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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#251 二軍の有望株

2013年01月02日 | 1981 年 



秋山幸二(西武)…同じく高卒ルーキーの小野和幸投手が「和製バレンズエラ」と騒がれていた頃、二軍関係者の間では「小野より遥かに将来性の有る選手がいる」と囁かれていたのが秋山だ。1㍍83㌢、80㌔の堂々たる体格で遠くへ飛ばす能力を持つのは勿論、長身選手に有りがちなノッソリとしたイメージは抱かせない。ベース1周を14秒で走る俊足も兼ね備えている。根本前監督、岡田二軍監督、毒島二軍打撃コーチらが揃って「今までのプロ野球界になかったタイプの大型選手になる可能性を秘めている」とゾッコン。56試合に出場し7本塁打の長打力は田淵二世と呼ばれる所以だが田淵には無い足を持つ。ならば長嶋タイプかと言うと長打力は秋山の方が上。とにかく過去の名選手には当てはまらない規格外の選手なのだ。

この秋山に一目惚れしたのはスカウトも兼ねる岡田二軍監督だった。昨年夏の熊本県予選決勝、投手で四番の秋山が孤軍奮闘して勝ち進んできた八代高と強肩強打の伊東(現西武練習生)率いる熊本工が対戦した。当初、岡田が注目していたのは対戦相手の伊東と速球派エース大津(現西武)だったが、その大津から広い藤崎台球場の左中間へ本塁打を放った秋山に心を奪われた。帰京するとすぐに「投手としての魅力は無いが野手に転向させたら凄い長距離砲になる」と根本監督に報告し、一計を案じた。というのも他球団も食指を伸ばしていて特に広島・阪急・日ハムが熱心に八代まで足を運んでいたからだ。岡田は父親の辰芳さんを説得して本人ではなく親として「プロ入りして欲しくない」とプロ拒否宣言をしてもらった。この発言を他球団が信じたのは常々、辰芳さんが九州産業大への進学希望をスカウトに話していたからだ。これが功を奏して秋山をドラフト指名した球団はなく、高校生としては破格の契約金4千万円で西武へドラフト外で入団した。

1年目から英才教育が始まった。二軍のキャンプは本球場から離れたサブグラウンドで行なわれるのだが、秋山は午後になると二軍の練習を離れて一軍に合流する事になる。しかし何をするのでもなく、ただ田淵、大田、土井、両外人らの打撃練習をケージの裏で見学した後に毎日1時間のノックを受ける日々が続いた。課題の守備練習以上に一流選手の日常を肌で感じるのが主な目的であった。シーズンに入ると開幕から二軍の四番を任されて、170打数42安打・打率.247・7本塁打・21打点。日ハムの後期優勝が決まった終盤に一軍に昇格し4試合に出場した。2試合目の近鉄戦でプロ初安打を記録した。左中間への三塁打を目の当たりにした根本監督は「一塁を回ってからのスピード溢れる躍動感こそ彼の真骨頂だ。きっと今までにない選手になる」と絶賛した。
    【 通算成績   2189試合  2157安打  437本塁打  打率.270 】


井上裕二(南海)…ドラフト2位で宮崎県都城高から入団した1年目は二軍で、8勝7敗 防 3.29 。8勝中の5試合は完投で、そのうちの3完封はチーム唯一の完封投手だ。井上は中学までは捕手で投手は高校に入ってから。「特に投手としての才能を感じた訳ではなくて、ただ体が大きかった(1㍍80㌢)ので投手に転向させました」と都城高・川野監督。投手転向は本人にしても大変だったようで「投手と捕手では投げ方一つをとっても全然違う。毎晩寮でシャドーピッチングをしてました。今でも昔のクセが抜けなくて苦労する事があります。捕手は機敏に送球する必要があるのに対して投手は大きくゆったりとしたフォームが理想ですから」と話す。

2年生の夏に甲子園出場を果たし3回戦まで勝ち進んだが「甲子園の後にヒジを痛めてしまって3年生の時はダメでした。プロには行きたかったが自信は無かったですね」と進学か社会人入りを考えていたが南海が2位指名。「同じ野球をするなら一番上、すなわちプロでやってみようと気持ちが変わったんです」と両親の反対を押し切ってプロ入りした。球種も直球とカーブだけだったが、この1年でスライダーとシュートを覚えて投球の幅も広がった。2~3年は二軍生活を覚悟していたが一軍の最終戦で勝ち投手になった。「正直言って1年目に勝てるとは思っていなかったので嬉しいです。好リリーフしてくれた金城さんに感謝、感謝です」

姉の英子さん(21歳)は東洋紡守口のバレー部に所属し活躍中だ。「姉さんも頑張っているし負けたくありません。この間、実家に帰ったら両親も初勝利を喜んでくれました。来年は常時一軍にいられるようになって、球場に両親を招待して白星をプレゼントしたいです」先発投手不足に悩む南海にとって何とも頼もしい若鷹の出現だ。来季の南海の浮沈はこの若き右腕に託される。

                           【 通算成績  487試合 54勝 68敗 77S  防 4.41 】


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1 コメント

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Unknown (くまお)
2013-03-23 15:29:29
 秋山の全盛期はスピードとパワーを備えた素晴らしい選手でありましたが、「ドラフト外入団」とは何だったのでしょうか?
 当時は西武の監督であった根本氏は「策士」とか「根本マジック」とか色々言われていましたが、他球団も注目する選手に「プロには行かない」と言わせておいて、ドラフトで指名されなかった後に入団させるという、姑息と言うよりは幼稚というか稚拙というかこんな単純な手法がまかり通っていたのが信じられません。
 他にも桑田と読売の密約疑惑などいろいろあるわけですが、フェアプレーの精神の欠片もありませんね。
 だいぶ後になってドラフト外入団は廃止されるわけですが、その後も逆指名制度だの、裏金、栄養費問題など何時まで経っても日本プロ野球のアホさ加減には笑ってしまいます。
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