豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2014年08月02日 19時10分31秒 | 日記
 ( Vol 1104 ) ドキュメンタリー「原発廃止は可能か?」を観て 原発について 考える

原子力発電の 有効性は 発電と放射能廃棄物の処理まで 含めて 一つの機能として考える必要があるように感じた

だが 現実は どうだろうか

発電にのみ 着眼し 廃棄物処理は 未定のままだ

いま 原子力発電所の解体が 始まっている中 廃棄物処理の方法が 解決していない

ドキュメンタリーによると  廃棄物は 過去 なんら処置しないまま 海中に投棄

その行為は 危険きわまりない

  
現在は 地中深くの岩盤に 閉じ込める という 方法をとっている

ただ 放射能のレベルは 高く 長い年月が必要だ

長く考えると 100年以上 という 年月がかかるようだ


原子力開発は 効果のみに 重点を置いた 開発をしてきた

今も 原子力発電の製造企業は 廃棄処理とは切り離して 提供している

廃棄物処理は なおざりにしている


放射能物質の 解消方法は いまだ 解を得ていない ということである


日本政府は 原発再稼働へむけて 原子力委員会に その判定を委ねた

その中で 原子力委員会の長は 安全について 合格しても安全とは申し上げられない というような談話を出している

この話を まともに受け取ると 合格は歪んだ形で 出されたといえるのではないか

事故の可能性の残る中での 安全とは どういうことか

矛盾してはいないだろうか

また 政府は その責任をとろうとしていない

あくまでも 企業と住民間における判断に委ねるような態度を示している


だが どうだろうか

福島原発事故の教訓は 活かされていない


企業責任を問うだけでなく 政府の責任も 問われなくてはならない


原発の 事故対策が できていない中 再稼働を許可するのは 国なのである


経済の立て直し という 名目の中 福島原発の惨状が 闇の中へと 葬り去れようとしているのではないか


ドキュメンタリーでは 原発から出た廃棄物の 完全な対処方法がなく 未来へと託すしかない ような話である


このように 放射能に対する対処が 何にもできていない中 安全であるとは 言えない


安全とは なにか

稼働だけに重点を置いた 安全審査 は 片手落ち ではないか

事故が起きたときの 処置を 明確にしなければならない

事故による影響を 明らかにしなければならない

福島原発事故によって 多くの人が 被害を受け 今も苦しんでいる


その苦しみに対して なんら政府 企業は 根本的な手を 打てないでいる


事故が生じたとき 現状では なんの対処もできないのが 現状である


責任も 想定外で済ませられるようなものではない


再稼働を 許可するならば 全てにおいて 責任を持つ

という 姿勢を示す必要がある


原子力委員会による 合格審査決定を受けて 即 稼働せよ というのは あまりにも無責任である


原発は 現在の科学では 完全にコントロールできない

そのことを 認めた上で 稼働すべきか 考える必要がある


小泉元総理は 原発は再稼働すべきではない と会見で述べている

このことは 責任者としての立場から 正しいと思う


自民党は 過去の過ちを認め 反省して 責任のとれる 行動をとってもらいたい


経済の成長戦略 を重視するあまり 人間としてのあり方を 軽視している と言わざるを得ない


是非 DVD ドキュメンタリー「原発廃止は可能か?」を観てもらいたい
制作はドイツ=フランス共同TV局アルテ社。
これはNHKBSでも放送されたものだが、放送内容よりも詳細である。








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