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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 401 私説・長嶋巨人軍 ④

2015年11月18日 | 1983 年 



第十五章 ~ 新人選手の選択 ~ 
第138条:球団が選択した選手と翌年の選択会議開催の前々日までに選手契約を締結し支配下選手の公示をする事が出来なかった場合、当該球団はその選手に対する選手契約締結交渉権を喪失すると共に以後の選択会議でその選手の同意なしに選択する事は出来ない



文字通りに解釈するとドラフトの前々日までは交渉権があるが前日なら交渉権を失った球団以外の他球団が交渉する事が可能となる、巨人側はそう判断した。江川側が交渉を一任していた自民党副総裁・船田中代議士はかつて法制局長官も務めており法曹界にも知人も多く各方面に確認した結果、その解釈は法律的に間違いないとのお墨付きを得ていた。だがその " 空白の一日 " はコミッショナー事務局に言わせればあくまでも事務的手続き、準備の為の一日であった。そういう点で野球協約には法的不備が数多く見られた。空白の一日について文言通り解釈するか、或いはコミッショナー事務局が主張する球界内部の取り決めである慣習を取るかによって解釈も大きく変わってくる。

江川を取り巻く環境は激変していた。前年に交渉権を得ていたクラウンライターが西武に買収され江川の交渉権も西武に移った。江川攻略に西武が動き出す。新任の宮内巌球団社長は10月17日に江川側に交渉を申し入れると20日に渡米し直接交渉に臨んだ。だが江川本人の意志は変わらず滞在するロスで会見を開き「西武さんにはお断りを入れました。巨人入りの気持ちは変わっていません」と公言した。慌ただしさが増して船田事務所は遂に伝家の宝刀を抜く決意をし、蓮実秘書を通じて長谷川代表に強行突破しかないと持ち掛けたのが10月末だった。船田事務所に長谷川代表と山本栄則顧問弁護士が出向き法律的な確認を終えると正力オーナーに「江川獲得にはこの方法しかない」と決断を迫った。

これを機にこの事案は巨人軍の手を離れて讀賣新聞編集局内の専門グループに委ねる事となった。渡辺恒雄政治部長(現専務取締役)が中心となり法的理論武装を確立していった。ちなみに野球協約の不備を指摘し空白の一日を見つけたのもこのグループだった。この時点まで巨人側は鈴木セ・リーグ会長は味方になってくれると考えていた。球界内部のルールを破り道義的な問題が発生する事は覚悟の上だった。仮にこれが事破れればリーグ脱退もやむなし、と腹を括り新リーグを結成した場合に参画してくれそうな球団をリストアップしていた。11月18日、長谷川代表と山本弁護士は紀尾井町のホテルニューオータニで鈴木会長と会い空白の一日を指摘し江川と契約したい旨を打診した。鈴木会長は「そんな暴挙は世間が許さない」と認めなかった。

11月20日午後5時過ぎ、江川がロスから緊急帰国する。殺到するマスコミの問いかけにも「分かりません」「お答えできません」を繰り返した。成田空港から船田事務所へ直行した後に南青山の蓮実秘書宅に身を寄せた。その頃、讀賣新聞社7階にある社長室で正力オーナーと長谷川代表が最終的な打ち合わせをしていた。日付が11月21日に変わった午前零時半、長谷川代表は社長室を出てホテルニューオータニへ。そこには蓮実・大嶋両秘書が待っていた。記者発表用の書類に目を通し不備がない事を確認すると大嶋秘書がアマチュア野球担当の幹事である産経新聞運動部の名取和美記者宅に電話を入れた。前夜から船田事務所を通じて「21日に江川選手に関する会見を行う。時間や場所は改めて」と連絡を受けて会社で待機していたが夜10時を過ぎても連絡がなかった為、帰宅していた。

既に風呂にも入ってくつろいでいた時に電話が鳴った。「21日午前9時半から船田事務所がある全共連ビル6階で江川選手の件で会見を行う」と告げられたが彼女にも会見の内容は伏せられた。それから名取記者は各マスコミの担当者に電話を入れた。「最後の社に連絡し終わったのは午前4時過ぎ。すっかり風邪を引いてしまった(名取記者)」と後日愚痴をこぼしていた。21日午前6時を過ぎるとホテルニューオータニから長谷川代表、山本弁護士、蓮実・大嶋秘書も駆けつけやがて江川父子も来た。午前7時に正力オーナー、8時に船田代議士が現れ全員が揃った所で長谷川代表が用意してきた統一契約書に江川がサイン。正力オーナーと江川が握手し大騒動劇の幕が切って落とされた。昭和53年11月21日午前8時50分だった。

午前9時33分、全共連ビル6階の会議室「オークルーム」に殺到した報道陣を前に正力オーナーが用意した声明文を読み上げた。「本日午前9時、読売巨人軍は江川卓君と契約いたしました。ご承知の通り江川君は昨年の・・・中略・・・従って江川君は今日11月21日現在、ドラフトにかけなければならない資格条件はないものと判断いたします。以上の観点に立ち野球協約に従い契約を終了した次第です」と一気に捲し立てた。騒然とする記者達を尻目に「江川君の巨人入団が決まりこの1年に渡り身を預かっていた私としては喜びにたえません。この上は1日も早く立派に成長して欲しいと願っています」と船田代議士が続いた。記者からの質問を遮り江川が立ち上がり「子供の頃からの夢が実現して大変嬉しく思います…」と型どおりのコメントをした。

「一体いつから巨人と話し合っていたのか?」「明らかな協約違反ではないか」など次々に記者から質問が飛ぶ。それに対し江川は「僕自身はこのような方法があるとは思っていませんでした。話は今日の朝に初めて聞かされました。しかし巨人軍に入りたいという思いは変わりなく、それが今日なら協約上可能であると聞かされ納得してサインしました」と淀みなく答えた。質問は長谷川代表にも飛ぶ。「球界の盟主を自任している巨人がこんなドラフト破りをしていいと思っているのか?」それに対し「協約に従った正しい契約だ。法律的に問題ないと確認している」と長谷川代表は撥ねつけた。会見場は混乱する一方だったが長谷川代表は「これにて会見を終了します。本日は朝から御苦労様でした」と会見を打ち切った。抗議する記者も幾人かはいたが多くの記者は電話にすっ飛んで行った。「江川、巨人と契約」のニュースは瞬く間に日本中を駆け巡った。

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