孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

怖い、老人の運転

2015年10月31日 | 日記
先日、歩道を軽自動車が走って次々と人をはね飛ばし、二人死亡させた交通事故があったが、被害者の名前や年齢が報道されても運転者の名前も年齢が、なかなか報道されなかった。



いぶかしく思って続報に注目していたところ、どうもそれは認知症の疑いのあるお爺さんだった。しかも、事故を起こす少し前に、別の場所でも公道上の真ん中で車を止め、渋滞を起こさせていたという問題を起こしていた。

何事かと近寄って、話しかけてもまったく無言で、ニュートラルにギアを入れたままアクセルを踏んでいたのだという。

このままで進めば、今後の日本では、こういう事故が連日のように発生する可能性があるのは誰も否定しないだろう。

事実、私の隣家には他界した私の父と同い年だから91歳になるお爺さんがいて、毎日のように近くの畑やら近所の野菜卸売市場まで軽トラックを運転しまくっている。

何と彼の耳はすでに聴力がほとんどないのに、である。これは、近所でも知らない人はいない周知の事実であるが、同居している市役所勤めだった長男夫婦がいるので、だれも遠慮して忠告は出来ないでいるらしい。

我家でも、「本人達は平気でも、事故になって被害者になる人にしてみれば、まったくいい迷惑で、その不幸はいつ起きてもおかしくはない。」と話している。

また、今日も私が野暮用で買い物に出たとき、前を走る軽自動車が左折の指示器を出し、スピードを落として左折し始めたので、私もスピードを落とし安全な車間距離を保った。

しかし、曲がりかけていた軽自動車はなぜか左折途中でピタリと止まってしまい、私は危うく追突するところだった。追い越しながらその運転席を見ると、白髪の老人がキョロキョロしているところだった。

私の父が亡くなる5年ほど前だったと思う。まだ老人施設に厄介になる前のことだった。軽トラックで農道を運転中に運転を誤って田んぼに突っ込む事故を起こした。

それまで、「そろそろ免許証を返納した方がいい。」というこちらの勧めに、「これは俺の唯一の身分証明なんだから、返納は勘弁してくれ。」と頑固に拒否していたが、その事故がきっかけで、オヤジはとうとう免許証を返納したのだった。

田んぼに突っ込んだだけで、人身事故でなくて本当によかったが、あの時もし誰かを傷つけていたらと思うと、鳥肌が立つ。

家族や親戚は日頃から様子を見て、少しでもおかしいと感じたら先日の事故のことを真っ先に思い出すといい。



どういう背景があったか知らないが、あの事故のいくばくかの責任は、家族にあったと思う。公安も何となく手をこまねいている感じがする。今以上に厳しい対応をしていかないと、認知症の老人に殺される犠牲者が続出するのは確実だ。

自動運転の自動車など、ほとんど解決策にはならない。なぜなら、今でさえ毎日のように道路上では、自動車の不具合が原因で事故が発生しているからだ。構成部品の不良率がたとえ%からppmになったとしても、100万台に何台かは不具合が発生しているのだ。

トップメーカーは年間1000万台生産する時代になっている。そしてもし同じ電子部品が1台の車に100個使われているとすれば、年10億個消費される。その部品の不良率が0.1ppm だとすると、1000万個に1個の不良は発生する。年間で100個の不良は発生することになるのである。

これが現代の車社会の現実である。自動運転の車とて、突然走る棺桶になりうることを認識しておくべきである。

豚のいぬ間の台北巡り

2015年10月31日 | 旅行
今朝、歳が明けたら安いツアーがあるようだから北海道に行かないか、と家人に打診された。北海道もいいが、前回行った時の、あの嫌な印象がまだ消えないし、私はすでにその頃台湾旅行を企てていたので、即座に断った。

「また行くの?」と家人に言われたが、台湾好きにはこんないいチャンスはそう巡ってくるものではない。

いいチャンスとは、来年1月16日の台湾総統選挙までの1ヶ月間は支那人が支那共産党によって、台湾旅行を禁止されていることだ。

支那人観光客のいない台湾など、夢のような出来事ではないか。

 故宮博物院、エントランス


5月に念願の故宮博物院に行ったときほど支那人観光客に憤りを感じたことは無かった。まるで蛆虫のようにウジャウジャ動く支那人観光客は、どいつもコイツもバカでかい声で喚きまくり、うるさくてかなわない。

任期のある示物などは支那人たちが渋々つくる長い列で並ぶ気にもならなかった。

 豚の列

前回家人と北海道の動物園や昭和新山に行ったときなども、支那人たちがいてウンザリさせられた。

台湾にいけない支那人たちが、日本に大挙して押しかけることも予想され、今年の年末年始は、日本の観光地は支那人たちに汚染されるだろう。

京都などは今やどこも支那人観光客が跋扈して、欧米の観光客からは、「これではまるで上海と変わらない」と、京都観光を敬遠し始めているという。

何が悪いかというと、まず彼らは集団で動き、マナーやエチケットという概念は持ち合わせていない土人レベルの生き物なので、ドアは開けても閉めない、タバコは平気で投げ捨てる、木があればすぐ登りたがる、展示品には汚い手でさわりまくる、ホテルのバイキングなどでは、食いきれないほど取って大量に残す。

最近では、自動車にわざと体当たりして、怪我をしたと言って治療費を請求する「当たり屋」も観光地に出現しているという。

こういう迷惑者たちに、まともな応対ができない日本の観光業者が悪いのは言うまでもないが、その結果欧米の観光客ばかりでなく、私のような日本人の観光客をも不愉快にしている現状をもう少し真剣に考えるべきだ。

日本人もかつてこういうときがあったとか、彼らにマナーを教え込むには時間がかかるなどと、言い訳を言っているうちに、一方で大事なものを失っているのである。

まずは、怯えずに彼らの酷さを具体的に世間に海外に発信すべきである。

被害者として。




若者の白痴化促進

2015年10月31日 | 日記
県下にある地方都市の地元大学生たちが、経営学部のゼミの教授の指導の下で、ハロウィーンを利用して街を活性化しようと企画し、市役所の協力や支援を受け、市の補助金も得て活動しているそうである。

一種の社会勉強にはなるのだろうが、私には最高学府の教授が指導するようなことなのか、「楽しければいいじゃないか」「経済効果があるならいいじゃないか」レベルの実に軽薄な、アカデミックさの欠如した軽薄なものだとしか思えない。

その程度の大学だから・・・と言ってしまえばそれでお終いだが、こういう「ハロウィンで地域活性化を」という動きは、県内だけでもそこかしこで見られ、ある田舎の町では、仮装した子供たちが町内の家々を廻り、「トリック。オア。トリート。」と言うと、玄関先に出た家の方が、駄菓子を配るという、町ぐるみの「ハロウィンごっこ」をしたと、ローカルニュースで報道していた。



そして、都会でも仮装した若者が道路でバカ騒ぎをして、それを規制する警官が大量動員されるということが恒例になりつつある。

今朝の報道番組では、すでにハロウィンの経済効果は、あの下らない「バレンタインデー」を凌駕したなどと、オメデタ報道をしていた。



町の和菓子屋も、この時期はかぼちゃの形をした和菓子を出すと売れると、ハロウィンに便乗した商店が続出しているようだ。

街でインタビューをされた高齢者たちも、「いいんじゃないですか、若い人たちも楽しそうだし・・・。」とか答えていたが、成熟した大人なら、「文化的な節操の無さが浮き彫りになる季節になりましたね。」くらいのエスプリの効いた答え方をして欲しいものだと思った。

日本の大人たちは、集団で未来を担う若者達を自分達と同じように白痴化しようと必死である。

危険過ぎる、安部訪韓・・

2015年10月27日 | 日記
今年の3月の出来事だったではないか。

南朝鮮自治区、ソウルの総合芸術施設での朝食会の席で、駐韓国大使のマーク・リッパートが刃物を持った韓国人の男に襲撃され、右あごの上に約11cm、深さ約3cmの傷と、左腕を貫通する重症を負った。



襲撃犯は、前科6犯の札付きテロリストで、5年前には当時の日本大使にコンクリート片を投げつけ、同席の在大韓民国日本国大使館一等書記官の女性を負傷させて捕まったが、懲役2年、執行猶予3年という信じられない判決だった。



行事を主催した側は、1人の警護員も配置しておらず、警察にも警護要請をしていなかった。それよりも、こういう札付きのテロリストを野放しにしておく南朝鮮自治区の公安の程度がとても理解しがたく、むしろテロのチャンスを与えたのではないかと思いたくなる。



犯行当時、狂信的テロリストは刃渡り25cmの凶器とカッターナイフを持ち、リッパート氏に斬り付け、右の頬骨の下からあごと首にかけての傷は、頸動脈の1cmから2cm手前まで届いており、命を失う危険があった。手当てには80針が縫われたという。

入院中のリッパート氏をニコニコしながら見舞った女酋長の口からは、ついに一言も謝罪の言葉はでなかった。あの種族の本性はそういうものなのだ。



それどころか、愛犬家として知られる入院中のリッパート氏に、こともあろうに犬の肉を差し入れたキ印の男がいたそうだから、もはや彼らは獣並みの生き物だと言えよう。

外国の指導者を気に入らないと暗殺すれば、犯人を国を挙げて英雄扱いする生き物集団である。



安倍総理や総理の取り巻きは、あの種族の本性を知らぬはずは無かろう。話し合えば分かるとか、近隣のパートナーだとか言える種族ではない。総理の顔写真を人形の顔にかぶせて、首をチョン切るようなことをやって大喜びする、狂人たちがウヨウヨいるのだ。



ここは、ドタキャンでいいので、訪韓など取りやめるべきである。恐らく、あいつらは発狂するであろうが、放っておけばいい。「身の安全の保証がない危険地帯」へ出かけるのは得策とはいえないと思う。

安倍総理には、あんな連中に会うよりも、他にもっともっと重要な優先課題があるはずだ。

見直したぜ!甘利さん。

2015年10月27日 | 日記
甘利 明氏というと、2010年5月に衆議院内閣委員会で起きた、当時お茶の間を笑いの渦に巻き込んだ、例のコント『三宅ダイブ』の被害者として有名な自民党議員だ。



労働大臣や経産大臣などを歴任した、おん歳66歳になる当選回数11回の神奈川出身のベテラン議員である。



コントの主役、三宅雪子氏のウィキペディアによると、次のようにコントの件が書かれていた。

『2010年5月12日、衆議院内閣委員会において採決が行われようとする中、与野党議員のもみあいとなり、委員長席付近で転倒した。この件について、民主党は甘利明に突き飛ばされたことが原因であるとして、甘利に謝罪を求めた。』

『しかし自民党議員の馳浩氏によって三宅氏が「自分で転んだ」と国会のエレベーター内で発言していたことが伝えられ、またその場に居合わせた日本共産党の宮本岳志氏も馳氏の言っていることはほぼ事実だと追認したが、三宅は馳の勘違いだろうと主張した。』



当時、民主党議員で、「小澤ガールズ」の一人だった宮木雪子氏は、次の日松葉杖で登院し、日本中に醜態をさらす大根役者ぶりを演じて、ワイドショーを盛り上げた。

 三宅雪子氏(50歳)

政治家に担がれた小澤一郎の言うがままに行動したあげく、立候補を続けても当選することは叶わず、挙句の果ては「生活の党」関係者とのトラブルという理由で、今は「生活の党とゆかいな仲間たち」も離党して、何をしてるのやら・・・。どうでもいいから知りたくもない。

さて、コントの脇役だった甘利 明氏の株がこのところ急上昇しているようだ。

安倍内閣の特命大臣としてTPP交渉で、見事な「タフ・ニゴシエーター」ぶりを発揮したようだ。奮闘努力の様子は、白くなった頭髪を見れば一目瞭然である。



話は昨年の9月の米国通商代表部の代表、フロマン氏との協議のときだった。以下、産経ニュースの(10/26)記事を抜粋する。



『米ワシントンで昨年9月23、24両日に行われた米通商代表部(USTR)代表、フロマンとの日米閣僚協議。両国が対立していた農産品と自動車の分野で、甘利が譲歩案を提示したにもかかわらず、フロマンは歩み寄りの姿勢すら見せなかった。

 「ふざけるな! そんな対応しかしないなら、もうやってられない」

 甘利は席を蹴り、事務方を引き連れてそのまま帰国した。24日の協議が始まってわずか1時間。甘利は「交渉をまとめるには、歩み寄る姿勢が必要だ。今後の段取りは未定だ」と不満をぶちまけたが、亀裂は決定的になりかねなかった。』

『このとき、甘利は「決裂となれば、辞任しなければならない」と周囲に漏らしている。担当閣僚を更迭されることも覚悟した。』

帰国後、甘利氏は交渉の経緯を安倍総理に報告した。すると、その返事は意外なことに・・・

「甘利さん、それでいいんですよ。どんどんやってください。交渉は全て任せます」



太平洋艦隊司令長官だった山本五十六の有名な言葉に、こんなのがあった。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。


ここぞというとき、「君に任せたから、好きなようにやりなさい」と言われると、人間俄然勇気が湧き出てきて、行動に自信が伴って拍車がかかるものである。安倍総理から、「任せたから、どんどんやってください」と言われた甘利氏も同様の心境であったことは疑う余地もない。

『甘利がなぜ強気でいられるのか-。いぶかしがる米側は甘利周辺を徹底的に調査し、その言動を細かく分析するように』なったと記事は続く。


『「甘利イコール安倍」であることを確信すると、甘利の発言に素早く反応するようになった。米側の変化に気付いた甘利は、フロマンとこんな会話もするようになる。

 フロマン「あれもダメ、これもダメと言うが、TPPをまとめる気があるのか!?」

 甘利「安倍政権の中で本気でまとめようとしているのは、俺と首相の2人だ。俺があきらめたら、そこでTPPは終わりだ」

 フロマン「分かった。俺はもう甘利としか交渉はしない」』

そうは言っても、フロマンはなかなか引き下がらず依然交渉は難航した。そして、今年の4月にフロマンが来日した。間近に迫った日米首脳会談の前になんとか成果を出そうとしてのフロマンの来日であった。

『 甘利「事務的に詰め切れていないのに、何をしに日本に来たんだ!」

フロマン「そうではない」

甘利「これ以上、閣僚同士で協議を続けても物別れだ。もうお引き取りいただいて結構だ」 

フロマン「いま、われわれはトップの意を受けてここにいるはずだ。もう少し最後の努力を続けてみないか?」

 甘利「それもそうだ。続けることはやぶさかではない」

一進一退の攻防は朝方まで約18時間に及んだ。甘利は自身のホームページで、フロマンとの日米閣僚協議について「穏やかにやっているうちは交渉は進まず、物別れ寸前になって道が開ける、の連続です」と振り返っている。


 そんなフロマンの苦労を知っていたのか、オバマは日米首脳会談の際、安倍にこう耳打ちしたという。

 「ミスター甘利は、なかなかタフネゴシエーターだな」 』

アメリカ人は、よく強く出て威嚇することがある。英語で bluff(ブラフ)というが、この脅しに日本人はすぐにビビってしまうものである。しかし、彼らは理詰めで説得すると、意外とコロッと態度を豹変させて、納得するところもある。

このあたりをよく心得て交渉ごとに当たらないと、彼らの言い成りになることになる。

甘利さん、見直したぜ!

「あっぱれ!」 やってください、関口さん。

反省したつもりか。

2015年10月26日 | 日記
産経ニュースによると、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(78)が26日、都内で開かれたアスリート委員会の会合に頭髪を短く刈り込んだ姿で登場したそうである。





「みんなが(五輪準備の不手際の)責任取れとか何とか言うから、いっぺん坊主にしたほうが楽だから。それだけだ」と刈り込んだ頭髪について説明したという。何だか、本人は責任を取ったつもりのようである。



森会長はことし3月、肺がんの手術を受けたことを公表している。「俺ががんか何かで死んだらいいと思っているんだろ」と話し、報道陣に不機嫌だった。・・と記事は終わっているが、みんな死ねばいいなどとは思っていないのではないか。

もともとそれほどフサフサでもない頭など丸めるより、他の責任者と共に責任を取って現職を離れるべきだと思っているのではなかろうか。

どこまでいっても、「蚤の心臓、サメの脳、ゴリラの体、モリキロウ」である。


歴史戦・台湾でも慰安婦展示?

2015年10月25日 | 日記
台湾の馬総統の任期は来年5月までである。次期総統の選挙は来年の1月16日。

国民党候補の洪氏、対 民進党候補の蔡氏の女性対決で推移してきたが、今月になって、同時に選挙が行われる国民党の立法委員(国会議員たちが、洪候補では国民党の支持がジリ貧になり自分達の身も危ういと見て、洪氏に替えて朱立倫氏を擁立したのだった。

 前候補者・洪氏

 朱立倫氏と握手する支那共産党独裁者

朱氏に替わって、国民党支持率は微増したが、それでもまだ民進党蔡英文候補との差は大きく開いている状況だ。



馬総統の指導力の無さがこのドタバタ劇の要因であることは間違いない。そして、今回の国民党候補者の据え替えは、明らかに支那共産党からの糸引きがあったと見るのが自然だろう。

今朝の産経新聞朝刊に台湾の軍事博物館建設の記事が載っていた。現在、台北市内にある「歴史文物館」が、市北部に国防部が移転するのに併せて移転し、大きく生まれ変わるのだという。

完成予定は2023年で、24日に開かれた起工式に出席した馬総統は、新しい軍事博物館には、「慰安婦など軍事に関連した迫害の史実」を加える意向を表明したという。さらに、日本の台湾統治に対する抵抗運動を「台湾の抗日」として位置づける歴史観を表明しているそうだ。

恐らくこれも支那共産党からの強い意向に基く中韓共同戦線の一環だろうが、ここまで露骨な反日ぶりを表明する馬総統では、国民党の支持率挽回は無理だろう。

日本政府は、傍観せず馬総統の言う史実について、その内容を確認しひとこと釘を刺しておくべきである。これは『情報戦争』の一角だと心得て欲しい。

12月16日から1月16日までの1ヶ月間は、支那共産党は台湾行きを許可しないそうである。これは、支那観光客に台湾の選挙ムードを体験させないための処置であることは間違いなく、実に共産党独裁国らしい。

1ヶ月間台北市内は支那人観光客がいなくなり、日本人など他の観光客達にとっては過ごしやすくなることは間違いない。ホテルもディスカウントすることだろうし、ここは出かけるチャンスかも・・・。

貧すれば鈍する国々

2015年10月25日 | 日記
我が国には、「安物買いの銭失い」という慣用句がある。

「只より高いものはない」というのもある。

いずれも、その場は得したように感じても、後で後悔する事になるもの、という戒めの意味である。

また、「貧すれば、鈍する」とは、経済的に困ると、心まで鈍感になって決定を誤るもの、という戒めの諺もある。

いずれも、ここ数週間で起きた、支那の高速鉄道や原発にまつわるインドネシアや英国の動きを見ていて脳裏に浮かんだ言葉だった。

インドネシアのジョコ大統領や英国のキャメロン首相は、それぞれお国の台所事情があるのだろうが、高速鉄道とか原子力発電所などという「買い物」を決める責任者として、今回の決定で本当に満足しているのだろうかと疑いたくなる。



英国は食べ物がまずいのが「売り」だとは聞いていたが、どうりでビールくらいでもてなすことしかできなかったのだろうか。暢気にグラスを傾けている場合かと、ひとごとながら不安になる。



何せ、あの事故があった後、あの対応を平然とやってのけた連中の製品を買おうというのだ。



今更、あのおぞましい鉄道事故の詳細を説明するまでもないだろう。



不謹慎かもしれないが、順調に支那の造る高速鉄道がインドネシアに完成したら、一体どういう事故を起こしてくれるか楽しみができた。

順調に進んだとしても、少なくとも我が同胞、特に鉄道マニアはノコノコ出かけていってすすんで犠牲者になることはない。

これは、英国の場合も同じこと。支那製の原子力発電所を採用するなどとは、私はキャメロン首相は気が狂ったとしか思えない。

支那人たちの「爆買い」を見るがいい。アレだけ支那人が欲しがっている「炊飯器」。何でも分解して、真似してコピー商品を作る「技術立国」のくせに、「炊飯器」すら造れないではないか。

懸命なインドネシア人や英国人たちは、今からでも「高い」買い物を翻意させるべきである。

老婆心ならぬ、老爺心からご忠告申し上げる。


英語、恐るるなかれ。

2015年10月25日 | 英語関連
今、職場で文書翻訳を頼まれる度に、やはり外国語の「読み書き」は、基本となる文法の勉強が大切だと痛感する。

私の場合、中学校のときの中間テストか期末テストで、まぐれで満点を採ってしまったことが、転機だった。

それまで、どちらかといえば嫌いではなかったが苦手だった英語という科目が、教師が答案用紙に赤鉛筆で点数の横に大きく書いた「Good!」という字のせいで、もう有頂天になり、それを境に英語の勉強が楽しくなっていった。

クラスの中でも、私の満点が知れ渡り、「ええっ?あいつが??」という驚き半分、嫉妬半分で、以後英語で疑問点があると、「あいつに聞けばわかるよ・・」などと、嫌みったらしく聞えるようにいう奴も出てきた。

そして、高校に進み、特に英語を意識して勉強することもなく、可もなく不可もなくという感じだったが、3年になってクラス替えになったとき私のクラスの担任になったのが、英語教師の田中先生だった。

そのずんぐりした体型と円筒形の顔かたちから「ロボタン」という渾名で、当時は独身で30半ばくらいの、どちらかといえば野暮ったい男性教師だった。

高校3年になると、大学受験が迫ってくるに従ってクラスのムードも戦闘モードに変わってくる。

当然、担任教師としては生徒には志望校に合格して欲しいという思いがあり、ロボタンも多分掟破りだったかもしれないが、朝の出席を取った後の数分を、自分の担当科目の英語の補習に使った。

記憶が定かではないが、確か岩田一男『英作文の基本文型(1001題)』とかいう、3年に進級したとき全員買わされた英語の参考書の中の一冊で、基本的な英文とその簡単な解説が合計1001書かれていた参考書だった。

今でも覚えているのが、最初の基本文が、「ここはどこですか?」という文で、単純に「 Where is here ? 」で良いのかと思ったら、正しくは、「 Where am I ? 」とあり、解説には「迷子になったときに言う言い方」と書かれていたと思う。

ロボタンは、今週は何ページから何ページまでと区切って、そこまでの基本文を暗記せよと指示したのだった。そして、「毎朝出席点呼の後、2~3人を指名して、私が無作為に日本文を読むから、英語で言ってもらう。」ときた。

週当たりの量は基本文にして、20~30くらいだったと思うが、これは結構刺激になった。ほとんど全員が、朝教室に入るとその参考書を開けてブツブツ言いながら暗記しているという情景だった。

どの文も著者の岩田一男が厳選した文なので、いかにも役に立ちそうな感じがするのだった。確かに、あれは英作文にも英文解釈にも有効であったと、今でも思う。

他にも3年進級時に買わされた『現代英文解釈』という参考書があり、著者は荒牧鉄雄
という方だった。みんなその参考書を「アラマキ・テッチャン」などと呼んでいたのを覚えているが、こちらもよく校内の試験に出題されたので、ボロボロになるほど読んだものだった。



こういう強引に詰め込んだ知識は、意外と忘れないもので、今翻訳の以来などあるたびに、この頃仕入れた知識は大きく役立っている気がするのだ。

外国語を覚えるには、基本となるその言語の文法を理解しておくことは大切で、安易に会話、会話と先走らない方がいいと、私は自分の体験から感ずるのである。

いわんや、小学生低学年から外国人アシスタントを付けて、英語に慣れさせる??

どうせまともな日本語など話せない両親に育てられた子供たちである。日本語もろくに話せもしない、読み書きもおぼつかない。物事には順序があるのではないか。

もっとも、英語をこの国の公用語にしようと企んでいる連中にとっては、日本語などどうでもいいことなのか・・。

この国の子をもつ親達は本当にそれでいいのか????

SHUは何しにUN/UKへ?

2015年10月25日 | 日記
赤っ恥の訪米に比べると、大英帝国では大歓迎だったようですが、ホント?


国連での演説は、ミジメだった・・・。聴衆がいなかったもんな・・・。



英国でも、実際はこんなんだったのね・・・。内容が嘘ばっかりだもんな・・。



「もう帰れ!」「二度と来るな!」なんて言われたようだしね・・。

 ちゃんと紙敷いてるアル。

これから世話になるんだろ?

2015年10月24日 | 日記
エリザベス女王が手袋も取らずに握手したとか、キャサリン公爵夫人が近くに座らされたのが嫌そうに体をのけぞらせていたとか。

何かと話題になった英国王室と支那共産党独裁者との交流だったが、いかにも悪役と呼ぶにぴったりな格好で、得意満面だったではないか。



この前のアメリカ訪問では、ジェット機を300機も買ってやったというのに、さっぱり歓迎されなくて、赤っ恥をかかされたが、今度はどうだ大歓迎じゃないか。英国首相など何でも俺の言いなりだ、「靴の裏を舐めろと言やあ、舐めるぞあいつ、ザマア見ろ」とでも言い出しそうな雰囲気であった。

一緒に連れて行った支那人観光客たちも、ロンドンでせっせと爆買いを満喫し、支那ギャル達もお目当てのブランド品をワンサカ買い込んだようだ。野暮ったい顔のギャルでも高級ブランド・プラダを着れば、ちったあマシになるのか・・・な?

 「プラダ」アルョ、見て。

何せ、「銭は捨てるほどあるんだから」、「ロンドンには、象印のライスクッカーないみたい・・」などという声が聞えてきそうだが、ロンドンっ子達は、よく我慢できるものだ。やはり、お金を落としてくれるお客様なら、神様扱いなのだろうか。

そして、ロンドンでもやはり支那人は支那人でした・・・。

 Kelly さん、ナイスショット!

かのチャーチルやキャサリン・ヘップバーンなど、多くの有名人達が愛用した、英国を代表するようなファッションブランドのバーバリーの店の玄関先で・・・

「バーバリー??何だ、そりゃ。出物・腫れ物ところ嫌わずアルョ・・・。」



お食事中の方、失礼しました・・・。

白痴的な情景・・ハロ何とか

2015年10月23日 | 日記
もう4~5年前から、紅葉が始るこの時期になると、私は鬱々とした気分になるのである。

今朝も通勤途中のカーラジオで、今年もハロウィンのシーズンが来たので・・とか言って、経済評論家と称する何でも適当に評論するのを商売にしている方をゲストに招いて、その経済効果とやらを喋らせていた。

聞きたくも無かったが、その番組の軽佻浮薄ぶりが滑稽で、聞いてしまった。

何でもこの実に下らない風習は、東京デズニーランドが嚆矢だったようで、それが徐々に定着していって今日に至って、かなり日本の風習として定着してきたそうである。

人間は消費する際に、何か理由付けを求めるそうで、この由来や意味も不明な西欧の風習の猿真似でも、財布の紐を緩めるには十分な効果を発揮しているのだそうだ。

確かに、昨日行った100円ショップの一角にも、それらしきカボチャなどの雑貨がコラショと並んでいた。



今やこの唾棄すべき、よこしまな社会現象の「経済効果」は、バレンタインの1080億円、ホワイトデーの730億円を抜き、1100億円になっていると解説していたが、その瞬間私は、右手をハンドルから離して、眉毛にたっぷり唾を塗ったのだった。

街中の、西洋かぶれの若い母親達が騒ぎ始めたこの鬱陶しい社会現象も、今や田舎町に住むパート勤めのお母さん達を動かすほどに成熟しているのだと言いたげだったが、何とも節操のない評論家だと、呆れ果てた。



若者は、「コスプレ」とかいう変装ごっこに、この社会現象を掛けてゾンビになったりドラキュラになったりして、バカ騒ぎに興ずるようだが、ちょっと待てこの光景、どこかで目にしたような気がする。デジャブっていうのか、この感覚?

訳も分からず英語で書いたプラカードをかざして太鼓を打ち鳴らし、喚き散らしてたり、赤ん坊を腹の上にぶら下げて、通りを練り歩いたりしてた若奥さんらがいたなあ。



いくら祭り好きな日本人かもしれないが、中身のない蜂の巣みたいな脳味噌が透けて見えそうな、若者やヤングママ達がお祭り騒ぎというか、はた迷惑なドンちゃん騒ぎをしていた。あれと変わらんだろ。

行列を見ると、何も考えずとりあえず最後尾に並んでから・・「あの、すみません。この行列は何なんんでしょうか?」と聞くような、『軽薄がジーパンを履いた』ような老若男女ならぬ、若々男女が、そこかしこに出没するのを見ると、私のようなツムジ曲がりの還暦オヤジは、古代ケルト人に申し訳なくて、穴があったら入りたい気分になって、恐縮してしまうのである。

何はともあれ、母国語!

2015年10月22日 | 英語関連
今週は週初めから、職場でこき使われたため、三日間でヘトヘトになった。

英訳してくれと頼むのは結構だが、私は翻訳機ではない。コピーしてペタっと貼り付ければ英語に翻訳できると思ったら大違い。

一つの言葉に一つの意味があるのではなく、通常は言葉は様々な意味を使い分け、文となるのである。例えば、「ナントカという結果から、カントカということが推測できる。」という文を英語にする場合。

前後の内容から、推測の程度を考え、時にはその文を作った人に確認し、あり得ないレベルの推測なのか、かなり実現性の高い推測なのかを知った上で、さてどの英単語が適切なのかを選ぶのである。

そのために私がよく利用するのは、英語の同義語辞典のサイト、「Thesaurus. com」である。シソーラスと発音するのだが、単語を入力すると、それと同じような意味の単語がずらずらっと出てくる。

その中の単語をGoogleなどに入力して検索すると、英文のサイトなど無数にヒットするので、同じような案件のサイトに使われている英文を探して、前後を読み下し、「ウン、こういう内容の文章にこういう使われ方をしているなら、この英訳文に当てはまるな・・・」と判断するわけだ。

本当に迷う場合は、本の短い和文を英訳するのに、時間単位を要するときもある。

そんな苦労を言ったところで、英訳を依頼してきた側は、早いとこやってよ・・と思うだけで、聞く耳を持たないことは分かっている。

こちらもウダウダ言い訳は言いたくないので、「ヨシッ!やってやろうじゃネーか。」という気分になるのである。

やっと終えたと思ったら、午後からドコドコの会議室で、電話会議があるから通訳してくれと言ってきた。「電話会議??受話器を持って会議をするんですか?どこの誰と?」あっけに取られていると、兎に角行けば分かるからと言うだけ。

テレビを見ながら日本と打合せをした経験は、以前海外勤務をしていた際に何度か経験したことはあったが、要はその「テレビ画面がないバージョン」、つまり真ん中に置かれた宇宙船のオモチャのようなマイク兼スピーカーに向って、会話するわけだ。

何がなんだか分からぬうちに始って、スピーカーが話し始めた。フランス語のような言葉が聞えたかと思うと、次にはドイツ語なまりの英語らしき言葉が聞えてきた。どうやらヨーロッパのどこかと日本とで会議をするようだった。

これでも昔TOEICという英語のテストを冗談で受けたとき、ヒアリングは満点だったのだが、今聞えてくるフランス語やドイツ語なまりの英語は、さっぱり理解できなかったので、私に通訳を指示した上司に、正直にその旨を伝えた。「5%も理解できないので、通訳は務まりません。」と。

すると、スピーカーからまた別の声がして、今度はひどいなまりはあるが、よく理解できるレベルの英語が聞えてきた。さらに、日本語も聞えてきて、相手先にも日本人が同席しているらしいと分かった。

わきの下に冷や汗をかきながら、約1時間半の会議は終わった。

「ありがとう、助かったよ。また今度頼むね。」と言われたが、返事はわざと濁しておいた。実際、あの程度の会議内容なら、メールのやり取りで十分だと感じたし、もう少し段取りと話す議題と確認事項を明確にしておけば、十分済むことだと感じた。

どうも、出席している御仁たちは、文明の利器というか、おもちゃを使いたい気持ちが強いだけじゃないのか・・と思った次第であった。

汗を拭き拭き机に戻ると、また別の若者が、英訳を頼みたいと言ってきた。聞けば明日の朝までにA4で4枚のレポートである。サラッと目を通すと、何やら意味不明の技術用語が並んだ暗号のような内容の報告書に見えた。

朝までは無理!! 午後3時までは最低でもかかってしまうと思う、と突き放したら、それでいいですと言われ、仕方なく取り掛かった。

結局終了したのは、次の日、つまり昨日の午後4時半だった。

そして、今朝起きたときは、もうぐったりして精気が体から抜けたような状態になっていた。だから、今日は「体調不良」ということで、休んだわけだ。

午前中は、家でのんびりと読みかけの本を読み、昼食は外食した。帰りに久しぶりに本屋に立ち寄った。何冊かペラペラ立ち読みしていると、以前(7/24)、このブログで、「タイトル、ひと目で分かる良書」という題の小文を載せた記憶のある新書が見えた。



本のタイトルだけで内容はだいたい想像がつくと思ったが、立ち読みしたら、その内容の濃さに驚嘆して、衝動買いしてしまった。

社内公用語を英語にしたことで話題になった通販会社の社長が、経済学者のお父さんとの会話の中で、「日本が英語を第二公用語にしたら、巨大なシンガポールになって、それこそ日本の経済は超強くなると思いますよ」と語っているそうだ。

この部分を目にしたら、その先を読んでみたくなるだろう。まったく、とんでもない妄言である。

日本語には時として主語や目的語がない事がある。そんなときは、機械的には英訳出来なくて大変厄介である。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」川端康成の「雪国」の出だしなど、その典型である。

しかし、それが日本語の奥の深いところであり、それが感受性や想像力を養うのである。英語がこれだけ世界中に普及したのは、一つにはそれが極めて単純な味わい深くない、取っ付き易い言語だからでもあるわけだ。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

なんとも奥の深い言葉ではないか! YOU は理解できないだろう。

嗚呼!ジョン・ブルよ・・・。

2015年10月22日 | 日記
支那の独裁者は、先の訪米では旅客機を300機も買ってやったのに、米国民からは総スカンを喰らった結果になったが、今回の英国訪問ではさぞかし満足したであろう。

それにしても、優雅なキャサリン妃に比べて、ひと目でお里が知れるような支那の独裁者との乾杯の映像には、育ちの違いが如実に表れていたような気がした。



それに、あのダースベーダーお面とマントを脱いだようなコスチュームはなんだ?

しかし何だかんだ言っても、アメリカでは散々な目に遭った支那のキンピラも、英国議会では多くの前で演説できて、面目が保たれた様子だった。言うことも、調子に乗って朝鮮人の言いそうなことを喋っていた。

「人民のための政治や法による統治という概念は、古代中国で誕生した」

・・だそうである。「人権だの民主主義だのつべこべ言うな!」とでも言いたげだ。



それにしても、英国首相は記者会見で記者から単刀直入の厳しい質問を受けてましたな。以下、毎日新聞 矢野純一記者の記事より・・・。

 『キャメロン氏は英BBCの記者から「深刻な人権問題を抱える中国とビジネスを行うことを国民は支持すると思うか」と質問され、「(二者択一を迫るような)質問の前提を否定する」と反論。「両国関係をより強化すれば、率直に他の問題も話すことができる」と答えるにとどめた。

 習主席は「世界中のどの国にも人権問題で改善の余地がある。(改善は)現実に合わせたものでなければいけない」と述べた。

 英各紙は首相が中国マネーを取り込むため「中国に取り入ろうとしている」と批判している。テレグラフ紙(電子版)は「首相は人権問題を脇に置いた」との見出しとともに、「首相は尻込みすべきではない」との人権活動家の談話を掲載。フィナンシャル・タイムズ(同)も「首相が人権問題に対する批判を拒絶した」と報じた。』

支那さま、高速鉄道を造ってください。原子力発電所もどうぞ・・・。

これがあの「日の沈まぬ」大英帝国の首相の態度とは・・・時代も変わったものだ。まるで、どこかの発展途上国みたいになっちゃったな。

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巨人の紳士たちに、喝だっ!!

2015年10月22日 | 日記
紳士の集団だと思っていたら、何と野球賭博がバレて、スキャンダルになりました。ドラフト直前に監督が辞めると言うから、もしかしたらあの紳士も賭博に絡んでいるのか?などと、どうでもいいけど勘ぐってしまいました。

何も巨人軍の選手だから、悪いことはやらないなどという保証は無いわけで、若いときからチヤホヤされて球界入りして大金を手にし、行く先々でもチヤホヤ・チヤホヤされれば、人間誰しもおかしくなることもあるだろう。



ましてや、チームの監督だって若いとき奥さんがいながら、いつも泊まる宿屋の女性と浮気をしていて、それをネタに怖い方から恐喝され、示談金一億円でカタをつけようとしたような立派な紳士なのですから、その部下達もその程度の紳士でしかないでしょう。


これは野球に限ったことではなく、「アスリート」として少し名が売れれば、金になるわけで、そういうスターを作り出そうと、マスゴミや広告業界関係者は、若いうちから持て囃し、庶民も巻き込んで煽りに煽るのである。今年の夏もそうだった。

ラグビー選手の活躍は当然賞賛に値することは確かだが、あのお尻を突き出してお祈りをするようなポーズをとっていた選手がコマーシャルに出て商品名を言えば、それだけで数千万円のギャラになるなどと言う話になると、ああ「アスリート」とはそういう夢を売る仕事なのだなあと、見ていて白けてしまう、私のようなつむじ曲がりも少しはいるだろう。

数年前、地元の高校が選抜甲子園大会で優勝し、続いてその年の夏の大会にも出場することになった。惜しくも優勝は出来なかったが、ベスト4まで勝ち進み、一躍全国にその名前を知らしめたのだった。

その年、ドラフト会議で1位指名された同校選手は、契約金7000万円、年俸720万円でプロ入りしたのだが、こうなると他のOB選手や監督や父兄達も次第に感覚が狂ってくる。

予想した通り、次の年、その野球部監督が全国紙の担当新聞記者(女性)を居酒屋やカラオケに強引に誘い、卑猥な関係をしつこく迫るという、絵に描いたようなセクハラをやらかし、記者は拒絶したようだが、その後は無視を決め込むという態度で嫌がらせをし続けたそうだ。

さらに、今度は県高校野球連盟の副会長の地位にあった同校の前校長(当時は系列校に異動していた)が同じ女性記者に付き合うようにしつこい電話攻撃を仕掛けて、挙句の果てにその女性記者は精神的に参ってしまい仕事を休職することになった。

そして、こういう指導者達の下で地元民や父兄達からチヤホヤ・チヤホヤされ続けた選手達の内、投手だった一人が、監督達に負けずとも劣らぬような、信じられない破廉恥行為におよんだ。

先の女性記者とは別の、やはり高校野球報道に熱心な全国紙の女性記者の宿泊するホテルの部屋に深夜出向き、何とドアの前で自分の局部を出して妙な行為を見せ付けたのだそうだ。

記者はドアをすぐ閉めたようだが、その後もその投手だった選手は彼女の携帯電話に、今で言うストーカー行為を繰り返し、彼女は仕事を休職することになった。

当時、こういうことを暴露した記事を載せた週刊誌が発売されるや、高校の野球部の父兄宅などには、コンビニや本屋からその週刊誌をすべて買い占めるように一斉に通達が下ったそうである。

当時私が勤めていた職場にも同校野球部に所属する息子さんを持ったご婦人がいて、週刊誌を買い漁ったのか聞いてみると、「アレは、事実じゃない。あんなことはあるわけないんです。」と否定したので、「そうなら、週刊誌を告発すべきじゃないのか。そうしなければ、内容を認めたことになるのでは。」と助言した記憶がある。

後日談で、セクハラ野球部監督は夏の大会終了まで謹慎処分。その後、復帰。前校長のセクハラ県高野連副会長は、何とお咎めなしだったようだ。

投手だった選手がどうなったのか、地元の通に聞けば分かるだろうが、どうもその気にはならない。

私は、運動選手が「夢を持ち続ければ、夢はかなう。」とか、「応援してくれる方に夢を与えたい。」とか、応援した人たちが、「夢をありがとう!」などと言うのを聞くたびに、「ケッ!!」と思ってしまうほど、「つむじ」が曲がっているのである。