1981年のペナントレースが開幕して2ヶ月で早くもポンコツぶりを発揮する助っ人が現れました
ピート・ラコック (横浜大洋)… 「とにかく言い訳が多すぎるんだよ。ミスをしても絶対に認めようとしない(土井監督)」
ナインの総スカンを喰うシーンが度々目撃されている。5月31日の阪神戦の事、吉竹が打った遊ゴロを
山下が好捕し一塁へ送球、タイミングは微妙だったがラコックは「送球もそれていたし間に合わない」と
判断して早々にベースタッチの足を外し内野安打にしてしまった。これに山下がキレて「多少はそれたが
シュート回転をかけて投げたし充分届いていた筈、間に合っていた」 ベンチに戻ったラコックに詰め寄り
一触即発状態に。土井監督が間に入り事を治めたがラコック本人はブンむくれ。ナインが反発するのには
理由がある。怠慢プレーはこの一度だけで無く、幾つかの前科があったのだ。5月13日の広島戦 同点の
8回裏、ガードナーの打球を半身で捕りに行き後逸。公式記録は失策だったがラコックは「完全なヒットさ、
あれは捕れないョ」と涼しい顔。5月8日には夫人の出産に立ち会う為に巨人戦に大遅刻。数え上げたら
キリがない。しかもプライドだけは高く、日本式練習は無視して竹沢コーチを「ランニング・マシーン」と呼び
近づこうとしない。チーム最高年俸だけに使わざるを得ず、土井監督も「ウン、まぁ色々と問題があってさぁ
簡単に外す訳にはいかんのよ・・」と頭の痛い状態がこの先も続きそうだ。
クレイグ・ライアン (近鉄)… マニエルに代わる大砲として期待されたが6月に入っても打率は2割そこそこ、4本塁打とあって
首脳陣から「四番失格」の烙印を押されてしまった。ただ近鉄としても即座にクビに出来ない事情があるのだ。
ライアンは友好球団・ブリュワーズの推薦を受けて獲得しただけに無碍には扱えないのだ。外人獲得ルートの
無い近鉄にとってブリュワーズが頼みの綱だからだ。しかし西本監督の我慢も限界で遂にライアンは二軍行き
第3の外人をブリュワーズに紹介してもらったアイザック・ハンプトンを獲得した。しかし、実はこのハンプトンは
昨年シーズン途中に3Aに降格以来まともにプレーしていない事が判明し一時は契約解除騒ぎに成りかけたが
日本でテストをするという条件で来日した。テストは合格で現在は二軍で調整中だが8試合で4本塁打と結果を
出していて、一軍からのお呼びを待っている。一方のライアンは退団を申し出たがブリュワーズの手前、簡単に
クビにする事が出来ず近鉄は苦慮している。
チャーリー・スパイクス (中日) … 沖縄キャンプでのテストでは柵越えを連発し「本物。大島と2人で80発もある」と近藤監督を
歓喜させた助っ人も今や季節はずれの「大型扇風機」と揶揄される始末。開幕後 15打数0安打・9三振
4月27日には早々と二軍落ち。広野打撃コーチが付きっ切りで日本のストライクゾーンを覚えさせ打率は
3割を越えて広野コーチも「もう大丈夫」と5月30日に一軍へ戻って行った。復帰したヤクルト戦で3ランを
放つなど、明るい兆しが見え始めた時に古傷の左ひざ痛を再発し「痛い。先発出場は無理」と再び戦線を
離脱し球団も解雇もやむなしとの判断に傾きつつある。シーズン途中の解雇には理由があって仮契約を
結んでいる台湾の郭源治投手が遅くとも7月上旬までには来日し入団するのだ。ロッテ・三宅投手以上の
実力の持ち主で、スパイクスより郭の方が大きな戦力になりそうだとの声が球団内に多いからだ。
西武も創設1年目のマルーフやミューサーはハズレでしたが、スティーブやこのテリーは当たりでした。
テリーは前年にSF・ジャイアンツで2割9分6厘をマークした正真正銘のメジャーリーガーでした。
「最悪だった外国人選手」
の名前にあがったのが、このラコック選手でした。
とにかく日本の野球に文句を言い続けて消えたという印象が一番大きい選手のようです。