孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

忠臣蔵、必須の脇役たち

2018年12月09日 | 芸能関連
ちょっと前までは、師走と言えば、「忠臣蔵」だった。

テレビ時代になる前は、映画会社各社が競って忠臣蔵の映画を作ったものだったようだ。判官贔屓の日本人には、赤穂浪士の話はたまらない。

実際にあった事件だが、歌舞伎や浄瑠璃や講談として演じられるたびに、創作のキャラクターが登場したりしてきた。

また、その脇役たちが極めて心憎い役割を演じていて、「忠臣蔵」のエピソードを面白くしている。

その中でも、私の好きな脇役ベスト3を紹介させていただく。

まずは、日野家用人・垣見五郎兵衛 ・・・・


大石内蔵助一行は、討ち入りの武器と一緒にいよいよ江戸に向かった。(東下り)

ただ大石たちが荷物と一緒に江戸に向かっているとなると、関所が通過できない。丁度その頃、日野家の垣見五郎兵衛たちが、今でいうところの、宮内庁御用達品を江戸まで運ぶ予定であるという情報を入手した。

大石たちは、この垣見の名前をかたって、東海道を江戸に向かった。

途中の宿場で、運悪く玄関に「垣見五郎兵衛御宿」という表示を見つけてしまう。他人の名前をかたる不届き者め、と垣見は大石の部屋に押しかけ、「けしからん奴だ。」と言うと、大石は「何をたわけた事を。私が本物の垣見五郎兵衛である。」と言う。

「本物ならその証拠を見せろ。御用達品の目録を拝見したい。」と垣見。

大石が書状を渡す。しかし、渡された書状を広げると、それは白紙だった。

 目録は白紙だった

大石の脇に置かれた書状を包んでいた袱紗の家紋を見ると、それは「丸に違い鷹の羽」。間違いなく、浅野家の家紋であった。「確かに本物である。大変失礼を致した。」といって本物の垣見はすべてを察して引き下がるのだった。

歌舞伎の「勧進帳」をモチーフにしたフィクションだが、日本人はこれがたまらない。


その時、大石たちが運んでいた討ち入りで必要な武器は、大坂の商人である天野屋利兵衛が調達したものだった。

赤穂義士たちのために武器を製作したという疑いで、役人に捕縛され拷問によって自白を強要された天野屋利兵衛は、それにとことん耐え決して白状しなかった。その時吐いた一言が、有名な「天野屋利兵衛は、、男でござる。」であった。

  男、天野屋利兵衛


最後の一人は、俵星玄蕃(たわらぼしげんば)という槍の達人である。

これは、三波春夫の十八番「元禄名槍譜 俵星玄番」という歌謡浪曲を聞けば、どういう話なのか簡単に分かる。YouTube で検索して、是非一度聴いてほしい。

討入りの最中、「一人の浪士が、雪をけ立てて、サク、サク、サク・サク・サク・サク・・・、先生!」「おう!そ~ば~や~かぁ~!!」

 おう!蕎麦屋かぁぁ!!

一番感動するところである。一人の浪士とは、討入り前に吉良邸の前で夜泣き蕎麦屋になって、様子を探っていた四十七士のひとり、杉野十兵次であった。

蕎麦屋の常連であった俵星と懇意になったのだった。その俵星玄番は赤穂浪士を贔屓にしていたので、陣太鼓を聴いて吉良邸に馳せ参じて、助太刀を申し出たのだが、丁重に断られたため、門外で吉良邸に入ろうとする侍を通せんぼしたようだ。

「元禄名槍譜 俵星玄番」は、その作詞を三波春夫本人が担当していて、その出来栄えはすばらしいものだと思う。これこそ、立派な文化遺産ではないかと思うのだが・・・。




私的、「流行語大賞 」& 「今年の漢字」

2018年12月01日 | 芸能関連
2018年も、残すところあと1ヶ月。

例年通り? 私的、今年の流行語大賞と今年の漢字一字を発表します。

流行語大賞は・・・・

多くの国民を、ズッコケさせた、あの教養の塊。何でもご存知のNHK出身、自称ジャーナリスト、人呼んでパクリスト、池上彰氏へ。

【いけがMeeToo】

  白けたよ!


  私は偉いんです!!



そして、今年の漢字は・・・・・・

【 偽 】  英語で、Fake


  安倍ちゃんまで・・・


情報弱者はコロッとだませる、平和な日本。

さて、来年はどんな年になるのやら・・。

色男、ちょっとひょうきん、阿部寛

2018年08月17日 | 芸能関連
少し日本人離れした容姿で、シリアス物もひょうきん物もこなせる男優と言えば、誰を思い浮かべますか?

最近では、美容院の予約のテレビCMで笑わせてくれた人である。スマホで予約しようとしていると、若い女性から「それスマホじゃなくて、羊羹ですよ。」と言われて、とぼけてみせる阿部寛であった。



刑事、加賀恭一郎役で出ているテレビドラマでも、ちょっととぼけた名刑事ぶりの演技を好演している。

私は「新参者」というDVDを借りてきて観たが、そのストーリーも絶品だが阿部寛のキャラクターがピッタリの作品であった。



ローマの建築技師役で出ている映画「テルマエロマエ」は、前情報無くDVDを借りてきて観たのだが、これが馬鹿馬鹿しいが実に笑える名作であった。この映画で、私は彼のファンになってしまったのだが、この映画は台湾でもかなりヒットしたそうだ。

阿部寛は台湾でもかなり人気のある日本人俳優の一人で、それは多分、彼の長身でハンサムなルックスと、映画でのひょうきんなキャラクターが人気の秘密ではないか。

そんな彼がCM撮影か何かで、台湾を訪れていた時、台湾東部の花蓮県で大きな地震があった。死者もでるほどの大地震であった。

阿部寛は、その時台湾でイベントに参加中であったそうだ。彼は、間髪をおかずその場で1000万円の義捐金を申し出たそうだ。

どこかのIT企業の創業者とは違って、口だけではなく阿部寛は帰国するなり、日本にある台湾の出先機関に1000万円を手渡しで寄付したそうだ。

この敏速な対応は、台湾の人達をおおいに感動させた。

キザでもなく、さりげなく飾らず、サラッとした対応に、私も一発で大ファンになってしまった。



今後の彼のさらなる活躍を期待したい。

YMCA の思い出

2018年05月20日 | 芸能関連
自分と同じ世代の人が他界すると、病死であれ事故死であれ、かなり気になるものである。

先日亡くなった歌手の西城英樹もそれで、彼とは同じ年齢である。さらに病歴も似通ったところがあって、内心穏やかではない。

テレビでは何度も何度も西城英樹の全盛期の映像を流していたので、私も当時のことを思い出さずにはいられなかった。

1979年といえば、彼がヤングマン(YMCA)という曲をリリースした年で、その曲は振り付けと共に日本で大ヒットしたそうだ。「・・・そうだ」というのは、その頃私は米国にいたからである。

 振り付けと共に大ヒット

誰から聞いたのか良く覚えていないが、当時日本では西城英樹がYMCAという曲を歌って大ヒットしていると知った。そして、なんでまたあの歌を西城英樹が・・・?? しかも大ヒット・・・??

当時私は不思議でならなかったことを覚えている。

その元歌はアメリカのビレッジ・ピープルというグループが歌っていて、アメリカのテレビやラジオでもよく流れていたディスコ音楽だった。しかも、そのビレッジ・ピープルというグループは、ゲイの音楽グループで知られていた。

YMCAという歌も、歌詞を見れば分るが、YMCAに泊まると面白いぜ、いいことあるぜと繰り返している。なぜかというと、当時YMCAという若者対象の宿泊施設は、そっち系の男性が気軽に集まってくる宿泊施設として知られていたからだった。

  ゲイのグループでした

実は私は、そうとは知らずに、休暇をもらってカリフォルニアに行った時、サンフランシスコのYMCAに一泊した事があった。何となくここは普通の安ホテルと派違うな、とすぐに感じたのは、そこのトイレに行った時のことだった。

もちろん男子トイレで、用を足しながら目の前の壁を見ると、一面落書きだらけであった。しかし、その内容は、名前と部屋番号や電話番号らしき数字が書かれていて、それは異様な落書きだと、一目瞭然であった。

しかも、廊下ですれ違う他の宿泊客が、みなすれ違い様に愛想よくほほ笑みながら私の目を見つめてきて、中には軽くウインクしてくる大男もいた。鈍感の私も、ここまで来ると、そうかここはサンフランシスコだった、とようやく納得したのだった。

その夜は外出もせず、部屋のドアの鍵をかけて寝たのだった。(チェーンの他に2ヶ所も追加のスライドの鍵があった)

ゲイとホモの違いは良く分らなかったが、やたらと男性同士なかよく並んで通りをあるいている光景が、サンフランシスコの特徴だった。

日本で西城英樹が歌っていた頃、当時のファンはこの歌の元歌の意味を理解していたのだろうか?

この疑問に答えてくれるテレビ局は、この数日間気にして観ていたが、どこにも無かったのが残念だった。

63歳で人生を終えるのは、少し早すぎただろうが、彼は正に一世を風靡した大スターだったから、その功績は歌として永遠に消えないだろう。

合掌

タッキナルディ?外国の人??

2017年12月16日 | 芸能関連
やはり溜まりかけたストレスを吹っ飛ばすには、笑う事が一番で、健康の秘訣は「笑い」にあるんじゃないかと確信を持ちつつある。

今の私のお気に入りは、相変わらずサンドウィッチマンである。実に良く練られたネタを元に軽妙なボケとツッコミが、同じネタを何度聴いても飽きさせない。

中でも一番好きなネタが哀川 翔のモノマネを基調としたものだ。

コントは、銭湯で哀川 翔ではなく、哀川 頂がCM撮影を終えたところから始る。

腰にバスタオルを巻いただけの伊達演ずる哀川が出てきてマネージャーに着替えを持ってくるよう指示する。

すると富澤演ずるマネージャーが、片手にビデオカメラを携えて登場する。

事務所の社長の知り合いが結婚式を挙げるので、お祝いメッセージの映像を撮らせて欲しいと依頼する。

渋々了解した哀川は、伊達の三脚の使い方をダメ出しするのだった。

 三脚の使い方が・・

お祝いする新郎新婦の名前を確認するところから、マネージャーの富澤がボケまくり、伊達は次第にイライラしてくるのだが、案外言い成りになるところが、最高に面白い。

伊達「新郎の名前は?」
富澤「何だっけなあ・・。あっ、そうだ。タッキナルディです。」
伊達「タキナルディ?外国の人?」
富澤「ハーフみたいです。新婦は美智子さんという日本の方です。」

伊達「タッキナルディ、美智子さん。結婚おめでとうよ。」

お祝いのビデオ撮影はナントカ終わるのだが、その後のオチがまた最高に可笑しい。

 切れる伊達




私は、アロワナという魚を知らなかったが、このアロワナもコントの中で登場するので、画像だけでも貼り付けておこう。

 アロワナ


騙されたと思って、実際の動画を Youtube で鑑賞して下さい。

『サンドウィッチマンコント 哀川 頂』と検索すれば簡単にヒットします。

死んじまった十字軍兵士

2017年12月10日 | 芸能関連

今月2日、はしだのりひこさんが病死、という訃報をテレビのニュースで知った。

はしだのりひことシューベルツというフォークグループの、「風」という歌のメロディーは、いまでも口ずさむ事ができる。

あれはいつのことだったのだろうと、ネットで検索してみたら、1968年。私が中学に入学した年だった。ラジオでよく聴いた曲だと思っていたが、当時の私はラジオなどないばかりか、自分の部屋すら無かったはずだ。

納屋の2階の屋根裏の3畳ほどの物置みたいな場所に机を運んで、自分の部屋としたのは確か中学2年の終わり頃だったと思う。

しかし、あの決して上手ではない歌い方の、「風」は不思議とよく覚えている。

彼の訃報を伝えるニュースでは、彼の経歴で「フォーク・クルセダーズ」のことを伝えていた。Crusader (クルセダーズ)とは、十字軍兵士のことで、グループ名は(フォークソングの十字軍兵士)という意味になる。

そして、デビュー曲が「帰ってきたヨッパライ」というコミカルな歌で、変な声で、変な歌詞の歌を、変なデコボコトリオが歌っていたのだった。毎日のように耳にしていたようで、リズミカルなメロディーは、妙に調子が良くて、何度も聴きたくなった。

日本国民はみんなそう感じたようで、レコードも283万枚売れたそうだ。

 50年前のことだった

はしだのりひこさん。享年72歳。病名は、パーキンソン病。

彼の記事はコンビ二で立ち読みした週刊誌にも出ていたが、その中にも当然フォーククルセダーズの紹介が書かれていた。ヨッパライの歌は、北山修の作詞、加藤和彦の作曲だったそうで、北山氏は存命だが、加藤和彦氏はすでに8年前に亡くなっていたのだった。

記事には、ただ「自裁」と書かれていた。

加藤氏がすでに亡くなっていたことは知らなかったが、自裁とは何のことかも分らず気になって、ネットで調べると何と「自殺」のことだった。

  当時の新聞記事

借金や鬱病で相当悩んでいたようで、軽井沢のホテルで首をつった状態で発見されたようで、署名入りの遺書もあったという。

「ヨッパライ・・」の歌以降の彼の活動は、ほとんど知らなかったが、ただ「あの素晴しい愛をもう一度」という歌を歌う加藤氏の声は良く覚えている。

彼らの後にフォークソングブームがやってきて、今ではBS局の番組では、たまに当時活躍したフォークソング歌手たちが、見事に老化した姿で登場しては、その老醜を晒しているが、ああいうのを目にするたびに、歳はとりたくないものだと痛感する。

人間誰しも、いつかはみんな死ぬ存在だが、フォークの十字軍兵士の三名を見ても、そこに行き着く過程には様々な道筋があるものだなあとしみじみ考えさせられた。

今日も笑った、ボケ・ツッコミ

2017年11月19日 | 芸能関連
肘の内側の少し出っ張った骨が何かに当たると、ビリッと電気が走るように感じる経験をしたことがあるが、あの骨がグリグリする部分は、筋肉が少なくて神経が束になっているからだそうだ。

あの部分を英語で、funny bone (可笑しな骨)と呼ぶ。「hit my funny bone 私のファニーボーンを打った」というと、「笑っちゃったよ。」といった意味になる。

語源は、上腕骨、つまり肩から肘までの骨を、英語で humerus (ヒューメラス)といい、この発音が humorous (ヒューモラス)、ユーモアのある、とか滑稽な、という意味の単語の発音に似ているからだそうだ。

ゲラゲラ笑った後、That hit my funny bone. と言えば、「いやぁ、笑いの壷にはまっちゃったよ!」といった意味になるだろう。

サンドウィッチマンのコントは、見事に私のファニーボーンをヒットしている。今日も、宮澤の絶妙のボケに、伊達がタイミングよく突っ込む。

コント、『ガソリンスタンド』より。

ガソリンスタンドの店員、宮澤たけしに向かってドライバーの伊達みきおが言う。

伊達  「レギュラー満タンな!」
宮澤  「お持ち帰りですかぁ?」
伊達  「当たり前っじゃねえか!何でこちらで召し上がるんだ!」

 レギュラー満タン!!

宮澤が、「レギュラー、満タン、入りマース!」と大声で叫んだ後、伊達に聞く・・

宮澤  「ご一緒に、ハイオクいかがですか?」
伊達  「何でポテトは?みたいに言うんだ!!レギュラーって言ってんじゃんか」

 一緒にポテトは?


コント、『電気屋の店員』より。

冷蔵庫を買いに来た伊達に、店員の宮澤が応対する。宮澤が勧める冷蔵庫について、いろいろ質問する伊達が・・・。

伊達  「これくらいで、だいたいサイズはどれ位になるの?」
宮澤  「サイズですか?そうですね、上から90.58,88です。」
伊達  「ナイス・バディーかっ!!そんなにくびれてねーし!」

 ナイス・バディー


隣にある一回り大きい冷蔵庫はどうか尋ねる伊達に、宮澤が説明する。

 野菜室充実!

伊達  「これはどうなの?」
宮澤  「こっちはですね、野菜室、生野菜室、温野菜室、夏野菜室があります。」
伊達  「いらねーなあ。ベジタリアンかよ!」


ボケとツッコミが絶妙のコントであった。



名脇役・ピエール瀧

2017年10月14日 | 芸能関連
映画の出来栄えは、主演俳優の演技や脚本、監督に関わっているのだろうが、私は最近我が郷土の映画俳優、ピエール瀧の存在が気になっている。DVDレンタルで少し前に話題になった映画を借りてきて観ていると、「あっ!ピエール瀧が・・・」と驚く事が続いた。

最近では、百田尚樹原作の「海賊と呼ばれた男」にも出ていた。

 真ん中にピエール瀧

ありきたりの表現だが、実に存在感のある俳優で、主演を食うわけでもなく、役にはまった何とも味のある演技を見せている。ヒットした「シン・ゴジラ」にも出ていた。

そして、テレビでは、サントリー角のハイボールのCMで見かけた。鳥の唐揚げをおいしそうにムシャムシャ食べているだけなのだが、表情が抜群にその場に合っていて、思わず生唾を飲み込んでしまう。

 顔がでかいが存在感抜群

ピエール瀧は、今でこそ「俳優」と呼ばれる存在を勝ち得ているが、静岡市の公立高校を卒業した後は、テクノバンド「電気グループ」の、楽器の弾けないミュージシャンとしてが社会人のスタートだったという。

当時の芸名は、実家が畳屋だったこともあって、「ピエール畳」などと名乗ったりしていたようだが、その後本名の「瀧」から、今の芸名に落ち着いたのだそうだ。

何でもこなす、言ってみればマルチタレントなのだろうが、2000年以降は、テレビや映画での出番が徐々に増えていき、憎めない笑顔や、強面の面構えから、ジャンルも様々な映画のチョイ役として欠かせなくなってきている。

 味のあるピエール瀧

元来性格がひょうきんなためか、静岡のローカル局では、自分の看板番組を持っていて、私はこの番組が大好きだ。

局アナの天然・広瀬麻知子との掛け合いが、最高にたのしく、恐らく企画にも相当ピエール瀧が関与していると思われる、実に馬鹿馬鹿しく笑える番組となっている。

冗談やお世辞抜きで、この番組ならば全国ネットで放映しても結構な視聴率は稼げるのではないかと思う。それが、「ピエール瀧のしょんないTV]である。

「しょんない」とは、「しようがない」という意味の静岡弁である。

 「しょんないTV]から

広瀬アナのボケっぷりと、ピエール瀧の間のいい「つっこみ」、視聴者を巻き込んでのバカ馬鹿しい企画などなど・・・

関心のある方は、Youtube で、「ピエール瀧のしょんないTV」と検索して観てください。

私は、過去の番組をDVDにして売り出してくれないかと、密かに期待しているのですが。


紅白歌手、ドサ廻りのチラシ折込

2017年04月02日 | 芸能関連
今日の朝刊にあった折込チラシの中に、カラフルだがいような衣装を着た女性の写真が目に付いたので、(まるで小林幸子みたいだな・・・)と思って手に取ってみると、何と『小林幸子コンサート』のチラシ広告だった。

まだ、三月も先のコンサートのチケット割引のチラシで、きらびやかな衣装を着た彼女の写真と共に【いまチケットが入手困難な小林幸子コンサート!!】、【新たな感動のステージ、ついに幕開け!圧倒的「小林幸子の世界」!!】などの活字が躍っている。

  紅白の衣装、その一

【紅白歌合戦でしか見られない、あの衣装が目の前で見られました!!】というフレーズがチラシ中央に印刷されています。

  紅白の衣装、その二

よく見ると、『びっくり!歌と衣装の素晴らしさに驚きの連続!』(65歳、神奈川県)
とか、『テレビではこの感動は絶対伝わりません!言葉に出来ない素晴らしい体験!』(52歳、岩手県)。

さらに『あまりの綺麗さに会場中がどよめくんです。こんな光景初めてみました!』(64歳、ふj福島県)などなど、他にもいくつかの体験談が、びっくりマーク!をふんだんに使って載せてありました。

もしかして、どこかに小さな活字で、【※個人の感想であり効果・効能を示すものではありません。】という但し書があるんじゃないかと思って探しましたが、どうもそれはありませんでした。

SS席 : 8000円のところ、6800円 (本日より5日間!!)
S席 : 7000円のところ、5500円 (同上)

全席指定の特別割引なのだそうで、ペラペラのB4紙の右隅には、印刷された切り取り線付きの郵便はがきに住所氏名連絡先を記入して、切り抜いて投函し、予約するシステムのようでした。

港町・焼津市の文化会館にあの小林幸子がやってくる、ということで、さぞかし地元の暇を持て余す老人たちは心弾んでいることだろうが、私は多分還暦をとうに過ぎた小林幸子がこうして日本全国をドサ廻りしているんだなあと知って、何か哀れさを感じた。

  還暦過ぎには見えません

それは、そのペラペラの胡散臭い折込チラシが、少しみすぼらしく安っぽい感じで、書かれている内容も、胡散臭い健康食品のチラシみたいだったことが大きく影響していたのだと思う。

地元漁師町の老人たちにとっては、いい暇つぶしになり、しかも冥土の土産としては丁度いい、話の種になることだろう。


古典落語は良き道徳教材

2017年01月29日 | 芸能関連
昨年末の「開運!なんでも鑑定団」という番組で、支那の茶碗に2,500万円の評価額がついて話題になった。鑑定者によると、国宝級の逸品らしいのだが、その場面をテレビで観ていた陶芸家が、お土産品レベルの一目でわかる紛い物だとケチを付けたので、大騒ぎになった。

というのも、その陶芸家はただの素人ではなく、親子二代にわたって、当の茶碗の復元の研究をしている専門家であったからだった。見た瞬間に紛い物だと分かる、幼稚園の工作レベルの紛い物だと断定した。

結局、この茶碗の真贋についてはどうなったかは知らないが、幼稚園児の工作レベルのお茶碗に2500万円の値を付けてしまうことがあるのだろうか?

このエピソードを知った時、思い出したのが【井戸の茶碗】という古典落語の演題であった。「開運!なんでも鑑定団」という番組にも出たことのあるこのお茶碗は、知る人ぞ知る高麗茶碗の珍品で、本物ならば数千万円の値がつくらしい。

  井戸の茶碗

この噺は、江戸時代の話で主な登場人物は、くず屋の清兵衛、浪人・千代田朴斎、若侍・高木作左衛門の三名である。

登場人物が三人とも、曲がったことが大嫌いな正直者で、融通が利かない処もあるのだが、古い仏像をくず屋に出したところから話が始り、途中何の変哲もないお茶碗も登場して、最後はめでたしめでたしで終わるという、聴いた後清々しい気分にさせてくれる噺だ。

   くず屋の清兵衛

私は、この噺を古今亭志ん生(五代目)と三遊亭園生(六代目)の演目として聴いたことがあるが、どちらも甲乙つけがたいほどの名人芸である。

  昭和の名人たち

古典落語には人情噺というジャンルがあって、江戸時代の人情味溢れる人たちが繰り広げる面白おかしい話が、ほのかな感動を感じさせてくれる。

特にこういう話を、名人と呼ばれる落語家の噺で鑑賞すると、話の良さが一層ひきたつので、是非お勧めする。

CDレンタル店や図書館などには、必ず揃っているし、 youtube などでは動画でも楽しめるから便利な世の中になったものだ。

人情噺では、「唐茄子屋政談」とか「文七元結(もっとい)」、「芝浜」などがいい。

今は使われなくなった江戸言葉(例えば、へっつい=かまど)などが出てくるし、自分が幼い子供の頃、お爺ちゃんが使っていた言い回し、(例えば、下地=醤油)なども聴けて、実に懐かしい気分にさせてくれることがある。

さらに、こういう古典落語を聴くことは、子供の情操教育にもきっと役立つし、小難しいことを言わなくても、日本人ならではの道徳観が自然と身に染みていくことになる。

教育勅語の復活だとか、道徳を教科になどという前に、我が国の伝統芸能から学ぶことは大きな意義があるのではないだろうか。

大喜利で、オチャラケ芸を言って座布団を集めるだけが落語家のすることではない。ましてや、自分は私生活で愛人を囲っていながら、新婚さん相手に偉そうな説教をするのが落語家ではない。

大切な日本の文化遺産の継承を担って欲しいものだ。

同感です! つるのさん。

2016年12月03日 | 芸能関連
つるの剛士さんというタレントが極めてまともだということがよく分かる記事だった。

  子沢山タレントで有名なつるのさんです




産経新聞 12/2(金) 14:32配信  抜粋  ****************************

つるの剛士さん「保育園落ちた日本死ね、が流行語大賞なんて…」

 タレントのつるの剛士さん(41)が自身のツイッター上で、「保育園落ちた日本死ね」の流行語大賞トップテン入りに「とても悲しい気持ちになった」と投稿し、議論になっている。

 つるのさんは2日、「『保育園落ちた日本死ね』が流行語。。しかもこんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました。きっともっと選ばれるべき言葉や、神ってる流行あったよね。。皆さんは如何ですか?」(原文のまま)とツイートした。

 1日に「2016ユーキャン新語・流行語大賞」が発表となり、トップテンに「日本死ね」が入っていた。都内で開かれた授賞式には、国会でこの問題を追及した民進党の山尾志桜里衆院議員(42)が満面の笑みで登場。表彰され「年の締めにもう1度スポットライトが当たり、うれしい」と喜んだ。

  別名「ミンスのガソリーヌ」というそうな

 「日本死ね」は匿名のブロガーが保育園の抽せんに落ちた怒りをつづったもので、一部のメディアが大きく取り上げて反響を呼んだ。

 選考理由は「このフレーズが先導するようにして大きな社会問題を現出させた」(選考委員会)というもの。

  極左・選考委員たち

 つるのさんの投稿に対し、「私も全く同じ」などと同感する意見が多数寄せられ、一部、「この言葉のおかげで待機児童の問題に政府が本気で取り組んだ」として、「日本死ね」の騒動を肯定的に評価する声もあったが、「民主党(当時)政権より改善されてますよ」「以前から政府は取り組んでました」などと百家争鳴の議論になっている。

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つるのさん、私も全く同感ですよ!



「七人の侍」の中の種子島

2016年11月27日 | 芸能関連
越中・五箇山の「塩硝の館」を観に行って来たのが今月4日だったので、あれからすでに3週間が過ぎてしまった。

  「塩硝の館」は小さかった

何気なく、合掌造りの白川郷に行ってみたいと前から思っていて、それなら雪の降る前に紅葉を見ながら行くチャンスだ、と思い立ったのだが、下調べをするうちに、意外な事が分かったのだった。

それは、大家族の合掌造りの家は糞尿の供給に困らないこともあって、黒色火薬の原料である塩硝(硝石)の一大生産基地となり、それが加賀百万石の財源にもなったということを目にしたからだった。

知らなかったが、富山県の五箇山のが白川郷と同じ世界文化遺産に含まれ、そこは規模は白川郷と比較すると、グッと小さいのだが、「塩硝の館」という資料館があると知り、もう居てもたってもいられなかった。

  種子島2丁が戦を変えた

当初、訪れたいと考えていた白川郷には行かずじまいだったのは、ユネスコの世界遺産に抵抗があったからだった。というより、世界遺産だ、世界遺産だとはしゃぎまくる観光業者や観光客たちに、私は違和感というか反感を感じるためであった。

それはさて置き、五箇山から帰宅してから種子島に1543年に、「鉄砲」が「伝来」した経緯や、火薬の調合方法や硝石の製造法、それに国産の火縄銃が大量生産される過程などなど、次々に湧いてくる疑問を調べることで、時間がどんどん過ぎていった。

学生時代は、私は日本史よりもどちらかと言えば世界史の方に興味が強く、日本史に登場する天皇や将軍の名前を覚えるのも苦手だったこともあり、基礎的な知識は多分小学生レベルだと思う。

中でも、室町時代とか戦国時代など、あの辺の歴史にはからっきし興味がなかった。

したがって、火縄銃のことを調べる過程で、「一向一揆」とか「キリシタン弾圧」とか、「荘園」「楽市楽座」とかいう言葉が出てくるたびに、聴いた記憶はあるのだがなんだったっけ?と、その都度知識を補充することに時間を費やすことになった。

その結果、火縄銃の短期間での全国普及には、「浄土真宗」などの強大な寺社勢力がネックになっていて、これが何と南の種子島から鉄砲の生産基地となる紀州から、硝石の供給基地となる越中富山が有機的に関連していることが分かってきた。

いずれ、ブログにまとめるつもりだが、いつになることやら・・・。

「種子島」といえば、私の一押し邦画、黒澤明の『七人の侍』にも「種子島」は重要な小道具として何度も登場することを思い出した。

思い出したので、今日DVDを観なおしてみた。

七人の侍たちが山村の百姓たちに請われて、村を野武士たちから守る戦いをするというストーリーだが、この映画には日本の文化・当時の階級社会・武士道・リーダーのあり方・無常観・人間の小狡さなどなど、多くの示唆を含む名画であって、その撮影技法と共にまったく古さを感じさせない一級品であると思う。

村を襲う野武士達は火縄銃を持っていた。全部で四丁の火縄銃が徐々に七人の侍たちの命を奪っていくのだが、戦いの最中にも、勘兵衛が突然クンクンして、「オッ、火縄の臭い!!」と叫び注意を喚起する場面がある。

あるいは、火縄銃に苦戦する中で、剣客の久蔵が夜中に単身の武士達の方に向かって行き、最早返り討ちにあったかと皆が諦めかけた早朝、朝もやの中から片手に火縄銃を持った久蔵がスタスタと歩いて戻ってくる場面があった。

これを聞いた三船敏郎扮する菊千代は、久蔵に負けまいと日中の武士達のこもる山中に向かい、たおれた野武士の格好で野武士の鉄砲使いに近づいたのだった。

  
まんまとバレずに、火蓋を閉じた種子島を手にする菊千代だった。

  

しかし、種子島を手にして自陣に戻った菊千代を勘兵衛は、「戦(いくさ)は一人だけでするものではない。」と叱責するのだった。

  菊千代の出自は百姓


最終的に、戦いの中で菊千代も種子島の一発で絶命してしまう。


この映画時代設定は、1587年ということで、関が原の戦いまであと13年。2丁の火縄銃が種子島に入ってから、60年弱でその数は1万倍以上にも増えたことになる。

火縄銃の歴史を少し分かって観る、『七人の侍』はまた格別のものであった。


数寄屋橋の真知子と春樹

2016年10月18日 | 芸能関連
「君の名は」というタイトルの漫画映画が大好評だそうだ。

街の声代表の、二十歳代の女性など、「二度観て内容がよく理解でき、感動した」そうだ。
八十歳くらいの老婆も、「画面がきれいで、眼の保養になった」と伝えていた。

    漫画映画は子供向け

興行収入が何億円だと大騒ぎするのは守銭奴にとっては結構だろうが、なんだかんだ言っても漫画映画は、良識ある大人の娯楽足り得ないであろう。中身はどうであれ、所詮お子様向けの文化でしかない。

我々の世代は、大多数が社会人になるころには、漫画を卒業していたものだ。いい歳をした社会人が人前で漫画を見ていたりすると、周りの大人は眉をしかめたものだった。

いつの頃からか、大人も平気で漫画を見るようになった。そして、次第に日本の大人は幼稚になっていき、それは現在も進行中で、まるで内臓に回虫が寄生して、脳味噌から養分を吸い取っているようだ。

我々の世代の少し先輩達、昭和20年前後に生まれた人たちの中には、「君の名は」と聞いて、てっきりあの岸恵子と佐田啓二の恋愛映画のリバイバルかと思って映画館に出かけた人も多かろう。

  春樹と真知子の「君の名は」


「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」

このセリフは、ラジオドラマの「君の名は」の冒頭で毎回流れていたそうだが、私の亡き乳は、何か忘れ物をした時や、思い出せないことがあった時など、いつもこのセリフを呟いていたもので、私も何だか意味も分からず、覚えてしまっていた。

さらに、私の母は、私が小さい頃、「真知子ショール」とやらで、当時爆発的に流行した「真知子巻き」をして、気取っていたものだった。

当時、ラジオで「君の名は」が放送されている時間は、街の銭湯はどこもガラガラだったというほど、超人気番組だったそうで、私の父母もそのファンであったようだ。

  大流行の「真知子巻き」


『 第二次大戦、東京大空襲の夜。焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命からがら銀座の数寄屋橋までたどり着く。一夜が明けて、二人はここでようやくお互いの無事を確認する。

お互いに生きていたら、半年後の11月24日、それがだめならまた半年後に、この橋で会おうと約束し、お互いの名も知らぬまま別れた。

やがて、2人は戦後の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会が叶わず、1年半後の3度目にやっと会えた時は真知子は、既に明日嫁に行くという身であった。

しかし、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、2人をめぐるさまざまな人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。 』

花も嵐も♪・・・♪の『愛染かつら』同様、会えそうで会えない、の連続「すれ違いドラマ」なのだが、以前、この『愛染かつら』と『君の名は』のDVDを母にプレゼントするため通販で購入した。

そのとき、どんなものかと観てみたが、結構ハラハラドキドキさせられて面白かった。

映画が不作というなら、昔の名画を作り直して見せてくれ。

漫画映画など観たくもない。

老醜と腐臭を撒き散らす老婆

2016年10月15日 | 芸能関連
先日、死刑制度廃止をめぐる弁護士の集まりに、『殺したがるバカどもと戦ってください』と、わざわざビデオでメッセージを送ったという報道があり、犯罪被害者の気持ちをまったく考えないことに批判が殺到した騒ぎがあった。

そういうメッセージを流す弁護士達の神経がどうしても理解できないのだが、そもそも頭を丸めて、尼のコスチュームに身を包み、女性の相談事に乗っているような立場でありながら、「殺したがるバカども・・」などと言いたい事を口走る老婆は、成熟した大人の女性とは程遠いと言えよう。

  にじみ出る老醜・・

そんな老婆が、あの反日捏造新聞で謝罪していたと、今朝の朝刊にでていた。曰く・・・

『お心を傷つけた方々には、心底お詫びします。』と謝罪した上で、グダグダ言い訳を連ね、挙句の果てに・・・

『誤解を招く言葉を94歳にもなった作家で出家者の身で、口にする大バカ者こそ、さっさと死ねばいい』とつづっていたそうだ。

自分でもよく分かっているではないか。

好き勝手なことを口走って、形勢不利と見ればすぐ謝罪する、というのは見ていて蹴った糞悪いもので、他人に偉そうなことを言う資格などないことの証左として余りあるのではないだろうか。

外観だけでなく、言葉にも腐臭が漂う。

「親馬鹿チャンリン 蕎麦屋の風鈴」の典型

2016年08月24日 | 芸能関連
新たなゲスが誕生した。

女優の母が溺愛する倅(せがれ)が強姦致傷容疑で逮捕された。ニュースをちょっと見ただけで、これは起こるべくして起こった出来事で、あの母親の息子ならいずれ何か問題を起こしていただろうと思わせた。



この母に育てられたら、どんな子供でもまともな大人に成長するとは思えない。母子家庭だから、というのは全く理由にならないだろう。溺愛して溺愛したがために、育て方を誤ったわけだ。

だいたい子供を社会で揉ませる事なく、すぐに自分の後を次がせたり、自分の会社に入れたりすれば、世間はどう見るかわかるだろう。どんなに厳しくしているようでも、周りはそうは見ない。

そして、予想にたがわずうまくいかなかったときは、世間は「親馬鹿チャンリン、蕎麦屋の風鈴」だな、と言って笑い飛ばすのである。

母親はこんな子じゃなかったのに、と思っても世間の目はその反対で、成るべくして成ったんだな、と驚き
もしないのである。