孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

原爆犠牲者の霊を慰めた?

2015年08月11日 | 日記
今朝の朝刊は随分薄っぺらだなあと思いながら、パラパラめくっていて、ハタと手が止まって目に飛び込んできたのが「慰霊にそぐわぬ政治色だ」という見出しだった。

8月10日の式典での長崎市長が読み上げた「平和宣言」は、偶然私もテレビで見ていて、三日前の広島の「平和宣言」同様、こういう宣言を読み上げることにそれほどの意味があるものなのか、と腐敗臭のする違和感を感じた程度だった。



朝刊の「主張」というコラムに掲載された長崎平和宣言は、手短にまとめれば、「原爆犠牲者らの悼(いた)み、平和を祈る場であるはずなのに、目下論争中の政治課題を取り上げ、一方的な主張を入れたのが残念だ。」ということだった。

具体的には、現在参院で審議中の安保関連法案のことを、田上市長は「憲法の平和の理念が今揺らいでいるという懸念と不安が広がっている・・。」と反政府デモ参加者側に立った言い方を読み上げていた。

この平和宣言の文案は、そもそも被爆者を交えて、学者やマスコミ関係者、平和運動家らでなる起草委員会の議論を経て、長崎市が作成するのだそうだが、そういうことならば当然あんな文に行き着くのだろう。



最終的には田上市長が確認した上で完成する「平和宣言」だが、安全保障関連法案を憲法の平和の理念が揺らぐようなもの」と言ってしまうのは極めて政治色が強く、ここは遠慮をする配慮が必要だったのではないかと、私も新聞の「主張」にまったく同感する。



核を廃絶すれば、平和は維持できるとどんなに大声で叫んでも、いっこうにその気配がないどころか、もう自国の庭先まで安全を脅かす脅威が迫ってきているというのに、その現実には一言も触れずに、(あの市長、元アナウンサーだったんでしょうか)実に滑舌よく、「戦争体験者の話を聞け」「核廃絶の署名をしろ」「原爆展を見よ」と、若者たちに向って訴えていました。

「ピース・フロム・ナガサキ」といういかにもお花畑の住人たちが拍手して喜びそうなキャッチフレーズで締めくくった「平和宣言」でしたが、今ネットで全文を読み返してみても、独特な臭いがして、どうも違和感は払拭できません。



以前、九州旅行をした際も長崎原爆資料館にも行きたかったのですが、広島同様、どうもこういう場所は、「戦争反対」「安倍は帰れ」というプラカードを持った連中の聖地のような印象が強く、行くのを止めました。私の場合、この感覚は前より強くなんているようです。



同じように、沖縄も一度訪れてみたいと思っている所ですが、その気持ちは以前と比べて益々ゼロに近づいていきます。理由は、同じように、いわゆる左翼の平和運動家達がうようよ出没するような場所で、間違ったイメージなのでしょうが、もう日本人離れしてしまった人達が牛耳る観光地になったようで、このままでは恐らく一生行かず終いになることでしょう。