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# 544 ドラフトネタ 横浜大洋ホエールズ編

2018年08月15日 | 1985 年 



去年のドラ❶ 竹田光訓:一度も一軍に上がれなかった竹田。1年遅れの新人王を狙えるか
少数精鋭主義。11月1日から静岡で始まった秋季キャンプを前にして近藤監督が口にしたフレーズだ。だがそこに竹田投手の名前はなかった。「竹田?ピッチング以前の問題。まだプロの身体になっておらず、キャンプに連れて行っても本人が焦るだけ」と近藤監督はピシャリ。鳴り物入りで入団してから1年、竹田本人も周囲も現在の体たらくを想像していただろうか?思えば大学卒業の単位を多くを残し、1月16日から始まった自主トレに殆ど参加出来なかったのがケチの付け始め。当然の如くキャンプも出遅れ、オープン戦で登板する度に打ち込まれた。特に3月31日の地元・横浜で先発した巨人戦では初回9失点の失態を演じ、これで二軍落ちは決定的となった。

「確かにあれで自分の力不足を完璧に思い知らされました。本音を言うとキャンプインして直ぐに薄々は感じてはいたんですけどね。でも焦らずやろう、と吹っ切れました(竹田)」と回想する。開幕を二軍で迎える事となったが竹田は素直に納得し、一軍昇格を目標に練習に励んだ。二軍で5勝(7敗)した竹田に一軍昇格のテストが行われ球宴明けに一軍昇格が決まりかけたが好事魔多し、右肩痛を発症しチャンスを棒に振った。9月中旬には練習中に胸の痛みを訴えて病院に担ぎ込まれたりもした。全てのツキが竹田から逃げて行くようであった。「本当に話にならない1年でしたね」と本人が一番それを痛切に感じている。

明大時代の同僚・広沢(ヤクルト)はそれなりの結果を残し、プロのスピードに慣れた来季は更なる活躍が予想される。竹田はどうか?1年遅れの新人王を期待できるのか?現状ではかなり厳しいと言わざるを得ない。「投球術は知っている。クレバーな投手であるのは間違いない。とにかくあらゆる面で力をつける事が最優先課題。それは本人が一番分かっていると思う(鈴木二軍投手コーチ)」「大学であれだけの実績を残した投手だから。1年で結論を出す必要はない。力は持っているんですから(江尻二軍監督)」と周囲の期待は今も変わらず大きい。竹田が一軍のローテーションに入ってくれれば来季の大洋は大いに期待できる。



【 運命のドラフト当日:屋鋪 要 】
自分では指名されるか、されないかどちらでも良かった。指名されなければ大学進学するつもりで早大のセレクションも済ませていた。事前に挨拶に訪れたのは大洋を含めて6球団。どの球団も指名の確約はなく、「指名した際は宜しく」程度だった為にドラフト会議当日も緊張感は全くなかったそうだ。当時はテレビ中継もなく放課後に野球部の監督さんに呼ばれて大洋が6位に指名したと知らされた。「大洋はそれほど熱心じゃなかったので意外でしたね。でもセ・リーグだし行こうと思いました(屋鋪)」。今は亡き父親が阪神の熱狂的なファンで入団交渉の席で掛布選手と同じ背番号「31」を希望したエピソードは未だに語り草となっている。

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