孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

今年の漢字は「爆」で決まり!

2015年08月20日 | 日記
今年は火山が爆発続きで、箱根の温泉街の温泉宿やみやげ物店は、風評被害を食い止めようとなりふり構わない感じがしました。しかし、観光客にしてみれば、のこのこ遊びに行って被害に遭うのも嫌なものでして、敬遠するのは当然のことですよ。

 ←口永良部島 


箱根以外にも、口永良部島や阿蘇山も噴火しました。

中国人観光客の「爆買い」は少し下火になりそうですが、豪華客船で大量に押し寄せて、一人で何個ものスーツケースに、雑貨・便座や炊飯器などを買っていく中国人たちには、さすがのオバタリアンたちも少し引き気味だったとか。

  

天津といえば、甘栗くらいしか連想しなかったものですが、支那はあの街を、ニューヨークのマンハッタンのようにしようと企んでいたそうです。しかし、計画は頓挫して、実情はほとんどゴーストタウンのようだったことが、幸いしたようです。

  

それにしても、あの爆発で死者44名は無いだろうと思いましたが、案の定今もその数は増え続けているようです。韓国は売れない車を抱えるより、保険金が転がり込んできて大喜びだとか・・・。日本企業もチャイナ・リスクを身にしみて感じたことでしょう。

タイのバンコクでは爆弾テロがありました。おちおち旅行にもいけなくなりそうですが、こればっかりは防ぎようがありません。



2020年の東京五輪も急に心配になります。田舎でも、周りに外国人を見かけることが珍しくなくなりましたが、同時に日本人の警戒心が年々薄く薄くなっていくことも昔と比べると大きな変化です。



かくして、今年の12月に決る、世相を表す漢字一字は「爆」ということになるでしょう。残された4ヶ月。何か「爆笑」できる出来事は起きないものでしょうかね?




福翁、あの世で満足気・・

2015年08月20日 | 日記
8月14日の安倍談話発表の前には、日本のマスコミ各社や反日政治家、それに近隣の「平和を愛する諸国民」の方々から、手かせ・足かせ・猿ぐつわ・・などなど。それは、凄まじい牽制があって、談話発表後はさぞかし非難が集中することだろうと思ってテレビの報道番組や新聞各紙を眺めてみたが、少し拍子抜けしてしまった。

談話発表の直後、論評を求められた近隣の女酋長などは、「平和を愛する諸国」などは、『残念な部分が少なくない・・・』とか、『歴史は隠そうとして隠せるものではない・・』程度のイチャモンしか付けられなかったのには、笑ってしまった。支那にしても、せいぜい「台湾」を国扱いしていたことにケチを付けた程度であった。

村山元総理などは、聞いただけではとても理解できなかったらしく、『何を言ってるか分からん・・』と言う始末だった。

全文を読み返すと、良く練られた良質の文章が連なり、また行間から感ずることができる安倍総理の考えも、皮肉が込められているようで味があった。

全体を通して、河野談話や村山談話とは、中身のレベルが違いすぎていて、とても比較にはならないと思う。何より、てぐすね引いていた支那や韓国をほとんど眼中に置いていなかったのが良い。

あの世の福沢諭吉翁は、きっとニコニコしていることだろう。朝日新聞などは、以前から盛んに福沢諭吉が執筆したであろう「脱亜論」のイメージを下げる論調で、その趣旨が日本人に流布することを妨害してきたようであるが、安倍談話の趣旨は「脱亜論」に共通する点が多かったように感じた。



『我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。』

特に、『価値を共有する国々と手を携えて・・世界の平和と繁栄に貢献して・・』いくと明言した部分は、明らかに支那と、それに支那に寄り添う韓国は念頭にはない、と言っているようなものだ。

文化的にも政治的にも民族的にも、価値観を共有できる国だとは思えないからだ。

  

ひたすら、日本を貶めるための工作活動に熱心であり、ひたすらゴネる、ケチをつける、タカる、という恥知らずの集団とは、福翁に言われなくても、決別するのが最善の選択肢だったと思ってきた。

現実的には、国交断絶というわけには行かないだろうが、もう完全に堪忍袋の緒は切れていたといってもよい。それをやんわりオブラートに包んで安倍談話では表現していたと感じた。

日本のテレビ局は、まだまだ自国のことよりこれらの価値観を共有できない連中の側に重心を置いて報道し、番組作りをしている。ワイドショーや討論形式の番組でも、日本語を流暢に話す女性を工作員として育成してきて、盛んに登場させて自国に都合のいいことを主張させている。

  ←  支那人工作員

どちらも、ああ言えばこう言う・・おしゃべりな工作員だが、実によく訓練されていると思う。彼女たちも、母国のために必死なのだろう。

  ← よく喋る韓国人工作員タレント

肩書きは、日本の大学の先生のようだが、一体何を教えているのか?こんなのに教えを乞う日本人学生など、一体いるのだろうか、と不思議であるが、タレント事務所に所属していて、反日テレビ局はよく登場させている。

反日マスコミや反日隣国、反日政治家たちは、攻撃するにもスキがあまりにも無かった安倍談話だっただけに、今後は攻撃対象を安倍総理個人に向けてくるだろう。これは政府与党内にもそういう輩が存在していそうだ。

しかし、あのような貴重な談話を発表した総理に替わる人材は、今のところ思いつかないのでは・・。

『あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。』未来を背負う日本の若者たちは、この一文を丸暗記しておくべきだ。

「謝るだけなら、猿でもできる・・・」と笑ってこう語っていたキャスターがいたが、直前に韓国に出かけていって、神妙な顔で手を合わせて土下座した元総理が、今となってはこれまで以上に輪を掛けて馬鹿っぽく見えてくるのが滑稽だ。

容姿だけではない、日本人離れ

2015年08月19日 | 日記
以前、富士山五合目で外国人登山者への登山指導のアルバイトをしたとき、下山者の中に着ぐるみを着て下りてくる人や、山伏の格好で降りてくる人などがいて、周りを楽しませていた。しかし、私が一番笑ったのは、ゴム製の馬のマスクをすっぽりかぶって下りてきた人を見たときだった。大笑いしながら写真を撮ってしまった。



パーティー用のマスクは、モンスターものが多いが、この馬のマスクはどういう経緯で作られたのか、是非知りたいものだ。無表情の馬の顔は、最初ドキッとしても、その後馬鹿笑いすること必至である。

   

この手のマスクを見ると、やはり映画「猿の惑星」を思い出す。あれは正確にはマスクではなく、顔にシリコンを塗って猿の顔に仕立てていった。そのため、出演者が全員メークを完了するだけでも、何時間も要したそうだ。それだけに、猿のメークは当時大評判となったのを覚えている。

ゴム製マスクと言えば、最近テレビのニュースでよく登場する沖縄県知事の顔が、アップで映されるたびに、「ゴム製マスク」という言葉が頭に浮かんでしまう。このお方、頭皮の「移設疑惑」があることで有名だが、私は以前から頭皮より、顔の質感に眼が向いてしまうのだった。

  

お歳のせいかもしれないが、なんとなく見た目の質感がゴムっぽかったので、もしかすると、支那人がゴム製マスクをすっぽりかぶって、日本人のふりをしているのではないだろうか、などと妄想を膨らませたものだった。


  

この間も、海兵隊などミサイルが飛んでくる時代、抑止力などにはならないとむちゃくちゃなことを言っていたが、最早支那の代弁者どころではなく、支那共産党そのものといった感じである。

支那にとって沖縄は太平洋に出て行く上で邪魔になって仕方が無い。したがって、自分の領土にしたくて仕方ないのである。こんなことはちょっと考えれば、いくら洗脳教育された高校生でも理解できるだろうと思うのだが、沖縄県はそうではないようである。

あの朝日新聞ですら、右翼の新聞ではないかと思われてしまうほど、沖縄の新聞2紙は左に偏向しているという。この2紙を潰すことはできそうも無いとすれば、第3の新聞を伸ばすしか、沖縄のマスコミを矯正する方法はないのかもしれない。




金が動けばすべて良し?

2015年08月19日 | 日記
昨日の朝、時計代わりにつけてあったテレビの朝のワイドショーで、例の志摩市の海女のキャラクター図案のことを取り上げていたので、着替えをしながら聞いていると、どうも志摩市側は、「反対のご意見があったが、賛成の意見もあるので、取り下げることは無い」そうだ。お役所は、「今の流行りだから、いいだろ・・」という程度のことのようで、どうやら「ゆるキャラ路線」でいくようだ。



そして次に、番組は、海女で有名な同じ三重県の鳥羽市にいる、一家三代海女だという家庭の、「美しすぎる海女」さんに今回の件でインタビューしていた。こちらは勤め人だが、現役の海女でもある、鳥羽市の公認「海女キャンペーンガール」のようだ。



若いお嬢さんらしく、「私はかわいくて良いと思うし・・」と、志摩市の海女のアニメキャラクターについて感想を言っていたが、続けて「私も海女のキャンペーンで忙しいので、アニメキャラが人気になって、経済効果が出れば私も楽になるし・・。」というようなコメントを披瀝していた。

私は、あのようなキャピ・キャピの若いお嬢さんの口から「経済効果」という言葉が発せられたので、思わず苦笑してしまい、「ついに、ここまできたか・・」という感じだった。

更にその後、通勤途中にカーラジオのFM放送の番組の中で、これと似たようなことを話題にしていて、聞き入ってしまった。それは、「ひとは、なぜ盆休みなどの長期休暇になると、財布の紐が緩んでしまうのか」というテーマだった。

何評論家といったか忘れたが、ゲストの言うには、「お盆」という特別な行事だから、あるいは、「誕生日だから」、「結婚記念日だから」などと、ひとは何か口実になることがあれば、それを理由に普段より多めにお金を浪費しがちになるからだそうだ。

例えば料理屋のメニューに、「本日のおすすめ」とか、「期間限定」とかいった一言を添えると、客はそれを理由に少々高くても手を出してしまうので、そこに利益率の非常に高い商品を考案することで、より儲かることになるそうだ。

高くても、「・・・・だから」という口実を撒いてやることが、「経済効果」につながるとの事で、そのゲストは近年最も目立ち、これから騒ぎ始めることになる、「ハロウィン」をいい例として挙げていた。

  

あの「バカ騒ぎ」は私も実は数年前から、注目していることだ。日本には何のゆかりももない英国ケルト人の宗教的なお祭りを、何で日本人が真似するのだろうかと、首をかしげながらこれまで見てきた。

最近は、子供たちに「トリック、オア、トリート」(Trick or treat) と言わせて、「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」と駄菓子をせびらせることまで、猿真似させているようで、日本の若いお母さん方の白痴ぶりもここまで来たか、と感慨深いものがある。

若いお母さんたちだけでなく、白痴化した若者たちも負けじと奇怪な西洋風お化けの格好をして、町に繰り出し乱痴気騒ぎをして、通行を妨げたりしているようだ。

それもこれも、「経済効果」を生み出す新たな口実工作なので、「めでたし、めでたし」ということなのだろうが、ここまで商人(あきんど)の「我欲」がむき出しになると、何と言うのだろうか、日本人の文化的な背骨が、「骨粗しょう症」になっていくようで、この先危ない気がしてくるのだ。


仲間の不利は報道しません。

2015年08月18日 | 日記
韓国や支那が力を合わせて、海外で日本を貶める反日キャンペーンを展開中である。こういう報道は、なぜか日本のテレビ局は一切報道しないどころか取材しようとすらしない方針のようである。

それは、テレビ局内に入り込んでいる、韓国・支那の工作員たちがテレビ局を操っているからである。反日キャンペーンのために、アメリカで暮らす日本人や日系人たちは、子供たちが学校でいじめられたりして、大きな被害を被っているのに、こういうことすら報道されない。日本のマスコミは見てみぬフリをしているのである。

4月だったか、TBSのワシントン支局長が、韓国軍がベトナム戦争中に慰安所を開設していたことを示す証拠と証人を、綿密な取材活動でスクープした。



TBS本局は、知りたくないスクープなど無視するつもりだったようで、山口支局長はそのスクープを週刊文春に持ち込み、「歴史的スクープ 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!」という特集記事として週刊文春は発表した。

TBSは、山口氏の手続きが良くないとか理由をこじつけて、彼を懲戒処分として、地方の営業職に左遷・更迭した。TBSという放送局の醜悪な本性がよくわかる出来事だった。



嘘で塗り固めた「従軍慰安婦」を朝日新聞と共に焚きつけてきた韓国も、朝日新聞が「誤報」を認めたことで下火になりかけ、このベトナムの韓国軍用の慰安所の証拠と証人のことが大きく報道されて、さらなる取材が続けばどうなっていたか・・・。

しかも、韓国には政府が関与していた米軍用の慰安所が存在していたことも明白になっているのである。



こういう身内の醜態はひた隠しにして、ひたすらデマカセを重ねて反日キャンペーンをする韓国に、援護射撃どころか、一緒になって反日キャンペーンを張る放送局などは、どこの国のテレビ局なのかと思う。

そもそも、韓国は売春婦を大量に世界中に拡散している国で、その数は8万人になると言われているそうだ。そしてそのうちの四分の一、2万人が今現在日本で商売しているそうだ。



韓国では、売春施設を摘発して、商売を規制し始めているため、何と売春婦たちがその規制に反対してデモや集会を頻繁に開いて抗議活動をしているという。さらに、アメリカやオーストラリアなど海外にも出稼ぎに行き、「私は日本人だ」と嘘をついて、売春しているというから、日本女性は怒った方がいい。

youtube でも、入国審査で引っ掛かった若い韓国人女性が、涙で弁解しながら、審査官を誘惑しようとする動画など閲覧できて、彼女たちの切実な状況の片鱗が見て取れる。

見た目が日本人と似ているだけに、何か良くないことをするときは、自分は日本人だというのが、彼らの常套手段だそうだ。

ゴネる、ケチをつける、タカる かの国の国民性を良く承知しておかないと、大きく国益を損ねることとなる。特に外務省のお役人様、お気をつけあそばせ。




変だ、と思うか思わないか・・。

2015年08月17日 | 日記
「永遠のゼロ」の作家、百田尚樹氏は、何かとその単刀直入な言動で世間を騒がすことがあるが、私は彼につよい共感を覚える。

その彼が、終戦の日の対談番組で、広島平和祈念公園の石碑に刻まれた言葉について、私が以前から感じていたことと同じ事を語っていた。



要するに、主語が曖昧でおかしな文だ、ということだった。続けて百田氏は、「あの石碑の文は、リトマス試験紙だ。」と言っていた。



つまり、戦後の自虐教育に洗脳されてしまうと、あの石碑の文を読んでも、特に矛盾は感じなくて、あれを読んで妙な文章だと感ずるようなら、自虐史観、「東京裁判史観」に洗脳はされていないだろう、という意味である。

毎年、毎年同じような「平和宣言」を広島と長崎から読み上げて、平和を祈る人達は快感に浸るわけだが、それをほくそ笑んで眺めている野心国家が近くに存在することを忘れてはならない。

それより何より、「・・・だから、憎め」ということではなく、落とさなくてもいい異なる二種類の原爆を、威力を確認し誇示する目的で、非戦闘員に向けて落とし、数十万人を一瞬にして虐殺したのは、どこの誰だと明確に知っておくことは大切なことだ。

そこから出発して、何故こんなことになったのか遡りながら、歴史を勉強し直し、せめて江戸時代末期までは流れを押さえておきたいものだ。

ただ、戦争は悲惨だ、殺し合いはよくない、戦争にいい戦争も悪い戦争も無い、平和が一番だ、などなど、型通りの平和教育をするよりも、事実に基き歴史を見て、自分の脳味噌で考えながら歴史を学ぶことの方が有意義であることは間違いない。

以前世紀が新しくなるとき、アメリカのジャーナリストに「20世紀で一番印象ふかかった出来事は何か」というアンケートをとったことがあった。一意は、アポロの月着陸を抑えて、「広島・長崎の原爆投下」であった。その心は、「過ちを繰り返しませぬから・・・」などという「お花畑風」な意味ではないだろう。



広島に落とした原子爆弾は「リトルボーイ」と呼ばれ、それを投下した爆撃機は「エノラゲイ」といい、作戦終了後大切に油紙に包んで「保存」された。そして、戦後すぐに
スミソニアン博物館の所有となった。



当初歴史的な背景や、原爆の被害状況なども合わせてエノラゲイを展示しようとしたのだが、アメリカの退役軍人団体から猛烈な反対があり、大騒ぎとなった。艦長は、何とその責任を取って辞任する羽目になった。

今では、スミソニアン博物館の別館に爆撃機のみ、厳重な監視の下展示されているという。

私は、だからアメリカを恨め、憎めなどと言うつもりは毛頭ない。それではどこかの国の女酋長と変わりがない。

例えば、日本はハワイの真珠湾を不意打ちしたと言われているが、実はルーズベルト大統領は日本が奇襲攻撃してくることを知っていた。それどころか、そうなるように仕向けて、それを待っていたとしたら、どうだろう。

例えば、アメリカのルーズベルト大統領の周りにはソ連共産党のスパイがたくさん重要なポストで仕事をしていたとしたら、どうだろう。

アメリカは期限が着たら極秘文書でも公開される。インターネットでそういう文書が確認でき、新事実が明るみになる。歴史を教える側は、かなり勉強していかないととても追いついていけないのである。

戦争体験者に経験を語らせ、それを生徒に聞かせるのもいいが、それでは現代の情報戦は戦えない。捏造を暴き、事実を積み重ねながら反論していく知的作業は根気が要る。幸い、今の時代は学校の社会科の先生や教科書だけが情報の拠り所ではない。

真実を探求しようとする気力さえあればいいことだ。

また「爆」ですか・・。

2015年08月16日 | 日記
支那、天津市で起きた大爆発はその被害規模もさることながら、共産党の報道規制によって、一体何が起きているかが伝わってこないことが恐ろしい。



北朝鮮のように、大して日本人が住まない別天地なら構わないだろうが、天津には日本企業が数百社進出していて、その従業員と家族を合わせればその何十倍かの邦人が居住していることになるのではないか。

邦人保護を考えると、日本の政府も当然だが、マスコミ各社は徹底的に報道ベクトルを集中して、真実追及に努めるべきではないだろうか。安倍談話の評価もいいだろうが、どうもマスコミの今回の爆発に関しても、腰が引けているのが良く分かる。



あの規模の爆発で死者が数十人というのはちょっと信じがたいし、支那側が報道規制をしているからというだけで、指をくわえていてそれでジャーナリストが務まるのなら、随分暢気な職業である。

村山老人のセリフではないが、「初めてのことだったので・・」というならイザ知らず、7~8年前には四川大地震があったではないか。



規模もそうだが、あの時は各施設がどの程度被害をこうむったのか、放射能レベルはどの程度だったのか。そもそもあれは、地震ではなく核実験だったのでは、という疑念も強くあったではないか。



普段から支那におもねる姿勢で報道しているマスコミ各社は、こういう事件・事故が発生したときはまったく役立たずであるということがわかる。それだけ、日本のマスコミ各社に、支那の工作員が浸透していて、巧みに日本での支那に関する報道をコントロールしているのだろう。

これは今に始まったことではなくもう何十年も前から、着々と進められてきた工作活動なのである。映像番組による印象操作は効果も大きい。NHKの「シルクロード」というシリーズ番組があったが、アレは顕著な例であった。

有体に言えば、あれは支那共産党のプロパガンダ番組であり、支那の好印象を日本人の脳に刷り込む番組であった。最近でもBSでまったく似たような番組が垂れ流されており、反日番組サンデーモーニングの司会でお馴染みの、役者崩れの関口某の息子が、「街歩き」という今流行りのスタイルで担当しているが、これも偶然ではないだろう。

関口某は自分の事務所「三桂」を抱えており、そこに元カメラマンとか、元サッカー選手、在日を売り物にしている大学教授、などを所属タレントとして抱えており、コメンテーターとして番組に出して顔を売り、講演やラジオ番組などに派遣している。

反日報道番組サンデーモーニングなどは、ほぼ全員が「三桂」のタレントで占められているのは今やよく知られている。当然自分の息子もそこの「タレント」である。

支那とすれば何でも要求どおりに動いてくれる、こういうタレント事務所を抱き込めばあとはそこを操ることで、日本人の印象操作ができるわけだ。

こういう構図を知っておいて損はない。同時にこういう状況が日本にとって非常に好ましくない危険な状況であることをよく認識して、一人一人が報道メディアの策略を見抜いて読み取る心構えが重要である。

また、どうすれば今のゆがんだマスコミ体制を糾すことが可能かを考え、行動することが何よりも大切だと思う。

支那人たちの買い物や、火山噴火もあり、「爆」という漢字が今年の漢字一字に選ばれるだろうが、平和を愛する諸国民がいつ爆発するかは、もっとも関心を抱くところでもある。

主語が大事ですか・・。

2015年08月15日 | 日記
昨日の安倍談話の評価はどんなものか見たくて、コンビニで全国紙を何紙か買ってきて眼を通してみた。

ナントカしてケチをつけようと、重箱の隅を待ち針の先でツンツン突付くようなことしか書いてないようで、要するにあまりケチの付けようがない談話であったということが言えそうだ。

村山元総理の「何をしゃべりたかったのか、さっぱり分からん。」というコメントを各紙載せてあったが、あれだけの談話を一度聞いて理解するのは、失礼だが91歳のカスカスの脳味噌では無理でしょう。



意外だったのは、「主語がない」というコメントをする学者先生や新聞評論が多くて、そこまで「主語」というものに神経質になっているのに驚いた。

だったら、広島の平和記念公園の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と彫られた石碑になぜイチャモンをつけないのだ。主語が誰なのか分からないではないか。過ちって原爆投下のことなのか。



この際だから、新聞で偉そうに「安倍談話には主語がない」とコメントした学者先生たちに解説してもらいたいものだ。あるいは、子供にも分かりやすくニュースを解説してくれる、ニュース解説の達人、池上 彰大先生に、高校生にも分かるように「主語」の解説をお願いしよう。



池上先生、平和公園というのは原爆被害者の慰霊の地ですよね。原爆を投下したのはいいことなのでしょうか?投下されるようなことを仕掛けた方が悪いということでしょうか?戦争を始めるに至った経緯は何なのですか?

私たちの先祖は、闇雲に相手に切りつけたのですか?謝り続ければ平和は保たれるのですか?こどもニュースは無くなったけど、無知な若者と子供みたいな高齢者がウヨウヨ増えています。池上先生の分かりやすいニュース解説で、眼にこびりついたウロコをバリッと落としてください。

お願いします。




誠意が欲しいニダ。

2015年08月15日 | 日記
お隣の近くて遠~~いお国では、「光復節」の式典で、朴槿恵酋長が昨日の安倍総理の談話について、「残念な部分が少なくない」と指摘しつつも、歴代内閣の歴史認識を継承するとした点に注目。 今後は「誠意ある行動」が必要だとし、慰安婦問題の早期解決を求めたそうだ。

何をどう言っても納得するわけが初めからあるわけが無く、最早街のチンピラのカツ上げみたいなことしか、言えなくなってしまったようだが、ここで言う『誠意ある行動』とは、「金で補償してくれ、言葉じゃダメだ。」という、乞食根性から発せられた安っぽいセリフだとは、バカでも理解できる。



ところが、この女酋長のお父上が大統領のとき、つまり、1965年6月22日、時の日本の佐藤栄作首相との間で、日韓基本条約を締結して、戦後保証問題は解決済みであり、韓国・韓国人は日本・日本国民に対して賠償を要求することが一切できない、ということになっていることを知らないわけではないだろう。

それを知っていて、まだ集ろうというのを、日本語では「乞食根性」と言うんです。いくら、お国の財政が厳しいからといっても、頼む相手を間違えているんじゃないでしょうか?

日本には、昔から「窮鳥懐に入れば、猟師もこれを殺さず」という言葉がありますが、これまであなたがたがどういう態度でわが国に接してきたか省みてください。

日本には、昔から「堪忍袋の緒が切れた」と言う言葉があります。もうペテンにかけられるのは懲り懲りです。

くやしいでしょうが、ご自分たちで解決するか、仲良しのキンピラ主席を頼りにしてください。



元総理の鳩山さんにお願いするのも一案でしょうね。あの方大金持ちですから。

ウーンと唸らせる評論。

2015年08月15日 | 日記
安倍談話についての識者の声とか、街の声を読めば、その新聞社の姿勢が良く分かる。今朝の朝刊を読んで、思わず朝食の橋の動きが止まったのは、「指揮者の話」として、最近テレビに良く出る外交評論家の宮家邦彦氏と共に、弁護士のケント・ギルバート氏の話を見たときだった。

ケント・ギルバートさんといえば、何という番組だったか忘れたが、大橋巨泉のクイズ番組に出ていた方で、日本語が流暢な頭のいいアメリカ人というイメージがあった。

私の記憶に間違いが無ければ、この方はモルモン教徒で、若いときに宣教師として日本に来てそれで日本語を覚えたようだ。私も学生のとき、街で良く見かけたモルモン教の宣教師たちと、私が英語で、彼らが日本語で、という妙な立ち話をしたので、信仰はさておき、非常に思い出と馴染みがある。

しかもその後、米国にいったときもホームステイ先が街のモルモン教会の役職を持った方の家であったり、何だか腐れ縁みたいなものを感じている。



このケントさんが、まだ日本にいたことも知らなかったし、ましてや全国紙の朝刊で、しかも安倍談話についてのコメントをしていることが、どうも俄かに理解できなくて疑問を感じながら記事を読み進めた。

話とあるので、彼の語ったことを文字にしたのかもしれないが、相変わらずそのきれいな日本語にまず感心した。『成熟した文明国として品格のある内容で、歴史上起きたことを正しく伝えており、近隣諸国に対する礼儀や誠意が伝わってきた。』と、昨日の安倍談話を高く評価している。

『日本がアジアの平和と繁栄のため力を尽くしてきたことは明らかな事実。今後もその姿勢は変わらないことをアピールした点は大国としてふさわしく、これまでの政策に確信を持っていなければできない。』と続けて・・こうまとめた。

『謝罪のあり方に難癖をつける国もあるだろうが、今後の日本のあり方もしっかり示しており、前向きの姿勢が感じられるよいものだった。』

なんと、すばらしい評価の仕方ではないか。事実に基き、冷静に客観的に、理路整然と評論している点はさすが弁護士らしくて、非常に分かりやすい。

テレビで、村山とか岡田とかいう「左巻き日本解体推進工作員」のような連中が、パクパク揚げ足取りをしていたのとは、比較にもならない品格のあるコメントであった。

アメリカ人にもこういう常識派がいたとは、正直言って驚いたと同時に、中韓にこびへつらう政治屋たちの劣悪な品性を、恥ずかしく感じさせられた。

どうれ、反日新聞紙はどんなことを記事にしているか、コンビニに行って買ってくるか。

下衆たちの難くせ。

2015年08月15日 | 日記
初めから、安倍談話に四つのキーワードだとか反日マスゴミが騒ぎ出してから、私は談話など「ヤーメタ」と言って、だまって靖国神社を参拝するのが一番いいと思ってたけど、談話の後の反応があまりにも幼稚っぽくて、ありきたりで笑いながらテレビ報道を見てしまいました。

直前の害鳥・鳩の泣き顔・土下座パフォーマンスも、初めから土下座用マットが敷かれていたりして、その段取りの良さに大笑いしましたが、今回の安倍総理の談話についての報道の仕方やその難くせの付け方で、一人馬鹿笑いしちゃいました。

  

安倍総理が米国議会での演説を絶賛されたときは、カンニングペーパーを見てたとか、まるで中学生の英語スピーチだとか、そんなことくらいしかイチャモンの付けようがなかったですね。それでも、何かケチを付けられないかとネタ探しをしたようです。

   

謝り方に誠意が無いとか、誰に謝っているのかはっきり言わないとか、もう難くせの付け方が、街のチンピラレベルでした。

今日明日の報道番組でも、きっと重箱の隅っこの突付き合いが盛んでしょう。

ところで、日本が大嫌いな「売国奴」のお歴々。みなさん顔の造作が左巻きに回転し始めてきているようで、これは陽気の所為でしょうかね?



防犯防災意識を持つ。

2015年08月14日 | 日記
フィリピンに赴任した時に、日本は確かに安全な国なんだと実感したことに、彼らの防犯に対する対応を見たときでした。

田舎で良く見る雑貨屋さん、「サリサリ・ストア」。駄菓子から調味料まで小分けにした生活必需品がぶら下がっていて、タバコも1本ずつ買うことが可能です。



小さな掘っ立て小屋で、店の商品を全部合計しても多分10万円以下の価値だと思うのですが、商品や代金の受け渡しは、鉄格子の下にある小窓で行われ、後はすべて頑丈そうな鉄格子で囲ってあるのが一般的です。

雑貨屋さんがそんな具合ですから、民家も当然防犯対策は徹底しています。ブロック塀などはてっぺんにガラスの破片をセメントで固めて空き巣の侵入を防ぎ、入り口や窓は二階でも三階でも鉄格子や鉄板のシャッターで泥棒を防ぎます。



これは、フィリピンに限らず、台湾やインドネシアでも同じでした。日本でここまでやったら、珍百景だと近所の笑いものになります。

私が中学生くらいまでは、家の玄関に鍵をかけて外出するという習慣は、少なくとも我家にはありませんでした。ただ、夜だけはさすがに物騒だということだったのか、寝る前に玄関に鍵を掛けた上に、つっかい棒で念を入れました。



当然、その前に勝手場や窓の鍵の点検はやっていました。田舎はそもそも、近所付き合いが活発でしたので、昼間は相互監視ができていたこともあったのでしょうが、さすがに夜は各家庭で防犯対策を施していたんですね。



最近は、近所づきあいもほとんどなく、勤め先も夜勤があったり、休日も勤め先ごとに異なったりして、定期的な集会ですらなくなってしまい、連絡事項は回覧板を廻すのみとなっています。隣の家の家族構成などもよく把握できず、知らぬ間に住人が引っ越したかと思うと、どこかから転入してきた人が住んでいたりして、雰囲気も殺伐としてきたような気もします。

田んぼが埋め立てられて、何か電子部品の組み立て下請け工場が突然出来たかと思ったら、色の黒い女性たちが自転車に乗ってそこに通っているのを見かけ、「あの人達は、インドネシア人らしいよ。どこかのアパートに共同で住んでいるらしい・・」などという情報が伝わってきたりします。

また、週末などには鉄橋の下に南米系の人達が大勢集結して、ブロックで俄か作りのバーベキューパーティーをやったりしているのを見かけます。時には突然片言の日本語で、「ナニカ、テツクズ、ナイ? バッテリー、トカ・・」と言って家に来る男がいて、ギョッとすることがあったりします。

明らかに私が子供の頃より、田舎の風景が変わりつつあります。



我家も数年前、人の気配で自動的にスイッチが入り、あたりを一定時間照らし出す防犯灯を玄関付近に取り付けました。やはり、近年は物騒になってきたと感ずるようになったからです。

さらにある時インターネットの「ストリートビュー」というツールに、我家の住所を入力してみたら、何と我家の玄関が見れるではありませんか。これはショックでした。

子供やカミさんたちにも外出時の戸締りを徹底するように告げ、これまでほとんど無かった防犯意識に火がつきました。

考えて見れば、我家に空き巣に入ったとしても、宝石があるわけでも、現金があるわけでもないので、心配するには及ばないのでしょうが、それでも泥棒や空き巣に入られるのは気味が悪くて嫌なものだと感じます。

駐在所の警官が以前は戸別訪問をしてきて、家族構成などを教えたものですが、ここ数年はまったくご無沙汰です。これは自分で気をつけるしかないなと考えを改めました。



こじつけのようですが、今ホットな話題の安保法案に対するマスコミや野党、平和運動家たちの主張を見ていると、家に例えれば、戸締りなんてしなくてもいい、「安全、安全」と叫べば、防犯は十分。「寝る前は戸締りを点検して・・・」と言うと、「そんなことする必要ないでしょ、誰が空き巣に入るって言うの?そんな人いないですよ。」と言っているようなものに感じます。

それどころか、空き巣が入りやすいように、こっそりと窓の鍵を壊したり、お勝手場のドアの鍵をわざと掛け忘れたり、今のサッシのガラスを割れやすいガラスにこっそり交換したり、得体の知れない人物を同居人として連れ込もうとしたり・・・。

防犯防災のやり方を故意に、とことん邪魔しているような感じがするんです。台所や仏間にお札を貼っておけば災害や犯罪の心配などする必要なし、と言いたげではないか。

考えすぎでしょうか。

本屋というより、漫画屋。

2015年08月14日 | 日記
学生になってすぐのこと、東京に行く用事があったついでに、神田に行き古本屋を何件か見て歩いて、「広辞苑」を買い求めた。ずっしりと重い広辞苑は、当時の私にとっては高価な書物ではあったが、ようやくこれで大学生になったな、というわけの分からない満足感を味わった思い出がある。



神田の古本屋街をはしごして見るのは楽しいもので、それからも上京するたびに神田には立ち寄ったものだった。それほどの読書家でもないくせに、「何か掘り出し物はないかなあ・・」と見て廻るのはそれまで経験できなかった、「大人っぽい」行為だった。

地元の田舎町にも一軒の古本屋があって、数は少ないが、雑誌から文庫本までバラエティーに富んでいて、立ち読みするのもOKだった。その古本屋もいつの間にか店じまいして花屋に変身していた。

その頃だったと思うが、国道沿いにチェーン展開する古本屋がオープンした。本をお売り下さい、という看板が出ていたので、ある時小ぶりのダンボールに一杯の本を持ち込んだ事があった。本の査定をするから暫く待てというので、棚の本を眺めていると番号が呼ばれた。

合計で400円ほどだった。そんなものか・・と少し落胆させられたが、それよりもドイツ語の辞書とか、三島由紀夫の初版本が「買取できません」と言われ、驚いた。「なぜ?」と聞くと、ドイツ語の辞書は辞書の紙製ケースが茶色に変速しているから、三島由紀夫の本はページが黄ばんでいるからだ、ということだった。



今日、久しぶりに前を通りかかったので、何か面白そうな新書でもあったら飼おうかと思って立ち寄ってみた。「いらっしゃいませこんにちわ」という元気がいい挨拶、というより、騒々しくて投げやりな挨拶に迎えられて店内に入ったところ、ひんやりした冷気がたまらなく気持ちよかった。

前回来たのはいつのことだろう。店内の雰囲気がガラっと変わっていて、3分の2くらいは漫画が占めている様だった。新書の棚を探したのだがどうも見当たらない。文庫本は簡単に見つかったが、新書がない。

店員にきいたところ、並べ方をジャンル別にしたので、単行本と新書が混ざっているということだった。見ると、「経済」とか「健康」とか「資格」とか様々なジャンルに棚が区切られている。そして、間に挟まれるように新書も棚にあった。

しかし、これが便利なようで便利ではない。私は特にジャンルを決めてきたわけではない。値段が手頃で、バラエティーに富んだ新書を買い求めにきたわけだ。すべてのジャンルの棚を一通り見て廻ろうかとも考えたが、面倒なので帰ってきた。

この手のチェーン店がオープンすると、近隣の書店の万引き被害が急増すると言われたことがあったが、それはこの手の店が新古書といって、見た目が新しいほど高く買い取るからだった。本の希少価値とか書かれている中身ではなく、もちろん売れ筋の、しかも新しい本を高く買胃取るという方針で成長してきた店だからであった。

しかし、通常の書店にしろこの手の新古書販売店にしろ、漫画、漫画で満ちているようでは、これが世界に発信できる日本文化だ、などと喜んではいられない状況だと不安になる。

朴李化する日本(再考)

2015年08月14日 | 日記
東京五輪のロゴ朴李(パクリ)疑惑の渦中にある佐野研二郎氏の手がけた過去の作品が、やはり朴李(パクリ)ではないかと、大騒ぎになっていて、結局そのデザインを販売促進の商品に使っていた、サントリーが30種類の中で、まず8種類を取り下げる、と発表したそうだ。

そのデザインは、ノンアルコール飲料の販売促進キャンペーン商品である、トートバッグに使われていたそうだ。



当初は30種類の「佐野研二郎デザイン」トートバッグ・・・という威勢のいいキャンペーンだったが、とんだケチが付いてしまい、サントリーもここに来て、渋々対応した感じである。被害者といえば被害者だろうが、対応は随分のんびりしていた。




当の佐野氏側は、「ネット上などにおいて、著作権に関する問題があるのではないかとい指摘が出ている・・」ので、「・・現在、専門家を交えて事実関係などの調査・検討を開始している」と説明しているそうだ。




まあ、有体に言えば、言い訳できそうも無い8点は、こちらからサントリーに取り下げ依頼しておいて、他のデザインはどうやって言い逃れしようか・・と検討中ということだろう。

サントリー側も、「こっちから取り下げるとなると、後々こちらが非難の対象となる可能性もあるから、佐野氏の側から取り下げてくれと言って来たのでそれを了承した、という形にしようか・・」という打算が働いているのだろう。

佐野氏側は、あくまでも佐野氏は監修する立場であった、(佐野氏本人がパクッたワケではない・・)と言っているようだが、そんなことを言うこと自体がもう胡散臭さがプンプン漂ってくる。

おりしも、下の写真が同じ朝刊に掲載されていて、何だと思ったらインド出身の現代彫刻家アニッシュ・カプーア氏の「クラウド・ゲート(雲への扉)」というタイトルのオブジェだそうで、アメリカ、シカゴのミレニアム・パークにあるステンレス製の高さ10m幅20mもある大きなものだ。



水銀から着想されたデザインで、その豆のような形から「ザ・ビーン」という愛称で親しまれているそうだ。

そして、下が支那、新疆ウイグル自治区のカラマイ市にある今月公開予定の「巨大な石油の泡」をモチーフにしたステンレス製オブジェだそうだ。

本家のカプーア氏側は、「盗作」であるとして、中国人彫刻家を訴える意向を表明したそうだが、中国側は恬として恥じるどころか、「素材は似ていても、形状と意味合いは異なる。・・・盗作ではない。」と主張しているらしい。



そっちは水銀だろ?こっちは石油だ!とでも言いたいのだろうが、見たところ朴李(パクリ)そのものではないか。

先日もこのブログで話題にしたが、こういう場合、我々はこれまで、支那・朝鮮の連中だから・・無理もないよな、ああいう連中じゃあなあ・・と、嘲笑の対象にしてきた。今回のオブジェについても同じである。まったく、「笑って呆れる」話題であるが、このところ、日本にも似たような事象が起き始めて来ている。

やはり、この国は「朴李化」しているのだろうか・・?

常識を疑う志摩市の海女キャラ。

2015年08月14日 | 日記
志摩市といえば、確かサミット開催が決った処ではなかったか?世界の首脳に伴って報道関係者がワンサカ集まってきて、協議内容だけでなく周辺の情報を世界中に発信することになるだろう。

そんな折も折、三重県志摩市が観光PRのために公認した海女キャラクターの写真が今朝の朝刊に掲載されていた。「碧志摩(あおしま)メグ」というそうだ。



朝食の途中でみた記事だったが、これを見た途端不愉快になって食事を続ける気にはならなかった。こういう絵を好む人がいるのは仕方ないことだが、これを伝統ある海女文化のPRに使おうと決定した人達の常識を疑ってしまう。

私は、今流行っている、少女集団がパンツを見せながら舞台を飛び跳ねたり、下着だか水着だか分からないような衣装を着て、科(しな)を作って男に媚びるような演舞をする文化をとても「健全」だとは思わない。

禁止せよなどというつもりは無いが、長いこと「なんとも嘆かわしい」と感じている。

何かというと、経済効果がどうのこうのと騒ぎ立てるが、「少女」を使った金儲けが賞賛される世になったのかと思うと、絶対にああいう文化は誇れるものではないと思う。

今回の志摩市の海女キャラクターは、明らかにこういう風潮の延長線上にある。

幸い、常識ある現役の海女や市民たちが、「性的な部分を過剰に強調していて不快だ」と、公認撤回を求めているそうだが、提出した署名の数がわずか309人分だというから志摩市の人口53,000人からすれば心細い限りだ。

微力ながら、私は即刻志摩市ホームページを検索して、撤回要求の抗議メールを送信したところだ。

杞憂であればいいが、いわれなき「従軍慰安婦」の次は、こういった日本の「少女ポルノ」文化が標的になるのではないかと懸念される。