フィリピンに赴任した時に、日本は確かに安全な国なんだと実感したことに、彼らの防犯に対する対応を見たときでした。
田舎で良く見る雑貨屋さん、「サリサリ・ストア」。駄菓子から調味料まで小分けにした生活必需品がぶら下がっていて、タバコも1本ずつ買うことが可能です。
小さな掘っ立て小屋で、店の商品を全部合計しても多分10万円以下の価値だと思うのですが、商品や代金の受け渡しは、鉄格子の下にある小窓で行われ、後はすべて頑丈そうな鉄格子で囲ってあるのが一般的です。
雑貨屋さんがそんな具合ですから、民家も当然防犯対策は徹底しています。ブロック塀などはてっぺんにガラスの破片をセメントで固めて空き巣の侵入を防ぎ、入り口や窓は二階でも三階でも鉄格子や鉄板のシャッターで泥棒を防ぎます。
これは、フィリピンに限らず、台湾やインドネシアでも同じでした。日本でここまでやったら、珍百景だと近所の笑いものになります。
私が中学生くらいまでは、家の玄関に鍵をかけて外出するという習慣は、少なくとも我家にはありませんでした。ただ、夜だけはさすがに物騒だということだったのか、寝る前に玄関に鍵を掛けた上に、つっかい棒で念を入れました。
当然、その前に勝手場や窓の鍵の点検はやっていました。田舎はそもそも、近所付き合いが活発でしたので、昼間は相互監視ができていたこともあったのでしょうが、さすがに夜は各家庭で防犯対策を施していたんですね。
最近は、近所づきあいもほとんどなく、勤め先も夜勤があったり、休日も勤め先ごとに異なったりして、定期的な集会ですらなくなってしまい、連絡事項は回覧板を廻すのみとなっています。隣の家の家族構成などもよく把握できず、知らぬ間に住人が引っ越したかと思うと、どこかから転入してきた人が住んでいたりして、雰囲気も殺伐としてきたような気もします。
田んぼが埋め立てられて、何か電子部品の組み立て下請け工場が突然出来たかと思ったら、色の黒い女性たちが自転車に乗ってそこに通っているのを見かけ、「あの人達は、インドネシア人らしいよ。どこかのアパートに共同で住んでいるらしい・・」などという情報が伝わってきたりします。
また、週末などには鉄橋の下に南米系の人達が大勢集結して、ブロックで俄か作りのバーベキューパーティーをやったりしているのを見かけます。時には突然片言の日本語で、「ナニカ、テツクズ、ナイ? バッテリー、トカ・・」と言って家に来る男がいて、ギョッとすることがあったりします。
明らかに私が子供の頃より、田舎の風景が変わりつつあります。
我家も数年前、人の気配で自動的にスイッチが入り、あたりを一定時間照らし出す防犯灯を玄関付近に取り付けました。やはり、近年は物騒になってきたと感ずるようになったからです。
さらにある時インターネットの「ストリートビュー」というツールに、我家の住所を入力してみたら、何と我家の玄関が見れるではありませんか。これはショックでした。
子供やカミさんたちにも外出時の戸締りを徹底するように告げ、これまでほとんど無かった防犯意識に火がつきました。
考えて見れば、我家に空き巣に入ったとしても、宝石があるわけでも、現金があるわけでもないので、心配するには及ばないのでしょうが、それでも泥棒や空き巣に入られるのは気味が悪くて嫌なものだと感じます。
駐在所の警官が以前は戸別訪問をしてきて、家族構成などを教えたものですが、ここ数年はまったくご無沙汰です。これは自分で気をつけるしかないなと考えを改めました。
こじつけのようですが、今ホットな話題の安保法案に対するマスコミや野党、平和運動家たちの主張を見ていると、家に例えれば、戸締りなんてしなくてもいい、「安全、安全」と叫べば、防犯は十分。「寝る前は戸締りを点検して・・・」と言うと、「そんなことする必要ないでしょ、誰が空き巣に入るって言うの?そんな人いないですよ。」と言っているようなものに感じます。
それどころか、空き巣が入りやすいように、こっそりと窓の鍵を壊したり、お勝手場のドアの鍵をわざと掛け忘れたり、今のサッシのガラスを割れやすいガラスにこっそり交換したり、得体の知れない人物を同居人として連れ込もうとしたり・・・。
防犯防災のやり方を故意に、とことん邪魔しているような感じがするんです。台所や仏間にお札を貼っておけば災害や犯罪の心配などする必要なし、と言いたげではないか。
考えすぎでしょうか。
田舎で良く見る雑貨屋さん、「サリサリ・ストア」。駄菓子から調味料まで小分けにした生活必需品がぶら下がっていて、タバコも1本ずつ買うことが可能です。
小さな掘っ立て小屋で、店の商品を全部合計しても多分10万円以下の価値だと思うのですが、商品や代金の受け渡しは、鉄格子の下にある小窓で行われ、後はすべて頑丈そうな鉄格子で囲ってあるのが一般的です。
雑貨屋さんがそんな具合ですから、民家も当然防犯対策は徹底しています。ブロック塀などはてっぺんにガラスの破片をセメントで固めて空き巣の侵入を防ぎ、入り口や窓は二階でも三階でも鉄格子や鉄板のシャッターで泥棒を防ぎます。
これは、フィリピンに限らず、台湾やインドネシアでも同じでした。日本でここまでやったら、珍百景だと近所の笑いものになります。
私が中学生くらいまでは、家の玄関に鍵をかけて外出するという習慣は、少なくとも我家にはありませんでした。ただ、夜だけはさすがに物騒だということだったのか、寝る前に玄関に鍵を掛けた上に、つっかい棒で念を入れました。
当然、その前に勝手場や窓の鍵の点検はやっていました。田舎はそもそも、近所付き合いが活発でしたので、昼間は相互監視ができていたこともあったのでしょうが、さすがに夜は各家庭で防犯対策を施していたんですね。
最近は、近所づきあいもほとんどなく、勤め先も夜勤があったり、休日も勤め先ごとに異なったりして、定期的な集会ですらなくなってしまい、連絡事項は回覧板を廻すのみとなっています。隣の家の家族構成などもよく把握できず、知らぬ間に住人が引っ越したかと思うと、どこかから転入してきた人が住んでいたりして、雰囲気も殺伐としてきたような気もします。
田んぼが埋め立てられて、何か電子部品の組み立て下請け工場が突然出来たかと思ったら、色の黒い女性たちが自転車に乗ってそこに通っているのを見かけ、「あの人達は、インドネシア人らしいよ。どこかのアパートに共同で住んでいるらしい・・」などという情報が伝わってきたりします。
また、週末などには鉄橋の下に南米系の人達が大勢集結して、ブロックで俄か作りのバーベキューパーティーをやったりしているのを見かけます。時には突然片言の日本語で、「ナニカ、テツクズ、ナイ? バッテリー、トカ・・」と言って家に来る男がいて、ギョッとすることがあったりします。
明らかに私が子供の頃より、田舎の風景が変わりつつあります。
我家も数年前、人の気配で自動的にスイッチが入り、あたりを一定時間照らし出す防犯灯を玄関付近に取り付けました。やはり、近年は物騒になってきたと感ずるようになったからです。
さらにある時インターネットの「ストリートビュー」というツールに、我家の住所を入力してみたら、何と我家の玄関が見れるではありませんか。これはショックでした。
子供やカミさんたちにも外出時の戸締りを徹底するように告げ、これまでほとんど無かった防犯意識に火がつきました。
考えて見れば、我家に空き巣に入ったとしても、宝石があるわけでも、現金があるわけでもないので、心配するには及ばないのでしょうが、それでも泥棒や空き巣に入られるのは気味が悪くて嫌なものだと感じます。
駐在所の警官が以前は戸別訪問をしてきて、家族構成などを教えたものですが、ここ数年はまったくご無沙汰です。これは自分で気をつけるしかないなと考えを改めました。
こじつけのようですが、今ホットな話題の安保法案に対するマスコミや野党、平和運動家たちの主張を見ていると、家に例えれば、戸締りなんてしなくてもいい、「安全、安全」と叫べば、防犯は十分。「寝る前は戸締りを点検して・・・」と言うと、「そんなことする必要ないでしょ、誰が空き巣に入るって言うの?そんな人いないですよ。」と言っているようなものに感じます。
それどころか、空き巣が入りやすいように、こっそりと窓の鍵を壊したり、お勝手場のドアの鍵をわざと掛け忘れたり、今のサッシのガラスを割れやすいガラスにこっそり交換したり、得体の知れない人物を同居人として連れ込もうとしたり・・・。
防犯防災のやり方を故意に、とことん邪魔しているような感じがするんです。台所や仏間にお札を貼っておけば災害や犯罪の心配などする必要なし、と言いたげではないか。
考えすぎでしょうか。