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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#172 助っ人事情 ③

2011年06月15日 | 1981 年 
   


外国人選手の当たり・ハズレが有るのは仕方の無い事で今も昔も毎年の事ですが、チームを混乱させる
「お騒がせ助っ人」となると球団も黙認する訳にはいかないようです。1981年にやって来た横浜大洋の
ピート・ラコックはそんな選手でした。ただ本人に悪気は無く日米の文化の違いが根底にあるだけに問題
解決は簡単ではないようです。前回に取り上げたラコック選手の記事の中で書かれていた、巨人戦遅刻
問題にも文化の違いが表れています。



3月末に来日したジャーナ夫人の第二子出産予定日は5月11日。この11日は広島戦遠征の出発日。あくまでも予定日であって
必ずその日に産まれるわけではないのだが、知人のいない異国に夫人と長女・ジェーナちゃんの2人だけにしておくのは心配だと
考えたラコックが打った手は先ず夫人の母親を日本に呼び、さらに自分も出産に立会う為に遠征前に出産するように陣痛促進剤を
使うというものだった。薬によって産気づいたのは5月8日の朝、当日は横浜スタジアムでの巨人戦だったが当然のように試合前の
練習に来るはずもなく、試合が始まってもまだ生まれない。自然分娩でない為に予想以上の難産となったのだ。結局 生まれたのは
午後8時15分。ラコックは意気揚々と球場に駆けつけ土井監督に「ベリーハッピー」と告げたのは7回裏・1-2 とリードされた場面。
あと15分早く来れていれば、一死・二三塁で投手はラコックが4打数2安打と得意としている加藤初だっただけに、代打の可能性も
あったが、その時は既に大の苦手にしている角投手に交代していた為に出番は回って来なかった。

ラコックは敬虔なカトリック信者で長女・ジェーンちゃんが生まれた時は自分の手で生まれたばかりの彼女をとりあげている。子供の
誕生は人生の中で大事な儀式なのだ。こと宗教が絡むと問題は難しくなる。かつて広島に在籍したデュプリー選手は当初球団に対し
「自分はモルモン教徒なので日曜日は安息日にしたい」と主張し手こずらした事があった。今回のラコックに関して球団は「宗教上の
問題であるし外人選手の場合は止むを得ない。このところ出産が気懸かりでプレーに集中できず不振が続いたが今後は今迄の分も
取り返すと本人も約束しているし・・」と大目に見る姿勢だ。


球団内の意見は概ね国民性の違いに寛大なようだが批判的な声も少なくない。バリバリの大リーガーで契約金と年俸を合わせて
1億円を超す球団史上最高の大物助っ人なだけに、球団は当初から腫れ物に触るような扱いを続けてきた。出産間近という事を
考慮し遠征の移動日は家族と過ごす事や当日の移動を認めたり、試合の無い日の練習は一人だけ早退を許されるなど特別待遇を
受けてきた。ただ前述のデュプリーや近鉄時代のマニエルが長男の卒業式に出席する為、シーズン中に帰国するなど外人選手の
好き勝手を許す契約を見直すべきだとの声が多くなってきているのも事実である。


横浜大洋が球団史上最高の条件で獲得したラコックでしたが複数年契約にも拘らず結局この年限りで
成績ではなく、改まらない怠慢プレーを理由に解雇されました。  【90試合 打率 .273 10本塁打】





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