列席してください。」と帳場に突っ立っていた我々に葬儀社の責任者が話しかけてきた。

「でも、帳場の方が・・・」と土人衆のひとりが言うと、彼は、「いや、もうこれ以上こないですよ。帳場は私が見ますから大丈夫です。」と言う。

結局、帳場担当の6名の土人衆は告別に列席して、坊主の念仏に耳を傾けたのであった。

精進落としの料理の席に着くよう、土人衆の我々にもお声がかかった。テーブルにはビールなどの飲み物と、茶碗蒸し、折り詰め料理などが並べられていた。

土人衆の長老の一番のお楽しみは、ここで飲めるビールのようであった。



軽くてかさばる家庭ごみ

2018年11月04日 | 社会観察
「多すぎるコンビニ、速すぎるアマゾン」というタイトルで、以前ブログにアップした事があったが、それ以来わが街のコンビニ数は減るどころか増えたようだ。そして、アマゾンは相変わらず恐ろしいほど速く届く。

よく見ると、最近のコンビニには以前と比べて大きく変ったところがある。

ゴミ箱が店内に設置されるようになったことだ。すべての店ではないが、ほとんどのコンビニはゴミ箱を外から店内に移動している。

   Before


   After


多分、こうすることで、来店者の持ち込む家庭ゴミを減らし、店員のゴミ処理に費やす作業工数を大幅に減らせるという思惑があるのだろう。

私は、自宅の前にゴミの集荷場があるので、家庭ごみをコンビニに持ち込むことはなかったが、自家用車内で出たゴミやペットボトルは、よくコンビニに立ち寄った際に、外のゴミ箱を利用していた。

黎明期のコンビニは、店内のトイレを使ってください、ゴミ箱を利用してください、雑誌の立ち読みもOKです、とアピールして、「その代わり、何か買っていってくださいね」という営業姿勢だった気がする。

しかし、コンビニが社会に定着してきて、さらに昨今の人手不足が重なると、ゴミ処理などにかける手間など、煩わしいものでしかない。ただ、ゴミでしかないプラスチック包装無くして、コンビニ流通は成り立たないため、痛し痒しの状況なのだろう。

便利だが、何という無駄な代物かと、いつも感ずるのがコンビニ弁当やお惣菜に使われる、固めのプラスチック包装である。

  コンビニ弁当


バラエティに富んだコンビニ弁当は、便利だが決して安いものだとは感じない。そして、あの固めの包装には一体どのくらいのコストを占めているのか、興味深い。

便利に違いないのだから、もう後戻りは不可能だろうが、それにしても毎週2回の燃えるゴミ回収に出す家庭ごみは、重さこそ大したことは無いのだが、その量たるや、年々膨大に増え続けている。

  家庭ごみ(約3日分)

私が子供の頃は、主婦が買い物籠を片手に、ほぼ毎日商店街に必要なものを買いに出かけていた。小さな買い物籠に収まる分だけ買ってきて、そこから出るゴミなどは、せいぜい包装に使われた新聞紙くらいなものだった気がする。

レジ袋が環境に悪影響を与えるので、有料化して追放しようという動きが起きているが、真面目にその気があるのなら、袋1枚30円くらいに法律で設定してみたらどうかと思うのだ。そのくらいやらないと、政府の意気込みに疑問を抱いてしまう。

まず、コンビニが先頭に立って、自らお手本を見せて欲しいものだ。

「自動運転」は「運転支援」に・・・

2018年11月03日 | 社会観察
「自動車」という言葉は、読んで字の如し、「自分で動く車」のことである。英語の、Automobile という単語が、auto (自分で)mobile (動くもの)という語源なので、ここから、自分で動く車、つまり「自動車」に行き着いたようである。

この自動車を造り続けてきた自動車メーカーが、7~8年前から『自動ブレーキ』という名前で、新しい機能を売り出し、この売上げがよかった。

  手放しの喜び


各地の営業マンたちは、「ブレーキは踏まなくても、自動車が自分で判断して止まりますから、衝突しません。」という言葉をセールスポイントに売り込んだそうだ。

ところが、この性能は完璧ではなく、天候や歩行者の身長などで、センサーが働かないで衝突してしまう事故が起きていたようだ。

宣伝広告費を何百億円と費やす自動車メーカーは、不祥事の報道をもみ消すことなど容易いことで、自社に不利益となる事故は報道させない。

先日、トヨタの社長とソフトバンクが、作り笑いを浮かべて壇上で握手し、業務提携を発表していた。

「自動車業界は、100年に一度の大変革を迎える。交通事故原因の9割以上がヒューマンエラー、つまり運転者の所為で起きている。それを人工知能(AI)に任せれば、自動車事故をゼロにする、というメーカーの大目標が達成可能になる。」

運転はAIに任せる時代はすぐにやってくるのだ、という豊田社長のうろたえぶり、というか焦りっぷりは、見ていて面白かったが、そのために必要なデータ収集がソフトバンクとの提携に繋がったのだ、と力説していた。

運転手のいらない、自動運転多目的車を自慢げに紹介する豊田社長であったが、ここに来て、ちょっとその言葉にブレーキがかかったようだ。

  見よ、トヨタの自動運転車を


ドイツをはじめとする海外の自動車業界でも、自動運転がキーワードで宣伝合戦を繰り広げているようだが、日本の場合は、少し自重した方が良いのではと、見直しする動きが活発になっている。

自動車メーカー各社や国交省、専門家などが近々、公表するそうだが、どうも『自動運転機能』という言葉は、『運転支援機能』あたりに落ち着くみたいだ。

豊田社長あまり自動、自動と大騒ぎしないでちょうだい、というところだろうか。



大問題となったエアバッグ。あれが機能すれば、追突してもドライバーを守ってくれるというイメージがあるが、あれは実は単なるシートベルトの補助装置である、という定義づけがされているのをご存知だろうか。

  SRS ??

  SRS AIRBAG の意味は?

SRSとは、Supplemental (補助的な)、 Restraint (拘束)、System (装置)という意味で、拘束装置、つまりシートベルトを補助するためのもので、エアバッグ単独では効果は期待できません、という意味なのです。

アメリカでは、自動運転の電気自動車実現に向けて、激しい開発競争が進行中だが、その実験中に、悲惨な事故が発生しているようだ。

  AIが悪い?




何用あって中東へ?

2018年10月28日 | 社会観察
3年4ヶ月の間、武装勢力に拘束されていた、自称ジャーナリストの安田某さんが、解放されて元気に帰国したようだ。

何でも拘束されるのは初めてのことではなかったようで、どうも性懲りのない御方のような印象はぬぐえない。

映像で見た限りでは、随分肌のつやが良くて、きれいに髭を剃っていたら、何年も拘束されていたようには見えなかったのではなかったかと感じた。

それにしても、まず「日本政府はじめ、皆さんには大変ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでた。お陰で無事日本に帰国できそうです。」とでも言うのだろうと思っていたのだが、この自称ジャーナリストは、そんな気持ちはなかったようです。

  この方、日本人?


それどころか、「日本政府によって解放されたようで、ああいう形の解放のされ方は望んでいなかった・・・」と、不満気であったようだ。

これで思い出すのは、冬山登山で遭難する登山愛好家が、下山しようと思えば出来ないことではないのに、安易に救助要請をして、まるでタクシーを呼ぶようにヘリコプターで下山し、大した礼も言わずに帰って行くことが結構ある、という以前読んだ記事である。

ひどいのになると、「サンキュー! また来年も頼むからなっ!」と捨てセリフを吐いて帰る輩もいたそうだ。

おっとり話す、戦場カメラマン渡部陽一さんの言を借りなくとも、帰国した自称ジャーナリストは、どう転んでも「英雄」とは呼べない代物だと思うが、「当然英雄でしょ」というテレビ局に飼われているコメンテーターもいたそうだ。


 

この次は、見事に首をチョン切られて、男子の本懐を遂げてくださいな。