豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2021年08月03日 22時17分50秒 | 日記
 ( Vol 2883 ) 新型コロナウイルスの入院対象者を重症者とする という対応策は 菅政権にとって 何も策がない ということを表している どう 菅総理の言う「公助」はどこにいったのか

医療崩壊を招いているのは 菅政権の対応である

無策が すべてを招いている

菅政権は 国民に向いていない

国民軽視 見ているのは 自分をいかに守るかということだけ

本当に 国民のことを考えるのならば

治療薬を なぜ投薬する態勢をとらないのか

中等症状の人たちを ただ単に 自宅療養とする だけでは 無責任

なんのための非常事態宣言だったのか

なんのための 医療ブレーンを設けたのか

すべてが パフォーマンスでしかなかった

新型コロナウイルスの変異について しっかりと 追跡調査もせず

感染者数の増加を問題視せず

人の流れが減少したことだけを強調するという 

ある種の「ご飯論法」を使っている

本当に 国民に向かっていない 国民のために死に物狂いで やる という誠意が見られない

抽象的な言葉しか 言えないのは残念である

具体的に 隅々 末端までの 影響を考えた 行動をしてもらいたい

非常事態という 意識が 一番足りないのは 菅政権ではないか

言葉の遊びは いい加減にしてもらいたい

自民党議員たちには 呆れてしまう

本当に 国民のことを 真剣に 考えて ほしいものである


国民が困っているのに なにもしない

ただ ただ お金だけに 向いている 

残念である

「私心」だけである


このような時こそ 「私心」を捨てて 国民のために行動すべきではないか


まず 感染症指定を 5類に変更して

いかに 治療薬を投薬するか  

感染患者への対応と 感染拡大の抑制を 考えるべきである












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豊前善三のつれづれ日記

2021年08月03日 10時28分44秒 | 日記
 ( Vol 2882 )  東大流の「ご飯論法」は やめるべきである 真摯に 向き合う 論議を心がけるべきである

東大弁論部で養われてきた ディベートの論法である 「ご飯論法」は 自民党議員 官僚たちに 浸透してきているが 

これは 単なる「はぐらかし」という 手法にすぎない


この手法では 口で言い負かすことはできても 信頼を得ることはできない


真のディベートは ちゃんと 噛み合っていることが必須なのだが 噛み合わなければ ディベートにならない

そのような「ご飯論法」がまかり通ること事態問題である

日本の大学の トップに君臨する大学としても 恥ずかしい ことである


今の日本の政治を 歪ませ 腐敗させる 土壌をつくる ひとつの要素となっている

それが 「ご飯論法」である


日本の政治を 正すためにも 「ご飯論法」を使うのはやめるべきである





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