豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前のつれづれ日記

2024年09月05日 12時37分58秒 | 日記

( Vol  3400  ) 戦争で犠牲になるのは いつの時代も 一般市民である

ある日 突然 日常の 幸せな生活が  戦争によって 壊される

それは 被災した人に 大きな トラウマを生じさせる

戦争を起こした 指導者は それを無視 

ただただ 自分の制覇の欲望の実現に向けて 突き進む

戦争によって 生じた負の部分に対しての責任については 負うことをしない

 

戦争になったのは 相手が悪い という論理

 

これは 困ったものである

 

いま ウクライナ に ロシアが戦争を仕掛けている

また ガザでは イスラエルが 戦争を仕掛けている

 

遠くから見ていると 支配者の制覇の欲望 にしか見えてこない

 

この犠牲に 市民があっている

 

支配者は 市民の苦痛は 味わうことはない

まるで 他人事

自分の欲望のためには 大義名分の下 市民の苦痛は無視

 

市民は たまったものではない

 

支配者同士の一騎討ちで 他人に迷惑のかけないところでやってもらいたい というのが 一般市民の思いである

おまけに 一般市民を 扇動して 戦場へと 将棋の駒のように 市民を使い捨てるように 派遣

扇動する指導者は ぬくぬくと 戦火に会わないところにいる

 

まるで カードゲーム でもしているかのごとくである

 

いつの世も 一般市民は 萱の外 

一番 戦火に遭遇するところに 追いやられ 捨てられる

 

市民は たまったものではない

 

市民を 捨て駒のように 扱う

困ったものである

 

市民の痛みを 理解しない

それが 指導者の 正体

 

いい加減に してもらいたい

 

人間は 100年と 安定した社会を築くことができない

これも 制覇したいという欲望の強い指導者が いつの時代も 戦争の悲惨さを忘れたころに 出てくる

 

反省しても 世代を越えてまでも その反省は持ち越さない

人間の負の部分である

いつになったら 平和が訪れるのだろうか

 

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