孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

アメリカンヒーローと林檎の話

2018年10月21日 | グルメ
先月あたりから、私はリンゴにはまっている。きっかけは、スーパーで「訳ありリンゴ」と表示の付いた5~6個入りパックを見つけ価格の安さに衝動買いしたことだった。

帰宅して早速1個食べてみると、これがおいしかった。随分久しぶりに食べた所為もあったが、無性においしかった。以来、朝の通勤途中に、車の運転をしながら毎日1個食べ続けている。

40年前にアメリカにいた時、私はオレゴン州の小さなリンゴ園で3ヶ月間アルバイトをした事があった。木に生ったリンゴを見るのはそのときが初めてで、もぎたてのリンゴのおいしさを経験したのも当然初めてだった。

ある日、農場主の奥さんが、アップルパイを作って御裾分けしてくれた。私は、それまでアップルパイというものは、口にした事がなくて、言葉の響きから何となくハイカラな西洋のお菓子であろうといった程度の印象しかなかった。

当然、自分のりんご園で採れた新鮮なリンゴをたっぷり使ったアップルパイだったろうが、歯ごたえといい、独特な甘さといい、実に美味で夢中になって食べた記憶がある。帰国してから何度かアップルパイを食べたが、どこかあの時の味とは違う気がする。

リンゴで連想する人は、アメリカのヒーローの一人、ジョニー・アップルシードである。アメリカンヒーローといえば、他にジョン・ヘンリーとかポール・バニアンが有名だが、ジョニー・アップルシードは、多分アメリカン人には人気№1のヒーローだろう。

  本名ジョン・チャップマン

18世紀の実在した典型的な開拓者の一人で、リンゴの種を携えて、西部(といっても、現在の中西部)一帯にリンゴを植えて廻ったそうだ。



  いつも裸足で・・・

信心深く質素な暮らしぶりで、帽子代わりの壊れた鍋がトレードマークで、絵本や映画に題材として数多く取り上げられている有名人である。


ちなみに、ジョン・ヘンリーは、鉄道敷設の際、ハンマーで枕木にガンガン大きな釘を打ちつける力持ち線路工夫で、蒸気機関を利用した釘打ち機と競争して、見事機械に勝ったそうだ。数々のフォークソングになっている伝説の黒人ヒーローだ。

  ジョン・ヘンリー

  あちこちに銅像がある


もう一人のポール・バニアンは、大男の木こりで、ちょうど日本の「ダイダラボッチ」のような言い伝えのヒーローである。いつもベイブという名の、青い牛を連れていた。

ダイダラボッチは、地面を掘って小山を造り、掘った跡が今の琵琶湖で、できた小山が富士山だという。バランスを崩して片手をついた跡が、今の浜名湖だそうだから、図体の大きさが想像できる。

  青い牛が相棒のベーブ

ポール・バニアンも同じように、今の五大湖やミシシッピー川を造ったという、伝説の巨人で、各地に彼の像があるようだが、有名な映画「ファーゴ」の中でも、一瞬ミネソタ州のポールバニアン像が写るシーンがあった。

リンゴから派生して、話が逸れてしまったが、リンゴは今が旬の果物である。皮を剥いて食べるより、歯茎から血が出るのも気にせず、ガブリと食べるのが気持ちいい。

私は、他の果物でもそうだが、糖度など気にしない。それよりも鼻に抜けるその果物独特の風味と歯ごたえがポイントである。

もちろん、今も傍らには、買い置きのリンゴが5個ほどある。

みなさん、リンゴを食べましょう!

塩分不足が熱中症を?

2017年05月13日 | グルメ
私がこれまで常識であると思っていたことが、実は大した根拠もないデマであったり、あるいは単なる非科学的なウワサであると分って、落胆することが多い。

これも、インターネットの恩恵で、いかにマスコミがただの扇動家のような存在であったか、あるいは企業の言い成りになっていたかが明白になるのだが、当事者たちはたとえ口先で謝罪したとしても、影ではぺロッと舌を出して肩をすぼめるだけのことだ。

どういうことかというと、その分野はもう様々で、一つ一つ挙げていったらキリがない。

ほんの一例を挙げれば、社会科で習う縄文時代・弥生時代の暮らしなどである。考えてみれば、そんな昔のことに時間を費やすより、幕末から近代の歴史をもう少し丁寧に教えるべきなのだろうが、学校の社会科では、このあたりに力を入れ過ぎていたような気もする。

つまり、縄の模様の土器を使用していた縄文時代は、狩猟・採集の暮らしで、その後に支那大陸や朝鮮半島から米作りの技術が伝わってきて、人々の暮らしが大きく変化した。土器も薄くなり、食生活も安定して人口も増えていったのが、弥生時代である。

今の学校ではどう習っているのか知らないが、科学の進歩で植物遺伝学とか分子生物学などが発達して、今では米ならばDNA解析により、日本のどの地域で採れた米なのか、あるいは原産地はどこの米なのかまでが解析可能である。

米作りというと、すぐに水田を思い浮かべるが、縄文土器に米粒がこびりついていることも発見されている。稲はガラス質の「プラントオパール」という細胞で覆われていて、この物質は稲が腐食しても焼かれても残留する。

これを解析すると、東南アジアで広く栽培されていた熱帯ジャポニカという品種の米だと分る。これは畑作や焼畑で作られていた品種で、大陸や半島には分布していない。

つまり、縄文時代に日本の九州あたりでは南から海上ルートで畑作の米が栽培され、縄文人たちもお米を食べていたことが分る。

ほんの一例を挙げただけだが、この古代日本の成り立ちを勉強し始めると、この他にも様々なことが最新科学の解析方法で明らかになっていき、興味が尽きる事はない。

よく、南朝鮮の人が技術や文化のほとんどは半島経由で日本に伝わっていったのであり、自分たちのお陰で今の日本があるのだ、と言いたげに調子に乗って嘘八百を並べ立てるが、こういうのも事実を暴くのがかわいそうなくらい、出鱈目のオンパレードだ。


塩分の採り過ぎは健康に良くないと言われて、今や厚生省がいう塩分摂取量は一日に6グラム以下となっている。そうなると製造業者は、こぞって減塩食品を作り始め、減塩醤油から減塩味噌、更には減塩梅干や減塩たくあんなどがスーパーで売られる始末だ。

保存食のはずが、開封後は冷蔵庫に入れて。速やかに食べ終えろ、などという表示をみると、先ごろ他界した阿藤快敵ならずとも、『なんだかな~~』と言いたくなる。

そもそも人間の体の7割は水分で、これは生理的食塩水といって、0.09%の濃度の食塩水なのだそうだ。点滴などでも使用される生理食塩水は、水1リットルに塩9グラムを溶かせば作ることができる。

健康な人は、おしっこや汗として一日に大体2リットル以上は対外にこの水分を出している。もちろん暑い日や、運動をすればこれ以上になるわけだ。

私が中学で運動部に入ってしごかれた時代は、喉がからからに渇いても水は飲むなと強く言われたものだった。しかし、今では渇きを覚える前に水を飲め、水分を補給しろと指導するそうだ。

さて、普通に生活していても人間の体からは、約2リットルの生理食塩水が対外に排出するということは、9x2=18グラムの塩分が対外に出てしまうということだ。

厚生省は、塩分は一日に6グラム以下だけ摂るようにと勧める。

この事実に疑問を感じない人は、すでに認知機能がいかれた人だろう。すぐに病院に行って薬をもらった方がいい。

人間の体は、気温が上がる春先や、運動をして体温が上がると、汗を出してその気化熱で持って体温を下げようとするようにできている。しかし、人間の体の司令塔である脳味噌は、塩分が体には欠かせないものだと心得ている。

そこで脳味噌は、汗で塩分が対外に出すぎることを抑制して少々暑くても汗を出さないよう調整し始める。汗が出ないと体温は上昇していき、いわゆる『熱中症』になってしまうわけだ。最近は、夏になると毎日のように熱中症のニュースが報じられる。

ここで私はふたたび、『なんだかな~~』と言いたくなるのである。

一口に塩分と言っても、それは塩化ナトリウムのことで、食卓に置かれた『食卓塩』という精製塩は、99%がこの塩化ナトリウムで1%は湿気で詰まってしまうのを防ぐために炭酸マグネシウムという物質を混ぜている。

 よくある精製塩

実はこの食卓塩が曲者で、砂糖に対して人口甘味料があるように、昔から日本人が使ってきた塩に対して人工的に作ったしょっぱいだけの化合物が安価な精製塩なのである。

海水から作る荒塩(粗塩)と何が異なるかというと、その成分である。アラ塩には、塩化ナトリウムは80~90%で、子の他に塩化マグネシウム、カルシウム、カリウムなどのミネラルと呼ばれる物質で出来ている。このミネラルが人間の体には重要なのである。

 アラ塩(見本1)

 アラ塩(見本2)

手間ひまかけて作るだけに、単価は食卓塩に比べて高いのだが、試してみる価値は極めて高いし、もしかすると病みつきになるかもしれない。人によっては替えた途端に、便秘がスーっと解消されるそうだ。

私も最近それまで医者に言われるがままに飲み続けていた薬を、思うことあってピタッと止めたので、利尿効果のあるカリウムを食品から摂取しようと、玉露に凝り始めたところだった。

しかし、粗塩には商品によってカリウムの含有量が非常に多いものがあり、大喜びしている。

だからと言って、何でもかんでも粗塩を使いまくればいいってモンじゃないことは、改めて言うまでもないことでしょう。



行ってきました、やよい軒!

2016年08月15日 | グルメ


今年3月のブログで取り上げたやよい軒に行ってきました。

いつの間にか隣町の国道沿いに「定食屋 やよい軒」がオープンしていたので、例のカツ丼を食べに行きました。

youtube で時々観ては英語の聞き取り練習をしている動画で、この定食屋のカツ丼に惚れ込んだアメリカ人女性がいて、カツ丼の紹介の仕方が面白くて、このブログで取り上げたことがあります。

日本在住のアメリカ人カップッル、Kyde and Eric の日本紹介動画オリジナルは、こちらで観ることができます。



動画で観たとおり、ショーウィンドウには、食品サンプルが並んでいました。ただ、かつ丼のサンプルがなかったので心配しながら中に入ると、食券販売機には、ちゃんとありました。






Kyde さんお気に入りのカツ丼は、予想以上にボリュームがあって、見るだけでおいしそうです。



とんかつもなかなか厚みがあり、ご飯にもつゆが染み込んでいて、おいしかったです。
ただ、私の好みより少し甘みが強すぎた感があって、もう少し砂糖をひかえたらもっとおいしく感じたのではないかと思いました。

何せ、Kyde さんは、「やよい軒に来てカツ丼を注文しなかったら、馬鹿よ。」と言ってましたから、期待は相当膨らんでいました。

メニューを見ると、焼き魚定食なども種類が多くて、今後何度か通うことになりそうです。

見たところ、ご飯のお代わりは自由のようでした。

似て非なる食文化

2016年01月30日 | グルメ
産経新聞に海外特派員の伝える「外信コラム」があって、いつも楽しみにしている。

南朝鮮の特派員のコラムは、「ソウルからヨボセヨ」というタイトルで、南朝鮮の文化を様々なエピソードを交えて伝えてくれる。彼の国が距離的に近く、見た目も似たような連中なのに、如何に我々とは異なる生き物かが分かって面白い。

今週のそれは、焼き魚の食べ方についてであった。ソウルの名村特派員が同僚となじみの食堂に行き、焼き魚を食べるのを見て、店の主人が「まるで魚の解剖だ。」と言って驚くのだった。



我々日本人は、小さい頃から「残さず全部きれいに食べなさい。」と躾けられるものだ。特に秋刀魚などは頭と骨と尻尾だけを残して、すべて食べつくすのが極普通の食べ方だ。これは、誰に習うわけでもなく、いつの間にか自然に身につく習性だと思う。

しかし、数年前シンガポールに赴任していたとき、私も良く目にしたが、日本人特有の文化のようだ。

シンガポール高島屋の地下にある、日本の水産会社が出している魚料理の食堂で、昼食によく秋刀魚定食を食べたが、地元の客の食べた後は、まるでまだ箸を旨く使いこなせない幼稚園児が食べ散らかしたようで、見るたびに何だか自分が誇らしく感じたものだった。

名村特派員のコラムによると、南朝鮮では、残すことが美徳とされるそうだ。

『きれいに平らげることは「料理が足りない」と受け取られ、むしろ接待してくれた相手には失礼にあたるのだ。骨だけきちんと残して食べて、もてなしてくれた韓国人からけげんな顔をされた日本人の知人もいる。よって、韓国人から食事の接待を受ける場合は、必ず意図的に“品良く残す”ようにしている。』

怖いものしらずだった若いとき、私も数ヶ月間出張で南朝鮮に滞在した事があるが、これは寡聞にして耳にしたことがなかった。

当時、私は朝鮮語など話せずとも、英語を話せれば何とかなるだろうと高をくくっていたところ、滞在した晋州という田舎町では英語などまったく通じなくて、冷や汗をかいたものだった。

昼食など、田舎町の小さな食堂に行くのだが、一人ではまったく注文などできず、他の客の食べている料理を適当に指をさして、「これ下さい。ひとつ。」と人差し指を立てたものだった。

テーブルで待っていると、キムチを盛った小皿がいくつもテーブルに並び始め、「ちょっと待って、これは注文してません!いらない!いりません!」と、慌てて身振り手振りで訴えたのだったが、運んでいるおばさんはニコニコするだけで、見事にテーブル一面に小皿をならべたのだった。



後でしったのだが、小皿のキムチはすべてサービスで、無料だった。最後に汁なし坦々麺のようなウドンのような私が指差しで注文した料理が運ばれてきて安心したのだが、出されたキムチはほとんど手付かずだった。

今思えば、残したのが正解だったのかもしれない。

さて、名村特派員のコラムに戻ろう。

『魚の骨とヒレだけが残った皿を見て、店主は「芸術的だ」とも言った。「食べ物は作った人の血と汗。日本では残してはいけないと親から教育を受けるのです」と説明したら、「残飯も減る。学ぶべきだ」と素直に感心していた。』そうだ。

実際、南朝鮮の残飯の量は非常に多く、社会問題になっているそうだ。

『作る側の店主は「料理した者の血と汗を粗末にしてはいけない」という考え方にも、いたく感動していたようだ。』と、コラムは終わっていた。

ところで、きれいに食べた焼き魚を見て、店主は「芸術的だ。」と言ったそうだが、南朝鮮人たちの美的センスを私は当時からいかがわしく感じていたものだった。

それは、「ビビンバ」という料理をたべたときだった。



現地のスタッフと一緒に入った食堂で、同じものを注文して、出された料理を見たときは、正直に「うまそうだ!」と思ったものだった。しかし、一緒に行った彼は、朝鮮独特の食器であるステンレスの柄の長いスプーンを持って、きれいに並べられた具材をグチャグチャに混ぜ始めたのだった。



そして、私にも同じようにやれと目で指図した。卵の黄身をスプーンで潰して他の具材やその下のご飯と混ぜる。それも、とことん混ぜるのだ。

もう十分混ぜたからこの辺でいいだろと思い、手を止めると、彼はまだダメだ、もっと混ぜるのだと目で合図する。

なんでも、『ビビンバ』とは「混ぜるご飯」という意味なのだそうだ。セメントを練る如く、もう嫌になるほど混ぜた。



元のきれいでおいしそうだった料理が悲惨な残飯のような、まるで家畜の餌のような体裁に様変わりし、食欲も少し失せたのだった。

日本の料理屋で、もしチラシ寿司をこんな風にぐちゃぐちゃに混ぜたとしたら、周りの客はきっと私を精神病でも患っているものと勘違いするに決っている。

似たように見えても、南朝鮮の食文化は、我々のそれとは異なるものだと痛感させられた。


早い!旨い!炒飯!

2016年01月20日 | グルメ
台湾旅行の楽しみのひとつに、「食べ物」があることには異論はない。

私は、あの「B級グルメ」という言葉はあまり好きではないので使いたくないが、東南アジア各国でお馴染みの、屋台の食べ物は値段が手頃で、サッとできておいしい屋台の食べ物は、大して空腹でもないのについ注文してしまう。



そして、台湾ではあちこちにある「夜市」の屋台ごとに、その味を競っているようで、同じように見える食べ物でも、実はその味は屋台ごとに違う。



人気の食べ物を提供する屋台には、地元の人を含めて客が群がっている。

書店に行けば、カラフルな台湾の観光ガイドの雑誌が置いてあり、大抵内容は果物や甘い食べ物・飲み物、肉シュウマイみたいな「小龍包」の名店などが紹介してあり、私も台北ではそういう雑誌を持った若い日本人女性たちが行列を作っているのを何度かみたことがある。

Youtube で検索すると、そういう食べ物屋を紹介する動画はいくつもあり、若いお嬢さんが「う~ん、おいひぃ~!」などと、無邪気にはしゃいでいる。

今回の台北旅行では、そのターゲットの一つに私は「炒飯」を据えていた。

屋台に限らず、場末の小さな食堂でもいいから、「炒飯」の文字を見かけたら入ろうと決めていた。

食堂での注文は、言葉ではなかなか難しい。しかし、売る側もそれは心得ていて便利な注文票を用意してくれてあるから助かる。



漢字なら何となく料理のイメージが湧くので台湾と日本は同じ文化圏だと感ずるのだ。あのおぞましいハングル文字ではこうはいかない。しかも、今の南朝鮮はすでに漢字を捨ててしまったようだから、私が若い時仕事でいた頃より事態はもっと悲惨だろう。

「涼麺」とか「鶏肉飯」「炒麺」などはすぐ分かるし、「臭豆腐」という名物は見て驚くが、その名前ほど臭いとは思わなかった。

さて、「炒飯」だが、この漢字2文字だけの料理名はほとんどなく、ほとんどその前に何か別の漢字がくっついている。それは多分エビや牛肉など、中身の具の名前であったり、○○風といった地域の名前だったりするのだろうと勝手に想像して、後は「エイ、ヤッ!!」と注文すればいい。



夜市の屋台では、目の前の鉄板であっという間に作ってしまうから、見ているだけで楽しい。「炒飯」など1分もかからない。出来上がった「炒飯」は熱々で、ハフハフ言ういながら食べなければならないから、あの鉄板の温度は数百度あるのではなかろうかと思ってしまう。



野菜も注文した。もう20秒くらいで炒めてしまうが、ニンニクが効いた味わい深い出来栄えだった。



すぐ出来て、絶妙な味付けは、もう病みつきになり、昼も夜も「炒飯」でも飽きなかった。

   完食!!

夜市をブラブラ歩いていると、串焼きの屋台が多いのに気がつく。あれは、好きな具材を小さなバケツに放り込んで渡せば、焼いてくれるわけだ。少し時間がかかるが、焼き立てをムシャムシャ食べながら夜市を見物したり、晩御飯のおかずに地元の方が買い求めたりしている。



屋台の中には、郷愁を誘うタイ焼きみたいなお菓子を焼いているものもあって、子供たちが群がっていた。しかし、その形は「鯛」ではなく、「オートバイ」や「拳銃」で中身には餡やクリームが入っているわけでもなく、きっと味もシンプルなものだろう。



人気は抜群で、焼き上がりを待つ客が屋台の周りを囲み、正に飛ぶように売れていた。
単価は安いが数で勝負するという意気込みの若者二人が、額に汗を滲ませて働く姿もなかなか見ごたえがあった。


台北、やることリスト

2016年01月01日 | グルメ
新春のお慶びを申し上げます

    皇紀2676年、平成28年 元旦



今年の最初のイベントは、何と言っても14日から3泊4日の台北旅行である。

私にとっては、昨年に続いて3度目の台北訪問になる。20代の頃、仕事で一度だけ台北を訪れているので、正確には4度目だが、そのときは取引先の重役を台北に送り届けてから、台北支店に挨拶しただけだったので、実質3度目の訪問といえる。

今回の訪問は何と言っても16日の総統選挙にあわせての台北訪問なので、訪れたい観光地はいくつかあるが、予定は大まかに決めておくだけにしておくことにする。

強いて「やることリスト」を挙げれば、次のようになるだろうか。

1. 立法院近くを散策し、「TAIWAN グッズ」を購入する。



   一昨年3月、「ひまわり学生運動」で学生達が占拠した立法院近くを歩き、「TAIWAN 支援グッズ」をお土産に購入する。

2. ドキュメンタリー映画『湾生回家』を観る。



一昨年の大ヒット映画『KANO』に続いて、昨年の大ヒット映画『湾生回家』を観る。多分、映画館ではもう上映されていないので、国家電影資料館を訪れて、DVDで
鑑賞する。同時に、二二八事件を扱った名画『非情城市』も鑑賞したい。DVDショップで手に入るようならお土産にDVDを購入する。



3. チャーハンと麺類を食べ歩く。

過去2回とも本場のチャーハンと多彩な麺類を堪能し損ねたので、今回はこの2種類に集中して、味わうことにする。



台湾では、『KANO』にしろ、『湾生回家』にしろ、日本に関連する映画が2年続けて、特に若者達に爆発的なヒットをしている。

しかし、2本とも優秀賞は取り逃がしている。それは、審査する側が支那出身の外省人で占められているからで、日本を良く扱う映画は毛嫌いするからである。

今回の台北訪問時は、あちこちで目にした支那からのゴキブリのような団体客は台湾にいないはずである。民主的な台湾の選挙を支那人に見せたくない支那共産党が、自国民に台湾への渡航を禁止しているからである。

昨年訪れた故宮博物院は支那人で溢れていたので、満足に見学できなかった。メールで確認したところ、15日、16日両日とも開館しているという丁寧な返答メールが届いた。

京劇と併せて、こちらも満喫したい。