孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

創業者は泣いているだろう。

2015年08月24日 | 日記
ソニーがドローンを使ったビジネスを立ち上げるために、新会社を設立したというニュースを聞いて、なぜか深いため息が出てしまった。

何とまあ、新鮮味の無い新ビジネスだろうか。まったくソニーらしくない、ソニーファンを深く失望の底に突き落とすような、発想ではないか。

ソニーといえば、次々と今までに無い物をこの世に提供してくれる、ワクワクさせてくれる会社だった。いったいどんな会社なのかと思って調べると、行き当たったのはソニーの前身となる「東京通信工業株式会社」の設立趣意書の中の、設立の目的だった。

『真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設』

初めてこれを目にしたときは、ああ自分がもう少し優秀なら、この会社に身をささげたいものだ、とまじめに考えたほどだった。「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」などという名文句を言える経営者が今この国にいるだろうか。



何から何までユニークな会社だった。今のように人材斡旋会社など無かった時代に、ソニーは、人材募集の新聞広告をだして、広く募集した。そのキャッチコピーがまたユニークだった。「出るクイを求む!」



さらに、盛田昭夫がトランジスタラジオを引っさげて海外に進出する際には、こんな求人広告を出したのだった。「英語でタンカのきれる日本人を求む」



何とパンチの効いたコピーだろうか。しかも「日本人」を強調しているところが憎い。社員のTOEICの平均点が滑った、転んだと喚いているどこかの経営者はこれをどう思うだろうか。

当の盛田ですら、当時は英語など一言も話せなかったそうだ。それが、本場アメリカで陣頭指揮をとっていくうちに自然と覚えていき、通訳無しで記者会見をするほどになっていた。



指揮官みずからがそうなると、部下たちはおちおちしていられなかったろう。アメリカの当時の営業拠点の事務所は、意気揚々として活気に満ちていた様子が想像できる。

その後、外国人経営者を参入させたりした頃だった、どうもおかしくなって来たなあと、素人なりに心配になってきた。

そして、私なりに「こりゃ、この会社は変な方向に向っているのでは、、」と強く感じ始めたのは、ソニーがテレビゲームにのめり込んだときだった。任天堂とゲーム機でしのぎを削っていたようだが、明らかにソニーらしくなかったと思う。

あんな子供の麻薬のようなもので金儲けをする会社ではなかったはずだ。

そして、今度はドローンときた。

貧すれば鈍する、という言葉があるが、創業者はあの世で、きっと臍(ほぞ)を噛んでいるのではないだろうか。

ある時、進む方向をほんの零点何度か間違っただけでも、数十年後にはとんでもない方向へと進路を誤って行き、取り返しがつかなくなる。

それでも私は、理想工場の復活を期待したい。