孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

富士は眺めるもの

2016年04月30日 | 趣味の世界
早朝、昨日植えたキュウリ、ナス、オクラに水遣りをしようと外に出たら、地面が濡れていた。気がつかなかったが、昨夜はかなり雨が降ったようで、夏野菜への水遣りはしなくてもよかった。

 甘夏の真白な花

玄関のドアを開けて2~3歩いたら、ぷ~んと嗅覚を刺激した香りが・・・。

それは庭に植えてある夏みかんの花の香りだった。


 酸っぱくない甘夏

今年は裏年らしく、去年ほど実を付けなかったようだが、この甘夏の味は格別だ。しかし、花の香りがこれほど強烈で、しかも心地いいものだとはこの歳になるまで知らなかった。

今日は天気が良さそうなので、これまで行こう行こうと思っていたが行けずにいた、薩埵峠(さったとうげ)に出掛けることにした。

運がよければ富士山が駿河湾越しに見える絶景を味わえる。運がよければ。

国道のバイパスだから制限速度は60km/h だと思うのだが、車の流れはもっと速い。70km/h 以上で走行しないと流れに乗らなかった。約1時間ほどで峠近くの駐車場に到着した。連休中にしては渋滞せずに来れたのは意外だった。



狭い駐車場だったが運良く一台分空いたのでほとんど待たずに駐車できた。車を降りてすぐに富士山の方向に目をやると、頂上付近が雲の間からかすかに見えたので、すぐにシャッターを押した。



峠の小さな展望台まで歩いて数分ということなので、歩いているうちに運がよければ雲が晴れて富士山の全貌が現れるかもしれない、と期待しながら旧東海道であるハイキングコースに向った。





若いカップルの会話がすれ違い様に聞こえた。

「ねぇ、昔の人はホントにこの狭い道を歩いて旅したのかなぁ・・・。」

私も同じ疑問を抱いていたのだが、そんなことよりも私はすでに時空を飛び越えて、忠臣蔵の武士達が殿中で起きた内匠頭刃傷沙汰やその後の切腹などを、早籠を飛ばして赤穂に知らせるためにこの薩埵峠(さったとうげ)を超えている光景を夢想していたのだった。



展望台には絶景を期待したハイカー達が集まっていたが、みんな口々に富士山が全く見えないことを愚痴っていた。



それもそのはず、ほんのちょっと前には少し見えた富士山の頂上すらも雲に隠れて全く見えなかったのだ。

富士山は日本で一番高い独立峰のため、雲が発生しやすく、天気はめまぐるしく変化している。

以前、富士山の五合目で外国人相手の登山指導のアルバイトをやった事があるが、標高2400mの五合目にいても、頂上が見えることは稀であった。

地方空港としては珍しく利用客が増えている「富士山静岡空港」は、立地としては富士山の絶景が眺められる場所にあるのだが、肝心の富士山はなかなか顔を出さないことで有名である。

絵葉書などであまりにも有名な、左手に崖、緩やかにカーブする高速道路を挟んで右手に駿河湾、そして遠くにはエレガントな稜線を伴った富士山の絶景は、運がよくないと拝めない。それはこんな絶景なのである。



遠くから見るだけではつまらない、と言って富士山を登ろうとすればこの絶景を味わうことは絶対に出来ない。そこは無味乾燥なただの高い山でしかない。

反日「高齢」サヨク

2016年04月29日 | 社会観察
先日の北海道5区補欠選挙の投票結果を分析すると、60代を除いて、20~50代はすべて自民党候補者が野党連合の候補者を上回っていたようである。

私はこの結果を知ってもまったく驚かなかった。「孫を戦場に送らせない」などと口では言うようだが、それが見え透いた口実であることはすぐ想像できる。

推測だが、もう少し細かく分析すれば、60代といっても恐らく60代後半の66~69歳が主流だったのではないか。

つまり、いわゆる第一次ベビーブーム(1947年~1949年)に生まれた『団塊』である。私も60代に突入しているのだが、自分はこの『団塊』の老人たちとはまったく異なる範疇に入ると感じている。

中学生の頃、テレビではよく大学生達のデモや機動隊との小競り合いを報道していた。そして、それは私の住む田舎町の高校にまで飛び火してきていたようで、私が高校に入学した当時は、校舎の隅っこに独特の文字で書かれた「立て看板」(タテカン)が積まれていたのを見た記憶がある。



そして三年後に大学入学したときは、全国的にはほとんど学生運動が沈静化していたはずなのに、私の選んだ駅弁大学は、当時の社会党が明治大学を拠点として作り上げた学生組織、全国反帝学生評議会連合(略して、反帝学評)の巣であった。



大学生になりたての私は、正門で真っ黒なヘルメットと白いタオルで顔のほとんどを隠してビラ配りをしたり、タテカンの前で拡声器のマイクを両手で握り締めて、「我々ワー・・」と独特な抑揚で扇動演説をしていたのを横目で見て通り過ぎたものだった。



最初はどういう連中が加わっているのか疑問であったが、時間が経つにつれて、彼らもほどほどに大学の講義には出席して単位を取得し、そのシーズンになれば髪を切りスーツを着て、地元の県庁や町役場の職員や中学校の教員になったりして社会にまぎれていくことを知った。

『団塊』の世代の人たちの多くは、ああいう学生運動に身を投じたり、そうでなくとも周りで起きた現実を体験しているため、私の世代がああいう現象に抱く感情とは少し異なる、「シンパシー」を抱くのではないかと思う。





昨年の安保法案に反対する共産党に操られた若者たちのデモを見て集まった「団塊」の世代の高齢者達は少なからずいたのではなかろうか。





また、あの若者達のデモを見ていて面白いと思ったのは、掲げるプラカードの多くが英語で書かれている点であった。

多分、若者達はそれが「かっこいい」と思ってやっているだけなのだろうが、「団塊」の高齢者達の多くがかなり強い「英語コンプレックス」を抱きながらも、やたらとカタカナ言葉を使うことが大好きなので、彼らには共通点があるようだ、と私は思っていた。

意味なく英語を使いたがる、という共通項の他に、もう一つ共通項として、簡単に「集(たか)りたがる」習性がある。蟻のようにすぐ集るのだ。

私の住む田舎町の里山につながる道路を、ゾロゾロと高齢者の一団が蟻の行列の如くハイキングしている光景がよく見受けられる。

JRか何かの募集に参加した集団らしいが、全員膨らんだナップサックを背負って、夫婦で並んで歩いている。総勢5~60名はいて、大して広くもない田舎道を並んで歩かれると、結構自動車の通行の妨げにもなるものだと、以前から鬱陶しかった。

河川敷に毎日集まってグランドゴルフに興ずる高齢者達を見ても、ハイキングの行列を見ても、私は自分の姿を彼らに投影することに、強い拒否感を覚えるのである。

それは、選挙の時の彼らの行動についても同じことだが。

安倍政権憎し、自称ジャーナリストたち

2016年04月28日 | マスゴミ関連
自分達に都合が悪いことは見ようとせず、ただ政権批判をするのがジャーナリストの使命だと勘違いしている、自称ジャーナリストがウジャウジャ目立ち始めてきた気がする。

 自称ジャーナリストのみなさん

彼らは、リベラルとか護憲派とか、平和主義者などと呼ばれているが、別の言葉をあてるとしたら、母国のことより他国のことを最優先で考え、母国を売り渡すことも抵抗がない「売国奴」ということになろうか。

 共産党機関紙より

安倍政権に打撃を与えるのが大目標だ、と公言して憚らないこの自称ジャーナリストは、先日の北海道、5区の補欠選挙でも候補者の後ろに立って、お決まりの反安倍ぶりをアピールしていた。

 左後ろには、共産党の使者

憲法九条守れ、を連呼したり、「戦争が始る」とか騒ぎ立てて人心を撹乱しようとする自称ジャーナリスト達は、「報道の自由」をしきりに訴える割に、それはどちらかと言えば、「都合の悪いことは、報道しない」自由を謳歌しているように見えてならない。

 支那の南沙諸島軍事施設

テレビ局の庇護の下、庭先でキャンキャン吼えるスピッツにも似たチョビヒゲの御仁も、自分がマスコミの正義だと言わんばかりに、公共のテレビ電波を使って印象操作に熱心である。

 番組を降板させられた!

北海道の補欠選挙で惜敗した候補の敗戦の弁は、「権力に負けた」だったそうだ。しかし、あれだけ騒々しい女性達が応援していた割には、予想以上に善戦したんじゃないでしょうか?



どれもこれも、見たくもない女性議員で、これでは良識ある選挙民なら一目見ただけで腰が引けるわ・・と思ったのに、わずか一万票差とは、惜しかったですよ。


ところで、「平和と安心」は繰り返し唱えることで達成できるものですか?

進行する移民政策

2016年04月28日 | 政治ネタ
4月は新入社員が入ってきたりして、気分が一新されるのだが、私の職場は未だに新人は配属されてこない。恐らく、目下現場実習中なのだろう。新人が加われば、私が一人で上げてしまった職場の平均年齢がグンと下がることになると思う。

テレビは最近めっきり見なくなったが、番組改編もこの時期によく行われるのだが、どうせどれも似たようなお笑い芸人主体の、バラエティー番組ばかりになることだろう。

テレビよりよく観るようになった動画サイトYoutube のお気に入り番組も、4月から大きく改編になった。コラムニストの高山正之さんも定期的に出演するようなので、楽しみである。 

チャンネル桜の時事番組も「Front Japan」とタイトルを変えて、キャスターも一新してスタートしていた。夕べ観たら、最近気になる関岡英之氏がパンチの利いた浅野久美さんとコンビを組んで、時事解説をやっていた。関岡氏の分析は聞くたびに感心してしまう。



テーマは悪夢の民主党政権の終りの方から始った「移民」政策のことだった。2012年の野田政権のとき、「高度人材ポイント制度」という、技術者や研究者という『高度人材』ならば5年在留すれば永住許可を与えよう。それに当事者だけでなく、家族も連れてきて良し。両親も、何なら家政婦も連れてきて良し、という内容だった。



悪夢の民主党政権が終わり、安倍政権に変わってからもこの時流は変わるどころか、益々お手盛りが加わって行き、「高度専門職」制度が 2015年に施行された。高学歴の専門知識を有していれば、3年以上無制限に在留可能になる制度である。

安倍総理が移民政策ではないといくら否定しても、「これを移民と言わずしてなんと言うか。」と関岡氏は咎める。さらに、もっと酷いことが自民党内で進行中だと関岡氏が解説してくれた。

それが、来年の法改正を目論んでいる、「高度外国人グリーンカード」制度だそうだ。何と在留期間が3年で永住許可を得ることが出来るそうで、これは世界で最短なのだそうだ。これを報じた新聞は今のところ産経新聞だけだそうだ。



高学歴の技術者とか研究者とかいう「専門職」の外国人というと、欧米の先進国の白人をイメージしてしまいがちだが、在留外国人数は現実的にどう推移してきたかを自ら法務省のデータをグラフ化して示してくれていた。



在留外国人数というと、支那人と朝鮮半島人がトップであろうとは想像できたが、その数字の変化をグラフで見ると、支那人の伸びが激烈で、2007年あたりで支那人がトップとなりその後も増え続けている。一方朝鮮系、ブラジル人リーマンショックの影響か、減少トレンドを示している。



民主党政権に始った「高度人材」優遇制度の影響は驚くほど顕著で、しかもその爆発的増加は支那人にあからさまに影響している。『事実上支那人のための制度』であると呼ばれる所以である。



関岡氏は最近注目の保守系論客で、討論会などでも鋭い切り口で目立った存在となっている。自ら安倍総理を応援していると公言しているが、悪夢の民主党政権から政権を取り返した後の「移民政策」には到底賛成しかねると、憤慨していた。



実際に、関岡氏が言っていたので私も法務省のホームページを覗いてみたが、「高度人材」とは世界中から・・という印象のイラストがタイトルの後に掲載されているが、実態とかけ離れている現実は免れない。

世界中から「高度人材」を!



明らかな移民政策に声を出して異を唱えないと、大変なことになりそうだ。

今から丁度8年前、長野で何が起きたか思い出してみよう。その年の北京五輪の聖火リレーのとき、長野で何が起きただろうか。

支那共産党によりチベットで虐殺事件が起きていた。支那製のギョーザに農薬が混入されていて、日本人10人が中毒を起こして死にそうになった事件が起きていた。







長野市に4000人の在留支那人たちが動員され、騒乱を起こし当地は異様な事態になっていた。(マスコミは大して報道しなかったが・・。)

支那共産党は2010年7月に、「中国国家動員法」を施行している。

・ 中国国内で有事が発生した際に、全国人民代表大会常務委員会の決定の下、動員令が発令され、国務院、中央軍事委員会が動員工作を指導する。

・ 国防義務の対象者は、18歳から60歳の男性と18歳から55歳の女性で、中国国外に住む中国人も対象となる。

これを考えると、現在およそ80万人の支那人が在留している現実は、「脅威」ではなかろうか。

TV司会者、被災地に冷やかしに行く

2016年04月25日 | テレビ・ラジオ
東京のテレビ局の報道番組の司会者が、わざわざ熊本の被災地に出かけて崩壊した家々を廻る必要性が、一体あるのだろうか?



当然、テレビ局から何人ものスタッフを引き連れて行くわけで、その数と機材は少なくないはずだ。先週は自動車の助手席に乗った司会者が、熊本の被災地に近づくにつれて、「ご覧のように、次第に道路は渋滞になってきました。」などと実況中継していたのには呆れ果てた。

避難所を訪れて、被災者の老女の前で膝をつき、見え透いたお見舞いの言葉を投げかけていたが、きっと自分が総理や天皇陛下にでもなったつもりでいるのではないかと思った。

そのメイン司会者が東京に戻ってきたと思ったら、入れ替わりに女性アシスタントが熊本に行き、ヘルメットをかぶって倒壊した家に近づいて、「一階がめちゃめちゃに倒壊している。」とか、ブロック塀が倒れている、とか見れば分かることを一々言葉にしていた。

こういった記者を被災した自宅に招きいれて、説明する被災者がいるが、そういう場面を観るたびに、私は自分ならまずやらないだろうなと思う。



テレビ局各社がこんな調子でレポーターと称する野次馬を送り込み、その他新聞社各社も同じ事を考え、より悲惨な映像、よりかわいそうな被災者の実態を伝えようと競い合っているように見える。

そんなレポーター達に一言文句を言いたくなる人はいないのだろうかと思っていたら、やはりいたようだ。

野次馬は時として消火活動の妨げになるそうだから、火事場だけではなく地震の被災地とて同じだろう。

倒壊した建物から聴こえるかもしれない被災者のかすかな声に耳を澄ませていると、上空をテレビ局のヘリコプターが旋回して、まったく聴こえなくなるそうだ。

偉そうな顔をして、冷やかしレポートするくらいなら被災地に出向くのは遠慮すべきである。

歴史戦最前線、「偏向報道の主犯者たち」

2016年04月24日 | マスゴミ関連
国連を舞台に歴史戦が繰り広げられているが、その実態はなかなか伝えられず、特に一般の国民は事態が深刻にならないと何が深刻なのかも理解できない状況である。

今更言うまでもないだろうが、国連とは英語で United Nations 、つまり Axis Powers に対する第二次大戦時の言葉で、それぞれ「連合国」「枢軸国」と訳される。日本語ではあえてUnited Nations を「国際連合」という呼び方をするが、英語では当時のままである。戦勝国連合ということも出来る・

しかも、国連憲章の53条には、第二次世界大戦で枢軸国側に立った国(特にドイツと日本)が侵略行動を行った場合には、安全保障理事会の議決に基づかずに強制行動がとれるという規定があり、また107条では旧敵国に対する行動については国連憲章に拘束されないという規定が依然として存在している。

つまり、日本やドイツは今でも連合国=United Nations(国連)の敵国扱いとなっているという事実を日本の国民はあまり認識していない。

それどころか、国連というと、何か平和を維持する中立的な正義の組織のように誤解しているフシがあって、国連の専門機関のひとつ、ユネスコの世界遺産登録などというと、日本人はオシッコを漏らしそうなくらい大喜びしてしまうようだ。

まあ、フランスのタイヤメーカーが、星の数でレストランをランク付けしているようなものだと思えば分かりやすいだろうが、そんなものに一喜一憂しない姿勢がどれほど重要なことかを、我々は心に刻むべきではないかといつも思う。

その偏見に満ち満ちた国連からの要請で、日本に行って「意見及び表現の自由」の調査をしに来たのが、特別報告者ディビッド・ケイ氏というアメリカの大学教授で、日本の実態を『調査』した後、悪名高き外国人特派員協会で記者会見をして帰国したようだ。



外国人特派員協会とは、日本を貶める目的を持った特派員の集まりで、いわゆる反日文化人を招いては、その御託に聞き入ったり、最近では反日マスゴミを代表する、自称ジャーナリストを招いて、好き勝手に喋らせたりさせていた。



極左活動家・デイビッド・マクニール

自称ジャーナリストたちとは、TBSや朝日系列のお抱えのコメンテーターどもで、偏向報道を屁とも思わない連中である。



それを仕切るのは、例によってディビッド・マクニールという極左活動家であった。



今回来日したのが、ディビッド・ケイ氏で、会見を仕切るのがディビッド・マクニール氏。このところ、ショーン・Kだとかディビット・ケイだとかディビッド・マクニールだとか、似たような名前が飛び交って紛らわし要ったらありゃしない。

Youtube でディビッド・ケイ氏の会見を拝見できたのでサラッと観た。どうも来日してから、自称ジャーナリスト達の御託をいろいろ聞いてから、日本の外務省やら文科省やらで調査したようだ。



もともと、このケイ氏は米国カリフォルニアの大学にお勤めの「人権専門家」のようで、独自でいろいろ日本の現状は調べていた様子だが、会見を聞く限り、発言の端々に、かなり在米韓国人や、反日左翼団体の御注進火付け情報に染められていることが読み取れた。



『日本の教科書には慰安婦の議論がなされていないと聞いたので、文科省に聞いたところ、やはり慰安婦の記述は足りないと思った。』とか、『日本の教科書には政治的影響力が及んでいると感じた。慰安婦は、恥ずべき歴史である。この歴史を事実として、しっかりと教科書に記述すべきで、政治的影響力を及ぼすべきでないと思う。』などなど。

こういう事実を捻じ曲げることを何とも思わない輩が幅を利かせているから、カリフォルニア州にはあのおぞましい慰安婦像が建てられるわけだ。

最後の質疑応答のところは観ていて笑ってしまう。

あの新聞とは到底呼べない極左反日団体のビラ、琉球新報の自称記者が、焚き付けていた。「沖縄の市民運動への弾圧があります。沖縄の新聞2紙への弾圧もあります。」と。



平和団体だか人権団体だかの女性がギャアギャア取り止めもないことを叫んでいた。このオバサンどういうお方かとググって見たら、自分は看護士だ看護士だと強調していたが、実は極左半日NGOの事務局長らしく、昨年は東京の台東区の区長選挙に無所属で立候補して、1,339票で落選していた。(当選者得票数25,559)



 (垣内つね子 57歳 人権NGO事務局長)


終わりごろになって、夕刊フジの記者だという方が、強烈な皮肉を込めた質問をしていたのが面白かった。

 夕刊フジの藤田記者

曰く、「私の友人にケント・ギルバートという日本に40年滞在しているアメリカ人がいるが、彼は日本はアメリカよりも報道の自由があると言っている。どう思うか。」

ケイ氏の答えは、「私はどの国と比べるという調査で来た訳ではないので、その質問には回答できない。」というものだった。あれだけベラベラ喋っていた人が、分が悪いとなると何も反論できないのには苦笑してしまった。

朝日新聞は、2年前慰安婦に関する誤報の謝罪会見をしたのだが、その後もネットでは英語版で何の反省もせず、相変わらずの誤報を垂れ流し続けているという。そして、国連を舞台に反日左翼集団が、相変わらず日本を貶める活動を展開しているという。

保守派の有志達も反論を続けているようだが、今ひとつの情勢のようだ。何より事実に基く真っ当な主張に労を惜しんではならない。また、的確な情報発信をして、もう少し日本の国民に実態を知らしめる努力を怠ってはならないと感ずる。

武器の音はしないが、これはれっきとした歴史戦である。

日本ブランド、信用失墜!

2016年04月23日 | 社会観察
三菱自動車はまったくトンでもない事をしでかしてしまった。社長がテレビカメラに向って頭を下げたくらいで済む話ではない。社長は坦々と次のように語ったそうだ。

『当社の「eKワゴン」、日産自動車向けに供給した「デイズ」など軽自動車4車種で燃費を実際より良く見せる不正を行っていました・・

・・国土交通省に提出した燃費試験データについて、燃費を実際よりも良く見せるために、不正な操作が行われていたことが判明しました。国内法規で定められたものと異なる試験方法が採られていたことも判明しました。』



ついこの間、我々はドイツのヴォルクスワーゲン社の排ガス誤魔化し方をあざ笑ったばかりであった。同時にその検知に貢献した京都の計測器メーカー、堀場製作所を誇りに感じたものだった。

ところが、三菱自動車はあのドイツの自動車メーカーと似たような誤魔化しをしていたのだから、まったく開いた口の顎が外れそうである。



しかも、三菱自動車には二度の前科がある。三度目となると、これはもう何がどう悪いとか言う問題ではなく、ちょっとやそっとでは改善できない「体質」であるといっていいだろう。



会社には知らず知らずのうちに出来上がる独特の『社風』がある。主に創業当時の経営者の経営思想や性格を幹部を始めとする社員達が肌で感じ取り、意に沿うように活動していく結果醸成されるもので、これが固まってくると、軌道修正することは簡単なことではない。

創業者が会長になり、社長の座を後継者に譲ったところで、引き継いだ社長は体感した成功体験を礎に社員を引っ張ろうとするから、会社の体質はなかなか変わるものではないのである。

三菱自動車が分社する前の母体であった会社は、以前勤めていた会社の取引先であった関係で何度か訪問したことがあった。

同僚からは、財閥系の会社は何となく社員の態度が高飛車なところがあるから・・・と忠告されて、中に入っていた商社の営業マンに同伴してもらい訪問した。

事前に相手先の都合のいい時間をうかがってアポイントを取り、約束の時間より10分ほど早めに到着したのだが、担当者は打ち合わせ中とかで、何と1時間半ほど待合室で待たされた経験がある。

しかも、遅れてやってきた担当者は何事もなかったかのように振る舞い、いくら大切な顧客といえども、「なんとも、呆れた会社だな・・」と痛感したものだった。

ちょっと前、雪印グループの関連会社でも不祥事が相次いだことがあったのは記憶に新しい。あの時は、牛肉の偽装で雪印食品という会社は解散・消滅する結果となった。



謝罪会見は見飽きた光景だが、あの時も同じようにあった。



実際、三菱自動車は、この国に必要な会社であろうか?そう考えさせられる後味の悪い偽装事件である。


時期を同じくして、これまた信じられない事故が起きた。



新名神高速道路の有馬川橋の建設中の橋げたが落下したという、ちょっと信じられない事故である。

これだけ大掛かりな工事を請け負う会社は、それなりの信用と実績のある建設会社なのだろうと思ったら、三井住友建設㈱と㈱横川ブリッジのJV(ジョイントベンチャー)だそうだ。

確か横浜の傾いたマンションも三井住友建設㈱であったと思うが、三菱・三井・住友といった旧財閥系の大会社は、このところ災難続きである。

しばらくは、南朝鮮の専売特許であった稚拙な建設技術や嘘つき体質をあざ笑うことは出来なくなったではないか。

日本ブランドの信用を貶めた両社の罪は、橋梁の落下とは比較にならない位大きく、取り返しのきかないものであることと認識すべきではなかろうか。

選挙公約も公募で!?

2016年04月23日 | 政治ネタ
ガソリンプリカで早速お得意のブーメランの洗礼を受けたと思ったら、熊本の地震で国民の耳目は九州に釘付けとなった。

当の民維新党の女性議員はホッと胸を撫で下ろして、これからは「なまず」をご自分のマスコットキャラにする意向だとかいう噂が・・・。

熊本の地震以上に、聞いて見て、ひっくり返りそうになったのが公募大好きの、彼の政党のニュースだった。

何と、自分達の党名が決められないばかりか、選挙公約まで公募で決めよう考えているらしい。



以下、ネットのニュース報道より抜粋。

『民維新党は21日、夏の参院選の政権公約(マニフェスト)の一部を公募する方向で検討に入った。同日の執行役員会で公募を求める提案があった。公約を国民にアピールする狙いだ。』




どうせ、自分達で選挙公約を決めたところで、前回のように画用紙に餅の絵を描くようなもので、食えたものではないことは、国民も十分分かったのだが、それにしても「公募」とは、随分捨て鉢になったものではないか・・・。




 『マニフェスト企画委員会委員長を務める長妻昭代表代行は21日の記者会見で、公約の公募に関し「まだ、かちっとした計画ではない」と説明。夏に改選を迎える郡司彰参院議員会長は会見で「これまでの政策の積み重ねもある。具体的な形にならないとイメージがわかない」と述べた。』

一応新党だと言いたいようだが、新鮮味の全くない、土素人集団であることには変わりがない。

この頃は、週刊誌のネタを国会で取り上げては、得意になっているだけの、ワイドショーコメンテーターレベルの「自称国会議員」ばかりだが、大手マスゴミが系列の新聞・テレビ・週刊誌を使って反政府運動を煽り立てているだけに、それになびいてしまうオッチョコチョイな国民がいるから心配である。



 『3月に発足した民維新党は新しい党名を決める際、党名案を募集した上で旧民主党、旧維新の党がそれぞれ選んだ案を世論調査で決めた。党のロゴマークも公募による選考を進めており、5月中旬に決める予定だ。』

党名も政策も自分達では決められない連中は、もはや政治家とは呼べないのではないだろうか。

みなさん、キムチ好きが多いせいで、コウボ(酵母)がお気に入りなのでしょうか?

私はとても付き合っていられません。

香港、「ペスト管理会社」と聞いて・・

2016年04月21日 | 外国ネタ
今日、海外からの不具合報告を簡単に和訳してくれと、A4 3枚ほどの文書を渡されたので、サラッと目を通して、大意を箇条書きに書いて依頼者に返した。

香港の自動車ディーラーからのクレーム報告書で、どこがどういう不具合で、検査員がこことここを調べたが解決しなかったので、部品を交換して対応した。不具合現品を送るので詳しい調査をして欲しい、という内容だった。

車種はいわゆる6人乗りのバンで、Pest Control Company (ペスト管理会社)の社用車だと書かれていた。

ペストとは、いわゆる「黒死病」という別名の伝染病のことだが、英語の pest は、有害生物といった意味もあり、Pest Control Company とは、「害虫駆除の会社」のことだろう。

これがきっかけで、仕事中にもかかわらず、私はしばし時空を超えて明治の化学者の偉業のことを思い始めたのだった。



黒死病は、ヨーロッパで流行するたびに大量の死者を出した恐ろしい伝染病で、14世紀にヨーロッパで大流行した際は、全人口の3分の1というから、恐らく数千万人が病死したという。



この伝染病は、その後16世紀にスペイン・ポルトガルなどがラテンアメリカを侵略した際に持ち込まれ、インディオの絶滅の一因にもなったことは周知のことだ。



19世紀アジアでも流行して、香港はその中心地であった。

1894年、明治27年5月に時の明治政府の命によって香港に渡った北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)は、到着後まもなくペスト菌を発見した。



当時の北里は、恐怖のペストという病が、病原菌が分かっている既知の伝染病と似た点がないかを調べ、検査の結果それが炭疽(そ)症に近いと判断して、病原菌の特定に力を注いだ結果であった。

そのころの香港でペストがもっとも多く発生していた地区では、患者のいない家庭はないほどだった。香港政庁は該当する約一二、〇〇〇坪を封鎖し、区域内の患者と住人を強制退去させたのち、家屋を取り壊し、家具を焼きはらった。それしか対処の方法が見出せなかったそうだ。

北里は、病原菌の伝染媒体がネズミであることを突き止め、感染経路を香港政府に進言し、家屋の消毒と菌を運ぶクマネズミの駆除を徹底させた、ペストを終息に導いたのだった。

このあたりの裏話は、コラムニスト高山正之氏がコラムに書いていたが、北里の偉業は、後の「発見者論争」につながり、手柄は白人に横取りされてしまう。

当時の日本の国力から、北里のようなケースは他にも多数あるが、知れば知るほどくやしさよりも日本人の「すごさ」を再認識することになる。

香港に今も「ペスト管理会社」があるからといって、今でもクマネズミがウジャウジャいるようなことはないのだろうが、ペストの怖さを体験しているだけに、住民の需要は大きいのかもしれない。


災害募金詐欺・日本協賛党

2016年04月19日 | 政治ネタ
私がフィリピンに赴任したのは、ピナツボ火山が噴火した後で、付近の広大な農地は見渡す限り火山灰に覆われていて、ところどころに住家の屋根らしき突起が見えていたのを覚えている。

工場のある輸出加工区は、マニラ市内から車で3時間以上かかり、途中には大きな川があって、かろうじて橋は落ちずに残っていた。

橋の欄干には子供たちが10人以上座っていて、そこを通行する車に向って手を差し出し物乞いをしていた。前を行く自動車の助手席の窓が開いて、腕が出たかと思ったら、パァッと何かを撒いたように見えた。

ドライバーに聞いたら、「今、小銭をばら撒いたのさ・・。」と笑って教えてくれた。半分くらいは橋の下を流れる川に落ちていったが、それらをめがけて子供たちは一斉に飛び込んだのだった。金額は全部でせいぜい数百円程度だったと思う。

火山の被災者には同情するが、小銭をばら撒く気にはならず、かと言って私は車を止めて子供たちにお金を恵んでやる気にもならなかった。

あれは、母屋を新築したばかりの歳の瀬だったので、今からもう30年以上前のことだった。大晦日の夕暮れだったと記憶するが、一人の若者が玄関に立っていた。

カミさんが、「ちょっと、応対してよ。」というので玄関に行くと、丁寧に頭を下げた青年は、やおら紙の鋏んであるクリップボードを差し出し、もう一方の手で身分証のような紐で首にかけてあったものを私の目の前に示した。

何だろうと思って、良く見ると「学生証」と書かれていた。東京大学○×学部と書かれた下に顔写真が印刷されていた。

クリップボードには、確か「カンボジア難民がどうのこうの・・・」と書かれていたが、私はすぐに察して後は読む気にもならなかった。

案の定、青年は「募金をお願いします。ご近所の方にはご協力いただきました。」と元気良く言った。私は、一呼吸置いてから、「こんな乞食みたいな真似はやめて、アルバイトでもやって稼いだ金を難民救済に寄付したらよかろうに。悪いけど、ウチでは興味ありませんので、お引取り下さい。」と、毅然として言ってから、「もう二度とウチには来ないで下さい。」と付け加えた。

昔から、私は「募金」というものは、ほとんど胡散臭く思えて、手足がすくんでしまう。時々、募金詐欺のニュースを見聞きしても、さほど驚かず、「当然あり得るもの」だと再認識するだけだった。



熊本地震でも同じことが起きているようで、おそらく三日やったら止められない詐欺商法なのだろう。

しかし、これを政治活動とセットにするとは、悪知恵も大したものである。しかも天下の公党がである。



当事者の政治家は、まったく悪いことだとは感じていないようで、ツイッターでお礼まで書き込んでいたというから、呆れて言葉にならない。



この政党が最近は、大学生などの若者を操って国会周辺でデモをさせてみたり、いかにも日本の若者の代表者のような体裁で海外の集まりに参加させたりしているようだから、まともな日本人達は要注意である。



「笑い」をもって、「キレる」を制す

2016年04月17日 | 書籍関連
中高年とは一体何歳のことをいうのでしょうか?

その定義は様々のようですが、お役所が決めている区分は、次の通りだそうです。

幼年期 0~5歳、
少年期 6~14歳、
青年期 15~24歳、
壮年期 25~44歳、
中年期 45~64歳、
前期高年期 65~74歳、
中後期高年期 75歳~

これに従って、人事労務の実務上では、「45歳以上が中高年」とするのが正解のようです。

45歳くらいから、精神的にも肉体的にもそれまでとは変化を起こし始めるようで、私も実際に過労でぶっ倒れて、三途の川の辺まで行ったのはその頃でした。

季節に例えると、夏が終わって赤とんぼが飛び始める頃が中高年の始まりのようだ、と言えると思います。

昨日、買い物に行った帰りに書店に立ち寄ったら、「中高年がキレる理由(ワケ)」というタイトルの新書が積まれていました。少し立ち読みしてみると、これが面白そうで、自分にも思い当たることが一杯書かれていました。



結局、買って帰りましたが、それは何か「キレる」のを抑えるヒントが書かれているのではないかと思ったからでした。

新聞を読んでも、テレビのニュースを見ても、街に出かけても、ムカッとしてキレそうになることが正直言って最近は特に頻繁にあって、実は心配になっていたのです。



以前、ブログにも書きましたが、銀行で預金を解約したとき、窓口の事務員に「何に使うのか?」としつこく聞かれたときなど、あの時の私は明確に「キレ」ていたと思います。そして、本によると世間の中高年も、金融機関の窓口ではキレることがよくあるようです。

他には、鉄道の駅員に食ってかかったり、病院の看護婦を怒鳴ったり、コンビニの店員に嫌味を言ったり、本を読み始めると世の中高年たちは、キレまくっている様子が伝わってくるので、私は内心少し安心しています。

本によると、要因の一つが現代の「感情労働社会」にあるといいます。それは、面と向って顧客相手の業務だけでなく、顧客満足を最優先にした感情のコントロールを要する仕事が増えているため、自分の感情を抑圧しなければならない労働社会となっているという意味です。

また、40代も半ばになると仕事でも、先が見え始め、それまで行け行けドンドンで仕事してきたのとは違って、スピード感がグンと落ちてきて行き詰まり感のある、「上昇停止症候群」とか、「燃え尽き症候群」とか呼ばれる、転換期を迎えることになるようです。

このような転換期を迎えた中高年たちは、「こんなはずじゃなかった」感が強く、ちょっとしたことでも、「キレる」スイッチが入ってしまって、喚き散らしたりしてしまうらしいですね。

まだ本を読み終えていないので、じゃあどうすればいいのかは分からないのですが、キレそうにならないために、何か方策が書かれてはずです。

以前、カミソリのテレビCMで、「切れてなーい!」というのが流行したことがありましたが、キレそうになったらあのCMを思い浮かべるのも一つの手かもしれません。

「笑う」ことを積極的に求めることもいいかもしれません。笑うと血糖値も下がるそうですから、その効果は大きいと思います。



ブログも、今後、もう少し笑いをキーワードにして考えていく必要があるなあ、と痛感する今日この頃です。




「初孫なっちゃん」のなぜなぜ

2016年04月16日 | 孫ネタ
久しぶりに初孫なっちゃんが一人でお泊りセットのバッグを背負ってやってきた。

今年から、幼稚園年長になったなっちゃんは、言葉が出るのが遅かった不安など嘘だったように、着くなりもう喋りっぱなしで、テンションが高かった。

どうやら、今、なっちゃんの「マイ・ブーム」は、「間違い探し」のようで、左右に書かれた絵の中で間違いを探し当てる小冊子を何冊か持ってきた。

 四葉のクローバ探し?

朝から一日中なっちゃんの相手をさせられては、体力が持たないと思い、私は散歩に行くと中座したが、どうもなっちゃんはおばあちゃんと公園に行くことを企んでいるようだった。

5歳の子供の発想は、時として大人を唸らせることがある。また、疑問を感じたらすぐに言葉に出して聞いてくるし、その質問への答えに大人が窮してしまうことは珍しくない。

カミさんは、なっちゃんのマシンガンのような質問にタジタジになることが多く、それは傍で見ていて結構楽しいものである。



「パパとママは明日何時頃お迎えに来てくれるかなあ・・。」と独り言を言った途端、なっちゃんが疑問を投げかけてきた。

「どうして、ママはおばあちゃんを『おかあさん』って呼ぶの?」

次男の嫁だから、お母さんって呼ぶんだよ、と答えてもなっちゃんは納得するわけがない。なっちゃんから見れば、カミさんは『おばあちゃん』であるが、なっちゃんのママから見れば、カミさんは『お母さん』であることだけなのに、5歳の子供を納得させる説明は、なかなか難しいものである。

カミさんの説明に予想通り納得行かない顔のなっちゃんだった。



鶴を折ることを覚えたなっちゃんは、折り紙で折鶴を作り、見せてくれた。折り紙という日本の遊びは、海外でも人気があり、正方形の紙が切ったり貼ったりすることなく、鶴になったり、風船になったりするのは、初めて見る人にとっては神業のような芸術に見えるものらしい。

私も滞米中ホームステイしたとき、いくつか折り紙を披露したところ、子供たちより親たちが異常な興味を示し、解体して構造を熱心に確認してから、「まるでマジックだな」と呟いたのを覚えている。



「おばあちゃん・・・」なっちゃんが台所で食器を洗うカミさんに話しかけてきた。

「昨日、わたしお風呂で197まで数えることが出来たよ。」と言ったなっちゃんに、カミさんは、「ふ~ん、すごいねえ!」とお愛想程度の受け答えをした途端、なっちゃんは、日頃感じていたのか鋭い質問を続けた。

「197の次はいくつまで続くの??おわりはいくつ?」

このスケールの大きい質問に、パッと答える大人はそういないだろう。

「無限大だよ、むげんだい。」とカミさんはぶっきら棒に答えていたが、なっちゃんの頭上には疑問符が無数に浮かんでいるように見えた。

「198、199、200、201、202・・・って数えるのを止めるまで、いつまでも続くんだよ。」と私が説明したところで、なっちゃんは「ふ~ん・・・そうなんだ・・・。」と今ひとつ納得がいかない様子だった。

この歳の子供たちは、屈託なく疑問をそのまま口にするので、見ていて面白い。大人になると、疑問に感じても相手のことを気遣ったり、羞恥心が邪魔したりして素直に聞けないことが多々ある。

酷いのは、知りもしないのに知ったかぶりをすることすらある。

聞くは一時の恥じ、聞かぬは末代の恥じ、という諺があるが、外国語の習得にもこの「分からないことは聞く」という姿勢が非常に大切である。

英語学習をする人が血眼になって点数を稼ごうとするテスト、TOEIC は制限時間内に多くの問題を解かなければならないので、「うん?」と思っても聞きなおすことなど出来ない。

しかし、実際話し相手が電話口にいたり、目の前にいれば、理解するまで聞き返して確認することができる。この点だけでも、私はTOEIC ごときに「コミュニケーション能力」を評価することなど無理がありすぎると思っている。

実際、私が英語を本格的に独学し始めたときは、まず相手の言ったことが理解できなかったときの、尋ね方を英語でどう言うのか暗記したものだった。

「今あなたが言ったことが、良く理解できなかったのですが、もう一度ゆっくり説明してくれませんか?」とか、「つまり、あなたが言うのは~~~ということですか?私は正しく理解できていますか?」「あなたは、私の言いたいことが理解できましたか?」

こういう表現をすらすら言えるように練習しておくと、会話がぷっつり途切れる事もなく、話が展開していくものである。

なっちゃんも成長するにつれて、今のように疑問を素直に言葉にすることはなくなっていくことだろうが、なっちゃんの抱く疑問を聞いているとこの先が楽しみになってくるものだ。



保育園欲しいの、「私だ」!

2016年04月14日 | 政治ネタ
孫の成長を見るのが楽しくて仕方ない私は、スーパーマーケットや書店などで見かける、孫と同年代の子供を見るとつい笑みがこぼれてしまう。



一方、自分が今坂道を転げ落ちるように老いに向っている所為もあろうが、街で見かける動作の鈍い老人たちを見ると、自分はああはなりたくないと、少しイライラしてしまいがちである。

特に謙虚さを失って、高齢である事を理由に、偉そうに威張り散らす老人と遭遇すると非常に不愉快な気分にさせられる。

昨日、テレビのニュースが伝えていた、千葉県市川市の地域住民による保育園ボイコットのニュースには驚いた。近隣住民の「静かな場所に済みたいからここに引っ越してきた。」「子供の声や泣き声は騒音だ。」「静かに暮らす権利がある。」といった声を聞くに及んでは、何ともいえない不快感を感じた。



近所にゴミ集積場や暴力団事務所でもできるというなら理解も出来るが、今いろいろと話題に上っている保育所のことだったので、余計に理解に苦しんだ。

民主党の女性議員が国会で取り上げて、それに呼応するかのように「日本死ね」活動家の方たちが動員されて、お馴染みのお手製プラカードを掲げて、国会前でデモを繰り広げた。



それをマスコミが大きく取り上げて、タイミングよく署名をかき集めて役所に差出し、このきっかけをつくった議員は、新しい政党「民維新党」の政調会長に大抜擢されたばかりだった。



さらに、東京都では都立商業高校の跡地を韓国人学校に提供する計画だということが発覚し、なぜ韓国人学校なのか、保育所問題を優先すべきではないのか、と都知事の思惑に疑念を持つ都民が喧しい。



この都知事は、以前から南朝鮮には強い思い入れがあるようで、一体なぜなんだろうかと思っていたが、とにかく韓国人学校を、という強い姿勢には益々首をかしげたくなる。



千葉県市川市の保育園ボイコットの件にしろ、東京都の韓国人学校の件にしろ、これほどタイムリーで話題性のあるニュースに、「日本死ね」活動家のお母さん・お父さんたちは黙っていないだろうな。

持ち前の行動力で、すばらしいプラカードを作ってデモに繰り出し、同時に署名を集めてそれを赤ちゃんを抱いた格好で役所に持ち込んで、問題を浮き彫りにして活動のアピールをして欲しいものだ。

いや、もうすでに着々とその方向ですすんでいるはずだろう・・・な?

厳しいようで甘ちゃん・・

2016年04月12日 | 社会観察
バドミントン協会の博打打ち選手らへの処分は、プロ野球の例を先例としなかった点で評価したいのだが、処分決定の後の銭谷専務理事はどうもベラベラ喋りすぎて、処分の効果を薄めているような気がしてならない。



銭谷氏によると、この日開かれた緊急理事会では「復帰をもう少し早くできないか」「リオ断念で社会的制裁を受けている」と桃田選手らへの“擁護論”もあったが、銭谷氏は「バドミントン界だけでなくスポーツ界、一般社会に対する責任から厳しい処分になった」と強調した。処分は、回数や金額、関与の度合いなどを考慮して判断したという。

確かに、私財を投入してまで手塩にかけて育てた選手が、こんなことになって残念で仕方がないのだろうが、事の本質がこの理事は本当に分かっているのかとも思う。

言葉では、『「ライオンに例えると、がけから突き落とすような感じ。』なんて言っていたようだが、これではライオンに失礼ではないか。



まだまだ可能性はある。這い上がってきて欲しい。などと未練たらたらで、私にはこのお方は真の指導者としては及第点をつけられない。

もう少し、報道する側も含めて、この業界には「父性」の厳しさを示して欲しいものだ。

あの幼稚な21歳の、派手な生活をして子供のあこがれになりたい・・・という性根を直すには、母親のような甘い姿勢は決して見せてはならないと思うのだが。

昨日バド協会にやった「あっぱれ!」、取り消すわ・・。





 銭谷氏は桃田選手への処分についてただ、まだまだ可能性のある選手であり、はい上がってくるのを期待している」と述べ、今後の更生と選手としての再起を願う本音も吐露した。4年後の東京五輪出場の可能性については「ゼロではない」としながらも、「世間に与えたショックや裏切り行為を猛省してほしい」と語った。






銭谷氏によると、この日開かれた緊急理事会では「復帰をもう少し早くできないか」「リオ断念で社会的制裁を受けている」と桃田選手らへの“擁護論”もあったが、銭谷氏は「バドミントン界だけでなくスポーツ界、一般社会に対する責任から厳しい処分になった」と強調した。処分は、回数や金額、関与の度合いなどを考慮して判断したという。

 銭谷氏は桃田選手への処分について「ライオンに例えると、がけから突き落とすような感じ。ただ、まだまだ可能性のある選手であり、はい上がってくるのを期待している」と述べ、今後の更生と選手としての再起を願う本音も吐露した。4年後の東京五輪出場の可能性については「ゼロではない」としながらも、「世間に与えたショックや裏切り行為を猛省してほしい」と語った。

 銭谷氏は桃田選手への処分について「ライオンに例えると、がけから突き落とすような感じ。ただ、まだまだ可能性のある選手であり、はい上がってくるのを期待している」と述べ、今後の更生と選手としての再起を願う本音も吐露した。4年後の東京五輪出場の可能性については「ゼロではない」としながらも、「世間に与えたショックや裏切り行為を猛省してほしい」と語った。

もう一度、主語を問え

2016年04月11日 | 政治ネタ
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。』

ご存知、川端康成の「雪国」の出だしの一文である。この文を英訳しろと言われたら、まず考えるのは、「はて、主語を何にしようか・・・」ということになろうか。

我々日本人は、普段の会話でも主語を省くことはごく普通のことで、「きのう、どこ行った?」「うん、映画を観て買い物して、食事して帰宅したよ。」な~んていう会話は、不自然でもなんでもない。

「雪国」の文も、別に文法的に間違っているわけでもなく、意味も簡単に理解できる。この小説で、川端康成はノーベル文学賞を受賞したわけだが、日本人以外の人はこの小説の英語訳を読むことになる。

果たして、その時の最初の一文はどう英訳されていたのであろうか。答えはこうだ。

『 The train came out of the long tunnel into the snow country. 』

トンネルを抜けたのは「汽車」で、汽車はトンネルを抜けて雪国に入ったのだった。

気のせいか、英語訳の方が、情景がよく見えるようだ。

この小説を英語に翻訳したのが、エドワード・ジョージ・サイデンステッカー氏(1921年2月11日 - 2007年8月26日)で、谷崎やら三島由紀夫の小説を翻訳して世界に紹介した、大の親日家米国人だった。

この人の翻訳で、川端はノーベル賞を受賞したと言ってもいいほどだそうで、川端康成自身、「ノーベル賞の半分は、サイデンステッカー教授のものだ」と言い、賞金も半分渡しているという。

日本語は、英語と違っていちいち主語を言わない、書かない言語であるが、時としてそれが文の真意を曖昧模糊にして、混乱を生じることがある。

今日、G7の首脳達が訪れた広島の平和記念公園にも、その好例となる原爆死没者慰霊碑があるそうだ。その碑にはこう刻まれている。


「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」



靖国神社に写真入の記念碑がある、極東軍事裁判弁護人であったインドのパール博士は、広島を訪れてこの慰霊碑の文の意味を尋ねたとき、「この文には主語がない。誰が原爆を落とし過ちを犯したのかがわからない。」と発言したそうだ。

それがきっかけで、当時「碑文論争」が起こったそうだが、現在では主語は全世界の人間を意味する「We」であり、「碑の前に立つすべての人が、核戦争を起こさせないことを誓う」という合意が形成されているそうだ。

しかし、原爆を落としたアメリカでは、米兵の犠牲を増やさないためと、戦争を早く終結させるために原爆を落としたのであって、米国には非はない、と学校で教えているそうだ。

原爆を落として一瞬で十数万人を殺したことを、「過ち」だなどとはこれっぽっちも思ってはいないのである。

碑文論争は落ち着いて、過ちとは、人類が犯した戦争という行為のことですよ、と言われても私は、喉に小骨が刺さっているようで、いい心持はしない。

こんな紛らわしい文は即刻書き換えるべきであると思う。

かと言って、どこかの半島人たちの書きそうな、「アメリカよ、謝罪せよ。私たちは、あなた方の過ちを千年間許しませんから」などとは書きたくもないが・・・。