孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

韓国軍のトルコ風呂・・・

2015年04月30日 | 日記
TBSのワシントン支局長が、ベトナム戦争当時に、韓国軍がサイゴンにトルコ風呂と呼ばれる、韓国軍の兵隊専用の慰安所を設置して、現地のベトナム人女性を慰安婦として使っていたという、公文書をアメリカで発見した。

さらに、その事実を知る米軍海兵隊幹部の証言も得ていたという。この事実は、なぜかTBSや仲間の毎日新聞ではまったく報道されず、なぜか3月27日発売の刊文春に掲載された。

さらにさらに、お手柄の山口ワシントン支局長は、今月23日付でワシントン市局長を解任され、「営業局」に異動となった上、懲戒処分も同時に受けたそうだ。

さあ、今度の日曜日のサンデーモーニングが楽しみだ。進行係としていつも偉そうにしている関口ナントカや、多分日本というこの国が嫌いでしようがない、毎日新聞のちょび髭オヤジ、その他いつも偉そうな事をこねくり回した発言をする「コメンテーター」のお歴々はどういう表情で御登場されるか、まったく面白いことになった。

毎日新聞のちょび髭編集委員は、昨年の秋、ライバル朝日新聞が慰安婦報道でデタラメ記事を掲載し続けてきたことで、社長が渋々謝罪したとき、「報道メディアの歴史において、大変な汚点を残した」と、偉そうに言っていたが、今回の不可解な対応について、報道メディアに関わる人間として、どういうコメントを発するのだろうか。

韓国のハンギョレ新聞は、「腹立たしいことだが、反論は困難」という記事を載せたらしい。「腹立たしい」とは、事実がばらされて腹立たしいということか。余計なことをしてくれたTBS山口氏が腹立たしいのか・・・。

まあ、生まれつきの嘘つき達は、こういう場合、反省するどころか、意外と何とも思わないものだろう。

とにもかくにも、どこの国のテレビ局なのかわからないTBSに、喝だぁ!!

期待はずれの、マスコミ・あの国、

2015年04月30日 | 日記
日本時間の昨夜遅く、安倍総理は米国上下両院での演説を終えた。練習の甲斐あってか、表情豊かに無難に終えた様子を今朝のニュースは伝えていたが、案の定その内容は、「おわび」の言葉がなかったという点を、まるで痴呆症を患った九官鳥のように繰り返していた。

何か安倍総理に失態があればと期待していた反日マスコミは、アメリカの演説内容に対する反応が良かったため、肩透かしを食らったようで、在米中国・韓国人達約が連邦議会前でいわゆる「慰安婦問題」などについて、謝罪しろ、金よこせ、と抗議活動をしていたことを、腹いせに報道していた。

この中には韓国から連れてきた元売春婦の女性もいたようで、これらのアレンジを率先して担当したのが、例の民主党下院議員のマイク・ホンダだったということも報じていた。

マイク・ホンダというカリフォルニア州選出の議員は札付きの反日議員で、中国や韓国の資金援助でなりふり構わぬ反日活動をしている、賠償金目当てのゴロツキであることは昔から知られている。

その言動があまりにも低劣であるためか最近は鳴りを潜めたと思っていたが、ここに来て日本の報道番組でも紹介されるようでは、余程ネタが無かったのではないかと想像できる。

アジアを侵略して、500年にわたって植民地支配したのは欧米列強で、そのやり口はローマ帝国の頃からお伝統のような、『分割統治」であった。団結して反抗しないように、人種、宗教、言語の違いを利用して、お互いを反目させ長期間統治し、搾取し続けた。

インドの紙幣の裏側には、英語をはじめ、ベンガル語、タミール語、サンスクリット語など今でも15種類の言語で書かれている。言語を統一することなど、「分割統治」では考えられないことだった。

英国はビルマを統治する際に、インド人、華僑、山岳民族を使い分けし、ビルマ人を最下層の奴隷扱いした。よって植民地から解放された途端ビルマ政府は、徹底的に英国色を嫌い、学校での英語教育を廃止し、車の通行も右側に変更したという。

インドネシアを350年にわたって植民地支配したオランダは、サトウキビやコーヒーなどの商品作物を強制的に栽培させ、現地のインドネシア人の多くを餓死させた。一時は男子の平均寿命が35歳までに低下したほどだった。

日本は1910年から35年間韓国を「併合(Annexation)」したが、これは明確に植民地支配(Colonization)とは違い,韓国を日本の一部としたのであって、搾取の対象としたわけではないことをただしくにんしきすべきであろう。

今の韓国の女酋長のお父上は、正にそのとき韓国で生まれ、日本人として陸軍士官学校を上位で卒業し、中尉までになったところで日本の敗戦となったわけだ。ハングル文字を復活させ、自分たちも日本名が欲しいと言えば、そのようにしたのであって、決して韓国名を奪って日本名に改ためさせたわけではない。

歴史を直視すべきは、韓国人であって、何でもかんでも韓国が起源だ、謝罪せよ、歴史を直視せよ、補償せよといった子供じみた主張を続けるのはいい加減止めた方がいい。

安倍総理ならずとも、いちいち相手にしているのも面倒で、もう少しまともになって欲しいのだが、恐らく我々とは違って彼らのDNAは右巻きの螺旋構造ではなく、左巻きなのだろう。

ユーモアのセンスと頓知の精神

2015年04月30日 | 日記
訪米中の安倍総理が、ホワイトハウス晩餐会のスピーチでジョークを言って大受けに受けたという。それは、議会での演説の練習ばかりしているので、奥さんが「もう聞き飽きた。」と言って別の部屋で寝てしまった・・・というもの。

さらに、「今、副大統領が、あの手この手で大統領を失脚させ、自分が大統領になる、という今アメリカで人気の政治ドラマを夢中で観ているが、これは麻生副総理には見せないようにしようと思っている。」と言うジョークだったそうだ。

その時の映像を見たが、ジョークを言ったときの安倍総理の表情がとても良かったので、それも手伝ってバカ受けになったのだと思う。ジョークを言うときは、その内容だけでなく、タイミングや表情、話し方などがぴったり合わないと、「すべって」しまい悲惨な結末となる。

今でも時々思い出して、首をかしげてしまう場面がある。滞米中のことだから、30年以上前になる。田舎町のターバンと呼ばれる居酒屋のカウンターでビールをちびちび飲んでいると、隣にいた老人が話しかけてきた。かなり酔っていたので、何を言われるかと心配したが、ほとんど独り言みたいで、よく理解できず、曖昧な返事でごまかしていたところ、突然「どこから来たんだ?」と聞かれた。

Japan です。と答えると、「ふーん」と言ってから、「飛行機で来たのか?それともバスで来たのか?」と言う。「飛行機です」と答えたものの、果たしてあれはジョークだったのか、、、。だったら、笑わなかった自分は少し野暮だったなあ、と後悔するのだ。

欧米人はユーモアのセンスを、大人の大事な人格の一部だと認識しているが、それが日本人には欠けていて海外では通用しない、などと鹿爪らしく批評する方がいるが、とんでもない偏見だと思う。日本人には昔から頓知の精神という、独自の機知のセンスが存在していたではないか。

多くの日本人が海外に出ると、押し黙ったようになって、ミステリースマイルと呼ばれる中途半端な無表情を通すのは、別のコンプレックスから来る緊張がそうさせるだけであると思いたい。それに、いつもニコニコ、チャラチャラしているのを良しとしない風潮は、日本人ならずとも海外でも同じことだから、そう気にすることもなかろう。

日常、気が付くと最近笑ってないなあと思うことがある。笑うことは、血糖値を下げる効用があるというから、笑ってストレス解消したいと思うときは、私はいつもyoutube で、これを見れば笑えるという動画をお気に入りに保存している。

よく見て笑っているのは、テレビ番組の「細かすぎて伝わらないモノマネ」の動画だ。中でもそれに出る、花香よしあきや梅小鉢の高田紗千子というモノマネタレントで、など見ても飽きることはない。

特に、花香よしあきの「ゴルフキャスター・戸張捷の高飛車なインタビュー」のモノマネは、以前「いつか誰かがまねるだろうなあ」と思っていたので、大好きなネタだ。今後の活躍を期待するモノマネタレントで、陰ながら応援している。


農業の工業化を近代化というんですか・・・ほぉぉ

2015年04月29日 | 日記
相変わらず今日のテレビの報道は、安倍首相訪米にかなりの比重を置いているようだが、その報道姿勢は何となく安倍首相がアメリカで「国賓級」の待遇を受けることが忌々しいのか、棘のある報道振りであったと感じるのは気のし過ぎだろうか。

食事には山口県の地酒や安倍川もち、それにアメリカ産の「和牛」が出されるようだ。サシの入った和牛は、日本で高値で販売できるのか、今アメリカでも盛んに飼育されていると報道していたが、日本の肥育農家が育てる和牛とは、まったく別物になっているだろうことは容易に想像できる。

太っていく過程の環境がまったく異なるので、出来上がった牛肉は見た目は同じようになるだろうが、中身はまったく違うような気がする。牛の育て方や餌がまったく異なるからだ。

今、「㈱貧困大陸アメリカ」という本を読んでいるが、アメリカの農業はすでに異常と言えるほど工業化してしまっていて、巨大穀物商社や医薬品企業による寡占状態に歯止めがきかない状況のようだ。読み進むごとに、アメリカの異常さがひしひしと伝わり、読み手にちょっとしたスリラー小説並みの感覚を与えてくjれる新書本である。

GM作物とは、genetically modified いわゆる遺伝子組み換え操作をした作物で、除草剤をかぶっても枯れないとか、害虫を寄せ付けないどころか、害虫が作物をひとかじりすると死んでしまうといった作物の総称である。もはや、アメリカで販売されている食品、加工品の9割がこのGM作物を原料にしようしたものだという。

さらに、畜産も大量の抗生物質やホルモン剤を使用して少しでも短期間で出荷できるように、少しでも多くの牛乳を生産するように、様々な抗生物質や成長ホルモンが大量に使用されているのである。家畜に使用される抗生物質の量は、この50年ほどで約80倍に増えたという。

アメリカで栽培される穀物の7割がGM作物で、その7割が家畜の飼料として消費されているそうで、草食動物の牛が、死んだ動物肉や本来の食料ではないトウモロコシなどの穀物を食べた結果出現したのが、ひところ騒がれた狂牛病である。

政府機関を巻き込んで、株主の利益になるように業界を思い通りに改変していくアメリカという国は、昔から何をしでかすか分からない怖さがある。得意がって「アメリカ産和牛」などと気安く呼んで欲しくはないと思うのだ。日本の消費者は、心しておくように、ご忠告する。

じゃあ、「やらせ」って何よ・・・?

2015年04月29日 | 日記
「皆様の受信料で支えられている」NHKが、看板番組の「クローズアップ現代」で捏造・やらせによる、とんでもない番組を垂れ流した件で、NHK調査委員会は「放送ガイドラインを逸脱する過剰な演出や視聴者に誤解を与える編集が行われていた」とする調査報告書を公表していた。

取材の過程で記者から具体的な指示はなかったなどとして、「いわゆる『やらせ』は行っていない」と結論付けたようだが、昨年5月14日に放送された「追跡“出家詐欺”~狙われる宗教法人~」では、詐欺に関わるブローカーとして匿名で登場した大阪府在住の男性(50)が「記者の指示で架空の人物を演じた」と主張して、今月21日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会に人権侵害を申し立てたばかりだった。

いかにも隠し撮り風な映像を撮ってドキュメンタリーのような番組に仕立てていたが、実は出演者は記者と知り合いで、記者は演技指導までしていたというのだから、これが「やらせ」でないとすれば、NHKの基準はまったく世間の常識から、大きくずれていると言うことがよく分かる。

これまで何度も似たような「やらせ」番組を制作しては、垂れ流し、それがバレると苦しい釈明を繰り返してきた、「皆様の受信料で支えられているNHK」を、多くの国民、特に地方の純真無垢な人達は、まるごと信じきって、「NHKでああ言ってた、こう言ってた・・」と鵜呑みにしてきたことが、今日のような腐りきった組織を作り上げているのが現実だろう。

かつて、看板番組・NHK特集の「JAPANデビュー・アジアの一等国」では、台湾に出向いて現地の人達にかつての日本統治時代の思い出などを語らせ、後から作為的な編集をして、まあ、実に見事な偏向番組に仕上げていた。その時の台湾の人達が、その編集の仕方があまりにも作為的で、日本を加害者にするという目的のために、自分が加担したと、自責の念に駆られてNHKを提訴することにまで発展したのだった。

そのときもNHKは抗議に対し、初め徹底的に反論し、「番組製作に際しては、事前に内外の文献26,000冊をじっくりと読み解いた上で製作した・・」と自らのホームページで息巻いていたが、日本語・中国語の文献26,000冊をじっくり読み解くのに要する工数を考えれば、それがバカバカしい嘘であることは明白で、まったく子供じみた強がりだった。

JAPANデビュー報道は、今から5~6年前のことだったが、その頃とNHKの体質はまったく変わっていないことが、今回のやらせ・捏造番組を見てよく分かった。どこまでもお人好しな日本人は、これでもNHK無しでは生きていけないとでも言うのだろうか?

対岸の火事か、他山の石か・・

2015年04月29日 | 日記
先週だったか、北アフリカから不法移民を載せた船が沈没して、700人以上が死亡したという惨事があったが、あの惨事を対岸の火事を眺めるように報道していたマスコミは、自分たちの足元を良く見ることを怠っていたと感じた。

つまり、日本は島国で、すぐ隣には政情不安定な国がいくつか存在している事をお忘れではないか。しかもその一つは、人口が有り余っていて、広大なお国はどこも環境が破壊されて入る状況だ。一旦事が起きれば、陸路だけでなく海に逃げ出す難民が数百万、数千万単位で発生するであろう。

去年、小笠原諸島や伊豆諸島周辺に200隻以上のサンゴ密猟船が群がっていた情景を思い出すがいい。小笠原の住民ならずとも、あれを見れば恐怖感を覚えるのが自然だ。

あのときの密漁船は、漁民が自発的に繰り出してきたものではないことは一目瞭然で、いつの間にかスーっといなくなったが、政情不安が高じて生命の危険を感じた場合は、ベトナム戦争のときのボートピープルのようにパニック状態になって、安全な地に避難しようとする難民で溢れかえること間違いない。

その時の目的地は、日本が最適だと判断されるだろう。しかし、そうなった場合は、小笠原近海だけではなく、日本中の海岸が対象となるであろうし、その数も1000人、2000人レベルでは絶対に済まない。

ギリシャにたどり着いた移民・難民は今年すでに1万人に達するそうだが、その数は今回の事故で減るとは考えられない。日本は、これを以って、他山の石とすべきで、傍観しているときではない。


危険を承知でご旅行を・・

2015年04月29日 | 日記
韓国の高級ホテルが日本人観光客の激減で軒並み業績が悪化して、悲鳴を挙げている状況だと、ネットのニュース欄に出ていた。ピーク時に年間352万人だった日本人観光客が、昨年は228万人にまで落ち込んだそうだ。

この数字を見て、私はこんな状況下でも年間228万人もの観光客が日本大嫌いの、あの国を訪れていたことに非常に驚かされたが、事態は相当深刻で、五星の高級ホテルですらなりふり構わず割り引き合戦を始めて、今や金払いのいい日本人観光客を奪い合っているという話だ。

中国人観光客は年間600万人以上韓国を訪れて、この間の旧正月のときは韓国でも日本と同じ爆買いの醜態をさらけ出していたようだが、彼らは好んでビジネスホテルやゲストハウスなどの、安宿に宿泊する傾向があるのだそうだ。

私は、あの国にだけは行きたくないのだが、それは彼らの反日振りもさることながら、他にも危険が一杯のお国柄だからである。両陛下がご訪問されたばかりのパラオに造った島を結ぶ橋が崩壊してしまったり、マレーシアのクアラルンプールに建設した高層ビルが完成直後から傾き始めたり、百貨店ビルが崩壊したり、道路が陥没したり、もうこういう事例は枚挙に暇がない。

また、交通機関も危険に満ちている感がある。海も、陸も、空も満遍なく危険が一杯で、これはもうあの国の特徴のひとつと言える。うちの近くにできた飛行場には韓国の航空会社が就航しているが、こう立て続けに着陸事故を起こすと、次はいつ事故を起こすか他人事ではない気がする。

さらに、なぜか日本のマスメディアではほとんど報道されないが、あの国は犯罪率が異常に高い。統計資料によると、人口10万人当たりの発生率は、強盗が日本の3倍、殺人が日本の5倍、性犯罪は日本の5倍で、強姦に限ってみると日本の4倍になり、この10年間でいずれも増加傾向にあり、性犯罪は激増傾向にあるのだそうだ。欧米ではこの結果に注目して、すでに旅行者に注意喚起をしている。

家の近くに飛行場が開港して、韓国にも気軽に旅行できるようになり、しかもちょっと前までは韓流ブームだったせいか、その頃は地元の消防団の青年たちや、あるいは婚期を逸した男女たちが、慰安旅行とか買い物ツアーという建前で、性欲解消に出かけているということをよく耳にしたが、無事帰国できたことを神に感謝した方がいいと思う。

事故には遭わなくても、口に入れる物にも十分注意した方がいい。と言うか、あの国の衛生観念の低さにを十分覚悟しておいた方がいい、と言うべきか。これもマスメディアではあまり報道しないようだが、ネットで検索すれば、次々とその実態があからさまになる。

例えば、チョコレートや菓子パン、即席ラーメンにウジ虫が入っていた、エビせんの袋からネズミの頭が出てきた、キムチから寄生虫が大量に見つかり、どうも調べたら野良犬の糞を使用したらしい、などなど。極めつけは、日本向けのキムチ製造工場で、痰を吐きかける女性工員の写真だ。これもかなりネットで拡散されたので、簡単に検索で見つかる。

年間200万人も、こういう国に出かける同胞が入ることに、あらためて首をかしげてしまうのだ。

安倍総理、勇気を出して・・・

2015年04月28日 | 日記
日本では、捏造記事がお得意の朝日新聞や毎日新聞、そしてそれらの系列のテレビ各局が、こぞって安倍首相の訪米について、神経質な報道をしている。いわゆる「反日マスコミ」と呼ばれるこれらのマスコミは、安倍首相がインドネシアのバンドン会議で独立を祝うアジア各国から歓迎されたことは、報道したくもなかったろう。

したとしても、演説で「謝罪」がなかったなどと、とても日本の新聞とは思えないような、ひねくれた報道であった。以前、放火事件のはんにんだったか、「付け火して 煙喜ぶ 田舎もの」という戯れ句を家に貼っていたとテレビで見たが、日本の「反日マスコミ」は、何とかして日本を貶めようと、あの手この手を使う。

海外のマスコミに向って、ご注進をし、付け火して廻るのも彼らの手だ。アメリカの新聞なども、ろくな取材もせず、日本の「反日マスコミ」のご注進に載せられて、あるいは反日韓国人たちに煽られて、「安倍総理は村山談話を引き継げ・・」だとか、「河野談話を継承するように・・」とか、まったく勉強不足をさらけ出した報道ぶりだ。

それを、また日本の「反日マスコミ」が、ニューヨークタイムスはこう書いているとか、ワシントンポストの記事によるとああだ、こうだ、と煙が立ってきたのを喜ぶ報道をするのだ。朝、時計替わりにつけているテレビの情報番組でも、普段は街の甘味物の紹介などを嬉々として伝えている進行係りの男性も、今日はテレビ局の上層部に支持されたのだろう、神妙な表情をつくって、安倍総理の演説内容について、苦言を呈していたのには、笑った。

昨日は、かつての名門ハーバード大学で安倍総理がスピーチしたが、その後の質疑で、従軍慰安婦の日本政府と軍の関与を否定するのかどうかと質問した学生がいたが、こういうのは「反日テレビ局」でも映像と共に流す。しかし、その東洋系の学生は、韓国の留学生だとは報道しないこと、在日韓国・朝鮮人が犯罪を犯したとき、絶対本名で報道しないことと同じである。

安倍総理には、雑音に惑わされず、これまでのひねくれた談話にも気兼ねせず、まともな歴史認識を勇気を振りしぼって披瀝して欲しいものだ。

米国に対する意識の変化 part1

2015年04月26日 | 日記
子供の頃、アメリカのテレビドラマを見ていて、我が家との違いがたくさんあることに驚くことが多かった。冷蔵庫の大きさとか、台所の広さとか、広大なスーパーマーケットとそこに並んだ物品の豊富さなど、日本は経済成長の真っ最中であったが、それでも当時の生活レベルの差は比較するには大きすぎた。

その十数年後、アメリカで2年間を過ごすことになった時も、まだその差は依然として大きく、羽田からチャーター便でシアトルの飛行場に降り立ったときなど、一緒に渡米した仲間たちも全員が興奮の絶頂だった。中には「さすがだな、走ってる車はほとんど外車だぜ。」などと、本気なのか冗談なのか訳の分からないことを大声で言ってたのがいた。

数週間後、待望の自炊生活が始って、最初の食料品買出しに出かけたときのこと、大きな買い物カートを押しながら、主食の米、醤油、玉子、スパゲッティ、ケチャップ、野菜・・・次々と放り込んでいったのだが、それでも量的にはレジに並んだ他の買い物客のカートの埋まり具合と比べると、10分の1位だった。

レジに並んでいる間、みんなが私のカートをジロジロ好奇心に満ちた目で見ていて、何となく気恥ずかしかった。レジでは金額を打ち込む店員の横で、商品を次々に茶色の紙袋に入れている青年がいた。まるでいつかテレビで観た一場面の中に自分がいるようで、不思議な感覚だった。

買出しに連れて行ってくれたホストファミリーのお母さんが心配そうに、「それだけでOKか?他に必要なものはない?」と、私の買い出しを気遣ってくれた。そのとき、スーパーで私も他の買い物客のカートの中をチェックしたのだが、冷凍の牛肉や鶏肉、大量の缶詰、大量の牛乳、炭酸飲料などが積み込まれていて、明らかに食生活の違いを感じたのだった。

日本人の私たちは、主食のご飯と何かおかずがあれば十分である。渡米前に読んだ本に、タイトルは忘れたが、アジア人は草食動物、欧米人は肉食動物に分類できると書かれたものがあった。食べ物だけでなく、社会行動などもその違いが色々例を挙げて書かれていて、面白い本だった。

2年間で、私はそこに書かれていたことの多くを体験していくことになった。そして、それまで抱いていたアメリカという大国に対する意識がかなり変化した事に気付いたのだった。

ネパール地震が気がかり・・

2015年04月26日 | 日記
富士登山を何度かした経験のある方なら多分ご存知だと思うが、富士山の名物おじさんが2名存在する。神奈川県の佐々木さんと静岡県の実川さんだ。どちらも富士山に1000回以上登頂している、御歳70歳を超えた登山愛好家だ。

私が、富士山五合目で、外国人相手の登山指導をやっていたとき、通りかかったお二人と他の登山者たちとの立ち話に入れてもらって、面白い話を聞かせてもらったものだ。

佐々木さんは、元教員で、悪天候でない限りほぼ毎日富士山に登っているそうで、途中山小屋に朝刊を届けるというサービスで、各山小屋の従業員には喜ばれているそうだ。ヘルメットをかぶり、万全の装備で登山する姿は、みんな見習うべきだと思った。「毎日富士山」という本を出版されたときには、自宅にその旨を知らせる御葉書きを戴いた。

実川さんは、確か富士市にお住まいで、富士登山以外にも数々の健脚ぶりを示す記録を残している方だ。驚いたのは、登山回数を稼ぐために、一日に2度富士登山することが、よくあった。登山口を通りかかった実川さんに、「実川さん、今日は何回目ですか?」と声をかけて、からかう人がよくいた。そんな時も、ニコニコしながら丁寧に返事をしている御方だった。

ある時、山梨県側の登山道8合目でAKB48とテレビ番組に出なきゃならないからと、富士宮口を登っていったが、その日は天候が悪化して、果たしてあちら側にいけたのかしらんと、みんなで心配したことがあった。翌日どうなったのか聞いてみると、「頂上付近まで登ったけど、天候が悪かったから、戻ってきて車で山梨県側吉田口に廻ってから、8合目まで登って、何とか間に合ったよ。」と何ともアッケラカンと教えてくれ、そのとき聴いていた一同はふんぞり返って呆れかえった。

その実川さんは、今月エベレスト登頂にチャレンジするため、ネパールに向って飛び立ったところだった。夕べの地震の後、ベースキャンプにいた実川さん一行の関係者が、ツイッターで無事なことを呟いたようだが、確か実川さんは去年も挑戦して、シェルパの事故で途中断念して帰国した。

今回も成功しなかったとしたら、残念だがエベレストには縁が薄いのかもしれない。もしかして、エベレストが霊峰富士に焼餅を焼いているのかもしれない。

なっちゃんが来たぁぁ・・・

2015年04月26日 | 孫ネタ
すがすがしい晴天の朝、さて今日は部屋の石油ストーブを掃除してから、納屋にしまって替わりに扇風機を出すことにしようか、などと考えながら朝食を終えようとすると、カミさんが急に思い出したように、「今日午後から、なっちゃん達が来るって・・。」と言った。

それしか言わなかったが、これには下の句があって、「だから、午後はどこにも出かけず、なっちゃんの遊び相手になってよ」という意味だと、勘のいい私はすぐに察した。遊び相手になるのはいいが、最近のなっちゃんは成長著しく、遊びのバリエーションが増えて、トランプのゲームなどは、勝負にこだわるようになってきたので、こちらの精神的な疲労度も馬鹿にならなくなってきた。

午前中のうちに、石油ストーブの中の残った灯油タンクを空にして、ついでにその灯油を小さな霧吹きに入れて、家の周りに生え出した雑草にかけてやった。初めての試みだったが、灯油を除草剤代わりに使うのは、アメリカでホームステイした時、家の親父さんがやっているのを見て、いつかやってみようと思っていたことだった。

それが終わると、2週間前に借りた本を返しに、図書館へ行き、替わりに台湾関連の本を3冊借りてきた。故宮博物館の宝物の写真集は、買えば高価なものなので図書館で借りるに限る。それと、台湾の前総統、李登輝さんの「アジアの知略」という本は、少し立ち読みして面白そうだったので、連休中に読もうと、借りてきた。

カミさんの焼いてくれた鯖をおかずに、軽い昼食を終えると、次男の嫁からカミさんの携帯に「今からお伺いします」というメールが届いた。それから20分ほどして、駐車場に車が止まる音して、ひときわ甲高いなっちゃんの声が聞こえてきた。なっちゃんは、今日も元気だった。

居間に入ってくるや、「おじいちゃん、折り紙する?」ときた。そういうや否や、我が家にに置きっぱなしのなっちゃん専用のおもちゃ入れから、折り紙と小さな鋏を持ってきた。なっちゃんの手ほどきで、チューリップや家、船や飛行機などを折ってから、「おじいちゃん、トランプやりたい?」ときた。

「もう、トランプは疲れるからあまりやりたくはないよ。」などと正直に答えて、反応を見たかったが、それは少し大人気ないと思い、「そうだね、トランプしようか!」と返事をすると、なっちゃんはニコッと笑ってから、「じゃあ、ちょっと待ってて。トランプ持ってくるから・・。」と言ってスキップを踏んでおもちゃ入れに向った。

かわいい手には、まだ少し大きすぎるトランプを華麗にシャッフルするのは、まだちょっと無理だ。トランプを横に置いて、「まぜまぜ・・」と言いながら、ぎこちなくシャッフルしてから、「じゃあ、分けるからね・・」と交互に配り始めた。

配り終えたなっちゃんは、「何するの?」と聞くと、「えぇとねえ・・ババ抜きかぁ・・ジジ抜きかあ・・ジャンケン・・・。じぁあ、ジャンケンにする?」と、結局「ジャンケン」に決って、ジャンケンポンで1枚ずつ出しては数の大きい方が相手のカードを取り合う、私の子供の頃、「戦争」と呼んだゲームをした。それが終わって、「ババ抜き」、「ジジ抜き」をやって、トランプは終わった。

「ジジ抜き」と言われたとき、私はまた条件反射のように体がビクッと反応した。まだトラウマが癒えていなかった。パパの発案で外でフリスビーを投げ合って30分ほど遊んだ後、また居間に戻って、今度は積み木遊びに付き合った。妹のカナちゃんが作った積み木をゴジラのように次々と破壊するので、別の部屋に移って、オセロゲームをしようと誘われた。

白のなっちゃんは、中盤を過ぎた頃、敗色濃厚になると「やっぱり黒にしたい・・・」と、ダダをこね出した。後半は少し手加減をしてやって、ご機嫌を取り戻し、僅差でなっちゃんの勝ちになるように持っていった。お陰で、ご機嫌にオセロを終えたのだったが、「もう一回やるぅ?」ときたから、「しまった!」と思って後悔したところへ、「ちょっと早いけど晩御飯にするよ。」と、カミさんから助け舟が入った。

お刺身と筍の混ぜご飯を腹いっぱい食べて、後ろ髪を惹かれるような表情で帰ったなっちゃんたちは、また次の週末に来るようだ。なっちゃんが成長するごとに、こちらは衰えていくようで、厳しい現実を感ずる今日この頃だが、これは自然の摂理だから仕方ない。お陰で夜の寝つきはすこぶる良くなった気がする。孫のお陰であると思う。


安倍首相、すばらしいスピーチでしたね!

2015年04月25日 | 日記
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)に安倍総理が出席を表明して、その演説の中身にああだ、こうだと注文をつけていた国があったが、騒いだわりにはその後のニュースでの扱い方が小さい気がした。つまり、その中身は特に騒ぐようなネタはなかったのか、さもなければそのスピーチが評判がよくて、文句のつけようがなかったのだと思ったが、どうも結果は後者の方であったようだ。

もともと、この会議はアジア・アフリカ諸国が帝国主義の犠牲となって、大変な目にあっていたのだが、独立国家となってよかったね、とお祝いをする集まりのはずである。ネットで見ると、安倍総理のスピーチも、「心からお祝いを申し上げます。」と始っている。やれこう言え、ああ言えと5月の蝿のような隣国や日本のマスコミにも気遣った結果なのか、旨い具合にキーワードも交えたスピーチだった。

『「侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない。」バンドン会議で確認されたこの原則を、日本は、先の大戦の深い反省と共に、いかなる時でも守り抜く国であろう、と誓いました。』この一節の中の「先の大戦の深い反省と共に」というフレーズは、原文では、「with feelings of deep remorse over the past  war」とあり、これは勉強になった。

remorse という言葉はこういう場にぴったりの言葉で、決して高校で習った「regret」という単語をすべきではなかったのだ。もしここでこの言葉を使ってしまうと、ニューヨークタイムズとか朝日新聞は、待ってましたとばかり、大喜びして騒ぎ立てたところだった。どちらも「反省、後悔」といった意味の言葉だが、その使い方には大きな違いがある。

例を挙げれば、『裁判所で人殺しの犯人は、捕まってしまったことを regret するが、犠牲者の家族は彼が犯した罪に対して remorse の心情を抱くことを望んでいる。』といった、ニュアンスの違いである。その逆はあり得ない。

いずれにせよ、この会議の趣旨は参加国のほとんどが欧米の植民地から解放され、独立したことを祝うものであるから、安倍首相の演説の内容にイチャモンをつける国はあの国とあの国、それと反日のネタ探しをしているマスコミくらいしかいないのである。その証拠に、会議の後、記者たちが安倍首相のスピーチ内容について、水を向けても彼らが期待するような反応はなかったようだった。

ネットでニュースを見た限りでは、マレーシアの代表が、『(おわびがなかったことに)大きな意味は見いだしていない。日本による占領という暗い時代、残酷な時代を多くのアジア人は心のなかに覚えている。しかし、今は前進すべき時だ。貧困のない、正義ある社会をどうつくるか。協力し合う必要がある』と話したそうだ。

平気で捏造記事を載せる朝日新聞の記事なので、事の真偽は大変疑わしいが、このコメントも胡散臭くて信用できない。マレーシアといえば、マハティール元首相の、あの有名な「日本なかりせば(Without Japan)」の演説があるではないか。

『日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押しつけられていただろう。』(マハティール演説より抜粋)

欧米諸国がこの演説を生で聴いたら、その場にいられることができただろうか、という実に的確に的を射たすばらしい内容だった。この度の安倍首相のスピーチも負けず劣らずの、すばらしいできばえだった。それが証拠に、事前にスピーチの内容をみたであろう支那の習キンピラさんは、会場をコソコソ退席したそうではないか。何と大人気ない行為であろう。とても近代国家のリーダーのとる行動ではない。

我が家の文化遺産・・

2015年04月25日 | 日記
数年前、我が家の納屋の屋根裏はガラクタ置き場になっているが、その奥の方に置かれていたステレオを見つけた三男が、「あれ、何?」と聞いてきたことがあった。最初何のことを聞いているのか分からなかったので、様子を聞くと、「フタみたいなのがパカッと開いて、クルクル廻る円盤があって・・・」と言うのでようやく理解できた。

まだ、捨てずに残してあったのか、と少し驚きながら行って見ると、確かに昔あったステレオセットだった。しかも下のキャビネットにはLPレコードなど数十枚が当時のまま入れてあった。多分、私が海外に滞在中に納屋を建てたとき、物を捨てることが嫌いな親父が、一番奥にしまったのだろう。

高校生の頃、何百回と聴いた「サイモン&ガーファンクル」や「サウンドオブミュージック」サウンドトラック盤、アメリカから帰国したばかりの頃買い漁った、ブルーグラスのLPなど、時間を忘れて見入ってしまった。これは、親父でなくとも捨てるには忍びない思い出の詰まったシロモノだと思った。

先日、カミさんから、「このビデオなんとかならない?」と言われたのが、居間のテレビ台に並んでいるVHSの一群だ。全部で恐らく2~30本くらい、ほとんどが私の趣味で買ったもので、中には一度見ただけのものもある。我が家のデッキはDVD/VHS兼用なので、デッキは捨てられないが、VHSソフトの方は、遅かれ早かれ、レコード盤と同じ運命を辿るのだろう。

しかし、これも思い出が詰まっているものが多くて、私にはとても捨てられない。中でも、私の自慢のコレクションは、黒澤映画のVHSだ。私はカラー映画になってからの黒澤映画はまったく評価できない。ただし、モノクロ時代の黒澤映画は小津安二郎と並んで、日本を代表する貴重な文化遺産だと思う。

実は、この黒澤映画のVHSコレクションは、とんだ棚ボタで手に入れたものだった。DVDが世の中に出始めた頃、街にあった一軒のレンタルビデオ店が店じまいをした。そのとき、在庫処分のため、店頭のVHSをすべて、何と、、、新しいものから古いものまで、何と、、、数に制限なく早い者勝ちで、何と、、、、(このタメかたは、通販会社の社長みたいですが・・)、「一個百円でお譲りします」という貼り紙を店内で見つけた。

念のため、私は店員に確認したうえで、すぐに邦画のコーナーのところに行き、中でも昔のVHSが並んでいる辺りを見ると、あったのです。黒澤の作品群が。数に制限はないとのことだったので、そこに並んでいたモノクロ作品をすべて買ってしまった。

「生きる」「椿三十郎」「蜘蛛巣城」「悪い奴ほどよく眠る」「一番美しく」「酔いどれ天使」「羅生門」「醜聞」「静かなる決闘」「赤ひげ」

ホクホクしながら帰宅したのだが、同時に、こういう秀作を百円で売るなんて、まったく日本文化を冒涜している店主だ、などと的外れな腹立たしさを覚えながら、「豚に真珠」とはこのことだ、この際許そう、などと訳の分からない気分に浸ったものだった。

高木さんのこと。

2015年04月25日 | 日記
私が学生のとき、同じアパートに住んでいた先輩が、はれて社会人になって私の実家の近くまで行くことになったから、久しぶりに会わないかと連絡してきたことがあった。詳しい経緯は覚えていないが、我が家で一泊して、一晩中酒を飲みながら話し込んだ。

近くの駅まで迎えに行って、家に戻ってきて、両親に先輩を紹介した。先輩のお父さんは自衛隊の幹部だったので転勤が多く、小さいうちから日本各地を点々と引っ越しばかりしてきたそうだ。私の親父に紹介するとき、「先輩のお父さんは陸軍士官学校を出て、今は自衛隊の幹部なんだって。」と言うと、父は「陸士を出られたんですか・・・。ほぉお・・・。」と、絶句した。

父は、横須賀の海軍工廠という、工業高校のような養成所を出て、軍艦を造っていたが、すぐに赤紙が来て海軍に入隊したが、少しして戦争は終わった。そんな父に聞いたのだが、当時陸軍や海軍の士官学校に入るのは、とんでもない秀才だけだったそうだ。体力もあり、学業は飛びぬけて秀でていなければならず、東京大学などよりもずっと上にランクされていたようだ。父が絶句するのも無理からぬことだった。

先輩のお父さんの大先輩にあたる、高木正雄さんは、そんな陸軍士官学校を上位で卒業されたわけだから、それは優秀なお方だったということがよく分かる。しかし、その高木さんが自国民のことを「荒っぽくていい加減」であり、「活気がなくて積極性がない」ばかりか、「新しいことを取り入れる意気込みが欠けている」というように、ご自分の著書の中で痛烈に酷評されているのには、驚かされた。

それどころか、別の御著書で高木さんは重ねて自国民のことを、「何もせず暢気に怠けて過ごす」だけであり、加えて「ずる賢くて卑怯」な上に、「有利な方に付こうとして、事態の成り行きに対して、いつも傍観者的態度をとる、、、」とまで徹底的にこき下ろしているのだ。

高木さんは、独立心旺盛な民族主義者であったがゆえに、その主張も過激なところがあったのかもしれないが、内容は極めて適確なものだった。しかし、その主張は過激さを増し、核武装を構想するに至ったがためか、彼の存在を疎んずる勢力の手で暗殺されてしまうのだった。

皮肉にも、彼の娘さんは今、大統領として高木さんの愛した民族を率いている。そして彼女の口から発せられる言葉は相変わらず、「歴史を直視せよ」「謝罪せよ」である。高木さんが指摘したような、「事大主義の国」、「名誉観念の欠如した国」、「怠惰と不労所得観念のはびこった国」は、高木さんが殺害されて35年経った今も何も代わることもなく、昔のままである。

日本名、高木正雄こと、元大韓民国大統領・朴正煕さんは、今あの世から御自分の祖国と娘さんの言動を、一体どういう気持ちで眺めておられることだろうか。

お気に入りのコラム・・・

2015年04月22日 | 日記
思い出すと、私が高校生だった頃は、誰からだったか、朝日新聞の天声人語を読むように薦められたことがあった。家では朝夕刊セットでいくらという、安いローカル新聞を購読していたので、ほとんど天声人語など読む機会はなかった。

大学に進学して、賄い付きのアパートに住み始めてからは、みんなで話し合って、全国紙4紙を購読し、みんなで読みまわしたものだった。そのとき、初めてお目にかかった朝日新聞の天声人語は、確かに面白いコラムで、毎日読むのが楽しみだった。

ただ、朝日新聞の天声人語だけが突出していたわけではなく、「余禄」や「編集手帳」も同じようにワクワクしながら読んだものだ。それまで読んでいた地方紙の一面コラムとは、文章の練り具合に段違いの差があったように思う。

コラムと言えば、今はもう廃刊となってしまった「諸君」という月刊のオピニオン誌は長いこと私の愛読誌で、海外赴任していたときも、帰国する人や、出張に来る同僚たちに無理を言って、よく買ってきてもらった。いつも真っ先に読むのが、「紳士と淑女」という巻頭コラムだった。4~5ページのコラムは、切り口が鋭く、筆者のバランスの効いた正義感で溢れた実に読み応えのある文章だった。

廃刊になるちょっと前だったか、このコラムの筆者宛に「ファンレター」というか、「ファンメール」を送った事があった。すると、コラムの筆者から、一枚の直筆葉書きの返事が届いた。それは、私のファンレターに対する謝辞と「これからもよろしく」という簡単なものだったが、万年筆の直筆で、印刷されたものでは味わえない、温かみが感じられた。

ほどなく、諸君は廃刊となったが、私はこの巻頭コラムに替わるすばらしいコラムを見つけた。それは、週刊新潮の「変見自在」という1ページのコラムで、大好きな高山正之さんによるものだ。毎週、週刊誌は買わなくても、このコラムだけは立ち読みする。このコラムは1年分をまとめて単行本、文庫本として出版される。この本を、トイレに置いておくと、あっという間に読みきってしまうのだ。

メディアリテラシーとは、メディアの真贋を見抜く目を磨くことだそうだが、紳士と淑女氏、高山正之さん、それから、今は亡き山本夏彦さん。私はこの三氏にこの点で、随分お世話になったと思う。その所為で朝日新聞嫌いになったのかもしれない。