孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

映画 『ネブラスカ』

2019年01月02日 | 趣味の世界
以前、観ていい映画だなあと思い、半年後くらいにまた観たくなったのが『サイドウェイ』という映画だった。アクションがあるわけでもなく、サスペンスでもないのだが、後味がすごく良かった。

監督がその『サイドウェイ』と同じということで、借りて観たのが『ネブラスカ』というタイトルのアメリカ映画だった。






100万ドルが当たったというインチキの知らせを信じた、少し認知症気味のお父さんと、その息子のロードムービーで、親戚や友人たちが大金を得ることを知って、様々な理由をつけて擦り寄ってきたりする、人間の嫌らしさがうまく描かれている。

頑固な父親に振り回されながらも、次第に父親の心を理解していく息子が、まるで小津安二郎の映画を観ているように、じんわりと伝わってくる秀作である。

最後の最後は、「なるほど、そう来たか」と唸りたくなるような決め方で、思わずニンマリして拍手したくなる。

文句なしの、おすすめ作品である。

油山寺の紅葉

2018年12月15日 | 趣味の世界
私は特に信心深い方ではないので、そう頻繁に神社仏閣に参拝することはなかったのだが、今年は合計で20回以上は参拝したのではないかと思う。

神社は、遠州森町にある小國神社で、お寺は袋井市にある医王山油山寺である。

今年の1月、中旬だったが人ごみを避けて初詣に出かけた時のことだった。鳥居を抜けると大きな看板があって、今年が厄年に当たる人はこれこれ何年生れの人たちである。前厄はこちらの方々、後厄はこちらの方々・・と、掲げられていた。

その中に、今年が「八方塞がり」の方は、何年生まれの方々とあって、私はそれに含まれていたのだった。そもそも「八方塞がり」とは何なのかよく分からなかったが、言葉に良い響きはまったく感じられず、多分「天中殺」みたいなものか、と理解しただけだった。

しかし、気になるので主に小國神社には毎月のように参拝したのだった。

以前から贔屓にしている油山寺は、石段を上がったところに、見事な三重の塔があり、ここはなかなか見ごたえがあるので好きだった。

先週だったか、毎朝時計代わりにつけているテレビの気象情報のコーナーで、「今日は静岡県袋井市の医王山油山寺に来ています。」と聞こえてきたから、思わずテレビの前に進んだのだった。

なんで、油山寺?と思ったら、きれいな紅葉を紹介するためだった。

  紅葉がきれい

いつも三重の塔しか関心がなかったので、そこが紅葉で有名だと知って、時期が過ぎてしまったかと思ったが、今日出掛けてきた。

 山門は立派だ

 右側でおみくじを

テレビ中継の所為か、いつもより参拝客が多いような気がしたが、ここはお正月でもそれほど混まないので、好きなお寺だ。

なぜなのかは、よく分からないが、「目の霊山」ということで、境内にぶら下がった絵馬には、「目の病」に関する願掛けが目立つ。

本堂に進まず、横道を進むと石段があり、てっぺんには見事な三重の塔が建てられているが、今日は膝が痛かったので登らなかった。

 石段へ続く


深とした木立の中に小川のせせらぎが聞こえてくる、地味でも趣のあるおてらである。

懐メロ POPs にメロメロ

2018年12月05日 | 趣味の世界
押入れの整理をしていたら、奥の方からCDが何枚かケースにはいった状態で出てきた。

これは、確か6~7年前、シンガポールに赴任する際に、聴こうと思って編集して焼いたCDであった。クラシックが2枚、演歌が1枚、ブルーグラスが3枚、USAポップスが1枚、どれも自分で選曲して作ったCDだった。

通勤で利用する軽自動車を買い換えたので、今やCDプレーヤーも問題なく使えるようになった。そこで、今週の通勤時に、この中の何枚かのCDを聴き始めた。

USAポップスとはどんな曲を入れたのか思い出せなかったので、早速聴いてみて驚いた。

それは、ライオネル・リッチーの曲、スティービー・ワンダーの曲、サイモンとガーファンクルの曲、そして一番最後に1曲だけイーグルスの曲が入っていた。

この最後の1曲が流れてきた時、私はあまりにも懐かしくて、私の心は瞬時に時空を飛び越えて、学生時代に戻ったのだった。

   懐かしのイーグルス


その曲は「ホテル カリフォルニア」。その当時から通算すれば、私はこの曲を1000回近く聴いたと思う。

オープニングでしばらく続くギターの哀愁漂うメロディーは、今でも私の脳味噌にくっきりと焼き付いていた。

イントロの最後にドラムがドンドンと鳴って、歌がスタートする。

♪On a dark desert highway, cool wind in my hair
暗い砂漠のハイウェイで、寒い風が髪に吹く♪



この曲が流行った当時は、世の中にはパソコンも無ければ、スマホもケータイも無かった。当時のアルバイト時給は、400円前後だったと思う。大卒の初任給は、手取りで10万円に届かなかった。

イーグルスのメロディーに触発されて、当時の様子が次々と脳裏に湧いてくる。



♪Welcome to the Hotel California
ホテルカルフォルニアにようこそ
Such a lovely place (Such a lovely place)
とってもステキなところよ♪


  CDじゃない、レコード盤


エンディングのギターがこれでもかと続くが、なぜかまたすぐに聴きたくなるという不思議な洋楽であった。

勤め先の行き帰りに毎日聴いて、今日で三日目。

いつまで続くことやら・・・。




サンドの飯より、漫才を

2018年10月23日 | 趣味の世界
芸人好感度調査というのがあって、わたしの贔屓の漫才コンビ、サンドウィッチマンが1位になったようである。

もっとも、この手の調査は、同時に嫌いなタレントなどの調査結果を公表して、同じ人がどちらでも上位に入ることなど珍しくはないので、もしかしたら、サンドウィッチマンも両方に名前が上がっているかもしれない。

最近、彼らのテレビCMや広告がやたら目に入ってきて、名前通り、宣伝屋としても大忙しのがよく分かる。

  キシリトール飴は人気商品です


CMが増えて、益々収入も増えることだろうが、それに目がくらんで、自分を見失わないようにしてほしいものだ。 毎日のようにテレビに出て、街を歩けばキャーキャー大騒ぎの対称になる。

時には、コメンテーターとして社会で起きる事件のコメントを求められたりすると、次第に自分が偉くなったような錯覚を起こしてくるらしい。

  

テレビ局側も、番組の司会や進行役に使ったりすると、ますます自分が偉くなったように勘違いしてくる。

漫才や落語などやってるより、りはチヤホヤしてくれるし、金にもなる。殿だとか、大将だとか、師匠だとか呼ばれるようになると、本でも書きたくなり、映画も作りたくなるものなのだろう。




サンドウィッチマンには、こんな文化人気取りの馬鹿には成り下がって欲しくない。ネタ作りに全力投球して、これまで通り、たくさんのファンに笑いを提供して欲しい。



君たちは、所詮漫才師なんです。大衆を笑わすことが、あなたたちの仕事なんです。
先輩を見習う必要はありません。テレビ局の言い成りになる必要はありません。

死ぬまで漫才コンビであり続けてください。

ええ? 何か言った?



・・・ちょっと、何言ってんのかわかんない・・・(富澤)

七五三日和

2018年10月21日 | 趣味の世界
特に悩んでいる時でなくとも、私は何となく迷いを感じたら、神社に参拝することにしている。お寺ではなく神社である。

お寺でも神社でもどちらでもいいではないかというと、私は絶対にお寺は敬遠する。その神秘さの度合いがまるで違うからである。

今や檀家制度などまるっきり崩壊していると実感している私だが、その要因の一つは、寺のサイドビジネスにある。

檀家制度など有名無実となったので、寺の経営も大変だろうから、サイドビジネスは仕方ないとしても、土地を取得して霊園ビジネスを始めた、その霊園の広告看板を見ると、宗派不問、ペット用墓地あり、などと、その無節操小國ぶりにドン引きしてしまった。

しかもその霊園の奥の方には、馬鹿でかい一角に十字架が掘られた墓石があって、もう見るのもうんざりしたほどだった。

そういう俗っぽさがまだ少ない神社は、真剣に参拝する気にさせてくれるのだ。

特に悩み事というほどの物ではないが、今日、参拝してきた。年に4~5回は参拝する、遠州古代の森、小國神社である。

自宅から車で40分ほどかかるが、参道の雰囲気が好きだし、大きな駐車場もあるので、近隣ではお気に入りの神社である。

  小國神社鳥居

ところが、今日は午前10時ころだというのに、駐車場はかなり混雑していた。駐車場案内をしていた老人に聞いたところ、「七五三」なんですよ、と教えてくれた。「今日はまだいい方で、紅葉の時期は、1時間待ちになりますよ。」とのことだった。

  本殿は厳かだ

この小國神社に祀られているのは、だいこくさまこと、大国主命(おおくにぬしのみこと)である。あの因幡の白兎の話は、今の学校では絶対に教えないだろうから、子供たちは知らないだろうが、私の子供の頃は、母親が歌で教えてくれたものだった。

 因幡の白兎と大国主命

参拝を終えると、私はいつも決まったところでおみくじを引くことにしている。特に何か気になる項目はないのだが、表書きの一言が、味があるのでいつも最初に見ることにしている。ちなみに、今日のおみくじは、18番の大吉だった。

   悪い気はしない「大吉」18番


   今日の「言」は・・

『白圭のカケたるは なお磨くべし  コノ言のカケたるは為(おさ)むべからず』
意味は、【白い宝石は、傷ついてもまた磨けば美しさを取り戻す しかし、ひとの言葉は一度口に出すと もう取り返しがつかない】 つまり、口は災いの元、ということらしい。 いいじゃないか・・・。胸にグサッときた。

参道の杉の大木は、いかにも「古代の森」といった趣で、神秘なムード満点である。そこを見込んでか、黒澤明の遺作、映画「雨上がる」のロケ地に選ばれていた。

大井川のシーンもあるが、この小國神社で撮られたシーンは、主人公の居合い修行の一場面であった。

  緊張感溢れる場面だった


小國神社からちょっと離れたところの道路沿いにあるお茶屋さん、大田茶園にある大きな急須は、始めてみる人を驚かすこと間違いない。

  大田茶園の大急須

暑くもなく寒くもない、七五三日和。おみくじも大吉で、いいことずくめの参拝であった。


人相からの第一印象的中率

2018年10月14日 | 趣味の世界
人の顔や外見のことを、とやかく言える身分ではないが、最近自分の抱いた印象は間違ってなかったな、と思うことが多い。

何のことかと言うと、初対面でその方の人相から、私がそれまで巡りあってきた人の、どのタイプに類するのかを感覚的に瞬時に照らし合わせて、「この人、信頼できそうだな・・」とか、「この手は要注意だな・・」「これは、信用できんな。」などと、判定する。

あくまでも、私の感覚的なもので、どこがどうだ、と聞かれてもうまく説明は出来ないのだが、最近「やっぱり第一印象は間違ってなかったなあ・・」と、自分なりに感心することが多い。もちろん、外れることもある。

例えば、バドミントンの桃田という若者。

彼の人相から抱いた私の第一印象は、良いものではなかった。その直後、違法カジノに出入りしていたとか、キャバクラで豪遊していたという、イエロージャーナリズムによる報道があった。「やっぱり・・・」と私は思っただけだった。

  当時はうなだれた桃田

その後、彼は協会からの勧めでボランティアなどして、罪を償ったとして、競技に復活して活躍し始めた。それをテレビで観たとき、「ダメだよ、こいつは。」と呟いたら、すかさずカミさんが、「もう、反省してるよ!」とキツイ調子で私の言葉を咎めたのだった。

先週だったか、新聞の週刊誌広告を見て、私は復活した彼のスキャンダルを知った。「バドミントン桃田、女子一流選手と合宿所で密会」という見出しだった。

私はその日一日、心中穏やかではなかった。「女子一流選手」とは一体誰のことだ?「密会」とは何のことだ?

私の中では、女子バドミントンで一流選手といえば、「松友美佐紀」以外に思い浮かばない。自慢じゃないが、今でも私のガラケーの待ち受け画面は、リオ五輪で金メダルを決めた瞬間の画像だ。

桃田が合宿所で密会したという「女子一流選手」が、万、万が一、松友選手だったら、私は、失望のあまり、息を止めて窒息自殺しかねなかった。

帰宅して、すぐにネットで情報収集したところ、現在女子ダブルス世界ランク1位の、福島由紀(25)、岐阜トリッキーサンダース所属、だと判明した。

 さぞ、性欲も旺盛だろう

私は、松友選手に両膝を折って、あらぬ疑念を抱いてしまったことを謝罪したかった。同時に、ウチのカミさんに、「ソラ見たことか・・・」と言ってやりたかった。

今回のスキャンダルは、防犯カメラの映像が動かぬ証拠となっているようだが、当の本人は、何時間もベッドがある密室で若い男女が夜を過ごしたことは、しらばっくれて、認めなかったらしい。二人であやとりでもしていたのだろうか?

バドミントン協会も、メダルが欲しいだろうから、どうせナアナアの処分で見過ごすに違いないが、ファンは成り行きを注目している。



このブログの主題である、初対面の人相から抱く印象がよく的中、のもう一つの好例は、皇室の眞子様のお相手Kである。

 この人相・・・

最初、記者会見の報道でK氏を見た時、この手の顔はアイツと同じ人相だな、と私は直感した。「アイツ」というのは、かつて業務で関わった事がある若者で、愛想はいいのだが、口八丁で人を丸め込むのが得意の、とんでもないトラブルメーカーだった。

相手の趣味や関心ごとを聴き取り、その話題に引き込んで、話を合わせるのだが、息を吐くように嘘で固めた話は、ちょっと考えればすぐにバレるようなレベルの嘘だった。

私が、シンガポールに赴任した理由は、正にこの男のしでかした不祥事の尻拭いが、真の理由で、当時は毎日彼と一緒にいる事で、壮絶な心理的不快感を感じ続け、思い出したくも無い数ヶ月であった。

記者会見の席で、にこやかに受答えするK氏を見ながら、私は、「なんか、変なの選らんじゃったんじゃない・・?」と首をかしげたものだった。

しばらくして、週刊誌はこの母子に関するおぞましい実態を、暴露し始めたのだった。その後、金にルーズなこの母子たちの醜聞は収まることがない。

  詐欺師レベルの母子

皇室のご子息の配偶者選びは、やはり周りが相当慎重に見守ってやらないと、あとで取り返しがつかないことになりかねない。公費に基いて暮らす公人には、それなりの宿命がある。

開かれた皇室、などという浮ついた声に、容易に流されるべきではないと思う。

昨今、次期天皇となるお方が、妃を伴わず、お一人で外遊されている今の状況を見るにつけ、私ごときでも、遺憾に思うのである。

皇族の眞子内親王の御意向を最優先に、などというのは無責任な言い分で、配偶者となる方の人格や資質は、皇室の歴史に汚点を残すような事があってはならない。

私は、この母子の銭に対するだらしなさが、最も不快に感ずる。

自分の第一印象が外れなかったこともあり、今後もこの話の成り行きには関心を持ち続けたい。


アジサイ、挿し木、鉢上げ

2018年09月22日 | 趣味の世界
今でも家の2ヶ所に植えたアジサイが花を咲かせるが、このアジサイは一つが母、もうひとつは、祖父が飢えたものらしい。

今年の6月頃、私は街を車で移動中に、なぜか余所の家の庭先に咲いているアジサイが気になって仕方なかった。梅雨が明けてから、何本か挿し芽を試みてみたところ、上手く発根したようなので、今日鉢上げした。

 

最近では、ドラッグストアなどでも鉢植えのアジサイが売られていたりして、なんでだろうと思っていたら、母の日のプレゼントなどでも結構人気がある花のようだ。

西洋人には、アジサイのような香りのない花は、さっぱり人気がないそうだが、私は香りが良くても、棘があり、枯れても茎にしがみついてるような薔薇よりも、雨の日のアジサイの方がずっと好きである。

英語で、Hydorangea (ハイドレンジア)というらしいが、Hydro- という「水」を表す接頭辞は、雨と関係があるのだろうか?



意外にも原産地は日本で、ピンクや青に色が変化するため、花言葉は「移り気」「美しいが冷淡」など、あまりいい感じではない。

ただ、花言葉というのは、様々あって、「元気な女性」とか、「家族の結びつき」というのもあるそうだ。これは満開のアジサイからくる、いいイメージに因るようで、ここら辺からプレゼントに求められるようになってきたのだろう。

日陰に植えるのがいいそうで、秋も深まってから定植する計画だ。目下、最適な場所を思案中である。




肥料を選んで、色加減を調整できるのも、アジサイ栽培の楽しみになりそうで、期待はアジサイの花のように膨らんでいる。



下手な漫才より面白いコンビ

2018年09月01日 | 趣味の世界
Youtube で興味があるテーマで検索すると、それに関連する動画が即時に表れて、それまでに抱いていた疑問などが一気に解消する時がある。さらに、「おすすめ動画」も画面右側にズラリと並ぶので、関連情報も入手しやすい。

そうやってめぐり合った動画は、「チャンネル登録」をクリックしておくと、動画が更新されるたびに確認できる。飽きたら、「チャンネル登録」を再びクリックすれば、登録は解除される。


何か面白い動画は無いかな~と捜していると、昔登録してあった動画がいくつか「おすすめ動画」として、並んでいた。

それは、在日外国人男女二人が何かのテーマ決めておしゃべりするというもので、テーマは日本の四季、電車、居酒屋、日本語などなど毎回違っていて、外国人の目からそれらがどう写るか、母国と比較してどうなのか、などと意見を述べ合うのである。

 anora/akaki


在日外国人男女二人とは、ウズベキスタン人のアノーラ嬢とフィンランド人のアカキ君で、こういう国から来ている若者が、どのような印象を日本に抱いているのかが垣間見えて、非常に興味深い動画である。

お二人の経歴や、日本で何をして暮らしているかは全然分らないが、彼らの意見は実に単刀直入で、ときにユニークであり辛辣であり、正直な印象が爽やかですらある。

 アカキ君

アノーラさんは、ウズベキスタン出身だが、私はそもそもウズベキスタンがどこにある国なのか知らなかった。何となく中東あたりなんだろうなと思っていたが、調べてみると、カスピ海の東側の旧ソ連領の国だった。

あの辺りは、カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、アフガニスタンなど、語尾に「・・タン」がつく国が多い。

その「~タン」とは。「~のすむ地域、地方、国」という意味で、ウズベク人の住む国は、ウズベキスタン。アフガン人の住む国は、アフガニスタンという解釈らしい。

ウズベキスタンの首都はタシュケントという街で、実は私はこの街の名前には聴き覚えがあった。

もう40年前になるが、私が農業研修でアメリカのワシントン州の畑作農家にお世話になっていた当時、その農家にタシュケントから3名のソビエト人がアメリカの畑作農家の視察にやってきたのであった。

当時は、米ソ冷戦時代で、農場に勤務していたアメリカ人たちは、敵国から農場視察に来るということで、どことなくソワソワしていたのが可笑しかった。

その農場は、耕作面積が1200ヘクタールで、ジャガイモ、サトウキビ、飼料用トウモロコシを栽培していた。さらに肉牛も1000頭放牧する大規模経営であった。そして農場主(私のボス)は、有名なコーネル大学で博士号を得た秀才だった。

視察に来た3名のうち2名は英語を流暢に話しいろいろ質問していたが、時々笑い声がして緊張感などまったくなかったので少し拍子抜けしたものだった。

ただ、休憩の時一人が私に近づいてきて、「日本人か?なぜここにいるんだ?何か辛い思いはしてないか?」などと立て続けに質問してきたので、私は驚いたのだった。


 話題は「電車」

アカキ君はフィンランドの出身で、高校生のときに1年間日本に留学していたそうだ。日本語が実に流暢で、そこいらにいる日本人よりもまともな日本語を話すインテリ風。

アノーラさんが曖昧な日本語を話すと、すぐさまツッコミを入れるところが、まるで夫婦漫才のようで面白い。

フィンランドには、国内旅行をするという文化がないので、日本にきて駅構内にある旅行社のオフィス前にある海外旅行パンフレットで、フィンランド北部のイナリという街でオーロラをみるツアーを見たとき「ああ、行ってみたいなあ・・」と思ったそうだ。

是非、一度ご覧あれ!
おすすめは、『日本のニュース番組について思うこと』  




中毒性のあるダンス動画

2018年08月29日 | 趣味の世界
Youtube で動画を観ていると、右側に関連した動画がずらりと表示されて、Google から、「ダンナ、こんなのもありますぜ。」と勧められているような気分になる。

便利なようで、自分の趣味を先読みされてるようで、薄気味悪い気がするときもある。

そんな気分で動画をいろいろ観ているときに、偶然めぐり合った動画が、「バブリーダンス」の動画だった。



これは、毎年行われている高校生のダンスコンテストの動画で、大阪府立登美丘高校の演舞の模様だった。

もう三十年くらい前のことだろうか、時代はバブル。ジュリアナ東京とかいう、私にはまったく縁がなかったが、ディスコみたいな娯楽施設が、人気絶頂の頃だった。

意味はよく知らないが、ワンレン・ボディコンとかいうファッションに身を包んだ若い女性たちや、それを目当てに集まる若い男たちが、踊り狂ってた時代だった。



なぜか彼女たちは大きな扇子を片手に、ピチピチのミニスカートで狂ったように踊るのだった。その頃を彷彿させる高校生のパフォーマンスは、速いテンポで、「キレッキレのダンス」である。

郡上八幡を訪れた時、いくつもある郡上踊りを観たが、あれくらいシンプルな踊りなら、いくら踊り音痴の私でも踊れたものだった。しかし、バブリーダンスは、速すぎてパターンがあるようでないようで、何度観ても興奮してくるから不思議だ。



先週、孫と一緒に訪れた次男にこのことを話したら、「俺もフィリピンにいたとき、その動画にはまっちゃって、毎日観てたよ。アレ、中毒性があるよ。」と言っていた。

そうなのだ、アレは中毒性があるのだ。

メロディーも、振り付けも、観ていて中毒になってしまうのだ、

名画DVDを格安ゲット

2018年08月19日 | 趣味の世界
台北旅行は1月に行ってきたばかりなのに、なぜかもう何年も行ってない気がするから不思議だ。

夏休み中に、部屋の掃除をしていたら、その時お土産に購入したDVDが三つ封を開けないまま出てきた。94台湾ドルという正札もそのままついていた。日本円に換算すると、400円以下なので、かなりお買い得となる。

これまでも私が台湾にはまってしまうきっかけとなった「KANO」という台湾映画や、百田直樹原作の「永遠のゼロ」なども買ってきた。

1月に購入したDVDとは、小津安二郎のカラー映画「秋刀魚の味」、それに黒澤明の「椿三十郎」と「用心棒」である。


小津のモノクロ物は日本でも格安で販売されているが、この「秋刀魚の味」はちょっと高くて、これまで買うのをためらっていた物だった。

  大好きな小津映画

小津映画には常連の、笠智衆、杉村春子、中村伸郎、北 竜二をはじめ、水戸黄門役が記憶に残る東野英治郎や加藤大介などの名脇役が映画をキリッと締めている。

例によって、娘を嫁に出すまでの話なのだが、この映画にはペーソスとユーモアで満ちている。

若かりし、岩下志麻が娘役で、見事な和服姿を披露してくれている。

  和服が良く似合う

長男役の佐田啓二とその嫁役の岡田茉莉子が、アパートに住む共稼ぎのサラリーマン夫婦を演じていて、この二人のやり取りが絶妙である。

戦後十数年経ったころの庶民の暮らしが良く描かれていて、観ていて実に懐かしくなってしまう。柱時計のネジを巻くシーンなどは、子供の頃私の役割だっただけに、涙がでるほど懐かしかった。

  紅は小津が好きな色

海軍で上官だった笠と偶然再会した加東大介が繰り広げる場面は、なかなか味わい深い会話で、戦争を経験している小津の戦争感が隠れているようだ。

  海軍指揮敬礼は??

脚本がよく練られている映画は、観るたびに新たな発見や感動を与えてくれるような気がする。黒澤映画と小津映画に共通する点だと思う。

今の若者は、こういう映画をどのように評価するのだろうか。

空港売店の見本市のごとき、【浅草】

2018年07月05日 | 趣味の世界
とにかく暑くて、暑くて。

朝のうちに、浅草の散歩を済ませようと9時半ころ雷門から仲見世通りをブラブラし始めたが、意外と観光客が多くて驚いた。支那語や朝鮮語。タガログ語や聞いた事も無い言葉を話すアジア系の家族連れなど、観光客の7割くらいは日本人以外の人種だったと思う。

  記念撮影スポット、雷門。


雷門の前で、周りを気にせず延々と記念撮影を続けるのは、間違いなく支那人集団である。例によって、話声がでかく、カラスが喚き散らしているようだった。

  9時半頃でも観光客が・・

国籍は不明だが、欧米系の白人たちは、腕に刺青をしてTシャツを着ている。恥ずかしくも無く、よくもあんな幼稚園児の落書きみたいな彫り物を自分の腕にしたもんだと呆れてしまう。

近くに浴衣を着付けして貸し付けている店があるらしく、色艶やかな浴衣姿の女性が、結構歩いていて風景の一部になっているのだが、彼女たちの歩き方、足の運び方を見ると、ほとんどみんな外股でペタペタ歩いていて、まったくの興醒めであった。

せっかく着付けまでして料金を取るのなら、せめて日本人女性の優雅な歩き方くらいアドバイスしてあげたら、いかがなものであろうか。

土産物屋さんは、お金を落としてくれる外国人観光客を大歓迎するのだろうが、あそこまで外人たちに媚びてるような仲見世通りは、50mもぶらつくだけでそのステレオタイプぶりにウンザリするだけだった。

私は、途中見つけた喫茶店に入って、冷たい珈琲を飲みながら汗を引かせてから、お目当ての浅草演芸ホールに向かった。


寄席はいいもんだ。

2018年07月05日 | 趣味の世界
今や大衆芸能といえば、コント・漫才が人気なのだろうが、私は子供の頃から祖父の影響が大きくて、講談・浪曲・落語などを最初はラジオを通して自然に親しんできた。

その所為か、テレビの時代が来ても、祖父や父と一緒に二葉百合子の「岸壁の母」とか、三波春夫の「俵星玄蕃」などをワクワクしながら観たものだ。

かすかな記憶だが、年に一度の村祭りの余興の本物の講談を祖父と一緒に観に行ったこともあり、あれは多分私が4~5歳の頃ではなかったかと思う。

成人になってから、どうも同世代には私と同じような趣味を持つ者が少ないことが分ってきて、私はそれ以来、「潜伏キリシタン」ならぬ「潜伏大衆芸能ファン」として密かに伝統大衆芸能を楽しんできたのだった。

いつか機会があったら、本物の寄席に行きたいと思っていたので、今回休みが取れたのを利用して、上野・浅草までの二泊三日の旅に行ってきた。

宿は、浅草に取ったのだが、まず出かけたのは上野駅から徒歩で10分ほどの場所にある鈴本演芸場の昼の部を観た。
    食べ物・飲み物持込可でした。


場内は7割くらいの入りで、ざっと見て観客の平均年齢は65~66歳、男女の比は半々。高齢者はほとんど夫婦連れのようだった。

昼の部は、12:30~16:30で、落語が6割くらいが落語で、あとは漫才ありマジックありという演目であった。持ち時間は15分なので、落語らしい落語を演ずるのは難しく、また駆け出しの落語家の落語は、耳の肥えたファンには少し耐え難いものもあった。

翌日は、浅草の雷門界隈を散策した後、「浅草演芸ホール」に出向いた。

   入替え制がないので、一日中楽しめる。

上野と浅草を掛け持ちしている芸人がいて、その出し物も大差なく、少々興醒めなところもあったが、やはり臨場感はテレビで観るのとは違って、意外といいものだった。早朝のW杯サッカーでかなり寝不足状態だったがが、居眠りすることはなかった。

上野にも浅草にも出演していた、「三遊亭歌之介」という落語家は、今回初めて観た噺家だったが、なかなか笑わせてくれて、ファンになってしまった。

山のアナ、アナ・・・で有名な、三遊亭圓歌の弟子で、どちらかと言うと落語と言うよりも漫談、綾小路きみまろ風の芸風の噺家だった。

 三遊亭歌之介

師匠の圓歌をネタに笑わせていた。

身長148cmの師匠と、伊豆の温泉に行った時のことです。

「流れる温泉が気持ちよかったから、お前らも行って来な。」

そう言われて行ってみたんです。。。。

「足湯」でした・・・。

師匠は、足湯に肩まで浸かっていたんです!


  注目!三遊亭歌之介


来年3月から「4代目三遊亭圓歌」を襲名するそうです。


七度目の台湾一人旅 part 4

2018年05月04日 | 趣味の世界
言葉を生業としている身にとって、目や耳から入ってくる言葉には、常に敏感でありたいと思っている。

今回の台湾旅行でも、飛行機の機内で、ホテルのエレベーター内で、英語・朝鮮語・支那語などが中心であったが、様々な外国語が飛び込んできて、心地よい刺激となった。

今年の2月からお世話になっている、今の自動車部品メーカーでも、日本人以外にフィリピン人・インド人・フランス人などが研修生として仕事をしているので、見かけはグローバル企業の様相である。

しかし、日本人正社員の中で、彼らと不自由なく会話できるのは、ほんの数人であり、各部署ごとに英語が使える派遣社員を抱えていて、文書やEメールの翻訳や、簡単な通訳などを担当しているのが現状である。

私の配属された部署は、世界中にある関連会社や子会社との業務協業体制を再構築するところで、英語によるEメールや文書翻訳、Web会議の遂次通訳の依頼に対応している。

しかし、これまでお世話になってきた会社同様、ここの社員たちも英語アレルギーの方がほとんどで、自ら積極的に英語を学んでいこうという人は皆無のようである。

私が特に困るのは、話すにしろ書くにしろ、彼らの日本語があまりにも稚拙すぎることである。特に日本語特有の、主語を省くことが常習化していて、これは翻訳者には大きなストレスになるのである。

 たかが翻訳?

前職では、あまりにも酷かったので、関連する社員たち全員に、具体例をたくさん挙げて注意を喚起したのだった。

それは、例えばこういう悪文なのです、と極めて具体的に説明した。

例1) 黒い目のきれいな女の子を見た。
    ・黒い目がきれいだったのか、目のきれいな黒人の女の子だったのか?

例2) 太郎と花子は中学からの同級生です。
    ・太郎と花子の関係を言いたいのか、私も含めた三人が同級生だったのか?

例3) すべての外国人は親日派だとは言えない。
    ・外国人はすべて日本が嫌いだと言いたいのか、日本嫌いな外国人もいると
     言いたいのか?


こんな和文は英訳し難いですというメールを、一斉送信したら、すぐに返信してきた方がいた。その内容は、「じゃあ、どう書くべきなんですか?」という問い合わせであった。いかりや長介のコントじゃないが、「ダメだ、こりゃ・・・」と私は失望した。

今回の台湾旅行で、ドミニカ共和国が台湾と断行というテレビニュースが気になって、買った台湾の英字新聞を眺めていたら、読者の投稿欄に、『Translating ideas, not just words』という見出しの記事が目に入った。

『言葉ではなく、イメージを翻訳』といった意味だろうか。

投稿者は、長いこと主に英語(アメリカ英語)で、コミュニケーションを教えてきた年配者であった。その彼がまだ学生だった頃、先生から次の文章を中国語に翻訳してみなさい、という問題を出されたそうだ。

【 Because Linda's mother is French she speaks French very well. 】

リンダのお母さんは、フランス人なので、フランス語をとても上手に話す。

しかし、投稿者はこの時先生に対して英文は意味が曖昧だと指摘したのだが、その時先生は何が曖昧なのか良く理解できなかったそうだ。

つまり、最初の英文では、リンダのお母さんがフランス人なので、フランス語が上手なのか、リンダはフランス人のお母さんにフランス語を習ったので、フランス語を上手に話すのか、これは明確ではないという指摘だったのだ。


異国の地で、こういう記事を読むと、これまで以上に言葉というものに対する興味が膨らんでくる。

AIが滑った、人工知能が転んだと世間は大騒ぎだが、翻訳・通訳の分野はまだまだ機械には任せられないのが実情だと感じた瞬間でもあった。



part 4 完

七度目の台湾一人旅 part 3

2018年05月04日 | 趣味の世界
まだ社会人になって間もなくの頃、初めての海外出張の最後に立ち寄ったのが台湾だった。

まず、フィリピンのマニラで輸入品の海産物の現地視察、その次にタイのバンコクに飛んで、エビの輸出業者と商談、日本の取引先の出向者との顔合わせ、工場見学。

次にマレーシアのクアラルンプールで、日本の水産加工業者の工場長と落ち合い、一緒にタイとの国境近くの港町にて桜海老の代品となりそうな小エビの現品確認。その後、その工場長を台湾に送り届けてから、私は当時の台湾取引先事務所への挨拶という、旅程だった。

その際、台北のホテルにチェックインした時のことは、強烈に覚えている。
二つ星クラスのホテルだったが、ロビーもフロントも異様に大きかった。

私は、普通に英語で名前を言って、予約してあると思うが・・・と言いかけたときだった。

応対してくれた、多分40歳中ごろの中年女性が、不機嫌そうな表情をして、「あなた、日本人でしょ?日本人なら、日本語を話しなさいよ!」と、上手な日本語でまくし立てた。

私は、意表を突かれて、「ハイ!」と応えてから、同じことを日本語で伝えたのだった。

当時の私は、日本と台湾の関係や、台湾そのものの歴史も文化も、何も関心も知識も無く、なぜフロントの女性が日本語に固執したかも、まったく理解できなかった。

あれから30年以上経ってから、私は徐々に台湾のことに興味を抱くようになり、似たような境遇の南朝鮮が、あれほど日本を、日本人を嫌うのに対して、なぜ台湾には親日家が多いのか、それが不思議で、ますます興味を駆り立てたのだった。

漢字の国なので、街へ出れば看板は漢字だらけである。最初は見るのも嫌だったが、見ていると何となく意味が理解できて、これが面白くて病み付きになってくるのだ。

今回も、最後の日に恒例の龍山寺参拝をした。その帰りに壁一杯のバカでかい看板を見かけた。

 失智症の看板

失智症の専用電話番号のようで、イラストから想像すると、どうも「老人の認知症(呆け症状)」のことらしい。


 ⑤が面白い

失智症とは、何ぞや?と10項目ほど書かれていて、その下に具体例が説明されていたが。⑤番目がすぐ理解できて思わず笑ってしまった。

『誤認鏡子裡面的自己是別人』と書かれている。「裡」とは裏の意味だ。つまり、「鏡に映った自分の顔を誰か別の人だと誤認すること」といった意味だろう。

こういう広告から、ははあん、台湾も高齢者が増えてきて、認知症(アルツハイマー)を患う人が問題となりつつあるのだろう、と察する事ができる。

支那人のように、漢字をどんどん簡略化してしまうことを拒否し続ける台湾には、強い共感を覚えるのだが、それにしても複雑な漢字が多いもので、驚かされる。



part3 完

七度目の台湾一人旅 part2

2018年05月04日 | 趣味の世界
どういうきっかけで「SPOT台北之家」を知ったのか、今となっては思い出せないのだが、元アメリカ大使館だった建物を改造して、カフェやバーのある憩いの場にして、その一部をミニシアターとした所に、ここまで嵌ってしまったのには、自分でも驚いている。

すぐにインターネットで検索して、お気に入りに追加し、今どんな映画が上映中なのかをチェックするようになっていた。

いわゆる名画座で、世界中の映画祭で評価されたり評判になった作品を選りすぐって上映している。日本のシネマコンプレックスではおそらく絶対に上映されないだろうが、まずどの作品も当たり外れは無いと思ってよい。

 台湾の名画・非情城市

それもそのはず、ここをプロデュ-スしているのは、台湾の映画監督、侯考賢さんだからである。あの「非情城市」の監督である。

 侯考賢監督

映画「非情城市」の舞台は、九份(キュウフン)である。ここは19世紀後半にゴールドラッシュで栄えた街で、その後人口も減って次第に寂れていったが、この映画の大ヒットで、再び観光地として復活したのだった。



日本の台湾ツアーにはこの九份(キュウフン)がほとんど間違いなく組み込まれているが、これはまったく別の頓珍漢な理由からだ。

つまり、この街の情景が、漫画「千と千尋の神隠し」に出てくる場面のモチーフになったとか、ならなかったとか・・・まったく適当な理由から、漫画世代の若者が訪れ始めたのだった。

高齢者のツアー客などわけも分らず、ただ行くだけ行って、「石段が多い、、ホラ、何て言ったっけ??あの、ホラ・・あの・・」などとやっているから嘆かわしい。

侯考賢監督は、これ以外にも名作を何本も手掛けているそうだが、SPOTで上映されている小品を観ても、そのセンスの良さは十分納得できる。

ただ、どの映画にも外国映画には中国語の字幕が付くのだが、字幕が読めない人には内容は理解できないという欠点はある。従って字幕が英語の外国映画もしくは、セリフが英語か日本語の映画しか、私は観る事ができないのである。

毎週、4~5本の映画を交互に上映している。そのスケジュールも事前にネットでチェックできるので、細かな旅程も立て易いのである。

同じコンセプトの名画座ミニシアターは、台北之家から少し離れた所にある「華山1914」というオシャレな地区にもあって、こちらにはミニシアターが2館ある。次週上映予定の「楢山節考」のポスターが眼をひいていた。

 崋山1914


今回は、ここ崋山1914の方で、邦画を2本と外国映画1本を観た。

邦画は、竹中直人監督の「東京日和」という映画で、もう20年ほど前の作品だった。それほど期待せずに観たのだが、これが意外にも心がホッコリするいい映画だった。主演の中山美穂の演技が際立っていた。

もう一本は、「羊の木」という映画で、今年封切られたばかりのサスペンスものだった。こちらも事前情報はまったく無しで観たのだが、出来栄えは90点。もう一度観たい名作だったと思う。

登場人物の一人に、巨乳の美人がいたのだが、どことなく優香に似ているなあと思いながら観終わって、エンドロールで確認したら、やっぱり優香だった。

若いころのピチピチさは消え去って、どことなくふっくらした感じだったが、なかなかの名演技ぶりで、充分俳優としてやっていけそうである。

レンタルショップに並んだら、絶対にもう一度観たくなる映画で、まだ観てない方にはお勧めの佳作です。




part2 完