面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「告白」

2010年07月20日 | 映画
少年は、その人格は未熟であり、また将来に向けて更生の余地が大きいことから、極刑に処するのではなく、相応の施設によって性格の矯正・人格の形成を図るべきである。
「少年法」によって未成年者が守られることの意義は、ごくごく簡単に言えば、そういった思想に基づいている。
だから、犯行時18歳未満であった者は、死刑に処すべき場合は無期刑に処し、無期刑をもって処断すべき場合でも10年以上15年以下の有期刑にできると規定するのである。

しかし。

自分の家族がこの「少年法」で守られる年齢の者に殺されたとき、
「犯人は、更生の余地がある将来の残された青少年であるから、しっかりと生きて更生に努めてほしい」
と思えるだろうか。
これだけはハッキリと言える。自分は決してそうは思えない。
ましてや、自分の家族を殺したその青少年が、何ら罪科の意識に苛まれることなく、また家族を殺したそのこと自体に全く罪悪感を感じていないとき、「少年法」の思想や理念など、微塵も思い浮かぶことはないだろう。
ただ思うことは、自分の家族が苦しめられたのと同様にこの犯人をいかに苦しめるか、いや家族が苦しんだ以上の苦しみを与えてやろう、ということしかないのは間違いない。

中学教師の森口悠子(松たか子)は、最愛の娘を自分のクラスの生徒に殺された。
そしてその犯人である二人の生徒は、悪びれる様子もなく、ごく普通に暮らしている。
しかもそのうちの一人は、ただ自己満足のためだけに娘を殺すという明確な意思があった。

「許さない。」

ごく自然な思いである。
そしてその思いに、自分はごく自然に同意し、悠子にシンクロした。

悠子の復讐劇は、実に巧みに実行されていく。
それが少しずつ達成されていくことに胸のすく思いがしたのは、紛れも無い事実である。
「39」や「誰がために」といった、未成年者によって愛する家族を殺された犯罪被害者を描いた作品を思い出した。
どちらの作品も佳作ではあったが、自分にとっては、やるせない思いが残った。
そのやるせなさの理由が、本作によって明確になった。

なるほど!
自分の家族が殺されたとき、こういう風に復讐すればいいのだ。
これは“もしも”のときに大いに参考になる。
誤解を恐れずも非難を承知もへったくれもなく、本作は自分にとっての羅針盤であると言おう。

ちなみに自分は法学部の出身であり、少年法や犯罪者の更生についても少なからず学んだ。
従って、悠子の愛娘を殺した犯人の少年が、しっかりと更生していくことに期待したい。

…なぁんてね。



告白
2010年/日本 監督・脚本:中島哲也
原作:湊かなえ
出演:松たか子、岡田将生、木村佳乃


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