豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2023年01月17日 05時23分13秒 | 日記

( Vol  3178  )   日本社会は 模倣社会からの脱却が なかなかできていない

これからの時代は 新しい発想が求められる これには 自由な発想ができる環境が必要になる

 

欧米に追い付け追い越せ と欧米の技術 や 知識を導入し 模倣して サプライチェーンとしての役割をしてきた

このことが 教育においても 新しい独自の発想を養う ということをせず 

手っ取り早い方法として 受動型の教育をしてきた

教育を受ける側は 先生の言うことを聞いていれば 大丈夫 

という思考になった

自己主張ができない 状況がつくられてきた

 

企業の開発においても 現行の技術の改善程度で 全く新しい独自の発想 はボツにする という安全思考

企業の上層部は 安全を重視し 冒険を良いとしない

 

芸術面においても 技術の模倣 という指導教育が行われている

そのために 大雑把に捉えて見ると みな 同じものに見えてくる

同じ考えの人が 表現しているように見える

 

技術の模倣を重視した教育が 常識として 独自の発想をさせないようにしている

 

常識を破れば その表現は 否定される という状況をつくった

 

日本の芸術は 画一的となった

 

まれには 常識を破る表現が出てくるが それは 欧米社会で認められて 日本に逆輸入という形で認められる

という 恥ずかしい 限りである

 

これからの 日本は 発想を重視し 

それを いかに 活用できるか 考える 教育をしていく必要がある

 

それには 各自が 自分の考えを持つ ことである

 

これは 小学校の教育から 変える必要がある

 

受け身授業から 能動の授業への 変更である

教える側は 答えを先に教えるのではなく

自分で考える という指導が求められる

違いを認める 授業である

 

違う考え ということを認める いろいろな考え方ができる ということが必要である

画一的思考 から 多様な思考 である

 

いままでの教育は 管理重視の 画一的思考の教育をしてきた

これは管理する側にとっては 都合が良い

常識という道具を使って 思考行動を規制でき 集団をまとめ易くなり 管理しやすい

 

自由に発想ができる環境をつくれば

模倣ではなく 独自の発想が生まれる

 

このことが 今後の日本の発展に 貢献してくる

 

模倣は 技術を知る という点では必要である

しかし それは あくまでも 知識を得る ということである

 

新たな発想とは 別物である

 

発想は 社会環境からの刺激 環境への不満 から生まれる

 

極端に言えば 欲望の具現化のために 発想が出てくるといえる

 

いままでの知識では 対応できなくなってくるのが 常に動いている社会である

それには 常識を越える 思考が 必要になる

 

そのためには 個々人の自由な発想が重要な役割を果たす

 

いろいろな発想から 有効な発想をみいだして 社会の変化に対応していく

 

これからの時代は いままでの常識では 対応できなくなる

 

新しい発想の時代に突入していく

 

この時代に 必要なのは 自由な発想ができる環境 である

 

 

 

 

 


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