豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2016年02月19日 08時31分45秒 | 日記
 ( Vol 1380 )   いじられる側 いじめられる側に 傷ついた心は 人生に大きくのしかかっている


いじめる側 いじる側は 受ける側の心をもて遊び どれだけ傷ついているのかを 知ろうともしない

むしろ 困っている姿を見て 自分の中の不満を 解放しようとしている


いじる側 いじめる側の者は ただただ自分のことばかり

いじる いじめ に関わる他の者は 主犯格の行動に乗じて 荷担

いじられる いじめられる 姿を見て 喜んでいる


自分の行動が 相手にどれだけダメージを与えているのか 考えていない


大人たちが 報道が 何度も 何度も いじる いじめる ということが 問題であるかを 訴えても いじる側 いじめる側に 伝わらない

ここには 当人達が 注意する大人に出会わず 報道に触れず という状態があるからではないか


学校で 事件の報道を 生徒に見せるという 場面をつくり 他人ごとではない ということを 自覚させる 教育をすべきではないだろうか


また 保護者面談や保護者会で いじる いじめ に関する事件報道を見せることを通して 家庭での こどもの心のケアについて 対処できる体制を つくるべきではないだろうか


良識を知る 良識を教える

その体制を 底辺からつくる必要があるのではないか


人は みな弱い 強がっている者も 弱い

多勢に無勢という言葉があるように 大勢の人に囲まれ 反対の態度をとられ 否定されつづけられ  一人孤立して 弱くなる


いじられる いじめられる とは 一人孤立状態を 複数の人によって つくり出される

そして 孤立感を深めていく

このような 状態をつくることは 精神的に不健康になる


このことが 引きこもりを 引き起こしている

傷ついた心は 直るのには 時間がかかる


心を傷つける者には 傷の重みを考えてほしい 

その考える機会をつくる必要がある

  





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