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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 670 ガラスのエース

2021年01月13日 | 1977 年 



新生大洋のエースはやはり平松政次でなければならないはずだ。カミソリシュートの持ち主であり、亡き中部オーナーに優勝を誓った平松。それなのに腰痛の為、ついにキャンプには姿を見せずじまいだった。大丈夫なのだろうか。エースの復活を信じて敢えて苦言を呈しよう。

軽い投げ込みで痛くなったガラスの腰
別当新監督を迎えて今年こそBクラスから脱却し、亡き中部前オーナーの霊前に好成績の報告を…と全選手が一致団結したはずの大洋。だが何かが足りない。何か1本芯が欠けているような印象をキャンプでも受けた人も多かったはず。それは何故か。そこにエースの姿がなかったからだ。キャンプを終え、オープン戦が始まっても平松は多摩川で二軍の選手に混じって調整中なのだ。来日が遅れた外人選手ならいざ知らず、チームを牽引する立場のエースが一軍に帯同しないのは異例のケースだ。

それは自主トレが開始されて間もなくのことだった。練習中の平松が突然腰を押さえて動けなくなった。トレーナーの診断はギックリ腰。投手陣はまだキャッチボールに毛が生えた程度の練習をしていた頃だっただけに周囲は驚きというより呆れた声の方が多かった。ただ今年は例年以上に寒さが厳しかったので同情する人もチラホラ。しかしこの様子を見ていたある二軍首脳陣は「何が腰が痛いだ。きょうアイツは腰が痛くなるような練習はしていない。女性や子供がするような動きでギックリ腰になるようじゃプロ失格だよ」と吐き捨てた。これまでもサボり癖を指摘されることが多かった平松だけに、こうした声は一軍首脳陣の中にも多数あった。

ただこの時はまだこの腰痛がキャンプを断念するほど尾を引くとは誰も思っていなかった。平松自身も「2~3日すれば大丈夫ですよ」と軽く考えていたが待てど暮らせど痛みは引かず、キャンプインを目の前にした別当監督は「体作りが遅れる人間をキャンプに同行させてもプラスにならない。体が出来上がるまで平松は多摩川に残す」と決断した。キャンプに行けば他の選手に遅れまいと無理をする。そうなれば元も子もない。そんな親心からくるエースの多摩川残留処置だった。

こうして平松のキャンプ行きは遅れることになったが、最後までキャンプ不参加になるとはこの時はまだ思われていなかった。何しろ大洋のプリンスでエースと呼ばれる選手だけに口さがない連中はいろいろと憶測をする。特に時期が悪かった。「本当に腰が痛いのか。新婚ホヤホヤで奥さんと離れるのが嫌で大袈裟に言っているだけじゃないのか」などまるで腰痛がサボリの為の仮病だと言わんばかりの声もあった。ギックリ腰の痛さを知る人は分かっているだろうが、平松はトイレに行くにも苦労していたほどだっだ。多少良くなっても再発の恐れもありキャンプ不参加は妥当な判断だった。


それでも給料がアップしたための甘えも
しかしそもそも平松がとった行動自体が悪かった。「本人曰く腰痛を発症した当日は電話にも出られないくらい酷かったらしい。ところが翌日には自らハンドルを握って自主トレをしている多摩川のグラウンドに来ているんだ。こうした行動が他の選手や首脳陣たちの印象を一気に悪化させた」と担当記者は話す。確かにトレーナーの治療を受けるという大義名分があったのだが、車の運転姿勢が腰痛に悪影響を与えることくらい医者じゃなくても分かる。「治療を受けるのなら自宅に来てもらうなどの配慮があってもよかった(担当記者)」と周囲はエースとしての自覚の無さを残念がる。

大洋には亡くなった中部前オーナーの温情をそのまま鵜吞みにして甘え続けている選手がいると言われているが平松もその一人かもしれない。平松は昨年の契約更改で不思議なことに年俸がアップしたのだ。41試合・13勝17敗・防御率 3.81 とおよそエースとしては不充分な成績ながら約10%増の1200万円を提示された。「自分では10%減でも仕方ないと思っていたので向こうの気が変わらないうちに判を押したよ(平松)」と笑っていたものである。恐らく球団としては別当新監督の下、エースとしての期待料込みの年俸アップだろうが「それで奮起すれば良いが逆に甘えに繋がる危険もある」との声があるのも事実。

キャンプなしで長丁場を乗り切れるか
オープン戦が始まっても平松は依然として多摩川でコンディション作りの段階だ。こうしたペースで果たして開幕に間に合うのだろうか?キャンプで基礎体力や肩の筋肉を鍛えて、オープン戦で実戦の勘を戻し、微妙なコントロールを修正して開幕を迎える。これが一般的な投手の調整法だ。それを平松は何一つやっておらず、ぶっつけ本番で開幕に挑むことになる。「自分なりに納得のいくトレーニングをしてきました。開幕にはベストな状態で臨めそうです。チーム関係者やファンの皆さんには心配をかけましたけど、その分をマウンドで恩返しするつもりです」と平松は言うが、それを危ぶむ声もある。

とある中堅選手は「どうせ多摩川では適当にやっていたに違いない。だってそうでしょ、周りは二軍の選手ばかりで誰も平松さんにああしろ、こうしろとは言わない。一人でする練習は楽をしがちで我々だって自主トレでキツイ練習はしない。キャンプで皆とやるから『負けてられない』とハードな練習にも耐えられるんだ。仮に開幕に間に合っても直ぐにココが痛い、アソコが痛いと言うに決まっている」と手厳しい。「確かにプロで10年もやっていれば自分の体調は自分が一番分かっているだろう。でもそれはキャンプで他の選手と共に練習をするのが前提で、たった一人でマイペースで練習するとなると話は違ってくる」と首脳陣も危惧する。

3月下旬には登板へ
何しろ平松はこれまでもガラスのエースと陰口を叩かれるほど故障の多い投手だった。1年フルシーズンを故障なしに過ごせたことはプロ入り以来1~2シーズンしかない。毎年、春休み・夏休み、時には秋休みなど年中行事のように戦列を離れている。「キャンプでしっかり体力作りをしてそんな状態だから今年はとてもフル稼働は期待できない(担当記者)」という意見が大多数だ。こうしたエースを抱えた別当監督の悩みは深い。キャンプインを前に「1日でも早くキャンプに合流して欲しい」と言っていたが、遂に合流することなくキャンプは終了した。すると「開幕に間に合ってくれれば」に変わり、今では「ペナントレースで投げられるように」とトーンダウン。

「今年は亡くなった中部前オーナーの恩情に報いるためにも良い成績を残す。目標はもちろん優勝です」と意気込みを語る別当監督。だがエースを欠いた先発ローテーションでは戦う以前の問題だ。だが僅かではあるが朗報もある。別当監督は多摩川のグラウンドで平松の投球を視察した。その時は全力投球ではなかったが変化球を交えて100球ほど投げ込んだ。その様子に別当監督は「思ったより復調している。この分だと暖かい日が続けば1週間か10日ほどで本格的な投球ができるのではないか」と一安心した。平松も「まだ五~六分程度だけど、3月下旬のオープン戦には投げられそう」と自信たっぷりに話す。まだまだ周囲の心配は絶えないが、それを解消するのも平松の奮起ひとつにかかっている。

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