◆ 石川 賢(昭和53年・日川)
今年もPL学園の前評判が高いですが僕が出場した時の初戦の相手がPL学園でした。試合は終始ウチが押していたのですが、田舎と都会のチームの差とでも言うのかPL学園の試合巧者ぶりに負けてしまった感じです。スコアは2-5でしたがウチはスクイズを見破られたり、PL学園は少ないチャンスを生かした隙のないチームでした。個人的には投手としてより打者として3安打した事の方が印象に残っています。
◆ 欠端光則(昭和55年・福岡)
今、僕がこうして投手としてプロ野球選手になれたのも甲子園に出たからなんですよね。実は高校時代の本職は遊撃手だったんです。当時のエースが予選の1回戦で肘を痛めてしまい仕方なく僕が2回戦から投げる事になりました。そうしたら何と甲子園出場となってしまいました。本大会では1回戦で大分商に負けてしまいましたが、もしもエースが故障していなければ今の僕は存在しません。
◆ 秦 真司(昭和55年・鳴門)
鳴門高の主将として出場して5年が経つんですね。ウチは2回戦からで相手は前橋工。それに勝ってヨシ次も、と意気込んだのですが愛甲君がいた横浜に負けてしまいました。宿舎に帰ってエースの島田と一晩中泣きました。四番を任されていたのに6打数1安打と情けない結果だったのが悔しくてね。その時に持ち帰った甲子園の土は大事に飾ってあります。
◆ 小松辰雄(昭和51 , 52年・星稜)
僕は昭和51年と52年に出場していますが印象に残っているのは初めて出た2年生の時です。予選の時も目立たない存在でしたが1回戦の日体荏原戦で13個の三振を奪って完封勝ちして注目されるようになりました。準々決勝の赤嶺さん(元巨人)がいた豊見城戦で決勝点となる二塁打を打ったのが最高の思い出です。結局、準決勝で桜美林に負けてしまいましたが甲子園には良い思い出が沢山あります。
◆ 深沢恵雄(昭和47年・狭南)
1回戦で強豪の柳井と対戦しましたが僕が初回に3点を取られ0-3で完封負けしました。実は初回に何本ヒットを打たれたのか全く憶えていません。まさに甲子園には魔物がいました(笑い)その後は抑えたので悔しさ倍増です。でも対戦した柳井が準優勝したのでもしも僕らが勝っていたら、ひょっとして…なんて皆で話してました。
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