孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

「泣き顔」は見せるもんじゃない

2015年07月30日 | 日記
夏の高校野球の地区大会も終わり、どうやら、朝日系列の我が地元のテレビローカル局は負けた高校に焦点を当てた総集編を作って、改めて「感動の場面を振り返る」コーナーで、甲子園本番まで余韻をつなげる魂胆らしい。

悔し涙を袖で拭きながらシクシク泣きじゃくる選手たちを通路に座らせて、野球部監督が労をねぎらっていた。「お前たちみたいにな、・・・どうしようもない、・・出来の悪い子供たちが、あれだけ真剣にがんばる姿を・・・見せてくれるとな、・・・俺は・・泣けてくるわけよ・・ウゥ・・(泣)」ここで、選手たちの啜り泣きが一段と大きくなる。まるで、三流スポーツ根性ドラマの一シーンのような映像が、またもやダラダラ流されていた。



私が子供の頃は、母親は何かというと、すぐ「泣いちゃダメだよ。男の子なんだから・・。」と言ったものだった。成長するにつれて、知らず知らずのうちに、そうか男は泣いちゃダメなんだ・・・と刷り込まれてきたためか、私はどうも高校生が努力が実らず負けてしまって、くやしさのあまり泣いてしまうと分かっていても、何かあまり見たくないものを見せられるようで、感動など感じないのである。



多分、昔から野球場では連日、あのような光景が繰り広げられてきたのだろうが、それを報道する側が、報道するにさして価値ある場面だとは認識しなかったのか、あるいは惻隠の情がそこまでするのを抑えたのか、、、私は後者だと思いたい。

いつだったか、その時の状況も定かに記憶していないが、男子フィギュアスケートの選手が大きなミスをしてメダルを逸したときの、廊下でのインタビューの際、話しかけている途中で、「ちょっと・・・」と言ってその場から消え、数秒後に「すみません・・」と言いながら、戻ってきたことがあった。

彼は、突然込み上げてきた嗚咽をこらえるため、廊下の奥に走っていき、呼吸を整えて戻ってきたのだった。作り笑いする彼の顔は、とても清清しいものに見えたものだった。

一方、同年代だろうにその正反対に立つスケート選手もいた。彼は号泣して見せるのが「売り」になっていき、それを今では商売の糧にしているようなところがあるようだ。



泣くという所作は、単なる感情の発露の結果だけではなく、見ている人に何かをアピールする場合の、重要なパフォーマンスとなる場合がある。ある国では、路上で突然口論が始まり、次第にエスカレートして罵りあいになることが日常茶飯のように見受けられるそうだが、それも通行人に「いかに自分の主張の方に正当性があるか」をアピールしたいがためのパフォーマンスなのだ、と何かで読んだことがある。



その証拠に、ワーワー泣いていたかと思うと、ある程度勝敗が見えてきて、ピタッと口論が終わってしまうことが多いそうだ。葬式などでも同じように、自分がいかに悲しんでいるかを周囲にアピールしようと、必死に泣き喚く、明らかに日本とは異なる文化があるようだ。

男が泣くのは親が死んだときだけだ・・と刷り込まれて大きくなった私は、高校球児やスポーツ選手、芸能人などが、カメラで撮影されているのも気にせず、オイオイ泣くのを見ると、どうも違和感を覚える。

やはり、男は人前でやたらと涙を見せるのを控えるという伝統的な文化があるのではなかろうか。それが少しずつ変化してきているのが、現状なのではなかろうか。



政治家も、芸能人と似たような境遇にある人気商売になっているので、最近はよく泣きじゃくるような場面が映し出される。採決を阻止しようと、二階席のカメラの方をチラチラ見ながら泣きじゃくっていた関西弁が饒舌な女性議員は、滑稽だった。

しかし、滑稽な議員と言えば、この方の右に出る人は今後も出ないだろう。



「日本を変えたい!」と号泣しながら訴えた、公費ピンハネ市会議員である。今でもあの会見の一部始終が動画サイトに残っているので、笑いたくなったらあの号泣シーンを見るといい。まったく、事実は小説より奇なり。お笑い芸人など歯が立たない、見事なパフォーマンスだったが、彼がしでかした汚職は最低なもので、この男に票を投じた有権者は恥を知るがいい。

恥をかかせるな!

2015年07月30日 | 日記
先日、テレビで東京五輪のエンブレムが発表されるというので、どんなものなのかと期待していたが、正直言ってもったいぶって発表した割には大した感動もないものだった。

それもそのはず、そのデザインはベルギーの何とかという劇場のロゴマークと瓜二つ。パクッたとい言われても反論などできるわけがないくらい、同じものだった。さらに、配色はスペイン人デザイナーの「東日本復興寄付募集」のロゴマークのパクリ。

 ←左がベルギーの劇場ロゴマーク
 ←スペイン人デザイナーの作品だった

小保方さんの論文コピペに匹敵する、日本発進の大失態事件であろう。パクリ・アートディレクターの佐野研二郎とかいうペテン師の弁解を聞いてみたいものだが、恥ずかしくてとても世間に顔向けできないだろう。逃げ回ってるらしい。



このパクリ芸術家も酷いが、「IOC が事前にチェックしてOK を出しているから、問題にはならない。」と言い切る東京五輪組織委員会のスポーツディレクター、室伏氏の感覚もちょっと世間常識とはズレがあるのではなかろうか。

世間にはパクリが氾濫しているため、それだけに独自性のあるデザインや作品は価値を持ち、作者や発案者は賞賛の対象になるわけだ。

以前、中国にディズニーランドをパクッた遊園地が出来て、我々は嘲笑の対象にしたばかりではないか。「あれは、ミッキーマウスなんかじゃない。ここのオリジナルの猫なのだ。耳の大きな猫だ。ネズミではない。」と強がりを言う中国人関係者を、我々は蔑みの目で見て心から軽蔑したではないか。



そして、パクリと言えば、「パクさん」「リーさん」の住む国が何といっても世界一の先進国である。世界のすべてが朝鮮半島オリジナルだと豪語するだけでなく、お菓子から、店構えから、自動車に至るまで、ありとあらゆるものをパクっておいて恥じることがない。

  





これら平和を愛するアジアの隣国から、「な~んだ、日本人だってパクリやるアルね。」とか、「日本人もパクルニダ!ウリと同じニダ!」と言われること必至である。

国立競技場で、あれだけケチがついたというのに、ロゴマークでこの体たらく・・・。
太った疫病神は、この際逃げ回る「アートディレクター」をさっさとしょっ引いてきて、白状させるなり、弁解させるなりして、白紙撤回し、早急に次点を繰り上げ決定してくれ。

もうこれ以上恥ずかしい思いをさせないでくれ。たのむから。


日本人よりも日本が好き、テキサス親父

2015年07月30日 | 日記
40年近く前の若いとき、私は3ヶ月ほど米国のオレゴン州の小さな田舎町にあるりんご農家でアルバイトをして小遣い稼ぎをした。

その町はりんごとか桃などの果樹園が多く、秋の収穫時期にはメキシコ人や、アメリカ人のヒッピーが収穫のアルバイトをするために集まってくる。どこの果樹園にもそういう臨時雇用の人たちの住居として、掘っ立て小屋とかトレーラーハウスという自動車で引っ張って移動できる簡易ハウスが設置されている。

私も一人用の小さなトレーラーハウスに住んで、収穫したりんごを入れる大きな木製の箱を収穫する連中のためにトラクターで配布したり一杯になった箱を回収したりする仕事をした。

収穫のピークが過ぎて暫くした頃、果樹園で仕事中の私のところに、ちょっと前にきれいな奥さんをもらったばかりの若い農場主が、ニコニコしながら走ってきた。

「ちょっと事務所まで来て見ろよ、面白い人を紹介するから。」と言うので、そのままトラクターを運転して事務所まで(と言っても彼らの住む家なのだが)、戻った。

そこには、50歳くらいの男性がいて何でも通りかかっただけだが、りんごを売ってもらいたくて立ち寄ったそうだった。農場主と話をしていて、日本の若者が働いているという話になって、会ってみたい、「そうか、呼んで来るからちょっと待っててくれ」となったらしい。

農場主は、彼をテキサスを出発して、全米を旅行中の方だと紹介してくれた。どういうルートで全米を廻るとか、どのくらいの期間を旅行するとかいう話を聞いて終わったのだが、この程度で、農場主がなぜ私をわざわざ呼びに来たのか、私は首をかしげた。

その彼が立ち去った後、農場主は、ニコニコして「どうだった?」と聞いてきた。私はそう言われても何のことか理解できず、「何のこと?」と聞き返した。

「彼の英語のアクセントはどうだった?」そう言われると、早口でよく理解できなかったので、正直に答えると、「彼のアクセントはテキサスのアクセントなんだよ。」と教えてくれた。テキサス訛りの英語を耳にしたのは初めてだったので、ただの早口のおじさんかと思ったのだが、西部の人達にはテキサス訛りの英語が少し滑稽に聞えるらしかった。農場主は、それを私に体験させたかったようだったのだ。

私のテキサスとの遭遇はその時が最初だったが、youtube を見始めて知ったのが、今話題の超親日派の「テキサス親父」こと、トニーさんだ。



日本のことが好きで好きでたまらないという、テキサス親父は最近よく日本にも来ていて、話題となる地方にも積極的に出没している。アメリカの地方都市でいわゆる「従軍慰安婦」の像が建てられると、現地に出向いて実況する動画を見せてくれたりもした。



右手に持った顔の書かれた紙袋を、慰安婦像の頭にすっぽりかぶせてしまうことも平気だ。さすがに、これには度肝を抜かれた。



ただの親日派だけに終わらず、米国で得られる貴重な公的資料を発掘して公表したり、市議会の公聴会で証言したりと、日本の名誉のために八面六臂の活躍をする名物親父でもある。

何といっても、彼の動画は当然すべて英語なので、日韓の問題などに無知なアメリカ人たちへのアピールにもなっているのは、重要なことだ。

靖国神社に行っても人気者の周りには人が集まってくる。思うところをズバッと単刀直入に主張するテキサス親父は今最も旬のアメリカ人といえるかもしれない。



そういえばあのキャロライン・ケネディ大使が皇居に就任の挨拶に出向いた際、「普段着を着ていった・・」と、バッサリ切り捨てるように指摘していた。字幕も出る動画は
「テキサス親父」と検索すれば簡単に見ることができる。是非一度観てほしい。


上海の青少年たちを癒すのよ・・

2015年07月29日 | 日記
少し前、デパートや民間企業の社員がその部下ごとに少しずつ手分けして流行の歌に合わせて同じ振り付けを踊った動画を youtube にアップするのが流行って、役所の職員や挙句の果て市長や知事までが調子に乗せられたのか、自ら調子に乗りたかったのか、変てこな踊りを恥じも外聞もなく披露していた。



ブログにも書いたが、私企業なら宣伝や社員のヤル気の啓発にもなるだろうが、役所の首長までもがオチャラケで参加しているのを見たときは、ドン引きしてとても観つづける気にはならなかった。

その歌手というのが、少女ポルノというのか児童ポルノというのか、短いスカートや下着だか水着だか分からないような衣装を着させられて飛び跳ねる流行の少女集団だった。



恐らく、ほとんどのファンが青少年の男なのだろうが、「総選挙」とか呼ぶ人気投票できる権利を彼女たちの出したCD を購入することで得られるようにした、商法が人気に拍車をかけているようだ。お気に入りの女の子に票を投じたいがために、一人でCD を何枚も買い込む少年たちもいるようで、言ってみれば若者相手の一種の「催眠商法」みたいなものだろう。

彼女たちの胴元が、東京五輪の組織委員会の理事になるとかならないとか言われたが、それが事実だとしたら、関係者は気が狂ったとしか言えないと思った。

ああいうのもひとつの文化なのだろうが、私はとても誇りには感じられない、むしろあまり話題にはしたくないものに入ると思っている。

ところが、驚くなかれこの商法はすでに中国に進出していて、まったく同じ方法で中国の青少年たちが「催眠」にかかっていて、最新の「総選挙」では投票数が、何と69万票だったという。グループの名は、SNH48 というそうで、Shanhai を意味するSNH なのだろう。



中国では、一票の投票権のついたCD が一枚78元(1550円)するそうで、選挙の結果で、上位16名の中国の青少年を癒す「慰安少女」たちが、本家の「慰安少女」の歌の中国語バージョンを歌うことになるそうだ。

何とこの中国版「慰安少女歌踊団」SNH48 のデビューは2年前だったようで、上海にはすでに専用劇場もあるという。

新聞記事も伝えていたが、共産党一党独裁の中国では、村レベルを除いて直接投票できる選挙制度は存在しない。投票する味を若者たちが覚えてしまって、何か問題とはならないだろうか、と他人事ながら少し心配してしまう。

それとも、そのうち共産党幹部たちが、SNH48 の歌に合わせて踊る動画を世界中に披露するような事態になるのだろうか?

もしそのようなことになるのなら、よくテレビで見かけるあのつっけんどんな物言いをする報道官たちに、「間抜け踊り」をやって見せてもらいたいものだ。



そのときこそ、おい、神奈川県知事、出番ですぞ!

やってきた、感動の季節、、

2015年07月29日 | 日記
私が学生の頃は、まだ世にカラオケというものがなく、仲間が集まって酒を飲めば、いつも手拍子で歌を歌ったものだった。大抵二拍子の歌で、「青い山脈」や「瀬戸の花嫁」などの昭和の歌謡曲や「戦争を知らない子供たち」や「風」といったフォークソングが好んで歌われたが、私や私の同輩・先輩たちは軍歌が好きで、いつもそれぞれお気に入りの軍歌を披露したものだった。

私もあの二拍子のリズムで歌うのが好きで、「加藤隼戦闘隊」とか「戦友」など紙に書いて歌詞を覚えたものである。文語調の歌詞が何とも言えず魅力的で、「ああ、紅の血は燃ゆる」など、何十回と歌った記憶がある。

♪花もつぼみの若桜 五尺の命ひっさげて 国の大事に殉ずるは 我ら学徒の面目ぞ
 ああ、紅の血は燃ゆる ♪ 

今、国会周辺で安保法制反対のデモに集まる若者が聞いたら、みんな頭に血がのぼってその場で失神してしまうような内容の歌詞かもしれないが、当時の私はこの歌詞が好きだった。



2番もいい。

♪あとに続けと兄の声 今こそ筆を投げうちて 勝利揺るがぬ生産に 勇み立ちたるつ わものぞ ああ、紅の血は燃ゆる ♪

勉強嫌いだった私は、「今こそ筆を投げうちて」のところが好きだった。そして、3番がまたいい。

♪君は鍬とれ我は鎚 戦う道にふたつなし 国の使命をとぐること 我ら学徒の本分ぞ
 ああ、紅の血は燃ゆる ♪

昭和19年の歌で、この年、学徒勤労令と女子挺身隊勤労令が公布され、20歳以上の文系学生の徴兵猶予が廃止され、女子も軍需工場に動員されることになった。

朝日新聞は20年以上にわたって、この女子挺身隊を故意に都合のいいように「従軍慰安婦」として、捏造記事を垂れ流してきたが、ちょっと前ようやくそれを白状して謝罪していたようである。

女子挺身隊が軍需工場で働いていたことくらい、戦後10年経って生まれた私でさえ知っていたことだ。新聞社が知らなかったはずがあるまいに、舌が二枚も三枚もあるような連中が働く新聞社は、「従軍慰安婦と混同した」と言い訳を繕っていた。

学徒出陣というと、行進する学徒の足並みが水たまりに写る、出陣式の行進場面の動画が流される。あの軍靴の音が聞えてくるような印象的なシーンである。

安保法制反対の集会でアジる人が好んで口にする、「軍靴の音が聞える」という、アレである。



しかし、私はいつも夏になるとこの学徒出陣の映像にオーバーラップする行進場面を思い浮かべてしまい、今年もその季節がやってきた。



平和を愛する隣国が忌み嫌うあの旭日旗とほとんど瓜二つの社旗を持つ新聞社主催の高校野球である。今、全国で地方選抜大会真っ盛りのはずで、夕方帰宅してテレビを付けると、その日の試合の結果を細かく報道している。

特に朝日系列のローカル局は、力の入り方がひときわ強く、惜しくも負けたチームに密着して、泣きじゃくる選手たちや、負けた選手たちを前に、ぎこちなく取ってつけたようなセリフで元気付け、労をねぎらう野球部監督を映したりして、連日これでもかと、「テレビ局の仕立てる感動」を茶の間に垂れ流している。



いつの頃からか、テレビは高校生たちが負けて泣きじゃくる姿を、感動を呼ぶツールとして扱い始めたような気がする。映される側も、よく平気なものだと思うが、私はいつもその映像を流す側の神経をいぶかしく感ずるのだ。






それに、全体主義的で気味悪い丸刈り集団、学徒出陣のような開会式の行進、父兄を半強制的に動員しての炎天下の応援ツアーやお母さん方の来賓へのお茶酌み接待、、、

政府のすることには、ピリピリして細かいことまでイチャモンをつけ、大騒ぎする平和愛好家のおば様たちは、こういう現状は何とも感じないで、じっと息子や孫たちの活躍に胸躍らせ、連日テレビから垂れ流される感動の数々を味わうものなのか。



夏・春の高校野球にからむ利権は莫大なもので、主催者の新聞社は、この時期益々パワーアップして、ムードを煽っている感がある。

これに反比例して、私のような天邪鬼は、「感動の押売りはゴメンだよ」という気分になっていくのである。


爆買い、爆売れ、急落、激減・・

2015年07月28日 | 日記
今朝のニュースでは、上海株式市場が値を下げたと大きく伝えていた。8%超の「急落」だそうだ。株が下がった、と大声でカメラに向って喚き散らす支那人投資家を映していた。



朝、事務所に着いて、yahooニュースを覗くと、ニューヨークも連動して株価が下がっているとのこと。いい調子で儲かってきた、支那人投資家たちもかなり深刻さを増しているだろう。



なにせ、これまで株で儲けた金で贅を尽くした豪華船に乗って、日本まで買い物に来ていた連中だ。この間境港に着いた豪華船のために、近隣から観光バスが100台近く集められ、支那人観光客の爆買いをお手伝いしたところだった。

以前にもブログに書いたが、あの超豪華船とそれに載ってきた観光客たちの風貌、さらに彼らが狂ったように買い漁る他愛もない雑貨品の、この不釣合いさは、なぜか以前見たような既視感を私に抱かせる。



いつか子供の頃、もう死んでしまったお爺ちゃんが東京か名古屋に出かけるとき、一張羅の背広を着てパナマ帽のような麦わら帽子をチョコンと頭に乗せ、足にはなぜかゴム長を履き、二つの古びたボストンバッグの取っ手を黄ばんだ白手拭で縛ってひとつにし、肩にひょいと掛けた格好を見た時のような、複雑な心境になるのだ。



次に yahooニュースを見たときは、大型バスが「爆売れ」している、というニュースだった。増え続ける中国人観光客や外国人観光客、それに東京五輪を控えて、国内旅行の需要が伸びると見込んだ観光会社が、バスの買い替えや新規購入に踏み切った結果だそうだ。

「急落」とか「爆買い」とか「爆売れ」とか少しオーバーではないのかと思っていると、今度は「激減」という文字が目に飛び込んできた。

何だと思ったら、シンガポールの外国人観光客が「激減」しているそうだ。シンガポールといえば、私も1年弱住んだことがあり、そのときの貸し事務所は、正にオーチャード通りにあったので、馴染みの街だ。



オーチャード通りと言えば、高級ブランドの店が立ち並ぶ最も有名な大通りで、その中央にでんと2棟そびえ立つ高島屋は、一日の売上げが1億円だと聞いた。聞いたところでは、やはり中国やインドネシアからの富裕層が上得意の客だそうだ。



広い歩道は、パントマイムやダンスをする目立ちたがり屋も出て、様々な人種の観光客でいつも賑わっていた。そのオーチャード通りにも、店じまいする店舗が多く、シャッターが下がった店舗が目立ってきたそうだ。

箱庭のような小さな島に、ウジャウジャと人が集まってきて繁栄を極めていたが、建国の父もあの世に旅たち、いよいよシンガポールにも潮目が変わる時期がきたようだ。

一月ほど前だったか、中国はタイとクラ運河建設の覚書を調印したという報道があった。クラ運河とはマレー半島の一番くびれた部分に運河を建設して、大型タンカーを通過させるという古くからある構想である。



比較的平坦なクラ地峡と呼ばれる場所に、スエズやパナマのような運河を造る事で、タンカー一隻当たり35万ドルの運行コストと2~5日間の時間の節約になるのだという。なぜ、こんないい話がこれまで実現しなかったかというと、それはその都度シンガポールが、必死のロビー活動によって話をブチ壊してきたからだった。

今のようにマラッカ海峡を通ることで、シンガポールが要所となり、その結果コンテナ取扱量が世界2位でいられるわけなのである。マラッカ海峡を船が通過しなくなれば、シンガポールなど存在意義がなくなり、没落の一途を辿ることはまず間違いない。



悪いことに、中国は一帯一路構想をぶち上げ、これに向って邁進し始めたところである。これまでは、同じ支那人同士で、何とか乗り越えてきたが、このクラ運河の構想は、中国が運河の事業権を握り、アジアの物流を掌握する上では欠かせないものになる。

急落、爆売れ、爆買い、激減・・・さて、明日の衝撃的見出しは、どんなものだろうか? 超楽しみである。

親を見習え

2015年07月27日 | 日記
WILLと言う雑誌はいつも興味深特集が多くて楽しみだが、今月号を本屋で立ち読みして、迷わず購入してきた。帰宅するなり、取るものも取らず真っ先に読んだのが、立ち読みの続きで、石原慎太郎氏と百田尚樹氏との対談記事、題して「放言の自由と言論の不自由」だった。約30ページ一気に読み終えると、これで定価の820円の元は十分取れたと思えた。

お二人とも、痛快・豪快・壮快な方々で、大変ためになると同時に、読んだことで何か胸に溜まっていたモヤモヤを一気に洗い流してくれたような気分がした。

例を挙げたらキリがないが、一つだけ挙げると、石原氏が青嵐会にいた頃、まだバリバリの政治家だったときの逸話である。

韓国の当時の大統領パク・チョンヒにこう言われたそうだ。

「石原さん、竹島は厄介ですよ。あんな岩島、クソの役にも立たないのに、必ずそのうち問題になる。日本と韓国と一緒になって、ダイナマイトで爆破して消しちまおう。」

さらに、日本の植民地統治について、こんなことも言われたそうだ。



「石原さん、大事なのは教育です。このことに限ってみても、日本人は非常に冷静に、本国でやっているのと同じ教育をこの朝鮮でもやってくれた。これは多とすべきです。」

因みに、『多とすべき・・』とは、(価値の高いものと認めるべき・・)という意味です。

「私がそのいい例です。」パク氏は話を続けた。「私は貧農の息子で、学校に行きたいなと思っても行けなかった。日本人がやってきて、義務教育の制度を敷いて子供を学校に送らない親は処罰するといった。日本人に叱られるからというんで学校に行けた。」

「その後、師範学校、軍官学校に進み、そこの日本人教官が、お前よくできるな。満州の軍官学校に推薦するから行け、といって入学。首席で卒業し、言葉も完璧でなかったかもしれませんが、現地の日本人子弟をも代表して答辞を読んだ。私はこのことを非常に多とします。」

最後にパク氏はこう言いました。「相対的に、白人がやった植民地支配に比べて日本は教育ひとつとってみてもかなり公平な、水準の高い政策を行ったと思います。」

石原氏ならずとも、この話を聞けば、誰しも感心するのではなかろうか。

運命の皮肉というべきか、彼の娘は嫁にも行かず、父と同じように国の最高権力者である大統領になり得た。



初の女性大統領に就任してすでに二年半を経過しようとしているが、口を開けば、「加害者と被害者という立場は、1000年の歴史が流れても変わることはない」だの、「日本は歴史を直視していない」「日本は正しい歴史認識を持て」「日本と首脳会談をしても得るものはない」などなど・・・

米国、ロシア、フランス、イギリス、ドイツと・・・「告げ口外交」を展開してきている。そして、昨年、オランダ・ハーグでオバマ大統領を交えての三者会談での安倍総理に対する非礼を世界中に披露してくれた。

残る3年の任期をどうやって乗り切るべきなのか、父上の墓参りでもして猛省たほうがいい。



日本としては、相手は「何度でも平気で嘘を重ねてくる連中だ」と、十分認識した上で、もう二度と「嵌められない」外交をすることを心がけてほしい。


脅威を封じる魔よけ札。

2015年07月26日 | 日記
昔、「キョンシー」という中国版ゾンビが流行った時期があった。硬直した死体の妖怪なので、両手を前に伸ばして、死臭を撒き散らしながらぴょんぴょん撥ねて移動し、臭いで人間を見つけては生血をすする化け物だ。生血を吸われた人は同じようにキョンシーとなる。

  

この妖怪は、霊験あるお札を額に貼ることで、コントロールが可能だそうで、その霊験がキョンシーの動きを封じる。





国会周辺で演台に立って群衆を煽る方々は、「憲法九条のお陰で、日本は平和を守れた」というようなことを繰り返す。群集も、「九条守れ!」などと書かれたプラカードを掲げたりしている。

日本国憲法第九条は、第1項で「戦争の放棄」、第2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めている。

昔、著名な哲学者の田中美知太郎氏が何かの論文で、「・・平和というものは、われわれが平和の歌を歌っていれば、それで守られるというようなものではない。いわゆる平和憲法だけで平和が保証されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない。・・」と書いていたそうだ。

田中先生が今御存命なら、キョンシーに因んで、平和を維持するため「憲法九条」と書かれたお札を日本の全家屋の玄関に貼る事を提言するかもしれない。




如何でしょうか? 平和主義者団体の皆様、日本中の神社にお声掛けをして、「憲法九条」と印刷された魔よけ札を販売するよう、デモ行進されては・・。



あるいは、こんなキョンシー人形を中国で外注生産させ、国会周辺で販売して活動資金を得る手段としては・・。私は著作権など放棄しますから、是非ご一考を!

抵抗派、70%。

2015年07月26日 | 日記
共同通信社が5~6月に実施した戦後70年世論調査で、国民の多くが平和憲法の存続を願っていることが鮮明になったそうだ。

「安倍晋三首相はこの結果を真摯(しんし)に受け止め、憲法を破壊する安保法案の成立を断念すべきだ。」と鼻息が荒い。

この世論調査の中の設問が面白い。面白いというのは、滑稽で笑ってしまう、と言う意味で面白い。「共同通信社とこの記事を垂れ流す多くの地方紙」の程度がよく分かる事象だと思う。

その設問とは、「仮に外国が日本を攻撃してきた際、どう対応しますか」というもの。
結果は、「非暴力で抵抗する」が41%、「武器を取って戦う」の29%、「逃げる」16%、、「降伏する」7%、だったそうだ。

つまり、武器を取るにしろ、取らないにしろ、「侵略に抵抗する」と回答した人が、合計70%いて、侵略者とは戦わず、「逃げる・降伏する」人は、23%いるという結果だったわけだ。

この人達「日当」もらってるんですか?


戦わずして、逃げたり降伏したりすると回答した人が23%いたとは、日頃の世論操作の賜物だと思うが、この通信社は結果に満足せず、こう結論付けていた。

「非暴力で抵抗する、逃げる、降参する」を合計した、非交戦派は64%に上り、「武器を取って戦う」の29%を上回る。安倍政権が目指す「戦争のできる国」を国民は拒否していると見るべきだ。

・・・・そうか??



どうせなら、設問をこう改めて、もう一回調査したらどうだ。

あなたは、仮に外国が日本を攻撃してきたらどう対応しますか?
1) 武器を持って戦う。
2) 何でも言う通りにして、土下座して、命乞いをする。
3) 自衛隊に助けを請う。
4) 法華太鼓を打ち鳴らして、「戦争ハンタイ」と連呼する。
5) 憲法9条を示して、話合いで解決する。


衆を恃(たの)む、態度。

2015年07月26日 | 日記
今朝の朝刊一面に曽野綾子氏の「小さな親切、大きなお世話」というコラムが掲載されていて、「総じてこの頃は、テレビも新聞の表現も、大げさでやかましいものが多い。」と苦言を呈されていて、痛く同感した。

試しに新聞などのテレビ番組欄を見てみるといい。「!」や「!!」いわゆる、びっくりマークの付いた番組タイトルが、むやみに多いと感じないだろうか。朝から晩まで、何と視聴者を驚かす番組作りに徹していることだろうか!!

続けて曽野女史は「この頃のテレビや新聞の論調は、答えを相手に押し付ける。」これは、ああだ。」「あれは、こうだ。」「総理は間違っている。」という結論を押し付けるのである、と述べる。

これまた、仰るとおりで、ブログを書きながら怖いもの見たさで、チャンネルを合わせている日曜朝の報道番組を見ると、相変わらず草々たる「お抱えコメンテーター」を従えた役者崩れの司会者が、順番にその先生方を指して、政府批判を言わせている。どれもこれも、新鮮味のない体制批判をパクパク言って、押し付けがましい流れの番組だ。



放送事業者が守るべき、放送法第4条には、「政治的に中立であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」とあるが、一体この番組は、この法律には違反していないと言えるだろうか?実に酷い世論誘導番組だと感ずるが。

さらにコラムは続けて、マスコミ媒体の使命について、「国民の判断の資料になる事実を豊富に提供すること」であると、提言している。天気予報を伝えるのはいいが、「傘を持って行け」だの、「羽織るものが必要だ」とかいうのは大人に対する配慮ではない、と喝破する。最近、私もテレビの気象予報士のお兄さんが、「今日の洗濯は、部屋干しで」と忠告しているのを耳にして、「へぇー!そこまで言うか?」と感心したことがあった。

曽野氏は、最近流行の番組スタイルについても、手厳しい指摘をされていて、これまた至極同感させられる。それは、スタジオの「雛壇」に何人もの出演者を座らせ、みんなで笑ったり。同調させたりする手法で、こうした「衆を恃む」態度は、番組制作者の自信のなさの表れだ、と切っている。



私も以前から感じていたことで、これは番組制作者の自信のなさというより、能力のなさ、と言うべきだと思う。独創性の微塵も感じさせない番組が多すぎて、テレビ離れを益々加速させる大きな要因となっているのではないだろうか。

国会周辺では、相変わらず、他愛のない紋切型のフレーズを法華の太鼓に合わせて連呼する集団がいるだろうが、「日本はもう少し静かに抑制して己を語る国になってほしい。」

コラムはこう締めて終わっていた。




常識で十分判断できるはずだが。

2015年07月25日 | 日記
知覧のある南九州市が、アウシュビッツ強制収容所跡地のあるポーランドのオシフィエンチム市と友好都市協定を結ぼうと進めていたが、反対意見や抗議の電話がが相次ぎ、見直しも含め検討を始めたそうだ。



産経新聞の記事で知ったのだが、この新聞が他紙よりもマシなのは、こういう情報を記事にして読者に知らせてくれるところだ。私は、これまで購読していた地方紙を解約して、春からこの新聞を購読し始めたが、その判断は間違いではなかった。

南九州支局の谷田記者の記事だったが、よくぞ教えてくれたと感謝する。これを知って、私は即刻南九州市の公式ホームページを閲覧し、抗議のメールを送信したところだ。

霜出勘平・南九州市長は、「アウシュビッツ博物館で、知覧特攻平和会館が所有する特攻隊関連の資料展示ができれば、世界中の人に特攻のことを理解してもらえると思って友好交流提携を考えた・・」そうで、あくまで世界平和発信のため、良かれと思って計画した、とくるしい弁解をしたそうだが、私には、この市長は誰かにそそのかされたとしか思えない。



アウシュビッツ博物館を訪れる人がそこで神風特攻隊のことを観て、ナチスの非道はさておいて、「ああ、日本は純粋に平和を希求しているんだなあ」と観る人々に改めて感動を与えるとでも、南九州市の市長は思ったのだろうか。

100件を越す抗議の電話やメールがあって初めて、「色々なご意見があることがわかった・・・」と暢気なことを言うようでは、この方には常識という感覚は備わっているとはいい難い。

特攻隊の資料を、ユネスコの世界記憶遺産に加えようと企んでみたりもしているようだが、それで観光客が増えて経済効果何億円だと手柄話をする、浅はかが服を着てネクタイを首に巻いたような首長がこの国のあちこちに繁殖中である。

悲しいかな、私の地元にも一匹いるが、そんなことよりも他に役人の知恵と労苦をあてがって、納税者が地元行政を自慢できるような故郷にして欲しいものだ。

「我々は、世界遺産だ世界遺産だと浮かれてはいけない。元からある価値を、我々自身の手で高めようとする努力をしようではありませんか。」と訴えてくれれば、喜んで拍手もしよう。


和服、それは癒しの普段着

2015年07月25日 | 趣味の世界
「アツはナツいなあ・・」と言って笑わせた、落語のような芸名のお笑い司会者がいたが、いつもこの時期になると、私もついこれを口に出して言ってしまうのが癖になったようだ。

しかし、暑いから夏なのであって、日差しの少ない雨続きの6月よりは、まだマシだと思いたい。

日本人の知恵とセンスが産んだ文化の一つに、女性の和服がある。単に和服と言えばいいものを、敢えて「女性の」と頭に付けたのには、見栄えが女性の方がずっといいと思うからである。

日本女性の着る和服とはこんなにすばらしいものかと実感したのは、私がマニラに赴任していた20年ほど前のことだった。



日曜日にショッピングモールの中にあるスーパーマーケットで、涼みながらブラブラ買い物をしているときだった。反対側から、見た感じ50代の女性が夏物の涼しそうな生地の和服を着て、棚の商品を見ながら歩いてきた。傍らには恐らくフィリピン人のメイドさんだろう、カートを押しながら指示された商品をカゴに入れていた。



和服の柄はいたってシンプルで、派手さはまったくなく、それがまた女性の上品さを水増ししているようだった。メードさんと話す時の所作も、何となくエレガントな雰囲気を醸し出し、上から下までバッチリ決った感じの、これぞ「日本の女性」と誇りたくなる方だった。あまりにも、感激したのでその後自分の買い物などそっちのけで、その女性の後を距離を保って暫く追い続けたのだった。

暑いときは、なるべく肌を露出したいところだが、和服はそうではない。やはり、肌が陽に焼けるのを避けたのか、裾も袖も短くなるようなことはなく、素材やデザインに涼の効果を求めた。

何でもかんでも短くして、露出すればいいものではない、といういい例が自動車レースなどでは欠かせない、レースクイーンという女性たちの格好である。ハイレッグの水着というのかレオタードというのか、それを着て、何と足にはハイヒール、しかも大きな日傘を手にしたりして、盛んにポーズをとっている、お嬢さんたちである。

私は、あれほど醜悪で滑稽で不恰好な存在は他にないと思っているが、私の高校の同級生の一人などは、彼女たちの写真をとる目的で、日本中にオートバイで出かけるほどだという。お前は「蓼食う虫だ」と冗談を言っても、「次は鈴鹿に行くんだ」と張り切っていた。

私は昭和の邦画を好んで見るが、女優の和服姿を見るのがその魅力の一つでもある。さりげなく着た和服の柄にハッとさせられたり、和服姿での日本女性独特の身のこなしを見るのは、立派な工芸品を眺めるような快感を感じさせてくれる。

中でも、私の大好きな高峰秀子さんの和服姿は素敵だ。



奇抜な柄だが、見た人を釘付けにしてしまう和服を着て、颯爽と歩くこの写真はいつまで見ても飽きることはない。



和服を着た女性が階段を上がる際に、チラリと見える足首がどれほど男をドキッとさせるか、女性には分かるまい。この階段を上がる高峰秀子の写真も、私の本棚に燦然と輝く「高峰秀子写真集」に載っているお気に入り一枚だ。

古典の「今昔物語」には、有名な久米仙人の話がある。

大和・吉野の龍門寺で仙人になる修行を積んだ久米という名の男が、見事神通力を得て空を飛んでいるときに、吉野川に入って洗濯をする若い女性を見た。

着物をまくり上げて、洗濯をするその女性の白いふくらはぎを見てしまった久米は、瞬時に湧いた欲望の所為か、神通力を失ってしまって、吉野川にドボンと墜落してしまった。その後、仙人としての神通力を失った彼は、その娘と夫婦になり、普通の男としてその地で暮らしたという。



女性の白い肌は、布で覆って隠さなければいけない、と中東発祥の宗教は説いているが、洋の東西を問わず、人類共通の感性なのだと、普段感じなかった親近感をおぼえる。

ところで、普通の男になった元仙人・久米は、その後都造りの人夫募集に参加した。そこで、久米が元仙人だったと聞いた役人に言われて、昔得た神通力を使って材木を一気に空を飛ばして運んでくれぬか、と頼まれたのだった。役人はもちろんからかい半分だった。

ところが、久米は七日間食を断って念じた結果、見事にすべての材木を空を飛ばして造営地に運んでしまったのだった。この話が天皇の耳に入り、褒美に土地を与えられた。そこに彼は伽藍を建てた。今も、奈良にある久米寺の由来である。

めでたし、めでたし・・で終わるこの手の話は、古典に埋もれている。



タイトル、一目で分かる良書。

2015年07月24日 | 書籍関連
漫才師が小説を書いて、大変名のある賞を受賞したことに嫉妬して、普段から政府の悪口を言いたい放題に言っては、嫌われ者になっていた司会者が、番組で「漫才師に芥川賞とは、あの賞も格が下がったよね。」とは言わなかったが、まあ凡そこんな憎まれ口を言って、自分の育ちの悪さを暴露してしまったそうだ。

ネットの反応は敏感で、「どうせ、読んでもいないくせに、失礼な!」と非難轟々だったという。まあ、あのテレビ局の、あの番組の、あの司会者なら、、、と私は怒る気にもならなかった。

今や、若者が本を読まなくなってしまって、みんなスマホでゲームとやらに明け暮れている。馬鹿を益々馬鹿にする先端技術など、迷惑この上ない。

今回の受賞で、小説が注目され、若者たちがこれまで以上に本を手にする光景が復活するなら、結構なことではないか。

かく言う私も、○○賞を受賞したからといって、飛びつくことはまずないが、やはり、文豪と呼ばれる作家の小説は、絶対に一読する価値はあると感ずる。特に、芥川には短編小説が多いから、彼の本は手軽に楽しめて、非常に勉強になる。

前記のろくでもない司会者は、買って読みもしないのに、偉そうな批評を言ったので世間の反発を食らったようだが、読まなくてもいい本だと分かるものもある。例えば、この本がそうだ。



最近は、タイトルに凝った新書が次々に発刊されているようだが、この本は買って読むに値する本だ。タイトルを見れば、著者の言わんとすることが、一発で分かる。

すでに、私はブログでも、新聞投稿でも、何度も主張してきたが、それでも機会があればまだ何度でも言う。

英語が読み書き話せれば、便利なことは間違いないが、要は優先順位の問題である。大事な母国語を覚える前に、「ハロー、ハワーユー?」が言えたと喜ぶ馬鹿親たちを量産するほど、国を滅ぼす近道はない。

シンガポールを見ろだの、香港を見てみろだの言われても、私は何もうらやましくもくやしくも感じない。しいて言えば、哀れなものだと思う。

現状はどうなのか知らないが、英語教育にうつつを抜かすくらいなら、古文・漢文を復活させてくれ。まともな日本語を書ける、話せる人間に教育してくれ。

勤め先でも、ため息が出るほど、最近の若者たちの書く文章はお粗末で、話す日本語は支離滅裂で、しかも声が小さくて何を言ってるのか聞き取れない。

まて、それは私の加齢現象で、ただ聞き取れないだけなのだろうか・・・?


犯罪誘発という罪。

2015年07月24日 | 日記
確か、以前一度話題にしたような気がするが、ここ最近やたらと思い出すので、また話題にする。

何かというと、以前赴任していたフィリピンで感じたことで、私のみならず、またフィリピンだけの話ではなく、海外に住む方なら皆さんお感じになることだと思う。

それは、日本からの旅行者が、みなさんあまりにも無垢で、お人好しで、無防備であるかということだ。フィリピンの場合は、飛行場からマニラのホテルへタクシーで行く場合などに、車の前と後ろを挟まれて停車させられ、持ち物は取られ、身ぐるみはがされてポイと放り出される、「ホールドアッパー」という強盗が、もう日常茶飯事に発生していて、これはニュースにもならないほど、極めて日常的な出来事だった。

あるいは、観光地でカメラを持っていると、写真を撮ってあげましょう、といってカメラを預かり、そのまま走って持ち逃げされる。

両替所から出てきて歩いていると、怖いおにいちゃんたちに囲まれて路地裏に連れて行かれ、財布ごと奪われる・・・等々。マニラのどこかで、毎日起きていることだった。

では、そんなにマニラには悪者が沢山住み着いているのか、と問われれば私は否定はしないが、しかし、かなり高い割合で、「つい、悪気を起こしてしまった」若者たちがいるのではないかと踏んでいる。

エレベーターに乗り込んできた日本人観光客のお兄さんの腰ポケットには、チョコンとポッケに挟んだだけの分厚い財布が顔を出している。もう、取ってください、と言わんばかりの状態だ。

観光地でチョキを出して記念撮影に興じるお嬢さんたちは、薄い生地のシャツに太ももをあらわに出した半ズボンをはいて、男たちを挑発するようだ。

空港やホテルのロビーの椅子にバッグを置いたまま、トイレに駆け込むおばさん軍団。

どれを見てもスキだらけで、ちょっとした出来心で、小遣い稼ぎが出来るのではと、誰かに思わせてしまう、極めて軽率な行動が目に付きすぎるのが、日本からくるお客さんだった。

このところの、安全保障論議を見ていても、「憲法が、70年間この国の平和を守り続けた」だの、「憲法9条は世界に誇る平和憲法」だの、「いつか来た道・・」だの・・

煽るためだけの、意味不明で白痴的なフレーズを連呼するだけの、集団をもてはやして報道し、政治的に中立であるべき報道機関が狂ったように、無垢な国民を煽り続けている。昨日も、元首相だった老人が、相変わらず意味不明なことをパクパク喋っているどうでもいい映像を、何度も何度も大ニュースの如く垂れ流していた。


歳を重ねて、眉毛が白くて長ければ、人は人格者になり、正しいことをお説教してくれるかと思ったら、それはとんでもない間違いである。少なくとも、この老人が総理のとき起きた神戸の大震災で、自衛隊の出動を躊躇したために、どれだけの犠牲者を出したか、関西の方でなくてもまだ記憶に新しいだろう。



その方が、しゃあしゃあと、「過去を振り返り、二度と過ちを繰り返さない」という態度を示せ・・・などと言っても、どれほど説得力があるものか。ちょっと常識を備えた人なら分かるだろう。

「アジア諸国から信頼される国であって欲しい。」とは、すなわち、「支那と韓国には黙って謝り続けて、お金を出してやりなさい。」という意味なのだろう。

こういった姿勢をとる事が、犯罪を誘発することなのだ、と私はいいたいのです。




父親二人が即死というのに。。。

2015年07月24日 | 日記
どうも解せない事件だと思う。
今週の日曜日に起きた事件だというのに。
犯人は、だれか分かっているはずなのに。

なぜこれほど、時間がかかるのか・・・。
なぜ、被害者の住所氏名職業年齢が報道されて、容疑者の年齢しか報道されないのか、しかも「70代」という表現で・・・

報道規制が敷かれているなら、そう報道すればよい。




田舎の些細な出来事まで記事にしてきた、地元のローカル新聞や、同系列のテレビ局もまったく容疑者のことは公表しない。
これは、もしかして、毎度の如く、容疑者は在日の方ですか?




ネットでは、鹿を捕まえて小金儲けを企んでいたのでは・・・とか、元役場の職員だったから、温情で公表しないとか・・・、役所側にも管理不行き届きの手落ちがあったから、時間を稼いでいるとか・・・、様々な情報が飛び交っている。

同時に、容疑者の氏名や住所、電話番号もすでに掲示板に書き込まれたとか・・。

今回の事件は、極めて悪質で悲惨な事件だということが、日が経つにつれて薄められているようで、歯痒い限りだ。

老人だから・・・、憔悴しているから・・という理由なら、無くなった方は浮かばれないだろう。

今回の対応が悪しき前例にならないよう、願う。