日本時間でいうと、昭和16年(皇紀2601年)12月8日、ワシントン時間では、1941年12月7日は、日本海軍がハワイ州の真珠湾を攻撃した日であった。
この攻撃は大東亜戦争の南方作戦の一環として、イギリスの植民地のマレー半島のイギリス軍に対するマレー作戦に次いで開始された作戦であった。
昨日の朝は、安倍総理が慰霊のために真珠湾を訪問したので、各テレビ局ではその模様を中継してしていたようだ。テレビの報道ぶりをチラッと見たが、どうも「謝罪」することはなかったようで、一安心した。
30年以上も前になるが、私が米国にいたときの12月7日には、テレビで真珠湾攻撃に関する特別番組が放送されていて、偶然それを観た事があった。
当時は、日米戦争のことなどは、さほど関心が無かったので、番組の内容までは記憶にないのだが、その時流れていた歌は今でもそのメロディーと韻を踏んだ歌詞を鮮明に覚えていて、口ずさむことが出来る。
リメンバー!!
テンポのいいこの歌と共に、若い志願兵たちが次々に出陣する映像が流れていた。
懐かしくなって、もしや Youtube で聴けるかも、と検索してみたらやっぱりあった。歌のタイトルはそのものズバリ「
リメンバー パールハーバー(Remember Pearl Harbor)」で、歌詞もあわせて検索したら、簡単に見つかった。
History in ev'ry century records an act that lives forevermore.
We'll recall, as into line we fall, the thing that happened on Hawaii's Shore.
Let's REMEMBER PEARL HARBOR
As we go to meet the foe.
Let's REMEMBER PEARL HARBOR
As we did the Alamo.
We will always remember how they died for Liberty.
Let's REMEMBER PEARL HARBOR
And go on to victory.
日本の詩や漢詩などと同様に、英語の詩も語尾の言葉が韻を踏み、非常に聞き心地がいいものだ。
例えば、history と century の語尾「リー」とか、recall と fall の語尾「オール」 remember と harbor の語尾の「バー」、foe と Alamo の語尾「オゥ」、Liberty と victory の語尾「イィ」などなどである。
歌詞の意味するところは、大体次のようになるだろう。
『いつの時代も、歴史は未来永劫生き続く行為を記録する
私たちは、志願兵の列に並びながら、ハワイの海岸で起きた事を思い起こす
さあ、思い出そう パールハーバーを
敵に立ち向かう時に
さあ、思い出そう パールハーバーを
アラモでの戦いで
彼らが如何に自由のために命を落としたか いつも思い出すように
さあ、思いだそうパールハーバーを
そして勝利に向かって突き進め!』
(訳詩;孫ふたり)
志願兵求む!!
ところで、この歌詞に出ている「アラモ」とは、1836年 米国が当時メキシコからテキサスを奪い取る戦争のきっかけとなった「アラモ砦の戦い」のことで、この米・メキシコ戦争の時の合言葉が、「REMEMBER ALAMO (リメンバー アラモ)」だった。
デビー・クロケットもこの戦いで死んだ
当時戦争反対の世論は、このスローガンで一気に戦争へと動いたのであった。アラモ砦に立てこもり、ひたすら救援を待った騎兵隊250人は全滅したが、その時総遠くない場所にアメリカ正規軍がいたにもかかわらず、なぜ助けに向かわなかったのか・・・。
砦の守備隊を見殺しにしておいて、それを出しにして『アラモ砦を思い出そう』と世論を煽り、メキシコとの戦争の方向に導いたのではないか、と後になって論ぜられる所以である。
このアメリカのテキサス略奪戦争から62年後の1898年、当時スペイン領だったキューバの最大都市ハバナの港で、アメリカ海軍の戦艦メイン号が爆沈する事件があった。
爆発の原因は今もって不明ということになっているが、その時アメリカはスペインの犯行として、スペインと戦争する口実にしたのだった。(250名の犠牲者の中にはコックやボーイとして乗艦していた8名の日本人もいて、そのうち6名が死亡している。)
そしてこの時も、戦争反対の世論を「REMEMBER MAINE (リメンバー メイン)」の合言葉で戦争賛成に導いた。しかし、まずアメリカが戦いを始めたのはキューバではなく、遠くはなれたスペイン領フィリピンでだった。
メイン号爆沈は今も謎
米国に加勢すればフィリピンを独立させると現地の独立運動家に耳打ちして、戦いを有利に進めてスペインに勝利したアメリカは、フィリピン独立派との約束を反故にして、そのまま領有化してしまった。
怒ったフィリピン人はアメリカに対して独立運動を起こすが、アメリカは徹底的に弾圧して20数万人を虐殺して鎮圧し、英語を公用語にして徹底的な洗脳政策を開始した。
肝心のキューバを巡るスペインとの戦いはフィリピンでの戦いから半年後であったというから、当初からアメリカの狙いは太平洋のフィリピンを分捕ることであったと理解するのが自然だろう。
以上のほかにも、第一次世界大戦中の1915年、アイルランド南岸沖を航行していたイギリス船籍客船ルシタニア号がドイツのUボートの放った魚雷によって沈没、アメリカ人128人を含む1,198人が犠牲となった「ルシタニア号撃沈事件」という、胡散臭い出来事があった。
ドイツの野蛮な攻撃に対してアメリカの世論は沸騰。これによって、それまで中立であった米国議会でも反ドイツの雰囲気が強まり、「REMEMBER LUSITANIA (リメンバー ルシタニア)」を合言葉に世論も変わり始め、アメリカも参戦するきっかけとなった。
こうまで、アメリカの常套手段「REMEMBER ホニャララ」の合言葉の実例があると、例の9.11 国際簿駅センタービル爆破事件のことを思い浮かべずには入られない。
あの時も「REMEMBER 911」が繰り返されたのだった。しかも一連のあの事件には多くの不可解な部分があった。
アメリカのお家芸「自作自演」??
イギリスのチャーチルに参戦を懇願されていた、FDルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃を知って、「ヨシッ!これでアメリカも参戦できる!」と膝を打ったという話がある。
日本海軍の暗号はほとんど解読されていて、真珠湾の奇襲は事前に分かっていたという話もある。
近代史は謎が多いが、似たような史実を並べると、民族の性向はある程度見えてくるものだ。