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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 524 ボクの甲子園 ③

2018年03月28日 | 1985 年 



西田真二(昭和53年・PL学園)
何と言っても決勝戦。高知商の森投手(現阪急)に抑えられて2点差で9回二死まで追い詰められたけど僕が同点打を打って追いついた。エースで四番でしたから優勝できてホッとしたのを憶えています。それよりも主将だった木戸(現阪神)がワンワン大泣きした方が強く印象に残っています(笑)あの同点打はその後の僕の野球人生を変えたと言っても過言ではありません。

香川伸行(昭和54年・浪商)
甲子園にはセンバツが2・3年生、夏の大会は3年生の時の3回行きましたがやっぱり最後の夏が一番印象に残っています。比叡山との試合中にファールチップを右肩に受けて投手に返球する事さえキツくてまともにバットを振れなかったのですが、監督さんに「痛かったら一振りだけして仕留めろ」と言われて打ったら左中間にホームラン。試合終了と同時に医務室へ直行して校歌はベッドの上で聴いてました。

藤本修二(昭和56年・今治西)
2年生の夏に出場しました。2回戦で国学院久我山に3-2で勝って勢いに乗って準々決勝まで進みました。相手は報徳学園。エースは金村さん(現近鉄)でその年の優勝校です。金村さんと投げ合ったのですが1-3で負けてしまいました。2年生だったので捲土重来を誓いましたが実現する事が出来なかったのが心残りです。

渡辺久信(昭和56年・前橋工)
1年生の時に「10」番を付けて出場しましたが無我夢中で何をどうしたらよいとか全く分からずアッと言う間に終わってしまいました。高校時代の思い出としては甲子園よりも予選の方が残ってますね。3年生だった群馬県予選の決勝戦で太田工に9回押し出しで負けた時は悔しかったです。自分のせいで甲子園に行けなかったという思いが今も残っています。

小野和義(昭和58年・創価)
僕が出場したのは2年前です。江夏2世と騒がれましたが自分でも「調子が良い時はいつでも三振を奪える」くらいの自信は有りました。でもイザ甲子園のマウンドに立ってみると思い通りにはいかなかったですね。楽勝だと思っていた東山に打たれてアッサリと負けてしまいました。皆となんか野球をした気がしないなぁ、と試合後に話したのを憶えています。

津野 浩(昭和58年・高知商)
3年生の時に出場しましたが投げる事より打つ方の印象が残っています。3回戦の箕島戦は8-3で勝ったんですが箕島のエース・吉井(現近鉄)から満塁本塁打を打ちました。実はこの一発が甲子園大会通算450号の記念本塁打だったのです。役員の方から日付の入った記念ボールを頂いて実家で家宝として大事に飾っています。

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