孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

空港売店の見本市のごとき、【浅草】

2018年07月05日 | 趣味の世界
とにかく暑くて、暑くて。

朝のうちに、浅草の散歩を済ませようと9時半ころ雷門から仲見世通りをブラブラし始めたが、意外と観光客が多くて驚いた。支那語や朝鮮語。タガログ語や聞いた事も無い言葉を話すアジア系の家族連れなど、観光客の7割くらいは日本人以外の人種だったと思う。

  記念撮影スポット、雷門。


雷門の前で、周りを気にせず延々と記念撮影を続けるのは、間違いなく支那人集団である。例によって、話声がでかく、カラスが喚き散らしているようだった。

  9時半頃でも観光客が・・

国籍は不明だが、欧米系の白人たちは、腕に刺青をしてTシャツを着ている。恥ずかしくも無く、よくもあんな幼稚園児の落書きみたいな彫り物を自分の腕にしたもんだと呆れてしまう。

近くに浴衣を着付けして貸し付けている店があるらしく、色艶やかな浴衣姿の女性が、結構歩いていて風景の一部になっているのだが、彼女たちの歩き方、足の運び方を見ると、ほとんどみんな外股でペタペタ歩いていて、まったくの興醒めであった。

せっかく着付けまでして料金を取るのなら、せめて日本人女性の優雅な歩き方くらいアドバイスしてあげたら、いかがなものであろうか。

土産物屋さんは、お金を落としてくれる外国人観光客を大歓迎するのだろうが、あそこまで外人たちに媚びてるような仲見世通りは、50mもぶらつくだけでそのステレオタイプぶりにウンザリするだけだった。

私は、途中見つけた喫茶店に入って、冷たい珈琲を飲みながら汗を引かせてから、お目当ての浅草演芸ホールに向かった。

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寄席はいいもんだ。

2018年07月05日 | 趣味の世界
今や大衆芸能といえば、コント・漫才が人気なのだろうが、私は子供の頃から祖父の影響が大きくて、講談・浪曲・落語などを最初はラジオを通して自然に親しんできた。

その所為か、テレビの時代が来ても、祖父や父と一緒に二葉百合子の「岸壁の母」とか、三波春夫の「俵星玄蕃」などをワクワクしながら観たものだ。

かすかな記憶だが、年に一度の村祭りの余興の本物の講談を祖父と一緒に観に行ったこともあり、あれは多分私が4~5歳の頃ではなかったかと思う。

成人になってから、どうも同世代には私と同じような趣味を持つ者が少ないことが分ってきて、私はそれ以来、「潜伏キリシタン」ならぬ「潜伏大衆芸能ファン」として密かに伝統大衆芸能を楽しんできたのだった。

いつか機会があったら、本物の寄席に行きたいと思っていたので、今回休みが取れたのを利用して、上野・浅草までの二泊三日の旅に行ってきた。

宿は、浅草に取ったのだが、まず出かけたのは上野駅から徒歩で10分ほどの場所にある鈴本演芸場の昼の部を観た。
    食べ物・飲み物持込可でした。


場内は7割くらいの入りで、ざっと見て観客の平均年齢は65~66歳、男女の比は半々。高齢者はほとんど夫婦連れのようだった。

昼の部は、12:30~16:30で、落語が6割くらいが落語で、あとは漫才ありマジックありという演目であった。持ち時間は15分なので、落語らしい落語を演ずるのは難しく、また駆け出しの落語家の落語は、耳の肥えたファンには少し耐え難いものもあった。

翌日は、浅草の雷門界隈を散策した後、「浅草演芸ホール」に出向いた。

   入替え制がないので、一日中楽しめる。

上野と浅草を掛け持ちしている芸人がいて、その出し物も大差なく、少々興醒めなところもあったが、やはり臨場感はテレビで観るのとは違って、意外といいものだった。早朝のW杯サッカーでかなり寝不足状態だったがが、居眠りすることはなかった。

上野にも浅草にも出演していた、「三遊亭歌之介」という落語家は、今回初めて観た噺家だったが、なかなか笑わせてくれて、ファンになってしまった。

山のアナ、アナ・・・で有名な、三遊亭圓歌の弟子で、どちらかと言うと落語と言うよりも漫談、綾小路きみまろ風の芸風の噺家だった。

 三遊亭歌之介

師匠の圓歌をネタに笑わせていた。

身長148cmの師匠と、伊豆の温泉に行った時のことです。

「流れる温泉が気持ちよかったから、お前らも行って来な。」

そう言われて行ってみたんです。。。。

「足湯」でした・・・。

師匠は、足湯に肩まで浸かっていたんです!


  注目!三遊亭歌之介


来年3月から「4代目三遊亭圓歌」を襲名するそうです。

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七度目の台湾一人旅 part 4

2018年05月04日 | 趣味の世界
言葉を生業としている身にとって、目や耳から入ってくる言葉には、常に敏感でありたいと思っている。

今回の台湾旅行でも、飛行機の機内で、ホテルのエレベーター内で、英語・朝鮮語・支那語などが中心であったが、様々な外国語が飛び込んできて、心地よい刺激となった。

今年の2月からお世話になっている、今の自動車部品メーカーでも、日本人以外にフィリピン人・インド人・フランス人などが研修生として仕事をしているので、見かけはグローバル企業の様相である。

しかし、日本人正社員の中で、彼らと不自由なく会話できるのは、ほんの数人であり、各部署ごとに英語が使える派遣社員を抱えていて、文書やEメールの翻訳や、簡単な通訳などを担当しているのが現状である。

私の配属された部署は、世界中にある関連会社や子会社との業務協業体制を再構築するところで、英語によるEメールや文書翻訳、Web会議の遂次通訳の依頼に対応している。

しかし、これまでお世話になってきた会社同様、ここの社員たちも英語アレルギーの方がほとんどで、自ら積極的に英語を学んでいこうという人は皆無のようである。

私が特に困るのは、話すにしろ書くにしろ、彼らの日本語があまりにも稚拙すぎることである。特に日本語特有の、主語を省くことが常習化していて、これは翻訳者には大きなストレスになるのである。

 たかが翻訳?

前職では、あまりにも酷かったので、関連する社員たち全員に、具体例をたくさん挙げて注意を喚起したのだった。

それは、例えばこういう悪文なのです、と極めて具体的に説明した。

例1) 黒い目のきれいな女の子を見た。
    ・黒い目がきれいだったのか、目のきれいな黒人の女の子だったのか?

例2) 太郎と花子は中学からの同級生です。
    ・太郎と花子の関係を言いたいのか、私も含めた三人が同級生だったのか?

例3) すべての外国人は親日派だとは言えない。
    ・外国人はすべて日本が嫌いだと言いたいのか、日本嫌いな外国人もいると
     言いたいのか?


こんな和文は英訳し難いですというメールを、一斉送信したら、すぐに返信してきた方がいた。その内容は、「じゃあ、どう書くべきなんですか?」という問い合わせであった。いかりや長介のコントじゃないが、「ダメだ、こりゃ・・・」と私は失望した。

今回の台湾旅行で、ドミニカ共和国が台湾と断行というテレビニュースが気になって、買った台湾の英字新聞を眺めていたら、読者の投稿欄に、『Translating ideas, not just words』という見出しの記事が目に入った。

『言葉ではなく、イメージを翻訳』といった意味だろうか。

投稿者は、長いこと主に英語(アメリカ英語)で、コミュニケーションを教えてきた年配者であった。その彼がまだ学生だった頃、先生から次の文章を中国語に翻訳してみなさい、という問題を出されたそうだ。

【 Because Linda's mother is French she speaks French very well. 】

リンダのお母さんは、フランス人なので、フランス語をとても上手に話す。

しかし、投稿者はこの時先生に対して英文は意味が曖昧だと指摘したのだが、その時先生は何が曖昧なのか良く理解できなかったそうだ。

つまり、最初の英文では、リンダのお母さんがフランス人なので、フランス語が上手なのか、リンダはフランス人のお母さんにフランス語を習ったので、フランス語を上手に話すのか、これは明確ではないという指摘だったのだ。


異国の地で、こういう記事を読むと、これまで以上に言葉というものに対する興味が膨らんでくる。

AIが滑った、人工知能が転んだと世間は大騒ぎだが、翻訳・通訳の分野はまだまだ機械には任せられないのが実情だと感じた瞬間でもあった。



part 4 完
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七度目の台湾一人旅 part 3

2018年05月04日 | 趣味の世界
まだ社会人になって間もなくの頃、初めての海外出張の最後に立ち寄ったのが台湾だった。

まず、フィリピンのマニラで輸入品の海産物の現地視察、その次にタイのバンコクに飛んで、エビの輸出業者と商談、日本の取引先の出向者との顔合わせ、工場見学。

次にマレーシアのクアラルンプールで、日本の水産加工業者の工場長と落ち合い、一緒にタイとの国境近くの港町にて桜海老の代品となりそうな小エビの現品確認。その後、その工場長を台湾に送り届けてから、私は当時の台湾取引先事務所への挨拶という、旅程だった。

その際、台北のホテルにチェックインした時のことは、強烈に覚えている。
二つ星クラスのホテルだったが、ロビーもフロントも異様に大きかった。

私は、普通に英語で名前を言って、予約してあると思うが・・・と言いかけたときだった。

応対してくれた、多分40歳中ごろの中年女性が、不機嫌そうな表情をして、「あなた、日本人でしょ?日本人なら、日本語を話しなさいよ!」と、上手な日本語でまくし立てた。

私は、意表を突かれて、「ハイ!」と応えてから、同じことを日本語で伝えたのだった。

当時の私は、日本と台湾の関係や、台湾そのものの歴史も文化も、何も関心も知識も無く、なぜフロントの女性が日本語に固執したかも、まったく理解できなかった。

あれから30年以上経ってから、私は徐々に台湾のことに興味を抱くようになり、似たような境遇の南朝鮮が、あれほど日本を、日本人を嫌うのに対して、なぜ台湾には親日家が多いのか、それが不思議で、ますます興味を駆り立てたのだった。

漢字の国なので、街へ出れば看板は漢字だらけである。最初は見るのも嫌だったが、見ていると何となく意味が理解できて、これが面白くて病み付きになってくるのだ。

今回も、最後の日に恒例の龍山寺参拝をした。その帰りに壁一杯のバカでかい看板を見かけた。

 失智症の看板

失智症の専用電話番号のようで、イラストから想像すると、どうも「老人の認知症(呆け症状)」のことらしい。


 ⑤が面白い

失智症とは、何ぞや?と10項目ほど書かれていて、その下に具体例が説明されていたが。⑤番目がすぐ理解できて思わず笑ってしまった。

『誤認鏡子裡面的自己是別人』と書かれている。「裡」とは裏の意味だ。つまり、「鏡に映った自分の顔を誰か別の人だと誤認すること」といった意味だろう。

こういう広告から、ははあん、台湾も高齢者が増えてきて、認知症(アルツハイマー)を患う人が問題となりつつあるのだろう、と察する事ができる。

支那人のように、漢字をどんどん簡略化してしまうことを拒否し続ける台湾には、強い共感を覚えるのだが、それにしても複雑な漢字が多いもので、驚かされる。



part3 完
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七度目の台湾一人旅 part2

2018年05月04日 | 趣味の世界
どういうきっかけで「SPOT台北之家」を知ったのか、今となっては思い出せないのだが、元アメリカ大使館だった建物を改造して、カフェやバーのある憩いの場にして、その一部をミニシアターとした所に、ここまで嵌ってしまったのには、自分でも驚いている。

すぐにインターネットで検索して、お気に入りに追加し、今どんな映画が上映中なのかをチェックするようになっていた。

いわゆる名画座で、世界中の映画祭で評価されたり評判になった作品を選りすぐって上映している。日本のシネマコンプレックスではおそらく絶対に上映されないだろうが、まずどの作品も当たり外れは無いと思ってよい。

 台湾の名画・非情城市

それもそのはず、ここをプロデュ-スしているのは、台湾の映画監督、侯考賢さんだからである。あの「非情城市」の監督である。

 侯考賢監督

映画「非情城市」の舞台は、九份(キュウフン)である。ここは19世紀後半にゴールドラッシュで栄えた街で、その後人口も減って次第に寂れていったが、この映画の大ヒットで、再び観光地として復活したのだった。



日本の台湾ツアーにはこの九份(キュウフン)がほとんど間違いなく組み込まれているが、これはまったく別の頓珍漢な理由からだ。

つまり、この街の情景が、漫画「千と千尋の神隠し」に出てくる場面のモチーフになったとか、ならなかったとか・・・まったく適当な理由から、漫画世代の若者が訪れ始めたのだった。

高齢者のツアー客などわけも分らず、ただ行くだけ行って、「石段が多い、、ホラ、何て言ったっけ??あの、ホラ・・あの・・」などとやっているから嘆かわしい。

侯考賢監督は、これ以外にも名作を何本も手掛けているそうだが、SPOTで上映されている小品を観ても、そのセンスの良さは十分納得できる。

ただ、どの映画にも外国映画には中国語の字幕が付くのだが、字幕が読めない人には内容は理解できないという欠点はある。従って字幕が英語の外国映画もしくは、セリフが英語か日本語の映画しか、私は観る事ができないのである。

毎週、4~5本の映画を交互に上映している。そのスケジュールも事前にネットでチェックできるので、細かな旅程も立て易いのである。

同じコンセプトの名画座ミニシアターは、台北之家から少し離れた所にある「華山1914」というオシャレな地区にもあって、こちらにはミニシアターが2館ある。次週上映予定の「楢山節考」のポスターが眼をひいていた。

 崋山1914


今回は、ここ崋山1914の方で、邦画を2本と外国映画1本を観た。

邦画は、竹中直人監督の「東京日和」という映画で、もう20年ほど前の作品だった。それほど期待せずに観たのだが、これが意外にも心がホッコリするいい映画だった。主演の中山美穂の演技が際立っていた。

もう一本は、「羊の木」という映画で、今年封切られたばかりのサスペンスものだった。こちらも事前情報はまったく無しで観たのだが、出来栄えは90点。もう一度観たい名作だったと思う。

登場人物の一人に、巨乳の美人がいたのだが、どことなく優香に似ているなあと思いながら観終わって、エンドロールで確認したら、やっぱり優香だった。

若いころのピチピチさは消え去って、どことなくふっくらした感じだったが、なかなかの名演技ぶりで、充分俳優としてやっていけそうである。

レンタルショップに並んだら、絶対にもう一度観たくなる映画で、まだ観てない方にはお勧めの佳作です。




part2 完

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七度目の台湾一人旅 part 1

2018年05月04日 | 趣味の世界
先月中ごろだったろうか、ゴールデンウィークをどう過ごそうかとボンヤリと考えながら、近くの静岡空港~台北便の混み具合をネットで見ていたら、何と4月29日出発便が残り1席いつもの価格で出ていた。

もう迷うことなく、その場で確保して、その後すぐに台北の格安宿も予約したのだった。

まさか、ゴールデンウィーク中に4日間も日本を離れられるなんて、その晩は興奮してなかなか眠れなかったほどだった。

翌日から、早速旅程の検討に取り掛かった。

私は、旅の楽しみはこの旅程を考えるところが半分以上を占めていると、常々思っていてインターネットを駆使して、情報をたくさん集めては、ジグソーパズルを解くようにああでもない、こうでもないと考えることほど楽しいものはない。

4月29日の深夜に宿にチェックインして、5月3日の10時ころチェックアウトするまでの丸々三日間は、台北市内だけなら充分過ぎる時間である。

天気予報や、これまでにまだ行ってなかったところなどを考慮して、出来上がった今回の「やることリスト」は、ざっと以下のようなものだった。


・ 台北アイで京劇鑑賞 演目:三打白骨精 (三蔵法師一行と孫悟空もの)
・ 淡水、紅毛城観光
・ 野柳、ジオパーク
・ 華山名画座ミニシアターでの名画鑑賞 (東京日和、羊の木、Jupiter's Moon)
・ 炒飯、食べ比べ
・ マンゴーカキ氷、食べ比べ
・ 龍山寺、お礼参り 


 タイペイアイ

1月に行った時は、満席であったため観る事が出来なかった。今回でもう6度目になるが、年々観客が増えている気がする。今回も館内約7割ほど観客で埋まっていた。

そのうち7~8割は、日本人観光客で残りは南朝鮮人観光客、それに西欧人らしき人もパラパラといた。

演技は時々ミスることがあって、その点はご愛嬌だが、閉幕した後すぐに俳優たちが出口に勢ぞろいして、手を振りながら観客との記念撮影に応じるところを観るのは、いつも楽しいものだ。

私は日本の歌舞伎もこのくらい庶民的な芸能であって欲しいのだが、観劇料は高く、俳優たちもみんなお高く留まっている様で、どうも敷居が高過ぎやしないかと不満である。一度歌舞伎を観たいと思っているのだが、高い敷居をまたぐ気がしないのだ。


  紅毛城

台北駅から淡水線の終点「淡水」で下車すると、淡水川に沿って色々な店が並んでいて、絶好の散歩コース、デートコースとして、有名な観光スポットである。私はここを訪れると、必ず烏賊焼きを買って食べることにしている。これはおいしい。

その淡水駅から、徒歩で25分ほど歩けば、「紅毛城」に着くのは以前から知っていた。ここも、団体旅行の観光客には定番の観光スポットらしいが、私はこれまでどうも行く気はしなかった。

その理由の一つは、淡水駅からの距離が歩いていくには遠いし、タクシーで行くほどの距離でもないし、路線バスを利用してもいいのだが、バス停を見つけるのが面倒だったこと。

そして、もう一つの理由は、ガイドブック等でその城の説明を読むと、そもそもアジアにノコノコ侵略の目的でやってきたスペインやオランダやイギリスなどが、その時のパワーバランスで所有してきた古城であり、台湾人が建てたわけではなかったからだ。

要するに、16~17世紀の西欧列強の台湾支配のシンボルでしかない建築物であるというだけで、それを餌に観光客から入場料を徴収しようとする性根が気に入らなかったからであった。

しかし、今回は日程にも余裕があったので、「ちょっと見てやるか・・」程度の感覚で訪れた。歩こうかと思ったが、日差しが強くてタクシーを利用した。

ガイドブック「地球の歩き方 2018版」には、入場料・無料と書かれていたが、何と80元(約300円)徴収された。この手のガイドブックには、よくこういう嘘情報が記載されているので、気をつけた方が良い。

城内の展示資料は、量の多さに比べて、内容は相当貧弱で期待はずれもいいとこであった。16~17世紀当時のアジアの地図はこうだった、ああだったとグダグダ説明されているだけで、「へえ~、だからどうなの?」と問いかけたくなるレベルだった。

ただ、一つだけ「ほぉお~~!」と感心した記述があった。それは、スペインが1628年に城を立てようとした際に、その近辺に暮らしていた先住民たち(アボリジニ)が、城を襲って焼き討ちにしたというくだりであった。

要するに、昔から台湾に住んでいた先住民たちが、余所者たちが勝手に城などを建てようとするのを見て、黙っていられず戦ったわけである。

恐らく当時の毛唐たちは鉄砲や大砲を所有していたため、勝敗は目に見えていただろうが、黙ってオメオメと傍観していなかった先住民たちのその心意気に、私は拍手喝さいで応じたかった。

城の横には、イギリスが領事館に利用した建物もあったが、もう私はこいつらの趣味に鼻持ちなら無くて、展示など観る気にもならず、サッサと後にして、淡水駅にバスで戻ったのだった。


part 1 完
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台湾で観た、名作邦画【幼子われらに生まれ】

2018年03月03日 | 趣味の世界
そろそろレンタルショップに並ぶ頃だと思って、先週あたりから気にしていた。

今日、給油に行った帰りに立ち寄ってみたら、案の定並んでいたので、迷わず借りてきた。
1月に台湾に旅行した時、台北之家で観た「親愛的外人」原題は「幼子われらに生まれ」は、観終えてから暫らく席を立てなかったくらい、余韻が残るいい映画だった。

 世界の名作専門ミニシアター

濃いコーヒーを飲んでから、じっくり鑑賞し終えたが、やはり中身の濃い名作であった。娘一人がありながら離婚して、女児二人の子持ち女性と再婚したものの、子供が成長するにつけ、親に対して複雑な感情が芽生えてきて、家族がギクシャクしてくる。

 娘からは「外人」のパパ

母が再婚相手の子を身ごもると、益々長女の心の疎外感が強まってきて、母の再婚相手を困らせるのだが、浅野忠信が怒りを抑えながら連れ子の娘に接する父親を好演している。

 バツイチ同士の再婚

原作はすでにアマゾンで取り寄せてあるが、まだ読み終えていない。仕事が忙しくて、もう暫らくは「積ん読(つんどく)」状態が続くだろう。

ヒューマンドラマがお好きな方には、見逃せない秀作です。
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八方塞がりの年だそうで・・・

2018年01月14日 | 趣味の世界
昨年末義母が他界したので、初詣は控えるべきなのかどうか考えたが、元来それほど信仰心は強い方ではなく、死んだらスイッチが切れてお終い。天国だの極楽だの黄泉の国だの、想像することすら出来ずにここまで生きてきたので、あと少しこの調子でいくつもりだ。

従って、先週の日曜日の早朝に、私は台北の龍山寺に参拝して、大日如来のお守りを買って帰ってきた。あれが戌年の初詣となったわけだ。

  パワースポット・台湾、龍山寺

雨がシトシト降っていたが、相変わらず早朝から地元の台北市民だけでなく、南朝鮮の観光客やら、日本の小ツアーの観光客で賑わっていた。

そして、一週間後の今日、今度は車で40分ほどのところにある神社に参拝してきた。正月も二週間経てば、初詣の人などいないだろうと思っていったのだが、とんでもない誤算だった。無料の駐車場は行列が出来ていて、10分ほど待たされた。

しかも、沿道には食べ物屋の出店が並んでいて、こういう雰囲気の沿道を歩くのは随分久しぶりのことだった。

  出店が並ぶ神社沿道

ひいたおみくじは中吉であったが、気になったのは、「今年の八方塞がりのひと」と大きく書かれた看板が鳥居の近くに立ててあって、その中に私も入っていたのを発見してしまったことだった。

こういうのは、知らないで過ごしてしまえばそれに越したことは無いのだが、知ってしまうと妙に気になるもの。帰りに少し大きめの厄払いのお守りでも買おうか、という気になる。

しかし、そうすると、まんまと神社側の「霊感商法」にまんまと乗せられたみたいなので、そこはサラッと無視して帰宅した。

神社では二礼、二拍手、一礼と参拝せよ、と表示がある。今日も見たのだが、よく二拍手の後、長いこと何かを祈っている方がいる。多分、願い事を延々と祈願しているのだろうが、私はいつもそれはしないことにしている。

これは単に私流のケジメに過ぎないのだが、お寺や墓前では両手を合わせて、心の中でいろいろと話しかける。自分の先祖たちに話しかけるのだ。

しかし、神社に参拝する時は、私は二拍手して、「来ましたよ!」と心の中で一言だけ言うに留めることにしている。いつもそれだけのことだ。

  厳粛な雰囲気がいい

高嶋易断を立ち読みしても、私の本年はあまり良い事が書かれていなかった。それはそれで、厳粛に受け止めて、一年を過ごそうと思うのだが、大抵三月頃になるとそんなことも忘れてしまって、春が過ぎ夏が来て、秋の気配を感ずる頃、残る暦はわずかになるものなのだ。

期待が大きいと、失望も大きくなる。

欲をかかずに、でしゃばらずに、腹を立てずにのんびりと一年を送る、というのが本年の私の計である。
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ちょっと、台湾へ

2018年01月02日 | 趣味の世界
近くの富士山静岡空港から出ている台北便の割安チケットが買いにくくなってきたような気がしていたのだが、キャンセルでもでたのか、手頃な値段でのチケットがあったので、迷わず予約した。

同時に、ネットで検索した台北のホテルも二泊予約した。

4日からの相場としては、割安な価格が出ていたので、ホテルはいつも利用する一泊2000円ほどのカプセルホテルではなく、狭いながらもシングルルームのホテルを予約した。

実際、夜中に何度かトイレに起きる私には、カプセルタイプの宿はその出入りが結構辛かったので、恐らく今後はもう利用しないと思う。

さて、台湾も6度目となると、もう観るところは無いんじゃないかと思うかもしれないが、とんでもない。

今回は、バスを利用して台北近郊の街に出向いてみることにする。

そこで、二日後に迫った台湾の旅の「やることリスト」を作ってみた。

1. 野柳ジオパーク観光

海岸にある奇岩が見れるジオパークで、台北駅からバスで1時間弱でいける距離だ。

 野柳地質公園


2.烏来タイヤル族博物館

こちらは、台湾の部族のひとつ、タイヤル族の街、烏来(ウーライ)。台北からバスで1時間半で行ける。前から一度行ってみたかったところだ。

 少数部族の街

3.台北之家で名画鑑賞

年中、世界の名画を上映している台北之家は、元米国大使館だった建物で、カフェがあったり、小さな映画館があったりする憩いの場となっている。別の場所にも似たようなコンセプトの名画座があり、映画好きにはたまらない。

今回上映中の、リバイバル映画「時計じかけのオレンジ」と、邦画「幼な子われらに生まれ」を観る予定だ。

 「時計じかけのオレンジ」

 「幼な子われらに生まれ」

4.台北アイで京劇鑑賞

台北に行ったら必ず観るのが京劇である。今回もこれは同じこと。

 台北アイで京劇を

5.龍山寺で神頼み

帰国の日の朝、必ず詣でるのが龍山寺。なんとなくご利益があるような気がする。

 パワースポット?

6.DVDショップでショッピング。

前から捜しているのだが、なかなか見つからないDVD「湾生回家」というドキュメンタリー映画のDVDを見つけて買って来たい。台北で一番大きなDVDショップは、宿の近くにある。

時間と体力が許せば、どこかの夜市にも行きたい。

私は、グルメでもないので、マンゴーアイスだとか、ショー・ロン・ポーなどの料理にはあまり関心が無い。腹が減ったらその辺の食堂で、チャーハンを食べたりして空腹を満たすだけ。

今回もそれは変わらないたびになると思う。
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笑いの効果、人体実験

2017年11月04日 | 趣味の世界
先月の初めからどうも体調がすぐれず、夜中にぐっすりと眠れない状態が続いた。

眠りが長続きしなかったのは、トイレに起きるからで、それは昼間それだけ水分を取るからだった。水分を取るのは、喉が乾くからでその乾き方が正常ではなかった。

心当たりはあったのだが、気になったのでしばらくぶりに血糖値を測定してみた。もう十数年前になるが、会社の健康診断で血糖値が高いという結果が出たのを機会に、市民病院の体験教育入院をしたとき購入した、テルモ社の血糖値測定器具を久々にひっぱりだした。

 血糖値測定器見本

写真の下側にある筒状のものが、血液を採るための器具。細い針が先端からちょっとだけ飛び出すので、アルコール消毒した指先に当てて、パチンと刺す。

上側が先端のセンサーから血液を少し吸って、7~8秒で血糖値を測定して表示する。

すると心配したとおり血糖値が200以上あった。

私はストレス解消に、ドカ食いするという悪い癖があり、食事だけでなく食後にも甘い物を結構食べていたのだった。

猛随分前に医者からは薬を飲むよう勧められていたのだが、自分で「糖質制限」のダイエットをして、同時に血糖値を半月ほど毎日測定し、それを医者に示して納得させて、これまで一度も血糖値を下げるような薬は服用したことはなかった。

「糖質制限」は炭水化物を取らない食事をすることで、糖分を制限し血糖値が上がらないようにするダイエット法だ。

昔は、そんなことをすれば能の栄養である糖質が不足してしまい体にはよくない、とどこの医者も看護婦も力説したものだが、人間の体は炭水化物がなくなると、内臓にこびりついた脂肪を餌に肝臓がケトン体という物質を合成し、これがもう一つのエネルギー源となる。

ご飯やパンを一切食べずに食生活を一変させると、私のすい臓から分泌されるインスリンの感受性が良くなってきて、みるみる血糖値は下がっていく。

毎日帰宅後の空腹時に血糖値を測定し、それをパソコンに入力していき、折れ線グラフにしていくと、その効果は一目瞭然である。

ただし、このダイエットは継続する強い意志を持ち続けなければならないことが、難点である。

酒は焼酎やジン、ウォッカなどの蒸留酒ならいくら飲んでも構わない。ただし、うっかりサンドイッチや砂糖をつかったタレつき焼き鳥などをたくさん食べると、正直に血糖値に反映されてしまう。

100~110くらいの正常値に戻ってすでに2週間くらい経つ。

朝は、ハムと目玉焼き、昼はゆで卵、プロセスチーズ、アーモンド、くるみなどと、パターン化して、夕食だけは、餃子、麻婆豆腐、野菜炒めなど好きな料理数種類を交互に作っている。

しかし、血糖値が安定してし始めてから、2~3度、糖質は一切採らなかったにも関わらず、血糖値が130~150くらいに上がった時があった。

いつもと同じものを食べたにも拘らず、なぜだろうか、と不思議に思っていた。

そうかと思うと、とある週末、血糖値が90~92と100を切ってしまう日があった。この二つの事象が私は気になっていて、食べた物などを思い出しながらいろいろ考えた結果導き出した仮説は、食事ではなく精神的なことだった。

血糖値が極端に下がった時は土曜日で、孫のなっちゃんが七五三の記念写真をもって家に来たのだった。例によって、トランプに誘われ、七並べ、神経衰弱、ババ抜きとやったのだが、すべて私の完敗に終わった。

なっちゃんは、得意になって大はしゃぎだったが、その顔は前歯が5本も抜けていて、私は可笑しくて可笑しくて笑い転げたのだった。

また、別の日。これは仕事があった日だが、通勤途中にi-pod に録音してあった綾小路きみまろの漫談を久しぶりに聞いて、ニタニタしながら勤め先の行き帰りを過ごした日だった。

きみまろの毒舌は、久しぶりに聞くともう最高に楽しくて、私は特に、中高年のオバサンたちがバス旅行に行くのは、トイレ探しの旅行でしかない。

高速道路のSAでトイレが混んでいても、だれかが「男子トイレに行けば空いてる」と言い出す・・という下りが大好きで、歩きながら声を出して笑ってしまう。


もしや、こういう楽しい笑いを伴う感情が、血糖値に影響しているのではと思い、もう一度、それでは血糖値が高かった時は・・・と思いをめぐらすと、その日はどちらも果たして嫌な事があったのだった。

どちらも、その日には帰宅途中にスーパーで買い物をした日だった。

私はレジに並んで待たされる事が大嫌いで、いつもなるべくカゴの商品が少ない人の次に並ぶように心がけている。その日は、カップめん一つだけ手に持った老人がいたので、その後ろについたのだった。

ところが、その老人はレジの店員と何か会話をした。するとその店員の女性は、別の店員を店内放送で呼び出した。しかし、なかなか手助けがやってこない。私は少しイライラし始めた。

するとどうだろう。そのレジの店員は、私に向かってペコンと頭を下げると、自分でそのカップめんを手にとって、売り場の方へいってしまったではないか。レジ打ちが持ち場をはなれてどうする!

私の怒りはもう爆発寸前であったが、そこに別のレジ打ちが現れて、何とか私の怒りは寸でのところで治まったのだった。

別の日、この日は帰りの道中でこんな事があった。

最近、無謀運転の事故のニュースが多いので、私は以前よりも意識して前の車と車間距離をとるようにしているのだが、利用する国道バイパスは、貨物トラックの利用が多く、彼らの運転はきちがいじみていて困る。

私が前の車と車間距離をとっていると、横からスッと割り込んでくる。あるいは制限速度より10キロ弱多目に走っていても、トラックが後ろにぴったり付いてきて、速くいけと煽ってくる。

これだけ事故があっても、貨物トラックの運転手たちのモラルはまったく改善されていない。私は、腸が煮えくり返りそうになったのだった。

以上の事象を踏まえて、私なりに導いた結論は、「怒りは血糖値を上げ、笑いは血糖値を下げる」であった。

そこで、今日の午後別の実験を敢行した。

まず、i-pod にお気に入りのお笑いを録音し、それを聴きながら約30分間散歩した。
お笑いとは、私が贔屓にしている「サンドウィッチマン」のコントや漫才だ。彼らのテンポの良さと、洗練されたネタ、ボケとツッコミの妙技は、他の追随を許さない。

伊達みきおの演ずるモノマネ。「哀川翔」ならぬ「哀川調」は絶品だった。

 サンドウィッチマン

さて、その結果はどうだったろう?

何と、血糖値は90であった。

これがその証拠写真である。この仮説は、まだまだ実験が必要なので、乞うご期待!!

 11 月 4 日 90

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得した気分の講演会

2017年09月09日 | 趣味の世界
今日はかねてから応募してあったシンポジウムを聴きに隣町まで出かけてきた。

日本の未来とエネルギーについてのシンポジウムだったが、私のお目当ては作家・百田尚樹氏の講演であった。800人限定の無料ということで、予想通り場内は満席だった。



未来をテーマにしているにしては、老人がやたら目だっていて、ざっと見渡したところ、6:4で男性が多く、男性の平均年齢は70歳前後、女性は55歳前後というところだったと思う。

主催の、日本エネルギー会議とは、如何なる団体なのか不明だが、左翼系ではなさそうだった。

時間通りスタートした百田尚樹氏の講演は、まず聴衆の心をグッとひきつける「まくら」から始った。ネタは、北朝鮮のミサイルともう一つは、予想した通り、山尾しおりのスキャンダルであった。

「しかし、すごいですネェ・・山尾さん。・・・週4回ですよぉ!!」

会場からは笑い声がしたが、期待したほどではなかったようで、「どうも、最初からスベッてるみたいですね。」と照れ笑いをしていた百田氏であったが、話題が著書の「海賊と呼ばれた男」のことになると、本領を発揮してきた。

1時間の公演時間はあっという間に過ぎたが、ご本人は話し足りなかったようで、「もう5分だけ話させてください。トイレに行きたい方はどうぞ行ってきてください。」

思わぬアンコール付きの、名講演であった。

15分の休憩の後専門家4人によるシンポジウムが始ったが、最初のスピーカーが、静岡でしか見られなくなった、お笑いタレントの平畠ナントカという男で、第一声が「ぼく、エネルギーの事なんかまったくわかりませんので・・・」と言い出した。

じゃあ、何でこんな場所に来てるんだ?

私は、スッと立ち上がって会場から出て、JRの駅まで歩いて帰宅した。

百田氏の講演の感動に水を指されたくなかったからだ。
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小津調と似ている「イメージの詩」

2017年08月27日 | 趣味の世界
私がまだ30代の頃だったと思うが、小津安二郎の映画が、日本の映画通ばかりでなく、海外での評価が非常に高いと、何かで読んで知った。

そこで、すぐにレンタルビデオを借りてきて観たのだが、やたらと俳優のドアップのシーンがあって、ストーリーも何の刺激も無く、多分最後まで観ずに、返却してしまったと思う。

それから、20年ほど経過しただろうか。時代はVHSからDVDに変っていて、レンタルショップもかなり様相が変った。

どういう切っ掛けだったか忘れたが、小津の映画をまた観たくなって借りてきて観たら、何となく心落ち着く感じがして、ありきたりの日常を描いているだけのようで、最後まで見飽きずに見通してしまい、観終えた感想は、「実に爽やか」だった。

私はそのとき以来、小津映画のファンになり、今では主だったDVDは手元に揃え、観たい時に取り出しては観て悦に入っている。

今月のお盆休みには、念願だった小津映画に出てくる鎌倉まで出かけてきたほどだ。

演歌は廃れたが、いい曲は何度聴いても飽きないし、自然にメロディーが浮かんでくるものだ。今後もそういう名曲は永遠に残るものなのだろう。私にとってのそれは、「悲しい酒」であり、「天城越え」などである。

こういう小津映画や心に残る演歌と同じように、私の好きな曲のひとつに、吉田拓郎のデビュー曲「イメージの詩」がある。

今でも私はi-pod に保存してあり、よく聴く曲である。メロディーも悪くは無いが、なんと言ってもこの曲の詩が歳を取るごとに、味わい深いと感じるようになってきた。

  デビュー曲

当時私は中学生だった。私より4~5歳上の若者たちがフォークソングに嵌っていくのを、私は意外と覚めた目で長めていたものだ。

ベルボトムのジーパンに、長髪姿で「結婚しようよ」なんて声を張り上げて歌う人達を、私は結構心ではあざ笑って見ていた気がする。

私が住む街の隣にあるリゾート施設「つま恋」で、時々思い出したようにコンサートを開いて、熱烈な男女のフォークソングファンを集めていたが、その時も同じように私は冷たく覚めた目で見ていた。

 つま恋の広場で


  中高年ファンたち


詩の題が「イメージの詩」というだけあって、当初は何となくいいたい事が分るようでいて、もうひとつよく理解できない、、という感じであった。

時代が過ぎて、自分も歳を取ってくるに従い、だんだん霧が晴れて行くように、詩の内容に対する共感度が増してきたのだった。

私が特に好きなのは、「長い長い坂を登って・・・」の節である。
最初は何を意味してるのかまったくチンプンカンプンだったが、今は「そうなんだよなあ・・よくあるよな、こういうこと・・」と共感するのだ。

フォークソングと一括りにすると、反戦ソングだとか、「神田川」や「赤ちょうちん」みたいな超軟派な歌と同列になるのだが、彼らのようにテレビという媒体をやたらと利用したがる一派とは吉田拓郎が一線を引いていたのも、私が彼に惹かれていた一因だった。

テレビなんか・・と少し小馬鹿にしたような姿勢にも、私は強烈に共感していたのかもしれない。

 「姫」はネェ・・

懐かしの演歌、ならぬ懐かしのフォーク、に群がるお年寄りたち・・・。いるんですね、たくさん。・・・まだ日本にはいるんですよ。



♪♪
これこそはと信じれるものが
この世にあるだろうか
信じるものがあったとしても
信じないそぶり

悲しい涙を流している人は
きれいなものでしょうネ
涙をこらえて笑っている人は
きれいなものでしょうネ

男はどうして女を求めて
さまよっているんだろう
女はどうして男を求めて
着飾っているんだろう

いいかげんな奴らと口をあわせて
おれは歩いていたい
いいかげんな奴らも口をあわせて
おれと歩くだろう

たたかい続ける人の心を
誰もがわかってるなら
たたかい続ける人の心は
あんなには 燃えないだろう

傷つけあうのがこわかった昔は
遠い過去のこと
人には人を傷つける力があったんだろう

吹きぬける風のような
おれの住む世界へ
一度はおいでョ
荒れ果てた大地にチッポケな花を一つ
咲かせておこう

おれもきっと君のいる太陽のあるところへ
行ってみるよ そしてきっと言うだろう
来てみて良かった 君がいるから

長い長い坂を登って
後ろを見てごらん 誰もいないだろう
長い長い坂をおりて
後を見てごらん
皆が上で 手を振るサ


きどったしぐさがしたかったアンタ
鏡を見てごらん
きどったアンタが映ってるじゃないか
アンタは立派な人サ

激しい激しい恋をしているおれは
いったい誰のもの
自分じゃ 言いたいのサ
君だけのおれだと 君だけのものだと

裏切りの恋の中で
おれは一人もがいている
はじめから だますつもりでいたのかい
僕の恋人よ

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聖地めぐり。いざ、鎌倉へ!(おまけ)

2017年08月20日 | 趣味の世界
高校のバスケットボール部を扱ったアニメの「スラム・ダンク」が台湾で大人気を博したのが1990年代で、その頃テレビに釘付けになった世代が成長して、最近多くの台湾の若者がアニメの舞台だった湘南付近に、観光にくるのが話題になっていた。

中でも番組のオープニングに流れる江ノ電の踏み切りのシーンが人気スポットで、それは『鎌倉高校前駅」から100mほどの場所にある踏切である。

 スラムダンクOP

私も昨日帰路の途中、この駅に降りて、その人気の踏み切りに行ってきた。思ったとおり、踏み切り周辺には、十数人の若者たちがカメラを片手に電車が通過するのを待ち構えていた。大声で話す支那人観光客とは違い、台湾の人はみな小声だ。

 江ノ電踏切

「鎌倉航行前駅」は海岸のすぐ近くにあり、遠くには江ノ島が見える。江ノ電は単線だが、それにしても、この駅にはプラットホームが一つだけ。

片面しかない造りだ。構内には放送設備すら無いようで、駅員が歩きながら、「次に到着の電車は、藤沢方面行きの電車です。」などと乗客たちに伝えるのである。

 トイレは臭い

上り・下りの電車が到着するたびに、台湾の聖地めぐり観光客が降りてきて踏み切りに向かうので、一日当たりの観光客は少なく見ても100人以上になるだろう。

駅の端にあるトイレは、酷い悪臭がして、とても入る気にはなれなかった。あれは、湘南の、神奈川県の、いや日本の恥である。早急に改善すべき課題ではなかろうか?

 鎌倉高校前駅

台湾の観光客も、みなさんあのトイレには失望して帰国し、話のタネにするに違いない。何が「観光立国」「おもてなし」かと、憤りすら感じたのだった。
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聖地めぐり。いざ、鎌倉へ!(後編)

2017年08月20日 | 趣味の世界
小津安二郎の『麦秋』のロケ地のひとつ、長谷の大仏を見てきた。8月16日の当ブログ【『麦秋』聖地めぐり】に貼り付けたいくつかの画像は、昭和26年頃の大仏の画像である。

 『麦秋』より

その後大仏は、昭和34年に2年半かけて、免震構造を取り入れるなどの、「昭和の大修理」を経て、さらに昨年3月に18日間かけて、その後の経過を調査するなどの、「健康診断」を受けているそうだ。

本来、木造の大仏殿の中にあったのだが、明応地震(1498年)の被害で木造の大仏殿はながされた。以来、【露座の大仏】と呼ばれるような現在の状況を保っている。

『麦秋』が撮影された当時と坐像の前が少し変っていたが、かつて与謝野晶子に「美男」と呼ばせた通り、大仏のお顔は昔と同じようにハンサムであった。



木造大仏殿の礎石は、今でも当時のまま置かれている。ベンチ代わりに観光客たちが腰を下ろして、休憩していた。




通路は非常に狭いが、大仏の胎内に入ることもできる。入場料は20円だった。内部の階段が狭くて急なため、足元には十分注意する必要がある。






外部(背中にある窓)から入るかすかな光だけで、内部はほとんど真っ暗だった。

境内にいた参拝者たちの、恐らく3割くらいは欧米の観光客であったと思う。残念ながら、烏の群れみたいに騒々しく大声で喋る隣国の観光客も何グループか見かけ、民度の低さを晒していたのは、残念であった。



大仏は、少し猫背の格好で、そんな参拝者たちを無言で見ているようだった。
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聖地めぐり。いざ、鎌倉へ!(前編)

2017年08月19日 | 趣味の世界
心配していた天気が回復しそうだったので、今日は念願の鎌倉に行ってきた。

例の青春18きっぷを利用しての鈍行の旅である。

『やることリスト』は3つだけで極めてシンプル。

1.小津安二郎の『晩春』のロケ地、鶴岡八幡宮参拝
2.小津安二郎の『麦秋』のロケ地、長谷の大仏参拝
3.アニメ「スラムダンク」に出る踏切に聖地めぐりで来日する、台湾人観光客達を観る

東海道本線で、大船まで。横須賀線に乗り換えて、鎌倉下車。鶴岡八幡宮参拝。江ノ電で鎌倉から長谷まで。徒歩10分で鎌倉の大仏参拝。再び江ノ電で、鎌倉高校前駅まで行き、踏み切り見物。江ノ電で終点藤沢に行き、東海道線に乗り換えて帰宅。

『晩春』は私が生まれる前の昭和24年の映画で、小津の代表作『東京物語』、『麦秋』と並んで、紀子三部作と呼ばれている。この三作品に出る原節子は、すべて「紀子」という役名であることがそう呼ばれる理由である。

小津の映画を始めてみた時は、何とも間延びしたような退屈な映画で、私は途中で観るのを止めたほどだった。多分今から30年以前のことだったと思う。

再び観てみようと確かVHSを借りてきて観たのが、10年ちょっと前だったか。

確か『麦秋』だったと思うが、この時の感想は、どのカットもまるで絵画を観る様な美しさと、大した事件も起きない日常を描いた作品なのに、なぜか観終えた後に何かおいしいものを食べた後のような満足感を覚えたものだった。



笠智衆は妹の杉村春子と鎌倉の鶴岡八幡宮を参拝する。娘、紀子(原節子)がお見合いをした結果が気になるのだ。紀子は結果を告げずにその日は東京に出かけていた。もっと兄さんは娘のことを気にかけないと、といいながら歩き出すと、財布を見つけた。




拾って中を観ると現金が・・・







「これは縁起がいい・・」と言って懐へひょいとしまう。「オイ、届けないのか?」とたまげる笠智衆。




「届けるわよ・・」と言いながら後ろを見て慌てる妹。スタスタと逃げるように歩き出す。



いったい何事かと笠も後ろを振り返ると・・・。



こりゃ、ヤバイ! おまわりさんだ。





チャップリンの無声映画に似たようなシーンがあったような気もするが、どことなくコミカルで忘れられない場面であった。

この場面が撮影されたロケ地を今日は訪れた。遠景がこれである。浴衣の娘さんが参拝していた。





そして杉村春子が財布を拾う場面の舞殿のアングルは、これである。




本宮への石段は上り応えがある。




石段途中から、舞殿を見る。




正直言うと、手すりのない石段を登るのはかなりきつかった!私の膝は確実に弱ってきている。

しかし、映画が撮影されたであろう70年前に思いを馳せると、膝の痛みも和らぎ次の目的地、長谷の高徳院に向かって歩き出しているのだった。
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