豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2016年07月25日 16時50分53秒 | 日記
( Vol 1455 ) 政治という政(まつりごと)は 冷静さを忘れずに 執り行ってほしい


毎年 8月が近づくと 戦争に関する映画が放映される

今年は BSNHKで映画 岡本喜八監督作品「日本の一番長い日」が放映されていた

鑑賞していて 戦争とは と考えさせられた


権力者たちの 冷静さを欠いた行動 集団心理の恐ろしさをということが感じられた


戦争とは 誰が得をするのか

それは 権力者たち

一般市民にとっては 徳はない



勝っても負けても 市民には 関係ない

市民は 動けず その場で 生き抜くのみ


権力者は違う 勝者となれば 得るものは大きい



権力者は 市民を犠牲にして 得る



負ければ すべてを放棄 負の部分は 市民へ押し付け



市民への責任は 取らない



戦争での敗戦により 日本国民は 路頭に迷った

その原因は 権力者の 冷静さを欠いた行動


戦争で一番犠牲になるのは 市民である




犠牲者を一人も出さない その精神が政治には必要である


そのためには 憲法で制御しなければならない



いま日本は 曲がり角に来ている


憲法改正を叫ぶ者がいる


その憲法は 国々が手をつなぎ世界は一つ 平和な世界を 見ているのだろうか


隣国の脅威を国民に煽り 国家の危機を強調


それは 冷静になって行動しているのか


憲法改正をするのならば 世界の国々が協力できる環境をつくることを想像して 考えてほしいものである



リーダーとして 国民を ひっぱていく者は 国民を不幸に陥れてはならない


国民を扇動して 戦争の悲劇を起こしてはならない



往々にして リーダーは 盲目になることがある


盲目にならないためにも 冷静さを保っていなければならないのではないか






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豊前善三つれづれ日記

2016年07月25日 16時20分18秒 | 日記
( Vol 1454 ) オリンピックは 世界は一つ という精神を前面に打ち出すべきではないか



いま 国家によるドーピング違反問題が持ち上がり スポーツ精神が脅かされている


いまこそ 世界は一つ ということを前面に オリンピックは 打ち出す必要があるのではないか

スポーツによる国家間の競争を やってきた オリンピック


勝者は 自国の国旗を仰ぎ 国歌を斉唱 国旗を振りかざし 歓喜

勝者の国民も 歓喜


自国愛を助長するという現象を生じさせている


これでは 世界の中に国という壁をつくっている

せめて オリンピックという場では 国という壁の存在を忘れるという状況を つくるべきではないか



世界は一つ


このことを オリンピックを通して 世界中の人が イメージ 想像 できる状況をつくることではないか


世界は一つという役割として オリンピックを位置づけする ということが大切なのではないか



選手一人一人が 国を背負う という精神から 人間の無限の力 可能性を競う という精神に変えるべきではないか


出場選手に国では オリンピックで 国家として いくつメダルを獲得するのか ということを 報道は話題にしている


このことも オリンピックを 国家間の競争をかりたてているのではないか

報道のオリンピックの取り上げ方も 世界は一つ という演出を してほしいものである






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2016年07月25日 06時36分09秒 | 日記
( Vol 1453 ) ロシア国家による組織的なドーピング違反問題は オリンピックのあり方まで問われる

スポーツ選手の体を守るという意味で ドーピング検査が行われてきた

しかし チェックする側が ドーピング違反隠しをするという 前代未聞のことが ロシア国家組織に発覚した


これは スポーツと国家という 問題を提起したことになる

オリンピックはスポーツの祭典

しかし現実は 国の対抗を生んでいる

スポーツを 国の力としての 表現の場になっている


その結果が ロシア国家による組織的な違反を生んだのではないか



スポーツは 勝ち負けがついてしまう 絶対的なものがある

優位性を表現するには 手っ取り早いもの


人の中に潜む 欲望 優越性 勝利への欲望が 良識をも失わせているのではないか


体を壊すまでの過度な行為を抑制するために ドーピング検査が取り入れられたはずである


しかし 現実は 勝利への欲望が勝っているようだ

特に 国家による欲望は 制御がつかない


だれが 国家組織による欲望行動を 抑制するのか


その役割が IOC 世界反ドーピング機関(WADA)であろう


IOCは ロシア国家に対する 苦渋の決断を迫られ 各競技のIOCに判断をゆだねるとした


国家組織ともなると 厳正なる処分は難しいのか


このIOCの決断から スポーツと国は 切り離せないように感じる



いつ オリンピック憲章の精神を取り戻すことができるのだろうか


フェアーとは 何か を問われなければならない









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