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# 338 開幕一軍 ・ 若手編

2014年09月03日 | 1983 年 



駒田徳広(巨人)…この男、ひょっとすると野球の実力よりムードメーカーとして評価されての開幕一軍入りだったのかもしれない。オープン戦で甲子園球場を訪れた時の事、「僕の高校(奈良・桜井商)は弱くて甲子園出場なんて夢のまた夢だった。二軍に落とされたら二度とココには来れないから記念に土を持って帰ろう」と本当に甲子園の土をポケットに入れて周囲の笑いを誘った。ムードメーカーとして一軍入りした中畑の後輩と言える。その中畑よりスケールが一回り大きい。190cm,87kg という体格もさる事ながら飛距離もケタ外れで新外人のスミスも真っ青なのだ。

「生まれながらの長距離ヒッター。とにかく迫力満点。順調に育てば俺を超えるのも可能だよ」 リップサービス旺盛な長嶋さんの言葉ではない、沈着冷静で滅多な事は口にしない王助監督の発言だけに重みがある。王助監督が是非とも手元に置いて育てたいと一軍入りを果たした。しかし本人は「期待される大きいのがなかなか出なくてね…」オープン戦11試合で15打数7安打と結果を出したが本塁打がゼロなのが不満の様子で大きな身体を小さくしている。

左の一塁手で長距離ヒッターとなれば王助監督の後継者の有力候補だがその一塁レギュラーには中畑、控えに山本功と大きな壁が立ちはだかっている。駒田の素質を見抜いた王助監督は「確かに荒削りだが小器用に単打を稼ぐ事は望まず大きく育てたい」と期待も大きい。当の駒田は「与えられた打席を大事に思いっきり振りたい」と先ずはどの選手もが口にするような優等生の発言に続き「本音は遠くへ飛ばしたい。誰も真似出来ないくらいの一発を打ちたい。初安打は本塁打がいい」とビックマウス。王助監督の初安打も本塁打だったが後継者となるべき駒田がそれを再現できるか注目だ。



宮城弘明(ヤクルト)…いま思い出しても悔しい堀内投手コーチ(当時)の言葉が耳に残っている。「夕食を食べたら東京へ帰りなさい。明日からもっともっと練習して再び一軍へ戻って来られるように頑張りなさい」昨年3月、南海とのオープン戦後の宿舎で二軍落ちを通告された。宮城本人も二軍行きを薄々感じていた。中継ぎで登板していきなり四球・中前打で走者を溜めてダットサンに3ランを被弾。その前の巨人戦(平和台)でも原に場外3ランを浴びていた。

今年で3年目だが長いようで短い2年間だった。鳴り物入りでヤクルト入りしたが入団早々に鼻っ柱をへし折られた。とにかく投げる、打つ以前にまともに走る事が出来なかった。「ただデカイだけ」そんな陰口が耳に入ってきた。しかし、この男には身体に負けないくらい大きな負けん気があった。「自分で言うのも変ですけど上手くなっていく過程が自分にも分かりましたよ。本当に下手くそだったから当たり前かもしれませんけど」と最低ラインからのスタートに耐えた。それだけに昨年の二軍落ちは精神的に厳しかった。

「しばらく茫然として気力も萎えてしまって練習に身が入らなかったですね」 丁度その頃、母親・キヨ子さんが病に倒れた。東邦大学付属病院に運ばれ緊急手術、胆石だった。休日には必ず病院を訪れ母親を見舞った。ゲッソリと頬のこけた母親の顔を見る度に「早く安心させなくては…」と心に誓った。入院期間は4ヶ月に及んだがその4ヶ月間で宮城は4勝無敗と結果を出した。「忘れもしません、日ハムとの最終戦に退院したばかりの母親が見に来たんです。10㍍を歩くのもキツイ状態だったのに。その試合で完投勝ちして8勝目をプレゼントする事が出来ました」

その母親の健康も快復しつつあり息子の今季に気を揉んでいたが宮城はオープン戦で良かったり悪かったりと不安定だったものの、何とか一軍に滑り込んだ。「心配かけちゃったかなぁ」と巨体を小さく縮めてペロッと舌を出した。貴重な左腕で将来のヤクルト投手陣の屋台骨を支える逸材である事に間違いない。武上監督も「ジャンボ(宮城)は今年一軍で揉まれて化ける可能性を大いに秘めている」と期待が大きい。剛球と大・小2種類のカーブ、フォークボールを武器に一軍切符を手にしたジャンボ機は再び離陸した。



定岡徹久(広島)…今季の広島は4人の新人を開幕一軍に入れた。その中に定岡の名もあり周囲は早くも兄・正二(巨人)との兄弟対決実現に大騒ぎだが、本人はいたって冷静に「先ずは目標だった開幕一軍が果たせて嬉しい」と語るだけ。早ければ4月19日からの3連戦で顔合わせがあるかもしれない。父親の清治さんは「徹久の広島入団が決まった時は正二との対決はもう少し先の事かなと思っていました。どちらを応援するかって?そりゃあ徹久ですよ。もう正二は独り立ちしてますからね」と嬉しさを隠せない。

徹久にとって長兄・智秋(南海)、次兄・正二の影響は大きい。「何となく野球を始めたのも兄貴たちがやっていたから。2人が揃ってプロ入りしたから自分も行けるかなという感じでしたね」 鹿児島実業高卒業時に幾つかのプロ球団から誘いがあったが専修大学に進学したのも「打者なんだから4年間大学でやってからでも遅くない」とのアドバイスを受けたからで「現役のプロ野球選手2人が言う事ですから間違いない」と。プロ入りに際して2人の兄から贈られた言葉は「信念を持ってやれ」だった。ことほど左様に兄の存在は大きく、言葉を変えれば2人の兄は常に三男坊の事を気にかけていたとも言える。

「球場で兄貴(正二)と会っても僕は変わらないと思いますよ。向こうはどうか分かりませんけど」と定岡は "その日" を空想する。広島にとって兄・正二は天敵である。昨シーズンだけでも7敗、通算勝利数の半分以上を献上している。弟の存在が天敵攻略の糸口になってくれればと考えて獲得したのでは、と勘ぐる球界関係者もいるのも事実。そんな思惑とは別に今や定岡は広島にとって欠かせない戦力になっている。入団前から守りと走力は折り紙つきだったがオープン戦で衣笠と並ぶチームトップの本塁打を放つなど打撃の評価も高まり「入団発表で見た時はひ弱そうな第一印象だったけど見事に裏切ってくれた」と古葉監督も目を細める。「カープの一員として "定岡投手" を打ち崩してみせます」と弟はキッパリと宣戦布告。兄貴たちに追いつき追い越せと三男坊はいざ出陣する。

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1 コメント

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Unknown (鶴の意趣返し)
2014-09-03 09:13:49
駒田は数日後に本当にプロ初安打を満塁本塁打で飾るとは思っていなかったでしょうね
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