孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

雷、、そして、私のお気に入り。

2015年08月08日 | 日記
少しは気温が下がってきたような感じもするが、それでも日中は外に出る気がしない。今日は雲が多い天候だった為か、夜になって雷鳴と共に雨が降り出した。稲光がしたと思ったら、ほぼ同時にゴロゴロ、バキバキと雷がなっている。

こういう雷鳴を聞くと必ず思い出すのが、学生のとき6日連続で毎日映画館に通って観た「ザ・サウンドオブミュージック」だ。



雷が鳴り出すと、怖がる子供たちが順番にマリアの寝室に逃げ込んでくる。こんなときは、自分の好きなものを思い浮かべてみるといい、と言って歌いだすのが「My favorite things (私のすきなもの)」という歌だった。

♪バラの花びらに落ちた雨粒 子猫のひげ、 光った胴のやかん 暖かなウールの手袋
 茶色の紙で包んで 紐で結んだ小包 これが私の好きなもの ♪

今でも覚えている歌詞を和訳すると、だいたいこんな意味になると思う。40年近く前に観た映画だが結構覚えているものだ。これはきれいに韻を踏んだ歌詞の所為かもしれない。

ミュージカル映画などまったく興味が無かったのに、何気なく観たこの映画は私を虜にしてしまった。



主演のジュリー・アンドリュースに一目ぼれしてしまったのかもしれなかった。今振り返っても、これまで私が観た映画の中でベスト3に入ると思う。あの後も、この映画は時々観てきたが、いつ観ても新鮮に感動させられる名画中の名画だと思う。



ストーリー展開もテンポ良く、笑わせるところも随所にあり、ハラハラさせられる場面もある。めでたく歩いてアルプス越えをする場面で終わるのだが、観終えた後すぐまた
観たくなるような映画だった。

一番好きな映画は何ですか?と聞かれて、この映画を言うと、怪訝な顔をされた事があったが、オヤジがこの映画が好きだと言うのはおかしいか?

近・現代史は面白い。

2015年08月08日 | 日記
石原慎太郎さんがどこかで披露していた話に、坂井三郎さんのことがある。坂井さんといえば、「大空のサムライ」として日本よりアメリカの方が名を知られた海軍の戦闘機乗りで、「撃墜王」として知られている元海軍兵士だ。

坂井さんが中央線に乗っていると、学生らしき若者が乗ってきて坂井さんの前に立って話に夢中になっていた。すると、片方が「オイ、知ってるか?日本は昔アメリカと戦争やったんだってよ。」と言った。するともう一人が、「そんなワケねぇだろ。」「いや、ホントだよ・・・。」「ウソだろ・・。マジでぇ?・・・で、どっちが勝ったの?」

坂井さんはこの二人の話を聞いていて、降りる予定のない次の駅で降り、気を落ち着けるためにホームの端っこでタバコを立て続けに二本吸ったそうである。

学校では縄文式土器と弥生式時の違いは丁寧に教えるが、近・現代史についてはほとんど授業で教えないのが現状であるようだ。私の頃もそうだった。だから、若い頃の私も、この坂井さんの前で話をしてた二人とは、もしかしたら大差なかったかもしれない。

この流れでいけば、国会周辺で太鼓にあわせて、「戦争止めろ!」「憲法守れ!」とやっている連中の多くも、もしかしたら日本は昔ロシアを戦争で打ち負かしたと聞けば、「・・・なワケねぇだろ。」と返答するかもしれない。

私は社会人になって、アジアがここまで西欧列強に侵食されていて、大東亜戦争の後それらの国がみんな独立できたのだという事実を知って、正直目からウロコが音を立てて落ちたのだった。


緑は欧米列強の植民地だった。


中国共産党が中華人民共和国として成立したのは、1949年戦争が終わって4年後のこと。それすらもあまり知られていないのでは・・・。



自虐史観で洗脳された日本人の目を覚ますのは、まず近・現代史の勉強からスタートするのがいい方法だと思うのだが・・。

十分予想できた結末だった・・。

2015年08月08日 | 日記
静岡県西伊豆町で7月19日、川遊びをしていた家族ら7人が動物よけの電気柵で
感電し、2人が死亡した事故で、県警は7日、電気柵の所有者の男性(79)が自宅
敷地内で首をつり、死亡したと発表した。県警は自殺とみている。

県警によると、7日午前8時すぎ、男性が首をつっているのを家族が発見し、病院に
搬送されたが死亡が確認された。県警の捜査員が6日夕方、男性を自宅に訪ねた際に
は変わった様子はなかったという。


 
県警は「男性を複数回聴取しているが、本人の健康状態に十分配慮する中で行ってき
た」とした上で、「(感電死事故の原因などについて)今後も裏付け捜査を慎重に行
う」とのコメントを出した。

このように新聞記事は報道しているが、何か白々しい感じが漂うような記事だと感じた。というのは、死亡者が2人出て、しかも明らかに老人に過失があったと思えるのに、これまでその氏名を報道せずにきたことが不自然であったからだ。



西伊豆町の田舎で起きた悲劇だけに、近所ではすでにどこの誰がやったことかは、わかりきったことだろう。事件や事故が近所で起きようものなら、待ってましたとばかり、「こういう人だった、ああいう人だった」とか、「こんな感じの人で、信じられない」とか、ベラベラマイクに向って喋ってきた「近所の人」が今回は一切登場しないのも、何とも不自然な状況であったと思う。



報道機関、公安、役場、近所の住人・・みんな、いずれこういう結果になることを予期した上での、合意の「緘口令」でもしかれていたのかもしれない。

過失や違反はあったかもしれないが、故意ではなかっただろうし、身内が犠牲になったのだから・・・という、日本人特有の「惻隠の情」が為せる業だったのだろうか?

それはさて置いて、この結果に胸を撫で下ろしている役所や関係機関があるのではないか。

天邪鬼はこんなことを思ってしまうんだ・・・。

同じ内容なら止めた方がいい。

2015年08月08日 | 日記
戦後70年の「安倍談話」を手かせ・足かせで、自分たちの都合のいいように持って行こうとする、建国たかだか66年の支那中国や、相変わらず反日一辺倒の韓国、それにこの両国のために働いているような日本の「リベラル派政治家」たちが、躍起になって横槍をいれているのが滑稽である。



韓国の狡猾な工作にまんまと乗せられて、後に引けなくなってしまい、今や後世に名を残しそうな立派な売国奴となったこのお方。どんな甘い汁を飲まされたのか、あるいはどんな弱みを握られたのか知らないが、この談話が諸悪の根源となっているのは間違いない。



好々爺といえば聞えはいいが、こんなに迷惑な年寄は大好きな支那に移住してもらった方が日本のためになる。このお爺さんの頭の中には「国益」という概念は存在しないようで、社会主義者だからそれは当然なことでしょう。今や反日団体に利用されるだけの存在となったが、残された「談話」は時として一人歩きするから困るのだ。

今日の朝刊に、中国の外相が、「安倍談話」に「侵略」と「植民地支配」という言葉を盛り込め、と圧力を掛けているという意味の記事があったが、彼らの言いなりになったのが、あの役立たず老人の「談話」であった。

村山談話とは、用意された紙を読んだだけのものであって、読み上げた本人は中身がまったく説明できないことは明白になっている。ただ、訳も分からず読んだだけのことだったが、これも今やそうさせた者たちにいいように利用されているから困る。

「私は人の嫌がることはしませんから。」とうそぶいて、靖国神社参拝をしなかった総理大臣がいたが、外交とはむしろ相手が嫌がることをした方が国益にかなうものだ。それを、国のトップが、あんなことを公言したのだから、開いた口が固まったまま塞がらなくなったものだ。



何度も同じような談話を読み上げるのならむしろ止めた方がいい。少なくとも、支那が嫌がることなら、遠慮などせず、そうしてやればいい。何をビクビクする必要があるというのだ。