豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2014年11月13日 11時04分11秒 | 日記
 ( Vol 1148 ) 四国八十八ヶ寺霊場 今年 四国遍路1200年 を迎える

四国八十八ヶ寺霊場巡り は 今年 開創 1200年 に当たる

途中途絶えたことがあるらしいが 今なお 遍路をする人が絶えない

テレビでも ことあるごとに 取り上げる

遍路する人の年齢は さまざま である

子どもを連れた家族連れから お年寄りまで

巡る形態も様々

バス 自動車 自転車 歩き と様々である

そして 巡る理由も 様々である


巡る人たちの思いも それぞれ

ぐるっと回ると 約1400km

考えると 長い

この長い巡礼の路を考えたのが 空海 弘法大師 である

今も その弘法大師の思いに寄り添うように 巡る


全国に 似たような巡る遍路があるのに なぜ 四国八十八ヶ寺は 巡る人が多いのか

そこには 地域の人たちと 寺の 協力があるからだろう

お接待という 四国どくどくの 巡る人たちへの 心温まる「おもてなし」があるからだろう

「おもてなし」という心温まる接待 

現代社会では 心からありがたいと 思える ことに ふれあうことが少ない

それが 四国八十八ヶ寺霊場巡り で 味わえる

ここに 大きな特徴があるのだろう


私も巡ってみた

私の場合は 歩き そして 宿は野宿

不安から始まり 後悔 を経て 達成感 と 心温まる接待が 全ての困難を解消してくれた

1400kmを 45日で巡った

その間 体調を崩したこともあった

それを 見ず知らずの地元の方が 助けてくれた

その経験は 人と人のつながりの 大切さを 教えてくれたように思う


四国八十八ヶ寺霊場巡り 四国遍路は 現代社会の人たちが 忘れてきたものを 思い出させてくれる 場でもあるのだろう

だからこそ 今なお 遍路の人たちが 耐えることはないのだろう


遍路したものだけが 味わえる 何かが そこにはある といえる








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