Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#177 新守護神・角 三男

2011年07月20日 | 1981 年 
   


江夏が確立したのがクローザーです。投手は完投してこそ一人前とされていた時代から徐々に分業制がとられるようになり、各球団もクローザーを配置し始めました。角は入団後もしばらくは先発要員の一人で投球フォームも上手投げの本格派でしたが制球難の為に一軍に定着する事が出来ず伸び悩んでいました飛躍のキッカケは投球フォームをサイドハンドにして短いイニングを任されるようになってからです。藤田新監督になると試合の終盤に投げる事が多くなりましたが、現在のクローザーの様に1イニング限定ではなく終盤のロングリリーフ役でした。当時は2イニングを投げる事も珍しくはなく、江夏でも延長戦になった時に3イニングを投げた事がありました。


「おかしいよ、それは絶対おかしい」ベテランの吉田が唇を尖らせた。4月28日のヤクルト戦、今シーズン初先発で初白星をあげた堀内の球速が「148㌔」と出た。ところがリリーフした角の最高スピードが「140㌔」だったからだ。「角の球を受けていると、時々怖くなるんだ。低目にグ~ンと浮き上がってミットが手から外れそうになる。あの球が140㌔でしかもホリより遅いなんて絶対ない。プロのメシを17年も喰ってきた俺の目に狂いはない」 2年前に日本の野球界に登場して一大旋風を巻き起こしたスピードガンに真っ向疑問を投げかけた。「アレはね高目の球はちゃんと計れるけど低目の球には反応しにくいだって」と角本人はとくに気にはしてない。

今の様なリリーフのエキスパートを目指したのは一昨年の伊東キャンプから。「ノーコンだったオーバースローから、今のサイドに改造したのと同時に長嶋監督、杉下・高橋コーチたち総出で説得されたんです。お前はリリーフ向きだって」リリーフ転向1年目の昨年は1勝5敗 11Sと結果は今ひとつでした。「昨年はまだリリーフの調整方法が分からなかった。いつお呼びが掛かるのかも定まってなくて、3回くらいから準備する事もあったし。でも今年はだいたい終盤の2回くらいが出番と決まっているので、6回の頭くらいに準備を始めればいいと分かったから調整が楽になりました。この差は肉体的・精神的にも大きいですよ」と角は言う。


4月の防御率は「0.00」 8試合・15回を投げて30奪三振の驚異的数字である。「とてつもなく速く感じる(大洋・ピータース)」「背中に向かって物凄いスピードで来る。逃げようとするとサッと外角に決まる、思い切って外に踏み込むと胸元をエグられる。それに角にはノーコンのイメージがあって、それが邪魔しているな」と打撃好調のヤクルト・杉浦でさえお手上げ状態なのだ。

    

確かに4月の成績を見ると凄いです。8試合で15イニングを投げて被安打は僅か2本。広島戦では3試合で打者15人と対戦して11奪三振。ヤクルト戦は3回をパーフェクト、打者9人から7奪三振・・・さすがにこの調子が持続される筈もなく、夏場に入ると救援に失敗する事が度々ありました。自分のミスで先発投手の勝ち星を消してしまう事を恐れ常に極限状態に追い込まれている角に藤田監督の丸1日完全休養日を与えてリフレッシュさせるなどのサポートもあり、この年の最優秀救援投手賞を獲得しました。
    


    



  オーバーハンド時代の角投手。視線が捕手の遥か上空ではコントロールが良いわけがない。
   

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« #176 2年目のジンクス  | トップ | #178 圧縮バット疑惑  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

1981 年 」カテゴリの最新記事