孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

ミサイルよりカケ・モリだろうが!!

2017年08月29日 | テレビ・ラジオ
今朝の早朝テレビ番組はどの局もみんなパニックで、見ていて呆れてしまった。

いつも目が覚めたら、天気予報を確認したいのですぐにテレビを付けることにしている。その後も時計代わりに、出勤で家を出る直前までテレビは付けっぱなしである。

ところが、今朝のテレビは異常だった。北朝鮮がミサイルを日本の方へ撃った、と大騒ぎであった。

  Jアラートだとさ。

警報が発せられて、まるでテレビのアナウンサーは馬鹿の一つ覚えのように、ミサイルが飛んでくると繰り返していた。どこへ逃げろ、あそこへ逃げろ。落下物があっても近づくな、澤ってはだめだ。何度も何度も声を引き攣らせて繰り返していた。

普段なら、やれ占いだのエンタメだのと、女性週刊誌みたいな企画で、暢気なものなのだが、女子アナたちも神妙な顔つきをしなければならず、迷惑だったろう。

テレビ局の支局がある南朝鮮のソウルとつないで、特派員に様子を確認するのだが、何を聞いてもまともに答えられず、まったくの馬鹿っぷりを披露していた。

「○○さん、ミサイルは何発発射されたのしょうか?」

「一発だと思いますが、数発発射された可能性もあります。」

きっと、前の晩に焼肉パーティでもやって、焼酎を飲みすぎたのだろう。まったく、こういう時こそ特派員の出番ではないか。さすが、天下の朝日だと笑いに笑った。

 いつもの暢気さは?

このテレビ局だけではないが、これまでアメリカと北朝鮮の緊張状態はずっと続いていた。それにも拘らず、新聞テレビを始目とする、日本のマスコミは、前川氏はこう言った、籠池氏はああ言った。

今日発売の週刊新潮にはこう書いてある、週刊文春ではああ書いてある・・と、安倍政権に対するヘイト番組を朝の報道ニュースの時間から、午前のワイドショウ、昼のワイドショー、午後のワイドショー、、、

夕方のニュース番組,夜の報道番組と、飽きもせず、モリだのカケだのタヌキだのと、垂れ流し続けてきた。まるで北朝鮮に国民の関心を向けさせないようにしてきたではないか。

それがどうだ、今朝の狼狽振りは。まったく勝手なものである。

A局では、ミサイルの破片が落ちてくるかもしれないから、見つけても近づくな、決して触るな、と警告していたが、チャンネルを切り替えると、その局は、「さきほどミサイルは襟裳岬の東方に着弾した、と伝えているではないか(笑)。

被害者が出るのはマズイだろうが、日本列島のどこかに間違って撃ちこまれた方が、この国の国民の目を醒まさせるには良いのかもしれない。

自衛意識を持たせるにはそのくらいの荒療治は目を瞑ろう。

刈上げデブよ、やってみろ!!

小津調と似ている「イメージの詩」

2017年08月27日 | 趣味の世界
私がまだ30代の頃だったと思うが、小津安二郎の映画が、日本の映画通ばかりでなく、海外での評価が非常に高いと、何かで読んで知った。

そこで、すぐにレンタルビデオを借りてきて観たのだが、やたらと俳優のドアップのシーンがあって、ストーリーも何の刺激も無く、多分最後まで観ずに、返却してしまったと思う。

それから、20年ほど経過しただろうか。時代はVHSからDVDに変っていて、レンタルショップもかなり様相が変った。

どういう切っ掛けだったか忘れたが、小津の映画をまた観たくなって借りてきて観たら、何となく心落ち着く感じがして、ありきたりの日常を描いているだけのようで、最後まで見飽きずに見通してしまい、観終えた感想は、「実に爽やか」だった。

私はそのとき以来、小津映画のファンになり、今では主だったDVDは手元に揃え、観たい時に取り出しては観て悦に入っている。

今月のお盆休みには、念願だった小津映画に出てくる鎌倉まで出かけてきたほどだ。

演歌は廃れたが、いい曲は何度聴いても飽きないし、自然にメロディーが浮かんでくるものだ。今後もそういう名曲は永遠に残るものなのだろう。私にとってのそれは、「悲しい酒」であり、「天城越え」などである。

こういう小津映画や心に残る演歌と同じように、私の好きな曲のひとつに、吉田拓郎のデビュー曲「イメージの詩」がある。

今でも私はi-pod に保存してあり、よく聴く曲である。メロディーも悪くは無いが、なんと言ってもこの曲の詩が歳を取るごとに、味わい深いと感じるようになってきた。

  デビュー曲

当時私は中学生だった。私より4~5歳上の若者たちがフォークソングに嵌っていくのを、私は意外と覚めた目で長めていたものだ。

ベルボトムのジーパンに、長髪姿で「結婚しようよ」なんて声を張り上げて歌う人達を、私は結構心ではあざ笑って見ていた気がする。

私が住む街の隣にあるリゾート施設「つま恋」で、時々思い出したようにコンサートを開いて、熱烈な男女のフォークソングファンを集めていたが、その時も同じように私は冷たく覚めた目で見ていた。

 つま恋の広場で


  中高年ファンたち


詩の題が「イメージの詩」というだけあって、当初は何となくいいたい事が分るようでいて、もうひとつよく理解できない、、という感じであった。

時代が過ぎて、自分も歳を取ってくるに従い、だんだん霧が晴れて行くように、詩の内容に対する共感度が増してきたのだった。

私が特に好きなのは、「長い長い坂を登って・・・」の節である。
最初は何を意味してるのかまったくチンプンカンプンだったが、今は「そうなんだよなあ・・よくあるよな、こういうこと・・」と共感するのだ。

フォークソングと一括りにすると、反戦ソングだとか、「神田川」や「赤ちょうちん」みたいな超軟派な歌と同列になるのだが、彼らのようにテレビという媒体をやたらと利用したがる一派とは吉田拓郎が一線を引いていたのも、私が彼に惹かれていた一因だった。

テレビなんか・・と少し小馬鹿にしたような姿勢にも、私は強烈に共感していたのかもしれない。

 「姫」はネェ・・

懐かしの演歌、ならぬ懐かしのフォーク、に群がるお年寄りたち・・・。いるんですね、たくさん。・・・まだ日本にはいるんですよ。



♪♪
これこそはと信じれるものが
この世にあるだろうか
信じるものがあったとしても
信じないそぶり

悲しい涙を流している人は
きれいなものでしょうネ
涙をこらえて笑っている人は
きれいなものでしょうネ

男はどうして女を求めて
さまよっているんだろう
女はどうして男を求めて
着飾っているんだろう

いいかげんな奴らと口をあわせて
おれは歩いていたい
いいかげんな奴らも口をあわせて
おれと歩くだろう

たたかい続ける人の心を
誰もがわかってるなら
たたかい続ける人の心は
あんなには 燃えないだろう

傷つけあうのがこわかった昔は
遠い過去のこと
人には人を傷つける力があったんだろう

吹きぬける風のような
おれの住む世界へ
一度はおいでョ
荒れ果てた大地にチッポケな花を一つ
咲かせておこう

おれもきっと君のいる太陽のあるところへ
行ってみるよ そしてきっと言うだろう
来てみて良かった 君がいるから

長い長い坂を登って
後ろを見てごらん 誰もいないだろう
長い長い坂をおりて
後を見てごらん
皆が上で 手を振るサ


きどったしぐさがしたかったアンタ
鏡を見てごらん
きどったアンタが映ってるじゃないか
アンタは立派な人サ

激しい激しい恋をしているおれは
いったい誰のもの
自分じゃ 言いたいのサ
君だけのおれだと 君だけのものだと

裏切りの恋の中で
おれは一人もがいている
はじめから だますつもりでいたのかい
僕の恋人よ


「優先席」を考える

2017年08月20日 | 社会観察
JRの青春18きっぷは、なんともお得な割引きっぷで、もっと早くから利用したかった。5回分で1万1850円だから、一日乗り放題でも、2370円である。しかも、JR東日本なら別にグリーン券を購入すれば、結構快適な鈍行列車の旅を満喫できる。

昨日は、帰路につくときはグリーン車はやめて、普通車両に載ったのだが、それほど混んでいなかったので、始発の藤沢から座る事ができた。

ウトウトしていたので良く覚えていないが、確か熱海付近だったと思う。ドアが開いたかと思ったら、ドカドカとかなりの人が乗り込んできた。終りの方に乗って来た二人連れが私の前に立ち、一人は吊革に手が届かないので、ステンレスのポールを両手で握っていた。

見ると、シャレた帽子をかぶっていたが、歳は多分85前後の痩せこけた枯れ木のような体の老女だった。私は反射的に立ち上がって、「どうぞ座ってください。」と席を譲った。連れのお年寄りはもしかしたらその老女の妹か嫁か、背丈も高く肉付きも良かった。

私が席を譲ると老女は一礼して、座ったのだが、それでも連れの方は、「いえ、結構ですよ。大丈夫ですから、いいですから・・」と私に訴えるのだった。

それに触発されたのかもしれないが、さっきまで私の右側でスマホとにらめっこをしていた中年のサラリーマン風の男性もスッと立ち上がり、老女の連れの女性に席を勧めた。

その連れの方は、声を大にして「いえ、いいですよ。大丈夫ですから。いいです、いいんです。」と固辞し続け、立ち上がった男性を押して座らせようとした。

私は、それを見かねて、連れの老女に言った。

「おばあさん、せっかく席を譲ってくれたんですから、遠慮せず座ればいいじゃないですか。立ち上がった方もバツが悪いですよ。」

私は普段から話し声が大きいと言われるが、そのときは普段以上に大きな声を出していたかもしれない。「そうですか?それじゃあ、すみませんねえ・・」と言って連れの老女も座ったが、座ってからも、「すみませんねえ、ありがとうございます。」と繰り返していた。

3駅ほど過ぎて二人の老女たちは電車を降りていったが、降りる際も、私たちに何度も礼を言っていた。

立って気が付いたのだが、ドアを挟んで反対側の車両先頭は、窓に大きなシールが貼ってあり、シートも青色ではなく目立つオレンジ色の、【優先席】であった。

優先席は車両の両サイドに4席ずつ、合計8人分あるのだが、そのときは運動部らしき高校生たちや、旅行客らしきカップルが座って、それぞれスマホと戯れていた。

  JRの優先席

私も普段は優先席が空いていれば躊躇なく座ってしまう方だが、その時のように目の前に立たせておくのは辛そうだなと判断すれば、抵抗なく席を譲るようになった。

これは6年前ほどだったか、シンガポールに赴任した時、よく通勤で利用していた地下鉄で自分が席を譲られた事があったからで、あの経験は私にとっては軽いしょっくであり、意識の転機になった事件であった。

しかも、その席の譲り方が極めて自然で、ここで善意を断ったら譲ってくれた片に失礼になるのではと感じさせる雰囲気があったように記憶している。

その後、台湾旅行をした際も、私は台北の電車内で何度も同じ経験をしたのだった。

しかも台北の場合は、皆若者が何の躊躇もせず、見事なタイミングでスーと立ち上がって、目でもって「どうぞ!」と席を譲ってくれるので、私はそのたびに全く遠慮せず「謝々」と言って席に着くのだった。

国民性の違いもあるのだろうが、日本のお年寄りたちはもう少し素直に善意を受け止めた方がいいのではないか。

また、JR側もやれ携帯電話をマナーモードにしろ、駆け込み乗車はするな、ドアが開くから寄りかかるな、指を挟まれるな・・等々、しつこいくらい車内放送を繰り返す。

しかし、それよりも【優先席に座っている方は、優先すべき乗客に率先して席を譲ってください】と常識知らずの乗客を、やんわり咎める社内放送をした方がいいのではないかと思った次第である。

しかも、社内放送の話し方ははっきり分り易い方がいい。やたらと声を作る車掌がたまにいて、聴き取り難くイライラする事がある。こう感ずるのはわたしだけだろうか。




着物の巧妙、笠の内

2017年08月20日 | 英語関連
言い出されたのは江戸時代のようだが、女性が美しく見える条件を言った言葉に、「夜目、遠目、笠の内」というのがある。

【夜見るとき、遠くから見るとき、笠に隠れた顔 の一部をのぞいて見るときは、はっきり見えないので実際より美しく見えるものである。】という意味である。

笠の内というのは、傘と言い換えても同じで、雨の日に傘で女性の顔が見えたり見えなかったりする時、男は勝手に想像してワクワクするものである。

さらに、着物は柄や色が多彩で、しかも帯に視点が集中する所為か、腰の位置が実際より高く見える。つまり足が長く見えるという利点がある。

上から下まで全身を覆っているようでも、チラリと見える足や赤い蹴出しや長襦袢は、妖艶でしばしば男の目が釘付けになる。

尻っ端折りで、片肌脱ぎをした現代の阿波踊りの女性の衣装は、以上をすべて網羅している。徳島の「阿波踊り会館」の阿波踊り講習で、講師の方が「阿波踊りの衣装は、女性を最もきれいに見せてくれます。」と強調していたが、多分否定する人はいないだろう。

  笠の内

髪をアップにしてうなじを見せ、傘を斜めにかぶる。踊る時はかかとを上げるだけではなく、前かがみになって太ももから折り曲げるようにする。少し艶かしいくらいの長襦袢に隠れた足のシルエットがこれまた色っぽい。

ほぼ完成形の阿波踊り衣装は、男性の目を意識せずしては、決してここまで進化しなかったと思う。

 腕を高く・・


阿波踊り会館を訪れた時、盛んに一緒に踊ってくださいと誘われたが、私はどうもその気になれなかった。私にとって阿波踊りとは、ただ集団に混じって踊ればいいというものではなく、男女ともあの衣装は阿波踊りの重要な要素の一つなのであると感じている。

そろいの衣装を着て、踊りながらみんなで練り歩くことが阿波踊りであると思っている。ただ普段着でステージで踊るのは、まがい物に過ぎず、私にとっては楽しいはずがなかったと思ったのです。

Youtube の動画には、どこかの連(チーム)が踊りの練習をしているところをアップしていた。女性たちはジャージなどを履いて練習しているのだが、見事に日本人特有の体型をさらけ出していて、すこし興醒めの動画になっていた。



有名レストランのあまりきれいではない厨房を覗いてしまった感のある動画であったが、それだけに今の完成度の高い阿波踊りコスチュームを見直すのであった。



いつまでたっても、私は踊る阿呆ではなく、「観る阿呆」でい続ける気がする。


聖地めぐり。いざ、鎌倉へ!(おまけ)

2017年08月20日 | 趣味の世界
高校のバスケットボール部を扱ったアニメの「スラム・ダンク」が台湾で大人気を博したのが1990年代で、その頃テレビに釘付けになった世代が成長して、最近多くの台湾の若者がアニメの舞台だった湘南付近に、観光にくるのが話題になっていた。

中でも番組のオープニングに流れる江ノ電の踏み切りのシーンが人気スポットで、それは『鎌倉高校前駅」から100mほどの場所にある踏切である。

 スラムダンクOP

私も昨日帰路の途中、この駅に降りて、その人気の踏み切りに行ってきた。思ったとおり、踏み切り周辺には、十数人の若者たちがカメラを片手に電車が通過するのを待ち構えていた。大声で話す支那人観光客とは違い、台湾の人はみな小声だ。

 江ノ電踏切

「鎌倉航行前駅」は海岸のすぐ近くにあり、遠くには江ノ島が見える。江ノ電は単線だが、それにしても、この駅にはプラットホームが一つだけ。

片面しかない造りだ。構内には放送設備すら無いようで、駅員が歩きながら、「次に到着の電車は、藤沢方面行きの電車です。」などと乗客たちに伝えるのである。

 トイレは臭い

上り・下りの電車が到着するたびに、台湾の聖地めぐり観光客が降りてきて踏み切りに向かうので、一日当たりの観光客は少なく見ても100人以上になるだろう。

駅の端にあるトイレは、酷い悪臭がして、とても入る気にはなれなかった。あれは、湘南の、神奈川県の、いや日本の恥である。早急に改善すべき課題ではなかろうか?

 鎌倉高校前駅

台湾の観光客も、みなさんあのトイレには失望して帰国し、話のタネにするに違いない。何が「観光立国」「おもてなし」かと、憤りすら感じたのだった。

聖地めぐり。いざ、鎌倉へ!(後編)

2017年08月20日 | 趣味の世界
小津安二郎の『麦秋』のロケ地のひとつ、長谷の大仏を見てきた。8月16日の当ブログ【『麦秋』聖地めぐり】に貼り付けたいくつかの画像は、昭和26年頃の大仏の画像である。

 『麦秋』より

その後大仏は、昭和34年に2年半かけて、免震構造を取り入れるなどの、「昭和の大修理」を経て、さらに昨年3月に18日間かけて、その後の経過を調査するなどの、「健康診断」を受けているそうだ。

本来、木造の大仏殿の中にあったのだが、明応地震(1498年)の被害で木造の大仏殿はながされた。以来、【露座の大仏】と呼ばれるような現在の状況を保っている。

『麦秋』が撮影された当時と坐像の前が少し変っていたが、かつて与謝野晶子に「美男」と呼ばせた通り、大仏のお顔は昔と同じようにハンサムであった。



木造大仏殿の礎石は、今でも当時のまま置かれている。ベンチ代わりに観光客たちが腰を下ろして、休憩していた。




通路は非常に狭いが、大仏の胎内に入ることもできる。入場料は20円だった。内部の階段が狭くて急なため、足元には十分注意する必要がある。






外部(背中にある窓)から入るかすかな光だけで、内部はほとんど真っ暗だった。

境内にいた参拝者たちの、恐らく3割くらいは欧米の観光客であったと思う。残念ながら、烏の群れみたいに騒々しく大声で喋る隣国の観光客も何グループか見かけ、民度の低さを晒していたのは、残念であった。



大仏は、少し猫背の格好で、そんな参拝者たちを無言で見ているようだった。

聖地めぐり。いざ、鎌倉へ!(前編)

2017年08月19日 | 趣味の世界
心配していた天気が回復しそうだったので、今日は念願の鎌倉に行ってきた。

例の青春18きっぷを利用しての鈍行の旅である。

『やることリスト』は3つだけで極めてシンプル。

1.小津安二郎の『晩春』のロケ地、鶴岡八幡宮参拝
2.小津安二郎の『麦秋』のロケ地、長谷の大仏参拝
3.アニメ「スラムダンク」に出る踏切に聖地めぐりで来日する、台湾人観光客達を観る

東海道本線で、大船まで。横須賀線に乗り換えて、鎌倉下車。鶴岡八幡宮参拝。江ノ電で鎌倉から長谷まで。徒歩10分で鎌倉の大仏参拝。再び江ノ電で、鎌倉高校前駅まで行き、踏み切り見物。江ノ電で終点藤沢に行き、東海道線に乗り換えて帰宅。

『晩春』は私が生まれる前の昭和24年の映画で、小津の代表作『東京物語』、『麦秋』と並んで、紀子三部作と呼ばれている。この三作品に出る原節子は、すべて「紀子」という役名であることがそう呼ばれる理由である。

小津の映画を始めてみた時は、何とも間延びしたような退屈な映画で、私は途中で観るのを止めたほどだった。多分今から30年以前のことだったと思う。

再び観てみようと確かVHSを借りてきて観たのが、10年ちょっと前だったか。

確か『麦秋』だったと思うが、この時の感想は、どのカットもまるで絵画を観る様な美しさと、大した事件も起きない日常を描いた作品なのに、なぜか観終えた後に何かおいしいものを食べた後のような満足感を覚えたものだった。



笠智衆は妹の杉村春子と鎌倉の鶴岡八幡宮を参拝する。娘、紀子(原節子)がお見合いをした結果が気になるのだ。紀子は結果を告げずにその日は東京に出かけていた。もっと兄さんは娘のことを気にかけないと、といいながら歩き出すと、財布を見つけた。




拾って中を観ると現金が・・・







「これは縁起がいい・・」と言って懐へひょいとしまう。「オイ、届けないのか?」とたまげる笠智衆。




「届けるわよ・・」と言いながら後ろを見て慌てる妹。スタスタと逃げるように歩き出す。



いったい何事かと笠も後ろを振り返ると・・・。



こりゃ、ヤバイ! おまわりさんだ。





チャップリンの無声映画に似たようなシーンがあったような気もするが、どことなくコミカルで忘れられない場面であった。

この場面が撮影されたロケ地を今日は訪れた。遠景がこれである。浴衣の娘さんが参拝していた。





そして杉村春子が財布を拾う場面の舞殿のアングルは、これである。




本宮への石段は上り応えがある。




石段途中から、舞殿を見る。




正直言うと、手すりのない石段を登るのはかなりきつかった!私の膝は確実に弱ってきている。

しかし、映画が撮影されたであろう70年前に思いを馳せると、膝の痛みも和らぎ次の目的地、長谷の高徳院に向かって歩き出しているのだった。

『 医は算術なり 』 ですから 。『仁術』じゃないです。

2017年08月16日 | 社会観察
なんでも、犬の血液型は13位あるそうです。

手術するとなると、犬も輸血が必要ですが、初めて輸血する場合は血液型は何でもいいそうですが、2回目以降はそうはいかないんだとか。

ある愛犬家のブログに半日検査入院した時の合計治療費が出ていました。愛犬が歯から出血して貧血になったそうです。

  血液検査代        5775円
  血液検査代(血液型)   5250円
  輸血代         12600円
  ICU          3150円
  半日入院代        1050円 
  留置代          1575円
  内服薬          2625円

  合計          32025円 

骨折だとか、ヘルニア、外耳炎などで数日間入院して手術となると、平均で15万円以上はかかってしまうという統計もあるそうです。

ペットにも過保護気味の現代は、獣医師は「おいしい職業」らしく、これ以上獣医師を増やさない方が、こういうおいしい儲けを享受できるわけなので、獣医師会は躍起になって増やさない政治工作をしてきたのも、なるほど頷けます。

私が小学生の頃、怪我をしてかなり出血したため、姉が慌てて私を近くの外科医のところに連れて行ってくれた事がありました。その日は確か日曜日で、町の小さな医院も開業していなかったのですが、姉はドアをドンドン叩いて、医者を呼んでくれました。

暫らくして、ドアが開いて年配の医者が顔を出すと、姉は早口で状況を説明して、私の出血している後頭部の傷口を医者に見せたのです。

医者は傷口を見て、「コレは縫わなきゃダメだ。」と言い、玄関から入って手術室に私を寝かせるよう言い奥に消えました。

私と姉は手術室で医者を待っていると、白衣を着た医者が来て、「看護婦がいないから、お姉さんちょっと手伝ってくれる?それから、手術費が1万円になるけどいい?」と言います。

今から50年ほど前のことです、私は痛みに耐えながら、1万円の高額さが良く理解できない感じでした。医者に姉が何と返事をしたかはよく覚えていませんが、あの時あの状況下で、手術費のことを言い出す医者の感覚に、子供ながら疑問を感じていました。

私の「医者嫌い」の原点は、あの時の体験だったのかもしれません。

だから、「医は仁術(じんじゅつ)」などという言葉を聞くと、「仁術」じゃなくて「算術」に決ってるだろう。「常にソロバンをはじいているのさ」と私は反射的に反論するようになってしまったようです。


従って、今日のYahoo ニュースにあった、【認知機能診断、悩む医師】という西日本新聞の記事を読むと、私の体にはムラムラと憤りが湧き出てくるのです。

記事(以下抜粋)は、【75歳以上の高齢ドライバーに対する認知機能検査を強化した改正道交法が施行されて5カ月になるが、戸惑いを隠せないのが医療現場である】と伝えていました。

 高齢運転者

【(民間の運転講習会で診察対象となった)診察対象者が「認知症」と診断されると運転免許の取り消しになりうるためで「実質的に医師が免許証を取り上げることになり、患者との関係が悪くなる」と医者が診断に二の足を踏む。】のだそうです。

【認知症と診断して長年の患者が怒って来院しなくなったケースもあり、高齢者にとって認知症はいまだ心理的な壁がある。「かかりつけ医として、患者さんが運転できなくなる認知症と診断していいものだろうか」】

【「認知症ではない」と診断した患者が、認知機能の低下を原因とする事故を起こしたら損害賠償責任が生じないかいう医師の懸念もつきまとう。】

【「運転免許取り消しというと乱暴に聞こえるが、認知症と分かった場合、本人の安全を担保したり大惨事を予防したりするためにも、一刻も早く運転を止めなければならない。」大分県警運転免許課の山本満彦警視は強調する。】

大分県の交通死亡事故の4割は高齢者によるもので、原因は高齢からくる認知機能の低下だそうです。

 免許返納

自治体は、【運転免許証の返納を促すと同時に、タクシー割引券や交通機関割引券を支給する。】

【警察庁は高齢者の交通事故防止対策として、自動ブレーキとペダル踏み間違い時の加速抑制装置を搭載した「安全運転サポート車」に限って運転できる「限定免許」を導入するなど、免許制度の見直しに取り組む方針だ。】

簡単に解決する問題ではないにせよ、この記事から漂った「医は算術なり」が根底にある世間の我利我利亡者の医者たちの性根には、やはり私は憤るのであります。

かわいい孫娘を持つ身の私としては、高齢者ドライバーたちは、せめて小学生たちの通学・帰宅時間帯の運転を法律で自粛させて戴きたいのです。




『麦秋』 聖地めぐり

2017年08月16日 | 趣味の世界
連日雨模様の盆休みとなると、DVDレンタルショップは盛況となる。

先日、立ち寄ってみると、新作DVDはほとんどが貸出し中だった。私は気に入った昔の名作を繰り返して観る性質(たち)なので、1作80円の旧作DVDばかり借りることになる。

例えば、『砂の器』とか、『グラン・トリノ』とか・・そんな感じでもう何度も借りているのだが、この間は旅行帰りのこともあって、ゆかりの地の映画『遠雷』を借りたわけだ。

本当に気に入った作品は、自分の手元に置きたくなるもので、小津安二郎の作品は大抵揃っている。多くが鎌倉を舞台にしていて、私は前から一度鎌倉を訪れたいと思っていたのだが、機会を逸してきた。

なんだか、鎌倉というと、ミーハーな若い娘が行くところのようで、こっ恥ずかしい感じがするのも理由の一つであったが、この際青春18きっぷを使って、日帰りの旅をするのも悪くはないだろう。

小津の映画で鎌倉と言えば、まず思い浮かべるのが、『麦秋』である。

  落ち着いた名作だ

この映画が公開されたのは、私の生まれる4年前のことで、自分が生まれたあたりの日本はこんな感じだったのかと思いながら観ると、実に興味深いのである。しかも、そのストーリーも、特別なものではなく、極めてありふれた庶民の日常を描いている。

平凡すぎるくらいの内容だが、監督の眺める和風の極みが、観る者の心を和ませてくれるのだ。

  長谷の大仏

定番の「紀子」を演ずる原節子の清々しさと、杉村春子、笠智衆、淡島千景、三宅邦子、高堂國典らの、まるで日本庭園の岩についた苔のような渋い演技が、この映画にコクと旨みを加えて観るものを飽きさせない。

『麦秋』には、孫がくれるキャラメルを紙ごと口に放り込んでしまう年寄りから、その息子夫婦、そのまた息子の家族、嫁入り前の長女・紀子、ヤンチャな弟たちまで、世代の違う人間たちの日常が、描かれているだけだ。

目の前に集まってくる登場人物たちを上から見つめているであろう大仏のカットは、印象的だ。

 ボールで遊ぶ勇ちゃん


 知り合いのたみと孫娘

ちょっと、ボケ気味のおじいちゃん役の高堂國典は『七人の侍』では長老役を演じていた渋い名優である。この映画でも実にいい味を出している。

  紀子とお爺ちゃん

調べてみたら、家から鈍行でも3時間半あれば、江ノ電・長谷駅に着く。大仏を見るだけなら充分日帰り旅行はできる。

金曜日か土曜日。天気がいい方を選んで出かけてこようと思う。

時間に余裕があったら、近くの「鶴岡八幡宮」にも足をのばそう。同じ小津の映画『晩春』の中で、杉村春子が境内でがま口を拾い、縁起がいいと言って、懐に入れたところに駐在さんが通りかかるという、少しコミカルなシーンがあったっけ・・。

あの財布、結局交番に届けたのだろうか・・・? 映画では分らなかったが。

ホッとする、商店街のある街

2017年08月15日 | 社会観察
毎週、月曜日夜のBS放送の『吉田類の酒場放浪記』は、私が唯一毎週楽しみにしているテレビ番組だ。番組は毎回、吉田類が駅前で自己紹介と場所の説明をするところから始る。

東京の下町が多くて、駅前は改装されて近代的になっていくのだが、少し歩くと昭和風の居酒屋があって、そんなところに入って、猫舌の吉田類が好き勝手に飲んだり食べたりするという、恐らく台本など存在しない妙な番組である。

吉田類が訪れる下町の駅周辺には、商店街があるところが多い。

今から20年ほど前になるだろうか、アメリカからの圧力で、いわゆる「大店法」が施行され、郊外に大型ショッピングセンターが次々に出来て、駅前の個人商店は営業を続けられなくなっていった。

吉田類の番組を見始めた頃だったと思うが、私は仕事で三重県四日市にいた事がある。当然アパートでの自炊生活になるので、商店街での買い物や、居酒屋での晩酌などを楽しみにしていたのだが、実際に移り住んでみると、その夢はぶち壊されたのだった。

四日市は旧ジャスコグループ、今のイオングループのお膝元である。

国道沿いには、大規模なイオンショッピングモールや系列のマックスバリューという大型スーパーマーケットがあり、どちらかで買い物をする意外選択肢がないといった感じだった。

それでもどこかに小規模でもいいから、地元商店街があるんじゃないかと思って捜したのだが、見当たらなかった。

『四日市市民はつべこべ言わずに、イオンで買い物すればいい』という、無言の圧力のようなものを感じさせる街の雰囲気に、新参者の私は猛烈に反抗し、多少時間がかかっても町外れにある、地元の小規模スーパーに出向いて買い物をしたものだった。

 大阪の商店街

台湾旅行に行く人は、あちこちに存在する「夜市」に出かけることだろう。屋台が並んでいて、様々なローカルフードを味わえるだけでなく、人ごみに混じって、みて歩くだけでも楽しいものだ。

アレと似た感覚が味わえるのが、日本の商店街なのだ。

安売りで人を呼び込むのではない。街全体が醸しだす雰囲気を売りとしているようだ。

  東京の商店街

勤め帰りのご婦人や近所の主婦たちが、今晩のお惣菜の入った袋をぶら下げて歩いている光景は、今では郷愁を感じさせるほどになってしまった。

大型ショッピングモールが出来た頃は、珍しさも手伝って、毎週のように出かけたものだが、安い安いに釣られて、要らない物まで買い込んでしまいがちになり、最近では私はなるべく行かないようにしている。

先週訪れた、母校のある北関東の街には、私が学生だった頃とほぼ同じ商店街「オリオン通り商店街」が活き活きと存在していた。

 オリオン通り

当時と同じアーケードの下に間口がそれほそ広くない商店が、立ち並んでいて、前よりも小奇麗になった感じがした。

学生の頃は、この商店街沿いにあった、「長崎ちゃんぽん・皿うどん」の店似よく通った。どちらも、静岡では味わえない食べ物だったので、よく食べたものだった。今回その店を捜したのだが、見つからなくて非常に残念であった。

私の地元の駅前も数年前に区画整理されて、道路は広くなり、見栄えは良くなったのだが、肝心の商店街は閑古鳥が鳴いている。

前の方が良かったと言って、時代を逆回転させようとしても、もうそれは無理な話である。

トマトマンと石田えり

2017年08月14日 | 趣味の世界
先週末に青春18キップ+グリーン券の長旅で目指した先は、私の母校のある北関東の街だった。そこは、関東圏に含まれるのだが、お国言葉は我々には東北エリアに入れたくなるほど訛りの強い、独特な抑揚がある。

昔から寿司に入れる干瓢の産地であるが、最近では「餃子の街」だとか、「ジャズの街」、「カクテルの街」などと、様々な肩書きをつけていた。

母校の工学部は、雷研究でもよく知られているのだが、それはその街が雷の多発地域であるため研究するのには持って来いの土地柄だったからだ。

また最近では地震も多くて、学生の頃私が地元の人から聞いた、『野州名物は、地震・雷・ブス・干瓢』という言葉もまんざら嘘ではないと納得できるようだ。いや、ブスに関しては、仙台の大学に進んだ人にいわせると、「宮城は多分日本一だろう・・」と反論する。

下野の女性の為に、これ以上話題にするのは控えたい。

昨日、DVDレンタルショップにふらりと寄ったら、懐かしい映画「遠雷」のDVDが目に留まったので、借りてきて先ほど観終えたところだ。

  トマトマンを永島敏行が好演!

立松和平原作の小説を、根岸吉太郎監督がメガホンを取り、私の好きな永島敏行が好演している恐らく私の好きな邦画のベスト5に入る1本である。

この話の舞台こそ、私の母校のある「餃子の街」で、そこでトマトのハウス栽培を営む農家の次男坊の周りで起きる、様々な社会現象を織り交ぜた、2時間15分の長編青春ドラマである。

脇を、藤田弓子、ケーシー高峰、森本レオ、原 泉、蟹江敬三らが固めて渋い演技を繰り広げ、中でも主人公の満男(永島)と結婚するあや子役の石田エリの超爽やかな演技と見事な姿態、満男の幼馴染の宏次役のジョニー大倉の朴訥な演技は秀逸である。

 女性をめぐって・・・

映画には、私がほんの二日前に降り立ったJRの駅前もシーンもあり、現在との変り様がよく分った。

映画では、なるべく方言を忠実に反映したかったのだろうが、残念ながらさほど忠実ではない。しかし、俳優たちがあの土地の言葉のアクセントを覚えるには、それは少し荷が重過ぎるだろう。

話は、田舎の嫁入りの最中にちょっとした悲劇が重なって終わるのだが、途中ザリガニ釣りやホタル狩りなど、郷愁をそそるシーンもあって、心をなごませてくれる。

また、10年位して行く元気があったら、母校を再訪してみようかと考えている。

偉そうでウザイ、ゴルフ解説者

2017年08月14日 | テレビ・ラジオ
大した実績も無く、言葉だけが上滑りするような解説をベラベラとすることで定評のある、マラソン解説者・増田明美のことは、以前このブログでもネタにした。

先日も、どこかで行われたマラソンで、解説者が野口みずき、高橋尚子とともに、増田明美が加わっていて、勝負の機微に関わる場面での解説では、増田明美がまったく能無しの役立たずであることを、日本中に晒してくれた。

私は増田明美が解説しているようなので、それ以上は見なかったが、これと同様の心境にさせられるのが、プロゴルフの世界にもいる。

 日本人?

漢字3文字の名前なので、長いこと支那人か朝鮮人かと思っていたら、どうやら日本人のようで、「戸張捷(とばり しょう)」と読むのだそうだ。

この方、プロゴルファーだったのかどうかは定かでないが、ゴルフ業界で食べている方らしく、世界中のゴルフに関することでは、知らないことはないといった体裁を保っている。

私が鼻持ちならないのは、どこかの都知事と同じように、日本語で言えばいいのにわざわざカタカナ言葉を連用することだ。「プロゴルファー」でも充分わかるのに、なぜ「プロフェッショナル・ゴルファー」という必要がある?

こう感じているのは決して私だけでないことは、ものまね芸人たちが、彼の解説ぶりをネタにしていることでもよく分る。

例えば、「花香よしあき」がそうだ。

  花香よしあき

【優勝した選手が素直に喜べないような、上から目線のインタビューをする戸張捷】

『えぇー、おめでと、ね。・・・あのぅ、8番の林の中に入ってしまったティーショット・・・アレ、どうした??』
『それからネ、・・12番ホールでの3パット・・・アレ、何??』


さらに、御大・「博多華丸」もネタにしていた。

  博多華丸

【驚くほど記憶がいい、全英オープンゴルフで実況解説をする戸張捷】

『(小声で)あぁ~、ラフに入ってしまいましたネ。・・確かコレ青木さんネ。1998年に、ビジェイ・シンが、まったく同じラフにつかまったんですネ。・・で、当時勢いのあったタイガーに、確か2打差で逆転負けするんですネ。・・確かその日が、タイガーのお父様の誕生日だったですネ。』


どちらも、戸張氏の解説の特徴を良く掴んだ「名作」だと思うが、特に後の方の話し振りは、まるで増田明美みたいではないだろうか?

『○○サンは、最近キーホルダー集めに凝っていて、お気に入りは猫ちゃんみたいですよ。中でも三毛猫が大のお気に入りだそうで、もう200個以上部屋にあるそうす。』などと、「どうでもいいネタ」を得意げに披露するのが増田明美の「売り」なのだ。

戸張捷は、ゴルフで飯を食っているだけに、専門知識は豊富のようだが、時には間違った解説をしてしまって後であわてて訂正するようなこともあったそうだ。

例えば、雨上がりの水溜りに入ったボールを救済するとき、「この場合はボールを拭いてはいけません。ルール違反です。」と知ったかぶって解説したそうだ。

しかし、ルールブックには、「カジュアルウォーター救済で、ドロップする場合は、ボールを拭いても良い」と書かれている。

彼はプロゴルファーの経験は全くないようなので、優勝が掛かったホールなどでの選手の精神状態などは、どうしても適当な想像に基くものでしかないことが見ている者には伝わりがちであるようだ。この点は増田明美も同様である。

「このパットが入ると入らないとでは、賞金が300万円は違いますね。」などという解説は、なんとも興醒めではないか。

私が彼の声がするときは、テレビ中継を観たいと思わなくなるのは、ほんのこの程度のことだ。

JRみどりの窓口の怪

2017年08月13日 | 旅行
前回、徳島市に旅行に行ったときも、新神戸の駅のみどりの窓口で見た光景だった。

そして、今回の北関東への旅でも同じ光景を見た。

  みどりの窓口の怪


お盆休みのため、旅行客が平日よりは多いことは分っている。しかし、新幹線の切符を買うためにみどりの窓口に出向くと、ほとんど必ずと言っていいほど行列が出来ている。

窓口は大抵3~5箇所くらいあって、日本中のJRの路線が頭に入っているんじゃないかとう若い職員たちが、テキパキと注文を捌いていくのだが、(大抵)中高年の客が切符を買う段になると、職員の手がピタッと止まる。

何か一言二言その客と言葉を交わすと、また暫らく考え込む。中高年の客は、何かしきりに職員に話しかけているのだが、職員は首を傾げたり、メモ用紙に何か書いて説明したりしている。

耳を澄ますと、「米沢」とか「仙台」とかいう駅名が聞こえてきた。どうやら東北の山形県か宮城県方面に行きたいようだが、具体的な旅程は分らない。

窓口にその中高年が立ってからすでに10分は経過しているが、いまだに切符は決らない様子だ。その他の窓口は順調に流れているのだが、一体何が問題なのだろうか?

その場に行って聞いてみたい衝動に駆られるのだが、そうこうしている内に私の順番がやってきた。

私は一言、「沼津までのグリーン券、本日分1枚」そう言って代金を払い、先ほどの窓口を見やると、窓口の職員の男性は腕を組んで何か考えていた。

一体、何が問題なのか、ますます気になった私であった。

?十年ぶりの母校訪問

2017年08月13日 | 旅行
長男がJR青春18切符を利用して、あちこち旅行していたのは以前から知っていたが、その切符の詳しい内容はあまり知らなかったので特に気にかけていなかった。

しかし今月初めに、『青春18きっぷ』と言っても、特に若者たちだけの割引切符ではなくて、誰でも利用できると知って、早速毎日通勤で利用している駅の駅員に確認してみた。

「春・夏・冬の年3回発売されるんですが、特に年齢制限は無くて、最近はむしろ中高年の方の方が多いくらいじゃないでしょうか?」という駅員の言葉を聞いて、私は即購入を決めたのだった。

1枚の切符で5回分使用でき、1回は1日有効で、普通電車ならどこで乗り降りしてもいいし、何度乗り降りすることも出来る優れ物である。

しかも、この切符を利用し、別にグリーン券を事前に購入すれば、グリーン車を利用した快適な列車の旅を満喫できるのである。

私は、迷わずこの切符を利用して、北関東にある我が母校を訪れることにした。前日グリーン券を780円で購入して、沼津駅からグリーン車に載って、片道5時間の電車の旅を楽しんだ。お盆休みが始って、若者たちが多かったが、最初から最後まで座る事ができた。

私が大学受験で初めてその街を訪れた頃は、静岡から新幹線に乗り換え東京まで行き、山手線で上野駅に移動し、東北線に乗り換えて特急電車で2時間弱揺られないと着かなかった。

しかし、今では東海道線から東北線が乗り換えなしで、東京を乗り換えなしで通過できてしまうのだった。

青春18きっぷは、新幹線が利用できないので、東海道新幹線も東北新幹線も利用できないが、何でもかんでも速ければいいというものではないので、そこにこの切符の価値があるのである。

地元の人は、自分の故郷は「北関東」であって、決して「南東北」ではないという強い自負があり、「○○は北関東で一番だかんねっ!」などと、農産物の自慢を盛んにするのだったが、他県出身の我々には、彼らの訛りはどう聞いても東北っぽかった。

電車は予定通り到着した。今では東北新幹線も停車する、東京の通勤圏の中の一都市になったようで、駅の建物も大きくリニューアルされていて、昔の面影など全くとどめていなかった。

いつの間にか、『餃子の街』として全国的に名を馳せていて、その日も餃子を食べに来たと思われる観光客たちは駅前のどの餃子店に入ろうかと、ニコニコしながら物色していたようだった。

  大学キャンパス

母校まではJR駅前から、バスで約12分。正門前で降ります。守衛さんに、「?十年前にここを出た者ですけど、久しぶりに来て見ました。中を散歩させてもらってもいいでしょうか?」と、一言許可を求めた。

白髪頭の守衛さんは、「そうですか。どうぞどうぞ・・。」とニコニコしながら許可してくれた。

私が入学した頃は、まだ学生運動がくすぶっていて、正門では毎朝のように黒いヘルメットをかぶって、タオルで顔半分を隠しビラ配りをしている過激派学生が5~6人いたた。

キャンパスのあちこちには、赤いペンキで独特の字体の「立て看板」が立っていて、その横では、過激は学生が拡声器で訳の分からないことを演説していた。

  庭園の池

正門の右手には、この大学のご自慢である「フランス式庭園」があり、丁寧に刈り込まれた幾何学模様の生垣が、昔のまま存在していた。当時我々は「仏庭」(ぶってい)と呼んで、そこの芝生に車座となって「飲み会」をやったものだった。

酔っ払ってくると、手拍子で軍歌や色っぽい「春歌」などを大声で歌い、酔いに興じて池に飛び込む者が続出したものだった。

翌日、池に入って、落としたはずの腕時計を手探りで必死に探す者などがいて、見ていて可笑しかった。

  ピンフ堂

東門前にあった食堂「平和堂」は、学生専門の食堂で、味もさることながら値段が手頃で、構内で営業している学生食堂よりもずっと人気が高く、いつも混みあっていた。

ジャムおじさんのようなご主人と奥さんが切り盛りする平和堂は、マージャンの役に掛けた「ピンフ堂」と学生に呼ばれ人気No1の食堂だった。

  良心的な価格

盆休みで営業はしていなかったが、貼られたメニューを見る限り、スペシャル定食410円、カツカレー410円・・と500円でおつりが来る、という良心的な値段設定が昔と変らなくて、嬉しくなった。

キャンパス内の道路には、センターラインがキチッと引かれ、道路標識も多く、横断歩道のいたるところに書かれていた。私が学生だった頃は、自家用車で通学する学生など1割もいなかっただろう。

更に、街路樹がどれも大木に変身していて、無数のツクツクボウシが鳴き狂っていた。キャンパスに一歩踏み入れたときの印象は、緑溢れる森の中のキャンパスという感じで、学び舎としては最高の環境であろう。

私がお世話になった下宿は、「ピンフ堂」から歩いて10分ほどのところだったが、すでに汗が体中から噴出していたので、そこまで歩く根気はなく諦めた。

高校3年のときは、東京の大学をいくつか受験したのだが、どれも私にはピンと来なくて、こんなところで学生生活は送りたくはないなあ、と少し憂鬱な気持ちであった。

しかし、最後に受験に来たこの大学を見たとき、「こりゃあ、いいや。ここに決めた。」とまだ受験前だというのに、私は勝手に決めていたのだった。

休みに入っていたので、学生はほとんどいなかったが、それでも4年生であろうか、研究室に向かう学生たちは、みんな小奇麗な格好で、どことなくテレビに出るジャニーズ系のタレントの様でもあり、私は薄汚かった昔の自分と比べて、ひとり笑ってしまっていたのだった。

政治のリーダーたり得るか?

2017年08月06日 | 政治ネタ
高い支持率を維持してきた安倍内閣が、新聞・テレビが総力を挙げての反安倍内閣キャンペーンを仕掛けてきて、文字通り朝から晩まで、繰り返し繰り返し安倍内閣の悪口をいい続けてきた結果、とうとう耐え切れず、世論調査の支持率がストンと落ちたのだった。

反日マスゴミの背後には、某国の工作期間が動いているという見方もあるが、そういう反日工作員の類は、すでにマスコミ関係のみならず、ありとあらゆる業界に浸透していて、現在もその勢いは衰えていないはずだ。

しかし、彼らの仕掛けに載ってしまうのは、いわゆるノンポリ、無党派層であり、彼らの神経に連日悪口を連呼することで、みんなが心の中に抱えている『ルサンチマン』が解放されるからであろう。

井戸端会議で世間話をしても、大勢の意見に敢えて異を唱えることは、相当な覚悟を要するもので、普通はその場の「空気」を変えないように、無難に同調してしまうものなのである。それが「処世術」だと子供の頃から体得してきている。

朝鮮半島から、ミサイルがこちらに向かって次々に発射されている最中も、まるで他人事のように、関心を向けさせないように仕組んできたマスコミ各社は、ただ安倍政権の足を日おおあることだけを使命として、嘘だろうがデマだろうが、連日茶の間に垂れ流している。

  都知事を演ずる女優。

この時期、地上波のニュースを見てから、ネットの情報動画を見ると、その大きな違いがよく分って、地上放送の伝えるニュースの偏りぶりの異常さに怖くなるほどであった。

先週、内閣改造が行われてもワイドショーや報道番組の自称・ジャーナリストやコメンテーターたちは、相も変わらず「総理はこんなことやってて、国民がどう感じているのか分かっていない。疑いは残ったままだ。第一、総理は変ってないじゃないか。」

もう、規則や原理原則などどうでもいい、感情を煽るだけの悪口の羅列なのだ。

総理の悪口を言っても、私は大臣になれるのよ、と言わんばかり。ご満悦の表情で私は総理になるのが目標、と大見得を切っていた方もそうだが、今、安倍総理に代わる総理候補はどう精査してみても、与党にも野党にも存在しない。

   言うだけ女番長。

このご婦人は、ほんの2年ほど前に、「南シナ海で中国がやってることなんて、日本には直接関係のないことだ。」と言い切っていた。「日本は力の外交など出来ないのだから、対話を繰り返すしかないのだ。」と自論を披露したのだった。

こんなのが、自分は総理になる、などと国民の前で言えるこの国の民度は、所詮この程度なのだろうか。

女性が活躍できる社会を目指しても、この程度のレベルの女性しかいないのなら、そんな社会は実現すべきではないのではないか。

何度も繰り返すが、【早朝に、雌鶏がコケコッコーと鳴き始めると、その家は滅びるそうだ。】