孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

木の花、いとをかし いとめでたし

2017年04月30日 | 趣味の世界
平年より今年の桜は遅れ気味だったようだが、本州ではすでにほとんどが満開を過ぎて、来月での見ごろは北海道に移ることになる。

桜前線という言葉は、季節感のあるいい言葉で、この時期に学校の入学式や会社の入社式があるのは、実にピッタリした習慣で、これをアメリカなどにあわせて、9月にしようなどと言い出した役人がいたが、その時はまったくとんでもないトンチキがいるものだと呆れた。

最近は、各地の桜の名所に外国人観光客がたくさん現れるようになって、初めの頃は、桜の枝を折ったり、木に登って写真を撮ってみたり、木を揺すって花を散らし、花吹雪だと喜ぶ不届き者もいたようだ。

爆買でお金を落としてくれる観光客だからと、何も注意できないようだったとしたら、情けないではないか。最初こういう報道を見たとき、いくら口できれいだ、きれいだと称賛したところで、所詮根幹にある美的感性は我々とは違うんだろうな、と感じたものであった。

日本人の美的感性を詠んだ句を一つ挙げよと言われたら、迷わず本居宣長のこの一句を挙げる。

『敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花』

  山桜の木

その意味は、あえて解説すると、こんな意味だろう。

『日本人の心とはなんでしょう、と問われたら、朝日に映える山桜の花のようなものです」と答えよう』

悪意を持ってこの句を解釈しようとする人も多いだろうが、薔薇という洋花と比較すると、その違いが理解しやすいのではなかろうか。

つまり、その花の持つ自然に溶け込んだ可憐さ、清廉さ、果かなさは薔薇のような洋花とは確実に違う。更にそれに輪をかけて、花が一斉に散った後に、一斉に芽吹く若葉の美しいエネルギッシュな生命感は、薔薇には無いものだ。

  葉桜の生命感

葉桜という言葉自体が、私は好きだ。桜にちなんだ言葉には、この他にも実に様々な粋な表現がある。

『花冷え』『花曇り』『花吹雪』『夜桜』などなど・・・。

葉(歯)がなくて花だけ、という意味で『姥桜(うばざくら)』という言葉もある。日本人の感性の素晴らしさに改めて寒心するのだが、中でも私が大好きなのは、『花筏』という言葉だ。水面似に浮かんで漂う桜の花びらをこう表現できる感性には脱帽だ。

  花いかだの美しさ


今から約1000年前に書かれた随筆『枕草子』の作者、清少納言はその軽快洒脱な筆致から、今で言うところの人気ブロガーだったと思うが、その中の第37段に「木の花は」というタイトルのコラムがある。

例によって、紅梅、桜、藤の花、梨の花など木に咲く花々を、「いとめでたし」「いとをかし」と称賛している。

木の花の特徴は、花を満開に咲かせて散り、その直後に若葉を芽吹かせる処にあるだろう。この一連の変化は、自然の描く演出の妙で、人の手ではどうしようもない。

そう言えば、いつも利用する駅前の駐車場から駅につながる満ちの途中に神社があり、その境内の端に一本の枯れ木があった。

それが先月の初め頃、その枝に一斉にふっくらした白い花をつけたので、暫し足を止めて見入ってしまった事があった。モクレンだった。

  木蓮の花

その花の大きさからすぐにでも散ってしまいそうだったが、数日間私を楽しませてくれ、朝から実に清々しい気分でスタートできた。

そのモクレンも、花を落とすと今度は一斉に若葉が芽吹く。

  モクレンの若葉たち

今では、新緑が映えて、木全体に生命の躍動感がみなぎっているモクレンである。

我家を建てた時、玄関近くにはエレガンテシマというコニファーを,そして裏庭にはシマトネリコという常緑樹を植えた。

当時何となく殺風景だったので、なるべく手の掛からないシンボルツリーを、ということで適当に私が決めて近くの苗木店で買ってきたのだった。

どちらもすくすく成長してシマトネリコは高さが4m以上になった。手の掛からぬ常緑樹というだけあって、剪定も適当にやったが、すぐに成長する。カミさんなど、冬でも枝が青々としているので、日光をさえぎり洗濯物が乾かないと今ではすこぶる不評だ。

昨年は、業を煮やしたカミさんが、ホームセンターで小さなチェーンソーを買ってきて、三男の息子と共にシマトネリコの枝をほとんど落として、丸裸に刈り込んでしまった。よほど、腹が立ったのだろう。剪定ではなく樹に対する仇討ちのようであった。

シマトネリコのすぐ横には、後からカミさんが自分で購入してきた植木が植わっていた。まだ幼木の頃、母が散布した除草剤が掛かって、一旦枯れてしまったようになったが、その後なんとか復活し、今では1.7mほどに成長した。

何の木を植えたのかずっと聞かずにが、ちょっと前に知った。それは「ハナミズキ」だった。駅近くのモクレンの話をカミさんにしたとき、「私が植えたハナミズキも白い花を咲かせる木」だと言ったので分ったのだった。

  ハナミズキの可憐な花

ハナミズキもモクレン同様に、木の枝に白い花をつけて、その後若葉が芽吹いてくる。


  ハナミズキの若葉

そういえば、隣町に「はなみずき通り」という名の街道があった。街路樹に植えてあるのがみなハナミズキなら、白い花をつけていたはずだが、私は気付いたことがない。これからは注意して観察しようと思ったのだった。

そして、今日我家の裏庭のハナミズキを見ると、なんと白い可憐な花をつけていたではないか。灯台下暗しというが、こんな調子では我家のハナミズキも腹をたてて怒るであろう。

早速、罪滅ぼしにもならないが、写真に撮ってきた。

  我家の痛々しいハナミズキ

またぞろ、自称【ジャーナリスト】たちが

2017年04月30日 | 社会観察
このところ、地上波テレビはほとんど見なくなっている。朝起きてから、時計代わりにつけているニュース番組を観るというか、聞く程度で、仕事から帰宅してもまず特定の番組を観るということはなくなった。

週末も、同様でいつの頃からかこうなった。代わりに観る様になったのは、圧倒的にネットの動画サイトで、テレビでは忘れない限り観る番組は、BS放送の「吉田類の酒場放浪記」だけになった。

社会を実に覚めた目で見て、有り余る教養に基いて痛烈な批評を重ねてきた山本夏彦さんが他界して、もう暫らく経つが、彼の著作は永遠に残り、時を経てもその新鮮さは変化することはない。

「国家の品格」という本が素晴らしかった数学者の藤原正彦さんは、元産経新聞記者の高山正行さんと共に、週刊新潮にそれぞれ巻頭・巻末コラムのページを持っていて、私はどちらも毎週楽しみにしている。

その藤原さんの名著の一つ「祖国とは国語」の中に、彼が山本夏彦さんのファンであって、彼と出会うことになるエピソードが書かれていた。

私は、このことを知るまで、何となく藤原正彦さんの文調から、もしかして山本さんの愛読者ではないかと感じていたので、その確信を得たときは、膝を打つ思いだった。

同じ事を、私は高山正之さんの文調にも感じているが、こちらはまだ確証を得ていない。ご自分ではどこかで、司馬遼太郎の文調を参考にしていると語っていたが、社会風刺の視点は、明らかに山本夏彦さん風なので、多分間違ってないと思う。

因みに、高山さんが司馬遼太郎のことを語っていたときは、彼が朝日新聞に書き始めたころから、作品がまったく面白くなくなったと、ボロクソに批判していたのは面白かった。高山さんは、朝日新聞が【司馬史観】を創ったと感じているようだった。

ところで、地上波テレビが不人気になってきたことや、ネットの動画サイトが最近の若者に受けていることに苛立っているのが、朝日・毎日・東京などのいわゆる左翼反日新聞や、偏向報道を垂れ流す、テレビ朝日、TBSなどの同系地上波テレビ局のようだ。

あたかも、野党の支持率が低迷しているのは、その所為だと言わんばかり。

私はすでに若者ではないが、私の経験から言うと、新聞やテレビの言うことは嘘で満ちている、あるいは報道すべきことをまったく無視して一切報道しようとしない、こういう少しショッキングな事実に気がつく時期が、youtube を観始めた頃にあった。

こういう機会がなく、毎日新聞や地上波テレビのニュースやニュース解説、報道関連番組などを見ているだけだと、その巧妙な偏向振りと「伝えない自由」に基く、都合の悪いことは絶対に報道しない姿勢のため、国民はまんまと洗脳されていく。

これに輪をかけるのが、肩書きに滅法弱い日本人気質と、それを利用したハロー効果である。

このブログでも事あるごとに話題に取り上げている、世界遺産、ミシュラン格付け、などの権威や肩書きに対する盲目的な日本人の反応は、欧米文化に対するコンプレックスと共に、洗脳する側にとって実に都合がいい。

さらに、名刺文化、学歴社会が影響するハロー効果(ハロー=後光)は、報道番組などに付き物のコメンテーターや自称ジャーナリストと称する、テレビ局の思惑通りに喋ってお駄賃を稼ぐ輩の存在がある。


「テロ等準備罪」に関して、偏向反日マスコミが狂ったように報道し始めている。これまでにも何度も見た感のある、デジャブ、ジャブジャブの光景である。

 飽きもせず

ため息が出るほど、馬鹿げた光景だが、今回は数が増えていて吹き出してしまった。


 仕事ください!

 フガ、フガ、フガ・・・


何に怯えているのか良く理解できないのだが、連休には、日本のあちこちでデモや集会が開かれそうな気配である。そういう機会にノコノコ「営業活動」で登場し顔を売り、仕事を得ようとする、自称ジャーナリストやコメンテーター希望者たちが必ずいる。



              【この顔に要注意!】



地上波テレビに出ている自称ジャーナリストやコメンテーターたちは、心の底から母国日本がお嫌いというわけでは決してないでしょうね。

適当なコメントをするだけで割りのいいギャラの稼げる「仕事」を得たいだけなんだ、と思いたいです。電波芸者さんと呼ぶのがいいんじゃないかと思うんですが、それだと芸を身に付けた本物の芸者さんたちに対して失礼でしょうか。

あまり愉快でない、街の外国人たち

2017年04月23日 | 社会観察
私が住んでいるような、町村合併で隣町に編入される前の、人口わずか2万人程度の田舎街ですら、スーパーや100均で見かける外国人が増えている印象がある。

家のすぐ近くの町工場に自転車で通って来る多分アジア系女性5~6人は、多分インドネシア人だと思う。中にモスリムの象徴である布を頭にかぶった娘がいるからだ。

実は、先ほど使い捨てマスクを買いに、近くのDAISOに行ってきたところだが、店の中で大きな声で会話している外国人(多分ブラジル人)たち7~8人がいた。

以前はそれほど気にはならなかったが、最近はこういう光景に出くわすと、私は心中穏やかではなくなる。もっと、率直な言い方をすれば、気分が悪くなるのだ。

最近、よく地上波テレビでも耳にするが、昨年末、在留外国人労働者は100万人を突破し108万人に達したそうだ。富山県の総人口に匹敵する数であり、統計には上がってこない人数を入れれば、現状はこれよりずっと多いだろう。

その中で約20万人は留学生で、留学生と言えども週28時間以内なら就労可能ということで、今や東京のコンビニの店員は、片言の日本語を話す外国人だらけの状況らしい。(学校が長期休暇の間は1日8時間、週40時間まで働けるようだ。)

 店員は外国人主流

大学側は、学生数減少、コンビニ側は人手不足、アジア人はビザ取得が容易ですぐ仕事にありつけるということで、需給が合致して急増しているようだ。

留学生は、借金して日本に来るくらいだから、週28時間以上仕事をしたい。それに,使う方もそれ以上使いたい。両者のニーズが合えば、当然ルールなど無視されるようになる。

もう一つの制度に、技能実習生制度がある。

これは日本の技術を海外に移転する国際貢献のための仕組みというのが「建前」で、工場だけでなく、漁業や農業の現場では多くの外国人が「技能実習生」として働いている。

ただ、この制度では期間が原則3年と定められており、せっかく技能が身に付いたところで帰国になってしまう。名目は、日本の技術を覚えてもらって、母国でそれを役立ててもらうということだが、中身は最低賃金以下でこき使える奴隷のような労働者が確保できる制度なのである。

 食品工場も外国人だらけ

日本の歴史上、欧米のように奴隷を使ったことのない日本人は、こういう低賃金労働者の扱い方が分らず、これまでも度々トラブルが起きて、時には殺人事件が起きるような事もあった。

更に、我が国には難民についてのおかしなルールがある。

つまり、日本に来て難民申請をすれば、その時点から就労が可能となるのである。申請するだけでそれが可能となるわけだ。

そして、難民申請の結果が出るまでは平均2年という、信じられない時間が掛かるようで、その間は就労時間の制約もなく、堂々としかも日本人と同じ労働基準法のもとで仕事にありつけるのだ。

更に、申請結果が却下されても、再申請が可能であり、強制帰国されることもないという。したがって、これを目当ての『偽装難民』と彼らを積極的に採用しようとする雇用者側が後を絶たないらしい。

数年前、偽造旅券で入国し違法滞在の最中万引きで逮捕されたフィリピン人の間に産まれた娘を残して、両親ともフィリピンに強制送還させた出来事があった。

娘のみ在留特別許可が与えられ、日本に住む親戚のところで一緒に住むことにして、両親と別れることになったのだが、この時、左翼マスコミや左巻きのプロ市民たちは、かわいそうだから家族みんなに在留許可を与えろ、という一斉キャンペーンを張ったのだった。

これからも、似たようなケースが続出することはまず間違いない。

浜松市など外国人労働者が多いところでは、すでにプロ市民らに煽られたであろう外国人労働者たちが、プラカードを掲げてデモをするような状況になっている。

  数は力になる

安倍総理は、移民政策ではないと主張するようだが、どう見てもこれは日本政府がルール作りをしている、移民政策である。そして、先のことをまるで考えていないとしか考えられない誤った政策である。

シンガポールのように、職種別の格差を考えた外国人移民政策を取ると同時に、彼らの入国以後の徹底した管理と、犯罪に対しては容赦しない刑罰の適用で、殺伐とした社会にしようという考えなら、明確に沿う主張すべきで、これは国会で徹底的に議論してほしい。

しかし、今更議論するまでも無いだろう。EUで今どういうことが起きている?このまま行けば、日本は同じことになるのは、小学生でも分ることではないか。

聖書片手に、こんにちわ!

2017年04月23日 | 社会観察
キリスト教の三大異端派というと、モルモン教、統一教会、そしてエホバの証人(ものみの塔)である。

およそ信仰心などとは縁のない育ち方をして、宗教などには興味も関心もなかった私だが、高校を卒業してから、なぜかこれらの三大異端派すべてに縁があった。

まず、大学に入学したばかりの頃、私がお世話になった賄い付き下宿での同期だった工学部のM君の様子が2年生の夏休みを機に、一気に変わったのだった。

それは、同じ下宿の学生の一言で発覚した。

「M君、オリオン通り商店街のアーケードで、小さな黒板を立てて何か通行人相手に講義してたみたいだった。」

一度聞いただけでは何のことか理解できず、詳しく訪ねると、M君はスーツ姿で分厚い本を片手に持ち、小さな黒板に何か書きながら、講義をしているようだったらしい。ただ、通行人たちは、M君のことなどまったく無関心で、誰一人として立ち止まる者はいなかった。

その数日後のことだった。突然M君は下宿を解約して出て行き、別の一軒家で仲間と共同生活を始めたのだった。M君は、統一教会に入信したのだった。

モルモン教の宣教師は、なぜかいつも二人組みで街中で通行人に話しかけているのだった。
彼らは二十歳位の若者でワイシャツに細いネクタイをしていた。

当時の私は英語学習に夢中で、新しく覚えた表現を実際に外国人相手に使いたくて、街で彼らを見つけると、迷わず近寄っていって話しかけたものだった。

私は彼らがモルモン教というキリスト教の一派の宣教師で、モルモン教というのは一夫多妻を認める変わった宗教だ、くらいの知識しかなかったが、そんなことは私にとってどうでもいいことだった。

その数年後、私はある研修プログラムに参加してアメリカに渡ることになるのだが、何とそこでホームステイすることになる家庭が、モルモン教徒の家庭で、ご主人は町の教会のかなり上の位にいる方だった。

モルモン教の教会にも義理で一度だけ行ってみたが、退屈で興味も関心もなかったので、次に誘われた時は、はっきりと嫌です、と返事をした。

さて、三つ目のエホバの証人は、私が社会人になって4~5年の時だったと思う。我家の西側に住むKさんが困った様子でやってきて、嫁さんが変な宗教にはまっちゃったみたいで、参ってるんだ。何とか説得してもらえないだろうか?という相談だった。

  一見普通のご婦人たちだが

少し詳しく様子を聞いたところ、かなりの重症な状況であることが分り、明らかに洗脳されてしまっていると感じた私は、私の手には負えないレベルなので、あまりすることに批判的にならずに暫く様子を見るよう伝えるに留めた。

その後、なぜか我家にも小奇麗な格好で日傘をさした二人のご婦人が、やってくるようになったのだった。

  聖書ってすごいのよ

玄関先で何事かと話を聞くと、我家の健康状態はどうだとか、最近病気はしないかとか穏やかだが、随分不躾な質問をするのだった。いったい用件は何だと訪ねると、こんどは聖書に興味はないかときた。

話し相手になってやると、毎週のようにやってきた。そして、次第に論戦を挑んでくるようになり、面白いので私も相手になってやった。すると、今度は上司らしい男性を連れてきて、やんわりと勉強会に来ないかと誘うのだった。

宗教には興味ない、もう来ないでほしい、と断って帰ってもらった。しかし、それからもしょっちゅう来るようになったので、ついに私の堪忍袋の緒は切れてしまった。

「相手になってやればいい気になって、あなた方は相手の気持ちが理解できないのか?もう二度と来ないでほしい。今度来たらバケツ一杯の水を容赦なくぶっ掛けるからそのつもりで、他の仲間にも言って置くように。

それから、不在の時に郵便受けにゴミのようなチラシを入れて置くのも止めてくれ。分ったら、回れ右して、とっとと帰れ!」と畳み掛けた。

このエホバの証人は、ロシアでは過激派集団として活動禁止、解散という最高裁の判決が下ったそうだ。

過激派というのは、思想が過激だという意味だと思う。つまり輸血を拒んだり、社会的に他の市民との交流を拒む点が極端すぎるということなのだろう。

そういえば、わが街の私立病院にも、こんな貼り紙がしてあった。

 受付で見た

『輸血を拒否する患者』とは、あの連中しかいないだろう。

過激派とは、英語で extremist people つまり、過激主義者、あるいは極端論者と言い換えることが出来る言葉だ。

彼らは当然、隣近所のお葬式も手伝うことはないし、顔も見せようともしない。



牝鶏晨(あした)す

2017年04月22日 | 政治ネタ
タイムというアメリカの雑誌が選ぶ、「世界で最も影響ある100人」の中に、都知事の小池氏が選ばれたと、さもすごいことのような報道が見られた。

日本人は、この手の報道に滅法弱く、さも光栄なことのように扱うが、何これまでこの100人に選ばれた中には、支那の習近平はいるし、北チョの刈上げ豚こと、キム・ジョンウンもいる。

こんなのの仲間に入って、果たして喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。

刈上げ豚のお陰で、最近はテレビに登場する機会が減ってきて、ヤレヤレと思っていたところに、このニュースだったので、またあの都知事の厚化粧がテレビに登場することになるのかと、いささかウンザリしたところだ。

  あまり見たくも無い

都民ファーストだとよく言うが、果たしてしていることが東京都民の為になっているのかどうか、私はよく分らない。

とりあえず女性であることが、注目される要因の一つであることは間違いないだろう。

支那には、昔からうまい例えを言う故事成語があるが、その中に『牝鶏晨す』(ひんけいあしたす)というのがある。

「晨」という漢字は、日の下に辰を書き、早朝を表わし、鶏が鳴き声で夜明けを告げるという意味もある。牝鶏とはめんどりのことだ。

その意味は、「めんどりの方がおんどりより、先にないてて朝を知らせるような家には混乱が生まれる。」という意味で、「女が勢力を振るうたとえ。家や国が滅びる前ぶれであるとする。」という意味を表わすようだ。

昨年、現大統領のトランプ氏と激戦を見せ付けてくれた方も、性別は牝だった。今は往時の面影が消え去って、一気に老け込んでしまったようだ。

 左右で10年の差が?

この方がアメリカの大統領に選ばれていたら、どうなっていたことか・・・。


 この馬の骨も酷い

この方が代表になってから、支持率が上がったことはあっただろうか?国会の様子を見ていても、この方の率いる政党の腐乱状況は度を越えている。みんなゾンビに首根っこを噛み付かれたように、イカレテしまったようだ。

いまだに、自分の国籍に関してはっきりしないことは、何かやましいことがあるからだろう。

首に筋を立てて、コケコッコーと鳴けば鳴くほど、この政党は腐っていくようだ。

 先が見えてきた

この女性のお陰でmEUは難民だらけになった、今や国が難民に乗っ取られていくようだ。EUというファンタジーが崩壊していくのは、予想できなかったか・・・。

日本人には、この国を反面教師としてしっかりと認識して欲しい。

女性を差別するつもりは毛頭ないが、女性にも高齢者にも適材適所というものがある。ちょっとやらせてみるか・・・は、この前の民主党政権だけで充分だ。

おうヤダヤダ・・・。

高齢者を人殺しにするな!

2017年04月22日 | 社会観察
毎朝の通勤途中で見かける小学生たちの通学風景は、やはり小さな新1年生達に目がいってしまい、初孫なっちゃんのことが気に掛かる。

カミさんの話では、「楽しそうに行ってるみたいだよ。ひらがなの書き方をやってるみたい。」ということだったが、私は行き帰りの交通事故が気がかりになるのだ。

いくら田舎とはいえ、道路を走る車を運転する者が皆歩行者の安全を気遣っているはずがない。スマホでゲームをしながら運転したり、ボケ始めの高齢者が運転していたり、いくら自動車に安全装置を増やしたところで、事故は毎日のように発生しているではないか。

昨日も老婆の運転する車が人をはねて殺したようだ。記事を抜粋してみよう。


『埼玉県入間市のショッピングセンターで、76歳の女性が運転する車が他の車や歩行者に次々に衝突した事故で、女性は「アクセルとブレーキを踏み間違えた」と話していることが分かりました。

 21日午後8時ごろ、「イオン入間店」の駐車場で、76歳の女性が運転する車が前を走る軽乗用車に追突しました。さらに車は暴走し、近くを歩いていた市川よし子さん(53)をはね、駐車中の別の車にぶつかって止まりました。市川さんは頭を強く打って、搬送先の病院で死亡しました。

 また、運転していた女性ら5人が重軽傷です。その後の警察への取材で、この女性は「軽乗用車に追突した後、アクセルとブレーキを踏み間違えた」と話していることが分かりました。警察は、過失運転致死の疑いもあるとみて、女性の回復を待って事故の経緯を詳しく聞くことにしています。』

もうこの手の事故のニュースを聞いても、大して驚かなくなった。コンビニや商店に突っ込む事故などしょっちゅう起きているではないか。

  コンビニはいい迷惑

私は毎日JRの駅前に客待ちしているタクシー運転手たちを観察しているのだが、ざっと9割が白髪頭の高齢者のようだ。見た目は元気そうだが、私はああいうタクシーには乗る気がしない。

  怖い高齢ドライバー

さらに、私が毎朝見かけるたびに不安になるのは、横断歩道で黄色の旗を持って交通安全指導をしている高齢者だ。

小学生が横断歩道を渡る時、少し道路に出て、旗を掲げて子供たちが安全に横断するのを助ける、恐らくボランティアというタダ働きをしているのだろう。しかし、毎朝私が見る方は、立ち位置が変なのだ。

日本は車は左側通行なので、私が赤信号で止まって子供たちが横断歩道を渡るのを見ていると、その高齢者指導員は、交差点側に立って、旗を掲げているのだ。本来なら、車が停止している側に立ち、身を挺して子供たちを守る姿勢をとるべきなのだろうが、逆なのだ。

私は、ほぼ毎朝、運転席からこの高齢者を見ながら「アホか、この爺い・・・」と呟いてしまう。

 ボランティアだから?

高齢者が元気で働きたければ、社会に参加してもらうことは大変いいことなのだが、仕事を依頼する方は高齢者だからといって、ええわ、ええわに扱ってはいけない。

人手が足りないからといって、安易に外国人労働者を呼び込んでいる現状は、必ずいずれ厄介なことになることは、世界中に例があり、明白である。

高齢者でも仕事の指示はしっかりとして成り行きを観察する責任は使う側にある。そして、使われる側は、甘えることなく、責任感を持ってやり遂げる姿勢が必要である。

社会も、お年寄りだから大目に見ようなどとすることは絶対に禁物である。事は人の命に関わるのであるから。

連休はソウルでキムチとスリルを味わってみる??

2017年04月22日 | 旅行
今、世界で一番危険度が高い国といったら、シリアでもイギリスでもニューヨークでもない。誰が何と言おうと、南朝鮮である。

いつ朝鮮戦争が再スタートしても不思議ではない。

今、このブログを書いている最中にでも、戦争が勃発するかもしれない状況だ。南朝鮮の要人はこういう状況でも、自国民たちの心配をする以前に、日本はこれに乗じて軍備を拡大する魂胆だ、とかソウルが危険だ、危険だとか煽っている、などと能天気な発言をしているようだ。

どこまでいっても、間抜けな部族で、いっそのことこの機会に地上から消滅してしまうのが、彼らのためなのかもしれない。

こういう南朝鮮の不安を「忖度」したのか、日本の害無省も特別南朝鮮が危ないとは言っていないところが、さすが太っ腹というか、無責任と言うべきか。ホームページを見てみるとやっぱり危機感はないようだ。

  勝手に注意してや。

DVDレンタルショップには、相変わらずアッチのDVDが一杯並んでいるので、借りる人はいるのだろう。そういう少し変わった方は、5月の連休に是非旅行してはどうだろう。

街は空いているし、ウルサイ支那人観光客はめっきりいなくなったようだし、観光客が減って困っているソウルの土産物屋に行けば、寄生虫入り特製キムチを一つくらいサービスしてくれるかもしれない。

 安い!!タダ同然!!

食べ物屋に行けば、農薬をたっぷり使って栽培した新鮮な野菜で包んだ焼肉が待っている。

ニセモノブランド品もよりどりみどり。北から飛んでくるかもしれないミサイルも心配だが、それより行き帰りの飛行機が墜落するかもしれないというスリルも結構味わえるらしい。

 突然のビル崩壊あり??

この時期に南朝鮮に行ってきたというのは、思い出にもなるだろうし、結構自慢話にもなるかもしれない。ただし、「へえ~~、すごいね!!」という人の本心は、「アホか、お前は・・」だろうから、その辺は承知の上でお話下さい。


最近の私的・2大ニュース

2017年04月21日 | 趣味の世界
連日、東京都知事の「年増の厚化粧」ぶりを見せられて、かなり食傷気味だったのが、一転して森友学園がすべった転んだで、ミンシンの異常ぶりにウンザリさせられた。

そして、今度は朝鮮半島の危機的状況と南朝鮮と日本のノホホンぶりに呆れさせられていたところに、一陣の疾風が曇った空を真っ青に塗り替えるような、ニュースが飛び込んできた。それが、卓球少女、平野美宇選手の快挙だった。

  腕を高く上げて勝利を喜ぶのがいい

彼女の偉業は、どれほどすごいことなのか日本のマスコミは評価しかねている感がいまだにあるようだ。何せ、世界に君臨する支那のトップ選手を3人立て続けにぶっ倒してみせたのだから、これはもうまぐれ当たりなんていうものではなく、正真正銘の実力であろう。

しかも、その戦いの場所が敵地、支那の無錫(むしゃく)市であった。試合会場にいた地元の卓球応援団も、その惨状を目の当たりにして、無錫だけに、ムシャクシャした気分で、応援したことだろう。

私は、心の底から彼ら支那の応援団に言ってやりたい。

「ざまあ見ろ!」

 左右下方に赤旗三つ

試合後の彼女のインタビューも、まったく気取らず飾らず、聴いていて実に清々しかった。どこかのナヨッとしたスケート選手が、ベラベラ飾り気のある話をするのや、甲子園に出たがっている高校野球選手が、ベラベラベラベラ余計な話をするのとは、わけが違った。

作家の河添恵子さんが、ブラジル五輪の時の日本女子卓球選手の快挙を観た感想を述べていたが、確かに小さな時からお母さんと一緒に卓球を始めて、親の愛情に育まれながら上達していったという共通点が日本の女子選手にはあった。

そこが、ロボットみたいな支那人選手たちの会場での表情と大きく違う点だったように思う、といった意味のことを仰っていたが、平野選手も幼い頃から大好きなお母さんの下で、暖かくも厳しい練習を、楽しくやってきたようで、見ていて微笑ましい限りだ。

ただ、意外だったことが一つあった。

それは、今回の平野選手の快挙を冷静に認めて評価し、反省していた支那の指導者がいたことだった。

 支那軍コーチ・孔令輝さん

孔氏は試合後こう語っていたそうだ。

「彼女のテクニックは我々に比べて格段に上だった。これから彼女の強みを勉強しなければならない。」

彼は、元世界チャンピオンだっただけに、「達人は、達人を見る目を持つ」といったところか。彼の落ち着いた一言は、高く評価されて然るべきだろう。

平野選手は、今の実力を維持し、更に磨きをかけていかないと、ライバルは支那だけではなく日本国内にも多いので、油断はできないだろう。

一つだけお願いがある。帰国しても、下らないバラエティー番組にヒョコヒョコ出るのだけは謹んで欲しい。どこかのレスリング選手と同じになってしまうから、どうかああならないで下さい!

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さて、もう一つの大きなニュースは何かというと、それは「八田與一像、頭部切取り事件」だった。

台湾南部・台南市で、日本統治時代の技師、八田與一像の頭部が切り取られた事件は、16日に発覚した、あまりにもショッキングな出来事だった。

 相当ショックを受けました

犯人は明らかに支那からやってきた外省人の仕業だろうと思ったが、数日して犯人自ら出頭してきて、正体が明らかになった。

ネットのニュースによると、以下の通りだった。

『男はフェイスブックで「自分がやった」と公表した上で、台北市内の警察署に出頭。当局は身柄を台南に移して事情を聴いた。

男は1958年生まれで、現在は台湾の急進統一派の団体「中華統一促進党」に所属。94年に統一派の政党「新党」から台北市議に当選し、1期務めた。任期中、市幹部を殴り起訴された。

また、2016年には急進的な台湾独立派の団体の敷地に放火し逮捕、起訴されている。』

また、いつも私が楽しみにして見ている、「台湾チャンネル」という youtube 動画によると、犯人はどうも戦後支那からやってきた外省人ではなく、台湾生れの内省人のようだ。犯人の写真↓をみると、まともじゃないのが分る。

 表情がまともじゃない

台北市議をやっていたといっても、完璧に支那人に洗脳された過激派ゴロツキ集団のメンバーだったようで、日本にもこれに似たような国会議員がいる。

台湾は蔡英文総統が誕生して、民進党(本家本元の)が躍進し、これまでタブーだった支那国民党の悪さをはっきりさせようとする動きが出ている。

台湾中にある蒋介石の像を撤去したりする動きもその一つで、どうも今回の蛮行はそれに対する報復行為であったようだ。

台湾チャンネルのアシスタント、謝さんによると、台湾の学校には大抵蒋介石の像が立っていて、みんなその前で礼をすることが強制させられていたようだ。

日本人観光客のほとんどが、台北の「中正紀念堂」に行き、英国のマネをした儀仗隊交代式を観る様に仕向けられているようだが、歴史を知らない間抜けな日本人観光客は何の疑問も感じないようだ。中正とは独裁者・蒋介石の本名である。

烏山頭ダムへは、去年の6月に行って来た。

 八田與一像アップ

駅からタクシーで15分くらい走ったところにあるので、駅前に客待ちしているタクシーをチャーターして、案内してもらうのがいい。彼らも心得たもので、博物館や展示館などの見所を順番に案内してくれる。

  子沢山の家族だった

台湾では教科書にも登場する偉人の一人として、知らない人はいないようだが、私は去年まで、八田與一など聴いたこともなかった。

なかったが、知れば知るほど彼の功績には感銘せざるを得なくなっていった。そして、もういても立ってもいられなくなって、現地まで出かけていったのだった。

 妻、外代樹(とよき)と、

1942年、八田は調査のためフィリピンに向かう輸送船に乗っていた。そこをアメリカ軍の潜水艦に狙われ、船と共に一命を落としたのだった。

私が、八田のことをいろいろ調べている時に、少なからず感銘を受けたのは、彼の業績だけでなく、身分や人種に分け隔てしない、その人柄を示す多くのエピソードについてであった。

そして更に、16歳で八田の元に嫁いで、八人の子供をもうけながら、ひたすら八田を陰で支えた理知的な風貌の妻・外代樹(とよき)が、八田の死後、彼の後を追って、彼の造った放水路に身を投げて自殺したという末路を知った時であった。私は思わず唸ってしまったのだった。



像を造るという話を聞いたとき、八田は「見下ろすような立った像は、やめて欲しい。』と言ったそうだ。だから、あのような腰をおろして考え事をするようなポーズに決ったようだ。

  ユニークな像である

私は、今後も台湾に行きつづけるだろうが、是非多くの日本人にも台湾を訪れて欲しいと思っている。どこがいいのか、と問われてもよく説明できないのだが、何となくホッコリとする気分がいいのかもしれない。

そして、行く際にはネットか何かで、台湾の歴史をちょっとでも読んで行って欲しいものだ。ガイドブックの後ろに書いてあることでも充分だ。それを知ると知らないとでは、面白みがまったく違ってくるからだ。

そ・そこまで虚勢を張るか???

2017年04月18日 | 外国ネタ
今年上半期の最高バカ受けニュースは、トランプ大統領誕生でも、ミンシンのブーメラン合戦でもない。

もうダントツでこれしかない!

北朝鮮、平壌市の高層ビル群のグーグル・アースによる上空からの写真だ。

 よく見ると屏風みたいな

もう少し、よーく見ると分るだろう。地上で道路側から見ると見事な高層ビル・・・だが。

  ジックリよく見て

外国の記者たちに、自由行動させない理由がよくわかった。衝立のような、薄型高層ビルなのだから、実物を見たら記者たちも腰を抜かすことだろう。

  CGじゃないからね

以前、「ビフォーアフター」という番組で、狭小住宅を扱っていたが、こちらは高層ビルだから、ある意味スケールの大きさは誇れるだろう。

  

マスゲームに駆り出されている平壌市民といわれる『奴隷』たちは、まさかあんな屏風のような,ペラッペラのビルに住んでいるとは思えない。あの屏風の陰にある、スラム街のようなところで暮らしながら、年がら年中踊りや行進の練習をしているのだろう。

【朝鮮】の「朝」とは、朝貢すなわち、貢物という意味を表わす。そして、「鮮」とは少なし、という意味である。

あの論語にある、『巧言令色鮮し(すくなし)仁』、口が達者でベラベラよく喋る人は、人間として大切な徳である仁の心がない、という意味の言葉に出てくるアレである。

つまり、貢物が少ない、ケチだという意味で支那が命名したらしい。おまけに、彼らはただのケチではなく、見っとも無いくらい見栄っ張りである。

韓流ドラマを見ると、眼にもあざやかでカラフルな衣装に身をまとった女性たちが出る時代劇をやっているが、半島には当時染料や染色技術が存在せず、極々一部の上流階級貴族のみが、支那からの輸入品である布を使った衣服を着ていた。

歴史はファンタジーなので、ああいったドラマは、(こうだったらいいなあ・・)という情景を描いているのだろう。

しかし、私は今まで平壌の街並みを見るたびに、ああいう光景と平壌市内のデパートに並んだ商品の貧弱さがあまりにもアンバランスで、眉に唾を塗りながら見ていたのだが、さすが天下のグーグル・アースである。見事に暴いてくれた。

もしかすると、軍事パレードのミサイルも張りぼてなのかもしれない。いや、きっと層だろう。

南も北も、あの部族は体制こそ違うが、造りは同じなのだから、どう転んでも我々には迷惑な存在でしかない。そういうのが、今の日本にもウジャウジャいるから嫌だ。

再掲・『歌丸、まだ生きてます』報道を考える

2017年04月17日 | 英語関連
いくら長寿国だからといっても、人間には寿命というものがある。日本では、それまで病気一つしたことがなくても、高齢者の仲間入りをする頃になれば、嫌でも医者が悪いところを見つけてくれる仕組みになっているのだ。

有名人だろうが、八百屋だろうが、百姓だろうが、みんな平等に時がくればあの世に旅経つようにできているので、その時分になってもさほど恐怖感は感じないものだと、私は想像している。

特に特定の宗教を信じているわけでもない私は、物心ついた頃からずっと、人間は死ねばスイッチが切れたように、「ハイ、それまで」となって終わりとなり、天国だのあの世だの地獄だの極楽だのというものの存在は、まったく信ずる気にはならないできた。

よく有名芸能人が他界したりすると、テレビでは司会者やレポーターが取って付けた様に神妙な顔つきをして、「信じられない」とか、「思いもよらなかった」とか言って、その意外性を強調するのが常のようだ。

同僚の芸人達もマイクに向かって、「早過ぎる死で、驚いている」などとありきたりのことを言うのだが、なに前から病気であったことは承知のことで、内心は「そろそろ・・・」と思っていたはずであったりするものだ。

   わたし、落語家なんですが・・

長寿番組「笑点」の司会を担当していた、桂歌丸さんが腸閉塞だったかで入院したと報道された時は、その風貌からさほど驚かなかったのだが、その後「歌丸さん、無事退院  高座に復帰」とか、「歌丸さん、インフルエンザで入院」「歌丸さん、元気に退院」「歌丸、肺炎で入院」「桂歌丸、笑顔で退院 高座復帰目指す」

数ヶ月の間に、次々と似たような報道が続くと、不謹慎かもしれないが「しぶといなあ」と思ってしまうものだ。

それは、私に限ったことではないのではなかろうか。

世に落語ファンはたくさんいるだろうが、桂歌丸の落語が天下一品の名人芸であるとは、私はまったく思わない。私が認める「名人」は、なんといっても、五代目古今亭志ん生と六代目三遊亭圓生である。

お二人の私生活のことは、嬉しいことに私はまったく知らない。知らないどころか、知りたくも無い。純粋にお二人の落語だけを愛する次第である。

   今度も笑顔で復帰宣言。

テレビ業界が、それほど歌丸のことが好きなら、入退院の報道だけではなく、彼の芸を知らしめる時間を作ってやったら如何なものだろう。

それをしないで、ただ「歌丸、まだ生きてる」報道を続けるのは、落語家・桂歌丸に対して失礼ではなかろうか。

作動しないのかよ、自動ブレーキ。

2017年04月16日 | 英語関連
先週、81歳の男が運転するタクシーが暴走して警察官らをはね、男女3人が重軽傷を負うという事故があったと、ネットニュースで知った。

タクシーは走行中に信号無視を繰り返し、現場近くの交差点で信号待ちをしていた車に衝突して一度停止。

危険を感じた乗客の女性はタクシーを飛び降りたが、男はそのままタクシーを発進させて歩道に乗り上げ、歩道にいた警察官と自転車の女性をはねたという。

  軽症でよかった・・・

81歳のタクシー運転手もすごいが、暴走するタクシーに乗っていた30代の女性客が、その走行中のタクシーから飛び降りたというのも、すごい行動だった。

歩道を歩いている時にタクシーにはねられた20代の警官とタクシーから飛び降りた女性は軽症で済んだそうだが、自転車に乗っていてはねられた40代の女性は重症だったそうだ。

  暴走の原因は???

自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致傷)容疑で現行犯逮捕された「暴走老人」は、容疑を認め「すみません」と謝罪しているそうだから、自分がしでかしたことは認識できているようだ。

いつも利用するJRの駅前にも、客待ちをしているタクシーが止まっているが、白髪頭の高齢者ドライバーを結構見かける。見かけの年齢は、60代後半から70代半ば位か。

交通量の少ない田舎街だから心配ないかというと、南北に二つの東名高速道路が走り、すぐ近くには富士山静岡空港がある。幹線道路には物流トラックが狂ったように走っていて、暢気に運転を楽しむ環境でもない。

以前カミさんと旅行に出かける日の朝、自宅からJRの駅までタクシーを利用した時、走り出して間もなくの十字路で、出会い頭の事故になる寸前のところで車が止まり、冷や汗を課か冴えたことがあった。そのときも確か運転手は白髪頭だった。

今後、私はタクシーを利用する際に、ドラーバーがあまりにも高齢なら、乗車拒否をしようかと真面目に思っている。

それに、自動車関連のメーカーに勤めているためか、ほんのちょっとの部品不具合が、乗員の生死に関わる事故につながる事例は、嫌と言うほど見聞きしてきた。

今現在は、自動車計器のソフトウェア関連の事業所に移って、対象がハードからソフトに変わったのだが、不具合がどういう影響を及ぼすかは、以前とまったく変わることはない。

したがって、少し前テレビCM出盛んに自動ブレーキの映像を流していたが、私はあのシステムを眉に唾をつけて見ていたものだった。

そしたら、見よ。やはり、あの自動ブレーキにも不具合は起きるではないか。

以下、ニュース(千葉日報オンライン 4/14(金) 18:52配信)より抜粋・・・・・


『運転支援機能を搭載した日産のミニバン「セレナ」を試乗した客に、ブレーキを踏まないよう指示して事故を起こしたとして、千葉県警交通捜査課と八千代署は14日、八千代市内の日産自動車販売店の営業社員男性(28)を業務上過失傷害容疑で、試乗した客のトラック運転手男性(38)を自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで、千葉地検に書類送検した。』

『営業社員男性は、セレナの試乗に来た男性の助手席に同乗。店舗近くの市道で、アクセルやブレーキ、車線保持などの運転を支援するクルーズコントロール機能が危険を検知して自動停止すると誤った認識のまま、運転手男性に「本来はここでブレーキですが、踏むのを我慢してください」と指示。

  自動ブレーキ作動

男性はブレーキを踏まず、信号待ちしていた乗用車に衝突。乗っていた30代の夫婦に全治2週間のけがを負わせた疑い。

交通捜査課によると、本来は車両の単眼カメラで危険を察知して自動ブレーキがかかるが、事故当時は夜間で雨が降っており、追突された車は黒色だった。セレナに故障や異常はなく、同課では「対向車の前照灯など道路環境や天候が重なり、自動ブレーキが作動しないまま追突した」と結論づけた。』  以上、抜粋。

要するに、【エマージャンシー・ブレーキ】システムが、前方の対向車を認識できずブレーキを作動させなかった、ということだった。

  追突事故に・・

このようなレベルで、自動運転自動車が実用化されていいものなのだろうか?

おまけにシートベルトの補助装置であるエアバッグが作動したら、金属片が体に突き刺さるかもよ、なんて・・・、おお恐ろしや、恐ろしや。

歴史を塗り替える快挙!

2017年04月16日 | 趣味の世界
天真爛漫な卓球少女、平野美宇選手がまたまた快挙を達成した。相変わらず笑顔満開で勝利の喜びを表わす彼女の潜在能力には、卓球ファンならずとも益々の期待が膨らむのではないだろうか。

   この気取らぬ天真爛漫さがいい!
(共同通信)

デイリースポーツの速報記事から・・・・・・・

【卓球・アジア選手権」(15日、無錫)

 女子シングルス決勝が行われ、平野美宇(エリートアカデミー)が世界ランク5位の陳夢(中国)を3-0(11-9、11-8、11-7)で下し、初優勝を飾った。日本勢の優勝は1996年の小山ちれ以来、21年ぶり。

平野は準々決勝で世界ランク1位でリオ五輪女王の丁寧をフルゲームの末、撃破。準決勝では同2位の朱雨玲をストレートで下した。中国での開催。常に「加油!(中国語で頑張れ!)」が響き渡る大アウエーの中、中国勢を3連破しての快挙となった。】(デイリースポーツ)

何と言っても、支那の世界トップクラス3名を撃破しての優勝には、これ以上の付加価値は無いといってもいい位の、大大大金星であり、事実上世界トップに躍り出たといっても良いだろう。

私の中では、フィギュアスケート選手の引退報道や国民の反応に対して、どうも納得できないイライラ感があった。

さらに、今朝つけたテレビのローカルニュースで、あのレスリング女子選手、ブラジル五輪で金メダルを逃して、『お父さんに怒られるぅ~』と泣きべそをかく醜態をさらした、あの方。

彼女が、地元浜松医大に講演に来て、「夢を持ち続けることの大切さ」が滑った転んだという話をして、今年あと何回かその話をしに来ることになっている・・・とかいう報道を聴いて、もうウンザリした気分にさせられていた。

その後、この卓球少女の快挙のニュースを観たものだから、不快感の塊だった溜飲がもうすっかり下がって、スッキリ壮快な気分になったのだった。

日本の女子卓球は、その層の厚さが自慢である。他の種目の指導者たちは、卓球の関係者たちがどういう計画と考えに立って、今の状況にたどり着いたのか、しっかり研究して対応すべきだろう。

また、スポーツへの取り組ませ方、指導方法なども、この卓球少女たちからは学べることがたくさんあるように感ずる。

それは、スポーツに限ったことではなく、子供を大人へと成長させる手助けの仕方を観ている者に多く示唆している。

いずれにしろ、支那人選手を3タテした上での優勝は、引退したスケート選手に国民栄誉賞を、などという声をチャンチャラ可笑しくさせるものだった。

シンガポールが世界一住み易いだと???

2017年04月15日 | 外国ネタ
シンガポールが世界一住み易いだってえ??? 嘘だろ!!!

私も駐在員の端くれとして、シンガポールにわずか1年弱だったが、住んだことがある。

記事を読んで自分の経験を省みてみると、どうも信じられない。

【英国の人材会社、ECAインターナショナルはアジア人駐在員向けの「住みやすい都市」ランキングを発表した。アジア太平洋のトップはシンガポールで、世界でも1位だった。】

【世界1位は16年連続。日本の都市では大阪が世界、アジアともに5位、名古屋が同じく7位だった。】

どういう基準で調査したのか詳細は不明なのだが、海外赴任者を対象として、生活の質を調べているらしい。

大気汚染や台風、地震などの自然災害のないところが、外国人に評価されるのだろうが、私は、自然などまったく感じられない、無味乾燥の街並みや風景が、ほとんど耐えられないくらい嫌だった。

インドネシアに週末に旅行した時、農民たちの田植えや稲刈りの光景を車窓から観たときなど、嘘ではなく涙が溢れ出てきたほどだった。

 取ってつけたような緑木

赴任したばかりの頃は、予想したよりも街には緑が多かったが、眼が慣れてくるとそれらも都市計画で植えられた街路樹でしかなく、普通の雑木林でもいいから、どこかに森とか林はないものかとキョロキョロしたものだった。

それに、暑がりの私にとっては、外を歩くには気温が高すぎる。とにかく赤道直下なので年がら年中、気が狂いそうなくらい暑い。

ビルの中は冷蔵庫の中のように冷房を効かせているので、何かの用事で外に出た時は、その気温差に倒れそうになるときがあった。

さらに、そういう環境で流しのタクシーを拾う時などは地獄である。しょっちゅうタクシーが通るところならいいのだが、運が悪いと15分も20分も炎天下で待ち続けなければならない。

 名物「乗車拒否タクシー」

ようやく止まってくれたと思ったら、運転席の窓がスーッと下がって、運転手が行先を聞いてくる。行先を告げると、なぜか首を横に振って、サーッと走り去る。シンガポール名物の「乗車拒否」である。

シンガポールのテレビのニュース特番でも、外国人がこのことを口角泡を飛ばして批判していたが、「ああ、私だけではないんだな」とその時分かったのだった。

詳細はよく分らないが、現地の人に愚痴を言ったら、「アレはドライバーのシフトチェンジの時間帯によくある現象」だそうで、帰宅する方向なら客を乗せるが、そうでなければ拒否するそうだ。職業倫理など微塵も無いようだ。

人口わずか560万人の小さな島国だが、様々な人種が混在する多民族国家である。単一民族の日本から移り住むと、その居心地の悪さを次第に感ずるようになってくる。

エレベーターなどで、インドやスリランカ系の男性と一緒になると、その体臭に吐き気を催しそうになる。リトル・インディアという街はそれに香辛料の臭いが混じっていて、街全体がインドの臭いで充満している。

  異国情緒?いや、臭い!

多民族と言っても、仕事ははっきり格差があって、近隣国からの出稼ぎ労働者たちでかろうじて国が成り立っている状況だ。

道路工事や建設現場を担当するインドやバングラデシュなどの男性たち、住み込みのメイドを担当するフィリピンやインドネシアの女性たち。

週末になると、彼らが集まる場所は決っていて、どこに行けば何人がいると誰でも知っている。

 歩道でピクニックの比人

シンガポールは自由と民主主義の国だと勘違いしている日本人は相当いるのではなかろうか。

あの国には、言論の自由、出版の自由、報道の自由、集会・結社の自由など無い。冗談ではなく「明るい北朝鮮」と呼ばれ、政府を批判することは許されないのである。飲み屋で政権批判をしただけで逮捕されるところだ。

これは、昔、私が近所の中学生に英語を教えていた時、英語の教科書で目にした文章だが、【シンガポールは、ファイン・カントリー(fine country ) です。】というのがあった。ファインには、素敵なという意味と、もう一つ【罰金】という意味がある。

実際、街のいたる処に、「自転車乗入れ禁止・罰金1000ドル」とか「飲食禁止・罰金500ドル」とかいう掲示がされているのだ。もうあちこち、いたる処にである。

私も地下鉄のプラットホームであまりにも喉が渇いたので、ペットボトルのジュースを一口飲みかけた事があったが、気が付いてすぐに止め、あたりをキョロキョロ見渡したことがあった。どこかで、公安が見張っているんじゃないかと心配したからだった。

私の同僚だった青年は、禁煙の場所で喫煙を見つかり、5000ドル罰金を払ったと言っていた。しかも、違法に外国タバコを所持していないか、住居も調べられたそうだ。

日本の関係者は、IR(カジノなど)や観光政策、移民政策などで、どことなくシンガポールをお手本にするような気配を見せる時がある。

私は、もしそうだとしたら、それはとんでもない間違いであると思う。あんな国を参考にしてはいけない。私は大反対である。

今回の住みやすさ調査にしても、これはどこかに調査する側の作為が働いているのではないかと勘ぐりたくなる。あの国のどこが住み易いのだ?

私は、招待されても、二度と行きたくは無い。


党名変えても、代表変えても、ダメはダメ。

2017年04月15日 | 英語関連
代表が、あの多重国籍者で「ハキハキと出鱈目をいう馬の骨」だから、いずれはこうなることは小学生でも予想できただろうが、こういう連中に税金が何億円も使われているのかと思うと、脱力感をズッシリと感じてしまう。

最近離党したり、党の役を辞退する者が続出しているので、当のご本人のいつもの作り笑いが鳴りを潜めて、本性が出始めたようだ。

  テメエら、エエ加減にせえよ。

まずは、長島議員の離党だったが、これは7月に東京都議会議員選挙が迫る中、選挙戦の最前線に立つべき東京都連の幹事長が党を離れる責任は重いとして、除籍処分とする方針を固めたそうだ。依願退職などさせるものか、クビだよ、クビ!と言うわけだ。

 民進には珍しい方だった。

そして、先週現代表の支持をしていた細野モナ男こと、モナ男が党代表代行の辞任届けを出して、こちらはスンナリと受理された。長島氏と比べるのは長島氏に失礼かもしれないが、日頃の言動は極めて民進らしい方なので、離党することはありえないと思う。

 相変わらず小者感が漂う。

モナ男と同じ静岡県が選挙区の、渡辺 周氏が、静岡県知事に色気を出しているそうだ。お父さんが旧民社党の渡辺 朗氏で、この方も民進の中では保守色の強い方だったが、やはり今の党の状況には、耐え難いところがあるのだろう。

幸い、現静岡県知事がかなり不人気で、静岡のイメージを落とすことに貢献してくれたのだが、任期が切れるというのにまだ未練タラタラで、次期選挙に出馬するともしないとも名言を避けている状態だ。

  県知事やらせてよ。

渡辺氏は、川勝氏が出馬しないのなら、自分が立候補すると宣言したようで、これは事実上、お前はもう辞めろと言ったようなものだろう。

川勝知事が消え去るのにはもろ手を挙げて喜びたいが、また民主系の知事か・・・と思うと、投票に行く気にはならない。

静岡県の保守陣営は、本腰を入れて、もう少しまともな候補者を立てて欲しいものだ。静岡市を歩いていると、最近やたらとアジア系の外国人たちが目に付くようになった。若者は県外に流出して行き、アジア人出稼ぎ者が流入しているようだ。

この状況は、なんとなく不愉快で、あるべき姿とは言えないと思う。

沈み行く泥舟からネズミが逃げ出す光景を見るのは、何とも小気味よいものだが、いささかブーメランが飛び交うのも見飽きた感がある。尻が痛くなってきたので、早いトコ結末を迎えて欲しいものだ。

みんなダチョウ倶楽部か?

2017年04月15日 | 政治ネタ
戦争は起きないだろうと思っているときに突然始るものだそうだ。それは、これまで起きた大きな戦争がみなそうだったから、恐らくそういうものなんだろう。

しかし、今のこの状況でも、森友がすべったころんだとやり合いたい野党議員や、真央ちゃんに国民栄誉賞を、などとはしゃいでいる国民には、正直言って辟易してしまう。

平和なのはありがたいが、降りかかる危険は避けなければならないし、予兆があればそれに備えなければならない。忘れかけた民衆に注意を喚起すべきマスコミは、意図的なのかそうでない方向に目を向けさせようとしているとしか思えない。

今朝もテレビでは、「話し合いで解決して欲しいですね。」とかいった暢気な」『街の声』の映像を何度も繰り返して垂れ流していたが、問題の核心から関心を逸らそうという、明らかな印象操作である。

トランプは先週支那の習キンピラとの初対面の挨拶として、シリアに空爆をして見せた。そして、「北チョの刈上げ豚を何とかせい、こっちにも我慢の限度っちゅうもんがあるさかいなあ。」と告げたそうだ。

  初会談の祝砲や

そう聞いて、会談後の習キンピラの表情を見ると、確かにビビッていた感じがする。実際に北上するアメリカの空母艦隊を見た習キンピラたちは、「ホンモノの空母ってやっぱすごいわ」と驚いたことだろう。

習キンピラなどより、もっと驚いているのは当の刈上げ豚の方で、今頃は食事も喉を通らないほどになっている事だろう。

  ますます過食になる

『斬首作戦』はどう実行されるのか。戦禍はどこまで広がるのか。まったく予想が付かないが、このまま何もなく夏を迎えるということだけはなさそうな気配である。

駐韓大使を急遽戻したのも、邦人保護の目的があったわけだが、そういう報道をするマスコミはほとんど地上波では見かけなかった。

国土が荒廃しているために、特殊部隊も侵入しにくいようなので、まずは空爆から始るのだろうか?

  本場シールズの出番か

戦禍が大きくなると、難民が日本海の海岸に押し寄せてくることになるだろうし、それに乗じて日本の各地でもテロが発生する可能性がある。特に、原発や人が集まる観光地などは細心の注意を喚起する必要がある。

後半国会の焦点となっている、共謀罪の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を新設する 法案が、衆議院本会議で審議入りしたのはいいが、野党の妨害にはあらためて常識を疑ってしまい、こういうのも今の状況にリンクした妨害なのか、と思えてしまうのだ。

そのうち、静かになっていたバカ学生たちの「シールズごっこ」が再会することだろう。新入生たちは変なサークルに誘われても気軽に入会しないよう注意してほしい。

  就職口探しが大変らしい

ダチョウは、危険が迫ると、頭を砂に突っ込む習性があると言われるが、どうも頭を地面につけて伏せ、周囲と同じような色の羽で周りの景色に同化させようとする行動らしい。いつもそんな例えに使われるダチョウにとっては、反論したい気分だろう。

しかし、昨今のマスコミやテレビのコメンテーター、新聞の論調などを垣間見ている限り、KY(危険予知)意識は皆無と言っていいだろう。

 竜ちゃん、ゴメン!

私が気がかりなのは、在日外国人たちの不穏な動きである。やれ多文化共生だの国際交流だの、英語化教育だのと能天気な開放意識に染まっていると、問題が目に見えるようになったときは、取り返しのつかないことになりかねない。

欧州という反面教師がいるにもかかわらず、日本人はこの点ナイーブ(幼稚)過ぎる。